島倉千代子が亡くなった。実に悲しいことである。
「細木数子はかつて赤坂などで水商売を行っていた時、島倉の借金を暴力団の力で解決してあげた。そこからつけこんで、島倉に関するありとあらゆる利権に食いこんで、ハイエナのごとく金をむしりとった。島倉は、細木を怖れていて、なかなか真相を語らない。ついに墓場まで遺恨を持っていったことになる」(芸能ジャーナリスト)

細木が、暴力団の知人に頼んで借金を解決。その立場に乗じて、細木はヤクザと組んで島倉を抱え込み、芸能事務所を立ち上げた。そして、働いても働いても借金が減らないのに業を煮やした島倉は、レコード会社のコロムビアに相談し、借金を肩代わりしてもらい、細木のもとを去る。
いっぽうの細木は「冗談じゃないわよ。返済が終わるとすぐに出ていったのは、千代子のほう」と主張している。両者の言い分は、平行線のままだった。

そもそも、借金そのものの金額がはっきりしない。
1980年5月8日号の『週刊平凡』で細木は「16億円あった借金を、6億円にしてやった」と語っている。
それが1982年の『六星占術による運命の読み方』(ごま書房)では、「4億数千万の負債」となり、1988年に出版された『女の履歴書』(廣済堂)では「後に判明した金額は13億円で、それを三分の一の4億3000万円で債権者に納得させた」となっている。
『週刊現代』2005年3月5日号では「12億円だった負債を2億4000万で債権者に納得させた」と答えている。
金額がコロコロ変わっている事実ひとつとってみても、借金返済ではなく、果てしないピンハネだったのでは、という疑問が湧く。

もともと島倉が抱えた借金は、恩人の借金の連帯保証人になったことから、生じた。
少女の頃から歌の世界で生きてきた島倉は、金銭のことには無頓着で、実印を知人に貸してしまったり、知らない人の保証人にまでなったりしていた。

「死んでしまおうなんて悩んだりしたわ」と始まり、「人生いろいろ男もいろいろ女だっていろいろ咲き乱れるの」と歌い上げる、『人生いろいろ』は、まるで島倉千代子その人を歌っているようだ。
だからこそ再ブレイクし、今に至るまで多くの人々に愛されているのだろう。
心のある歌は、これからもずっと、歌い継がれていくに違いない。

(鹿砦丸)