大山友樹(紙の爆弾2026年4月号掲載)

◆中道改革結成における公明党の目的
2026年2月8日投開票で行なわれた衆議院総選挙で、自民党は衆院の3分の2の議席を単独で超える316議席と圧勝。連立政権を組む日本維新の会の36議席を加えると、与党で352議席と4分の3を占める圧倒的勢力となった。
一方、総選挙直前に立憲民主党と公明党の衆院議員が合流して結成された新党・中道改革連合は、172議席から49議席へと123議席を失う大惨敗。初の女性首相としての高い人気を背景に、大義なき自己都合解散という大博打に打って出た高市首相に対し、立憲民主党と公明党も新党結成という大博打で迎え撃ったが一敗地に塗れる形となった。
この選挙結果に当事者である中道改革が大きなショックを受けているのは当然だが、公明党の組織母体で、中道改革の結集軸ないしは立・公の紐帯として両者の合流を推進した創価学会も深刻なダメージを受けている。
というのも、今回の新党結成については、政界やメディアさらには有権者においても、高市首相の突然の解散に対抗するための選挙目当ての結党と見る傾向が強い。たしかに野党の準備不足を狙った奇襲への緊急避難的な対抗策という側面があることは事実だろう。
しかし水面下では、公明党なかんずく創価学会が中・長期的な政治戦略の一環として、中道勢力の結集による政界再編を企図していた事実もあった。ところが今回の選挙結果はそうした創価学会・公明党の思惑を、それこそ完膚なく挫くものとなったからである。
少し時間を遡ってみよう。今を去る2年半前の2023年11月15日、創価学会の3代会長で公明党の創立者である池田大作氏が95歳で死去した。その死に際して公明党は、次のような追悼の意を込めた決意表明を行っている。
「創立者は、公明党が衆院選に初挑戦した1967年1月、党のビジョンを明らかにされた。『中道政治で平和と繁栄の新社会』の建設をモットーとして、第一に『清潔な民主政治の確立』を掲げ、内政面では『大衆福祉で豊かな生活』、外交面では『戦争のない平和な世界』をめざすとした内容だ。この未来像を現実の政治の世界で具体化していくことは、公明党の使命である。その自覚をもって、人間主義=中道主義の政治にまい進したい」(公明新聞11月20日付「主張」)。
党創立者の死という節目で、公明党は自らの原点が「中道政治」であることを再確認。「清潔な民主政治」「大衆福祉」「戦争のない平和な世界」を現実世界で具現化することを自らの「使命」であるとして、あらためて「中道主義の政治にまい進」することを鮮明化したのである。
これは公明党の決意であると同時に、一体不可分の関係にある創価学会の決意でもあった。
もっとも現実を見れば、自公連立政権下にあって公明党は、ここに書かれているような池田氏が示した政治的理念やビジョンとは、大きく乖離・矛盾する政治行動を続け、自民党に追随する「下駄の雪」と化して自民党政治を補完・扶翼し続けた。
その最大の要因は、皮肉にもこうした理念やビジョンを提唱した池田氏と創価学会を、政治やマスコミ、さらには世間の批判や攻撃から守るためであった。
具体的には自らが引き起こした言論出版妨害事件(1970年?71年)や、さまざまな違法行為や不法行為が問題となり、宗教法人としての適格性が問われた宗教法人法改正(1995年)を巡る国会の攻防の渦中で取り沙汰された池田証人喚問の阻止や、矢野絢也元公明党委員長が著書『乱脈経理』(講談社)で暴露した国税庁の創価学会に対する税務調査の妨害などが示す通り、政権や政治的影響力を盾にして創価学会や池田氏を防衛する政治戦略にほかならなかった。
だがそうした自家撞着に満ちた政治姿勢は、有権者はもとより学会員の不信と反発をも招くこととなり、創価学会が自らの勢力を計る「広宣流布のバロメーター」と位置づける国政選挙での公明党比例区票は、2005年の小泉郵政選挙での898万票をピークに下落の一途をたどり、昨年7月の参院選では521万票にまで落ち込んでいる。
この521万という数字は、公明党結党(1964年)翌年の参院選全国区での得票数510万とほとんど変わらない。しかも当時は自公の選挙協力はなかったのだから、公明党・創価学会の勢力は、いまや60年前を下回る状況にまで落ち込んでいるといえよう。急速に勢力を後退させている公明党・創価学会にとって、勢力回復は喫緊の最重要課題だったはずだ。
しかし、たとえば「清潔」を標榜していながら、「政治とカネ」の問題で厳しい批判を浴びる自民党と袂を分かつことも、創価学会を守るとの呪縛に囚われてままならず、せいぜいが「同じ穴のムジナではない」と言い訳する程度しかできずに共倒れ。起死回生の妙案はなかったというのが、この時期の公明党そして創価学会であった。
ところが池田氏の死によって、その呪縛が解かれたのである。公明党・創価学会が、自公連立政権から離脱するとともに、政治的原点である「中道」を旗印に、新党の結成にまで踏み切ることを可能にした「肝」はここにある。
◆「中道」が意味する創価学会の〝覚悟〞
さらに公明党ならびに創価学会をして、一連の政治決断に踏み切らせる契機となったのは、本誌2025年12月号で詳述したように、右翼タカ派で軍拡路線の高市早苗首相の登場だった。
いまや穏健保守と位置づけられ、毎年正月に地元の創価学会施設に挨拶に出向く石破茂首相率いる石破政権が続いていれば、おそらく公明党・創価学会は、石破首相の下で「中道主義の政治の実現」を目指すと言いながらも微温的態度で自公連立政権の継続を図ったはずだ。
だが、高市首相のパーソナリティに加え、大の創価学会嫌いを自認する麻生太郎氏を後見役とし、石井啓一元公明党代表に「自公の信頼関係は地に堕ちた」と言わしめた元凶で、「裏金」と「統一教会」に彩られた萩生田光一氏を幹事長代行に起用したことで、連立の道は閉ざされたのである。
連立離脱は創価学会が主導したと伝えられるが、これ以降、公明党は石破前首相をはじめとする自民党の穏健派や立憲民主・国民民主にも中道勢力への参加を呼びかけたことがわかっている。高市首相の登場というエポックを受けて、公明党そして創価学会は、高市政権の対抗軸たらんと組織の存亡を賭けて政界再編に乗り出したのである。
そうした公明党・創価学会の覚悟は、実は、新党の名称に「中道」を用いたことからも窺うことができる。
この「中道」の意味について一般には、左右の政治的対立の中間というように理解されているが、創価学会・公明党にとって「中道」は単なる政治用語ではない。それは「永遠の師匠」(創価学会会憲)である絶対的宗教指導者の池田氏の政治的遺言ともいえる極めて重要な言葉なのである。
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