震災地を舞台にした、園子温監督の『ヒミズ』。主演俳優の染谷将太やヒロインの二階堂ふみが日本人で初めて、ヴェネチア国際映画祭で「マルチェロ・マストロヤンニ賞(最優秀新人俳優賞)」のW受賞に輝き話題になっている。被災地の生の声を絞り出すようにして、見る者の魂を揺さぶる。

古谷実の漫画を原作とする物語は、父親にも母親にも捨てられた少年と、少女(とてもそうは見えないが、設定は中学三年生)の恋愛が横軸である。
少年、住田祐一(染谷将太)は貸しボート屋を営む家の長男で「ボート屋を継いで、普通にのんびりとすごす」のを目標にしており、それ以上を望んでいない。住田の望む「普通」は、家出している父親が暴力をふるいにたまに帰って来ては金をせびり、母親が男と出ていったのを契機に天涯孤独となり、崩れ去る。
祐一は父親に「おまえ、本当にいらねえんだよ。なんで死んでくれねえんだよ」と毎回のように罵声を浴びせられる。祐一に恋する茶沢景子(二階堂ふみ)は祐一と同じく、母親に「死んでくれ」と頼まれ、家の中に絞首台まで準備される境遇だ。
「不要だ」と親に言われた二人の、生きる意味を探る作業とも言える恋愛が始まる。
天涯孤独となった祐一は、茶沢にさまざまなサポートを受けるが、まったく祐一は茶沢を相手にせず、意にかえさない。やがて父親の暴力や罵声に「精神が壊れた」祐一は、父親をブロックで殴打して殺す。そのことを茶沢が嗅ぎつける。こうして自殺してもおかしくない、追い込まれた二人の中学生がどのように「生きる方向」に向かっていくのか。これが物語の縦軸である。

原作では、舞台は2001年。園子温は東日本大震災に直面し、シナリオを全面的に書き換え、舞台を震災後に変えた。住田のボートハウスの裏に住むホームレスたちは、震災の被災者たちである。映像にも、震災地のガレキの山がこれでもか、と何度も出てくる。
授業中に、「震災から立ち直れるように日本はみんなでがんばろう」と教師が言う。「がんばろうにもがんばれない人がいます。普通にひっそりと生きてはいけないんですか。普通、サイコー!」と住田は叫ぶ。がんばろうにもがんばれない状況の住田のセリフは、声にできない被災者の心情を現している。
染谷と二階堂の鬼気迫る演技が、映画のテーマを浮き彫りにする。染谷は「東京島」ですでに実力を見せつけているが、二階堂とのまともな殴り合いが何回も出てくる。相手の心を探りつつ殴り合う。フレームいっぱいにぶつかる男女のエネルギー。魂で喧嘩をしているのである。

考えさせられるのは、「がんばれ」という声援が持つ意味と、言うべきタイミングだ。
日本人の間では、「がんばればなんとかなる」という考え方があまりにも蔓延しすぎている。「がんばれ」と言えるのは、相手の人生を引き受けることができる人間だけだ。うちひしがれたとき、責任なき「がんばれ」のセリフはうざいだけである。

(渋谷三七十)