先日、テレビ局の新卒内定者による飲み会で「オレたちって、すごくね?」などと不遜な態度を取っていると、WEBニュースで目にした。「応募者2万人の中から選ばれた20人なんだぜ」と、既に特権意識をもっている、とのことだ。この記事の著者はテレビ局出身で、報道に携わる人間がそんなことでどうする、と警鐘を鳴らしている。

大したニュースでもないが、一つ納得するものがあった。テレビ局側の人間は、全員が全員そんな不遜な人間ではない、と信じたい。が、もし本当にそう思っているとしたら、当てはまる符号が色々と出てくるのだ。

テレビ局の利益は年々減少を続け、10年前、20年前とは比較にならない程に落ち込んでいる。昨年はフジテレビの純利益が前年比でおよそ半減といったニュースも報じられた。斜陽産業の様相を呈しているのに、応募者がまだ2万人もいるのは驚きだが、それでもテレビ局の給与水準は驚くほど高く、フジテレビ社員でも年収1000万~億の稼ぎがある。

テレビ局社員の懐事情はどうでもいいのだが、問題はどれだけテレビ離れと言われようが、純利益が大幅に減ろうが、未だテレビ局の人間は選民意識や特権意識を持っているのではないかということだ。それも入社が内定して、勤めにも出ないうちからだ。

滅多にテレビを観なくなったが久しぶりにテレビを付けてみた。流されているのは、ミュージシャンなんかをゲストに呼んで、ただ高級な寿司を食べている映像だ。その寿司はこの店の何番目に人気でしょう、などとどこに需要がある情報かわからない番組だ。チャンネルを変えると、下請けの制作会社が作ったであろう映像を、雛壇の出演者がただ眺めてすごいねーとか言っているだけの番組だ。じっと観るには30分と堪えられなかった。

それでもテレビはメディアの中心であり、収入は一般企業とは比べ物にならない。だから見下されているのだ。適当な番組を垂れ流しても問題なくやっていける。酷い見下され方だ。

少し前になるが、佐村河内氏の会見の時に強い不快感を持った。佐村河内氏は擁護するところも何もない人物だが、それより不愉快だったのは会見の記者たちだ。「俺達は正義」とばかりに錦の御旗を持って、決して公正中立とは言えない質問の数々にうんざりしたものだ。小保方晴子氏の会見の時もそうだった。完全に相手を見下した態度で放送する姿勢に、不快感を持ったのだ。それは何の気無しにテレビを観る時、あまりにいい加減な番組を観せられることで、観ているこっちが見下されている感を受け取ってしまう。そうしたものが滲み出ているからだ。

「自分たちは特別な人間なんだ」と思う人たちが報道するから、番組を制作するから面白くない。こう考えたら、とても納得した。

(戸次義継)