昨日(2月23日)、このブログで「東電とマスコミ」について触れたが、月刊『創』編集長兼創出版代表の篠田博之氏の目にとまったようだ。篠田氏から鹿砦社代表・松岡に抗議のメールが来た。
松岡はこのブログを、友好関係にある、地元・神戸の市民運動の情報センター的役割を担っている「市民社会フォーラム」のメーリングリストにも流した。

松岡に届いた篠田氏の抗議のメールを以下全文引用しておこう。
《メーリス(注=市民社会フォーラムのメーリングリスト)で『創』にも東電マネーとか書いているのを見ましたが、「広告をゴリ押ししてとった」とか間違ったことを書くのはやめてください。
東電は事故前は大半の媒体に広告を掲載してました。東電批判をしている文春などにも入ってましたよ。創も東電批判はしてますよ。少し調べてから書いてください。》

『創』に掲載された東電の広告を見て、私たちは驚くとともに嫌な気分になった。松岡など、篠田氏と同じ歳で、『紙の爆弾』と毎月同じ日(7日)の発売、執筆者もクロスしていることなどで競い合ってきたつもりだったが、非常に落胆し、1日中滅入ってしまったという。

「創も東電批判してます」はいいとしても、その前に、かつて東電の広告を掲載したことについて、読者にきちんと説明し、それが社会的に良いことではないとしたら自己批判した上で「東電批判」はやっていただきたいものだ。かつて東電の広告を掲載したことを見つからないとでも思っていたのであろうか。
「東電は事故前は大半の媒体に広告を掲載してました」、そして「文春などにも入っていました」から許されるとでも言うのであろうか。バカを言うのもいい加減にしてほしいものである。

篠田氏の抗議は、まったくもって筋違いだ。
まず、大前提として断っておきたいが、ことさらに東電とマスコミについて、癒着を揶揄するつもりは毛頭ない。「ジャーナリスト」としての姿勢を問いかけているだけである。
『創』が原発事故について何か書いた、誰かのレポートを掲載したという程度では「東電批判」とは私は考えない。

昨年の福島第一原発事故で、家を、会社を、生活も失ってしまった人たちの「怒り」と「悲しみ」を代弁すべく、私たちは『東電・原発おっかけマップ』を上梓、東電のみならず、原発CM出演者、政治家、原発推進学者たちを名ざしで批判した上に、「墓標」を立てる思いで彼ら「永久戦犯」の住処を執拗に突きとめ暴露した。私も、このチームに入り、調査・取材・執筆活動に携わった。取次会社から流通・配本を拒否されるという焚書処分に遭ったが、直接注文で完売近くまで売れるなど、読者からの支持を得た。

真に「東電批判を」したいのであれば、まずは受け取った「広告料金」を叩き返し、広告掲載したことを読者に説明し、反省の文を誌面に掲載すべきであろう。その説明や反省もなしで、時流に乗り、唐突に「東電批判」を始めたとしても説得力は断じてない。現在、東電を時流に乗って叩くのは、たやすい。本気で批判するなら取次に配本拒否されるほどの内容にしてみせよ。

出版社は、どの会社から広告を取るのも自由である。だが、いやしくも「ジャーリズム」を気取り、『マスコミ就職読本』なるシリーズを学生向けに毎年リリースしている出版社が、本来リベラルであるはずの『創』に大手電気メーカーをはじめ、軒並みナショナルブランドのクライアントを掲載しておいて、筆が鈍りやしないか。もし断じて「筆が鈍らない」というなら、掲載した広告の企業スキャンダルを「握りつぶさない」と言えるだろうか。はなはだ、疑問である。

『週刊文春』でも月刊『文藝春秋』でも、東電の広告がたしかに掲載されていたし、3・11以降東電叩きに奔走している。私たちの『創』批判は、文春にも考えてほしいのだ。かつて東電の広告を掲載しながら、時流に乗って東電叩きに走っているマスコミ媒体にも問いかけたい。

昨年の3・11直後、『創』はその雑誌の存亡を懸けて「東電批判」をする矜持はあったのだろうか。心あるマスコミ人ならば、たとえ粥をすすってでも臥薪嘗胆し、東北の被災者の怒りと悲しみを代弁すべきではないのか。
日頃は歯の浮くようなことを言っている創出版の諸兄は、被災地に何か喜ばれるようなことをしたのだろうか。松岡は、かつて阪神大震災を体験したことで、他人事とは思えず、すぐに100万円を寄付し、以後も10万円単位でカンパを送っている。しかし、阪神大震災のトラウマで、なかなか東北には行けないという。これだけの大惨事を目の当たりにしながら、東電関係者、原発事故の責任者を徹底追及することなく、歯の浮くようなキレイごとを書いているマスコミには怒りを感じるともいう。

「創も東電批判はしてますよ」とは、へそが茶を沸かす言い草である。少なくとも配本拒絶されるような書籍を上梓してから、ものを言っていただきたいものだ。
篠田氏がまずやるべきことは、かつて東電の広告を掲載したことについて、真摯に読者への説明をすることだろう。
尚、昨日のブログを書いたのは松岡ではなく、「渋谷三七十」は松岡のペンネームでもないということを付言しておく。篠田氏が松岡に抗議のメールを寄こしたのは、ひょっとして松岡=渋谷と誤認しておられるからかもしれないので。

(渋谷三七十)