癌による闘病生活を続けていた佐久間正英氏が亡くなった。享年61歳。早すぎる死だ、と思う。彼の業績は今更語るまでもない。Wikipediaでも観れば、彼が一体どれだけ音楽界に貢献し、どれだけの影響を与えたかは自ずと知れるというものだ。日本で生まれ育ち、音楽に少しでも興味を持った人で佐久間氏の影響が皆無という人は、存在しないのではないだろうか。

佐久間氏は昨年まで「おやすみ音楽」というものを作成していた。毎晩作曲し、Twitterにて公開、その数や千一夜物語どころか千百十一夜、1111夜連続で作曲を続けた。その後も散発で続けていたので、病気が無ければ今も続けていたはず。「プロだから出来て当たり前」と本人は語っていたが、同じことができる「プロの音楽家」が果たして何人いるだろうか。

音楽に対し、真摯な人だった。以前ブログに「音楽家が音楽を諦める時」という一文を書いて、賛否を巻き起こしたことがある。真面目に音楽制作をすれば1000万円はかかる、といったところに過剰反応する人が多かったように思う。私のような、数万円で細々とアマチュア音楽制作をしている者には想像がつかないが、現場で40年近く続けてきた人の、嘘偽りない事実だったのだろう。良い音を求めるとはそういうことだと綴る一方で、個人の楽しみは60万円ほどでインディーズバンドのプロデュースをすることとも書いている。

数多くのロックバンドをプロデューサーとして手掛ける一方、自らは四人囃子やunsuspected monogramというバンドで先進的な音楽を試み、ボーカロイドでオリジナル曲を作成し、おやすみ音楽を奏でる。その幅広い活動は留まるところを知らなかった。最近のインタビューでは「いずれは人の声も、楽器も必要なくなる」と語っていた。「表現を音で表せば音楽なのだから、音の波形をイメージして生成する技術ができれば、人の声で歌う必要はないし、楽器を演奏する必要もない」という。

一方で毎晩続けていたおやすみ音楽は、ギターやピアノ、シンセサイザーなどによる魂のゆれが伝わってくる生演奏が心地よい。佐久間氏が見た未来の音楽はどのようなものだったろう。もう少し、未来に向けて進む音楽を届けて欲しかった。そんな中幸いなことは、膨大な量の「音」を遺してくれたくれたことだ。とりわけ1000を超えるおやすみ音楽を聴きながら眠りに落ちることで、佐久間氏のみた未来の音楽を、少しは共有できるかもしれない。

また、重要な影響を与えた人が逝ってしまった。先人達は年々、いなくなってしまう。大人になるということはそういうことかもしれない。

(戸次義継)