大学院生M君に対する凄絶なリンチがあったことは厳然とした事実です。これが、あたかもなかったかのように偽造されようとしています。M君が必死で録音したリンチの一部始終の音声データも、李信恵らによるリンチがなかった証拠のように偽造されようとしています。三百代言という言葉がありますが、古人はよく言ったものです。

◆私たちは短期間に集中的に取材し5冊の本を世に出し真実を確信した

この写真を見て、「リンチはなかった」「ただの喧嘩」と思う人はいないでしょう。「反差別」「人権」を語る者がやることではない! なんとも思わない人は人間の血が通っているのか!?(『カウンターと暴力の病理』巻頭グラビアより)

李信恵や、彼女の周囲の人たちは、私たちが精魂込めて取材し編集、製作した出版物に対して、きちんと論評したり批判するのではなく、「デマだ」「嘘だ」「ゴミだ」「クソだ」等々と、まともに批判にならないレベルの悪罵を投げつけ誹謗中傷してきました。李信恵や代理人の神原元弁護士らは、いわば“あら捜し”をするために熟読したでしょうが、李信恵の仲間や周囲の人たちは、それら5冊の本をきちんと読んだ形跡はさほど感じられません。

私たちは、全くの白紙の状態から、また李信恵らやリンチ被害者M君に対する利害関係もなく、取材、調査に取り掛かりましたが、白紙の状態から始めたのが良かったと思います。李信恵には私怨、遺恨などなく(今でもありません)、むしろ、李信恵に繋がる団体(首都圏反原発連合。略称「反原連」)やカメラマン(秋山理央)には毎月相当額の金銭的支援をしてもきましたし、さらに李信恵に繋がる元当社社員には李信恵ら関係の裁判の傍聴には申し出があれば早退を許可するなど便宜も図ってきました。このリンチ事件や李信恵らの背後関係も知らず、「差別に反対する」という大義名分に私なりに理解を示してきたつもりでした。

そうした私なりの、いわば“良心的な”振る舞いも、李信恵らによる蛮行を知ることによって打ち砕かれました。さらに取材すればするほど、調べれば調べるほど、李信恵やこの周囲の人たちの運動に強い疑問を抱かざるをえませんでした。前出の前田教授が「脱力感に襲われる」と嘆いたのは理解できます。

それでは(前項とダブるところもありますが)私たちの取材や調査、そして出版の目的や意義は何だったのでしょうか? まずは、孤立し村八分にされネットリンチに晒され続け治療費さえもらっていなかったリンチ被害者M君の救済・支援です。弁護士さえも、断られ続けていました。そして、このリンチ事件の真相究明です。事実関係や真相を知らないと善悪の判断もつかないからです。

李信恵のツイート。このツイートひとつとっても彼女の人間性が表れています

しかし、李信恵や関係者らによる隠蔽活動はかなりのもので壁は厚く感じられました。私たちがこの事件を知るまで1年余りも経ち、隠蔽の“イチジクの葉”は幾重にも重ねられていました。綿密な取材・調査によって、これを一枚、一枚剥いでいく作業に着手しました。

手前味噌ですが、私たちの取材には、手を抜かず徹底的にやることでメディア業界、出版界では一定の評価があります。中途半端な取材をやっていては、この業界では淘汰されます。大小問わず、中途半端な気持ちと取材故に淘汰された出版社を何社も知っていますし、鹿砦社は徹底した取材をやって来たからこそ、淘汰されずに50年も生き延びてこれたのです。

それでも、近年評価が高い、いわゆる「文春砲」には敵いません。以前、文春編集部とは交流がありましたが、鹿砦社以上に人も金もかけ取材は徹底しているのに感心しました。また、他の大手雑誌とも一緒に仕事をした経験もありましたが、私たちもこれらから学んでいますし、決して特異なものではありません。

李信恵側は準備書面で長々と真実(相当)性について“講釈”を垂れていますが、長年の出版人としての経験から多くの訴訟を経験し、小出版社でありながら1億円以上もの訴訟費用を費やしてきた鹿砦社にとっては“常識”の類いで、この訴訟とは直接関係のないことに紙幅を費やす意味が理解できません。

私たちは2年ほどで5冊の本を発行してきましたが、短期間に5冊も出版したテーマや企画はこれまでにほとんどありません(例外的には4冊の本を出したパチスロ大手アルゼ告発シリーズぐらいです)。しかし、李信恵側が言う「本件では、不定期の雑誌やインターネットの報道記事であるから迅速に報道する必要はない」との認識は誤っています。本件リンチ事件は「迅速に報道する必要」があるからこそ、不定期の雑誌の増刊号(第4弾本『カウンターと暴力の隠蔽』のみCDを付けたこと等で書籍扱い)やインターネットなどで連続的に報じてきたわけです。私たちが、この忌まわしいリンチ事件を知ったのは事件からすでに1年以上経っていましたし、日毎に忘却されることを考慮すると、「迅速に報道する必要」がありました。

それに加え、M君が李信恵らリンチの現場に同座した5人を提訴し、この支援の意味からも、当初は裁判のポイントとなる期日の前後に発行することを目指し取材を徹底し真相究明に努めることが急務となりました。さらに法廷という、社会から閉ざされた空間での争いにせず広く社会に訴えるためにも雑誌の増刊号として緊急出版する必要があり、また出版物の編集・製作には数カ月かかりますから、ポイントポイントでインターネットを使い報道することも必要でした。

リンチ隠蔽に蠢いた人たち。この人たちの表情や目を見よ!(『カウンターと暴力の病理』巻頭グラビアより)

◆リタイアを考えていたところでリンチ事件を知って被害者救済・支援と真相究明を決意し早速動き始めた

私は長年出版の仕事に携わり、体もガタガタになり(特に目の疾患で一時失明の恐怖を感じたこともあり高額注射を繰り返しており、こうした長い文章を書いたり読んだりするのには難儀します)、そろそろリタイアを考えていたところで、誰もが知る著名人、研究者、国会議員、「知識人」、「ジャーナリスト」らが多く関係する隠蔽活動に対し、「相手に不足はない!」と思い、いささか大袈裟に言えば、これまでの出版人生の〈総決算〉を懸けたものとしてやることを決意いたしました。

私の呼びかけに、少なからずの人たちが取材班に結集してくれました。中には、大手消費者金融「武富士」(この時の武富士側代理人の一人は吉村洋文現大阪府知事です)との裁判で勝訴したことで有名な、ジャーナリスト・寺澤有も応じてくれ、第2弾本『反差別と暴力の正体』で、寺澤の居住地の東京から遠く四国まで遠征取材し具体的かつ詳細なレポートを寄稿してくれました。取材記録には記事にしていないこともあるということです。

これまで(本件以前)の取材活動で、本人に取材することはなかなか困難でしたが、今回は何としても李信恵本人に取材するように取材班に指示し、これはできました。李信恵もみずからの「陳述書」で記している通りです。まともに答えず逃げています。

次いで李信恵を除く4人ですが、伊藤大介には寺澤が事務所を訪問し取材を試みました(『反差別と暴力の正体』153ページ)。なぜか丁寧に対応され抱き込み策を取られたようです。松本英一には、こちらも寺澤が取材を試みました。2度ほど自宅を訪問したそうですがいずれも留守でした。その後、松本みずから連絡があり、その様子は『反差別と暴力の正体』(152~153ページ)に記載されています。寺澤は李信恵にも取材を申し込みましたが拒否されたそうです。こうした経緯について寺澤は、必要であればいつでも証言すると言ってくれています。

「エル金」こと金良平と「凡」こと李普鉉には、直接暴行の加害者ですし、すぐに暴力を振るうということもいろいろな人たちから忠告されましたので、私としては責任者として取材に動いてくれる者を危険に晒すわけにもいかず苦慮し私たちもかなり用心しましたが、なんとか直接取材を試みようと決断しました。金良平には自宅アパートを訪問しましたが、もぬけの殻で、第1回弁論直前まで住所が特定できませんでした。当初訴状も届かず裁判所も苦労したようです。もう一人の李普鉉については、そうこうするうちに裁判が始まり、裁判への影響を考慮し、リンチの中心人物でもないし、あえて取材を止めたのです。強引にやれば裁判妨害などと詰られることも懸念しました。李信恵以外にも積極的に取材を試み、私たちなりに最大限の取材・調査に尽力した次第です。今後も必要があれば取材を試みるにやぶさかではありません。

また、寺澤有が、李信恵らの仲間の石野雅之の自宅を訪れ取材を試みようとしたところ警察を呼ばれましたが(同書151~152ページ)、取材スタッフにこの懸念がありましたので、以後は直接取材の対象者をさらに絞っていきました。

もう一つ付言しておきますと、リンチの舞台となった大阪北新地のワインバーにも、取材班や寺澤も訪れ経営者に話を聞いていますし、先の前田教授も電話で話を聞かれたそうですが、この善意の市民を事件に巻き込むのは憚られ、話の内容を記事にはしていません。記事にすれば、確かにM君の訴訟でも少しは有利になったかもしれませんし現在進行中の訴訟でも有利に作用するとは思います。そうすると、これまでの経緯から、例によって李信恵らの仲間、「カウンター」とか「しばき隊」といわれる連中に店や経営者が攻撃されることもありえます。そういう理由で、あえて私たちはバーの経営者が苦労してオープン(事件当時オープン直後だったとのことです)し維持されていることを慮り胸の内に留めておいています。裁判所や読者には、このことを配慮いただきたく願う次第です。

李信恵の暴言の一部。ほんの一部でも、よくこんなにも暴言を吐けるものです(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

◆総ページ800ページに及ぶ5冊の本に異議があるのなら言論には言論で反論せよ!

そうして、できるだけ多くの関係者、特に著名人、積極的に動いた人らを中心に直接取材を試みました。途中から、出来上がった本も付けて「質問書」、あるいは「取材依頼書」を郵送いたしましたが、自分から回答を寄せてくれた人はほんの少数でした。これは本に掲載している通りです。

この事件について、これまで5冊の本にまとめ世に出していますが、発行部数も少なく、隠蔽活動に関与した人たちも真摯に対応せず、李信恵や仲間らによって隠蔽された“イチジクの葉”を剥いでいく作業は困難を極めました。

それでも、私たちの粘り強い取材、調査、そして出版によって理解者や協力者も少しずつ現われ、日本の反差別運動、健全な社会運動に大きな汚点となった、このリンチ事件の真実が徐々に明らかになったと考えています。

確かに「文春砲」など大手メディアに比べれば格段に劣り、私たちの力不足もあり、まだまだ取材したい人たちすべてに取材できたわけではありませんが、これまでの私の出版人生の中で、5冊の本になるほど、これだけ取材、調査した事件は他にありません。主要な資料、重要資料は、かなり本に収録できたと自負しています(その後入手し未掲載の資料は第6弾本に収録予定です)。特にリンチ被害者M君が必死に録音した音声データをCDにして付けるなど、これまでほとんどありませんでした。CDを付けたことに対しては李信恵らも驚いたことと思います。

これら5冊の本を合計するとなんと800ページほどになります。これだけやったら「一般読者の普通の注意と読み方」をすれば、事件の真実性、あるいは真実と信じるに足ると認識できるのではないでしょうか。これだけやって、真実(相当)性がないと言われれば、どうしたらいいのでしょうか? 

李信恵らも、言うに事欠いて「クソ鹿砦社」「鹿砦社はクソ」などと、とても差別に反対し人権を語る者とは思えない汚い言葉を言い放ち裁判所に不法行為を認定(上告を取り下げ確定し賠償金を支払った)されたり、「ゴミ」だ「デマ本」だと反論にもならない言葉を連呼するのではなく、このリンチ事件が反差別運動、社会運動に与えた深刻な問題を真摯に反省し、異議があれば言論には言論で反論すべきだと思いますが、いかがでしょうか? 私の言っていることは間違っていますか? (文中敬称略)

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