昨年を表す漢字として、日本漢字能力検定協会が選んだのは「絆」だった。東日本大震災で感じられた家族の「絆」、支援の輪で感じられた「絆」など、確かに多大な災害による悲劇を暖かな絆が包み込んだという印象がある。

ところが被災者たちの間から、「絆なんて、大ウソ」という声が出ている。
マスメディアで流される震災は、たいていは最もひどいところだ。
テレビに映る映像は、津波で壊れた街、流された家、失われた命……。その後は避難所や仮設住宅で暮らす人々……。

だが被災地を訪れて、街を見渡せば、被害はくっきりと二つに分かれている。
津波がやってきたところまでは、街は根こそぎ破壊されている。
津波が来なかったところは、地震で多少の被害があったとしても、見た目は普通の家並みが続いている。
津波で会社が機能しなくなり仕事がなくなったという悩みも、家があるだけいいじゃないか、と相手にされない。
同じ被災地の中でもそんな差があって、「絆」は感じられない、というのだ。

ある文章教室でも、同じようなことを感じさせるできごとがあった。
浦安で暮らす生徒は震災の日、地面がひび割れ泥が噴き出す液状化に直面し、2週間ほどは断水が続いた。彼女の出身は石巻で、親戚には亡くなった者もいるし、家が半壊した者もいる。
自分の直面した被害と葬儀で石巻に行ったことを、彼女は文章にした。

これに「被災者の気持ちを傷つける内容だ」と噛みついたのが、郡山から東京に避難してきている女性だった。
放射能の被害を恐れての、郡山からの避難。お金をかけて引っ越しをして、新たな生活を始めたことがいかに大変であったかは、想像に難くない。

文章教室のメンバーは、それまで彼女が被災者として振る舞うことに何の疑問も持っていなかったのだが、そうやって噛みついているのを見て、疑問が湧き出てしまった。
郡山というのは、福島原発から直近の双葉町の人々などが避難している場所である。
「その郡山から逃げてくるなんて……」と思うこと自体が絆を断ち切る考え方だが、その本人が浦安の女性を「ちょっと被災地を見に行って、分かったつもりになっている、非被災者」扱いしているのだから、お互いの溝は埋まらない。
結局は、郡山から来た生徒は、文章教室を辞めてしまった。

こういうことは実際には、数限りなく起きている。
子供のいる家庭は、より遠くに逃げた方がいいのは当然だが、逃げられるのはお金があるからだ。
福島原発から30キロほどの南相馬を訪ねると、逃げた人々に対して、複雑な感情を持っていることがかいま見られる。親戚の中だと、あからさまに「街を捨てた裏切り者」扱いする例もあった。
夫の了解の元、妻と子どもが避難するという例も多いが、夫婦で放射能への考え方が違い、夫の反対を押し切って、子どもを連れて逃げる妻も少なくない。

そういう実情を覆い隠すのでなく、一度明るみに出して検証しないことには、本当の「絆」は生まれないのではないだろうか。

(F.Y)