◆第四インター日本支部の栄光

3.26開港阻止闘争で全国にその名を知らしめたのは、第四インター日本支部(革命的共産主義者同盟)だった。管制塔占拠にさいしても「管制官には危害を加えない」という方針が確認されていたことから、非暴力直接行動であるとの評価も浮上した。もっとも、これはベトナム反戦運動のころに起きた、ベトナム戦争反対行動委員会の日特金属工業(米軍や自衛隊に機関銃を供給)への抗議行動(機械などを破壊)になぞらえて評価されたものだと思われるが、ちょっと的外れである。開港阻止闘争では機動隊に火炎瓶を投げつけたし、鉄パイプを機動隊員に打ち下ろしてもいる。だが、内ゲバはしないという組織路線が、革共同両派の内ゲバ戦争に辟易していた人々には、清廉なものに見えたはずである。左派労働運動のご意見番的な存在である長崎造船労組は「いま、君たち(第四インター)は好感をもって労働者たちに受け入れられている」と評したものだ。

当時、第四インターの実働部隊である青年学生共闘は逮捕された200人ほどをふくめて、600ほどか。政治集会で1000人ぐらいではなかっただろうか。当時、中核派が1500人ほど、社青同解放派が600~700、ブント系では戦旗(荒派)が150、戦旗(西田派)が100、ほかに大きなところでは立志社(のちにMPD)が130、第四インターとともに管制塔占拠をになったプロ青同(共労党)は80ほどにすぎなかった。わたしがいたグループといえば、60人もいたのだろうか。三里塚闘争全体では、警察発表で9000人、主催者(反対同盟)発表で20000人と言われていた時代である。いずれにしても、史上初めて学生と労働者が警察に勝ったということで、第四インターはいわゆる人民大衆に期待され、その活動は受け入れられた。まるで60年代の三派全学連(第四インターも三派全学連には参加している)の再来のように、かれらの人気は高まった。

が、思わぬことからその栄光の赤旗(鎌トンカチ)は、地に堕ちることになったのだ。それはレイプという女性差別が、ほかならぬ三里塚現地闘争団の内部に起きていたのである。

◆現地闘争団のレイプ事件

最近、当時の女性活動家から当時のことを聞く機会があった。レイプ事件そのものは、調べてみれば他党派もふくめて芋づる式に露見したという。わたしのいたグループでもレイプこそなかったものの、就寝中に女性の身体を触るなどの行為はあった。その問題については、「女性の政治的決起を抑圧するもの」と指導部から評価が説明されたかと思う。痴漢、あるいわセクハラ行為なのに、左翼はヘンな理屈をこねるものだと思った記憶がある。※第四インターでは、女性が嫌がる性的接触をすべてレイプと規定したという。

最近、わたしが話を訊いた元第四インターの女性も、「レイプ問題も、マルクス主義から説明しなければならない女性指導部に、ちょっと厭きれた」「女性が嫌なことをされたわけだから、そこを具体的に問題にしなければ解決しないのに」と語ってくれたが、そのいっぽうで当時は解放感にあふれた雰囲気で、三里塚の地はすばらしく楽しかったとも言う。若い男女が狭い小屋で寝泊まりしているのだから、問題が起きないほうがおかしいと、わたしは思う。とはいえ、女性が嫌がることをしていたのだから、徹底して指弾されてしかるべきである。かく言うわたしも、最初に街頭デモで密集したとき、女性活動家と身体を密着させることにアソコが驚いたものだ。左翼ってすごい、と思った。

◆フェミニズムの勃興は女性差別から

ともあれ、この事件(複数)によって第四インターは組織的な混乱に陥った。レイプを糾弾する女性グループが形成され、のちに分派して第四インター国際書記局から正統派と認められる(正確には組織としてではなく、このグループのメンバーを国際書記局が受け容れた)。女性差別と言えば、60年代末の全共闘運動のバリケードのなかで、レイプ事件や女性が嫌がる事件は頻発していたという。上野千鶴子は、男子活動家から『共同便所』という言葉が出たのがショックだった、とその当時を語っている(朝日新聞の連載記事)。いわば全共闘運動における女性差別こそ、リブ(フェミニズム)が生まれ出る契機だったのだ。

 

『三里塚闘争50年の集い7・17東京集会報告集』(2017年1月15日三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)発行/定価500円)※画像をクリックすると模索舎ストアにリンクします。

70年の全学連大会で議長が気軽に女性活動家に書記を依頼したことから、その大会は女性差別糾弾がテーマとなったのはよく知られている。第四インターという組織はおそらく、そういう組織的な矛盾を経ることがなかったのではないか。わたしは学生時代に障がい者介護をやっていたが、その当該(障がい者)が第四インターを批判して、ぼくの部屋を勝手に解放空間にしてしまったと語ったのを知っている。その解放空間とは、彼に言わせれば若い男女の乱れた関係、いや、セックスが解放されてしまった空間だったようだ。

上野千鶴子は「同志である男性活動家に裏切られた」と語っているが、差別の実際こそ男女の関係をつくりかえる契機になるのだろう。しかるに、三里塚闘争の主体である反対同盟農民の家庭において、その女性差別は顕著だった。若い男女の関係ではなく、封建的な家父長制において、嫁たちは苦しんでいたのだ。しかもその嫁たちはリブ運動に目覚め、反権力闘争の中に女性解放の展望を見出そうとしていた、新左翼の支援嫁たちなのである。このテーマについて、本稿ではこれ以上は掘り下げない。じつは支援嫁たちの三里塚闘争として、ある気鋭の女性ライターに書くことを勧めているからだ。乞うご期待! そのエッセンスは、支援嫁のひとりである石井紀子さんの発言で触れられる 。紀子さんによれば、おっかぁ(家父長の妻=婦人行動隊)たちは「共同経営者」であり、農家で妻の立場はけっして弱くはない。彼女たちの賛同を抜きには、家父長といえども何もできないからだ。支援嫁はしかし、ほとんど家内奴隷だった。ようやく共同経営者になろうとしたとき、夫たちは空港との共存に走り、支援嫁たちは立ち尽くすしかなかった。(つづく)

▼横山茂彦(よこやましげひこ)
著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、最新刊は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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