「ゴネラーへの処方箋」(東京法令出版)という警察官向けの本がよく読まれいるらしく、3巻まで出ている。警察にたてつく市民を「ゴネラー」として、その対処法を語っているのだ。「税金返せ」と絡んできた酔っぱらいに、「お前の分はこの位だ!」と、1円玉を投げつけた、などという武勇伝が紹介されていて興味深い。

高級車の中に缶ジュースが置いてあると車内を汚すので、違法駐車でもレッカー移動しない、などという俗説は否定。
「俺が乗ってる車がちょっと目立ってるからって、俺の車だけ引っ張ってくなよなあ」と文句を言う高級車の持ち主に、「一罰百戒だよ。目立つ車をレッカーすると、皆注意するでしょ。協力してくれてありがとう。そもそも、違法駐車するのなら、リスクは覚悟しなきゃ。それはともかく、そんなに目立つの嫌なら、俺が乗ろうか?」と応じたという体験談もある。

「残念ながら、警察官だからと敬意を払ってもらえるご時勢ではありません」と書かれているように、警察官受難の時代に、駐車禁止、スピード違反、信号無視、シートベルト無着用、酒酔い運転など、様々な局面での対処の仕方について、詳しく述べられている。

若い頃危険なことをしてきた私は、これからは人生を大事にしていきたいと思っている。だから、超安全運転で、取り締まられることもない。もちろん免許はゴールドだ。
ゆっくり過ぎると思える法定速度だが、確かにあのくらいで運転してれば、事故は起きない。
一時停止できちんと停まる車をめったに見ないが、そういった面では、警察官に頑張ってもらいたいと思う。

だが、交通取締の根底にもこういう意識があるのかと、首を傾げてしまうのが「強制か? 任意か?」という項目。
「最近、果たすべき義務も果たさないくせに権利意識ばかり強い輩が増えています」と始まり、そういった人種がよく使うのが「これは強制か? 任意か?」という言葉なのだという。
そういう人種は、「反警察的」であり、「我々警察官にとって非常に嫌な奴ら」なのだそうだ。

しかし、心当たりのないことで警察署への同行を求められたときに、強制なのか任意なのかを確かめることなど、当たり前のことではないか。
よく考えもせずに警察に行ったあげく、犯罪者に仕立て上げられたという例は、過去にはいくらでもあるのだから。
だが、任意だといっても、職質に応じない相手の腕を掴むなど、ある程度の実力行使が認められていると、本書では語られている。
その手を振り払えば、公務執行妨害で、一挙に逮捕の要件となってしまうのだから、恐ろしい。

警察官向けの本書では、「まず隗より始めよ」として、警察官への戒めも説かれている。
パトカーが一時停止しなかったり、私服時の警察官が信号無視、スピード違反することも、けっこうあり、警察官自身がゴネラー化することもあるようだ。
結局は、同じ人間なのだということが分かる。
市民をゴネラーと見なすのではなく、同じ人間と見ることから始めたら、どうだろうか。

(FY)