小向美奈子がAVに打って出て、いよいよ3作目がリリースされた。タイトルは「∞ 小向美奈子」(アリスJAPAN)だ。
「まあ、ザーメンぶっかけものですよ。ああいう元アイドルを妄想で汚してみたい人にはいいのではないでしょうか」(メーカー)

小向美奈子は、もともとは巨乳アイドルである。恋人にシャブを覚えさせられて、芸能界の仕組み、つまり「枕営業」について週刊誌に告発し、敵を多く作った。
彼女が逃げ込んだのは、ストリップ劇場である。09年の夏、浅草ロック座は小向のスライム乳を見るために客が全国から駆けつけ、朝6時から長蛇の列をなし、小向のショットを一瞬でもカメラに収めたいマスコミはざっと150名殺到した。しかし小向は、初日から何時にくるのかわからない始末で、劇場の説明すらもなかった。各週刊誌とも、客を装って、一瞬でも小屋の中で撮影を試みたが、結果的に成功したのは「フライデー」だけだったような気がする。

後ほど、SODがストリップのDVDをリリースしたのですべては仕掛けられていたのだが。小向につきまという宿命、それは「追い詰められた女」としての美しさや健気さ、はかなさだと思う。決して、能動的ではない、周囲の都合により「堕ちた女」の美しさ。

小向のAVはデビュー作も2本目も10万本を超えるヒット作となった。これは、がんばっても1本あたり6000~7000本しか売れない業界では異例の売れ行きだ。

ただし、小向のAVは、どんなに美しくフェラしようと、バックで突かれながら上品にあえごうと、「女優としてのプライド」を残そうとありありと抵抗している様が鼻につく。つまり「AV女優になったけれども、もともと私は女優なの、本来はね」という最後のプライドを捨てられないでいるのだ。

人気グラビアアイドルからAV女優への向かっていく軌跡。ちょうどAV女優からタレントになった飯島愛とは逆の軌跡だといえる。私は飯島とは一回しか会ったことがないが、印象は強烈に残る。

飯島がちょうど小さな事務所から大手事務所に引き抜かれるタイミングで、学生のイベントに出まくっていたAV女優から、「ギルガメッシュないと」という番組でブレイクし、タレントへの道を登っていくタイミングで彼女はこう言った。

「結局、テレビやイベントは自分が登りつめていくための手段であって、通過点にすぎない。場面ごとに自分の意志で決定することができるかどうかが成功の秘訣だと思うの。人生はその積み重ねにすぎない」と語っていた。
おそろしく頭がよく、瞬間的な決断力があった。飯島はよく「自己決定能力」という単語を使った。自己決定できない人が他人のせいにして負けていく。そんな人生を嫌っていた。

小向美奈子は、ストリップ劇場への出演をまた始めたようだ。今後は「レイプもの」「ソープもの」「人妻」「痴女もの」など一連のAVをやって、稼いで引退するだろう。だが「自己決定」はしていない。小向美奈子になくて飯島愛にあったもの、それはやはり「自己決定能力」だったのではないだろうか。

(渋谷三七十)