本日9日、南北朝鮮の国境、板門店で南北会談が行われる。韓国は2月に平晶オリンピックをひかえ、朝鮮は米国をはじめとする経済制裁にあえぐ中、両国の直接会談は、いっときの「モラトリアム」かもしれないが、理由はどうあれ歓迎すべきニュースだ。

昨年は朝鮮側から韓国側への亡命を試みた兵士が2名いた。銃撃を受けた1名は重傷を負ったが命はとりとめ、入院中だ。「K-POPが聞きたい」と病床で話しているという。板門店は何度か訪れたが、あの厳戒態勢の中でよく、亡命を敢行したものだと、兵士の決意には恐れ入る。

◆祖国分断の諸相

国境が海上にしかない島国に暮らしているわたしたちが、想像できないような地上の国境は世界にはいくつもある。かつて東西ドイツ国境の緊張もそうだったし、インド-パキスタン国境で繰り広げられる、双方が敵意むき出しの「儀式」のような様子も深く印象に残っている。中国とベトナムの国境も一時緊張状態にあった。

静寂時の板門店を韓国側から訪れると、そこは、緊張と商業主義の混在した場所だ。会談が行われる安っぽい建物は南北国境線上にあるが、観光客でも建物内の朝鮮国敷地内に入ることができた。毎日にように訪れる観光客の姿を、朝鮮側の兵士は望遠鏡で注意深く観察していた。

韓国の友人の多くは、「祖国の分断をいつかは解消したい」とわたしに語る。「世界最後の分断国家の子」と名付けた個展を日本で開いたのも韓国の友人だった。わたしは朝鮮国民に会ったことはあるけれども、友人と呼ぶほどの付き合いのある人はいない。日本にたとえれば、箱根あたりの南北で国境線が引かれ、引き裂かれた民族。冷戦取終結により、溶解した「ベルリンの壁」や、ソ連崩壊後多くの国が独立したのに反して、極東では、誰の意思によるのだろうか。いまだに同じ民族が分断を余儀なくされている。

◆誰のための、何を目指す「経済制裁」なのか?

「北朝鮮のミサイルの脅威」を連日垂れ流し、拉致問題をスパイスのように散りばめイメージづくりされる朝鮮民主主義人民共和国から、この冬には例年にない数の簡素な木造船、もしくは木造船の残骸が日本海各地に流れ着いている。わたしはその理由が国際社会による朝鮮への「経済制裁」にあると想像する。いわゆる“Sanction”(サンクション=経済制裁)はこれまでも、国際政治の場で幾度も繰り返されてきた。けれども、「経済制裁」が、その対象国の権力者に打撃を与えた実績をわたしはまったく知らない。そもそも、「経済制裁」を行うのが妥当であるのかどうかが、はなはだ疑問なケースは、イラン、イラクやキューバをはじめとして枚挙にいとまがない。誰のための、何を目指す「経済制裁」なのか。その理由の大半はここ半世紀ばかり「米国の利益」とほぼ重なる。

朝鮮に対する「経済制裁」も金正恩氏には痛痒でもなんでもないだろう。彼の恰幅(かっぷく)の良さは相変わらずだし、(わたしも好ましくないと同意する)独裁体制が揺らぐ気配はどこにもない。「経済制裁」は対象国の庶民生活を直撃し、権力者にはまったく無影響である(独裁的な国であればあるほどその傾向は強まる)ことを、わたしたちは日本海に流れつく、簡素な木造船の破片から、その中に横たわる亡骸から感じ取ることができないものだろうか。

映画『シュリ(Shiri)』(1999年)

◆映画『シュリ』の卓越なストーリー

1999年に韓国で撮影された『シュリ(Shiri)』という映画がある。ストーリーはややわかりやすすぎるきらいはあるものの、分断国家の悲劇を描いた作品として当時韓国では史上最高の観客動員数を記録した。朝鮮の精鋭部隊工作員が韓国の国防組織の人間と接触するうちに恋仲になるが、2000年に開催されるサッカーワールドカップに参加した南北両国の首脳を朝鮮側の部隊が爆破し、統一のための「革命」を図ろうとし、それが果たされない。そんなストーリーだったと思う。

「民族が分断されて何十年。政治家どもたちだけがいい加減な芝居を演じてきた。祖国統一のために、俺たちは政治家ではない新しい革命を必要としている」

たしかそんなセリフを朝鮮側から韓国に侵入した特殊部隊の隊長が、韓国の国防部隊主役に投げかけていたような記憶がある。『シュリ』のなかで、朝鮮の部隊は韓国だけではなく、みずからの国の元首もスタジアムごと爆殺することによって、民族統一を図ろうとしていたストーリーが卓越だった。終焉に向かう前に何人もの朝鮮兵士が窮地に陥ると殺される前に、「トンイルマンセイ(統一万歳)!」と声をあげながら服毒自死するシーンもあった。

当時の韓国大統領金大中は2000年に平壌を訪問し、金正日総書記と会談をしている。金大中が平壌空港に降り立ったとき、金正日は自ら出迎え、最大限の敬意を表している。日本でも在日コリアが涙しながらその様子を目にし、喜びに酔いしれていた(一部冷めている人もいたけれども)姿はまだ覚えている。韓国からの留学生も夜を徹して祝っていた。だから『シュリ』の描いたストーリーは劇場内では刺激に満ちたものだったが、それが現実を動かす力になりえたか、と言えばそうではなかったろうし、当時はそんな情勢でもなかった。

独裁国家の精鋭部隊が、忠誠を貫くべき国家元首を、「民族統一」の障害物として爆殺を敢行しようとするストーリーには引き込まれたが、2月には平晶オリンピックが韓国で開幕する。もちろん物騒な騒ぎなど微塵もなく、この機会に南北両国の凍てついた関係に少しでも融和の兆しが現れるよう、こころから切に願う。


Shiri (Shiri’s Ending)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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