今や満身創痍の感すらある「日本国憲法」が1947年施行されて今日で68年になる。私の高校時代に政治経済を教えてくれた先生が「私は5月3日が誕生日なので『憲治』と名付けられました。私はこの名前をとても気に入っています」と話していたのを思い出す。師は数年前に定年退職されたはずだが、「日本国憲法」には「退職」してもらうわけにはいかない。

かといって、私はゴリゴリの「護憲」主義者ではない。日本国憲法が保持する精神の大方には賛同しつつも、自主憲法制定を「党是」とする自民党や多くの「改憲主義者」の目指す方向とは全く異なるが、厳密に分類すれば私は「改憲主義者」である。なぜか。それは「日本国憲法」の前文とそれに続く1条から8条の間に横たわる、あまりにも大きい乖離と不和解をどうしても受け入れることができないからだ。

◆私たちは憲法の前文に見合うような「努力」をしてきただろうか?

「日本国憲法」前文は文章として読んでも相当に躍動感がある。今この時代には考えられないような崇高な文章だが、それを生業とする人が「語る」と刺激や味わいは倍化する。「テレビに出ることのできない芸人」松元ヒロ氏の「憲法前文」はその好例だろう。

「革命宣言」と言っても過言ではないようなみずみずしい言葉が並ぶ「憲法前文」は、その思想性と到達目標の高さにおいて、芸術の域に達しているともいえよう。省みて私達はこの憲法前文に見合うような「努力」をしてきただろうか。政治家はこの理念を頭において行動しているだろうか。

さて、前述の通り私は「憲法前文」や9条以降には賛同するけれども。1条から8条までは、どう考えても納得がいかない。この憲法が施行された第二次大戦直後とはそれまで「現人神」だった天皇が「人間宣言」をした直後という事情を鑑みれば、この不徹底さは致し方なかったのかもしれないが、それこそ施行からもうすぐ70年になろうとしているのだ。自民党や「改憲派」が言うように「時代に合わせた」憲法を、彼らとは正反対の立場から、現憲法の精神を保持しながら模索するのは許されないことではあるまい。

◆これが私の改憲案──条文をこう改正すれば、憲法前文の理念を実現できる!

そこで私の改憲案を以下記す。

前文=現行憲法のまま

1条 日本国の主権は国民に存する。外国籍をもつ居住者にも不利益がないように諸法律は配慮されなければならない。

2条 天皇制、貴族制その他出生により身分を定めるあらゆる制度、因習はこれを絶対的に排除する。

3条 日本国に生活する人々は平等に生まれ平等に生活する権利を保持する。

4条 あらゆる差別はこれをしてはならない。差別を温存、助長するいかなる制度も認めない。

5条 日本国は国民に強制するいかなる国旗、国歌も保持しない。

6条 日本国民は本憲法に対立し、国民の恵沢に尽力しない政府が成立した際はその政府を排除する権利を有する。

7条 国会議員及び公務員は国民の福祉実現の為に尽力する公僕であり、その権力を過剰行使することはあってはならない。

8条 国民は主権者たる責務と公正な社会の実現に向け努力する義務を負う。

9条以降=そのまま

2015年5月3日現在、日本国憲法21条により「言論表現の自由」は、まだ認められている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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