今年は、新藤兼人、若松孝二が亡くなり、命を描ける監督が少なくなってしまった、と感じていた。
そんな思いを払拭したのが、現在公開されている、周防正行監督の『終の信託』だ。

周防の作品はずっと見続けてきた。ボルノ映画時代の『変態家族 兄貴の嫁さん』から見ている。これはもちろん、周防監督の存在はまだ知らず、偶然に見たのだ。
それから、『ファンシイダンス』『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』『それでもボクはやってない』『ダンシング・チャップリン』と、ずっと追ってきた。

『Shall we ダンス?』がハリウッドでリメイクされたのを見ても分かるように、底抜けに楽しいエンタテイメントが、周防の持ち味だ。
『それでもボクはやってない』で、周防は痴漢冤罪を取り上げる。一度、痴漢の疑いをかけられて逮捕されると、いかに無実を証明するのが難しいかを描いた。
作品には楽しい部分も随所にあるが、一度、捜査当局から嫌疑をかけられると、そこから逃れるのは至難の業だという、国家権力の恐ろしさを浮き彫りにしている。

『終の信託』は、現役弁護士・朔立木の同名小説を原作に作られている。周防が小説を映画化するは初めてだ。
原作は、2002年に起こった実際の事件をモデルに書かれている。無理な延命は本人を苦しめるだけ、として、家族の前で患者の気管内チューブを抜く。それでも患者は死に至らず、筋弛緩、鎮静剤を投与し、患者は死に至った。

小説、映画では、事件の本質を浮き彫りにするために創作も加えられ、フィクションとなっている。
不倫関係にあった同僚医師の高井(浅野忠信)に捨てられ、病院での評判もよかった女医、折井綾乃(草刈民代)は自殺未遂騒動を起こしてしまう。25年にわたって喘息に苦しみ入退院を繰り返していた江木秦三(役所広司)の優しさに癒され、綾乃はおたがいに心のうちを語り合うようになる。

体中にチューブを繋がれた状態で、肉の塊になってまで生きていたくない。妻には看病でずいぶん苦労をかけてしまった、早く解放してあげたい。江木はそうしたことを語り、「最期のときは早く楽にしてほしい」と綾乃に頼む。

しばらくして江木は、散歩中に倒れ、心肺停止状態で病院に運ばれる。気管内チューブによって呼吸を確保し、他のチューブで栄養を送り続けて3週間生き続ける。これはまさに江木の望んでいない状態だった。綾乃は家族との話し合いを重ね、家族たちの目の前で、気管内チューブを抜く。その後、死に至った経過は、事実に即している。

3年経って遺族が訴えて、綾乃は検察から呼び出しを受ける。
検察官(大沢たかお)は、状況を説明しようとする綾乃の言葉を、「俺はあんたの講義を聞いているんじゃない」「聞いたことにだけ答えろ」と遮り、自分の用意した論理で彼女を追いつめていく。
長時間の取り調べの結果、気管内チューブを抜くことで江木を殺した、ということを綾乃は認めさせられる。そのとたんに逮捕状を示され、彼女は殺人罪で逮捕される。

愛、医療、司法、という3つのテーマが重なり合い、様々に考えさせられ、多様な見方のできる作品だ。
楽しい、という意味でのエンタテイメント性は、ほとんどない。
見ているのは、苦しく、哀しく、せつない。

普通なら映像化するだろうエピソードを、役者に語らせる。
しかしそのことによって、自分がかたわらで話を聞いているかのような、リアリズムがある。
草刈民代と役所広司の演技は素晴らしく、ドキュメントを見ている錯覚に陥る。
一つの事件を取り上げた作品だが、日本の現代社会の深層を掘り起こす作品になっている。

(FY)

写真クレジット
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