50歳になった時に、1カ月かけて沖縄を旅した。与那国、石垣、西表、竹富、鳩間、黒島、波照間、本島、久高島、伊江島を訪れた。
50歳が若者のような旅をする、というのがコンセプトの本の出版を考えていた。ゲストハウスや民宿に泊り、農園での農作業まで手伝った。
しかし、50歳になった時に、大変な年齢になってしまった、と思ったのだが、少し経ってみると、50歳というのは普通の年齢であることが分かる。
企画は、お蔵入りになった。

この時に、沖縄に関する、あらゆる本、映画を見た。
最も沖縄を捉えていると感じたのが、深作欣二監督『博徒外人部隊』。任侠映画である。
戦後の混乱期に、本土のヤクザが沖縄にシマを作ろうとやってくる。当然のことながら沖縄のヤクザと対立するが、しだいに心を通わせていく。

地上戦を強いられた上、現在、ほとんどの米軍基地を押しつけられている、沖縄。
しかしそこには利権も存在している。米軍に土地を貸している地主たちは、膨大な不労所得を得ている。女やギャンブル漬けにして、その権利を何とかむしり取ろうとする輩も多いのだ。
そうしたことに目を瞑っていたら、本島の沖縄など見えてこない。

大高宏雄著『仁義なき映画列伝』(鹿砦社)には、現実を浮かび上がらせる、あらゆる任侠映画が網羅されている。

阪本順治による『新仁義なき戦い』では、ヤクザ対在日韓国人という、のっぴきならない対立が、真に迫って描かれている。

著者の大高氏が、深作欣二のベストを争う作品として挙げているのが、『仁義の墓場』だ。
石川力夫という破天荒なヤクザの生涯を描いた作品だが、戦後の任侠団体の実相も知ることができて興味深い。

全国の自治体で制定された暴力団排除条例については、お祭りのテキ屋も排除されるなど、様々な問題が指摘されている。

もっと問題なのは、歴史を忘れているのではないか、ということだ。
戦後の混乱期、日本政府は、人一人が生きていくのに到底足りない配給しか、国民に行うことができなかった。配給以外の食料を得るのは違法であったが、それを遵守して、山口良忠裁判官、他数名が餓死に至っている。
この時期に、人々の生活を支えていたのは、闇市であり、それを仕切っていたのは任侠団体であった。

暴力団の個々の違法行為は、断固として取り締まるべきだ。
だが、なにもかもを暴力団だとして排除するのは、戦後の焼け跡を生き抜いてきた、自らの歴史に唾するものではないか。

陰になっていて隠されている部分を、浮かび上がらせるのが、任侠映画だ。
『仁義なき映画列伝』をガイドブックとして、もっと多くの映画を見てみたい。

(FY)