「たかが駐車場、されど駐車場」
今、駐車場を舞台にして、元赤軍派議長・塩見孝也が闘っている。
塩見孝也とは何者か? もはや今、説明が必要だろう。
学生運動の嵐が吹き荒れていた、1960年代後半、京都大学でブント(共産主義同盟)の活動家となり、幹部となると、武装闘争を唱えたのが、塩見氏である。

それまでヘルメットを被り、角材を持って機動隊とぶつかる、というのが先鋭的な学生運動のスタイルだった。そこに、火炎瓶の使用を強く主張したのが、塩見氏である。1968年10月21日の新宿騒乱の時だった。この時は、火炎瓶は用意されていたが、政治局内での激論の末、使用は見送られた。火炎瓶が使われるようになるのは、その後だ。

塩見氏が過激一辺倒だったかというと、そうとも言えない。この頃に下部の活動家に、「どうせなら爆弾を使いましょう。僕が作りますから」と言われて、「何言うとんのや。そんなもん使うたら、危ないやないか」と否定している。

1969年に、塩見氏は「共産主義者同盟赤軍派」を結成。議長に就任すると、本格的に武装闘争を指向する。11月には、刃物・鉄パイプ爆弾・火炎瓶などで武装し、首相官邸及び警視庁を襲撃する計画を立て、その訓練を大菩薩峠周辺の山中で行おうと、山梨県塩山市(現在の甲州市)の山小屋の『福ちゃん荘』に潜伏していたが、警察に踏み込まれ、53名が逮捕された。

武器を持っているのに歩哨も立てていなかったのだから、戦争の初歩も知らない素人だと、三島由紀夫はこれを見て酷評した。

1970年には、「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画が持ち上がる。
これは、赤軍派の軍事委員長である田宮高麿が計画し提案したもので、「それもええかもしれんな。やってみたらええ」と塩見氏が賛同したものだ。
この頃を知る女性は塩見氏のことを、「喫茶店でもどこでも、なんでもかんでも大声で話すから、いつか逮捕されるだろうと思っていた」という。

そして塩見氏は3月15日に逮捕され、3月31日、田宮高麿ら9名が日本航空機・よど号をハイジャックし北朝鮮に行った。爆発物取締法、よど号事件の共謀共同正犯、破防法などで起訴され、19年9ヶ月の獄中生活を送り、1989年12月に出所した。

塩見氏は、2007年12月より、清瀬市のシルバー人材センターの紹介で、清瀬駅前の「クレア市営駐車場」で働き始めた。「66歳にして労働の意義を知る」という文章をネット上に発表しているが、有意義な日々を送っていたと思われる。

この塩見氏の職場に、許しがたいリストラ攻撃が、今年に入ってからかけられているのだ。
その内容は、以下の通りだ。
1、「2人体制」と称し、駐車場管理人人員を、これまで3人~4人(多い時は5人)であったところを2人に削減せんとする。
2、これまで、労働日数9日のところを3日減じ6日にせんとする。配当金を4万円一寸のところを1万円前後減じ、3万円一寸とする。
3、班長、副班長、副副班長の役付き設定における、これまで下からの「順繰り制(ローテーション制)」を、上からの任命制に変えんとする。

この事態に、塩見氏は以下のように憤っている。
「『2人制』とは、これまで3人~5人であった人数を、2人に限定するもので、これは、私達管理人達へ強烈な労働強化を強いるものです。特に『昼』の時間帯、それも土、日、祭日、サービス・デー、予測不確定でもある雨の日などは、車両が激増するわけで仕事を十分に果たすことは出来なくなります。この条件では、休憩も取れず、トイレにも行けません。この案は、仕事の現場を全く知らない、デスク・ワ-クから捻出されたインチキ精神主義の机上の空論と言わざるを得ません」
「9労働日の6労働日、3分の2への削減、収入の約1万円の削減は、私達年金暮らしの低収入者 にとって、消費税値上げ、諸社会保障費の削減の折から、極めて痛く、著しい生活苦を強制することとなります。『たかだか1万円ではないか』と言うことなかれ。このパ-センテイジは私達の必要生活費の割合としては甚大なものです」
「役付き、班長制の問題における<任命制>は、これまで確立されてきた、<下から>の労働者 全員が参加しえる既に確立して来た、良き伝統である<順繰り制>を破壊し、貴方方本位の<上から>の指揮・命令に私達を服させ、隷従させんとする危険があります」

塩見氏は、攻撃への反撃を、社会政治闘争として闘うと、決意を述べている。
「我が社会のいたるところにある『経済闘争』を<社会政治闘争>として闘うことにおいてリーダー・シップを発揮しなければなりません。僕らの子供、孫達に対して、最後の『聖戦』を見せ、これを遺産として残して行かなければなりません。自らの若き日の人生の落とし前もつけなければなりません。この<社会政治闘争>の突破口が実現されてゆけば、この闘争は、そう簡単ではありませんが、一挙に(一挙には行かないか?)全国化してゆく可能性が十分あります。又『70年』とは違って、十分永続化してゆく可能性を有しています。又、この闘いは、生産を目的意識性をもって労働者が管理・統制し、労働を計画的に自らでもって配置してゆく、自主管理型経営体を創出して行く方向に発展して行く可能性があります。こうなれば、職場は全民衆的政治闘争と来るべき社会革命の陣地となってゆくでしょう」

塩見孝也の闘いを、見守っていきたい。

(深笛義也)