栃木県行政不服審査会の不見識な答申書

2005年に栃木県今市市(現在の日光市)の小1女児・吉田有希ちゃんが殺害された「今市事件」では、無実を訴える勝又拓哉被告(35)が一審・宇都宮地裁で無期懲役判決を受けた。そして現在は東京高裁で控訴審が係属中だが、めぼしい証拠は捜査段階の自白しかないことなどから冤罪を疑う声は少なくない。

この事件の取材を進める中、栃木県警が勝又被告の無罪証拠になりうる行政文書を遺棄していた疑惑が浮上した。それに関する栃木県行政不服審査会の不見識な対応と併せて紹介したい。

◆自白の矛盾を客観的に裏づける栃木県警のポスターが遺棄されていた・・・

まず、「勝又被告の無罪証拠になりうる行政文書」とは何か。それは、勝又被告が検挙される以前、栃木県警が事件の情報提供を求めるために県内各所に張り出していたポスター、県内各所で配布していたチラシなどである。

では、これらがなぜ、勝又被告の無罪証拠になりうるのか。そのことはすでに当欄の昨年4月6日付け記事「今市女児殺害事件をめぐる冤罪疑惑──見過ごされた自白調書の明白なウソ」で説明している。

今もネット上で画像が散見される「無罪証拠になりえるポスター」

県内各地に張り出されていた栃木県警の情報提供募集のポスターなどは今もネット上のあちこちに画像がアップされているが、有希ちゃんの事件当日の服装がイラストや写真で紹介されている。そして捜査段階の自白では、勝又被告は「これらのポスターを見るたびに怖い思いがしていました」と供述している。しかし、一方で勝又被告はなぜか、「有希ちゃんの服装は、赤いランドセルを背負っていたこと以外は憶えていません」と供述しているのだ。ポスターなどで紹介された有希ちゃんの事件当日の服装は、黄色いベレー帽や「とっとこハム太郎」の絵が描かれたピンクの運動靴など非常に特徴的であるにも関わらず・・・。

この捜査段階の自白における勝又被告の供述内容はどう見ても辻褄が合っていない。栃木県警の情報提供募集のポスターなどはそのことを客観的に裏づけ、自白の信用性を否定しうるからこそ、勝又被告の無罪証拠になりうるというわけだ。

そこで私はこのポスターなどについて、より公的な物を入手すべく、昨年1月、栃木県警に対し、公文書の開示請求を行ったのだが・・・。

ほどなくして栃木県警は私に対し、非開示の決定を告げてきた。すでに「廃棄した」というのだ。

これは、被告人が無実を訴えて裁判が係属中の事件について、警察が無罪証拠になりうる公文書を遺棄したという重大不祥事ではないか。私はそう考えた。そこで決定を不服として、栃木県公安委員会に対し、審査請求を行った。すると今度は、栃木県公安委員会から諮問を受けた栃木県行政不服審査会の不見識な対応を目の当たりにすることになったのだ。

◆栃木県警側の言い分を鵜呑みにした栃木県行政不服審査会

栃木県公安委員会からの諮問に対し、栃木県行政不服審査会は今年2月2日付けで答申したという。この答申書の写しはほどなく私のもとにも届いたが、それには「結論」がこう綴られていた。

〈栃木県警察本部長(以下「実施機関」という。)が行った公文書非開示決定(文書不存在)は妥当である。〉

このような「結論」が示されるのは予想の範囲内だった。問題は、栃木県警が「廃棄した」と言っている公文書、すなわち今市事件の情報提供募集のポスターなどについて、廃棄したことの妥当性に関する栃木県行政不服審査会の判断だ。それは次のようなものだった。

〈実施機関は、本件対象公文書を特定し、条例に基づき本件処分を行っていることを踏まえると、実施機関の主張のとおり、刑事訴訟上の証拠となりうる性質の文書でないと判断される。〉

要するには栃木県行政不服審査会は、ポスターなどの内容や勝又被告の捜査段階の自白内容をまったく検証せず、栃木県警側の言い分のみに基づいて、ポスターなどが勝又被告の無罪証拠になりうることを否定したのだ。

これでは、栃木県行政不服審査会が存在する意義はないのではないだろうか。この件に関しては今後も取材を続け、適時報告したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)