私の内なるタイとムエタイ〈44〉タイで三日坊主!Part.36 ネイトさんの剃髪式

メコン河沿いに向かうネイトさんとカミソリを扱うスアさん(写真はすべて1994年12月23日撮影)
剃髪に向かう前のネイトさん

◆ノンカイの寺の日常

ワット・ミーチャイ・ターでは朝4時と夕方6時30分に日課の読経がある。朝、眠かろうが、夕方、外出して居ようが、日々の務めを果たそうと思えば、この日課に合わせた日々のリズムが出来上がる。規則正しい生活となる仏門の基本である。

タイの正座は横座りだが、途中で膝を揃えて爪先だけ立てる座り方になる。後ろから見ると足の裏が見える正座である。これが1分も続くともう爪先が痛くなる。また横座り正座に戻るが、なかなか長く感じる日々の読経であった。

タイ東北部のこの時期の托鉢に出る朝はかなり寒い。ラオスに渡る前のワット・ミーチャイ・トゥンに居た頃より寒くなっている。私は鼻炎で気温が20℃を下回ると鼻が詰まるが、この頃の朝はしっかり鼻が詰まり、体感的に15℃ぐらいではないかと思うほどだった。

◆私らの寛ぎ話

午前中はまた3人で他愛も無い話が続く。ネイトさんに、私が出家したばかりの頃の藤川さんの意地悪いことや、私が托鉢中にバーツ(お鉢)の蓋を落とした話もしたが、実はその1週間ほど後、藤川さんも蓋を落としているのであった。

断髪式、親代わりとなった藤川さんがまずハサミを入れる、いつもの演出

前を歩く藤川さんが“バシャーン“と周りが驚く音を立てた後、慌てて蓋を拾っていた姿には、もう声を出して笑いたかった。静粛に進む托鉢中に比丘が笑う訳にはいかない。カメラで撮ってやりたかった。

あの頃、まだ還俗前のブンくんに聞いたら「俺も落としたことあるよ!」とあっさりしたもの。皆、そんな経験はあるようだ。

ネイトさんが買って来た湯沸しポットは使い勝手がいいが、もっと簡易的なものには、かなり安価で、手で電熱棒を持ってどんぶり等に入れた水に浸し、湯が沸くまで器に付かないよう浮かせたまま、その姿勢で持ってなくてはならない、そんな不便なものも庶民の生活用品として売っているからアジアの田舎のガラクタ市場は面白い。それらの恨み節や旅の想い出を話してしまう。

◆オバサンを訪ねるネイトさん

ラオスから再びノンカイに戻って6日が経過した12月23日、午後にはすぐネイトさんが剃髪を見届けてくれるかを尋ねる為、親代わりとなるオバサンに会いに行くというので、私も付いて行くことにした。

日本と同じく携帯電話は普及し始めた頃だったが、タイでは電電公社に固定電話設置を申込んでも1年経ってもやってくれない(賄賂を渡せばやってくれる)。公衆電話は少なかったり壊れていたり、そんな不便な時代でもあったからだった。

トゥクトゥクに乗って向かった先は、やや南のバンコクに繋がる国道の途中にあった、オープンカフェやタイシルクなどの絹織物のお店があるオーナーさんである気品あるオバサンだった。やはり仕事の都合で剃髪、得度式には行けず恐縮されていたが、ネイトさんも我が身の為のお願いで恐縮気味。しかし、やることやった悔いの残らぬ結果でスッキリした様子。

自然と近所の子供達も集まる最高のエキストラ
カミソリを持つのはベテラン比丘のスアさん。スアさんも珍しい体験となった外国人の剃髪と撮影

寺に帰って、剃髪までの夕方4時まで時間を潰す。ネイトさんはお経の暗記に力を注ぐ。そんな合間に藤川さんのネタ話も花が咲く。

この地域は電話も少ないこの時期でも、昔から河の向こうのビエンチャンと独特の連絡方法があった。藤川さんが一時僧時代にこの寺に来た時に聞いた話で、
「メコン河の向こうに鐘を鳴らして合図を送ってから拡声器で“オーイ聞こえるかあ~”と叫ぶと、“オー、聞こえるぞう”と返事が聞こえて来て、“何月何日何時から寺の祭りあるから来いやあ!”と叫ぶと“分かったあ~、行くぞ~!”という返事。そしてその日になったら舟に乗って対岸から来よる!」という笑えてしまう話であった。

◆いよいよ執行!

「そろそろ行こか!」と声を掛けた藤川さん。何か刑場に向かうようなゾクッと来る一言である。いよいよ剃髪、場所は予定どおりメコン河沿いの土手の上、ここまで演出を考えてきた藤川さんと私。

「まず水浴びして来いや」と言う藤川さんに従い、水浴びして土手の縁に向かうネイトさん。胸中は複雑なものだろう。もう後に引けない切迫した心境に陥るものである。しかしビビる様子も無い落ち着いたもんであった。

最初にハサミを入れたのは、この道に導いた“親代わり代理”の藤川さん。そしてカミソリを持ってスアさんが剃り始める。アメリカ人の剃髪は珍しいのか集まって来た近所の子供達。私は我が身を思い出す。撮ってくれた春原さんの姿も思い出す。

メコン河をバックに剃髪は進みます
金髪が剃り落とされていく

「ああ撮れこう撮れ!」言われたら「いちいち煩い!」と言いたくなるだろうなあと思う。ここに居るネイトさんは何も注文して来ないが、大人しく、淡々と剃髪が進む。

10分もすると最後に眉毛も剃って完成。やはり綺麗な上手い剃り方だ。精悍な顔つきはまた違った人物に見える。

そして白い衣に着替えて形式上は、人間でも比丘でもない立場となるが、私の場合と同じく、この集落に親戚縁者は居ないので前夜祭といったお祭り事は無い。

夜は明日の得度式の流れをスアさんらに聞くネイトさんだが、そんな心配することはないが、問答の流れと応える経文を教えて頂いていた。再び暗記に集中するネイトさん。どこまで自分の力で出来るかを試す、努力家である。

◆言い残したい藤川さんの雑談

出家が間近に迫ったネイトさんに、我々もあと1日しか居ない身でもあって、藤川さんのクドい話が続く。過去に私も言われた苦言でもある。

「最後は誰もが死に至る人生、その死に向かって生きとるんやから、何か命懸けでやるもの見つけて充実した人生を送って最後に自分の遺体に“ご苦労さん、ゆっくり休んでくれ”と言えるような人生を送らないかん」。

第三者の立場で聞いていると、リラックスしてすんなり頭に入って来るものだと感じる。

藤川さんが導いた2人目の剃髪
最後の仕上げ、眉毛も剃り終わり、精悍さが増したネイトさん

これも藤川さんの一時僧時代の巡礼先での話。

「托鉢でバーツを手で抱えて進む場合があると、炊き立ての御飯なんか入れられたら、熱うて持てんようになる。“熱ッチッチ!”と黄衣で支えながら右手左手持ち替えて、顔に出せんで参ったことあったなあ!」。

また、比丘生活の些細な一面だが、
「昔、スラータニーの寺に行った時、夕方、坊主らに1枚ずつ配られる小さな切れ端があって皆が口に入れて食べておった。ワシも貰うて食べてみたら、寿司に付いてくる“ガリ”やな。“午後食事を摂ってはいかん比丘が、これは食ってもいいんか?”と聞いてみても“ワシも分からんのや”という比丘ばかりやった。これがまた翌日の夕方に出てくるのが楽しみでなあ。ガリは消毒効果があるから薬代わりやったんかもなあ!」と、その比丘らの様子が伝わってくるような話だった。

藤川さんは将来的に、タイの山奥にある瞑想寺に行って、そこで日々修行する構想と、ボランティアにも構想を描いており、
「ノンタブリーにあるエイズ患者を介護する施設のある寺で、エイズ患者の洗濯物を洗うてやろうかと思とるんや、洗濯坊主や!」と言う。このエイズ寺も発病前の患者から末期の患者まで居る。この話はもっと深いのであった。

ただ喋るだけで苦言を呈する訳ではなかったが、
「巡礼の旅でもしてみい、いろいろな発見が出来るぞ!」と言っているような藤川さんの経験談。ネイトさんは私のような、「こんな格好してみたかっただけ」といったような軽率な動機ではないから何か冒険をやるだろう。明日は得度式。そして我々がこの寺を去る日でもあります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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ソフトバンクとトヨタ自動車 人間と自動車社会はどこに歩もうとしているのか?

いまから20年ほど前のことだ。九州の2人の大ほら吹き(実際には大風呂敷)というコンセプトで、日経新聞系の記事をまとめたことがある。いずれも福岡県出身者で、ふたつの業界に打って出たばかりの若手社長である。ひとりは玉木康裕、タマホームを立ち上げたばかりの頃だ。もうひとりは孫正義、言うまでもなくソフトバンクの総帥だ。まだソフトバンクが港区のあまり大きくないビルの一角を占めていた頃で、ゲームバンクでの失敗なども話題になっていた。

いずれにしても、両社とも業界のトップグループに座を占めるようになったのだから、当時の日経担当者は慧眼というほかない。ソフトバンクのほうが世界的企業に発展し、タマホームも今後の10年をグローバルに展開するということだが、両社に差があるのは業態の違いであって、ゼロからの成功に変りはない。

今回は孫正義のソフトバンクとトヨタ自動車が提携した新会社について。そう、自動車のAI化とライドシェアに関して触れておこう。モータリゼーションで成長してきたわたしたちの社会が、今後どう変っていくのか。ここがAI化社会を占なう上で、最もわかりやすい素材だからだ。

 
自動運転車の安全技術ガイドライン(2018年9月国土交通省自動車局資料より)

◆どこまで進む? 自動運転

まず、何をもって自動運転というのか。である。運転状態をあらわすSAE(自動車技術会)のレベルで、0が運転手による操車、ふつうの自動車である。加速と操舵、制動のいずれか1つを自動化したものがレベル1。現状の自動ブレーキスステムがこれに当たる(単一の制御)。これが複数になるとレベル2。高速でのステアリング、速度の加減などが加わるとレベル3。ただし、レベル3は自動運転の継続が困難になった場合は、運転手がハンドルを握る。レベル4が高度運転自由化で、ただし運転領域が限定されるもの。高速道路に限定とかになる。そしてレベル5にいたり、運転領域も予備対応においても完全に自動運転(利用者の対応が期待されていない状態)ということになる。現在は各社レベル2の段階で、高速での運用が可能なレベル3~4が当面の目標とされている。

◆法的な障害はこえられるのか?

その昔、筆者がソフトバンクを取材したころは、道路の中央ラインにチップ(磁気マーカー)を埋めて、それを指標にステアリングを制御するという方法が採られていた。高速道路限定ならばそれも可能だが、一般道すべてにチップを埋めるのは不可能である。そこで自立型の自動運転のなり、制御チップをコクピット内の各計器に装着する方法となったのだ。すでに現在位置と目標案内で効果が確認されているGPS(衛星)の基本に、カメラとセンサーで周辺の確認、これらの情報をもとに人工知能による処理と命令が行なわれる。GPSとセンサーからの情報は、ダイナミックマップと呼ばれる高精度3次元地図となる。ここでは、すでにイスラエル軍で運用されているロボットカーの技術が突出しているようだ。ようするに無人兵器の応用である。自動運転はその意味では、すでに技術的にはほぼ完成している。あとは兵器とちがって、生身の人間を乗せる安全性だけなのだ。

とはいえ、法的な問題がある。一般人が公道で走行できる完全な自動運転車は、ジュネーブ道路交通条約で常時人間の運転が必要であると定義されている。万一事故が起きた場合の法的な責任はどうなるのか。議論はまだ始まったばかりだ。あるいは、人工知能はコンピューターだから不正アクセスされる怖れもある。ペーパードライバーが利用した場合の、緊急時の運転技能に問題はないのか。ペーパードライバーは乗ってはいけないとは、条例化できないであろう。またその技術力を判定する指標もない。

◆身体工学的な無理も

それよりも何よりも、運転という身体工学はどう考えられてきたのか。たとえば電車の心地よい振動で眠たくなるのと同様に、クルマの心地よい振動で助手席や後部座席の乗員は眠くなる。コクピットでも同じことが起きるはずだ。そもそもステアリングを握り、アクセルを踏み込むドライビングの快感によって、運転手はクルマと一体化する快適を感じる。人工知能が故障するのではないかと、不安を感じながらのドライブが愉しいのだろうか? こうしたことは何ら考慮されてこなかったのではないか。

文中に出てきた「ライドシェア」については別記事に改めたいが、簡単に触れておこう。文字どおりの意味で、相乗り(プールライド)である。なかなか日本人には馴染まない、初対面の人と乗り合わせるのは難しいとされてきた。これをアプリにしてビジネス化しようというのが、孫正義とトヨタの合作ということになる。トヨタはさすがにリーディングカンパニーで、自動車の売り上げが確実に落ちる、このライドシェアに乗り出すのだという。そういえば、同社が自転車活用のために社員を警視庁に出向させ、未来の交通システム(自動車と自転車の共存)の研究をさせているのを、筆者は知っている。内部留保などせずに、どんどん社会のためにおカネを使ってもらいたいものだ。


◎[参考動画]2018年10月4日【トヨタ・ソフトバンク共同記者会見】スペシャルトークセッション(トヨタグローバルニュースルーム2018年10月5日公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

滋賀医科大学附属病院泌尿器科2名の医師を提訴した「説明義務違反事件」第1回弁論開かれる

 
大津駅前の集会に集まった「患者会」の皆さん(写真提供=「患者会」の皆さん)

10月9日13時10分から大津地裁で、4名の原告が滋賀医大付属病院、泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)裁判の第一回口頭弁論が開かれた。

大津駅前で12時から本年6月に結成された「滋賀医大 前立腺癌小線源治療患者会」の集会がある、と聞いていたので大津駅前に11時ころ到着すると、早くも患者会のメンバーが集合し始めていた。12時には参加者が80名を超え、その時間比較的静かな大津駅前を行き交う人々の注目を浴びていた。

集会では患者会のアドバイザーである元読売新聞記者の山口正紀さんが冒頭に発言し、「病院は患者に謝罪すべきなのに、患者の命を救った岡本先生を病院から追い出そうとしている。どうしてこんなことが考えられるのか」と問題点を整理しながら滋賀医大付属病院の姿勢を強く糾弾した。引き続き原告の男性や複数の患者会メンバーが発言をした。

◆医療機関による「説明義務違反」

問題の中心は、小線源治療の第一人者である岡本圭生医師の治療を受けようとした23名の患者たちが、その意に反して、岡本医師の治療を受けられず、しかも小線源治療の経験がない成田医師が、小線源治療を行うという暴挙の直前に岡本医師の学長への直訴により、かろうじて難を逃れた「説明義務違反」である。

医療機関による「説明義務違反」は患者による治療の選択権を奪うだけではなく、場合によっては生命にかかわる重大な問題だ。患者には当然説明を受ける権利があるが、これまで個々の患者の問い合わせや、説明の要請、患者会による問い合わせに対しても病院側は「HPに出ている通り」、「内容は裁判であきらかにしてゆく」と誠実さの欠如した回答しか返答していない。

 
大津地裁前で参加者に説明をする山口正紀さん(写真提供=「患者会」の皆さん)

◆発足後4か月で800名を超えた患者会

患者会のメンバーは発足後4か月で既に800名を超えており、いかに岡本医師による小線源療法への信頼が厚いか、また滋賀医科大学への怒りが大きいか、この人数が雄弁に物語る。「同じ医師の治療を受けた」以外に何の共通点も持たない人々が、短時間でこのように集結することはそうそうあるものではない。病気の性質上患者会のメンバーは中高年の男性であるが、皆さん紳士的な方ばかりだ。

山口さんも指摘されていたが「病気と闘いながら、病院とも闘わなければいけない」ことなど、患者の誰も望んではいないだろう。しかしそこまでの事態を引き起こした、河内、成田両医師及び、滋賀医大付属病院の責任は重大である。

◆井戸謙一弁護団長の発言

55席の傍聴席は満員となり、傍聴できなかった患者会のメンバーやご家族も多数見受けられた。定刻通りに西岡繁靖裁判長は開廷を宣言した。被告側は答弁書を提出しただけで、この日は代理人も出廷していなかった。

冒頭、井戸謙一弁護団長が発言を求め、

「この事件は医師の説明義務違反による損害賠償事件でよくある類型だと思います、しかし本件は一般の事件と異なることをご理解いただきたと思います。だからこそ、これだけたくさんの傍聴人が詰めかけているのです。1つは多くの説明義務違反事件はインフォームドコンセント認識不足の医師による、過失や杜撰な説明により、医療上のミスを行ってしまった。個別、1回切り起こるものです。

 
井戸謙一弁護団長(筆者撮影)

 それに対して本件は故意に、組織的にしかも長期間にわたって、23人もの患者に対して行われた事件であることが1つです。それからこの事件が国立滋賀医科大学付属病院という、滋賀県を代表する基幹病院を舞台として行われ、被告の2人は当時も、現在も泌尿器科の教授、准教授という要職にある医師であるということであります。本件において未経験者による小線源治療は水際で差し止められ、重篤な被害の発生を防ぐことはできましたが、この問題で患者側が病院に説明を求めても、病院からはまともな説明もなく、患者らは謝罪も受けておりません。よって原告らは本件提訴に至ったものであります。
 この事件の本質は、患者の利益よりも、自己の権力あるいは利益を優先するいまの医師の世界の体質にあると考えます。この問題をあいまいに済ませてしまえば、将来にわたって同様のことが繰り返されることが危惧されます。繰り返された場合ことが医療であるために、重篤な被害を与えることがあります。原告らは請求事実を説明義務違反に絞りました。個別には小線源治療の前段階における不適切な処置などもあるのですが、訴訟の迅速な進行のために争点を絞ったものであります。したがって裁判所に置かれては迅速な進行に努めていただき、早期の判決をお願いしたと考えております」と述べた。

そのあと原告代表の男性が意見陳述を行いこの日の弁論は終了した。次回期日が11月27日13時10分である。

閉廷後、滋賀県弁護士会館に場所を移して、記者会見が行われた。傍聴席には入れなかったメンバーのために、この日の法廷で何が行われたかを、井戸弁護士が説明した。記者会見であきらかになったことは、被告側による答弁書には、迅速な訴訟の進行に向けての誠意が感じられないこと。法廷戦術上被告は医師2名に絞ったが、病院にも当然責任はあると、原告も弁護団も考えていること、などである。

患者の会のメンバーや滋賀医大付属病院関係者に取材する中で、予想をしなかった事実に突き当たった。当初訴状を読んだり、記者会見で質問するなどする中で、この問題は、あくまで滋賀医大付属病院、泌尿器科が震源であり、原因である事件であると、わたしは認識していたが、どうやら(たしかにその基本的構図に間違いはないが)さらに大きな背景と、思惑が関係しているようである。その実態については、今後も取材を進め、明確になった時点で読者にご紹介してゆく。

◎[関連記事]田所敏夫「滋賀医科大学附属病院泌尿器科の背信行為 『小線源患者の会』が損害賠償請求」(2018年8月2日公開)

◎滋賀医科大学前立腺癌小線源治療患者会のホームページはこちらです。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

衝撃満載『紙の爆弾』11月号!公明党お抱え〝怪しい調査会社〟JTCはどこに消えたのか/検証・創価学会vs日蓮正宗裁判 ①創価学会の訴訟乱発は「スラップ」である他
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは?「やや日刊カルト新聞」藤倉善郎総裁に聞く!〈1〉

「やや日刊カルト新聞」の「総裁」にして、業界ではカルト問題取材では、超有名人である藤倉善郎さんにお話を伺った。直接的にはオウム真理教関連集会での香山リカ氏による、取材妨害が話題になったことがきっかけであったが、「カルト」や「表現の自由」についての最新の情報をお伝えいただけた。カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは? 4回連載で報告する。

◆「自己啓発セミナー」「統一教会」「幸福の科学」

 
2018年10月7日付け「やや日刊カルト新聞」より

── 藤倉さんはカルト取材に関して高名ですが、あらためてどうしてカルトに関心を持たれたのか簡単に教えて頂けますか。

藤倉 大学の時に新聞会にはいってまして、当時、学内のほかのサークルや研究室で「自己啓発セミナー」を受けた人が友だちを勧誘するトラブルが同時多発的に起こっていました。「自己啓発セミナー」は宗教ではないですが、悪徳商法のようなよろしくないものでしたので問題視ししつつも、それを批判する周りの学生が「自己啓発セミナー」勧誘に熱心な学生を魔女狩りのように排斥し始めて、「どちらもおかしいな」と思いました。批判する側の問題性も意識しながら取材をして新聞で記事を書くことを学生時代に始めました。その当時文献は多くはなかったのですが、宗教被害を扱っている本なども読み漁りまして、大学中退をしてライターになってから「自己啓発セミナー」の取材もやりつつ、宗教被害にも手を広げていった。そういう流れですね。

── これまで「統一教会」や「幸福の科学」に体当たり的な取材でご活躍ですね。

藤倉 「統一教会」の方は「やや日刊カルト新聞」の主筆である鈴木エイトさんが専門でやっていますので基本任せていますが、ときどき一緒に取材します。僕は「幸福の科学」とそれ以外のカルト担当のような感じですね。

◆オウム真理教に関する集会中継をめぐる取材妨害事件

 
2018年10月4日付け「やや日刊カルト新聞」より

── このインタビューのきっかけとなったのはオウム真理教に関する集会があって、藤倉さんが中継なさろうとしていたのでしたか?

藤倉 そうですね。動画の撮影、中継、写真撮影全部やろうとしていました。

── それを主催者から止められたということですか。

藤倉 動画の撮影とネット中継を止めるようにと邪魔をされました。

── 藤倉さんは当日中継機材を持っていかれて一旦は中継をはじめられたのですか。

藤倉 始めましたね。当日前に「こういう取材をしたいけどよいか?」と取材の申し入れを会の方にしました。そうしたら「動画撮影と中継はやめてくれ」という趣旨の返事がきました。都合があって辞めて欲しいのであればそれは仕方ないでしょうが、「動画撮影については会が自分たちで撮影して、自分たちで発表する。ネット中継はIWJに任せるからお前らはやらないでくれ」という理屈だったので「よそもやるのになぜうちはだめなんだ」という話をしまして、そんな理屈は受け入れられないので申し入れたとおりに動画撮影も中継もしますよ、と前もってメールも送って、当日受付でも名前を伝えて会場に入ったので予告通りに動画の録画と中継をはじめました。
 そしたらはじめてすぐでしたが名前を知らない女性スタッフが出てきてカメラを遮って「止めるように」と言ってきたのが始まりですね。そのあとに香山リカさんとか弁護士さんや『創』の編集長の篠田さんたちが集まってきて、カメラを遮ったり「動画撮影ネット中継お断り」だというルールを守れないのであれば「出て行け」と言ってきました。
 僕の方は「よそはやっているのにうちはダメ」っていうルールの理由すら示されない。「そんなふざけたルールに従えるか!」とそのまま中継を続け、向こうは向こうでカメラを抑えるということを続けたので、集会の取材じゃなくて「取材妨害の取材だな」と切り替えて様子を撮影したり、中継したりしていました。

── 最後まで会場にはいらしたのでしょうか。

藤倉 「警察呼ぶ」とか言ってたので「呼べ呼べ」って言ってたんです。管理権はこちらにある、お断りしているのに入ってきているのは不法侵入だと彼らは言っていました。「警察呼ぶならここで待ってるね」と言って居座って撮影を続けたのですが、結局警察は最後まで来なくて、香山さんなんかは結構しつこくずーっとじゃましたりしてました。でもカメラを遮ったりする妨害はたぶん20分くらいで止めてしまって、あとはほったらかしにされていたので、結局最後まで撮影も中継もしました。

── そうなんですか。

藤倉 最初の20分はカメラを遮られたりして、僕自身もじっくり聞けなかったんですが、それ以降は撮れたんです。ところが撮ってみたら中身が全然なくて、登壇者がオウムと関係ないような持論をしゃべるだけの会で。強行突破しても意味なかったな、と悲しいオチで終わってしましました。

◆中継取材妨害問題に二度と言及しなくなった香山リカさん

 
2018年9月19日付け「やや日刊カルト新聞」より

── 藤倉さんを妨害した人の中に、私たちから見るとカルトと似た行動様式をする人が居まして、その代表格が香山リカ先生なんです。会の趣旨についての見解はいろいろあるでしょうが、取材を妨害したことについて、江川紹子さんが香山さんの行動を疑問視して質問を投げかけるというツイッターでの議論になりました。そこで香山さんからはしっかりとした反論がなされていなかったように感じました。

藤倉 江川さんとしてはいきなり批判とか、糾弾とかあるいは藤倉擁護をしたわけではなくて、「このメディアはいいけど、このメディアはダメだ」というルールはいったいどういう根拠で決められたのかと質問したんですよ。江川さんとしてはそこがわかってはじめて、良いか悪いかの判断をする話だろうと、ただ質問をしたんです。香山リカさんがちゃんとそれに答えなくて、「出演者にも確認して決めたルールだ」とか決定プロセスの話をして逃げようとしたんですよね。
 江川さんはぶれずに「プロセスを聞いているんじゃなくて、どういう根拠でメディア選別が行われたのか」の根拠を聞いたんですが、香山さんはそれについては答えずに「後ほど回答します」というようなことを発信した後に、二度と香山さんは言及しなくなったんですね。何日かあとに会のサイトに、僕を非難するような抗議声明のようなものが掲載され、香山さんが言っていたようなことは書いてありましたが、「どうしてIWJだけは良くて他はダメなのか」の理由や根拠は書いていませんでした。
 実際はIWJだけじゃなくて、現場に行ったらテレビ朝日も動画撮影をしていたんです。主催者が「動画は自分たちが撮影する」と言っていたのは嘘だったわけです。(つづく)

(鹿砦社特別取材班)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

開港から40年の三里塚(成田)空港〈21〉わたしが出会った“元中核派の彼”

断続的な連載も20回を超えると、どうしても感傷的かつ追憶的な内容になってしまい、緊張感のないことこのうえない。まことに申しわけありません。今回も追憶的とはいえ、すこし刺激的なタイトルにしてみました。ズバリ“元中核派の彼”である。

中核派は最大党派だけに、いろいろと多くの接点があった。わたしの大学にも非主流派ながら数十人単位でいたし、三里塚現地ではイヤでも顔を合わせる。3月横堀要塞戦の中核派の相被告は、4人だった。いい人もいたが、党派性が強くてイヤな人たちだった、という印象が大きい。そんな中核派の活動家のひとりと、活動の場ではない職場で出会ったのである。

◆党派と個人的な関係の断層

その彼は唐突にも、わたしの職場にというべきか、何しろ目の前で中核派の月刊誌「武装」を読んでいたのだ。労働運動のかけらもない職場の誰も、それには気づかない(まったく気にしない)けれども、わたしにとっては「えぇーーっ!」(心の中の声)であった。

すでに中核派とは83年段階で三里塚闘争が分裂し、敵対的とまでは言わないものの仲良くできる間がらではなかった。被告団も分裂していた。たまに三里塚現地を訪れると、それはたいがいが現地集会の前日であったりするから「脱落派は、生きて帰れると思うなーッ!」というシュプレヒコールを浴びせられたものだ。われわれと中核派は、外見的には敵対勢力だったのだ。その中核派が、わたしの職場に居る……!

それはもう、ある意味で楽しくて仕方がなかった。職場での好感度もあり、見てくれは売出し中の若手俳優だ、といっても通るような涼やかな風貌。そして何よりも、気風が素晴らしい青年だった。どんな会話からお互いのことを語り合ったかは、あまり記憶にない。それと意識したときには、わたしは彼に誘われるまま中核派の集会に参加し、彼もわたしが誘うままに「脱落派(反対同盟熱田派)」の集会に参加していた。山谷の支援運動にも誘ったことがある。政治の多様性、経験の重要さをわかって欲しいという意味で、わたしは彼にいろいろな提案をした。わたしも彼の提案を諒解する関係になった。

とはいえ、個人的な関係が党派を超えるはずはない。彼においては、もっと個人的な恋愛関係などにおいて、党派を越えられないものがあったはずだが、そのことには触れない。それにしても、活動を秘匿していた職場での出会いには愕いたものだ。そこから、ある意味で双方の駆け引きもあった。中核派という組織の成員である以上、彼はわたしをオルグするのが使命となるわけであって、わたしのほうは彼に付き合いつつ、しかし思想的にはポストモダンの蓄積を披瀝しながら、両者が政治的にも思想的にも折り合うことはなかった。いや、組織的に折り合わなかったというべきか。思想はまた、政治とは別物である。

そのいっぽうで、三里塚闘争ではわたしのほうが彼を、やや強引に誘ったのかもしれない。十数人しかいない隊列にまき込んで、シュプレヒコールに唱和させた記憶がある。彼に誘われ中核派の大衆デモに参加したわたしは、集会・闘争後の「解散戦争」に参加させられて、どうにも愉しかった記憶がある。地下鉄を発進直前に突然降りて、反対側のホームの電車に乗る。その後はタクシーで集結地点に近づき、最後はなぜかいつも同じ飲食店で宴会をするという成りゆきだった。宴会場に対立党派が待ちかまえていれば、一網打尽だと思うのだが……。沖縄の古参活動家の記憶も鮮明だ。その後、故郷にもどった「元中核派の彼」は独自の道をあゆみ、いまも連絡が取れている。

 
加藤登紀子『登紀子1968を語る』(情況新書2010年)

◆パルタイの幻影

いま、わたしはポスト68というテーマで、ある雑誌を編集しています。やはり70年代・80年代・90年代を通して、党派という問題は大きいのだと思う。革命党が必要という命題があるいっぽうで、党派の狭隘な思想は大衆運動の桎梏になる。もともとブントは、パルタイの狭隘な政治から脱して、自由に政治をやるために分派したのではなかったかと、歌手の加藤登紀子さんが語ってくれたことがある(『登紀子1968を語る』情況新書)。

そうであるならば、党派性のすべてを解体した政治党派(どんな形式で、どういう結集方法があるのだろう)というものの出現を望みたい。ゆるやかなネットワークでもいいのかもしれない。われわれは、いかにもパルタイの幻影に支配されていた。そこからの自由を今世紀の課題にすることが、左翼運動の再生のカギかもしれないと、ここでは述べておこう。そして言えるのは三里塚という場所が、いかにも多くの出会いを設えたものだったと。感謝したい。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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神社界のドン、年貢を納める? 神社本庁の悪行とその覚悟の浅薄さについて

神社本庁の田中恆清総長が辞意を明らかにしたという。9月11日に伊勢神宮で開催された全国47都道府県の神社庁長会で、神社本庁の総務部長が田中恆清総長の辞意を明らかにしたというのだ。11日におこなわれた役員会の中身は公式には明らかにされていないが、関係者によると、ひとりの理事が2人の幹部職員に係る民事訴訟について、和解の方針を決議したらどうかという提案をしたという。その民事訴訟とは、神社本庁百合丘宿舎の「安値販売」疑惑をめぐって、2人の幹部職員が内部告発をしたことで解雇され、民事訴訟となった件である。

◆ディンプル社への安値売却と危ない利権と人脈

ことの発端となった神社本庁百合丘宿舎の「安値販売」疑惑とは、バブル期に7億5000万円で購入した宿舎を1億8400万円でディンプル・インターナショナル(東京都新宿区富久町)に売却したものだ。さらに宿舎は第三者に転売されているが、その価格は3億円を超える額だった。中間登記が省かれているので、ディンプル社の名前は表に出ていない。つまり神社本庁は超格安でディンプル社に売り下げ、ディンプル社は1億円以上の利ざやを稼いだことになる。さらにディンプル社は中野・青山の宿舎も独占的に売却し、ここでも多額の利益をえている。このディンプル社の正体とは、いったい何なのだろうか。

 
ディンプル社が皇室のヴィジュアル本を制作するために設立した日本メディアミックスのHP

このディンプル社は皇室のヴィジュアル本を制作するために、日本メディアミックスという会社を設立している。その日本メディアミックスの社長は一時期、奈良判定に対する内部告発でマスコミを騒がせた日本レスリング協会の福田富昭会長だったことがあるのだ。なんとも、水面下の利権で神社本庁のドンとレスリング界のドンが結びついていたわけである。そしてじつはディンプル社の社長は福田氏の日大のレスリング部の後輩で、現在は日本メディアミックスの社長である。

神社本庁はもともと、戦前は官営で内務省のもとに官幣社を仕切る中央省庁であったものが、敗戦後解体されていた。それが民間の任意団体として再建されたのだ。吉田茂(外務省から総理大臣)が同姓同名の吉田茂(内務官僚から軍需相など=筆者の祖父の友人で、茂彦の「茂」は、この方の偏諱である・苦笑)に相談して、再建した経緯がある。これは戦前は神職養成機関として国立だった神宮皇學館が、私立大学として再建されたのと同じだ。したがって公共法人としての査察もまぬがれる。そこに利権の構造が生まれたのだといえよう。

今回の田中恆清総長の辞意は、日大アメフト部の反則指導問題に端を発し、日本レスリング協会、そして神社本庁にまで飛び火したかのような、まさに利権とパワハラのスキャンダル連鎖に見える。それにしても、批判に晒されると弱音を吐く。何とも覚悟の浅薄さが透けているではないか。パワハラ方面の事件についても触れておこう。

◆女性宮司を認めない本庁

神社本庁をめぐる問題に、女性宮司をみとめないことから全国で起きている事態がある。

ひとつは昨年末、世間を驚愕させた富岡八幡神宮の女性宮司刺殺事件である。富岡八幡は創設390年を誇る東京下町の神社だが、富岡家の長男・茂永氏が宮司職を継いだものの、素行の悪さで解職。代わって長女・長子氏が宮司代務者として仕切り、同神宮の責任役員会は長子氏を宮司にと何度も意見具申していたが、神社本庁は「経験不足」を理由に認めなかった。やむなく富岡八幡は神社本庁を脱退することで、宮司問題に決着をつけようとしていた。その矢先の長男夫婦による姉の刺殺だったのだ。

◆宇佐神宮では、氏子たちが署名活動

宇佐八幡神宮も同じく、社家の長男が暴走族まがいの自動車事故で亡くなり、その姉の克子氏が宮司職を継ごうとしたところ、神社本庁がこれを認めなかったものだ。女性宮司をみとめない神社本庁から送り込まれた小野崇之宮司(田中恆清総長の元側近)をめぐり、社家を支持する氏子との紛争が長引いている。

ちなみに、社家側が不当解雇を訴えた裁判では2月に判決があった(大分地裁中津支部)。原告が訴えた小野宮司らのパワハラが認められ、未払い賃金をふくむ137万円の支払いを命じられた。しかしながら、解雇そのものは有効としている。引きつづき、控訴審が注目される。

現宇佐神宮への不満は、地元商店街にもくすぶっている。宇佐神宮側が昨夏、自前で新たな有料駐車場を整備したことだ。大半の参拝客が商店街を通って神宮に向かう動線が崩れたことで、宇佐神宮仲見世会は「一部店舗では正月の売り上げが3割減少した」という。市と大分交通が50%ずつ出資する第三セクターで、既存駐車場を運営する「宇佐八幡駐車場」(社長は是永修治宇佐市長)は「売り上げが2割減った。無視できない金額だ」と憤る。

地元からの批判に、神宮側は「高齢者や障害者の方には、最短距離で参拝できると好評。車の出入り口が一つ増えたので、今年は正月の渋滞も少なかった。批判は一部」と反論するが、溝は埋まりそうにない。宮司が代わるということは、神宮の行事に係る業者なども入れ替わり、そのまま利権が入れ替わることを意味する。利権が入り組んでいる以上、解決は簡単ではない。

この5月には氏子有志による「宇佐神宮を守る会」(久保繁樹代表)が、小野崇之宮司の退任を求める3006人分の署名を集め、責任役員4人に対して提出している。「守る会」は県神社庁宇佐支部総会でこの件を明らかにし、神社本庁と徹底的に闘う意向だという。推移を見守りたい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

老いの風景〈04〉89歳、切ない気持ち

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆朝の電話

今日は、民江さん89歳にまつわる切ない気持ちを聞いてください。

10年以上前から私は、民江さんに朝電話をかけて、声で体調を確認したり、その日の予定を聞くことが日課になっています。けれどその日は民江さんから電話が掛かってきました。「なっちゃん、トイレが流れない!」「流れない? 詰まったの?」「流れないの!」「何か詰まったのね?」「知らない!」 事件が起こった時は、だいたいこんな調子で始まります。私も出かける時間が迫っているので声が大きくなりますが、冷静に冷静に。

まず民江さんを落ち着かせてから、便器から汚水が溢れたのかどうかを聞き出し、その状態に応じて対処しなければいけません。携帯電話を持ったままトイレに行き、トイレの中には足を入れず、覗き込んで今の様子を伝えるように一言ずつゆっくりと電話越しに指示を出します。

興奮すると電話が切れるので、何度も掛け直さなくてはなりません。現状を把握するまでに長い時間とたくさんのエネルギーを消耗するのは毎度のことです。やっと何かの原因で排水管が詰まり、便器からマットがびしょ濡れになる程の水が溢れ、代わりに風呂場で用を足していることがわかりました。

さあ、どうしましょう。今日は大好きなデイサービスに行く日ですし、私は午後しか行くことができません。結局マンションの管理会社にお任せして、無事に詰まりは解消しました。民江さんも少し時間をずらしてデイサービスに行くことができました。皆さんに感謝です。

◆夕方の電話

しかし夕方です。また民江さんからハアハア言いながら電話が掛かってきました。「ベランダに干しておいた私の大切なピエールカルダンのトイレマットが見つからない!」と言うのです。あらら、大切なものだったのね……。実は、民江さんの留守中に掃除と消毒に行った私は、ベランダに干してあったベトベトのマットをゴミ袋に入れて持ち帰り、捨ててしまったのです(!)

民江さんの話は続きます。「マンションの周りを一回りして探したけど落ちてないの。マンションの管理会社に電話したらすぐ来てくれてね、私がご近所一軒一軒聞いて回るわけにいかないと言ったら、見つかったら連絡をくれるって」「だって私が一軒一軒……」

興奮状態の民江さんの口からは、荒い息と一緒に次々と言葉が出てきます。捨てたことを言えなくなってしまった私は、「10階だからね、洗濯バサミで止めていないマットが飛んで行っちゃっても仕方ないよ」と言いましたが、民江さんの気持ちはおさまりません。

一旦こんな状態に陥ると、しばらく5分10分刻みで電話が鳴るので、できる限りお付き合いすることになります。幸いこの日は姉の「古かったからちょうどよかったじゃない」の一言で早々に鎮まり、民江さんは眠りについたようです。翌日、私は新しいマットをトイレにこっそり置いてきました。できればマットがなくなったことは忘れてほしいと願いながら。

管理会社の方のお話から推測すると、今回は尿パッドを流したようです。トイレットペーパー以外の物を絶対に流してはいけないと繰り返し言ってきたのにです。果たしてこの一件で、マットがなくなってしまったことよりも、そちらが重要だということが脳にインプットされたでしょうか。なるべく優しく「うっかり落としてしまったのなら、これからは絶対に気を付けてね」と何度も言っておきましたが、どうでしょう。嫌がられても毎日言い続けていれば、覚えてくれるでしょうか。

◆辛いですか。辛いでしょうね。

民江さんの家の中には、私の書いた張り紙が幾つかあります。ゴミの捨て方やデイサービスから持ち帰った下着の置き場所についてのお願いが大きな文字で張り付けてあります。しかしそれらの張り紙に何の効力もないことを思い起こしながら、あらためて民江さんが一人で生活をすることの難しさを痛感しました。デイサービスで難読漢字をいくらすらすらと読んでいても、目の前にぶら下がった紙には興味がないのでしょう。

普通にしていたことができなくなった民江さん、辛いですか。辛いでしょうね。娘に毎度世話を焼かれたくないでしょうね。明日も私は箪笥や部屋のあちらこちらから脱いだ下着を探して持ち帰りますね。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

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私の内なるタイとムエタイ〈43〉タイで三日坊主! Part.35 体調回復!

我々が泊まったクティとこの地域を走るトゥクトゥクが停車中
ノンカイでの托鉢を撮って貰いました Photo by Nate Badenoch

◆油断大敵!

昨日(12月20日)の祭りのソムタム(唐辛子入りパパイアサラダ)が効いた。元に戻ったどころではない。深夜から何度トイレに行ったことか、発熱に下痢に嘔吐まで、より酷くなった。短い時は10分も経たないうちにトイレに向かう。寝返るだけで漏らすほどひどい。体調崩してから力付けようと何でも食べたが、昨日の祭りのソムタム、スイカは信者さんに勧められて食べたが、逆にダメだった。

朝4時の読経に行く前、汚れたサボン(下衣)を廊下のソファーの下に隠す。戻ってから外のタライに水を張って、そのサボンを浸して托鉢に向かう。

朝食はほとんど食えない。オカズをひとつ摘んで御飯をスプーンで2掬い口に入れただけ。昼食も全く手が出ない。美味しい肉野菜炒めもあるのに美味しそうに見えない。もうソムタムには絶対手を出そうとは思わない。こんな食べる量の少ない日は初めてだ。自分の体力が心配になってきた。朝食後は何とか洗濯を済ませてまた横になる。

昼以降、またネイトさんと藤川さんが仲良く市場へ買い物に行って、ミロと湯沸しポット買って来たらしい。早速お湯を沸かしてみるネイトさん。ちゃんと湯が沸く。日本製でもない頼りないものがしっかり沸いている。その湯でミロを作ってくれたので頂いた。

朝の読経で読まれます。ページは5ページほどあったかと思います

寝ながら見ていた、いつもと違う私のグロッギーな状態にネイトさんが薬をくれる。いつもは元気そうに立って歩いたから、そんな深刻に見えなかったらしい。あまり勧めたくない薬のようだが、あまりに青い顔で寝ている私に勧めてくれた薬だった。バンコクで買った薬らしい。

◆僧名、チャナラトーの意味!

そういえば2ヶ月前の私の得度式で僧名を頂いているのに、全く忘れていた。あの得度式の前、「堀田さんは“チャナ・オハルサン”だそうですよ!」と高津くんが言っていた。

「ウソだろ、和尚さんに頼まれて藤川ジジィが考えたのか、この野郎!!」と思った。私はタイの比丘らしい“アリアラッタノー”とか“プッタラッタノー”といったカッコいい僧名が欲しかったのだ。しかし得度式の後、ケーオさんから頂いた得度証明書に、“チャナラトー”と書いてあったので、あの時はそんな疑念も消えて嬉しかったなあ。

そんなことで夜、藤川さんらと話している時、僧名の話題になった。藤川さんは“チンナワンソー”という。手紙が来る度、この名前が書いてあったから忘れない。それでこの私の“チャナラトー”と僧名を言ってみたら、その意味をネイトさんが仏教辞書で調べて、「座禅組むのが好きな人」と訳すと、いきなり藤川さんが「よし、今日は3人で座禅組もう!」と言い出す。

朝食後、その場で読経となる経文、このページのみです

ああ、ネイトさん余計なことを。しょうがない、3人で座禅に入るしかない。

無言で座禅を組んで心を無にする。これは非常に難しいことである。

人間、何も考えないということは出来ない。いや、修行を積めば出来るのだろうが邪念が入るのである。

誰とも話していないとき、本を読むとかテレビを観るといった行為をしない時、必ず何かを考えてしまう。その邪念を振り払い続けて到達するのが“無の境地”なのだそうだ。

何かが頭を過ぎる。それを追ってしまう。それを振り払う。そしてまた次のことが頭を過ぎる。それを振り払う。“何も考えない”と思うと、そう思うことが頭を過ぎっている。それも振り払う。これを延々続けると、本当に何も頭を過ぎらない、無の境地になるのだそうだ。

無理だ。誰かが部屋に入って来た。バリカンで剃髪してくれたスアさん、石橋正次似の比丘である。「オッ、何かやっとるわい」といった感じで遠慮して出て行かれた。ということが頭を過ぎっている。藤川さんと同じで、女の子が夢に出て来るような、生臭坊主の私が悟りを開く訳が無い。座禅は30分ほどで格好だけで終わった。

市場に行った際のお店に立ち寄るネイトさん

◆薬が効いた!

その翌朝(22日)は鐘が鳴る朝までぐっすり眠れた。下痢が止まったのだ。ネイトさんから貰った薬が一発で効いた。タイの薬は強いのである。おそらく日本では厚生省の認可が下りない。でもとにかく治った。嬉しくてしょうがない。

托鉢はもう日数も無いし、元気が出てきた私は、ネイトさんに撮影をお願いしてみる。「私の姿だけ撮ったら帰っていいから」と言うと、本当に2枚だけ撮って帰られた。やっぱり人物撮りは難しく、知らない人に接近して撮ることは怖さがあるのだ。ネイトさんはビエンチャンではよくやってくれたと改めて思う。だから薬の御礼を含め、剃髪と得度式はしっかり撮ってあげようと思う。

朝食は御粥にすることを思いつく、ネイトさんが買って来た湯沸しポットでお湯を沸かしてもらっておいて、御飯にお湯かけて簡易御粥にするつもりだった。かなり昔、居酒屋で御粥を頼んだ時、キックボクサーの稲葉理さんが、「こんなもの、飯に永谷園のお茶漬け海苔とお湯ぶっ掛けただけだ」と言ってたことがあった。これだ、こんな程度でいいから御粥が欲しくなった。ネイトさんはお湯を持って来てくれたが、こんな日に限ってカオスワイ(白米)は無く、カオニアオ(もち米)だけだった。でも食欲も沸き、寒い時期の温かいお湯が優しくお腹に効いた。

◆家庭教師の存在感!

先日、ラオスから戻った後のネイトさんの出家願いに、プラマート和尚さんに御挨拶に行った後、倉庫部屋に戻ると、そこには17歳ぐらいのネーンが勉強(高校一般教科)していた。

元々彼の部屋だったようで、精悍な悪ガキぽい顔つきだが、優しい奴で、御丁寧に部屋を譲ってくれようとした。名前はバーレーという。ここでも我々よそ者が邪魔して悪いと思うも、そこで機転利かせたネイトさん。バーレーくんの臨時家庭教師となった。英語もイサーン語も出来て、大学出の学力があっては言うこと無しである。英語で問いかければ反応して食い付いて来る。こんな田舎で、いきなりアメリカ人教師登場の運命に驚きのバーレーくんだった。

そんな学業に励むバーレーくん達を見て、藤川さんはこの日、彼らの学校に見学に行った。夕方頃帰って来て語るその感想は、「ラオス(ビエンチャン)の学校の方は教材も足りんで、設備整っておらん分真剣にやっとるが、タイ(ノンカイ)の方は設備整っておる分、不真面目になって雑談が多いな。恵まれるとやっぱり乱れていくんかなあ」と言う。

しかし、バーレーくんはネイトさんを頼って勉強を教えて貰おうとやって来るようになった。今しかないチャンスを活かす探究心はラオスの生徒達と同じ心境だろう。こんなノンカイでもラオスでも頑張っている奴は多いのだと実感する。

ネイトさんが家庭教師を受けたバーレーくん
剃髪近いネイトさんとその演出を考えた藤川さん

◆意義ある剃髪へ!

我々は明日23日の夕方頃、ネイトさんの剃髪をすることに決定。私がカメラマンを務めることで、藤川さんが演出に凝りだす。

「場所はメコン河をバックに土手の上、バリカンは断ってカミソリでやって貰おう」とスアさんにお願いすると快く了承して頂いた。

その前準備に、ネイトさんは親代わりをお願いしているオバサンを呼ぶか迷っていた。なかなか多忙な方だからだそうだ。

藤川さんが、「剃髪にオバサンがハサミ入れなかったことが後で心に引っ掛かるようならタクシー代100バーツ掛けてでもオバサンに会いに行ってお願いした方がええんちゃうか」と言うと決心し、明日行くことにしたようだった。

体調復活した私はまたカメラマン魂が沸いて来て撮影体勢に入っていくのでした。
 
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」
 

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囁かれる政界入り 貴乃花の逆襲が始まった! 貴ノ岩の日馬富士民事提訴は、角界改革の手はじめである


◎[参考動画]貴乃花親方が退職届提出 傷害事件の告発状巡り(KyodoNews 2018/09/25公開)

突然の親方引退と部屋の移籍、そして日馬富士氏の断髪式を待っての民事訴訟。これらは計画された戦術だったのだ。千賀浦部屋に移籍した貴ノ岩が、かりそめにも父親代わりである千賀浦親方に何ら相談することもなく、総額2400万円の損害賠償事件の民訴を行なったのである。

弁護士事務所は貴乃花氏の代理人と同じであることから、貴乃花氏の意向がつよく働いているのは誰の目にも明らかだ。そしてこの民事訴訟のねらいは、損害賠償金が目的ではないのも明白だ。なぜならば、あまりにもかけ離れた金額(日馬富士氏側は50万円)では、そもそも和解調停が不可能だからだ。

では、いったい何のために判決まで引っぱる訴訟を起こしたのか。これも少し考えればわかることだ。貴乃花氏の突然の「引退」の謎も、そして角界から身を引いた彼が何をしようとしているのかも、ほの見えてきたというべきであろう。

◆貴乃花告発状の真否を争う裁判に

和解調停が不可能であれば、証拠調べ・証人尋問と公判が開かれることになる。その最大の証拠が、貴乃花氏が内閣府に提出した「告発状」なのである。この告発状は弟子の暴行事件でいったん取り下げられ、さらには大相撲協会の危機管理委員会によって、事実ではないと否定されたものだ。

貴乃花氏が「引退」する契機になった「日馬富士暴行事件の事実関係」の真相が「告発状」にあると言っていいだろう。その真否をめぐって、暴行事件の関係者たちが、偽証のゆるされない法廷で証言をしなければならないのだ。

白鳳をはじめ、現役力士たち、さらには教会関係者の出廷を強いる。これほど効果的な大相撲協会への揺さぶりはないだろう。そして事実関係が白日のもとに晒されれば、貴乃花氏が引退する理由となった危機管理委員会の報告書、すなわち大相撲協会の屋台骨がゆらぐことを意味する。その先にあるものは、大相撲の大改革である。

◆囁かれる政界入り

それにしても、貴乃花氏は角界をみずから引退しているのだ。協会内でほぼ完全に孤立していたとされる貴乃花氏が、いったいどうやって大相撲協会を改革できるというのだろうか。ここで、ある噂がにわかに信憑性を帯びてくるのだ。

そう、一部のマスコミで囁かれている貴乃花氏の政界入りである。すでに一部の報道では、来年の参議院選挙への出馬をと、自民党が声をかけたとされている。もともと「相撲は国体のために」などと口にしてきた貴乃花氏である。

この国体とは国民体育大会ではない。天皇を象徴にいただく国家のあり方という意味である。国の中心に天皇を据える国体思想はすなわち、天皇の元首化を明文化すること。つまり自民党が政治日程に上せようとしている改憲である。

 
元大鳴門親方『八百長 ― 相撲協会一刀両断』(1996年4月鹿砦社)

自民党が貴乃花氏を改憲運動の看板にしようとするのは、火を見るよりも明らかだ。そうやって政治利用されることに、貴乃花氏もある重大な決意で大相撲協会の改革を政治家として行なおうとしているのではないか。

◆高鐵山いらいの告発も?

もともと貴乃花氏は、現役時代にある告発をもとに引退を決意したことがある。それは兄弟対決となった、95年11月場所の「八百長」をめぐって、それをやらせた父への告発を一冊の本にしようとしていたのだ。版元の社長の判断で原稿は日の目を見なかったが、ガチンコが身上の貴乃花氏ならではの決意だったといわれている。

これまでにも、高鐵山の元大鳴戸親方が大相撲協会および北の富士氏を告発した『八百長―相撲協会一刀両断』(元大鳴戸親方、鹿砦社刊)がある。みずからの八百長体験で実態を暴露した元大鳴戸親方は、後援会長とともに不幸にも事件性の高い事故で亡くなっている(一部には謀殺説も)。改革の夢やぶれて大相撲協会から身を引いた形の貴乃花氏だが、外側からの改革に政治家として乗り出す。じつはあの「引退」劇も、計画として戦術だったのだろう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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金明秀教授暴行問題について関西学院大学から新世紀ユニオンへ調査委員会設置などの回答 鹿砦社はさらなる激烈な戦術選択を宣言! 鹿砦社特別取材班

8月2日に新世紀ユニオンと関西学院大学側で行われた、団体交渉の合意事項を受けて、関西学院大学から新世紀ユニオンに9月22日付けで回答があった。ユニオン側から提出を要請した就業規則などの6種の規定の文面と、調査委員会には大阪弁護士会所属の弁護士が就任する旨が伝えられた。調査委員の選任はまだ完了していないが、新世紀ユニオンの角野委員長は、団交の際に調査委員会に第三者を入れることを要請したのに対して、第三者のみで構成される調査委員会の発足が回答されたことに対して、前向きに評価している。

関西学院大学が調査委員会に中立であることが期待できる、弁護士を登用し、第三者委員会を立ち上げることは、公平な調査が行われることへの期待抱かせる。大学側も真剣にA先生暴行事件の調査に、遅ればせながら取り組む姿勢を明らかにしたものといえよう。ユニオン側は回答を得て、質問と要望を大学に送付した(その内容は現時点では明らかにできない)。

金明秀(キム・ミョンス)関西学院大学教授が2016年5月19日、ツイッター上でM君に向けて行った書き込み。金教授の問題はA先生への暴行事件だけではない!

ユニオン側並びにA先生は、いたずらに争議を騒ぎ立てるつもりは全くなく、A先生が金明秀教授から受けた被害の回復、と適切な処分を求めているに過ぎない。関西学院大学も団交の中で、その要求の正当性を理解したと思われるので、今後調査員会が誠実な調査を実施し、適切な判断が下されることを取材班は見守りたい。金明秀教授の問題は、A先生への暴行事件だけではないので、関西学院大学が妥当な判断を下すことを期待する。

ところで、A先生の件とは別に、取材班ならびに、鹿砦社は“10・19M君の対5人裁判控訴審判決”を控え、ここに重大な最終的かつ新たな法廷内外での激烈な闘争に決起したことを読者の皆さんにお伝えする。「M君リンチ事件」を端緒に、この3年近く、取材班並びに鹿砦社は「対しばき隊」言論戦に、否が応でも直面せざるを得なかった。いうまでもなくM君の被害回復と加害者(事件への直接の加害者にとどまらず、M君を事件後セカンドレイプ的に攻撃した勢力)への、一定の責任追及を5冊の出版物を編纂する中で、その判断を世に問うてきた。初期にはほとんど著名人からの反応はなかったが、のりこえネット共同代表の前田朗東京造形大学教授が『救援』紙上で、旗幟を鮮明にされて以降、元読売新聞記者の山口正紀さんほか、名前は出せないが(つまり著名で、しばき隊のそばにいる人物たち)知識人・ジャーナリストからの支持が広がっていった。

私たちの戦線は、M君の対5人裁判を軸に、対野間易通裁判、鹿砦社が原告となった対李信恵裁判へと展開し、李信恵も鹿砦社を訴えてきた。ここに至り、取材班ならびに鹿砦社は、読者諸氏の想像が及ばないであろう、戦術を闘争の武器として採用することを決断した。このかん鹿砦社を舐め切った態度で、罵詈雑言を浴びせていた諸君や、鹿砦社に後ろ足で砂をかけた記憶のある諸君は覚悟して、“その時”を待つがよい。これまで取材班は数度にわたり「闘争宣言」を発してきたが、そのたびになんらかの驚愕的事実の暴露や、衝撃を誘う行動に実際に踏み出したことを想起されたい。

われわれは揺るぎない決意で、ルビコン川を超えた!

取材班はいつまでも「しばき隊」のお守りをするつもりはない。彼らの本質が既に相当程度明らかになった(=取材班は成果を確認できた)ので、M君の対5人裁判判決後、今後の方針を検討したのち、しかるべき時期に取材班は、発展的転身を遂げるであろう。しかし、その前に社会的正義に照らして、容認することのできない人物や行為には、きっちりケジメをつけておく。たとえ相手がどのような職業・肩書の人物であろうとも!!

そして再度認確する。取材班と鹿砦社はあらゆる差別に原則的に反対であることを。

(鹿砦社特別取材班)

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【金明秀教授暴力事件続報!】関西学院大学に質問状送付! (2018年7月4日)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!