バスを降りる藤川さん(イメージ写真)

バンコク行きは、俗人時代とは違った街の風景が見えてきます。出会う人や藤川さんの態度。そしてラオス行きの“未知との遭遇”が迫ってくる現実にはまだ早いも、その準備に緊張感が増していきます。

◆初外泊・出発の朝!

バンコクに向かう14日の朝は、いつもどおりに托鉢を終えて、使ったばかりのバーツ(鉢)を底面が開く大きい頭陀袋にセットしていると、予定時刻より早く「オイ、行くぞ!」と藤川さんが叫び慌てさせられ、まだ他の比丘が托鉢から帰って来る姿を見ながらの出発。

「どこ行くの!何しに行くの?」と呼び止める仲間に「ちょっとバンコクへ!」と応えながらバスターミナルに向かい、寺に来た時と同じ青い高速エアコンバスで8時ちょうど発に乗車。運賃は100バーツ。比丘は2割引になります。比丘は専用席となる運転席の後ろ。車掌さんは比較的若い美人。スタイルも比較的綺麗。“比較的”と言うのは、そんなベッピンさんはほとんど居ませんが、バンコクのボロく安い市内バスは、とんでもないデブやオバサン車掌が多い中、市内エアコンバスや長距離高速バスには、綺麗どころが比較的多いということです。

バンコクを歩く藤川さん(イメージ写真)

窓側で堂々と股開き気味に座る藤川さんは相変わらず何も話さない姿勢で、なるべくこんなジジィとくっ付きたくないので少々離れようとすると私の座り方はより窮屈になります。でも目の前の運転席との敷居となる車掌席に座ったり立ったりの車掌さんの“比較的”魅力的なお尻が視界に入り避けつつチラ見。ムラムラする気分。脳から振り払うことなかなか難しい。

◆久々のバンコク!

2時間かけて、かつて通ったサイタイマイバスターミナルに到着すると、「知り合いが車で迎えに来るんや!」と突然言う藤川さん。「何? いきなり!」と思うが、今日1日お手伝いしてくれるらしく、我々だけで移動するよりは心強い。

そして10時30分頃、佐藤という30代ほどの綺麗な女性と運転手の若い男性が車でやって来ました。バンコクの日本長期信用銀行に勤務している藤川さんの知人の奥さんと助手のタンくんで、また藤川さんの思惑にはまった犠牲者(と思った私)でした。

佐藤夫人とはお互い日本人なので御挨拶を済ませ、ここから藤川さんの用で、スリウォン通りに向かいます。車中、藤川さんは本領発揮、よく喋り、私を無視してきた日々と正反対に舌好調。佐藤夫人も優しく陽気な方で調子を合わせてくれていました、まだこの頃は。

パッポン通り入口(イメージ写真)

そしてスリウォン通りに入ると有名な歓楽街、パッポンの前で降り、車を駐車場に止めに行っている間、我々はかつて遊んだパッポン通りの入口で待ちます。比丘がこんなところで“立ちんぼ”なんて何とも恥ずかしい。

◆昼食はタンブン(寄進)された寿司!

藤川さんの幾つかの用は、郵便局へ行って郵便出し、バンコク銀行でお金を下すこと、タイ航空事務所へ行って、藤川さんが25日頃行く予定というナコンパノム行きチケットを購入。郵便出しは佐藤さんに任せ、その間にバンコク銀行へ。そこでは警備員さんが親切に優先的に窓口に誘導してくれて早く終わる有難さ。

その後、佐藤夫人に昼食に誘われた先は日本の座敷風の寿司屋。握り寿司、ロールキャベツ、鯖の味噌煮、最後にデザート。私や春原さんが藤川さんに捧げたように運転手のタンくんが私に料理を手渡してくれます。佐藤夫人は藤川さんが敷いた“パー・プラケーン”という黄色い布の上に置いて貰い、女性からは間接的に受け取ります。毎度の食事前の儀式です。

朝は食べてないからお腹は空いていました。久々に食べる寿司は美味しく、屋台のぶっ掛け御飯でいいのに、日本料理に招待してくれたのは日本人としての気遣いだったのでしょう。

ここは佐藤夫人のタンブン。藤川さんの知り合いというだけで私はタダ食いである。比丘は御礼を言う必要は無いが、日本人として御礼は言いたい気持ちが残ります。

パッポン通り、昼間でも比丘が歩くのは不自然。夜はネオン輝く賑やかさ(イメージ写真)

◆ラオス行き最初の準備!

その後、ルンピニースタジアム近くの旅行代理店へ向かって、ラオスビザ取得を依頼。一人1500バーツ(約7500円)。ビザは単なる観光ビザだが大丈夫なのか。でも前に聞いたとおり、難しい申請は代理店が問題無くやってくれるらしい。パスポートと写真預けると「28日に仕上がります」と言われ、「本当にビザ取れるのか?この代理店大丈夫か?」という不安は残るも藤川さんは使い慣れていて疑う様子は無い。

そして次はフアランポーン駅(バンコク中央駅)へ向かうはずも、その前にマーブンクローン(東急デパート共同)へ向かいます。

それは「携帯電話のバッテリー買うて来てくれへん?」と突然進路変更を頼んだ藤川さん。佐藤さんは一瞬間を置いて「いいですよ~!」と優しく応えてくれたものの、この一瞬の間が「この人相当疲れているぞ」と私は感じたのです。ここまで引っ張り回されるとは思わなかったでしょう。何から何まで頼む藤川さん。「ちょっとは遠慮しろよ!」と怒りすら感じるところでした。

比丘はデパートの中は入れないので、佐藤さんとタンくんが買いに向かい、我々は車の中で待ち、今日はいっぱい喋ってストレスが発散したのか、藤川さんとは40分ぐらい寺での若い比丘らのことを、以前のような笑いある表情で会話が続きました。出家してから初めて心晴れる会話でした。

この後、最後の大きな仕事、ラオス国境のノンカイ行きの切符を購入。過去何度か行ったバンコク中央駅も迷う構内。でも頻繁に旅に出る藤川さんはサッサと事務所のような方へ入って行き、ここでも比丘パワー発揮し、優先的に扱って貰えました。ノンカイへ12月10日出発で12月20日帰りの寝台列車の往復切符。寝台上段は208+208=416バーツ。下段は238+238=476バーツ。合計416+476=892バーツ。500バーツずつ出し、私が1000バーツ紙幣で払って、おつりを小銭で8バーツ貰って車に戻りました。さて、おつりが100バーツ足りないこと気付く。

藤川さん「お前、頭悪いなあ、1000から892引いたら幾つやあ?」とまた自信満々にボロクソに言い出す。
私「108です!」と言うと
藤川さん「何でやぁ~、8やろぉ・・・! あ、そうか108か!」
私「だから最初から108だと言ってるだろうが! 俺の頭悪いせいにしやがって!!」と、逆切れしてしまいました。心通じる会話の後で、私もちょっと調子に乗ってしまったか。私も釣銭を深く考えず受取り「しまったやられた!」と思うも駅員さんも勘違いだったでしょう。

◆負担掛け過ぎのタンブン!

最後の目的地、17時ぐらいにスクンビット通りのワット・タートゥトーンへ向かって貰うと、佐藤さんも「これでやっと帰れるわ~!」とホッとしたことでしょう。バンコクの街を1日動けば結構疲れるのです。

寺の門を潜って、ここで車を降り、佐藤夫人には日本人として御礼は言い、タンくんにはタイ語で「ポップカンマイナ!」と再会を願う言葉を掛け、「本当に御苦労様。こんな苦労はもうしないように、また藤川さんに頼まれたらウソついて断ってください」と小声で訴えお別れとなりました。

この日の何ヶ所も引っ張り回された苦労に佐藤夫人へ何の報酬もありません。私は釈然としない罪を感じ、巣鴨で出会ったミャンマーの留学生にタンブンされたように、またこの世に返す恩を増やしてしまいました。でも自分に何が出来るだろうか。
この後、初外泊となるワット・タートゥトーンのお坊さんに挨拶に向かいます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』