小泉純一郎が11月12日、日本記者クラブで脱原発を訴えた。公式の場では、初めてのことだ。
その意図は何か? 彼が今まで何をやってきたのか? ということは別にして、極めて歓迎すべきことだ。
政界を引退したとはいえ、安倍晋三の政治家としての育ての親であり、影響力は大きい。

フィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカラ」を実際に目にして、日本には最終処分場を造るのは困難、だから原発をやめるべきだという主張。脱原発の論者がかねてから指摘してきたことではあるが、問題の肝を突いている。

この発言を受けて13日の定例会見で、田中俊一原子力規制委員長は、最終処分場について「やり方が悪いのか国民の理解が得られないのかいろいろあると思うが、私自身はこうしたらうまくいくだろうとか何も考えたことはない」と発言した。

原発を推進してきた学者が規制委員長? と疑問視された田中俊一だが、そのことは置いておこう。
東北大学工学部原子核工学科を卒業して、日本原子力研究所の入所。これまでずっと、原子力の世界を歩いてきたのが、工学博士・田中俊一である。
それが、最終処分場について「何も考えたことはない」という。

現在、核廃棄物がどうなっているか? 『超A級戦犯完全リスト タブーなき原発事故調書』(鹿砦社)で、広瀬隆から詳しく語られている。
現在、青森の六カ所再処理工場がパンクしているため、核廃棄物になる前の使用済み核燃料が、各原発のプールに保管されている。

日本のすべての原発は今、停止している。だがそれで、安心はできない。
福島第1原発の事故では、停止していた4号機の核燃料プールで、水素爆発が起きた。
停止中の原発でも、事故によって放射能をまき散らす可能性があるのだ。

「即ゼロ」と言った、小泉純一郎は正しい。
今考えるべきは、再稼働か否か、ではない。
原発に置きっぱなしになっている、使用済み核燃料をどうするか、を考えなければならないのだ。

小泉発言で、原発推進論者にも、動揺が見られる。
彼らが持ち出してくるのが、経済だ。だが、最も重要なことを隠している。
原発停止で電力会社の経営が逼迫しているのは、火力発電などのための燃料費だけではない。原発は停止中でも、莫大な維持費がかかる。それが大きな要因だ。

安倍首相の昭恵夫人も、脱原発の考えだが経済のことは分からない、と言っている。
「経済」は、人を煙に巻くための格好の材料だ。
だがこれは家庭に例えてみれば、危険で火災が起こるかもしれないと分かっている家電を、買ってしまったのだからもったいない、といって使い続けるのと同じこと。少しも難しいことではない。

もちろん廃炉ということになれば、そのためにも莫大な費用がかかる。
原発推進論者にとってはそれは、何も生み出さないための費用ということになる。果たして、そうだろうか。
最終処分場のことを「何も考えたことはない」という人たちが、原発を推し進めてきたのだ。
このままでは、国家の自殺行為だ。
脱原発に関しては、小泉純一郎のメディア発信力に期待したい。

(深笛義也)