駅側のワット・ミーチャイ・トゥン和尚さんと藤川さん

◆一列縦隊の托鉢!

ノンカイのワット・ミーチャイ。トゥンに泊まった翌朝、5時に起きる。顔洗いにだけ洗面所へ行き、黄衣を私だけホム・マンコンに纏うと6時少し前、外で待つと辺りはまだ暗く、そして寒い。寒気のタイ東北部となると当たり前。裸足で立っていると土の地面がかなり冷たい。

6時過ぎてようやく他の比丘も出て来て、その比丘らに続いてノンカイ駅最先端の行き止まり付近に向かい、和尚さんを待ちます。持つのはバーツだけで頭陀袋は必要無い様子。

そして和尚さんを先頭に縦一列に並び、歩き出しました。手招きされるまま私は藤川さんの後ろで3番目。よそ者の我々が和尚さんの真後ろに並ぶ形。

少し進むと河沿い側のワット・ミーチャイ・ターの比丘たちが合流し、若いプラマート和尚はトゥン寺和尚の後ろ、更に年配比丘が続き、私は5番目となりました。

他にもかなりのベテラン比丘が居るのに、皆若いせいか我々の後ろに回っています。そして先頭を歩くトゥン寺和尚の速いこと。各集落毎に2~3人の信者さんがサイバーツ(お鉢に食物を入れる寄進)を待ち構えています。そこを立ち止まったと思ったら信者さんがすかさず一握りのカオニィアオ(もち米)を入れ、次の信者さんへ回り、終わるとまた前へ進みます。これは速い。新世界紀行で見たような、ゆっくり歩いてワイ(合掌)する信者さんを見届けて歩き出すといったものではない。前との距離が開かないように着いていくのがやっと。

50件ぐらい回ったろうか、突然振り返って帰る方向へ向かいだすトゥン寺和尚さん。バーツ(お鉢)に入るのはカオニィアオがほとんど。たまに果物、お菓子、ジュースが入れられました。帰りは列が乱れ、ゆっくりお喋りしながら歩く者もいる。一列托鉢はそれでも30分ぐらい歩いたような感覚。そして一握りのカオニィアオばかりだったが、更に信者さんがお寺に惣菜を運んだり、托鉢帰りの比丘に食材が入った御重のような重ね容器を渡している姿がありました。何らかの習慣化したシステムがあるのでしょう。

托鉢の朝。ノンカイ駅最先端で和尚さんを待ちます

帰りの近道に入った路地では石が尖って細かく、痛くて歩けない。足ツボ踏みに使う突起ある石の上を歩くみたいな格好。それを藤川さんら集団は平然と歩いて行く。
「どないしたんや、痛いんか?痛いのは誰でも一緒や、はよ歩かんかい!」と以前のような冷たい言い方。それはいいとして、後からやって来たトゥン寺和尚さんに、下手な踊りのように歩く私を見られてしまった。「大丈夫か?」と気を遣われて恥ずかしい。

朝食では、昨日同様に惣菜とカオスワイ(普通の白米)とカオニィアオ(もち米)もあり、托鉢で寄進された以上の食材が並びます。国境の街だから物資が流通し易いにしても、「これは我々が教わって来たことと何か違うぞ」という想いは次第に増していくところでした。

バーツ(お鉢)はこの寺のデックワットが持って行き、中身を出して洗って返してくれる気の利きよう。

托鉢帰り、田舎道って良いものです

托鉢帰りの一面、朝日が眩しそう。朝日を浴びる托鉢

◆癒されるコーヒーと女の子!

朝食後も自由に居られる雰囲気だが、藤川さんが「掃除しよう」と言い、それは確かに居候の身になっている我々は泊めて貰っているクティの範囲はやるべきだと思う。箒と雑巾を借りて来て部屋から廊下、階段、我々が入れる範囲はすべて拭き終わると、昨日、コーヒーを入れてくれた比丘が今日も招いてくれ寛がせてくれました。

タイ人が淹れるコーヒーは砂糖タップリで、「砂糖は入れないで」と言っても入れてくれる。「こんな苦いもの飲める訳がない」という発想だろう。でも私は砂糖タップリ派なので美味しくて癒される時間でした。

そして、今日は午後から葬儀があるという。これは参加しない訳にはいかないなあと藤川さんと目線を合わせて合意。旅先の葬儀というものも見ておきたいところ。

昼食後に、「リポビタン買うて来て!」と藤川さんに言われて、素直に駅方向へおつかいに出ました。小間使いになっているが、一人になりたかったせいもあります。

ノンカイに着いてから歩いて来た道。お店は駅前にあり、20歳ぐらい可愛いの女の子がお店番している様子で、片言のタイ語を喋る私が日本人であることを知ると、驚いたり喜んだり。ニコニコ笑って対応してくれて惚れそうになる。男世界の仏門と、旅先ずっと藤川さんがそばに居る中、女の子と二人っきりになれた、かなり癒された、わずかな時間でした。ここは商店なので問題ないが、比丘は女性と密室で二人っきりになることは許されません。寺に女性が訪ねて来て部屋に招く際は、部屋の扉は開けておかねばなりません。

寺への近道に入り、このすぐ先の砂利は凄く痛い、それを知らずまだ写真撮ってる私

トゥン寺和尚さんのクティ、この二階に泊めて貰いました

◆お葬式に参列!

午後になって境内が騒がしくなってきました。外では葬儀が始まる様子。
藤川さんが「サンカティ持って行くぞ」と言う。

ここは我々の寺のようなホム・ドーン(儀式用の纏い)は無い様子。普通のホム・ロッライ(肩出し)にサンカティ(重衣・肩掛け帯)を肩に掛けるだけの簡単なもの。

その姿でテント張った椅子があるところで他の比丘達と座っていると、そのままそこで読経が始まる何とも大雑把な葬儀。信者さんと比丘は離れて居たが、個々の比丘が順番に棺桶の方に呼ばれて短い読経して席に戻る時、一人の比丘に呼ばれました。

「どこから来たの? この先どこへ行くの? ラオス行って戻って来るの?」と言った語り。

葬儀も終わりに近づき、どこに座っても問題無い様子。そこから雑談の輪に加わって来たオバちゃんたちにタイ・ラオス国境の橋の渡り方を教えてくれました。

「日本から来たの?橋渡るのに15バーツ、土日は25バーツだよ!」とか気さくに話しかけてくれた地元のオバちゃんたち。どこへ行ってもこの田舎らしい人懐っこさは心地良い。

葬儀が終わると火葬されることは聞いていたが、どこで火葬されるのか、その辺りの比丘に聞くと、「もうやってるよ!」と招かれ、火葬している場所を教えてくれました。

焼却炉のようなものではない、広場で花壇のような中で、焚き火のように大きい炎に包まれた火葬。熱くて近づけたものではない。「やっぱり誰もが最後はこんな姿になるんだ」という想い。

火葬される遺体が中央に、ほぼ見えませんが

比丘達のクティ、こちらは味ある木造建て

◆藤川さんの気まぐれ話と渋井巨匠!

今日のワット・ミーチャイ・ターへの移動は中止。夕暮れとなり、長い葬儀と皆が後片付けしている中、「今日はあっちの寺に行きます」と言う訳にもいかないと改めて思うところ。

そんな慌てることもない夜は、また藤川さんと一緒に居るといろいろなお話になります。

「来年の今頃、カンボジア行こう。お前一ヶ月ほど来い。渋井さんにも会いたいし」

漠然と夢を語りだすこと多い藤川さん。突然話を振られると戸惑うが、安易にも行けるものなら行ってみたいと思う。

渋井さんとは、藤川さんが出家に導かれた最初の切っ掛けとなった比丘。そして私が出家に導かれる一つとなった、新世界紀行のタイからベトナムを旅する番組で、若者がバンコクのワット・パクナムの渋井修さんを尋ね、出家したのが由井太さんと加山至さん。遠い縁で結ばれた我々日本人比丘の巨匠。この頃はカンボジアの寺で社会貢献活動する渋井修さんでした。

◆明日は国境越え!

明日はタイ・ラオス友好橋を渡ってラオスに入国します。やや不安は募るも、そこには藤川さんが伴うのと、もうひとつ理由があって少しは落ち着いて居られました。タイ・ラオス友好橋、実は渡るのは2回目(1往復済)なのでした。

河沿いのワット・ミーチャイ・ター和尚のプラマートさんと藤川さん

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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