《殺人現場探訪05》米原汚水タンク殺害事件 冤罪疑わせる「夜は見えない現場」

滋賀県米原市でこの事件が起きたのは8年前に遡る。2009年6月12日の朝、伊吹山のふもとを走る農道脇に設置された2つの汚水タンクの1つから作業員が被害者の女性A子さん(当時28)の遺体を発見。A子さんは2日前から行方不明になっており、家族が警察署に捜索願を出していた。

この事件が当初からセンセーショナルに報道されたのは、まず何よりA子さんの亡くなり方があまりに痛ましかったためである。A子さんの遺体は派遣社員として勤務していた大手メーカーの工場の作業着姿だったが、鈍器のようなもので頭部や顔面を頭蓋骨が陥没するほど乱打されており、両手の防御創を合わせると、30回以上も攻撃を受けていた。そして瀕死の状態で汚水タンクに突き落とされ、し尿を吸引して窒息死していたという。

加えて、容疑者として検挙された男性B氏(当時40)は、A子さんが勤める大手メーカーの正社員だったが、妻子がある身でありながら独身のA子さんと不倫関係にあった。そのために報道はいっそう過熱し、A子さんが事件前、B氏のDVを友人に訴えていたという疑惑も報じられるなどして事件は社会の耳目を集めたのだった。

B氏はその後、2013年2月に最高裁で上告を棄却され、懲役17年の判決が確定している。B氏は裁判で無実を訴えていたのだが、その訴えを正面から報じたメディアは皆無に近かった。

事件現場となった汚水タンク

◆裁判で浮かび上がっていた有罪を否定する事情

実を言うと、私はこの事件を取材し、B氏のことを冤罪だと確信している。B氏がA子さんを殺害した犯人であることを否定する様々な事情があるからだ。

まず、B氏の車の血痕の付着状況だ。B氏はA子さんが行方不明になった日、その直前まで自分の車でA子さんと一緒にいたのだが、車の左後輪ブレーキドラムの内側からA子さんの微量の血痕が検出されたことが有罪の大きな根拠の1つとされている。しかし、A子さんの遺体の状況からすると、犯人は返り血を浴びていることが濃厚であるにも関わらず、B氏の車の運転席やその周辺からは一切の血痕が検出されていなかったのだ。

一方、左後輪ブレーキドラムから検出されたA子さんの微量の血痕について、B氏は「A子さんがタイヤ交換をした際、足を怪我したことがあるので、その時のものではないか」と説明していたのだが、この説明はとくにおかしくない。こうしてみると、B氏の車の運転席やその周辺から血痕が一切検出されていないにも関わらず、左後輪ブレーキドラムの微量の血痕を有罪の根拠にするのは無理がある。

また、A子さんに対するB氏のDV疑惑については、たしかにA子さんは事件前、友人に「殴られ、首を絞められるなどしている」「このまま殺されるかもしれない」などと訴えていたようだ。しかし、裁判で明らかになったところでは、友人たちはA子さんのこのような訴えを深刻には受け止めておらず、A子さん自身も警察に相談するなどの対策を講じていなかった。むしろメールの履歴を見ると、A子さんはB氏に何か不満があれば、積極果敢に伝えており、B氏がA子さんに暴力をふるっていたような兆候は見受けられなかったという。

事件現場の汚水タンクのある場所。昼間は走行中の車からもよく見える

◆一見有力な目撃証言は存在するが……

私は2010年に大津地裁でB氏の裁判員裁判が行われた頃、現場の汚水タンクがある場所を訪ねている。事件当日の夜10時30分頃、この場所をトラックで通過した運転手が「B氏の車と似た車」が汚水タンクのかたわらに停まっていたのを目撃したと証言し、この証言も有罪の根拠の1つとされている。

しかし、このトラック運転手の証言は、夜間に時速60キロくらいで走行中のもので、視認状況が良いとは言えないうえ、車種に関する証言内容の変遷も激しかった。そこで私も実際、この時間にレンタカーで汚水タンクがある場所を走ってみたのだが――。

結論から言うと、視認状況は思ったよりはるかに悪く、汚水タンクやその周辺の状況など何も見えなかった。昼間は目印になる汚水タンク脇の「ポイ捨て あカン!!」の大きな看板も闇の中に沈み、間近に迫るまで一切見えないほどだった。目撃証人の運転手は「B氏の車と似た車」について、「ヘッドライトを切った状態で停まっていた」と証言しているが、ヘッドライトを切っている車など通りすぎる際に到底見えないだろうと思わざるをえなかった。

B氏の裁判では、裁判官や裁判官が実際に汚水タンクがある場所まで足を運び、自分の目で現場の状況を確認するような検証は一切行われていない。そういう検証が行われていれば、私はトラック運転手の証言が有罪の根拠として裁判でまかり通ることはなかったろうと思えてならない。

控訴審段階で弁護側から提出された証拠によると、事件以前からインターネット上にA子さんを誹謗する書き込みが多数あったことも確認されており、B氏とは別の真犯人が存在しても何ら不思議はない。被害者やその遺族のためにも、B氏が犯人だということで片づけていい事件ではないと思う。

夜になると、走行中の車から現場の汚水タンクがある場所はまったく見えない。目撃者によると、実際には車はヘッドライトもつけていなかった

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

愚直に直球 タブーなし!7月7日発売『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

小池百合子の矛盾 一極集中と経済第一主義からの脱却なしに東京は変われない

〈この20年の硬直した都政の下で、アジアの金融拠点はシンガポールに、物流拠点は上海に、ハブ空港は仁川に後塵を拝しつつある。東京が産業構造の変革の波の中で、世界をリードする絵図を描けているか。少子高齢化が叫ばれながら、福祉対策の転換を導いているか。老朽化する都市は輝きを失うのではないか。様々な危機に対する準備は万全か。これまでの延長線をなぞるだけの都政でよいのか。〉

 
都民ファーストの会HPより

小池百合子都知事が代表を務める「都民ファーストの会」のHPにある言葉からの引用である。よくぞ平然と言えたもんだと呆れる。「この20年」都知事にはどんな人間がいた? 傲慢ファシスト石原慎太郎、その子分猪瀬直樹、そしてみすぼらしく切り捨てられた舛添要一。こいつらは全て自公の推薦だったじゃないか。

◆カタカナ言葉を多用する人間は疑ってかかった方がいい

そしてもう一つ気に入らないのは、不要なカタカナ言葉の多様である。「都民ファースト」などという名前に、まず禍々(まがまが)しさを直感する。小池百合子は同HPの挨拶の中で、

〈昨年の夏、私は「セーフシティ」「スマートシティ」「ダイバーシティ」の3つのシティを実現し、東京大改革を成し遂げると都民の皆様にお訴えし、暑い熱気の中で291万余の皆様から信託をいただきました。〉

とこれまた政策の3本柱をカタカナで表現している。これは英語のくせに、くだらない韻を踏んでいるところが益々いかがわしい。英語の単語を用いると、なにか新しかったり、人の知らない概念が出て来るように勘違いされた時代が過去あった。役人や広告代理店は今でもその手法をしばしば用いるが、小池の戦法はまさにそれである。カタカナ言葉を多用する人間は疑ってかかった方がいい。これは業界を問わずだ。

◎[参考動画]都議選 選挙戦最終日に各党幹部が“最後の訴え”(ANNnewsCH 2017年7月1日公開)

◆小池百合子は少し前まで自民党のど真ん中にいた人物

そして小池は、少し前まで自民党のど真ん中にいた人物であり、上記文章のいうところの「この20年の硬直した都政」を応援していた。なにを他人事のように批判しているのか、批判する資格などないじゃないか。

築地市場の豊洲移転に関して、豊洲では猛烈な毒物が再々検出されているのに、結局豊洲への移転を決め、築地も併用すると小池はいう。つまり旧来の利権政治同様、築地の改築や運用と、豊洲の改装や補強工事の両方から「利権」を得ようと企図しているのである。豊洲移転を問題として取り上げた小池への賛辞は聞くが、問題が何が何一つ解決されていない、このあいまいな豊洲移転を鋭く突く声は小さい。小池とはこういった「世論騙し」には長けている政治家だ。

◆公明党なしでは足腰ガタガタの自民党

7月2日に行われた都議選で自民党は大敗した。獲得議席はこれまで最低の38から35あたりと予想していたが、それを大幅に下回る23議席は、壊滅的敗北と言っていいだろう。

国政選挙区ではめったに落選者を出さない公明党は、今回も手堅く候補者23名全員を当選させた。そして「都民ファーストの会」は55議席を獲得した。選挙前から公明党は「都民ファースト」に擦り寄っていたので、選挙区によっては両党の票割が行われ、その相乗効果も獲得議席数に現れている。公明党なしでは自民党も足腰ガタガタで、単独ではとても議席確保が容易でない、近年の投票力学を現す結果ともなった。

東京都議会・政党別議席数の推移(選挙ドットコムより)

◆無思想な一極集中と経済第一主義を見直さない限り、東京は変われない

さて、これから都政がどうなるのか、と言えば、10年程まえに大阪で起こったことと同様の現象が繰り広げられるだろう。「都民ファーストの会」など所詮、自民党の別働隊に過ぎず、根本政策には何の違いもない。小池は元々改憲派だし、公約を見ればわかるが、まだまだ東京の一極集中と経済成長を狙っている。

東京にお住まいの方には失礼に当たるが、もう東京の圧縮振りは、限界を超えている。食料自給率ゼロの東京がこれ以上の成長を遂げようというのはひたすら無謀な目的だ。東京オリンピックを開催する発想だって「狂っている」としか言いようがない。都内にもいまだに局地的に放射線の高濃度汚染地域が点在する東京都は、まずこれまでの無思想な一極集中と、経済第一主義を見直さない限り、いずれ訪れる物理的破綻による被害はますます大きくなるだろう。

◆「安倍支配」終焉のきっかけを作ったことにおいてのみ「都民ファーストの会」は評価されてよい

当面解散総選挙でもなければ、国会に議席を持つことはないだろうが、大阪の維新同様、中央では自公政権を補完する役割を演じるに違いない。「反自公勢力」や「野党」などと考えていればそれは大きな間違いだ。都政内では公明党と接近していても、国政では、都議選のように自民党がズタボロになる兆候が現れるまで、公明党が自民党と袂をわかつことはない。大臣の椅子を1つ貰っているのだ。公明党は極めて冷静に状況を見極め、その先主導権がどちらに転ぶかを見極めてから「転身」を決める。

ただし、見方を変えれば都議選の自民大敗は、自民党内の派閥抗争に例えることが可能であり、その結果、信任を得られなかった安倍の足元は急速にぐらつくだろう。すでに自民党内からも安倍の責任を問う声が上がり始めている。内閣支持率もおそらく、妥当な数字に下がってゆくだろう。閣僚や党重鎮の失言(本音)はもう数えきれないし、不祥事も可燃ごみに出す程度ではなく粗大ごみ位にたまって来た。長すぎた「安倍支配」がようやく終焉を迎えるきっかけを作ったことにおいてのみ「都民ファーストの会」は評価されてよい。それにしても「都民ファーストの会」からの当選者には、なんと変節者の多いことだろうか。元民進党(民主党)、元自民党といった理念なき輩がほとんどではないか。

◎[参考動画]落選候補の怒り(PlaceUniversity 2017年7月2日公開)

◆「奴らは自民党の別動隊に過ぎない」

所詮は自民党の別動部隊に過ぎないので、「都民ファースト」の大勝には警戒を怠ることができない。そして、自公=安倍政権に反対で、不満を持つ層の受け皿になるべき、本来的「野党」が都政にも国会にもないことが最大の問題点であろう。日本共産党は小池都政と寄り添う姿勢を見せていたし、社民党や自由党は都議会には一人もいない。自民・公明・維新・「都民ファースト」はいずれも党名は異なっても同じ方向を向く勢力、大政翼賛会のようなものだ。

それにしても最近の安倍自民党は「保守」ではなく「極右政党」になり果てている。バランスをとるために必要なのは、明確に大政翼賛会的与党・政党に異議を唱えるまっとうな政党、野党の出現だ。かなり難しい課題ではあろうが、それが果たせなければ国会の大政翼賛会化はますます進行するだろう。「都民ファースト」の圧勝をなにか慶事のように喜ぶ向きがあるので、あえて繰り返し釘を刺しておく。「奴らは自民党の別動隊に過ぎない」と。

◎[参考動画]安倍総理へ「やめろ!」「帰れ!」の嵐(Movie Iwj 2017年7月1日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』7月号【特集】アベ改憲策動の全貌

アルゼ(現ユニバーサル)岡田和生と私の15年戦争 [鹿砦社代表 松岡利康]

盛者必衰!? 奢れる者、久しからず!?
私を逮捕-勾留に追い込み、鹿砦社に壊滅的打撃を与えた
岡田和生(旧アルゼ創業者、前ユニバーサルエンターテインメント取締役会長)が失脚!
自らが設立し育てた会社を追われる!

6月29日の大手パチスロメーカー「ユニバーサルエンターテインメント(旧アルゼ)」の株主総会において、創業者で、事実上のオーナーとして同社を支配していた岡田和生が放逐されたニュースには驚かされた。自ら1969年の創業以来育ててきた会社の株主総会への入場を拒絶される姿は、(放映されてはいないので想像するに)絶頂期を知る一人として哀れを感じさせる。「盛者必衰」、「奢れる者、久しからず」とは古人もよく言ったものだ。

ユニバーサルエンターテインメント(UE社)といってもピンとこず、われわれにとっては旧社名の「アルゼ」といったほうが馴染みが深い。かつて岡田和生はアルゼの株式の過半を持つ創業者オーナーだった。それを、岡田一族の資産管理会社「オカダ・ホールディングス」に移行させ、オカダ・ホールディングがUE社の株式の過半を持つ。また、ここがポイントだが、オカダ・ホールディングスの株式の約46パーセントを岡田和生が保有するが過半ではない。残りは岡田の長男、長女らが保有していて、この長男・長女の株式を合わせると過半となり、岡田兄妹らは本年5月、岡田和生をオカダ・ホールディングの取締役から解任する。長男・知裕が父・和生と不仲なのは、15年ほど前に私たちがアルゼに取材を開始し関連書籍4冊を出版した頃から囁かれていた。

鹿砦社が出版したアルゼ関係4部作。右から『アルゼ王国の闇』(2003年4月)、『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』(2003年8月)、『アルゼ王国の崩壊』(2004年2月)、『アルゼ王国 地獄への道』(2005年3月)

◆父・和生の横槍で頓挫した長男・知裕による「アルゼ-松竹」の蜜月

当時経営難に喘いでいた「松竹」と提携、大阪道頓堀「中座」の買収に成功。さらに映画配給の共同出資会社「松竹アルゼコミュニケーションズ」を設立、長男・知裕が担当取締役に就任し『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ラッシュアワー2』『ドリブン』『ショコラ』『陽だまりのグラウンド』などヒット作を立て続けて配給。しかし、そうした長男・知裕が担当となって進めていたアルゼ-松竹の蜜月関係も、父・和生の横槍で頓挫し訴訟沙汰にまで発展する。「松竹アルゼコミュニケーションズ」は解散、この後一時、知裕はアルゼを去っている。

この事件が父・和生と長男・知裕の関係に亀裂を生じさせる一要因になっていることは否めない。それが、今回の放逐劇に繋がっているとは……。ちなみに、松竹との関係悪化と共に、くだんの「中座」は原因不明の火事に見舞われている。

◆カリスマ岡田和生なき「アルゼ王国」はやがて「崩壊」に向かう?

今回の「クーデター劇」は、子飼いのUE富士本淳社長、岡田実子らが組んで挙行したものといわれている。さらには、岡田和生の妻も関わっているとの情報もあるが定かではない(取締役として残っているので情報が錯綜しているのだろう)。発端となったのは、20億円を経理担当者に命じて自らが支配する関連会社に不正に送金させたことだといわれている。これについて真相究明の特別調査委員会を設置し岡田和生らの不正の有無の調査を開始したという。

UE社については、この数年、朝日新聞とロイター通信が、フィリピンでのカジノ進出について政府高官らへの接待や資金の不正流出などがあったことを報じ、これも訴訟に発展している(ロイター、朝日両社とも実質勝訴)。このように、なにか批判的記事を書けばすぐに巨額訴訟に打って出ることで、アルゼは一時マスコミタブーになっていた。そのタブーを破ったのがわれわれだったが、警察天下り企業をナメてかかっていたことは大反省点だ。当時、警察キャリア出身の阿南一成が社長として雇われていたが、メンツにかけて牙を剥いてくるだろう。

UE社のフィリピン・カジノスキャンダルを報じる朝日新聞2012年12月30日朝刊
松岡逮捕につながった『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』

UE社(アルゼ)のカジノ進出については、カジノ王といわれるスティーブ・ウィンと組んで開業したラスベガスやマカオでの「ウィン・リゾーツ」を発端として開始されたが、Sウィンと対立し放逐され訴訟沙汰に発展している。フィリピンはUE社単独での開発だが、カリスマ岡田和生なき後、今後どうなるのか、興味深々だ。

鹿砦社が出版したアルゼ関係書籍は4冊、『アルゼ王国の闇』(2003年4月)『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』(2003年8月) 、『アルゼ王国の崩壊』(2004年2月)、『アルゼ王国 地獄への道』(2005年3月)である。

このうち『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』により、岡田和生らにより刑事告訴され、私の逮捕→192日の勾留→有罪判決(懲役1年2カ月、執行猶予4年)が最高裁で確定。また民事でも、出版差止仮処分→損害賠償300万円(一審)→同600万円(控訴審)が最高裁で確定、まさに「地獄への道」に落とされたが、今の岡田和生もまさに「地獄への道」に落とされた気分だろう。人をハメた者は、いつかは自らもハメられる――因果応報だ。カリスマなき「アルゼ王国」も、やがて「崩壊」するだろうと私は予測する。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

◆呪いか、祟りか──鹿砦社を地獄に落とした者たちに降りかかる因果応報

ところで、私や鹿砦社を地獄に落とした、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件、岡田和生はじめ、これに関わった者らに、偶然だが不幸が訪れている。「鹿砦社の呪いか、マツオカの祟りか」と揶揄される所以だ。人の不幸を喜ぶわけではないが、あえて挙げておこう。――

大坪弘道検事(当時、神戸地検特別刑事部長) 
 のちに栄転した大阪地検特捜部長の時に、厚労省郵便不正証拠隠滅事件に連座し逮捕、有罪確定、失職。

宮本健志検事(当時、主任検事で私に手錠を掛け取り調べた) 
 のちに栄転した徳島地検次席検事の時、深夜に泥酔し一般人の車を傷つけ戒告・降格処分を受けた。

阿南一成(当時、アルゼ社長。元警察キャリア。元参議院議員) 
 耐震偽装会社との不適切な関係を問われ辞任。

鹿砦社代表 松岡利康
『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

《建築漂流05》新宿ホワイトハウス 磯崎新の処女作、ネオ・ダダの拠点

 

東京都新宿区百人町1丁目。山手線の新大久保駅を中心としたこの地域は歌舞伎町の裏手にあたり、水商売の匂いが消えない。韓国やトルコの人々が住み働く外国人街であり、また古くからの住宅街でもある。

雑然と散らかったこの街の空気はどこか澱んでおり、決して清潔な印象を持つことができないが、そういった諸々を人間臭さとして認めることで僕はこの街が好きになった。そんな百人町1丁目で発見した建築、新宿ホワイトハウスを紹介しよう。

◆磯崎新の処女作 ネオ・ダダ吉村益信の自宅 

新宿ホワイトハウスは、建築家・磯崎新の処女作であり、美術家・吉村益信の住居として設計された。代表作としてロサンゼルス現代美術館や水戸芸術館、東京造形大学八王子キャンパス等を挙げることのできる磯崎は、やはり建築界の大御所だ。

1960年、モダニズム建築を推し進めた丹下健三の運動に参加するも、モダニズムでは無視された装飾性や過剰性といった要素を取り戻すべきだという考えを抱くに至る。こうした思想の下、1980年代以降はポストモダニズム運動を牽引していくこととなり、その業績から建築のみならず美術の文脈を知る上でも重要な建築家として認知されている。

新宿ホワイトハウスに暮らした吉村益信は、1960年に登場した前衛芸術集団「ネオ・ダダ(ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ)」の主宰であり、ホワイトハウスはネオ・ダダの活動拠点であった。ネオ・ダダのメンバーとして有名な篠原有司男(通称:ギューチャン)、赤瀬川原平、荒川修作らに加え、メンバーではないが磯崎新もここホワイトハウスを度々訪れていたという。

 

◆「カフェアリエ」の“トマソン”

現在は、建物の一部を改装し喫茶店「カフェアリエ」として営業を行っている。ツタ植物に覆われた特徴ある外観だが、横道のさらに裏手に建っているため目立たない。

許可を得て外観を撮影していると、早速“トマソン”(ネオ・ダダのメンバーである赤瀬川原平が提唱した芸術概念。不動産に付着する無用の長物を指す。ここでは用途不明の2階の戸)を見つけた。

 
 

◆吹き抜け天井、白い壁、床に残った絵の具の跡

中に入ると、思わず深く息を吸いたくなるような吹き抜けの天井、白い壁。床には絵の具の跡が残っている。

バー・カウンターはカフェ開業に伴って据え付けたもので、ネオ・ダダ時代の押入れを改装して現在の厨房に仕上げたという。当時の台所もそのまま残っており、写真の通りだ。いかにもアトリエといった空気が心地よく、感傷的になってしまった。

本棚にはもちろんネオ・ダダ関連の書籍が並んでいる。ダダイスト諸兄には是非足を運んでもらいたい。

 

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
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Instagram : http://instagram.com/omiya_kohei

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』7月号【特集】アベ改憲策動の全貌
多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

6月18日興行、WBCムエタイを舞台に戦い続けるNJKF!

インター王座奪取し、健太と並んでNJKFのエース格へ進出のMOMOTARO

MOMOTAROは技の多彩さが勝機を導く展開でした。初回は勢いあったカルロスでしたが、MOMOTAROは蹴りの伸びやスピードが優っていました。蹴り勝つMOMOTAROは、2ラウンドに連打から左ストレートパンチでカルロスのアゴを捉え、ダメージ深いカルロスは立ち上がれず、担架で運ばれる衝撃の終了でインター王座奪取となりました。

20代最後の試合となった健太は、初回は様子見で、浅瀬石はパンチで威圧的に攻めるが、劣勢には至らない健太。2ラウンドから健太が出始める。パンチからヒジと圧力を強め、経験豊富な修羅場の底力を発揮、3ラウンドにはヒザ蹴りでダウンを奪う。4ラウンドも多彩に攻め、ヒジで浅瀬石を流血に追い込むTKO勝利で初防衛に成功。 今後もブランクを空けないハイペースで、他のイベント興行出場も含め世界進出を狙う意欲を感じます。

前田浩喜が蹴りとパンチでの速攻で2度のダウン奪ってレフェリーストップによる2階級制覇。金子貴幸は勢いに乗る前に仕留められてしまいました。

玖村修平は2度のバックハンドブローによるダウンを奪うこと含むパンチでの3度ダウン奪って王座獲得しました。

◎NJKF 2017.2nd 6月18日(日)後楽園ホール 17:05~20:50
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟
認定:WBCムエタイ日本実行委員会、NJKF

◆WBCムエタイ・インターナショナル・フェザー級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.カルロス・セブン・ムエタイ(スペイン/27歳/56.75kg)
VS
WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.MOMOTARO(OGUNI/26歳/56.95kg)

勝者:MOMOTARO / TKO 2R 2:04 / カウント中のレフェリーストップ
主審 多賀谷敏朗

カルロスの技量を見極め、グングン蹴り込んだMOMOTARO
ハイキックで攻めるMOMOTARO
カルロスは立ち上がれず、MOMOTAROの完勝
健太がヒジで追い込むも流血しながら諦めない浅瀬石

◆WBCムエタイ日本ウェルター級タイトルマッチ 5回戦

第6代チャンピオン.健太(E.S.G/29歳/66.68kg)
VS
挑戦者NJKFウェルター級チャンピオン.浅瀬石真司(東京町田金子/37歳/66.45kg)

勝者:健太 / TKO 4R 1:54 / タオル投入による棄権
主審 竹村光一

健太がしぶとい浅瀬石を追い込むが、簡単には倒れない頑丈な浅瀬石
浅瀬石真司vs健太。健太の最後の一撃、この後タオルが投入された
いつもの健太ポーズを加藤愛香さんととる健太
前田浩喜のハイキック、距離感が一気に勝利に導いた
NJKF2階級制覇した前田浩喜のベルト姿
日下滉大vs玖村修平。バックハンドブローでKO勝利した玖村修平
玖村修平のベルト姿

◆58.0kg契約 3回戦

NJKFフェザー級チャンピオン.新人(E.S.G/28歳/57.7kg)
VS
Bigbangスーパーフェザー級チャンピオン.駿太(谷山/35歳/58.0kg)
勝者:駿太 / 1-2
主審 少白竜 / 副審 竹村30-29. 大澤29-30. 多賀谷29-30

◆NJKFスーパーバンタム級タイトルマッチ 5回戦

第5代チャンピオン.金子貴幸(GANGA/28歳/55.2kg)
        VS
挑戦者同級1位.前田浩喜(CORE/36歳/55.2kg)
勝者:前田浩喜(第6代C) / TKO 1R 2:52 / カウント中のレフェリーストップ
主審 山根正美

◆第10代NJKFバンタム級王座決定戦 5回戦

1位.日下滉大(OGUNI/22歳/53.4kg)
VS
2位.玖村修平(K3B/20歳/53.2kg)
勝者:玖村修平(第10代C) / KO 4R 2:59 / 3ノックダウン
主審 大澤武史

◆69.5kg契約3回戦

NJKFスーパーウェルター級チャンピオン.YETI達朗(キング/32歳/69.2kg) 
     VS
NJKFウェルター級3位.山崎遼太(OGUNI/25歳/69.5kg)
勝者:YETI達朗 / KO 2R 1:39 / 3ノックダウン
主審: 多賀谷敏朗

◆女子(ミネルヴァ)55.0kg契約3回戦(2分制)

NJKF女子スーパーバンタム級チャンピオン.杉貴美子(TenClover/36歳/54.75kg)
VS
同級5位.和乃(新興ムエタイ/29歳/54.4kg)
勝者:杉貴美子 / 3-0
主審 竹村光一 / 副審 大澤30-27. 多賀谷30-27. 山根30-27

他、3試合は割愛します。

健太vs浅瀬石真司戦はダブルタイトルマッチではありません。下位タイトルの浅瀬石が上位タイトルの健太に挑んだ試合です。ボクシング的に言えば、負けた浅瀬石の王座剥奪はありません。いずれにせよ、この展開での剥奪ルールは無いキック団体です。

《取材戦記》

この団体での国内王座からインターナショナル王座へ挑むこと多くなったWBC傘下のタイトルを狙う選手たちです。そしてヨーロッパ勢との絡みが多くなるインター王座ですが、ムエタイ技術とパワーを持った強さが目立ち、苦戦すること多く簡単には獲れない王座です。

しかし、強豪ヨーロッパ勢に打ち勝つ技術を持った日本人選手が居ることも確かで、過去には2012年9月に大和哲也(大和)がスーパーライト級で奪取、2014年4月に梅野源治(PHOENIX)がスーパーフェザー級で王座奪取し、昨年7月、テヨン(キング)がスーパーライト級で、TOMONORI(OGUNI)フライ級で奪取しました。

11月には期待の健太(E.S.G)はウェルター級王座決定戦で強豪サモン・デッカーに敗れ惜しくも奪取成らずでした。世界の前に立ちはだかる壁としては良い試練となるインター王座なのかもしれません(他にも奪取した選手いたと思いますが割愛させて頂きます)。

しかし、キック系世界王座はWBCムエタイだけではない現実があり、更にそれを越える伝統のムエタイ最高峰があり、そこまでにそれぞれが目指す方向が違って日本人頂上決戦が行なわれ難い現実があります。選手同士は戦いたくても、プロモーターの権力と思惑が大きく遮る結果ともなっています。ファンの夢を噤む、そんな事態はもう終わらせたい今後のキック界でしょう。

NJKF 2017.3rdは9月24日(日)後楽園ホールで17:00より開催予定です。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

《鳥取不審死・闇の奥04》同居男性が真犯人であるかのように語った上田被告

2009年頃に社会の耳目を集めた鳥取連続不審死事件で、2人の男性を殺害するなどしたとして強盗殺人などの罪に問われ、無実を訴えながら死刑判決を受けた上田美由紀被告(43)。その最終審理とも言える上告審弁論も6月29日に最高裁で開かれ、あとは最後の判決を待つばかりだ。

私はこの連載で2つの殺人事件について、事件当日の上田被告や被害者の足取りをたどるなどしたうえで上田被告の無実の訴えは無理があることを論証してきた。

今回は2つの殺人事件のうち、上田被告が2人目の被害者・圓山秀樹さん(当時57)を殺害したとされる事件について、上田被告の弁明がどんなものだったかをみてみよう。

◆同居していた男性が真犯人であるかのように弁明

一、二審判決の認定によると、上田被告は2009年10月、電化製品の代金約53万円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)に睡眠薬などを飲ませて意識もうろう状態に陥らせたうえ、摩尼川という川の上流で溺死させたとされる。

そして事実関係を見ていくと、事件当日の朝、圓山さんは内縁関係にあった女性に「集金に行く」と言って、用意された朝食も食べずに外出。そしてほどなく上田被告と合流し、殺害現場のほうに車で向かったのちに行方が途絶え、翌日、川の中で溺死体となって見つかっている。

加えて、上田被告は同年4月、借金270万円の返済を免れるために殺害したとされる1人目の被害者・矢部和実さん(同47)が失踪した当日も朝から矢部さんと行動を共にしていた。そして一緒に車で殺害現場である海まで向かったのち、矢部さんはそのまま行方不明になり、後日、溺死体で見つかっている。このように2つの事件が酷似した経緯をたどっていることを「単なる偶然」だと思う人はいないだろう。

そして2つの殺人事件では、上田被告の弁明も酷似していた。矢部さんが殺害された事件について、上田被告が当時同居していた男性A氏のことを犯人であるかのような弁明をしているのはすでに述べた通りだが、上田被告は圓山さんの殺害についてもA氏の犯行だったかのように主張しているのである。

圓山さんが殺害された当日、上田被告と一緒に赴いた岩戸港

◆詳細に事件当日のことを語ったが……

裁判の第一審では黙秘した上田被告。控訴審の法廷で黙秘を撤回し、圓山さんの事件について弁明した供述の要旨は次の通りだ。

・・・・・以下、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

私は事件当日、知人の運転する車で、ファミリーマート鳥取丸山店に寄って、コーヒー、タバコ、お茶を購入した後、圓山さんが経営する電気工事業の事務所に赴き、圓山さんと合流しました。そして圓山さんの運転する車の助手席に乗って喫茶店に赴き、モーニングを食べ、その際に圓山さんから「電化製品代金のことでAと話がしたい」と言われたので、Aに電話をしました。そしてAに対し、圓山さんの言う通りに待ち合わせ場所を説明したのです。

それから、私は圓山さんの運転する車で、当時は名前を知らなかった岩戸港まで移動しました。そして岩戸港に到着後、10分か20分すると、Aが車を運転してやってきました。すると、圓山さんが「Aと1対1で話がしたい」と言ったため、圓山さんの車の助手席に座っていた私はAと交替しました。そして私はAが乗ってきた車の運転席で2人の話し合いが終わるのを待っていましたが、途中、自動販売機で買った缶コーヒー2缶を2人が乗っている車に差し入れました。

しばらくすると、Aと圓山さんが車から降りてきて、運転席に座っていた圓山さんが助手席に座り、助手席に座っていたAは缶コーヒー2本を海に投げ捨ててから、車の運転席に乗り込みました。そしてAは私に対し、「圓山さんは気分が悪いみたいだ。車を運転し、ついてくるように」と言い、圓山さんの車を運転して岩戸港から出発しました。そこで私も車を運転し、Aが運転する圓山さんの車についていったのです。

それからAは殺害現場の川のほうに車を走らせて行きましたが、その途中、Aの運転する車の助手席に座った圓山さんが窓に頭をもたれかけているのが見えました。それから私はクラクションを鳴らしてAの運転する車を停めさせ、Aに「ついていきたくない」と言いました。私は無免許運転だったため、このまま一本道を行くと、後ろからついてきていると思っていた警察に捕まるのではないかと思ったためです。

すると、Aは「待っとれ」と言い、私の運転する車を残し、自分は圓山さんを助手席に乗せた車で殺害現場の川の付近に向かっていきました。その後、私からAに電話をしたところ、Aから「まあ、ええけえ。ちょっと待っとれ」と言われましたが、私が乗っていた車を少し前進させたところ、Aが小走りで向かってきて、私が乗っていた車の助手席に乗り込んできました。

私は「何があったの?」と尋ねたり、自分と交替で運転席に座ったAに「車を進めて欲しい」と言いましたが、Aは膝から下を濡らした状態で、しどろもどろになってはっきり答えず、車を動かしませんでした。

・・・・・以上、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

 
とまあ、上田被告は裁判で、かくも詳細に事件当日のことを語っている。A氏こそが圓山さんを殺害した犯人だと明言しているわけではないが、そう言ったに等しい供述内容だ。

◆罪を免れるための虚言

実際問題、検察の主張では、上田被告が圓山さんから「代金後払い」の約束で交付をうけていた電化製品は計12点・販売価格合計約123万円に及んだとされたが、そのうち6点・約69万円が圓山さんの作成した売掛帳ではA氏が債務者であるかのように記載されていた。そしてA氏本人は裁判で、自分が債務者であるかのようにされた電化製品6点は上田被告が注文したものだと主張したのだが、裁判では結局、A氏の証言が信用されず、A氏が問題の電化製品6点の債務者だったように認定されている。

しかし事実関係を見ると、上田被告が主張する通りにA氏が真犯人だと考えるのはやはり無理がある。

まず、そもそも上田被告らと圓山さんが取引を始めたのは、以前から知り合いだった上田被告と圓山さんが2009年8月頃、ドラッグストアでばったり会ったのがきっかけだった。さらに圓山さんと内縁関係にあった女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝、上田被告から電話があったことについて、「(電化製品の)代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。そして携帯電話の通話記録を見ると、圓山さんと上田被告の間で頻繁に電話がかけられていた。こうした事実関係を見る限り、圓山さんが代金を請求する相手をA氏ではなく、上田被告だと認識していたことは明らかだ。

そして事件当日の朝、圓山さんは取引先に電話をかけ、「集金に来てくれという電話があったので、行かなければならないからまた後で電話をする」と伝え、その後に内縁関係にあった女性に「集金に行く」などと言い、用意された朝食を食べずに慌てた様子で出かけて行ったという。そして外出後、ほどなく上田被告と合流している。こうした事実経過をたどる中、圓山さんが突如、「電化製品代金のことでAと話がしたい」と言い出し、やってきたA氏がいきなり圓山さんを殺害するなどということはどう考えてもありえないだろう。

そしてA氏が圓山さんを殺害するということがありえないならば、圓山さんを殺害する機会や機会を有していたのは上田被告だけである。上田被告の無実の訴えについては、「罪を免れるための虚言」と評価せざるをえない。(次回につづく)

上田被告は、この橋の下を流れる川まで圓山さんを連れて行き、溺死させたとされる

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』7月号!【特集】アベ改憲策動の全貌

「愚劣の上塗り」を披露した小泉進次郎議員の無茶苦茶な改憲賛同論

小泉純一郎という男が父親でなかったら、まずは国会議員に当選することなどなかったであろう、そして、その言動がこのように注目されることもなかったであろう世襲議員がいる。小泉進次郎だ。

この男は21世紀最初の災禍、小泉ファシズムの残滓(ざんし)として登場し、わざとらしく父親の語り口を真似るなど姑息な面を持つが、その内実は小泉純一郎の最も汚濁した部分を不足なく引き継いでいる。


◎[参考動画]加計学園問題巡り、小泉進次郎氏「規制改革は必要」(2017年6月2日ANNnewsCH公開)

◆ワンフレーズには宿命的に危険が伴う

小泉純一郎が首相に就任した時、何を断言したか読者はご記憶だろうか。

「郵政民営化は改革の本丸。何があっても8月15日に靖国神社を参拝します」

これだけだ。

今となっては日本郵政が赤字に陥り、米国資本からの乗っ取りが現実味を帯びてきて、識者や経済学者の中には郵政民営化が「失策」だったと断じる人も少なくないが、小泉ファシズムの勢いは安倍の比ではなかった。横綱貴ノ花が怪我を押して優勝しそうだとみるや、国技館に駆け付け、表彰状を読み上げたのちに「感動した!」と言い放つだけで小泉純一郎の支持率はますます上がった。ワンフレーズ政治家としては、戦後の政治家の中でも飛びぬけた人気を小泉純一郎は得ていた。

しかし、ワンフレーズには宿命的に危険が伴う。複雑な社会情勢を「ひとこと」で言い表すのは、端的に言えば「単純」に過ぎて「乱暴」なのだから。日本漢字能力検定協会が主催して、年末に清水寺の僧侶が「今年の漢字」を揮毫するのが恒例となっているが、「今年の漢字」が日本漢字能力検定協会のプロモーションだとご存知の方がどれくらいいるだろうか。あたかも公平・公正な意見の集約の結果のように大々的に報道されるが、あれは壮大なる「広報作戦」である。


◎[参考動画]小泉劇場の5年間 2001-2006(2012年10月20日souri37公開)

◆小泉とトランプの類似性

民間で何をしようと、文句を言う筋合いはない。「ああそうなんだ、今年は〇なんだ」と年末気分をさらに補完する企画を、上手に(小狡く)使うのは勝手である。ただしワンフレーズによる決定は、小情況の場合、優れた判断力の持ち主が小気味よく方向性を示し、仕事のテンポが上がったり、問題解決が一気に進むことはある。

しかし政治の場ではわけが違う。一国の最高指導者がそれをやるとどうなるかといえば、その相似形はトランプである。トランプはワンフレーズではないが理詰めではない。トランプの発語は短いセンテンスによる「決めつけ」だろう。そしてワンフレーズ小泉とトランプの類似性は、自己顕示欲が強烈に強く、他者の意見に耳を傾けない、「俺が一番偉い」と生理的に確信していること、そしてその結果に対して責任を負わないことだ。その証拠は両者の顔に書いてある。

◆愚劣の上塗りを披露する小泉進次郎の改憲賛同論

 
2017年6月1日日本記者クラブ公開動画より

そんな不肖の宰相であった小泉純一郎の愚息、小泉進次郎が、愚劣の上塗りを披露している。

自民党の小泉進次郎衆院議員は6月1日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、安倍晋三首相(自民党総裁)が意欲を示す憲法9条の改正による自衛隊の存在の明記について「当然だ」と賛同した。

小泉氏は、自衛隊を「違憲」と指摘する憲法学者がいることに関しても「自衛隊が違憲かどうかという論争が起きている状況を放置し続ける方がおかしい」と述べ、論争に終止符を打つべきだと強調。「『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきだ」と主張する首相を支持した。
産経新聞2017年6月1日付記事

実に明快、無茶苦茶な改憲論だ。議論もへったくれもない。これは小泉進次郎に限ったことではないが、上記のごとき発言は、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」に明確に反している。そんなことは一切お構いなし。

もっとも小泉進次郎がここで述べているのは、自民党憲法改正草案と異なる「自衛隊」への言及を加えるという、最近の安倍の思い付きに対する賛同を示したものに過ぎず、例えるならば、振り込め詐欺の犯行グループが金をだまし取る対象を、老人の預貯金から、年金にターゲットを変えた程度の発言なのではある。

◆現在この国の法の支配の頂点には日本国憲法以外はない

 
2017年6月1日日本記者クラブ公開動画より

であるから「盗人猛々しい」の表現が似つかわしいのだ。連中が「当たり前」のように既成事実化を図ろうとしている「改憲策動」は憲法99条にはっきり違反している、その認識から反論がなされてもよいのではないか。そして現行憲法(解釈改憲が行われようと、違憲立法審査にかかれば違憲の疑いが認定されるであろう「安保法制」などが成立しようとも)、現在この国の法の支配の頂点には日本国憲法以外はないのである。

「現実(自衛隊)が憲法違反だから憲法を変える」との順逆の主張を展開する向きが急増する今日、しかし「『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきだ」とはよくぞ本音を言い切ったものだ。小泉進次郎のこの発言は、「自衛隊議論については言論封殺をすべきだ」と語っているのだ。

元加計学園役員、安倍晋三の首相在任期間が小泉純一郎を超えたらしい。息子としては、なんとなく悔しかったのだろうか。目立ちたいだけか、それとも単に頭脳が空疎なだけなのか。


◎[参考動画]自民党「人生100年時代の制度設計特命委員会」事務局長の小泉進次郎衆議院議員会見。司会=橋本五郎・読売新聞 (日本記者クラブ2017年6月1日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《殺人現場探訪04》南茨木スーパー店員刺殺事件 現場を見つめ続ける地蔵

スーパーは当時と違うが、矢野さんは店の前で刺され、倒れていた
 
大阪府警もホームページ上で事件の情報提供を求めている

大阪府茨木市の阪急電鉄南茨木駅と隣接したスーパー「阪急共栄ストアー南茨木店」(当時)の前の歩道で、この店の店員・矢野愼さん(当時33)が血まみれで倒れているのを同僚が見つけたのは2001年5月1日の午前8時過ぎのこと。矢野さんは左胸を刃物で刺されており、病院に搬送されたが、ほどなく死亡が確認された。

目撃証言によると、矢野さんは刺される前、スーパーの2階の階段踊り場で白髪交じりの黒っぽいジャンパーを着た男ともみ合いになっていたという。警察は、男が開店準備中のスーパーに押し入り、金を盗もうとしたが、矢野さんに抵抗されたため、路上に連れ出して刺したとみていると伝えられている。矢野さんは責任感の強い人だったそうだから、強盗から店を守ろうとして生命を奪われたのかもしれない。

目撃者は複数いたようで、犯人の男は「年齢が30歳から50歳くらい」、「身長は165から170センチくらい」、「体格はがっちり型」などと絞り込まれたが、事件は16年経った今も未解決。遺族が私的に懸賞金200万円を用意して犯人検挙につながる情報を募り、大阪府警もホームページで情報提供を呼びかけ続けているが、有力な情報は得られない状態のようだ。

◆変わりゆく現場の様子

私がこの現場を訪ねたのは、2013年の夏のこと。店は事件当時の「阪急共栄ストアー南茨木店」から「阪急オアシス南茨木店」へと変わっており、地元の人たちによると、店の前の歩道も事件当時より拡張されて広くなっているとのことだった。

だが、矢野さんが犯人の男ともみ合っていた2階の階段踊り場はそのまま残されていた。その階段踊り場は南茨木駅と直結しており、これならば事件を目撃した人たちがいるのも納得だ。犯人はおそらく、さほど綿密な計画を立てずに成り行きで事件を起こしたのだろう。

矢野さんが犯人ともみ合っていたとされるスーパー2階の階段踊り場
犯人の逃走経路とされる陸橋
 
 

聞き込みをしてみると、スーパーの女性店員がこんなことを教えてくれた。

「私は当時、この店で働いていなかったんで、刺された人のことは知らないんですが、そこの陸橋のところに地蔵があるらしいですよ」

スーパーの建物の横には、線路の反対側に渡るための陸橋があるのだが、そこに行ってみると、金網で囲まれた陸橋のたもとのところに、たしかに小さな地蔵が設置されていた。矢野さんを悼むためのものだろう。地蔵の前には、水のつがれたグラスが供えられていたが、水は綺麗な状態で、矢野さんの死を悼む人がまめに水をかえていることが窺えた。

◆地蔵の設置場所は犯人の逃走経路

実は目撃証言などによると、犯人の男は矢野さんを刺した後、たもとにこの地蔵が設置された陸橋を通り、線路の反対側の駐輪場の方向に逃げていったとされている。私には、この地蔵は犯人が再びこの現場を通らないか、見つめ続けているようにも思えた。

2010年に刑事訴訟法が改正され、殺人の公訴時効は撤廃された。16年もの年月が過ぎてしまうと、警察としても犯人検挙につながる新たな有力情報を得るのは難しいだろうが、犯人は生きている限り、矢野さんを殺害した罪から決して逃れられることはない。

【参考】大阪府警もホームページ上でこの事件の情報提供を求めている。

陸橋の下に矢野さんを悼むために設置された地蔵

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

【公開書簡】 鈴木邦男さんへの手紙 [鹿砦社代表 松岡利康]

先の「デジタル鹿砦社通信」6月20日号で、ここ1年余り「カウンター」-「しばき隊」による大学院生M君リンチ事件の真相究明と被害者M君支援(裁判、権利回復など)で共に動いている「鹿砦社特別取材班」の一人「A生」(社外メンバー)が、鈴木邦男さんに対して直截的で激しい意見を述べています。会社としての見解ではなく「A生」の個人的意見ですが、身近で私の「逡巡と苦悶」を見て、やむにやまれぬ気持ちで書いたのでしょう。

あくまでも社外取材班「A生」の個人的意見にもかかわらず、それをそのまま即鹿砦社の見解と早とちりし誤認して香山リカ氏がツイッターで絡んでこられましたが、鹿砦社のHP「デジタル鹿砦社通信」に意見をアップしたからといって、即鹿砦社の見解ではありません。「A生」の意見に基本的に同意しつつも私の気持ちや会社の方針と違う箇所も散見されますし、小なりと雖も会社経営を担い、社員の生活に責任を持つ私や会社は、「A生」ほど過激ではなく、一定のバランスはとっているつもりです。

【注】鹿砦社特別取材班 李信恵氏ら「カウンター」5人による大学院生集団リンチ事件の真相究明と被害者M君支援のために鹿砦社社内と社外のメンバーが集まった有志のグループ。メンバー個々の思想・信条は右から左まで幅広い。リンチ加害者らの代理人・神原元弁護士が詰るように、間違っても「極左」ではない。神原弁護士らによる「極左」認定は、ためにする批判だ。

さて、そこでも述べられているように、鈴木さんとは1980年代前半以来30数年の付き合いになります。月日の経つのは速いものですね。出会ったのは、まだ「統一戦線義勇軍」のリンチ・殺人事件の前だったと記憶しますが、鈴木さんは「新右翼の若き理論家」として売り出したばかりの頃です。いろいろなことが走馬灯のように思い出されます。今闘病中の装丁家で私に出版・編集の手ほどきを実践的にやってくれたFさんの紹介でした。鈴木さんとFさんとも組んで何冊も本を出しました。

まだこの頃はサラリーマンをしながら『季節』という思想・運動系の小冊誌を不定期に出していて、鈴木さんの伝手で、その「現代ファシズム論」の特集に、前記のリンチ・殺人事件の首謀者で、後に見澤知廉を名乗る清水浩司氏(故人)に獄中から寄稿していただき、主に新左翼周辺の読者から顰蹙を買った記憶があります。

1984年暮れに10年間のサラリーマン生活を辞め独立、しばらくして同じ西宮市内で朝日新聞阪神支局襲撃事件があり、鈴木さんとの関係で、私も疑われました。

そうこうしている中で、朝日襲撃3部作『テロリズムとメディアの危機』『謀略としての朝日新聞襲撃事件』『赤報隊の秘密』を出し、そして鈴木さんにとっても私にとってもターニング・ポイントになった『がんばれ!! 新左翼』(全3巻)を刊行しました。

『テロリズムとメディアの危機 朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』(1987年)、『謀略としての朝日新聞襲撃事件 赤報隊の幻とマスメディアの現在』(1988年)、『赤報隊の秘密 朝日新聞連続襲撃事件の真相』(1990年)
『がんばれ!! 新左翼 「わが敵わが友」過激派再起へのエール』(〈初版〉1989年、〈復刻新版〉1999年)、『がんばれ!! 新左翼 Part2 激闘篇』(1999年)、『がんばれ!! 新左翼 Part3 望郷篇』(2000年)

この本を出したことで、私は新左翼界隈から大変な非難を浴び顰蹙を買いました。この頃から、プロレス・格闘技関係も含め数多くの書籍を刊行させていただきました。共著を含めると何点になるでしょうか、すぐには数え切れないほどです。鈴木さんが創設された新右翼団体「一水会」の機関紙『レコンキスタ縮刷版』(2巻。1~200号)も刊行しました。

【注】統一戦線義勇軍 1980年代はじめ、一水会を中心に結成された新右翼、行動右翼の連合組織。初代議長は木村三浩氏(現一水会代表)、書記長は清水浩司氏。結成後すぐに清水浩司氏らによるリンチ・殺人事件が起き「新右翼版連合赤軍事件」と揶揄された。現在でも活動を継続している。

さらには、12年前の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件で会社が壊滅的打撃を蒙り、その後、多くの方々のご支援により復活、鈴木さんへの長年のお付き合いのお礼も兼ね、私たちの思想的総括を懸けて、いわゆる「西宮ゼミ」といわれる、市民向けのゼミナール「鈴木邦男ゼミ」を2010年9月から隔月ペースで3期3年にわたり開催しました。多くの著名な方々が当地(兵庫県西宮市)までお越しになりました。18回開催し(「西宮ゼミ」はその後「浅野健一ゼミ」「前田日明ゼミ」と続き計30回で一応終了しました)、一度たりとも採算に合ったことはありませんが、それでも私は清々しい気分でした。これは記録に残っていて、今これを紐解きながら、鈴木さんとの長い付き合いを想起しため息をついています。なぜ、ため息をついているのか、鈴木さんにはもうお分かりのことと察します。

『生きた思想を求めて 鈴木邦男ゼミ in 西宮報告集〈Vol.1〉』(2012年)、『思想の混迷、混迷の時代に 鈴木邦男ゼミ in 西宮 報告集〈Vol.2〉』(2013年)、『錯乱の時代を生き抜く思想、未来を切り拓く言葉 鈴木邦男ゼミ in 西宮報告集〈Vol.3〉』(2014年)

ここ1年3カ月余り、私(たち)は、「カウンター」とか「しばき隊」と自称他称される「反差別」運動内で、「カウンター」-「しばき隊」のメンバーによって惹き起こされた大学院生集団リンチ事件の真相究明と、裁判闘争を含めた被害者M君支援を行ってきました。私たちなりに事実関係を整理し精査していく過程で多くのことを知ることができました。幸か不幸か……。

その成果は、このかんに出した3冊の本に編纂し出版いたしました。「カウンター」-「しばき隊」界隈の人たちからは「デマ本」とか非難されていますが、その内部にいた人たち複数にチェックしてもらったらほぼ事実だということでした。事実関係には、全く白紙の状態から取材や調査をし、裁判も絡んでいますから特に厳しく留意しています。

驚いたことは幾つかありますが、その一つが、鈴木さんも「共同代表」に名を連ねる「のりこえねっと」、及びこれに群がる人たちがリンチの加害者を擁護し、この唾棄すべきリンチ事件の隠蔽工作、さらには被害者M君へのセカンド・リンチを積極的に行っていることでした。私(たち)に言わせたら「のりこえねっと」は「コリアNGOセンター」と同じく、リンチ事件隠蔽工作の〝特A級戦犯〟です。

「共同代表」の中で、事実上のトップといえる辛淑玉氏は、当初は被害者側に立ち、「これはまごうことなきリンチです」としてリンチ事件の真相究明と被害者M君への慰謝、問題の根本的解決を進めるかと思いきや、すぐに沈黙、昨年9月には逆に掌を返し、挙句には被害者M君が「裁判所の和解勧告を拒否」しているとまでウソの記述をして、あれだけ証拠が揃っていながら、深刻な事情があるのか、「リンチはなかった」という加害者側に寝返ってしまいました。

その3冊の本で集団リンチが確かにあったことが公にされ、佐高信氏ら他の「共同代表」の方々は、ひたすら沈黙です。普段歯切れの良い物言いで人気があり私もファンだった佐高氏でさえ黙殺されています。これも意外でした。中沢けい氏に至っては、電話でガチャ切りされ、ようやく直撃することができましたが、取材担当の若者を前にして、したたかにずるく交わしています(『人権と暴力の深層』参照)。人間として醜いです。

さらには、「共同代表」ではありませんが、「のりこえねっと」に巣食い「のりこえ」の名を冠したネット放送を頻繁に行う実質的中心メンバー、野間易通、安田浩一氏らは、被害者へのセカンド・リンチを執拗に行い続けています。

鈴木さんのサイト『鈴木邦男をぶっとばせ!』では、彼らと和気あいあいと写っている画像が頻繁にアップされています。今週号(6月26日更新)でも3枚の画像がアップされ、うち1枚は鈴木さんが発言されている場面、さらに1枚は辛淑玉氏とのツーショット──「共同代表」、普通考えれば、この会にそれ相当の立場があるわけですから、それも当然と言えば当然かもしれません。

とはいえ、一般にはさほど知名度がなくセカンド・リンチの旗振り役・金明秀(関西学院大学教授)氏の写真をアップされた(『鈴木邦男をぶっとばせ!!』6月12日号)のには驚きました。「松岡さんへの当てつけでしょう」と言う方もいますが、どうなのでしょうか? 金明秀氏がどういう言動を行っているかは、辛淑玉氏や「のりこえねっと」がリンチ事件隠蔽工作について、どう動き、どのような役割を果たしているかは、お送りしている3冊の本をご覧になれば分かるはずです。読み飛ばされましたか? 

しかし、鈴木さんには、佐高氏らのような対応をしてほしくはありませんし、そうした「のりこえねっと」の「共同代表」を務め、辛淑玉氏ら中心メンバーと昵懇であれば、M君リンチ事件や、この隠蔽工作について立場や意見などを明確にされるべきではないでしょうか。そう思いませんか?

鈴木さんは、かの野村秋介氏(故人)をして「人間のやることではない」と言わしめた、見澤知廉氏らが惹き起こしたリンチ・殺人事件を境に、言論に主たる活動の場を求め舵を転換されました。このリンチ・殺人事件は、鈴木さんにとって大きな衝撃だったことが、長い付き合いの私には判ります。僭越ながら、鈴木さんとの付き合いで、現一水会代表の木村三浩氏ら一部を除いて、30数年の長きにわたる人はさほど多くはないものと察します。特に出版関係者では……。こういう意味でも、鈴木さんとは全く付き合いのない、社外取材班メンバー「A生」とは、立場も思うところも異なります。

昨年来、私は鈴木さんに、リンチの加害者を擁護しこのリンチ事件隠蔽工作を行う辛淑玉氏ら「のりこえねっと」を採るか、被害者側に立ちリンチ事件の真相究明と被害者支援を行っている私や鹿砦社を採るか、選択を迫っています。回答がございません。鈴木さんほどのひとかどの方が、八方美人的に振る舞われることはやめたほうがいいいのではないでしょうか。思想界でも、社会的にも大きな存在となった鈴木さんは、その泰斗として、いいことはいい、悪いことは悪いとはっきり物言うべきです。それができなければ、厳しい言い方になりますが、「A生」が言うように「言論界からの引退」も考えられたほうがいいでしょう。

鈴木さんの日和見主義的態度に、ある読者は「手持ちの安田浩一氏、鈴木邦男氏の著作は全て処分することに決定しました」と言ってきました。リンチ加害者を擁護してやまない安田氏は当然として、鈴木さん、恥ずかしくありませんか?

鈴木さんは見澤知廉氏ら統一戦線義勇軍によるリンチ・殺人事件に直面し、運動内における暴力の問題に苦慮され、その結果として言論による活動にシフトされたと私は思ってきました。では、ふたたびリンチ事件に接し、この国屈指の思想家であり知識人であり社会運動家である鈴木さんは、どう振る舞われるのでしょうか?

先の「デジタル鹿砦社通信」で、このかん私と共に活動してきた「A生」は、私がいまだに「逡巡と苦悶」をしていることを感じ取り、ダイレクトな表現でネット上に明らかにしました。同じ取材班の田所敏夫は、私と鈴木さんほど長くはありませんが、辛淑玉氏との長い関係を清算し「決別状」を、この「デジタル鹿砦社通信」で明らかにしました(『反差別と暴力の正体』に再録)。

リンチ事件追及第三弾『人権と暴力の深層』で、私は、「鈴木邦男さんへの手紙」を書くつもりでしたが、「逡巡と苦悶」を繰り返し書けませんでした。いろんな意味で、やはりこのままではいけないと思い、気持ちを整理しつつ、こうして「鈴木さんへの手紙」を書き始めた次第です。私と鈴木さんとの関係を知る人はおそらく大なり小なり驚かれるでしょう。

人は、ここぞという時に、どう振る舞うかで、その人の人格なり人間性が現われるのではないでしょうか。とりわけ、知識人のレゾンデートル(存在理由)はそこにあると私は考えています。ふだん立派なことを言っていても、ここぞという時に日和見主義的態度をとったり、逃げたりするような人は、「知識人」としてのみならず人間としても失格です。私と知り合い、言論活動に舵を切られて以降、生来頭脳明晰な鈴木さんは、この国の言論界でも存在感を示すようになられました。知り合った頃の、言論界から異物、異端としか思われていなかった鈴木さんを知る私としては喜びにたえません。今、鈴木さんの発言は、この国の言論界でも受け入れられ、その優等生的な発言に面と向かって非難や罵倒をする人はいないでしょう。いまや一介の右翼活動家、右派系知識人ではなくなりました。

鈴木さん、リンチ直後の被害者M君の写真を見て、どう思われますか? 失礼な言い方になりますが、被害者M君は幸いにも死に至らなかったから、間違っても、見澤氏によるリンチ殺人よりはマシだなどとは思ってはおられないでしょうね? くだんのリンチ事件に接して、日頃「非暴力」とか「暴力はいけない」と言っている人たち(この代表は、「のりこえねっと」が支援している、「しばき隊」内の最過激派「男組」組長で暴力行為や傷害で前科3犯、そして昨年も沖縄で逮捕され公判中の高橋直輝こと添田充啓氏です)、とりわけ「カウンター」運動や「のりこえねっと」に関わる人たちがこぞって隠蔽に走ったり沈黙しています。著名な方々も少なくありません。なんのために知識を培ってきたのか、情けないことです。事実に真摯に向き合い自らのスタンスをはっきりさせるべきでしょう。

本来ならば、こういう時こそ鈴木さんの出番ではないでしょうか。私と知り合った直後に統一戦線義勇軍のリンチ・殺人事件に直面し、のた打ち回られたのではないですか。こういう経験を今こそ活かし、大学院生リンチ事件の内容を当初から知り隠蔽工作に走る辛淑玉氏ら「のりこえねっと」の「共同代表」の方々に厳しく進言し、逃げないで問題の本質的解決に汗を流すべきではないでしょうか。鈴木さん本当にこれでいいんですか!? 私の言っていることは間違っていますか?

長年、私には常に鈴木さんの<影>がありました。80年代からの私と鈴木さんとの付き合いの経緯を知らない香山リカ氏などちゃらちゃらした人たちが言う以上に、口では表現できないような、あまりにも濃密な関係があり、もし決別することになれば、大仰な言い方ですが、出版人としての私の30数年そのものを全否定することにもなりかねません。

しかし、人付き合いに不器用で、あちらにも良い顔、こちらにも良い顔ができない私は八方美人にはなれません。要領よく振る舞えず、どこにも良い顔はできません。

私ももうすぐ66歳、決して若くはありません。鈴木さんは70歳を越えられました。自らの心を押し殺し、なあなあで行くほうが簡単ですし、正直、この歳になって義絶したくはありませんが、頑固な鈴木さんは、「のりこえねっと」共同代表をお辞めになる気はなさそうですし、お考えを変えられそうもありませんので、義絶するのも致し方ないかもしれません。一方、私は、辛淑玉氏ら「のりこえねっと」界隈の人たちによるリンチ事件隠蔽に反対しこれを突き崩し、被害者M君へのセカンド・リンチから彼を守ることに尽力していく決意です。

「老兵は去るのみ」── 実は私は、昨年65歳になったところで、会社も再建し黒字体質になったことだし第一線から引退し、いわば「相談役」的な立場に退くつもりでした。これは周囲に公言していましたので覚えておられる方もいらっしゃるかと思います。しかし、その少し前にリンチ被害者のM君に出会い、この理不尽な事件の真相究明とM君支援に汗を流すことにし、引退を先延ばししました。

鈴木さん、厳しい言い方になりますが、いいことはいい、悪いことは悪いと言えなくなった鈴木さんは、「A生」が言うように「言論界からの引退」も考えられたほうがいいのではないでしょうか。私にしろ鈴木さんにしろ、けっして若くはありませんから、どこかの時点で、「老兵」は去らないといけません。「老兵」松岡は、早晩M君問題が解決したら、当初の予定通り第一線から退き、近い将来出版の世界から去るつもりです。鈴木さんはどうですか?

ここに至り私は、このM君リンチ事件の真相究明と被害者M君支援に、私自身の出版人生の総括を懸けて、この最後の仕事とするというぐらいの覚悟で臨んでいます。それはそうでしょう、目の前にリンチの被害者が現われ、誰にも相手にされず助けを求めてきたら、人間ならば手助けしようとするでしょう。そして、そのリンチ事件、及び以降の隠蔽工作やセカンド・リンチが理不尽なものであったら、歳とってフットワークが鈍くなったとはいえ、真相究明をしたくなるでしょう。そうではありませんか?

このリンチ事件は、人間としてのありようを問うものです。鈴木さん、これでいいんですか!? これを蔑ろにして、鈴木さんのみならず「人権」だとか「反差別」だとか口にする人を今後私は信じません。

鈴木さんとは生きる方向性が真逆になってしまいました。このまま鈴木さんが「のりこえねっと」や「しばき隊」、この界隈の人たちと関係を続けられるのであれば、残念ながら、私は静かに去るしかありません。ほとんど私のほうがご面倒をおかけしお世話になったと思います。長年のご交誼に感謝いたします。

この手紙も、そろそろお終いにしますが、鈴木さん、大学院生M君集団リンチを肯定し事件の存在を隠蔽しようとしている「のりこえねっと」や「しばき隊」と手を切ってください。そうでないと、鈴木さんもリンチ隠蔽やセカンド・リンチの<加害者>となり、せっかく日本を代表する思想家として名を成したのに晩節を汚すことになりますよ。鈴木さんには<偽善者>になってほしくありません。これが最後の忠告です。

蛇足ながら、「のりこえねっと」や「しばき隊」と特段に密接な関係のある香山リカ氏は、「デジタル鹿砦社通信」6月20日号の「鹿砦社特別取材班 A生」の個人的意見を即鹿砦社の見解と誤認し「A生」が「言論界からの『引退』を勧告する」のは「鈴木氏に御社(引用者注 鹿砦社)からのすべての出版物の版権引き上げをおすすめし、新たな版元の紹介や手続きなどすべて御社で行ったのち、が出版界の常識でしょう」と、ネットで話題になった「どこに(本を)送付したか、ちょっと書いてみては?」(そう言うから書いたら神原弁護士から内容証明が届きました)という挑発に続き、またまた〝挑発〟されていますが、出版界に30数年いる私にも、はたして香山氏の言うようなことが「出版界の常識」かどうかは判りません。ここは香山氏の〝挑発〟に乗って申し上げますが、鈴木さん、どうされますか? 鈴木さんが「版権引き上げ」や絶版を希望されるのなら、それもよし、私に異存はございません(もし鈴木さんが版権引き上げや絶版を希望される場合、香山氏が言うように「新たな版元の紹介や手続きなどすべて」をやるのが前か後かは別として事務処理はきちんと行わせていただく所存です)。

長い手紙になりました。これでも自分では整理して書き連ねたつもりですが、感情が入り乱れている箇所や、内容が繰り返されている箇所もあるやもしれません。30数年の重みは、思った以上に肩にのしかかり堪えるものです。

いろんなことが過りました。時に感傷的にもなりました。鈴木さんとリンチ事件に対する構え方や目指す方向性が決定的に違ってしまいました。私はあくまでもリンチ事件の真相究明と被害者M君支援を継続しますが、鈴木さんは、そうした私(たち)と対立する「のりこえねっと」共同代表を継続されるようですから、やむをえません、喧嘩別れではありませんが、ここは袂を分かち、各々信じる道を進みましょう。

鹿砦社代表 松岡利康

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《鳥取不審死・闇の奥03》 様々な点が酷似していた2つの殺人事件

6月29日、最高裁で上田美由紀被告(43)に対する上告審の弁論が開かれる鳥取連続不審死事件。前回は、上田被告が2009年4月、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬を飲ませ、海に誘導して溺死させたとされている通称「北栄町」事件について、上田被告と矢部さんの事件当日の足取りをたどったうえで、上田被告の無実の訴えが荒唐無稽だったことを伝えた。

今回は、同年10月に上田被告が電化製品の代金約53万円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を殺害したとされている通称「摩尼川事件」について、一、二審判決をもとに上田被告と圓山さんの事件当日の足取りをたどり、事件の真相を検証する。

◆2人目の被害者も1人目と同じ死に方

鳥取市を流れる摩尼川の上流で、圓山さんが遺体で見つかったのは2009年10月7日の午後2時半過ぎだった。発見者は圓山さんの知人で、遺体はえん堤付近の河川内でうつ伏せの状態で浮いていた。圓山さんは前日の午前8時頃に家を出かけたまま、行方不明になっていた。

解剖の結果、圓山さんの死因は溺死と判断されたが、矢部さんと同じく圓山さんも体内から睡眠薬や抗精神病薬の成分が検出された。一方で、体内からアルコールは検出されず、疾病も確認されず、頭部などに損傷もほとんど認められないことなどから圓山さんが誤って川に転落したとは考え難かった。さらに現場の水深は30センチから80センチ程度であるにも関わらず、圓山さんの手の平などには傷がなく、溺れた際に危険回避行動をとっていなかったと推定された。

つまり、海と川の違いこそあるが、圓山さんも矢部さん同様、何者かに睡眠薬を飲まされたうえ、水の中に誘導されて溺死させられたことを示す事実が揃っていたわけである。そして2つの事件の共通点はそれだけではない。事件当日に上田被告と被害者がたどった足取りも2つの事件は酷似しているのである。

圓山さんの溺死体が見つかった摩尼川のえん堤付近

◆いずれの被害者とも事件当日に行動を共にした被告

圓山さんと内縁関係にあった女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝に上田被告から電話があったことについて、「(電化製品の)代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。そして事件当日の午前8時8分、圓山さんは上田被告から電話をうけ、女性に「集金に行く」と言い、朝食を食べずに慌てた様子で出かけたという。その約20分後の午前8時30分頃、圓山さんは営んでいた電化製品販売業の事務所前で上田被告と合流し、自分の車に乗せている――。

つまり、2つの殺人事件の当日、いずれも上田被告は被害者と朝から会っているわけだ。

さらに言うと、実は裁判では、上田被告がこの日、圓山さんに会う前に知人の運転する車でファミリーマート鳥取丸山店に赴き、麦茶など4点を購入していることも明らかになっている。矢部さんが殺害された事件当日も上田被告は矢部さんに会う前、このファミリーマート鳥取丸山店で飲み物などを買っていた。2つの殺人事件の当日に上田被告がとった行動はこんなところまで共通しているわけである。

そして上田被告は圓山さんと合流後、喫茶店に立ち寄ってモーニングを食べ、圓山さんの運転する車でいったん岩戸港という港に赴いている。それ以降の行動については、色々争いがあるが、上田被告と圓山さんが摩尼川の殺害現場近辺まで車で赴いていることは間違いない。

そしてこの日の朝、上田被告と会ったのちに殺害現場のほうに向かい、行方が途絶えた圓山さんは、翌日、摩尼川で睡眠薬を飲まされた溺死体となって発見されている。4月に矢部さんが亡くなった時とまったく同じようなことが再び起きたわけである。この事実経過を見ただけでも、上田被告が圓山さんを殺害したのだと確信する人は少なくないだろう。

◆被告の弁明内容も2つの事件は酷似

そんな状況でもなお、上田被告は圓山さん殺害の容疑についても無実を訴えているのだが、実は上田被告の弁明の内容も2つの殺人事件は酷似している。上田被告は裁判において、矢部さんの事件に関して主張したのと同様、圓山さんの殺害についても同居していた男性A氏が犯人であるかのようなことをとうとうと語っているのである。

次回は、その上田被告の弁明内容をみていこう。

(次回につづく)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)