背格好だけ違って皆同じに見える比丘の顔触れから、遠慮なく本音で喋る時期に入り、仲良い奴にも癖があり、性格悪そうな奴にも賢い判断がある、そんな自然な振舞いがいろいろな場面で見えて来ました。

ベテランのアムヌアイさんは三輪自転車トゥクトゥクの運ちゃんと雑談(1994.11.22)

◆春原さんからの激励

11月18日、春原さんから得度式で撮って貰った写真が届きました。中の手紙には大きな字で、「ワッハッハッハ、何を弱気な!」

出家した間もない頃、「藤川ジジィが無視しやがって」とか「黄衣の纏いが下手糞過ぎて托鉢中に解けそうになって情けない、もう辞めたい」など心境を愚痴を溢して書いた春原さんへの手紙の返事がこれでした。

「誰も真似できないような仏門に自ら飛び込み、日々の苦労はあっても坊主修行を続けている姿に、私は情けないとは思いません」

「もう慣れている頃だと思うので、何も心配していませんが、頑張って話題豊富な修行を送ってください。期待しています」と呑気なことを書いて寄こしやがって。

でもこんな手紙に背中を押されるような元気を貰いました。ボクサーが真のファンに「応援してるよ、頑張って!」と励まされるのは、こんな涙が出るほど嬉しい心境なのかと思います。

皆の写っている写真をそれぞれに渡すと、やっぱり笑顔で受け取ってくれて大変喜ばれました。和尚さんも性格の悪い奴も、ブンくんもコップくんもみんな見せ合って笑う賑やかさ。それは小学校の頃に、年度末に撮った学級集合写真を貰ってみんなで笑って見ているような光景でした。

◆寺の内側で起きている個性的な比丘らのこと

ちょっと悪賢いヒベ(左)、すでに還俗したインド(右)(1994.11.5)

ヒベという奴は普段から不良ぽく、卑猥な言葉らしい“ヒベ”を連発して言っていたので、品の無いこいつを「ヒベ」とちょっとだけ小声で呼んでやりました。

性格は優しいがヒベ並みに品の無い奴がパノムという奴。
「オーイ、ハルキ!“オメ○”って何だ? キヨヒロ(藤川さん)から聞いたんだけど!」と、庭でデッカイ声で呼びやがる。

「それは“ヒー”のことだよ。日本語では“オ○ンコ”って言うんだ」と言ってやったら、更にデッカイ声で「オマ○コ!」よ呼びやがる。

「みっともないからやめろ!」と言っても、「マイペンライ!タイ人しか居ないから、誰も分からない!」・・・!?

パノム(左)、ティック(中央)、ルース(右)。この3名もやがて還俗します(1994.11.5)

近くには山の上にナコーン・キーリーというケーブルカーで上がる観光地がある。この辺を日本人女性が歩く可能性もあるから止めて欲しかった。

初めてタイに来た日本人女性が、神聖なるお寺のお坊さんから“オマン○”なんて聞こえたら、タイ・テーラワーダ仏教の権威が崩れるではないか。

更にパノムは夜遅くに「腹減った、ラーメン無いか?」と私の部屋にやって来たことがある。

「オイ、今食うんじゃないだろうな、明日の朝食えよ!」と言って托鉢でサイバーツされたカップ麺を渡すと、隠すように持っていったパノム。夜食ったら戒律違反である。比丘の中にはこういう体たらくな奴も居るのかと思う。ケーオさんは心が病んでいるようだ。

藤川さんにこの寺を紹介したのがバンコクにいる知り合い弁護士で、この方の末弟に当たるのがケーオさんらしく、他の兄弟と違い、複雑な思春期を過ごしたケーオさんはちょっと問題あって、お坊さんにでもさせておくしかない事情の下、この寺で出家させたという、藤川さんは元から縁あるお坊さんなのでした。

話せば面白い奴で頭も良い。機械イジリが好きで和尚さん所有の車をメンテナンスしたり、秘書的存在でタイプライターで文字を打っていることも多いケーオさん。私もストロボが発光しなくなった時、こんなタイの田舎の寺に居ては修理は無理と諦めていたところ、ケーオさんが「ちょっと貸してみい!」と持って行ったら翌日までにしっかり直して、ちゃんと撮影に同調する問題無い修理をしてくれた、器用な人なのである。

アムヌアイさんは誰もやらない3K仕事をやる真面目な優しい奴。これも藤川さんから聞いた印象で、「毎日、牛の糞を捨てに平気で運んどるが、ケーオのような要領の良さは無いな。仕事は何でも出来そうやが鈍感なタイプやな」

「メーオは、学の無い奴で還俗しても他に就職先なんか無いやろうな。ペッブリーから出たことも無いらしいし、坊主やっとるしかないんちゃうか!」
当たらずと雖も遠からずの藤川さんの意見でありました。

ズル賢いケーオさん(左)、ワット・マハタートの高僧(中央)、やがて還俗するブイ(右)(1994.11.27)

◆比丘達の試験!

21日の午後はペッブリー県でいちばん大きい寺のワット・マハタートへ皆が試験に行った様子。新人僧はパンサー明けに全国の寺で行なわれる仏教試験を受けることが義務付けられており、合格すると初めて一人前の比丘となるそうである。

翌22日も試験。疲れた表情で帰って来る仲間達。「難しかった」「たぶん落ちた」と言う奴が多い。古い比丘や藤川さんは試験は無い。私はパンサー経験無い上、新入りなので、全く声は掛からず。

試験に向かうティック(左)、ブン(中央)、テーク(右)(1994.11.22)

◆初めての一人托鉢!

26日は一人托鉢。昨日から藤川さんはナコンパノムへ旅立っています。何しに行ったのかは分からない。普段から寺では話さないから仕方ない。

いつも最後に立ち寄る砂利路地で、御飯と惣菜の他、お菓子を必ず入れてくれるおばさんに英語で声掛けられ、私がタイ語でたどたどしく応えるので、日本人と知られてしまう。するとその向かいの家の、身体に障害があって手が震えるオジサンに、
「このお坊さんも日本人なんだってさあ!」と教えてしまう始末。藤川さんを日本人と知っているのに、私も日本人だと今迄知らなかったのかなと意外に思う。

お菓子おばさんには「いつ還俗するの? もう一僧はどうしたの?どうして比丘になったの?」と聞かれても、適当に都合のいい返答しつつ、気さくな会話が出来る仲となれました。オジサンの家には年頃の綺麗な娘さんが2人居て、日々入れ替わり出て来ること多い中、この日は後から娘さん2人とも出て来て、その娘さんにも伝えてしまうお菓子おばさん。短パン姿で、太ももが綺麗でつい見て見ぬフリをしてしまう。もう下手な黄衣の纏いも痛い石コロも忘れてしまう、こんな楽しい托鉢でいいのだろうか。

ここに来るまでにも結構声掛けられ、別の路地で、元横綱琴桜に似たおばさんにも「今日はひとりなの?いつまで比丘やるの?還俗したら何やるの?」と聞かれたり、目が合えば微笑んでくれるオバサンも居て、普段は眼力ある藤川では声掛け難いのか、私一人の今日はちょっとした人気者でした。

こんな日が29日朝まで続き、ようやく帰ってきた藤川さん。翌日にまた二人托鉢になると、途端に以前どおりの無言の托鉢に戻りました。

◆ラオス行きの最終準備

藤川さんはどこへ行くにもバンコクを経由することになるので、先日の旅行代理店に立ち寄り、預けてあるパスポートを受け取っています。そのラオス行きのビザが取れたパスポート差し出されて、「あと300バーツや!」と言う。

「300バーツぐらい奢れよ、日本でどれだけ奢ってやったことか!」と思うが、行って来てくれたのだから仕方ないか。

ラオスに行く日までに、まだ準備しなければならない、和尚さんのサインが要る申請書類の作成の為、和尚さんに相談しなければならないことが幾つかありました。またいつもの調子で「ダーイ!」と言ってくれるでしょうか。

煙突は火葬で使われます。叫べば結構響く境内(1994.11.22)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』