東京拘置所の精神科医官として数多くの死刑囚と接した作家の加賀乙彦は著書「死刑囚の記録」で、「無罪妄想」にとらわれる死刑囚がいたことを紹介している。自分は無実だと嘘をつき続けるうちに自己暗示にかかるという症状らしいが、私が過去に会った死刑囚の中にもこれに該当すると思える者がいる。昨年12月で2011年の発生から5年を経過した長崎ストーカー殺人事件の筒井郷太死刑囚(32)である。

◆手紙だけでわかる特異な人格

長崎県西海市でストーカー被害を訴えていた女性(当時23)の自宅に何者かが侵入し、女性の母(同56)と祖母(同77)を刺殺する事件が起きたのは2011年の12月16日のこと。事件翌日、長崎県警が殺人などの容疑で逮捕したのが筒井郷太(同27)だった。

女性の父らは事件前、筒井による女性への度重なる暴力や脅迫メールなどのストーカー被害を警察に訴えていた。約1年半後に長崎地裁であった裁判員裁判では、筒井は無実を訴えたが、「不合理な弁解に終始し、良心の呵責や改悛の情は全く見い出せない」と死刑を宣告される。そして今年の夏、最高裁で死刑が確定した。

私が筒井に取材依頼の手紙を出したのは、長崎地裁で死刑判決が出てからまもない2013年の夏だった。ほどなく筒井から返事の手紙が届いたが、その文章は意味がわかりにくかった。ただ、「自分は無実」「真犯人はわかっている」「それらのことを証明する証拠があるのに、裁判に出させてもらえない」などと訴えていることは読み取れた。

また、手紙には、私の面会を歓迎するようなことが綴られていた。

〈疑問に思う事や、「お前それは嘘だろ」と思う事は、ハッキリと言って頂いてかまいませんので、気を遣わず質問して下さい。その分、僕も必死に説明するでしょうから。それでは、いづれ会いましょう!〉

この歓迎ぶりには、違和感を覚えた。というのも、私は取材依頼の手紙に都合のいいことを書いたわけではない。「報道を見る限り、あなたに不利な証拠が揃っているように思えるが、直接取材し、犯人か否かを見極めさせてほしい」と正直な考えを伝えていたからだ。筒井が特異な人物であることは、この手紙からだけでも容易に察せられた。

筒井死刑囚が収容されている福岡拘置所

◆満面の笑顔だったが・・・

その約2カ月後、福岡拘置所の面会室。グレーのジャージ姿で現れた筒井は、がっしりした大柄な男だった。照れたような様子を見せつつ、満面笑顔で「どうも」と会釈してきたが、私は正直、筒井の笑顔を薄気味悪く感じてしまった。筒井に対し、「クロ」の先入観を抱いていたせいかもしれない。

筒井はこの日、初対面の私にこんな頼みごとをしてきた。

「僕の2番目のお兄ちゃんに電話かメールで、僕に手紙を出すように伝えてもらえませんか?」

なぜそんなことを頼むのかと尋ねると、「お兄ちゃんに手紙を出したいんですが、今の住所がわからないんです」とのこと。私は「お兄さんはあなたに関わりたくないから、住所も教えないのだろう」と思いつつ、やんわり断ったが、案の定というべきか、筒井は人の気持ちを想像できない人間のようだった。

この時、もう1つ印象的だったのは、筒井から無実を訴えることへの「やましさ」が微塵も感じられないことだった。

◆本気の冤罪主張

ともかくこの日以降、筒井から無実の訴えが綴られた書面や手紙、ノートが次々送られてくるようになった。

〈ノートを読む人、みんな、信じてほしい。刑事や検事や弁護士が作った言葉じゃない、僕自身の、僕の心から出たそのままの言葉を書いたから、伝わってほしい!!〉

〈やってないことで長い間閉じ込められて、外の人には、凶悪犯と日本中に広められて、友人や家族まで思い込んでいて、死刑で殺される〉

こういうことがクセの強い字でノートなどに連綿と綴られているのだが、肝心の主張内容は、真犯人は被害者の身内の人たちだという荒唐無稽なものだった。ただ、筒井の文章からは本気で冤罪を訴えているような切実さが感じられた。筒井によると、自分の主張はDNA型鑑定やメールの履歴など数々の客観的証拠で裏づけられているが、弁護士が「名誉棄損になる」という理由で証拠を法廷に出してくれない――とのことだった。

弁護士も大変だろうと私は同情を禁じ得なかった。

◆怒らないと言いつつ怒る

やがて裁判員裁判の判決を入手できたが、有罪証拠は思った以上に揃っていた。

まず、筒井は事件当時、三重県の実家で暮らしていたが、事件翌日に長崎市内のホテルで警察に身柄確保されている。そして筒井の持っていたバッグからは血痕のついた2本の包丁が見つかり、筒井の着ていた衣服からも血痕が検出されたうえ、これらの血痕のDNA型は被害者のものと一致したという。しかもこの時、筒井は被害者の財布や手帳を所持していた――。

筒井が手紙で、〈僕の今までのコピーの手紙などを見て、どう思いました?〉〈怒らないので正直にお願いします〉と尋ねてきたので、私は手紙で正直に伝えた。

〈まず、内容がわかりにくかったです。また、最初にお手紙を差し上げた時にお伝えしましたように、私はこの事件では、筒井さんに不利な証拠が揃っているように思っていますが、コピーや手紙を見させて頂いても、まだその思いは変わっておりません〉

すると、次に届いた筒井の手紙では、怒っている雰囲気がひしひしと伝わってきた。

〈最初から、僕の書いたものは嘘だと決めて、まともにわかろうとしていないのでは?〉

〈それに、「筒井さんに不利な証拠が揃っているように思っていますが」と書かれていますが、それは、何の証拠のことを言っていますか? 実際にその証拠を手にして見て、(その周囲の関連証拠も)言っていますか?〉

確かに筒井の言う通り、私は有罪証拠の「実物」を手にして見たわけではない。また、警察や検察が証拠を捏造することもないわけではない。しかしこの事件に限っては、警察や検察に筒井を犯人に仕立て上げねばならない事情があったとは考えがたかった。

筒井死刑囚が嗚咽を漏らしながら無実を訴えた福岡高裁

◆無実の訴えは本気か直接質したが・・・

私は、福岡高裁であった筒井の控訴審を傍聴したが、筒井は法廷で「(死刑で)殺されても真犯人が誰かをばらします」と嗚咽を漏らしながら語るなど、逆転無罪に執念を見せていた。一体、どこまで本気で無実を訴えているのか。私がこの最大の疑問について、面会室で筒井に直接確認したのは2015年7月のことだ。

――色々筒井さんの書面を見せてもらいましたが、正直、あまり説得力を感じないんです
「(笑みをうかべ)えっ、あれが?」

――要するに筒井さんの主張は、本当は××さん(被害者の身内の人の名前)が犯人なのに、自分はハメられたということですよね?
「それはあんまり関係ないですね」

――じゃあ、何が問題なんですか?
「アリバイの証拠ですね。僕にアリバイがあるという」

――それもよくわからないんですが 
「ええっ(笑)」

――本気で自分のことを無実だと思っているんですか?
「思ってるとかじゃなくて、そうなんですけど」

――正直、私はやっはり筒井さんは「やってる」と思うんです
「わざと曲解しているんでしょう」

――証拠を捏造されたと言いたいんですよね?
「違います。そういう質問はいらないッ」

本人に直接確認してみても、筒井が「無罪妄想」に陥っているのか否かは断定しかねた。その後はどんな問いかけをしても「僕をビョーキということにしたいんでしょ」「気持ち悪いんですけど」「曲解されるからもういいです」などと言われ、会話にならなかった。そしてこの日以降、筒井は私の面会に応じてくれなくなった。

実を言うと、筒井は精神鑑定で非社会性パーソナリティ障害を有し、事件後の言動には演技性パーソナリティ障害の傾向が含まれると結論されていた。無実の訴えは単なる演技だったのか、それとも――。私は今も時折、面会室での筒井の様子を思い出しながら考え込んでしまう。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』