1998年7月、和歌山市園部であった夏祭りのカレーに亜砒酸を混入し、4人を殺害するなどしたとして殺人罪などに問われ、一貫して無実を訴えながら2009年に死刑確定した林眞須美さん(51)の再審請求審で新たに大きな動きがあった。裁判で有罪認定の拠り所になった亜砒酸の鑑定結果について、X線分析の専門家が再分析したところ、「林さん宅で見つかったとされる亜砒酸」と「犯人が犯行に使ったとされる紙コップに付着していた亜砒酸」が異なる物だったと判明した――というのだ。

この件はすでに新聞各社が一斉に報じていたが、当欄では事件や裁判の経緯も踏まえ、もう少し詳しく伝えておきたい。

今月9日、大阪市内で会見した林さんの弁護団によると、分析を行なった専門家は京都大学大学院工学研究科の河合潤教授。河合教授は、東京理科大学理学部の中井泉教授が捜査段階に捜査当局から鑑定依頼をうけ、世界最先端の放射光施設SPring-8で亜砒酸の異同識別鑑定を行なった際の生データを再分析。中井教授は上記2つの亜砒酸を含む事件に関連する各種亜砒酸について、スズやアンチモンなどの「重元素」の組成を調べた上で「同一の物」と結論していたが、河合教授は鉄や亜鉛などの「軽元素」の組成にも着目して再分析し、上記2つの亜砒酸を「異なる物」と結論したという。弁護団が2月28日に和歌山地裁に提出した再審請求補充書では、この河合教授の分析結果に基づき、亜砒酸の再鑑定も求めている。

筆者はこの和歌山カレー事件を冤罪と確信しているが、この2つの対立する専門家の見解について、どちらが正しいのかをジャッジしうるほどの科学的知識は有していない。それでも、この河合教授の分析が持つ意味は決して小さくないと断言できる。なぜなら、中井教授の鑑定はSPring-8が刑事裁判の鑑定に使われた初めての事例だったにも関わらず、他の専門家の事後的な検証によって信用性を裏づけられることなく、そもそも他の専門家の事後的な検証にさらされることすらなく、有罪認定の拠り所にされていたからだ。それが今回初めて、別の専門家による事後的な検証にさらされた途端、間違いだったと言われているわけだから、それだけでも重い事実と言わざるをえないだろう。

振り返れば、中井教授は林さんがまだカレー事件の容疑で起訴もされていない時期に、検察庁などに了解をとることなく記者会見を開いて鑑定の結果を公表したり、マスコミの求めに応じて鑑定資料の亜砒酸を使って実験して見せるなどしたため、裁判では鑑定人としての中立性の有無が争点になった人物だ。その鑑定結果をおおむね信用した和歌山地裁の確定判決ですら、そういう中井教授の言動について、「問題があった」と言わざるを得なかったくらいである。その鑑定結果に異を唱える専門家が現れた以上、裁判所はせめて再鑑定を実施すべきだろう。

なお、河合教授は今回の分析結果を論文にまとめており、3月31日に出版予定の専門誌「X線分析の進歩」第44集(アグネ技術センター)に掲載されるという。この件に関心のある方には、ご一読をおすすめする。

(片岡健)

★3月9日、この件に関して大阪司法記者クラブで記者会見した林さんの弁護団。