2019年の死刑確定は順当なら3人、そして新元号での最初の死刑確定者は……

私は現在、様々な死刑事件を継続的に取材している。そこで、新年早々暗くて申し訳ないが、今年新たに死刑が確定しそうな事件を予想させてもらおう。

結論から言うと、今年は3人の被告人が新たに死刑確定者となりそうだ。

最高裁。1月22日に西口の弁論がある

◆「平成最後の死刑確定者」は西口宗宏か

まず1人目は、堺市資産家連続殺人事件の西口宗宏(57)だ。

西口は2011年11月、歯科医夫人(当時67)を殺害し、現金約31万円やキャッシュカードなどを強奪。死体は山林でドラム缶に入れて焼却した。さらに同12月、知人である象印マホービン元副社長の男性(当時84)の自宅に押し入り、男性を殺害したうえ、現金約80万円やクレジットカードなどを奪った。殺害方法は、いずれも顔にラップを巻き、窒息死させるというもので、残酷極まりなかった。

そんな西口は第一審で死刑判決を受け、すでに控訴も棄却されている。現在は最高裁に上告中だが、最高裁は1月22日、弁護側、検察官の意見を聴く弁論を開くことになっており、これで審理が終結する見通しだ。最高裁は通常、審理終結から1カ月前後で判決を出すので、おそらく西口は2月か3月に上告が棄却され、死刑が確定するだろう。

ちなみに、最高裁は通常、書面のみで審理を行うが、死刑事件については、審理を終結する前に弁護側、検察側双方の意見を聴く弁論を開くのを慣例としている。現在、死刑判決を受けて最高裁に上告中の被告人は西口以外に4人いるが、この4人はまだ誰も弁論の期日が指定されていないので、西口は「平成最後の死刑確定者」となる公算が大きい。


◎[参考動画](大阪)「遺体をドラム缶で燃やした」堺市女性不明 2011/12/17(田中五郎 2012/02/0公開)

◆西口に次ぐ死刑確定者候補は2人

西口に続いて死刑が確定しそうなのは、山口5人殺人放火事件の保見光成(68)だ。

2013年に山口県周南市の山あいの集落で住民5人が木の棒で撲殺された事件で、殺人罪などに問われた保見は、第一審で死刑判決、控訴審で控訴棄却の判決を受け、西口同様、最高裁に上告中だ。まだ最高裁は弁論の期日を指定していないが、保見は控訴審で控訴棄却の判決を宣告されたのが西口より1日早く(西口の控訴棄却は2016年9月14日、保見の控訴棄却は同13日)、西口と比べて審理の進行がそんなに大きく遅れるとは考えにくい。

当欄の2016年9月14日付けの記事で紹介した通り、保見は深刻な妄想性障害を患い、荒唐無稽な冤罪主張を繰り広げているため、そのことが最高裁での審理をややこしくさせているのかもしれない。だが、最高裁の判決が来年以降に持ち越されることは無いだろう。


◎[参考動画]凶器同一か、全員の身元も判明 山口・周南の5人連続殺人放火事件(最新ニュース 2013/08/11公開)

名古屋拘置所。現在、堀が勾留されている

そして今年3人目の死刑確定者となりそうなのは、名古屋闇サイト事件の犯人グループの1人、堀慶末(43)だ。

堀は2007年、闇サイトで知り合った他2人の男と共謀のうえ、会社員の女性を殺害し、金を奪うなどし、第一審で死刑判決を受けた。控訴審で無期懲役に減刑され、命拾いをしたものの、その後、パチンコ店責任者の夫婦を殺害し、現金を奪っていた余罪が発覚した。そして第一審で死刑判決を受け、今度は控訴も棄却され、現在は最高裁に上告中である。

控訴が棄却されたのは2016年11月18日だから、西口や保見より控訴棄却は2カ月遅い。現時点でまだ弁論の期日が指定されていないので、1月22日に弁論が指定されている西口より先に死刑が確定することはないだろうが、保見のことは追い抜いてもおかしくない。


◎[参考動画]闇サイト殺人事件の遺族が講演「何度思い出しても苦しい」(サンテレビ 2018/11/25公開)

つまり、この堀か、保見が新しい元号のもとでの初の死刑確定者となる公算が大きい。

堀の次に死刑が確定しそうなのは、順当なら前橋連続強盗殺人事件の土屋和也(30)だが、控訴棄却されたのは2018年2月14日で、堀や保見より1年以上も遅い。今年中に死刑が確定することはまず無いだろう。

もっとも、死刑事件は通常、被告人が最高裁まで裁判を続けるが、たまに第一審で死刑判決を受け、その時点で裁判を終わらせる被告人もいる。そういう被告人が今年中に現れないとも限らないので、そうなった場合、私の予想は外れることになる。


◎[参考動画]東海テレビ開局60周年記念ドキュメンタリードラマ「Home ~闇サイト事件・娘の贈りもの~」(tokaitvbroadcasting 2018/12/11公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2019年 われわれの「ファンダメンタル宣言」

すべてのデジタル鹿砦社通信愛読者の皆さん! あるいはたまたま本通信をきょうご覧になった方々! 2019年を迎え、愛読者の皆さんのご多幸をご健勝を祈念するとともに、年始にわたり、そして鹿砦社創業50周年の記念すべきこの年の冒頭に、われわれは,“われわれのファンダメンタル(原理主義)宣言”をここに発するものである。

 
好評発売中! 板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

1969年、世界中にベトナム反戦運動は吹き荒れ、70年安保を控え、国内でも学生・労働者の運動が活発化したその時に鹿砦社は産声をあげた。昨年、板坂剛氏が上梓した『思い出そう!一九六八年を!!』が注目を浴びている。1968(あるいは1967)年から1970年までの数年間は、文字通り世界が揺れ動いた数年間であった。われわれの多くは当時、生は受けていたものの自我を獲得する年齢には至っておらず、「あの数年間」の雰囲気は伝聞や記録でしか知らない。

しかし、そんなわれわれにも、時代が(「若者たちが」と言い換えてもいいだろう)根底から価値観や、存在自体を問わざるを得なかった、地響きのような重低音は残響となって聞こえてくるのだ。われわれにとって1967、1968のエッセンスとはそのようなものであり、当時はそのようなことを言葉で確認する必要などこにもなかったのだ。

では、1967、1968そして1969のエッセンスとは何か。これについてはすでに様々な書籍や論文が世界各国で論じられているので、われわれごときがその論争に加わる、身の程知らずは辞退する。しかしながら、爾来50年にわたり紆余曲折の中読者に支えられ存続した鹿砦社のスピンオフである「デジタル鹿砦社通信」は、ここに改めてわれわれの原点を確認すべく“われわれのファンダメンタル(原理主義)宣言”を発する。

1.われわれは、あらゆる権力・権威から独立し、それらを批判する立場を基礎とし活動する。権力とは政治権力だけではなく、司法権力、行政権力、マスコミ、民間の既得権益なども例外ではない。

2.われわれは、あらゆる差別に反対する。人種、国籍、性別、出自、思想信条、貧富は言うに及ばず、「いわれのない差別」といった不十分な表現(「いわれのない差別」は「いわれ(原因)のある差別」を肯定する余白を残した表現である)へも疑問の目を向ける。

海外から低賃金で使い捨てにできる、単純労働者の受け入れを行う4月からの改正入管法施行には断じて反対する。反差別の立場からは、新たな「奴隷制度」を認めることなど断じてできない。

3. 同時にわれわれはあらゆる「表現規制」にも反対する。差別言辞には現行法で対応すればよい。一部勢力が画策する「差別禁止法」などは、耳触りは良さそうだが、内面の自由を侵害する危惧が大いに懸念される。

その類例は、しばき隊が「敵勢人物」と烙印を押したら途端に「レイシスト」認定される現状がすでに示している。この判断を権力にゆだねたらどのようなことが起こるのか。権力にとって不都合な言論が狩られることは明らかだ。

4.いまだに「原子力非常事態宣言」下に暮らすわれわれは、福島第一原発事故とその被害者の方々を忘れることなく、明白すぎる選択として、脱・反原発の速やかな実現に全力を傾注する。

トルコと英国への原発売込みが、採算が合わないことにより断念された。日立や三菱だではなく、世界中で原発はコストに合わないことが証明され、認知が広まっている。それ以前に事故を起こさなくとも、周辺住民に重大な健康被害を与え、廃棄物を100万年も管理しなければならない、人工物など、自然の倫理の観点からも許されるのではないことは明らかである。世界で初の原発4機爆発という、大惨事を経験した国として、また第二次大戦では広島・長崎に原爆投下を受けた国として、脱・反原発を実行するのは義務ともいえよう。

5.国政が停滞している。正確には自公に維新が癒着した巨大な極右勢力が盤石な与党を形成している。その元凶は小選挙区制である。「政権交代可能な制度」・「中選挙区制は金がかかりすぎる」との掛け声で小選挙区制が導入されたが、この制度ではさして主張の異ならない2大政党の存在を前提としている。その前提がまず全く妥当性を欠くのだ。

求められるのは、現極右政権に、真正面から反対・対立する野党の存在である。残念ながらそのような野党は現国会の中には見当たらない。「野党共闘」をいくら進めても無駄である。そもそも民主党が崩壊して出来上がった立憲民主党ほかの、泡沫野党は、いずれも「保守」を自認しているではないか。保守政党は自民党で十分なのだ。「保守」を名乗るのであれば、自民党に入党せよ。

必要とされているのは「保守」に対する「革新」諸政策を明確に掲げる政党の誕生である。その政策は、(1)護憲、(2)消費税の廃止と所得税累進税率の上昇(金持ちから多く所得税をとる)、(3)小選挙区制の廃止、中選挙区制の復活、(4)原発の即時廃止、(5)日米安保の破棄、(6)東京五輪、大阪万博の返上、(7)リニアモーターカー建設の中止、(8)カジノ法廃案、(9)集団的自衛権を認める「安保法制」の廃止などが基本政策に掲げられるべきだ。

6.そして、われわれは上記のような野党の誕生があろうがなかろうが、上記(1)から(9)の主張を展開する。ことしはこの国だけで通用する時間軸(元号と呼ぶらしい)が変わるとしだが、どうしてその代替わり儀式がメーデーに行われるのか。現憲法はそのような矛盾を包含してはいるが、巨大与党が目論む改憲は、さらなる反動的内容に満ちているのであり、差し当り前向きではないが、現憲法の精華である前文と9条を死守するために、「護憲ファンダメンタリズム」を提唱する。

われわれは、あらためて今日的問題の原点に回帰し上記の原則を維持発展しながら、言論戦線の先頭に立ち闘うことを宣言する!

2019年1月2日  
デジタル鹿砦社通信編集部  

 
 

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《2018年回顧》濁流の中で立ち止まり、濁流の川上を眺めてみる

毎年、大晦日にはその年を回顧して、偏狭ながらわたしなりの総括を行う。ここ数年定例行事になっている。貴重な機会を頂いている光栄に、まず感謝せねばらならない。今年、この原稿は12月の中旬には骨子を完成しておくつもりであった。しかし、なかなか頭の中で〈核〉を見つけることができぬまま、あっというまに年末を迎えてしまった。

つまり、容易に総括が可能な1年ではなかったというのが結論だ。言い訳のようであるが、国内・国際ニュースから鹿砦社がかかわった諸事件やイベント、さらにはわたし個人が直面した出来事までをひとまとまりにして論じることが、ますます困難になってきている。

◆日替わりで登場する「姑息」な連中の跳梁跋扈は例年通りだが、
 どうしてここまで見え透いた、悪辣な嘘を平然と口にできるのか?

小情況に見受けられる、人間の「姑息さ」(狡さ)と、逆に「偉大さ」は相も変わらずである。どうしてここまで見え透いた、悪辣な嘘を平然と口にできるのか、と日替わりで登場する「姑息」な連中の跳梁跋扈は例年通りだ。見えやすいところでは、安倍晋三をはじめとする政権中枢に巣くう政治家どものレベルの低さと悪辣さは、昨年とさして比がない(ということは毎年この国の政治には欺瞞と虚構が堆積され、そこに『利息』としての副作用も上積みされている)。

あえて指摘すれば首相や大臣が明らかな虚偽発言や政治資金に関する不正に手を染めても、辞任や解任をされることがほぼなくなった事実は、特筆されるべきだろう。その背景には迫力の欠如が著しい、野党の体たらくと、権力監視機能をみずから放棄したマスコミの大罪。そして議会制民主主義の制度疲労(小選挙区制の弊害)及び、国民の決定的な政治・社会問題への無関心(その誘因たる、「政治無関心大衆」を作り出そうとした、教育行政、労働行政、マスコミ、腐敗した労組などが設定した「目標の結実」)も度外視はできない。そんな中、今年15名の死刑が執行された、冷厳な事実は忘れられてはならない。

◆末期資本主義に最も相応しい人物 ── ドナルド・トランプと安倍晋三

世界は、有り体な「力学」や政治学では説明がつかない時代に突入したようだ。トランプという大富豪が大統領に就任して、米国の政策立案プロセスは(それに対する評価は別にして)大きな変化を余儀なくされた。長官の去就が相次ぎ名前を覚えるのにも苦労するほどだ。ある意味では末期資本主義(新自由主義や新保守主義とも呼ばれる)に最も相応しい人物が、米国大統領として、米国の利益を口にしながら、その実、企業利益を最も重視して、朝令暮改を繰り返していると見るのが妥当かもしれない(そのような人物評価は安倍晋三にも当てはまるだろう)。

朝鮮の金正恩と急接近したのも、旧来の外交ダイナミクスからは想定され得るアクションではなかった。朝鮮半島の和平などトランプの主眼にはなかろう。どうすれば遅滞なく大企業、なかんずく多国籍企業の収益が最大化できるか。その為に中国が近く直面する国内の大混乱を予見できる人間であれば、朝鮮半島に担保を築いておくことは誰でも思いつくことだろう。

◆中国の矛盾と理性ある欧州という幻想

貧困層までスマートフォン決済が行き渡った中国は、経済的にゆるぎない大国にはなったが、この国では法律が機能しているとは言い難い面を持つ。力ずく、数の勢いで抑え込んでいる貧困問題、わけても農村の疲弊や、民族問題(チベット・ウイグル・内モンゴル)は、沿岸部の富裕層がいかに増えようとも、そんなところに処方箋はない。貧困層でもスマートフォンを持っているのは、中国では政変を多数経験した歴史から、通貨への信頼が薄いのと、国家が国民を管理する手っ取り早い手段である2つの理由からだろう。

間もなく頭打ちになる中国経済が、下降線をたどり始めたら、途端に国内矛盾は爆発するだろう。同国にあっては、この島国のように国民の意思や感情は骨抜きにされ、悪政に不感症ではない。世界はそのことを知っている。

欧州があたかも人類の先進的な理性を持つかのように語るひとびとが多いが、私は違和感を持つ。たしかに歴史的な蓄積により人権意識や、民主主義の概念を強く意識する人々が多いのは事実だろう。しかし、国家とはつまるところ暴力の独占体である。EUから英国が離脱するのは、「国家が国家たり得なければ納得しない」本質の現れであり、国境に出入国管理所を置かないEU諸国にしたところで、国家が包含する本質的な暴力性や、矛盾から自由ではありえないのだ。その証拠に世界の人権大国のように称されるドイツにも2011年まで徴兵制が存在したし、ドイツは現在もNATOに加盟しシリアへの派兵も行っている事実を示すことができる。

世界中のひとびとが、毎日何時間もスマートフォンの液晶を指で撫でる行為によって標準化されたように見える。情報処理速度が向上することへの無警戒さと、通信速度の高速化は、人間から思考・感情・体感を奪う。その成果(弊害)をもう十分すぎるほどわたしたちは目にしている。

◆2019年、あらゆる確かさはますます揺らぐ

2019年、あらゆる確かさはますます揺らぐ。不安定さは膨大な不毛な情報と、これまた不毛な各種イベントで隠し通うそうとされるだろう。

だが抵抗の手段はある。

超高速情報があふれるかのように誤解される日常にあって、立ち止まり、一人になってみるのだ。幻想としての濁流の中で立ち止まり、情報の濁流の川上を眺めてみるのだ。きっと思いがけない何かが見つかるに違いない。散々な時代だ。散々な2018年だった。希望や期待は語るまい。だが断言しよう。可能性はあると。

本年もデジタル鹿砦社通信をご愛読いただきまして誠にありがとうございました。来るべき年が、皆様に幸多き年でありますように祈念いたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

老いの風景〈11〉どうすれば、機嫌よく着替えをさせられるか

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

前回は、大晦日の晩に我が家でお風呂に入った時、長らく着替えをしていなかったことに、私が初めて気が付いたお話をしました。あれは私にとって、大変ショッキングで、母に対する申し訳なさと、自分に対する責任を痛感した出来事でした。今回は、その後のお話です。

認知症の診断を受けて数カ月、私なりに気にかけていたつもりでした。「着替えた?」、「はい」とか、「今日はお天気がいいけど、お洗濯した?」、「はい、洗濯は洗濯機がしてくれるんだもの」というやり取りを、毎日のようにしていました。「なっちゃんに着替えなさいと言われたから、今着替えたわ」(その時はそんなことを言っていないのに)と電話をしてきたこともありました。民江さんが夢か幻覚を見るほど「着替えの鬼」と化していた私です。が、実際は洗濯も着替えもしていなかったことが、大晦日に判明したわけです。本人に悪意はなくとも、言っていることが事実ではないことがあるのですね。私は早急に手段を考えなくてはいけませんでした。

さて、どうやって着替えをさせようか。ヘルパーさんを家に入れることは、断固拒否しています。デイサービスでお風呂に入れてもらう時に着替えればいい? いいえ、デイサービスにその着替えを持って行く準備ができません。デイサービスに私が一週間分届ければいい? いいえ、週に4日もデイサービスを利用しているのに、上から下まで何セットも準備して、私が必ずお届と回収をするなんて、続けられる自信がありません。

ならば妥協するしかありません。デイサービスのお風呂上りに最小限だけを替えることにしました。肌シャツとパンツとパッドだけを小さなビニール袋に入れて、十数セット準備し、専用の箱を作り、入れておくようにしました。民江さんには、タオルとその肌着セットを毎回忘れず鞄に入れることだけ、これだけを繰り返し伝えました。デイサービスのスタッフさんにも説明をして、お風呂を出たら着替えを促していただくようにお願いをしました。

やれやれ、なんとか成功しました! 持ち帰った肌着を入れるカゴも準備したのですが、カゴはいつも空っぽです。せめて一か所に干してほしいと貼り紙をしましたが、部屋のあちらこちらに干してあったり、引き出しにしまってあったり、と様々です。汚れた時には、バケツの中に浸しておいて欲しいと言いましたが、それも無理でした。それでも、よかった。清潔な肌着を身に着けてもらうことができるようになりました。

そして私は、それらの回収交換とその他の着替え、洗濯、掃除、布団干し、買い物、ゴミ出しの確認、薬の確認、デイサービスからの連絡や郵便物の確認など、身の回りの全てを助けるため、毎週日曜に通わざるを得なくなりました。やってあげたいことは、たくさんありました。

 

でも毎週日曜の訪問は結構大変です。持ち帰る洗濯物はかなりの量ですし、それらを洗濯して、物によってはアイロンをかけ、着替えのセットを作り、ストックがなくならないうちにまた持って行かなくてはいけません。行く度に家の中はグチャグチャでげんなりします。あまりのわがままな態度に頭にくることもしばしばです。平日も通院や突発的なことで行かなくてはなりません。私の生活もあります。自力で歩き、食べ、排泄することができる軽度の認知症なのに、生活のお世話がここまで大変だとは……実際に経験して初めてわかりました。

病院診察の時、介護認定の聞き取り調査の時、福祉の窓口へ相談に行った時、グループホームへ見学に行った時など、「いま娘さんが一番困っていることは何ですか?」と聞かれ、私は必ず「自分で着替えができないことです」と答えています。たいしたことではないと思われるかもしれません(私のきょうだいですらあまり深刻に捉えていないようです)が、実際に身の回りのお世話をしている私にとっては、これはかなり切実な問題です。そして、もっと重い認知症の方の介護を続けていらっしゃるご家族を心から尊敬します。

私は、同居ができないことに負い目を感じています。でも、その代りに、「このマンションは眺めが良くて、日の出も見えるし、夕焼けも奇麗だし、夏の打ち上げ花火も見えるし、駅までも近いし、とってもいいわ」と言っていた民江さんの昔の顔を思い出して、お手伝いを続けています。少しでも長くここに住めますように。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
月刊『紙の爆弾』2019年1月号!玉城デニー沖縄県知事訪米取材ほか

私の内なるタイとムエタイ〈50〉タイで三日坊主!Part.42 ネイトさんと再会!

我が寺での比丘仲間の撮影定位置でネイトさんを撮る

◆還俗の準備!

寺の隣にバスターミナルが出来てから、若いカップルが寺の境内に入って来ること多くなった。「なんと羨ましい、この野郎!」と心の中で叫ぶ。

托鉢中、日本の阪神淡路大震災のことを聞いてくる信者さんがいた。藤川さんからニュースを聞く度に死傷者が増えていた。「被害が酷いからアメリカのクリントンが日本に援助すると言うと、タイ政府も援助すると言うとる」らしい。そんな又聞き情報を教えてあげた。

還俗5日前、還俗式で着る白いシャツはどこに売っているかサンくんに聞くと、「一緒に買いに行こうか」と言われて、二人でトゥクトゥクに乗って“銀座”に向かうと、市場のようなゴチャゴチャした衣料品店に連れて行って貰い、肩幅を見比べて肩に白Yシャツを当てるサンくん。黄衣の上からYシャツ当てても良いのかいな。
お店の人もせっせと選んでくれて、一回しか着ないだろうが、生まれ変わる儀式として必要だから1着買っておく。パーソンナームと言われる水浴び用腰巻も必要らしく、これも買っておく。

私は写真屋や郵便局に寄るので、サンくんには「先に帰っていいよ」と言うも、サンくんは付いて来たが、やっぱり面倒そうになって「先に帰るわ!」と一人で帰って行った。

煩わしい想いをさせて悪いし、「付き合ってくれて有難う」と感謝を言う。歳は離れているが言葉の優しい奴で、寺では心理的にかなり助けてくれた奴だった。

私の部屋での一枚

◆着いていきなりトークショー!

1月22日、朝食後、アムヌアイさんに本堂の掃除を頼まれた。何かあるのかと思ったら、頭剃った若い子が歩いているのが見えた。そうか出家者(少年僧)の得度式だ。また新しく入って来るのだ。

そんな朝方、藤川さんが部屋から呼ぶ。すると、そこにネイトさんが立っていた。夜行バスでようやくノンカイからやって来たのだ。

ブリキのオモチャ型のエアコン無しの、シートは硬くて窮屈で暑くて煩くて停車場の多い、その度に物売りが乗って来て「カオニアオ(もち米)だ、ガイヤーン(焼き鳥)だ、コーラだ」と要らねえのにしつこい売り子の声掛けが続く、あの安い運賃のバスだ。乗り心地悪いが、比丘は基本タダである。

このバスはこの寺の脇のバスターミナルに停まるので、迷わずウチの寺に入って来られる。再会を喜び、バスでは全然眠れなかった話を聞いているとまたすぐ、藤川さんに呼ばれ、扉が開いた部屋の藤川さんの声が遠くまで響く。寛ぐどころではない。また始まったのだ、止まらぬ“トークショー”が。

私は掃除を再開。ここを抜けたが、1時間ぐらいして藤川さんの部屋に行ってみると、相変わらずトークショーは続いていた。9時過ぎに着いて、もう10時を回った頃。

私は、「ネイトさん、疲れているでしょ、こっちで少し寝たら?」と声かけるが、藤川さんは「人は寝んでも寝るときにはしっかり寝とる。たとえ3時間でも熟睡すれば大丈夫や!」と言うなり、「それでな……」と話も戻して続いていく。“もうどうにも止まらない♪”である。

昼食はノンカイ以来の同じ輪に加わるとは成らず、ネイトさんは藤川さんらの輪に引っ張られた。それは仕方無いが、同じ比丘のチャーンカーオ(食事)の壇上に居られるのは確かなところだった。和尚さんも国際色豊かになってニコニコ顔。いつも以上に踏ん反り返った田舎者丸出しの満面の笑み。

昼食が終わっても更に藤川さんのトークショーは続く。

この相手の都合を考えない、喋りだしたら止まらない人間の思考回路はどうなっているのか。これで2度目の憤りである。時折、副住職のヨーンさんやアムヌアイさんも呼ばれて日本・タイ・アメリカの賑やかな国際討論会の雰囲気を醸し出していた。

ネイトさんが乗って来たバスはこのタイプ、近場地域間ではリクライニングシートは無い
部屋を出入り等、不意討ちに撮るのが私の趣味

◆藤川さんの次なる計画!

夕方に差し掛かった15時30分頃、まだ藤川ジジィの話し声が聞こえる。藤川ジジィに聞こえるようにネイトさんに「寝なかったの?」と聞くと、「ハイ……!」と疲れた様子で応える。

私は暫く庭先を掃いていると、やがてネイトさんが現れた。ようやく解放されたか、藤川ジジィは日課のトイレ掃除に掛かったようだった。
ところが浮かない顔をしているネイトさん。

この寺に来た目的は、2月に藤川さんとコーンケーン(ノンカイから南に150km)に行き、その後、3週間の予定でカンボジアに行くこと。その為、明後日にバンコクへビザ申請に行く為だった。更にいずれはミャンマーに行く計画を立てているようだった。

ネイトさんは藤川さんに頼まれて、流暢なタイ語での、ウチの和尚さんに旅の許可をお願いに行ったところ、初めはニコニコしていたが、次第に表情が険しくなり、
「遊びに行きたければ還俗してどこにでも行け!」と怒り露わに言われたらしい。ネイトさんに対する怒りではないが、来た早々、嫌な役を任されてしまったネイトさん。

困り顔のネイトさんに、私は「還俗したら、ノンカイでもう一度出家してみたいんだ」と言うと、「えっ、本当ですか? ぜひ来てください」と笑顔に変わる。

しかし、ネイトさんの予定ではカンボジア関連がかなりの日数を要するので、ノンカイでは擦れ違いとなる可能性が高い。それは後々考えるとして、ネイトさんと新しく出家したネーンと3人で庭掃除をした。ネーンもやること分からないから真似してきたか。

◆寛ぎの時間に

夜はネイトさんが私の部屋に来て、久々に一緒にミロを飲んで寛いだ。私の得度式やカティン祭の写真を見せたが、ネイトさんの得度式の写真もノンカイの寺に送っているが、それは一切届いていないということだった。ネイトさんは御自身の得度式の写真をまだ見ていないのだ。また改めてプリントして手渡ししてあげよう。ネイトさんは藤川さんとカンボジアに行くが、和尚さんの許可得ずに行くつもりだろうか。

大雑把ながら過去に聞いた藤川さんの旅に出る拘りを、多分まだ知らないであろうネイトさんに話してみた。

藤川さんは、一時僧時代のスパンブリーの寺に居た時、日々何をすればいいか分からなくなった時、そこの和尚さんに尋ねると、「比丘としてお前のやりたいことをやりなさい」と言われ、「じゃあ、巡礼に出ます」と応え、そこから長旅に出たと言う。

旅先では各地の歴史や文化、人々の暮らしを比丘視線で目の当たりに感じることが出来、修行寺や学問寺の様子、エイズ患者を介護する寺、不憫な環境の小学校など、報道と違う現実、まだ知らされない現実があったのだった。

更にかつてインド・ミャンマー国境辺りで見てしまった、インパール作戦の失敗で倒れていった日本兵の遺骨。これに心打たれ、弔ってやらねばと心に誓った想いの裏には、幼い頃から戦争の爪痕残る環境を見て来た人生、今ある平和はこの日本兵らの犠牲の上に成り立っていると自覚している藤川さんは、好景気バブル時代まで、好き勝手過ごした人生を反省し、生涯仏門で過ごす決意をする理由のひとつだったと言う。

新たな探究心を持って旅に出る。それを私に見せたい当初の計画があったのだろうが、ウチの和尚の頑なに許可しない方針で、それは叶わぬ旅だった。

私は藤川さんとラオスまでの旅だけだったが、ネイトさんはどれだけ旅が出来るだろう。藤川さんとの旅だけでなく、一人旅の方が遥かに根性要る冒険となるだろうが頑張って貰いたいとネイトさんに促す。

ネイトさんは夜9時に藤川さんの部屋に戻って行ったが、何時に寝かせて貰えるやら。

じゃあまた明日の托鉢で!

ネイトさんを迎え、ミロを飲みながら談笑した夜

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2019年1月号!玉城デニー沖縄県知事訪米取材ほか
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

「原発いらない福島の女たち」黒田節子さんが綴る『ふくしまカレンダー』6年6作の軌跡〈2〉

 
2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』価格1000円(税込)連絡先 090-9424-7478(黒田)

福島第一原発事故で故郷を根こそぎ奪われた女性たちの有志グループ「原発いらない福島の女たち」は、3・11以後の脱原発運動で大きなうねりをつくってきた。その一人である黒田節子さんが中心となって2013年から毎年「ふくしまカレンダー」(梨の木舎)を制作発行している。最新の2019年版カレンダーの紹介と共に、これまでの6年6作の軌跡を黒田さんに4回に分けて回思回想していただいた。今回はその第2回。

◆2017年版の思い出 ── 未来をあきらめるわけにはいきません

~以下、2017年版チラシから一部コピーを紹介。

……2011年3月11日の震災と福島原発事故は、私たちの暮らし、人生を一瞬のうちに変えてしまいました。5年半がたち、被害はさらに広がっています。溶け落ちたままの核燃料、海へ流される汚染水。高線量被ばくのリスクを抱えながら働く作業員の方々。子どもの甲状腺がんなど増える健康被害。除染、強いられる帰還、焼却炉問題、核汚染物の中間貯蔵地…。これらの問題はますます深刻になっています。清明で豊かだった風土は変容し、農林業の原発賠償や避難者への支援は打ち切られようとしています。  

さらに、熊本大地震や各地の火山・地震活動活発化など自然界の警告も無視して、昨年の鹿児島県川内原発に引き続き、2016年1月福井県高浜原発、8月愛媛県伊方原発が再稼働されてしまいました。

しかし、未来をあきらめるわけにはいきません。真実を伝え続けるために、自分たちで撮った写真で今年もまたカレンダーを作りました。収益は「女たち」のさまざまな活動、フクシマを伝えに行くための交通費や集会・学習会費用などに役立てられています。さらに広めていただければ嬉しいです。どうぞこれからも福島に心を寄せ続けてくださいますように。                     

◆脱原発への思いを込めて、元気にカレンダーを作り続けたい

 
フレコンバック(2017年版カレンダーより)

手前味噌が続いたが、どうかご容赦を。確かに年毎に写真巧くなっているね、とほめ言葉もいただく。素直にうれしく思う。しかし、私たちが最も心に響くのは、支払い用紙(郵便振替伝票)のメモ欄に書いてあるこんなひとことだ。

「他には何もできないでいるけど、せめてこの1冊を買うことで福島を支援したいと思っているのです」「福島の女たちの笑顔にかえって励まされている」etc。全国の皆さんに感謝感謝です。

そもそものカレンダー作成の目的について振り返ってみたい。イギリス映画に触発されたのは、活動資金を得るというのが動機の1つだったことはあるが、何より目標に向かって動き出す女たちの「共同戦線」がすごく楽しそうだったことが大きい。私たちは、回を重ねる毎に、写真は人々に強く訴える力があることを学んでいった。私たちはフクシマの実情を、本当のフクシマを世界に知って欲しいのだ。

「行動の記録」という2ページを設けている。これは女たちと原発に関する様々な運動と出来事の記録である。目まぐるしく日々は過ぎ去って行く。運動のポイントをたとえ1行でも、記録に残しておく必要があると感じている。フクシマは、永い闘いの、その序の口に入ったところだ。フクシマの現状(を伝える)・記録(を残す)・活動資金(を稼ぐ)、この3点セットが女たちのカレンダーの目的となったことを自覚したい。どれも健全な市民運動に不可欠なことだ。

さて、先が見えない中でも忙しい毎日が続いている。全国の地に散って行った福島の女たちよ、疲れすぎてはいないだろうか。いつかのあのときの写真のように、時には大声で笑っているだろうか。どうか……休み休み行こうゼ。フクシマのようなことが2度とあってはならない、原発のない社会を作っていくんだ、という同じ決意をそれぞれの胸に秘めながら。(つづく)

牛たちの……(2017年版カレンダーより)

黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
『原発いらない ふくしまカレンダー』連絡先
ふくしまカレンダー制作チーム 
090-9424-7478(黒田) 070-5559-2512(青山)
梨の木舎 メール info@nashinoki-sha.com
FAX 03-6256-9518

2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』
価格1000円(税込)
『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

無罪判決を受けた被告人が勾留される理不尽 ―― 米子ラブホテル殺害事件

当欄で冤罪事件として繰り返し取り上げてきた米子ラブホテル支配人殺害事件。一貫して無実を訴える被告人の石田美実さん(61)は、裁判員裁判だった鳥取地裁の第一審で懲役18年の有罪判決を受けながら、広島高裁松江支部の控訴審で逆転無罪判決を勝ち取った。しかしその後、最高裁で控訴審の無罪判決が破棄され、審理を広島高裁に差し戻されるという憂き目に遭った。

と、ここまでは、すでに新聞などでも大きく報道されていることだが、石田さんは現在、さらに理不尽な目に遭っている。11月27日に広島高裁(多和田隆史裁判長)で差し戻し控訴審の初公判が行われ、即日結審したのだが、その翌日から広島拘置所に勾留されてしまったのだ。

一度は無罪判決を勝ち取った冤罪被害者が、その無罪判決を破棄されたばかりか、有罪判決を受けたわけでもないのに、獄中の身になってしまう……この理不尽な仕打ちを受けた石田さんを広島拘置所に訪ね、現在の心境などを聞いた。

石田さんが勾留されている広島拘置所

◆本人は案外落ち着いた様子

筆者が広島拘置所で石田さんと面会したのは、広島地方は小雨が降っていた12月17日のこと。面会室に現れた石田さんは案外落ち着いていて、「無罪判決が破棄されたので、いつかこういうことになるかもしれないとは思っていたんです」と言った。そして、ここに連れてこられた日のことをこう振り返った。

「初公判の次の日、朝8時頃に広島高検の人たちが私の米子の自宅にやってきたんです。そして、勾引状を見せられ、車で広島高裁まで連れて行かれました。そこで、裁判官たちが協議して、勾留されることになったんです」

石田さんは2014年2月に逮捕され、2017年3月に控訴審で無罪判決を受けて釈放されるまで3年余り身柄を拘束されていた。ようやく勝ち取った自由を奪われ、再び勾留されてしまった現在は精神的にも相当きついはずだ。

しかし、石田さんは淡々とした話しぶりで、自分の置かれた状況を冷静に受け止めているように見えた。

◆現在は手記の公表を検討中

もっとも、静かな口調の中にも怒りは混じる。

「差し戻し控訴審は初公判で即日結審し、あとは判決を待つばかりなので、私が証拠隠滅する恐れはありません。それでも、(検察官や裁判官は)私が逃亡する恐れがあるから勾留するというのですが、私は控訴審で逆転無罪判決を受けて釈放されてから、鳥取県を一歩も出ていません。それに、先日あった差し戻し控訴審の初公判では、私は出廷の義務はないのに、米子から広島までやってきて、出廷したのです。そんな私が逃亡などするはずはありません」

石田さんの差し戻し控訴審が行われている広島高裁

まったくその通りだ。判決公判が来年1月24日なので、石田さんは獄中で年を越すことが確実になったが、あまりに酷い話である。

ただ、石田さん本人は前向きだ。

「これまでマスコミから取材依頼があっても、私は受けないようにしていました。裁判が続く間は、波を立てないようにしようと考えていたためです。しかし、今後は事実に基づいて、検察に言いたいことは言ってやろう、おかしいことはおかしいと言っていこうと思っています」

石田さんは現在、獄中で手記を執筆し、公表することを検討しているという。来年1月24日に無罪判決が勝ち取れたら一番いいが、石田さんの勾留を認めた広島高裁の裁判官たちの態度を見ていると、楽観はできない。この事件の動向については、今後も適時報告したい。

《お断り》
当欄で繰り返し取り上げてきた事件のため、事件の詳細については、今回は説明を省略しました。事件の詳細を新たに知りたい方は、過去の記事をご覧ください。
◎2016年の冤罪判決──再審無罪も出た一方で裁判員裁判で新たに2件の冤罪判決
◎鳥取の「知られざる冤罪」──米子ラブホテル支配人殺害事件、控訴審も結審
◎逆転無罪が相次いで出た広島と米子の冤罪事件「知られざる共通点」
◎2017年冤罪事件回顧 逆転無罪2件、再審開始1件をはじめ空前の当たり年に

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』2019年1月号!玉城デニー沖縄県知事訪米取材ほか
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

中川五郎さんの「二倍遠く離れたら」を聴いて考えた 〈部外者の私〉は福島に対して何ができるのか?

二倍遠く離れたら 二倍強く思ってください
五倍遠く離れたら 五倍大きく動いてください
生まれ育ったこの町に とどまるしかない僕らのため
生まれ育ったこの町で 生き続けようときめた僕らのため
二倍強く思って 二倍深く考えてください
五倍大きく動いて 五倍この国を変えてください

二倍遠く離れても 離れずにすむとわかったら
五倍遠く離れても 戻ってもいいと気づいたら
故郷をまっさきに離れた 自分を恥ずかしく思ったり
騒ぎすぎてしまったのは 軽率だったと思わないで
離れたあなたの判断は正しく とどまった僕らの判断も正しい 
離れたあなたをとどまった僕らは 暖かく迎えてあげよう

どうなっているのか 真実はわからず 誰を信じればいいのかもわからない
だから離れたあなたの判断は正しく とどまった僕らの判断も正しい
「ほらみろ、やっぱりいったとおりだったじゃないか」と
どちらかが勝ち誇るのでなく
「よかったね、取り越し苦労でおわったね」と 
あとで一緒に笑いあえれば嬉しい

二倍遠く離れても 二倍強く思っています
五倍遠く離れても 五倍大きく動いています
二倍強く思って 二倍深く考えています
五倍大きく動いて 五倍この国を変えてみせます
五倍この国を 変えてみせます

中川五郎さんの「二倍遠く離れたら」という歌の歌詞だ。2017年3月20日代々木公園で開催された「さよなら原発全国集会」でこの歌を歌う前、五郎さんがなぜこの歌を作ったかを話している。


◎[参考動画]中川五郎「二倍遠く離れたら」2017.3.20 @代々木公園

「安倍首相が3・11のスピーチで『復興が確実に進んでいる』と話したが、現実はそうじゃないと思う。今まで戻るのが困難だった地域にどんどん人を返しているが、いかにも復興が進んでいるように誤魔化している気がしてしょうがない。その中で放射能が恐ろしくて故郷を離れた人たちと、政府のいうことを信じて戻る人たち、あるいは住み続ける人たちとの間でいがみあいとか批判をしあうことが起こっていて、そういうのってやっぱり一番政府の思うつぼじゃないかと思って。僕はそういう厳しい現実を前にしてこの歌を作りました」。

また、いわき市のライブでは、町にとどまろうか、避難しようかと真剣に悩んでいる「当事者」の前でこの歌を歌うことになり、「部外者」である五郎さんは「どう思われるだろうか?」と不安に感じたというエピソードもお聞きした。

私が支援する飯舘村も昨年3月末に避難指示が解除された。解除は「帰れ」との命令ではないというが、1年後月1人 10万円の精神的賠償金が打ち切られたため、経済的な理由で帰る人もいるだろう。故郷を荒廃させたくない思いで帰る人ももちろんいるだろう。

今年3月飯舘村を訪れた際、そうした様々な「当事者」の話をお聞きしたが、「部外者」の私は何も応えられずにいたことを思い出す。

一方、避難指示解除後も、移住や避難した先で生活を続け、闘う人たちもいる。

12月14日、大阪高裁で控訴審が始まった原発賠償・京都訴訟原告団の皆さんもそうだ。事故後、京都に避難した人たち57世帯、174人が提訴したこの訴訟の特徴は、原告の多くが茨城県、千葉県など国の避難指示区域外からの自主避難者であることだ。

裁判では、
〈1〉 国に法廷被ばく限度(年間1ミリシーベルト)を遵守させ、少なくともその法廷被ばく限度を超える放射能汚染地域の住民について「避難の権利」を認めさせること。
〈2〉 原発事故を引き起こした東電と国の加害責任を明らかにすること。
〈3〉 原発事故で元の生活を奪われたことに伴う損害を東電と国に賠償させること。
〈4〉 子供はもちろん、原発事故被災者全員に対する放射能検査、医療保障、住宅提供、雇用対策などの恒久的対策を国と東電に実施させることを求めてきた。

3月15日、京都地裁で下された判決は「各自がリスクを考慮して避難を決断しても社会通念上相当である場合はありうる」と判断し、また津波対策を怠った東電と規制権限を行使しなかった国の責任を認め、110人に総額1億1千万円の支払いを命じたが、その後原告側は、賠償額の低さや避難時から2年までに生じた被害のみを賠償対象としている点などを不服として控訴していた(国と東電も控訴)。

裁判には原告18名(大人17名、こども1名)のほか、多数の支援者らがかけつけたため、入りきれない支援者らは別会場での報告会に参加した。

そこに参加して改めて気づかされたのは、今現在も避難者らは損害賠償という金では解決できない様々な精神的な苦痛を抱えたままでいることだ。避難や帰還、あるいは避難継続など、一旦自身が下した決断について「それでよかったのか」、常に自問を繰り返し迫られている人もいる。

その「当事者」と「部外者」の難しい問題について五郎さんは、「ほんとうに難しくて微妙な問題ですが『当事者』と『部外者』の壁をいかにして乗り越え、突き崩せばいいか、最近よく考えています」と話していた。

そのことにも関連するが、 冒頭の「二倍遠く離れたら」の詩を途中で変えたというエピソードを、じつは最近になって知った。事故後の8月10日、東京の日比谷野外音楽堂で開かれた制服向上委員会プロデュースの集会「げんぱつじこ 夏期講習」で、飯舘村の元酪農家・長谷川健一さんにお話を聞いたのがきっかけだという。長谷川さんの当時の無念な気持ちや怒りでいっぱいになって語ってくれた話を聞き、五郎さんはその後歌う予定だった「二倍遠く離れたら」の3番の最後の部分を、直前に変えたのだという。

最初作った「二倍遠く離れたら 二倍強く思ってください/五倍遠く離れたら 五倍大きく動いてください/二倍遠く離れた 二倍深く考えてください/五倍遠く離れたら 五倍この国を変えてください」を、冒頭の詩に書き換えたのだが、それは「離れた人のポジティブな気持ちをもっとストレートに伝えるものにしようと思ったから」だという。

 
中川五郎さん(撮影=編集部)

国は今、2020東京五輪に向け、先の原発事故をなかったものにしようと必死だ。 じっしつ戻る者を優遇し、戻らない避難者を「自己責任論」で「棄民」のように切り捨て、原発事故の犠牲者などいなかったことにしようとしている。避難者と、故郷に戻る、とどまる者を様々なやり方で争わせ、分断させようとするのもそのためだ。

飯舘村には「丁寧に」「心を込めて」を意味する「までい」という方言があるが、今こそ、避難する者と、故郷に戻る者あるいは故郷にとどまる者が、までいに互いの立場を尊重し、までいに心を通わせあうことが必要なのではないか。そのすべての人たちに、国と東電に強いられる無用な被ばくを拒む権利、そして国と東電に事故の責任を追及する権利があるのだから。

3月、仙台空港から関西空港へ戻る飛行機の中で、飯舘村の人がポツリと呟いた言葉をふっと思い出したことがあった。「バタバタ死なないとわかってもらえないのだろうか…」。大阪に近づくにつれ、そのことばが重くのしかかってきた。 果たして私に何ができるのか?

そんな時、五郎さんの「二倍遠く離れたら」を聴き、「部外者」の私に何ができるか、考えるきっかけをもらった気がした。2019年は「部外者」の一人として、避難を続ける人、故郷に戻る人、故郷にとどまり続ける人、様々な立場の人たちの間をとりもつ、橋渡し的なことをしたいと考えている。

最後にもう一度、までい(「ゆっくり」「ていねいに」という福島県北部の方言)に呟いてみる。「五倍大きく動いて 五倍この国を変えてみせます」。

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

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《お詫びと訂正》

『NO NUKES voice』18号(2018年12月11日刊)掲載の中川五郎さんインタビュー(43~52頁)に誤りのあることが判明いたしました。謹んでお詫び申し上げますとともに、下記の通り訂正させていただきます。(『NO NUKES voice』編集委員会)

◎44頁小見出し、45頁中段11行目、同20行目
[誤]「花が咲く」 [正]「花は咲く」
◎46頁中段22行目
[誤]古田豪さん [正]古川豪さん
◎49頁上段21行目
[誤]「二倍遠く離れて」 [正]「二倍遠く離れたら」
◎50頁下段2行目、同19行目
[誤]「sport for tomorrow」 [正]「sports for tomorrow」

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『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

ゴーン3度目の逮捕と「人質司法」 外で思うほどツライものではないが……


◎[参考動画]日産「事実関係を確認中」 ゴーン容疑者再逮捕(ANNnewsCH 2018/12/21公開)

◆やや痛快な検裁の異見分裂

 
カルロス・ゴーン『国境、組織、すべての枠を超える生き方 (私の履歴書) 』2018年日本経済新聞出版社

おおかたの予想を裏切って、ゴーンが3回目の逮捕となった。2度の逮捕の容疑(金融商品取引法違反)の態様が、ほぼ重なるので物証捜査も終わっているはずだ、という裁判所の保釈却下に異をとなえた。というのが検察の思いきった獄中逮捕劇である。

必要以上に身柄を拘束しない欧米の司法行政から考えると、日本の訴訟運用は一見して中世的な野蛮に見えるはずだ。国際的な批判はまぬがれがたいところだろう。罪状をみとめ、へへい、悪ぅございました、ありていに白状いたしやす。とでも言わなければシャバに出してもらえない、先取り刑ということになる。

わたしも三里塚闘争で一年の未決拘留を経験した。当時は200人ちかい逮捕者がいたものだから、訴訟準備に長い時間がかかったのが直接の原因だ。千葉地裁では能力を超えているということで、3分の2近くの被告が東京地裁に移送になったものだ。

それにしても、異例づくめである。裁判所が地検特捜部の案件で公判前の保釈を認めたのは、おそらく初めてのことだろう(テレビコメンテーター弁護士の証言)。ひとつにこれは、司法取り引きの実質として、もう事実関係は日産に提供してもらったから、出たければ出てもいいですよ。という新たな地平だというのだ。

それはともかく、3度や四度の逮捕は取り調べ時間の確保とともに、被告(被疑者)への精神的な圧迫としてふつうに行なわれている。鹿砦社への言論弾圧事件では、松岡社長が半年以上の拘留で事実上の禁固刑を受けている。最近では籠池夫妻への10ヶ月以上にもおよぶ拘留、周防郁雄と言論戦を展開した笠岡和雄元松浦組組長への獄死攻撃など、枚挙にいとまがない。ともあれ、取り調べ勾留時での保釈という異例の対応をした裁判所にたいして、これまで通りにやってくれという検察特捜部の反応であることは間違いない。

◆特別背任のほうが、わかりやすい

金融商品取引法違反については、日産も同罪であるところから、いわば別件逮捕の位置付けだった可能性が高い。今回の逮捕理由である自分の企業の含み損の付け替え、横領に近い出費の強要は特別背任。つまり会社を私物化することで、会社に損害を出した汚職である。泥棒じゃないかと言われても仕方がない。

今回のゴーン逮捕がルノーと日産、さらには3菱自動車の一体化を阻止し、国家の基幹産業である自動車を他国の思いどおりにはさせないという国策捜査であるならば、もはやゴーンは完全に人質司法の手の内に入ったことになる。

身から出た錆とはいえ、個人では国家には勝てないという見本である。フランス当局もまた、エリート主義という批判をかわすために静観のかまえだ。あちらはあちらで、燃料税から内乱状態が起きているのだから、フランス民衆の行動力によるものといえよう。

◆人質司法はそれほど怖いものではない

このかん、政治政策の第一人者といわれる犯罪学者と話す機会があった。いわゆる代用監獄の人質司法について、留置場(警察署)が代用監獄となることで、自白しないと出さない取り調べは実際に行なわれているが、それは拘置所(その多くが刑務所の付属)でも同じだとわたしは思う。

むしろ留置場はヤクザや不良少年、こんな人が罪を犯すのかと思うほど普通の人も散見され、気がまぎれて愉しいところでもあるのだ。これは入ってみなければわからないことで、いきなり拘置所で警察官よりも厳しい刑務官に規則づくめの生活を強要されるほうが、ふつうの人間にはよほどショックがあるのではないか。

そして懲役生活ならばともかく、未決拘留は時間があるという意味では「すばらしい」生活でもある。源氏物語を原典で読んでみたいとか、レーニン全集を読み返してみるとかの思いつきは、ふつうの生活をしているかぎり絶対にかなわないと、わたしは思うのだ。ここはもう、ゴーンさんも前時代的な日本の司法と闘うことはあきらめて、万巻の仏典など読まれてはどうか。


◎[参考動画]保釈の可能性も… 急転!? ゴーン容疑者を再逮捕(ANNnewsCH 2018/12/21公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)
月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」