電通出身脱原発派の曽我逸郎候補 健闘すれど厚かった小選挙区制の壁

曽我逸郎氏のHPより
曽我逸郎氏のHPより

前回取り上げた長野5区曽我逸郎(そが いつろう)候補が残念ながら落選した。当選したのは自民党の宮下一郎氏(91,542票)で、2014年前回の衆議院選挙(91,089票)より得票を少し増やした。曽我逸郎氏は宮下氏に次ぐ2番目で、48,588票を獲得した。宮下氏の得票と比較するとやや開きがあるが、希望の党から立候補した中嶋康介氏が前回の衆議院選挙(46,595票)よりやや減の得票を今回獲得(43,425票)したのに対し、曽我氏はそれを上回る得票を獲得した。

中島氏が前回と比較してやや得票を落としたのは、前回まで連合長野のもとで中島氏を支援していた自治労長野が曽我氏を独自に支援していたことが原因の一つと考えられる。自治労長野が連合長野とは違う候補を支援したのは長野県内ではこの5区だけで異例だった。曽我氏は前回共産党推薦で立候補した水野力夫氏が獲得した28,947票に約2万票上積みしたが、及ばなかった。

◆小選挙区制下の一本化をめぐる苦悩

今回の長野5区は死票率が50%を超えた。相変わらず小選挙区制の酷薄さを感じさせる結果だ。曽我氏の支援者によると、「曽我さんも、中島さんが希望の党ではなく立憲民主党や無所属で出馬していたら、今回の出馬はなかったのではないか」とのことだった。他の支援者は中島氏のマニフェストと希望の党との政策のかい離を指摘していた。

曽我氏のスローガンは「安倍政権、小池新党に立ちはだかる」であり、選挙後に出した曽我氏のコメント「今回の選挙を総括すれば、小池百合子氏にかき回されてしまいました。改憲勢力に対抗する一枚岩をつくり上げることができなかったのは、大変残念です。安倍首相と小池氏とは同類であり、そのどちらの陣営にも伊那谷から一議席を与えてはならなかったのに」(公式サイトより引用)とあるのを読む限り、他の候補者が安倍・小池と距離を置いていれば曽我氏は出馬していなかった可能性は高い。

曽我逸郎氏のHPより
曽我逸郎氏のツイッターより

中島氏は希望の党から立候補していたが、集団的自衛権の閣議決定撤回(公式サイトより)を掲げるなど、希望の党のスタンスより左寄りの立場をとっていたので、選挙区での争点がやや不明瞭となった。中島氏は民主・民進党時代に中川村村長選挙で曽我氏や曽我氏の後継候補(現職:宮下健彦氏)を応援していたこともあり、曽我氏も中島氏も互いに悔いの残る結果となったのではないだろうか。

曽我氏の前述のコメントはこういった背景があってのことだろう。もちろん立候補して主張を訴えることは民主主義社会で正当な行為であり、一本化自体が本来邪道であると筆者は考えている。死票を制度上大量に生み出す小選挙区制自体が不本意ながらの一本化を推進しやすい。このような選挙制度は早急に改革されるべきだ。

◆長野県内 自民・希望両党に逆風

長野1区の民進党前職篠原孝が希望の党の公認を蹴り無所属で立候補して圧勝し、2区では希望の党の下条みつ氏が自民党前職務台俊介(長靴事件で内閣府大臣政務官を辞任)相手に辛うじて勝利した。10月23日放送の地元テレビ局の報道によると下条みつ氏はもともと改憲反対を訴えており、社民・共産支持層が一本化する予定だった。しかし、下条氏が希望の党から立候補したため一本化はご破算となった。下条氏が選挙戦の中、党と自身のマニフェストとかい離があるのに、なぜ希望の党にはいったのかを直接説明する一幕もあった。長野県内では中島氏に限らず、希望の党にたいしてかなり風当りが強かったと言っていい。

◆立憲民主党への警戒

以上、希望の党が長野県内で一様に伸び悩んだことに言及してきたが、一方全国的に大躍進した立憲民主党にも不安がある。ジャーナリストの寺澤有氏に枝野氏の原発事故時の発言を受けて“新党「直ちに影響はない」”と揶揄された(原発事故避難者が枝野氏や福山哲郎氏らに向ける不信感を思えば当然である)立憲民主党だが、野党第1党になったのでその影響力は無視できないものとなった。

立憲民主党のホームページをみると「北朝鮮の核実験・弾道ミサイル発射は極めて深刻な脅威であり、断じて容認できない。北朝鮮を対話のテーブルにつかせるため、国際社会と連携し、北朝鮮への圧力を強める。平和的解決に向け、外交力によって北朝鮮の核・ミサイル放棄を訴え、最後の一人まで拉致問題の解決に取り組む」とあり、自民党と全く方針が変わらないものもある。その点、Twitterや候補者アンケートで朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の意図を理解し、圧力強化へ同意しなかった曽我氏のほうが筆者としてはまだ筋が通っていると思う。

さらに危険だと思うのが枝野氏の持論だ。「日本近海の公海上で、日本を守るために展開している米海軍が攻撃された時に助けに行けるのかについて、他国の軍隊が公海上で攻撃されたという面で捉えれば、行使が認められていない集団的自衛権のように見えます。でも、わが国を防衛するために展開している艦船だという点に着目すれば、日米安保条約に基づいて自衛隊と同じ任務を負っているのだから、個別的自衛権として行使することができます」と通販生活の記事で述べているが、ここでは個別的自衛権と集団的自衛権の境が限りなく曖昧になっている。

『私にも話させて』ブログを運営している金光翔氏が以下のように過不足なく適切に要約している。

有田芳生議員のツイッターより

「安倍政権が個別的自衛権では不可能として、集団的自衛権の行使を可能にして対処した案件に関して、枝野は個別的自衛権で対処可能、と強弁しているだけの話としかいいようがない。枝野の個別的自衛権解釈(およびその帰結としての憲法解釈)は、安倍政権の解釈論よりもはるかに強引かつ説得力のないものであって、これこそが立憲主義の破壊であろう」(2017年10月19日、メモ59より引用)

同感だ。立憲民主党が大政翼賛会化し、自壊する日もそう遠くないように思われる。

◆追記:有田芳生参議院議員の曽我氏への言及

支持する・しない、好き・嫌いは自由に発言されてもかまわないし、仕事柄むしろ積極的になされるべきだが、「国会でお会いしましょう」と言う前に、とりあえず鹿砦社特別取材班の取材に答えていただきたいと思う。説明責任を果たさないまま応援されると「逆宣伝」になりかねない。応援は本来自由にやればいいので、自分でも理不尽なことを言っている自覚はあったが、選挙期間中強くそう思った。

◎[関連記事]長野5区、曽我逸郎候補(電通出身・前中川村長)のまっとうな戦争・原発・沖縄観(2017年10月20日)

◎曽我逸郎氏公式サイト http://itsuro-soga.com/

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

『NO NUKES voice』13号 望月衣塑子さん、寺脇研さん、中島岳志さん他、多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

《殺人事件秘話03》法廷では完全黙秘の殺人者、面会室で見せた「冗舌な素顔」

2009年に始まった裁判員裁判では、すでに30件を超す死刑判決が宣告されている。その中でも異様さが際立っていたのが、2011年に東京地裁であった裁判員裁判で無実を主張しながら完全黙秘した伊能和夫だ。伊能は2013年に東京高裁の控訴審で無期懲役に減刑され、2015年に最高裁で無期懲役が確定したが、控訴審以降も公判では一言も言葉を発さなかった。

しかし、私が裁判中に面会に訪ねたところ、実際の伊能はむしろ冗舌な男だった──。

伊能の裁判が行われた東京高裁・地裁の庁舎

◆無実の主張は本気?

事件の経緯から振り返っておく。

東京・南青山にあるマンションの1室で、住人の飲食店経営者の男性(同74)が首を刃物で切られ、死んでいるのが見つかったのは2009年11月のある日のことだった。そして翌年1月、警視庁が強盗殺人の容疑で検挙したのが当時59歳の伊能だった。伊能は88年に妻(同36)を刺殺し、部屋に放火して娘(同3)も焼死させた罪で懲役20年の刑に服しており、事件の半年前に出所したばかりだった。

伊能はその後、裁判員裁判で無実を主張しながら死刑判決を受け、控訴審で無期懲役に減刑されたが、公判では一言も言葉を発せず、完全黙秘したというのはすでに述べた通りだ。私がそんな伊能の実像を知りたく、収容先の東京拘置所まで最初に面会に訪ねたのは、伊能が最高裁に上告していた2014年3月のことだった。

伊能はその日、紺色のスウェット上下という姿で面会室に現れた。白い頭髪を短く刈った小柄な人物だった。

お互い椅子に腰かけ、アクリル板越しに向かい合っても、伊能は宙を見たまま視線が定まらず、体をプルプルと震わせていた。顔はやせ、歯が何本も欠けており、眉毛も多くが抜け落ちていた。

「パーキンソン病なんです……」と伊能は言った。面会室での伊能はつぶやくような話し方をするため、声は聞き取りづらいが、その口からは言葉が次々に出てきた。

まず、単刀直入に裁判中の事件の犯人なのか否かを質問したところ、伊能は「全部やってないですから……自分は無罪ですから……」と言い切った。そして裁判への不満などを次々に口にした。

「裁判がメチャクチャなんで、最高裁では徹底的にやろうと思ってるんです……」

「自分は裁判で住所不明、無職にされましたが、住所も職業もちゃんとしています……」

「今は午前中に裁判に出すものを色々書いて、昼からは息子への手紙を書いてます……」

私は正直、伊能の無罪主張や裁判批判はピンとこなかった。裁判では、現場マンションの被害者宅室内から伊能の掌紋が見つかったとか、伊能の靴の底から被害者の血液が検出されたとか、有力な有罪証拠がいくつも示されていたからだ。

また、息子に手紙を書いているという話も違和感を覚えた。伊能に息子がいるのは知っていたが、妻と娘を殺害した伊能が息子と良好な関係だとは思いがたかったからだ。

ただ、伊能本人は本気で自分を無実だと思っているようにも感じられた。そこで、まずは手紙で事件の真相を教えてもらえないかと依頼すると、伊能は「1日に1枚か、2枚かなら・・・」と承諾してくれた。これをうけ、私が「では、便せんと封筒を差し入れておきます」と言うと、伊能はこんなことを言ってきたのだった。

「ついでに甘い物を・・・あと、お金も少し・・・今、3千円しかないんで・・・」

正直、金銭の要求に心の中がモヤッとしたが、私は面会を終えると、拘置所1階の売店から伊能に便せん、封筒と共にみかんの缶詰や現金2千円を差し入れた。しかしその後、待てど暮らせど、伊能から届くはずの手紙は届かなかった。

伊能が収容されていた東京拘置所

◆証拠は「全部偽物」

約7カ月後、私は再び伊能の面会に訪ねた。伊能はこの日、刑務官が押す車椅子で面会室に現れた。「体調が悪いんですか?」と聞くと、目は宙を見つめたままだが、「大丈夫。薬、もらってるから」と口元をほころばせた。この日は事件に関する疑問も率直にぶつけたが、伊能はよどみなく答えた。

── 裁判はその後どうですか?

「1審も2審も何もしゃべらんかったから、今は色々書いてます。何もかもが偽物の証拠やから」

── 伊能さんの靴に被害者の血がついていたそうですが?

「あんなのは偽物の証拠ですわ」

── 伊能さんの掌紋が現場で見つかったという話は?

「全部偽物の証拠ですわ」

── 現場近くの防犯カメラには伊能さんの姿が映っていたそうですが……。

「あんなのは全部人間が違うんです。1メートル80センチくらいあったり、1メートル50センチや60センチだったりするんですから」

── 事件直前に伊能さんが包丁を買っていたという話もありますが?

「買うわけない」

つまり伊能によると、有罪証拠は何もかもが捜査当局の捏造だというわけだ。「では、裁判で黙秘した理由は?」と尋ねると、伊能は「裁判では、『無実だから何も出ない。無罪になるだろう』と思ってましたから」と言い切った。本気で自分を無実と思っているのか否かは今も断定しづらいが、罪悪感を覚えていないのは確かだと思えた。

そして面会時間が終了し、私が辞去しようとした時、伊能はこう言ってきた。

「お金と甘い物入れて。お金は多めに、甘い物は何品か」

さらに「大福餅があったら入れて」と付け加えられ、私はまた心の中がモヤッとしたが、ともかく現金1千円と大福餅、チョコパイを差し入れた。ただ、この日以来、伊能の面会に訪ねる意欲を失った。

◆初めて届いた手紙で「金一ぷう」を催促

伊能から初めて手紙が届いたのは約3カ月後、最高裁が控訴審の無期懲役判決を追認する決定をした今年2月のことだ。それには、再審請求をする意向や、息子や親戚たちが自分の味方になってくれているという真偽不明の話が綴られたうえで「案の定」なことが書かれていた。

〈金一ぷうを、ごかんぱしてください。たとえ1万円でも2万円でも、よろしいのですので。〉(原文ママ。以下同じ)

現金の差し入れを求めてきた伊能の手紙 (修正は筆者)

この図々しさにはあきれたが、手紙の末尾には〈親愛なる片岡様、ごかぞくの、お幸せと、ごけんこうを、心から、お祈りいたします。〉〈近々には、かならずや、片岡様との、ご面会が、ととのうよう心から、お待しております〉などと嘘くさいことが恥ずかしげもなく綴られており、苦笑させられた。殺人犯にこんなことを言うのは気が引けるが、愛嬌のある人物ではあった。

この時も現金1000円を同封し、「服役先が決まったら連絡して欲しい」と書いた手紙を伊能に送ったが、当然のごとく現在まで返事は届かない。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
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大阪司法記者クラブはなぜ、M君の記者会見を拒否するのか?

11月16日に対野間易通控訴審判決が言い渡されるM君が、大阪司法記者クラブに記者会見を申し込んだが、会見実施を断られた。M君が記者会見を断られたのはこれが4回目だ。どうもおかしい。詳細な成り行きを見てみよう。

M君が野間易通にツイッター上で、本人が望まない姓名や所属大学の名前をさらされた上に、数々の誹謗中傷を受けた被害を大阪地裁に提訴した裁判は野間に罰金11万円の支払いを命じる判決が下された(5月26日)。

しかし賠償金額の少なさもさることながら、判決文にはM君の受けた被害が妥当評価されておらず納得のいかない点も少なからずあったことから、M君は大阪高裁に控訴した(6月8日)。その高裁判決は11月16日に言い渡される。

そして、偶然にもその日は李信恵が保守速報を訴えた訴訟の判決が言い渡される日でもある。同じ日同じ裁判所の中で、地裁、高裁の違いはあれどM君対野間の判決と李信恵対保守速報の判決が交錯するのだ。

野間は10月18日の朝日新聞や産経新聞でもコメントが掲載されるなど、相変わらず大手メディアにも登場が続いているが、M君事件で敗訴したことへの言及は一切ない。真逆に「M君リンチ事件」やM君の対野間裁判勝訴は鹿砦社以外にはごくわずかな例外(「救援」8月10日号紙上における前田朗氏の「反差別運動における暴力」など)のほかには報じる媒体がない。

極めて不思議な現象ではないか。何か「深い闇」があるのか、誰かが操作しているのか、それとも報道関係者は「M君リンチ事件」をまだ知らないのか。

取材班は1年以上この疑問に長らく直面していたが、過日その実態の一端を明かすことになる出来事が起きた。M君は10月18日に、対野間裁判高裁判決(11月16日)後の記者会見を大阪司法記者クラブに申し込んだ。記者クラブは持ち回りで幹事社が入れ替わる。10月18日の幹事社は共同通信で同社の楡金(にれがね)記者が申し込みに応じている。M君は楡金記者に以下のように記者会見を申し込んでいる。

楡金 共同通信の楡金(にれがね)と申します。
M  お世話になります。Mと申します。記者会見の申し込みをしたいのです。
楡金 どういった内容でしょうか。
M  名誉毀損の裁判の高裁判決です。
楡金 どういった内容の名誉毀損でしょうか。
M  ネット上の誹謗中傷です。
楡金 一審判決はどこかに報道されたり?
M  それはありません。
楡金 そうなんですね。ちなみにどなたに誹謗中傷されたのでしょうか?
M  野間易通という方です。きょうの朝日新聞にこの人のインタビューが載っています。
楡金 そうなんですね。一審の結果はどうだったんでしょうか?
M  私の勝訴でしたが、どちらの主張も聞いていない内容でしたので控訴しました。
楡金 主文はどういった内容だったんですか?
M  11万円の賠償命令です。
楡金 もともとの請求額は?
M  220万円です。
楡金 Mさんご自身はどういったご職業の方でしょうか?
M  大学院生です。
楡金 わかりました。大阪府内?
M  いえ○○大学です。
楡金 ○○大学の大学院生でおいくつでいらっしゃいますか?
M  ○○歳です。
楡金 野間易通さんとはどういった関係だったんですか?
M  私も野間氏もヘイトスピーチに対する抗議運動をしていました。その内部で暴力事件があったという話はお聞きになったことありますね。
楡金 あーはいはい。李信恵さんもかかわっていたやつですか?
M  そうです。その被害者が私です。その事実を昨年私は公表しました。最初は「週刊実話」という雑誌が報じました。そうしたらどういう経緯かわかりませんけど、その日のうち「週刊実話」はネットに訂正記事を出しました。それでは私は困りますから、事実ではないわけですから。それで李信恵さんの謝罪文を公表しました。そうしたら野間さんらが私の実名を出してネットで誹謗中傷をしたのです。
楡金 ネットというのはツイッターかなにか?
M  主にツイッターですね。
楡金 ツイッターですね。承知しました。それではこれから各社にお受けできるかどうか聞いてみますので。
M  ちなみに判決の日は11月16日13時15分です。
楡金 わかりました。判決後に記者会見したいと。
M  そうです。付け加えておきますと、同じ日に李信恵さんが保守速報を訴えていますね。その判決と同日です。
楡金 わかりました。各社に諮ってみまして、場合によっては判決だけ頂いて、囲むって言うことになるかもしれないんですけれども、また結果をお伝えいたしますので連絡先をお願いいたします。
M  はい(電話番号を伝える)
楡金 わかりました。ありがとうございました。ではまたご連絡いたします。
M  ありがとうございます。

午前中に記者会見を申し込んだM君へ午後楡金記者から連絡が入る。

楡金 Mさんでいらっしゃいますか。午前中にご連絡いただきましてありがとうございました。各社に諮ってみたんですけれどもちょっと他の予定との兼ね合いとかもありまして。
M  他の予定とはなんでしょうか。
楡金 各社のあのーそれぞれの判断なので。ごめんなさいそこまで全部把握していないんですけれども。えーっと記者会見として開くっていうのは、ごめんなさいお断りさせていただくんですが。
M  その理由はなんですか。
楡金 各社にご連絡しまして、どうしても記者会見をしたいという判断にはならなかったっていう。
M  だからそれはなぜなのかとお聞きしているのです。
楡金 なぜなのか。そうですね、要望がなかったという以上の理由はないんですが。
M  要望がなかったというのは「小さい事件だから黙っていろ」ということですか。
楡金 そんなことはないんですけれども。
M  ではどういうことですか。
楡金 それぞれの、あのー社さんのご判断ですので。
M  なるほど。その日李信恵さんも判決ですよね。記者会見されるんじゃないですか?
楡金 いや、とくに今のところご連絡は頂いていないんですよ。
M  そうですか。まだ時間がありますからね。
楡金 あーまーそうですね。
M  どちらにしても、記者会見されるのかどうか、直接私は確認しに行きますので。
楡金 あ、わかりました。承知しました。はい、はい。そういうことで当日法廷に行って中には傍聴する記者もいるかもわかりませんが。
M  はい。高裁の84号法廷です。
楡金 もしかしたら判決言い渡し後にお話を聞く記者がいるかもしれませんがよろしくお願いいたします。
M  はいわかりました。
楡金 すみません。ありがとうございました。
M  はい。

午前中には「場合によっては判決だけ頂いて、囲むって言うことになるかもしれないんですけれども」と各社への確認はするものの、興味を示していた楡金記者からの「記者会見お断り」の回答はいかにも歯切れが悪い。注目すべきはM君が初めて会話を交わした楡金記者が「M君リンチ事件」を「あーはいはい。李信恵さんもかかわっていたやつですか?」と認識していることだ。

彼らは知っている。間違いなく「李信恵さんもかかわっていたやつ」を熟知している。

リンチ事件直後のM君の顔(『人権と暴力の深層』より)

大手マスメディアは、たとえそれが「建前」であったとしても事実に対しては「厳正」であってもらわねば困る。しかし新聞、テレビは一切野間や李信恵の「負の部分」を報じない。なぜなのだ?

楡金記者によると李信恵サイドから11月16日記者会見の申し込みはまだなされていないという。万が一「M君リンチ事件」裁判では原告であるM君は無視され、被告である李信恵の裁判には記者会見を開かれれば、完全な「偏向取材(報道)」と断じるほかない。そんなことはないはずだ。大阪司法記者クラブの記者諸君には「報道人」としての良識があるのだから、もうこれ以上の過ちを「報道人」が繰り返しはしまい。

(鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層――カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

衆院選の暗澹 小選挙区制度が招いた有権者の意識混濁と捻じれた投票行動

NHK2017衆院選開票速報より

相当昔の話だ。自動車免許を取得するために教習所へ通っているときに、当たり前のようで、いまになれば結構含意のある、自動車操作の際の原則を教わった。運転は「認知―判断―操作の連続だ」との原則である。運転者は周囲の状況を視覚で確認し(認知)、その状況ではどのようにハンドルを切るべきか、速度を上げるか下げるかを脳で瞬時に決定(判断)し、手足でハンドルやアクセル、ブレーキに適切な動きを伝える(操作)する。最近自動車教習所でどのように教えられているのかは不案内だが、当時は教習の初期段階で「認知―判断―操作」を講師は繰り返し受講生に説いていた。

なにを分かり切ったことを。と、繰り返される「認知―判断―操作」が耳障りに感じた記憶がよみがえる。「当たり前ではないですか、そんなこと」とまだ心身発達途上であった若年には響く言葉では決してなかったけれども、それが哲学的だなぁと思いだされたのは、今次の総選挙を総括するにあたり、どうも気が進まない原因をあれこれ思案していた際だ。

◆有権者の欲求が消し去られる小選挙区制間接民主主義

小選挙区制における間接民主主義は「認知―判断―操作」の手順を円滑に操作しえない制度ではないか、現況の惨憺たる有様の根本には構造的、また精神的にこの阻害要因がかなり強く作用しているのではないかとの疑義を私は抱いている。

また視点を変えると有権者が持つ要求や欲求が、それを達成するために手段であるはずの投票行動に繋がってはいないように思われる現象に思い至る。そもそも自身の要求がなんであるのか、自分は何を欲しているのか、自分の生活がどうして苦しいのか、客観的には生活が苦しいのに、「みんなそうだから」と理不尽な生活苦を、受け入れてしまう生理や精神がどうして定着したのか。これらにも重大な注意が払われなければならない。

雇用主が下請けに仕事を投げると、斡旋に入る人間が中間搾取を行い、働く人に本来支払われるべき金額が減らされる。請負の構造が二重三重と増すにつれ中抜きの額が増すから、働いた人が手にする賃金は請負構造が重層であるほど、少ないものになる。

間接民主主義、とりわけこの島国においては小選挙区制が導入されて以来、国政選挙で、有権者の要求、欲求が投票行動により反映される原則的な権利が構造的、精神的に破壊されつくされたのではないか。直近の選挙結果はもちろん重大な関心事である。けれども注視されるべきは、どのみち投票行動によって、要求や欲求が反映されることのない制度の定着により、有権者の精神に本来生理的に宿るはずの、欲求や怒り、不満などがあいまいに消し去られている現状だ。

◆小選挙区制導入で崩れさった「選挙制度の前提」

人は多様であるから個別全員の意見を社会に反映させることはできない。それで代議士制度が誕生し、投票による付託で共通項を政治に反映させる。この制度には合理性が認められる。ただし、制度の有効性は、有権者が100%とはいかなくとも一応の納得で自己の態度や要求、欲求を付託できる投票対象が選択肢として準備されていることが条件とされなければならない。民主主義が至上の制度だと私的には思わないけれども、政治は民主的であることが現行憲法では原則とされているのであるから、その原則は堅持されなければ制度の趣旨は無化される。

そして今回の総選挙に限らず、小選挙区制導入に伴い「選挙制度の前提」は崩れさっていた。2割以下の総得票で7割以上の議席を得られるのが小選挙区制度である。

得票を目指す候補者が次第に「現状肯定派」(原則肯定ではない)によって占められるようになることは当然の成り行きだ。多様な価値観などは切り捨てられ、異議申し立て勢力であった諸党派もその主張を「現状」に近づけ得票を狙う。つまるところ原則的な変化などこの制度の下では、起こりようがないのではないか。

NHK2017衆院選開票速報より

◆制度に並走して有権者の覚醒を抑止するマスメディア

制度に並走しマスメディア権力も有権者の覚醒を抑止する役割を進んで担う。それはきのうきょうに始まったものではない。強制によらずとも戦争を喚起し加担した1930年代の新聞の姿と敗戦をまたいでも、何途切れることなく連綿と続くこの島国のマスメディアの根腐れ的特質でもある。にしても報道自由度ランクで「国境なき記者団」により72位という名誉ある格付けを頂いている客観情勢を、それらに囲まれ日々生活をしている人びとは認識しておくべきだろう。この島国の報道自由度は「顕著な問題」(Noticable problems)に分類されている。

よって、今次の総選挙の結果は単一の選挙結果として分析しても優位な意義がなく、問題をはらむ選挙制度、および情報制限下で連続して行われる国政選挙の結実期に、どのような投票行動が見られたかとの視点から冷徹に眺められるのが妥当であろう。

顕著な傾向としては、「有権者の意識混濁と捻じれた投票行動」を見て取ることができる。現象面での結果には言及しない。偶然であろうか、大型台風の直撃が示唆的に語るべき総論(災害)を提示しているのだから。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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私の内なるタイとムエタイ〈12〉タイで三日坊主 Part.4 比丘の托鉢

朝の読経
まだ暗い道を進む藤川さん
早くから喜捨の為待つ信者さん
小さい頃からこの習慣が身に付いていく、教育ともなる喜捨
来世に向けて徳を積むおばあさん

 

◆朝の読経とビンタバーツ(托鉢)の準備

翌朝、目覚めたのは4時頃でした。眠れそうにないと思った枕の違う寝床でも一回も起きずに朝を迎えました。静まり返ったクティ内に対し、外には元気に鶏が何羽も鳴いています。田舎らしさというか、お寺らしさというか、自然が作り出す朝の賑わいが心地いい目覚まし時計となりました。

これから読経があるということで藤川さんはホームドーン(儀式用纏い)に黄衣を纏い、クティ内の読経の場に向かいました。揃った比丘は7僧。この寺は和尚さんを含めて8僧というなかなか少ない在住比丘でしたが、これがパンサー(安居期)には若い出家者が30僧ほど増えるという賑やかさだそうで、それぐらいがこの広い敷地の寺らしいと思いました。読経は30分ほど続き、これが終わってゆっくりビンタバーツ(托鉢)の準備に向かいます。

◆比丘と俗人の神聖な触れ合い

藤川さんは黄衣をホームクルム(外出用)に纏い直し、バーツ(鉢)と頭陀袋を持って裸足になって5時30分頃寺を出ました。外はまだ真っ暗。藤川さんの裸足の擦る足音が「サラサラサラ」と静かに響く中、月が明るく照らしていました。その暗闇の中、すぐに現れた信者さん。おひつに入れた湯気が立つ炊き立て御飯をしゃもじで掬ってバーツに入れ、ビニールに入ったオカズを頭陀袋に入れ、ワイ(合掌)をする10秒ほどの儀式が済んで何も言わず静かに立ち去る藤川さん。日本人的感覚では、乞食に食べ物を恵んでやるような行為も、その意味合いが全く違う、正に神聖な瞬間でした。

寺の路地を出て大通りを歩く間にも、次々と信者さんが待つ道の端に止まり、サイバーツ(鉢に寄進するものを入れる行為)を受け先に進みます。また別の路地に入り家の前でテーブルを出して比丘を待つ信者さんもいます。カメラを向けフラッシュを焚くと一瞬驚いた様子も見せつつ、ニコッと笑ってくれる人ばかり。私も緊張の撮影でしたが、皆がおおらかな人達でした。中には「日本人ですか?」と尋ねてくれる人もいて、軽く挨拶しては先に無言で歩く藤川さんを追いかけました。陽が昇り空が明るくなった頃、寺に戻ります。ほぼ1時間ほど歩いた道程でした。結構な運動量であることにも驚くほどでした。

水を溜めた足洗い場で足を洗い部屋に戻りました。正気に返ったように笑顔で「こんなもんです!」と普通の会話に戻り、托鉢の様子を見せ終えた藤川さん。バーツにはかなりの御飯と頭陀袋にも数々のオカズが入っていました。蓮の花を渡した信者さんもいました。それらを一旦比丘の食事の場となる“ホーチャンペーン”と言われる高めの台座に集められ、デックワット(寺小僧)によって食器に移されていきます。

昨夜会った男の子も率先して働いています。比丘の食事となる前に俗人であるデックワットから比丘に再度手渡しがされます。この儀式が無いと比丘は食事をしてはいけません。比丘の朝食の間はデックワットは何もせず待ち、食事後、デックワットが残り物や食器を集めて去り、その場で読経が5分ほど行なわれ終了。

デックワットは集めた残り物やタライにいっぱいある白米と、オカズもまだ手を付けてない袋に入ったもの、それらを持って別室で自分たちの朝食となります。寄進はかなり多かったことを表すほど山盛りありました。私も和尚さんに「一緒に食べなさい」と呼んでくださり、デックワットと一緒に朝食となりました。決して粗末なものではなく、バンコクの屋台やムエタイのジムで食べていたものと同じ。仲間が居れば輪を囲んで食べる楽しさもありました。これって今の日本人にはなかなか無い習慣だと感じるところでした。いや、昔の日本にもあったのです。一家団欒の輪を囲み、同じオカズに箸を付けることに家族の触れ合いや温かみがあるのでした。

「寺には何かある、一般人には無い何かある。これを体験させる為に、タイには軍隊の他に、社会人として常識を覚える通過儀礼として出家制度があるのでは」とおぼろげながら感じるのでした。

慌てて門から出て来てサンダルを脱ぎ捨て喜捨した信者さん
裸足で無言で重くなったバーツと頭陀袋を持って寺に帰る藤川さん

◆外泊理由に使われた私!

わずか24時間に満たない寺滞在でしたが、「俺にも出来るぞ」という安心感を得て、和尚さんに、しっかりワイをして下手なタイ語で御挨拶して寺を後にしました・・・。

となるなずだったのですが、「ワシも行くぞ!」と黄衣を纏って準備していた藤川さん。バンコクにはソーソートー(泰日経済技術振興協会)といったタイ文化と交流を持つ日本人会や、度々お泊りの世話になる旅の中継点の、スクンビット通りの寺があるので、藤川さんは何かと用を作ってはバンコクに向かうこと多いようでした。でも何やら遠出外泊にはあまりいい顔しない和尚さんらしく、私を見送るという丁度いい理由付けにして着いて行こうと思っていたようで、笑ってしまうような何ともセコい藤川さんの考え。これでバスに乗ってバンコクまで一緒。お喋り相手に利用したり、外出理由に利用したり、だんだん藤川さんの思惑が見えてきたような言動。これが今後も続くとはまだ深くは考えていない寺様子見の旅となりました。

ぎこちない挨拶をする私に、藤川さん流に見ると、和尚さんは寛大な心を見せようとしているのか、「いいからもっと気楽に居なさい。出家の時も何も心配しないで気楽に来なさい」という何とも優しい対応でした。

寺を出る前に、この寺の世話人となる、藤川さんの出家の際に親代わりとなってくれた弁護士さんが居ると言うので、この方にも御挨拶に行きました。もうこんな親代わりは慣れっこのようで、弁護士というより小学校の先生のような何も不安の無い普通の優しいオジサンでした。副住職さんにもお会いし、藤川さんが率先して私のこと喋ってしまうので、改めて自己紹介は軽めに、「得度式の際にはお世話になります」とお願いして寺を後にしました。

◆最後の前哨戦に向けて!

私はまたこの寺に来る日までに、やらなければならない問題が山積みでした。経文は覚えなくてもいいと言われてもある程度、得度式の流れを汲んでおかねばなりません。長旅の予算も必要です。住んでいるアパートをどうするかも問題でした。貧乏生活をしている私はそれがいちばん問題で、それらを解決してから寺に向かうことになります。

これで頓挫しないことを誓って一旦帰国となるところ、「6月頃、日本に帰るから東京で宜しく頼むわ」と藤川さんにお願いされてしまう別れ際。何か厄介なお荷物になりそうな嫌な予感を受けながら了解し、アナン会長の居るムエタイジムに戻って数日お世話になってから帰国しました。これから日本で、頼らなければならない幾人かの友人、知人に出家することを伝えなければいけません。その人物とこれから会うことになります。

朝食後は短い読経で締め括ります

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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DUEL.12 キック界次世代超スター、挑戦者たちの宣戦布告!

波賀宙也 vs ジョム・エスジム。波賀は技を駆使して攻めるが、ブロックや的を外すジョムの巧みさがムエタイの壁となる
波賀宙也 vs ジョム・エスジム。波賀にとって苦しい再起戦、ムエタイの壁となったジョム

選手だけでなく、若武者会プロモーターたちの宣戦布告であるかもしれない先月3日に続くDUEL興行。過去より比較的短い間隔、ディファ有明での開催も、ついに主要会場クラスに進出となりました。

◆波賀宙也 vs ジョム・エスジム

6月25日にWBCムエタイ日本スーパーバンタム級王座を失ったばかりの波賀は再起戦となる一戦。初回のローキックでのけん制から次第に距離が詰まっていく両者。組んでのヒザ蹴りも多くなり、互いの攻防はミドルキックやハイキックも繰り出し激しくなっていくが、波賀はジョムの距離に付き合ってしまっている印象。猛攻を掛けても芯を捕らえさせないジョムの上手さが目立った試合。

◆櫻井健 vs コンゲンチャイ

櫻井の蹴りにもパンチにも応戦するコンゲンチャイ。両者パワフルな攻防となるが、テクニックで優るコンゲンチャイが蹴られても蹴り返し、好戦的に前に出る。当初から5回戦と決められていたが、プログラムには3回戦とあり、3ラウンド終了時で「これは5回戦です」というアナウンスで戸惑う観衆。ただ選手と陣営は次のラウンドに入る素振りがあったので、当初から5回戦だったと感じる動きではありました。

後半は勝ちを確信した逃げかスタミナ温存か、ロープに詰まるように下がり始めるコンゲンチャイ。スタミナ充分な櫻井が圧力掛けるが、それでもコンゲンチャイは蹴りは強くムエタイ技を見せ劣勢に至らないコンゲンチャイが判定勝利。

エスジム所属のタイ選手のテクニックに翻弄されたメインクラスの波賀宙也と櫻井健でしたが、いずれも採点は2-1の接戦で、しかしこの差が大きく、これを乗り越えていかねばならない本場ムエタイへの通過点でもあります。

櫻井健 vs コンゲンチャイ・エスジム。重いローキックのコンゲンチャイ
櫻井健 vs コンゲンチャイ・エスジム。櫻井健も耐えて善戦するが、コンゲンチャイも怯まないで蹴り返して来る
バチ捌きは見事な連係、12分を戦い抜いた雄勝町伊達の黒船保存会の4名
ラウンドガール晴奈さん。リングも舞台も真剣勝負

KO決着は第1試合と第2試合のみ。パフォーマンスで目立ったのは毎度の鰤鰤左衛門。
鰤鰤は接戦の試合が多く負けの数も多いようですが、この日も接戦ながら勝利となりました。変則的な雰囲気を醸し出しながらしっかりとパンチと蹴りを持つ攻防でした。

アトラクションとして雄勝町伊達の黒船太鼓保存会による創作和太鼓の披露は、汗びっしょりになって太鼓を12分に渡りリズムに乗ってバチで叩き続けた4名の連係捌きが見事で、試合以外でも盛り上がりある興行となりました。リング上での披露はいつもと違った臨場感だったでしょう。

毎度のラウンドガール登場はDUELで2代目となる晴奈さんが登場。舞台やテレビ、映画出演が多い女優さんです。

◎DUEL.12 / 2017年10月1日(日) ディファ有明14:00~18:55
主催:NJKF若武者会 / 認定:NJKF

◆メインイベント 56.5kg契約 5回戦

波賀宙也(立川KBA/56.5kg) vs ジョム・エスジム(タイ/56.52kg)
勝者:ジョム・エスジム / 判定1-2 / 主審 多賀谷敏朗
副審:白神48-49. 中山49-48. 竹村48-49

◆ライト級 5回戦

櫻井健(習志野/60.8kg)
vs
コンゲンチャイ・エスジム(元・ルンピニー系バンタム級3位/タイ/60.6kg)
勝者:コンゲンチャイ / 判定1-2 / 主審 宮本和俊
副審 多賀谷49-48. 中山48-49. 竹村47-50

◆ウェルター級3回戦

NJKFウェルター級5位.Jun Da雷音(E.S.G/68.7kg)
vs
NJKFスーパーウェルター級6位.変わり者(東京町田金子/69.8kg)
勝者:.Jun Da雷音 / 判定2-0 / 主審 白神昌志
副審 多賀谷29-29. 中山30-29. 宮本29-28

◆58.5kg契約3回戦

NJKFスーパーフェザー級3位.大輔(TRASH/58.35kg)
vs
山浦俊一(新興ムエタイ/58.5kg)
勝者:山浦俊一 / 判定0-3 / 主審 竹村光一
副審 白神28-29. 中山28-29. 宮本27-29

◆バンタム級3回戦

NJKFバンタム級6位.淳士(OGUNI/53.2kg)
vs
同級9位.鰤鰤左衛門(CORE/53.4kg)
勝者:鰤鰤左衛門 / 判定0-2 / 主審 多賀谷敏朗
副審 白神28-30. 竹村29-29. 宮本29-30

淳士 vs 鰤鰤左衛門。アグレッシブに攻めた鰤鰤左衛門
接戦ながら勝利した鰤鰤左衛門

◆57.0kg契約3回戦

NJKFスーパーバンタム級4位.雄一(TRASH/57.0kg)
vs
NJKFスーパーフェザー級9位.真沙希(VERTEX/56.9kg)
勝者:真沙希 / 判定1-2 / 主審 中山宏美
副審 白神30-29. 竹村29-30. 多賀谷29-30

◆NJKF女子(ミネルヴァ) 52.8kg契約3回戦(2分制)

同・スーパーフライ級チャンピオン.伊織(T-KIX/52.1kg)
vs
同・スーパーバンタム級1位.小田巻洋子(クレイン/52.7kg)
勝者:伊織 / 判定2-0 / 主審 宮本和俊
副審 中山30-29. 竹村29-29. 多賀谷30-29

◆女子ライトフライ級3回戦(2分制)

RINA(谷山・小田原/48.6kg) vs YUKINO(トースームエタイシン/48.8kg)
引分け / 三者三様 / 主審 白神昌志
副審 中山29-29, 宮本30-29. 多賀谷29-30

◆55.0kg契約3回戦

永井健太朗(Kick Box/54.9kg) vs 中尾興慧(TGY/54.9kg)
勝者:中尾興慧 / 判定0-3 / 主審 竹村光一
副審 中山28-30. 宮本28-30. 白神29-30

インパクト勝利2人目、松谷桐

◆55.0kg契約3回戦

海人(E.S.G/55.55→55.35kg) vs 古村匡平(立川KBA/54.7kg)
勝者:古村匡平 / 判定0-3 / 主審 多賀谷敏朗
副審 竹村27-30. 宮本25-30. 白神27-30
海人は350グラムのオーバーウェイトの為、減点1が加算された採点

◆57.0kg契約3回戦

小田武司(拳之会/56.9kg) vs 山浦翔(新興ムエタイ/56.7kg)
勝者:山浦翔 / 判定0-3 / 主審 中山宏美
副審 竹村28-30. 多賀谷28-30. 白神28-30

◆スーパーライト級3回戦

野津良太(E.S.G/63.4kg) vs 岩橋伸太郎(エス/63.0kg)
勝者:野津良太 / 判定3-0 / 主審 宮本和俊
副審 竹村30-28. 多賀谷30-29. 中山30-28

◆フェザー級3回戦

吉田凜汰郎(VERTEX/56.5kg) vs 佐々木裕亮(光/56.5kg)
勝者:吉田凜汰郎 / 判定3-0 / 主審 白神昌志
副審 宮本30-24. 多賀谷30-24. 中山30-23

◆第2 フライ級3回戦

EIJI(E.S.G/50.6kg) vs 松谷桐(VALLELY/50.2kg)
勝者:松谷桐 / TKO 2R 2:25 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審 竹村光一

松谷桐 vs EIJI。KO勝利2人目の松谷桐、飛び膝蹴りでダウンを奪い、再開後パンチで仕留めました

◆第1試合 バンタム級3回戦

鈴木力也(ZERO/53.3kg) vs 北田竜汰(光/52.6kg)
勝者:鈴木力也 / KO 1R 1:30 / カウント中のタオル投入による棄権
主審 中山宏美

鈴木力也 vs 北田竜汰。鈴木力也がハイキックで一発KO勝利、このカットではありませんが、逆方向からこんな形で決まりました
ハイキックKOは15試合中いちばんインパクトあった第1試合の鈴木力也

《取材戦記》

NJKF本興行から準ずる形の若武者会主催の第12回目と力を付けているDUELでした。今回はメインイベンタークラス以外にも注目して掲載してみました。今後もパワーアップして行きそうな若手のプロモーター興行です。

全15試合は14時から始まり、約5時間のちょっと長い興行となりましたが、早めの開始で19時に終わる興行としては帰りが遅くならない有難さがありました。

ひとつ苦言するならば、試合中のラウンド数変更は、キックでは伝達不足による原因でアナウンス訂正が有りがちですが、契約事項の確認、伝達の徹底は怠ってはならないでしょう。コミッションが管理管轄するプロボクシングでは起こり得ないことです。

日本 vs タイ国際戦もタイ選手側の幅広いレベルの差がありますが、以前から申すとおり、日本選手の壁となる、第一線級を退いてもまだまだ強いムエタイ戦士は貴重な存在と思います。

NJKFに於いて波賀宙也は2月の「KNOCK OUT」で小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)に敗れ、6月にWBCムエタイ日本王座を小笠原裕典(瑛作の兄)に奪われ、今回の敗戦で3連敗となる中、今年27歳、WBCムエタイに於いてはまだまだ上位を目指せる存在。今後の踏ん張りを応援したいところです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

長野5区、曽我逸郎候補(電通出身・前村長)のまっとうな戦争・原発・沖縄観

曽我逸郎『国旗、国歌、日本を考える: 中川村の暮らしから』(2014年トランスビュー)

長野5区(飯田市、伊那市、駒ヶ根市、上伊那郡、下伊那郡)から非常にユニークな人物が立候補している。曽我逸郎(そが いつろう)氏だ。前中川村村長であり、中川村に来る前は広告代理店の電通で勤務していた。学生時代から禅寺に通っており、釈尊の教えが考えのベースとなっているそうだ。

曽我氏は村長時代に「国旗に一礼しない村長」として多くのメディアで取り上げられたことがある。原発問題や沖縄の基地問題にも言及し、これらの問題に関心を持って取り組んでいる全国の市民から支持を集めてきた。

著書『国旗、国歌、日本を考える』(トランスビュー)に村長時代の議会答弁やインタビュー、講演会記録などがまとめられている。曽我氏の考えを知るには大変良い本だ。ここではこの本を含めて曽我氏の戦争・原発・沖縄観をめぐる発言を紹介したい。(強調は筆者による)

◆曽我氏の戦争観──自己犠牲の顕彰よりも、犠牲を強いた側を問うことが重要だ

長野県は戦前満蒙開拓団に最多の人数を送り込んだ県だ。多数の県民が国策に協力し、亡くなった歴史がある。その歴史を踏まえながら曽我氏は国策に迎合する危険性についてたびたび言及してきた。2013年の中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式で国旗の掲揚がなかったこと等に批判があった際、遺族会の方々に配慮しつつ、曽我氏は以下のように述べている。非常に明瞭で勇気ある発言だと思う。

「国のために命を捧げたのだ」と考えることによって、愛する親族の死に意味を与えたい、無駄に死んだのではないと納得したい、という遺族の気持ちはよく分かる。そうとでも考えないと、親族を奪われた理不尽さは収拾がつかない。しかし、遺族のそういったつらい思いが、利用されてきた側面もあるのではないだろうか。私の言いたいのは、顕彰ということだ。戦没者を、国のために命を捧げたとして広く知らしめ讃える。純粋な追悼に顕彰の要素が注入されることで、「国のためになくなった」と、死に意味が与えられる。しかし、同時に、「立派だ、見習うべきだ」という空気も生み出されるのではないか。ひとりの兵士の死が、後に続く兵士らの獲得に利用される。これは日本だけのことではない。世界中で昔から繰り返されてきた手法だ。国旗の掲出は、戦没者・戦争犠牲者の追悼に、顕彰の意味合いを混じり込ませてしまう。それは避けるべきだと私は思う。「国ではない、家族や郷土のために亡くなったのだ、だから顕彰すべきだ」と意見もあろう。しかし、戦争を考えるとき、私たちがしなくてはならないことは、自己犠牲の顕彰以上に、兵士たちを自己犠牲せざるを得ない状況に追い込んだのは何かを、突き詰めて考えることではないか。どこで誰がどういう決定をして、兵士たちは死なねばならない状況に追い込まれたのか。自己犠牲の顕彰よりも、犠牲を強いた側を問うことが重要だ。戦争に至る歴史を検証することである。歴史のどの段階、どういう状況で、誰がどんな決定を下し、どういう結果を導いたのか。それを認識し、今の状況につき合わせて、今を検証しなくてはならない。それこそが戦没者、戦争犠牲者慰霊祭を毎年行う意義であろうし、故郷の暮らしから引き剝がされ、将来の夢や計画を奪われ、異郷の地で悪縁にまみれさせられ、命を奪われた戦没者や、未来と命を絶たれた戦争犠牲者の心に適うことだと信じる。戦没者、戦争犠牲者は、自分たちのような犠牲者を、二度と生み出さないことを願って亡くなったに違いないと思う。ところが、慰霊祭の壇上に国旗が掲げられることで、犠牲を強いた側を問い詰めることに蓋がされてしまう。歴史を検証し今を検証することは、憚るべきことであるかのような空気が醸し出され、自己犠牲の顕彰ばかりが強調されることになってしまう』(2013年7月10日 中川村ホームページ)

◎[参考動画]衆議院選挙長野5区 曽我逸郎より皆さんへ(itsuro soga2017年10月13日公開)

◆曽我氏の原発観──それ(原発PR)をしてしまったら、自分を許せなくなってしまう気がしたんです

原発に関しては、中川村と同じく「日本で最も美しい村」連合に所属していた福島県飯館村が原発事故の際深刻な被害を受けたこともあり、曽我氏は飯館村の住民を夏祭りに招待するなど支援・交流を続けてきた。実は電通にいた時、原発のPRの仕事をさせられそうになったのだという。以下はインタビュー記事の一部だ。

――広告会社に勤めていたころ、電力会社の担当になるのを断ったと聞きました。
(曽我)入社して十数年たったころでした。原発のPRはしたくありませんと告げたら、上司が「電気を使っているのに何を言っている」と言うので、「じゃあ会社を辞めます」と答えました。結局、会社には残りましたが、せめて私が消費する電力のうち原発に依存する分を減らそうと意地で階段を上り下りしていました。学生時代に原発施設での被曝労働者の話を小耳にはさんでいたことが背景にあります。そんなものの宣伝をするわけにはいかないと思ったんです。誰にも、踏み越えられない一線があるじゃないですか。それをしてしまったら、自分を許せなくなってしまう気がしたんです。(2012年9月21日「朝日新聞」)

現在でも原発問題を語る際、放射線被ばくや原発立地地域の問題は盛んに語られても、原発作業員の問題は比較的語られていないように思われる。原発労働者の実態を、曽我氏は3・11より前に気にかけていたようだ。気にかけただけでなく、実際に行動に移したことは注目に値するだろう。

以上の経緯からか、反原発を唱えてきた元京大助教授の小出裕章氏や城南信用金庫の吉原毅氏等が曽我氏の推薦人として名を連ねており、自由党の山本太郎議員が応援演説に駆けつけている。

◆曽我氏の沖縄観──沖縄は、矛盾に長く苦しめられ、それと闘ってきた分だけ、民主主義が鍛え上げられている

沖縄の基地問題に長年取り組んできた現参議院議員の伊波洋一の選挙を応援したり、2015年5月には辺野古の新基地建設に反対するため座り込みに参加するなど、沖縄との関係も深い。2015年12月の中川村の定例議会の答弁では「沖縄は、矛盾に長く苦しめられ、それと闘ってきた分だけ、民主主義が鍛え上げられている。沖縄に学ぶことは、我々自身の民主主義を深めることに繋がる。お仕着せの民主主義ではなく、住民が主体的に声を上げる本来の民主主義のため、自由闊達な村の「空気」づくりを続けていくためにも、今後も沖縄の話題は取り上げていきたい」と発言している。

沖縄の基地偏重の原因を「帝国陸海軍の参謀たちから国の最高指導者に至るまで、敗戦後直ちに、保身やさまざまの理由によって、米軍に寝返ったからだと思います。駐留米軍に国体を護持してもらうため、日本の国土をも差し出しました」とし、その象徴として「昭和天皇沖縄メッセージ」をあげている。(2010年5月27日 中川村公務殉職者慰霊祭)歴史的な観点からの考察もしっかりとしている。

◆反TPP、反モンサント──地方から既成政治に抗う

曽我氏は街頭演説の中で「安倍・小池両氏の考えには共通性があり、選挙後には協力しあい、憲法改正にもつながっていくだろう」と指摘。また森友・加計学園問題で国会が紛糾するなか種子法が廃止されたことにも言及。遺伝子組み換え作物の種子をつくっている巨大グローバル企業モンサント社の種子が流入する危険性を訴えた。

◎[参考動画]2011年2月20日長野県中川村、全村挙げてのTPP参加反対デモ(不利他由仁音2011年2月23日公開)

曽我氏はもともと熱心なTPP反対派で、村長在任中の2011年2月には中川村で地元の商工会・農協、東京のフリーター労組等の協力を得ながらサウンド・デモを行ったこともある。今回の野党再編の「主犯」前原誠司の「GDP比でたった1.5%の第一次産業のために、TPPに乗り遅れるな」の発言を2013年の講演会で批判していた。

曽我氏の主張は、現在の都市部偏重・経済効率優先・格差助長・軍事大国化に突き進む既成政治への抵抗だ。地方からの抵抗が国政を動かすうねりとなっていくことを期待したい。

◎曽我逸郎(そが いつろう)候補(長野5区)公式サイト http://itsuro-soga.com/


◎[参考動画]曽我逸郎さん高森町講演02(信濃のアブマガ2017年10月7日公開)

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号【特集】小池百合子で本当にいいのか

〈政権交代防止装置〉としての第三極 ── 小池百合子都知事の言動を検証する

小池百合子東京都知事オフィシャルウェブサイトより

選挙直前に小池百合子東京都知事が立ち上げた「希望の党」は、一瞬話題になったが、選挙戦に入って急速に失速しているようだ。

あらためて、中心人物である小池氏が過去にどのような発言をしてきたかを、新聞、雑誌、国会議事録からたどり、人物像を探ってみたい。

◆支配層にとって痛くもかゆくもない第三極

その前に、新党とか第三極と言われる集団について考える必要があるだろう。自民・公明の与党を第一極、それを真っ向から批判する政治勢力を第二極、その中間を第三極と一応定義しておく。

政権交代とは、上記の第一から第二へ移ることを言うが、本格的政権交代を阻止するための政治勢力が第三極という見方もできる。これまでの新党、第三極としては、古くは新自由クラブ、日本新党。比較的新しいところでは、維新、みんなの党などがある。公示直前になって結成された立憲民主党は、いくつもの重要政策で与党と対立しているから、いちおう第二極としてもいいだろう。

今回の希望の党をはじめ、これまでに生まれては消えた政党に政権が移っても、抜本的な社会の変革はないので、日本の支配層にとっては痛くもかゆくもない、形だけの政権交代となる。

それどころか、与党の勝利にさえつながる“効果”がある。意図したかは分からないが、結果として希望の党は、政権交代防止ないし与党敗北阻止の役目になっている。

東京都知事選、都議選、希望の党結党と、旋風を巻き起こしたかに見えた小池氏は、どのような人物か記録しておく意義はあると思う。

◆日本会議との親和性

小池百合子東京都知事は、日本最大の右派組織と指摘される日本会議の国会議員懇談会に所属し、同懇談会の幹事長や副会長を歴任していた。その創立10周年には、「誇りある国づくりのため、皆様の叡智を結集していただけますよう祈念しています。貴会議の今後益々のご発展と、ご参集の皆様の尚一層のご健勝をお祈り申し上げます」(2007年9月13日)と挨拶文を送っている。

もっとも、自身が選挙で当選を重ねて上昇していくために、様々な人物や団体と関係を構築するのが政治家だろうから、社交儀礼的な側面もあるかもしれない。

1992年に日本新党から参院選に立候補して当選して以降、細川護煕元首相を皮切りに、小沢一郎自由党代表、小泉純一郎元首相、安倍晋三首相と、その時々の権力者に近づき、所属政党も、日本新党→新進党→自由党→自民党→離党→希望の党、と変えて階段を昇ってきた。その意味では、小池氏にとって日本会議も、政治家として階段を昇っていくため素材のひとつにすぎないとの見方もある。

だが、過去の言動を検証すると、日本会議の理念と一致点が非常に多く“日本会議度”は相当に高いと見なければならない。日本会議は、1997年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が合同して設立された。

前身の「日本を守る会」は1974年に明治神宮など宗教団体出身者らによって設立された。日本会議の役員の3分の1以上が宗教団体関係者であり、その理念は、皇室中心主義、憲法改正、愛国心教育、国防力強化、伝統的価値観の家庭づくりなどである。

日本会議は、復古的政治の下支えをする教育や家庭も重視している。教育基本法改正を訴えたり、夫婦別姓や男女共同参画反対運動を展開してきた。「親学」もその流れにあると言えるだろう。

「親学」とは、日本会議役員が関わってきた「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長・髙橋史郎明星大学教授が提唱する児童教育の概念だ。提唱者の髙橋氏は、親の育て方と発達障害をむすびつける非科学的な論理をたてている。

安倍首相が会長で下村博文元文科相が事務局長として「家庭教育支援議員連盟」(「親学推進議連)は発足。親学に基づく子育てを推進するために立法しようという運動を行ってきたのである。小池氏は、「親学推進議連」のメンバーでもあり勉強会にも参加し、自身の公式サイトにも掲示していたが後に削除した。

◆憲法改正ではなく「壊憲」を主張する小池氏

その右派的言動として分かりやすいのは、2000年11月30に開かれた衆院憲法調査会での発言である。この時は、石原慎太郎氏やジャーナリストの櫻井よしこらが参考人として出席していた。石原氏の日本国憲法破棄論を踏まえたうえで、小池氏はこう述べている。

「結論から申し上げれば、一たん現行の憲法を停止する、廃止する、その上で新しいものをつくっていく、私はその方が、逆に、今のしがらみとか既得権とか、今のものをどのようにどの部分をてにおはを変えるというような議論では、本来もう間に合わないのではないかというふうに思っておりますので、基本的に賛同するところでございます」

つまり、基本的人権・平和主義・国民主権という憲法の三大原則を踏まえたうえでの改憲とか改正ではなく“壊憲”するという考えだ。

国防力強化にも熱心だ。14年7月、安倍内閣は集団的自衛権行使の容認を閣議決定した。外国のために自衛隊を海外に派遣して実力行動の道を開くのだから憲法改正が必要だが、その手続きを経ずに閣議で決めてしまったのは、事実上の無血クーデターともいえる。

この時点から遡ること11年、小池氏は月刊誌『Voice』(03年4月号)で、こう発言している。

「集団的自衛権の解釈変更は、国会の審議の場において、時の総理が『解釈を変えました』と叫べばよい」

まさに安倍内閣の閣議決定を先取りしている。さらに、15年に安保関連法性が争点になっていた国会審議でも「ホルムズ(海峡)のみならず、イエメン側の方での機雷掃海だって十分考えられる」と自衛隊の海外活動を政府に迫る、意気軒昂ぶりである。

スパイ防止法制の必要性を強く訴えてもいる。渡部昇一・上智大学名誉教授の対談本「渡部昇一、『女子会』に挑む!」(ワック)に収録された渡部氏との対談に、こんなことが書いてあった。

尖閣列島問題や日本人会社員が中国で拘束されたことに談を進める中で「日本にはスパイ罪がない。これが非常に問題です」「これまでスパイ防止法を作らなかったのは、『どうぞスパイ活動をおやりください』とうサインを送っていたに等しい」と強調している。

かつて自民党は、国家秘密法の名称で成立をはかったが、権力に恣意的に運用される恐れや基本的人権を著しく侵害するとして大きな反対運動でつぶれた。それを小池氏は必要だと強調してやまない。

◆核武装容認、非核都市宣言拒否

きわめつきは、核武装論だろう。月刊誌『Voice』03年3月号で、後に日本会議会長になる田久保忠衛・杏林大学教授(当時)と現代コリア研究所の西岡力との鼎談で核武装発言は飛び出した。

「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真悟氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安倍晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった」

さらに衆議院選挙に際して毎日新聞が実施した「日本の核武装について」のアンケートに「国際情勢によっては検討すべきだ」(毎日新聞03年11月1日付)と答えている。

都知事選でも核武装発言について対立候補の鳥越俊太郎との論戦で、鳥越候補が非核都市宣言すると述べたことに対し「賛成をいたしません。明確に申し上げます」と、自身の考えを明らかにした。

軍事関係では、11年11月26日の衆院本会議の代表質問で、11年度予算案で防衛費が削られていることを批判し、「国防の手段を確保し、必要な防衛関係予算を増額すべきだ」と防衛費増額を主張。武器輸出三原則見直しの検討などについて、「すべて自民党政権時代に議論しその方向を出してきたものばかり」と武器輸出三原則の撤廃も主張していた。

◆「安倍と小池は同じ」を示す過去の記事

以上、国会議事録、新聞記事、雑誌記事など公の媒体に掲載された小池氏の発言を整理してきた。こうした小池氏の足跡を見れば、彼女の理念は日本会議や安倍晋三首相とかなり共通しているのは間違いない。

憲法改正、安保法制支持など、重要な理念や重要政策で安倍自民党と同じ希望の党は、自民党の派閥のようである。本記事冒頭でのべたように政権交代防止、与党敗北阻止の結果を生む可能性が高い。

10月22日、総選挙の結果で今後が見えてくるだろう。

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号【特集】小池百合子で本当にいいのか
『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

三里塚とパレスチナから、人間の心・尊厳、闘争の手段を再考する

元プロレタリア青年同盟・元国鉄下請労働者の中川憲一さん © 2017 三里塚のイカロス製作委員会

人の心や尊厳と、それを守るための闘争の手段とを問うような映画上映&トークと集会が開催された。わたしは、9月30日にドキュメンタリー映画『三里塚のイカロス』を観て監督と出演の方のトークを聴き、10月1日には「『エルサレム! 今、ハンダラ少年は何処に?』第2次インティファーダ17周年 10.1パレスチナ連帯集会」に参加したのだ。

◆ 「命をかけてカヌーに乗る権利があるが、心通わせる運動がしたい」という思い

『三里塚のイカロス』の代島治彦監督は、大津幸四郎監督とともに手がけた前作『三里塚に生きる』後の2013年、辺田部落の農民の妻となったHさんの自殺に対して『不条理』を感じ、強い憤りを覚えたことが本作制作のきっかけとなったという。『三里塚に生きる』を観て「運動は『魂の救済』へと向かわねばならない」と考え、大津幸四郎さんが撮影を担当していた小川伸介監督『日本解放戦線・三里塚の夏』なども観ていたわたしは、『三里塚に生きる』の映画評を雑誌に寄稿し、新作の完成も心待ちにしていた。

© 2017 三里塚のイカロス製作委員会

『三里塚に生きる』は三里塚芝山連合空港反対同盟に参加した農民を中心に描いていたが、『三里塚のイカロス』では支援の活動家が主に取り上げられている。その中で、Hさん同様、農民の妻となった女性たちも多く登場するのだ。

作品パンフレットでは、反対同盟事務局次長の島寛征さんは、1967年の「強制外郭測量阻止闘争」で、機動隊が「座り込みをしている反対同盟の農民を蹴飛ばしたり、ぶん殴ったりし」た、と語っている。共産党はスクラムを解いて歌を歌ったが、68年の「三里塚空港実力粉砕現地総決起集会」では新左翼はすでにヘルメットにゲバ棒で武装していた。『三里塚の夏』では、「三里塚空港粉砕全国総決起集会」で反対同盟の青年行動隊もカマと竹槍をもって武装する姿が映し出されている。ただし、反対同盟の中には葛藤があった。

『三里塚に生きる』では、機動隊3人が死亡した東峰十字路事件を経て、青年行動隊リーダー・三ノ宮文男さんが自殺した当時を仲間が振り返る。パンフで島さんは、「『ここで生きていこう』という運動に死人が出る。少なくとも農民は、この頃から闘争の矛盾に気づきはじめます」という。その後、援農と妻たちの話題に移り、産直の「ワンパック」運動にも触れている。ちなみにわたしたちは以前、四ツ谷の「自由と生存の家」でここの野菜を含めて送ってもらい、販売して得た収入を「自由と生存の家」に暮らす人々にカンパするなどしており、現地のイベントにも参加していた時期があった。そこには運動とは無関係に父親とともに移住してきた青年が、農的な暮らしに精を出す姿もあり、希望を感じたものだ。

ところで本作では、空港が開港され、移転を余儀なくされた際に悩み苦しむ元支援の妻たちの思いも拾い上げられる。そしてHさんが移転を苦に鬱病を発症し、亡くなってしまう。そのような中、話し合いでの「秘密交渉」による前進が試みられるが、読売新聞の報道によって事実は「ねじ曲げられ」、反対同盟幹部(の一部)と新左翼党派から「秘密交渉」を試みた人々が自己批判を迫られる。中核派では「三里塚で主流派になり、日本の革命的左翼全体の主流派にならければならない」という意図が持ち上がり、生活と命が踏みにじられていく。結果、反対同盟において「永続闘争」は否定され、終息の仕方が話し合われるようになる。パンフで島さんは、「時代は変わっても政府と住民のいざこざは今後もどんどん起きる訳ですよ」「砂川米軍基地拡張反対闘争からはじまって、いまの沖縄の米軍基地問題まで、そこで生きる住民が一番損をしている訳ですよ。三里塚はどうかっていうと(中略)闘争の犠牲を代償にしたことで、その後は農業を持続できる体制ができたり、地元での仕事が増えたり、住民はあまり損をしない形になったと思う。」とも語っているのだ。そして沖縄の辺野古では、三里塚を教訓に、非暴力が貫かれていると代島監督はいう。

上映後、出演者である元第四インター・平田誠剛さんと代島監督のトークがあった。そこで平田さんはまず、「みんなそれぞれ傷を持っていたりするが、わたしと同じように、終わっていない、続いていると聞き、それがうれしかった」と、監督に感謝の言葉とともに述べた。また、「中核のやり方を統制し、反対運動を続けていくのは難しかった。それはわたしたちの責任だろうと思う。第四インターだけでなく、わたし個人も、関わった人も」とも口にする。さらに、「わたしは福島に生き続ける。今は、ほとんどいわき市にいて、三里塚闘争の経験を生かしながら、単なる類推でなく人々の共感、ともに歩む生き方を、恥ずかしいけどしているかなと感じている。(このことをカメラの前で語らなかったのは)いうべきことにあらずと思っていたから。代島監督は埴谷雄高の(4兄弟が窮極の「革命」について語る)『死霊』を読み直しているといっていたが、わたしはドフトエフスキーの(無神論的革命思想の「悪霊」に憑かれた人々の破滅を描く)『悪霊』を再読している。19世紀に限らず、今だって人間に起こりうること。わたしはあまりこのようなことを改めていいたくないが、それぞれ(このようなことを)抱えているとわかっていなければいけないと思う。逃げずに踏みとどまり、『おもしろい』闘いを続けたい」「三里塚の経験があって、焦らなくなった。心通じ合える瞬間みたいなものがあり、それだけでも十分と思うこともある。支援として、福島に尽くし足りないわたしが悪い」「俺たちは命をかけてカヌーに乗る権利があるし、これからも生きていく。第4インターはトロツキストで、後ろから弾が飛んでくることがわかっても、ともに闘う戦線をつくり、反撃しない思想。だが、わたしは立派なトロツキストでない。パクられた仲間のほとんど字を書けない母親の手紙に泣いた。俺たちが継ぐものはそういうものであり、そのようにやりたい」などとも語った。

農民の方々や支援に参加していた方の複雑な思いはあるだろうし、わたしは近隣の出身なので地元の人々が現在抱く思いも聞いている。いずれにせよ、現在、社会運動に携わっている立場として、闘争の意味をさまざまな視点から問い直す作品は意義深い。また、個人的には大友良英さんのファン歴も長く、ドキュメンタリー映画のコアをこのように音楽で表現できる人はほかになかなかいないだろう。

元革共同(革命的共産主義者同盟)中核派政治局員の岸宏一さん © 2017 三里塚のイカロス製作委員会

◆ 尊厳と「存在」とをかけた闘いを、誰が断罪できるのか

そして、たまたま翌日に開催されたのが、「『エルサレム! 今、ハンダラ少年は何処に?』第2次インティファーダ17周年 10.1パレスチナ連帯集会」だ。近年、この連帯集会にも参加しているのだが、今回は「ハンダラ少年」が取り上げられた。ハンダラとは、1975-87年頃、ナジ・アル=アリによって描かれた、パレスチナ難民を描写したイラストの登場人物。「正義と自己決定のためのパレスチナ人民の闘争の強力な象徴」であり、「難民キャンプの子供のように素足で、わたし(ナジ・アル=アリ)を『間違い』から守るアイコン」「彼の手は、アメリカの方法による解決策に対する拒絶反応として、背中に隠されている」。ナジ・アル=アリは10歳の時にレバノンの難民キャンプに収容され、ハンダラ少年も10歳として描かれており、パレスチナに自由と尊厳とが取り戻されるまで成長することも振り返ることもない。

講演で中東近現代史研究家の藤田進先生は(アメリカなどによる国際連合の決議を経て分割され)イスラエルに侵略されるパレスチナの情況を語り、「最後に譲れないものは、人間の尊厳、物質的なものよりもプライド」と強調した。尊厳がなくなると人間は存在できなくなる。物理的に破壊されても、(パレスチナの暮らしに根づき平和や生命の象徴とされてきた)オリーブの木は生えて、抵抗運動がまた始まり、人間としてのプライドが強く打ち出されるものだともいう。

ナジ・アル=アリは絵を描き続け、1987年頃から93年頃まで続いた第1次インティファーダ(抵抗運動・民衆蜂起)がヨルダン川西岸とガザ地区で始まった頃にあたる87年に暗殺されたが、犯人は逮捕されていない。彼の本を監修した(『パレスチナに生まれて』いそっぷ社)藤田先生は、「ハンダラ少年はパレスチナだけでなく全アラブ社会、全イスラム社会、そして世界へと広がり、多くの人を惹きつけている」と説明する。パレスチナでは虐殺が繰り返され、ハンダラ少年は背中だけで顔を見せないが、その後ろ姿は抑圧された人々にエールを送り続けるのだ。そして、彼は常に事態を見つめており、ノーコメント。「そのハンダラ少年の見つめるディテールが、この絵を見るものの現実・置かれている事態・苦しみとつながる。抵抗の眼差しが描かれているのだ」とも藤田先生はいう。そして、パレスチナのあちこちに、ハンダラを描いた子どもたちの落書きがあるそうだ。

たとえばオイルの絵では、石油を入れるブリキ缶を伸ばしたものを用いた掘っ立て小屋が建てられている。藤田先生は、「国連の金で難民収容の家を造られているが、最初はテントで、その後に泥造りのものになる。ただし、狭くて不潔で住み心地が悪いため、たとえ劣悪で貧弱なものしか造れずとも人々は改造を試みるのだ。いっぽう、湾岸産油国はリッチ。そしてここに描かれた夫婦は、故郷の土地やオリーブ、暮らしのことを語り合っているのだろう。レバノンにイスラエルが侵攻してPLO(パレスチナ解放機構)の拠点だったベイルートの難民キャンプがつぶされ、国際政治による大弾圧の時期の中での思いが想像される」と説明する。

ナジ・アル=アリがハンダラ少年を描いたオイルの絵(撮影=小林蓮実)
イスラエル軍がパレスチナ人に住宅をダイナマイトで破壊した現場で配布した警告ビラについて説明する藤田進先生(撮影=小林蓮実)

また、第1次インティファーダの終わり頃、93年に突然、オスロ合意(イスラエルとPLO間の協定だが、2006年のイスラエルによるガザ地区・レバノン侵攻で事実上崩壊)が結ばれ、一方的にパレスチナの平和が「強行」される。その際に、イスラエル軍がパレスチナ人に住宅をダイナマイトで破壊した現場で配布した警告ビラも紹介。ビラには、「この家は住人の1人がテロリスト協力者のため破壊された。つまり報復攻撃だ。テロリストと協力者は破壊と絶望を増すだけであり、このようにならないように気をつけろ」という旨のことが書かれている。藤田先生は、「アメリカの圧倒的な支援を受け、最新鋭の、通常兵器でなく戦略兵器を住民弾圧に用いるイスラエルの軍事力と、抵抗グループのそれとの非対称。抵抗メンバーなどは、トイレにも行かせてもらえず、垂れ流しの中、人間としての尊厳を奪われ、怒りと抵抗が起こっている」と語るのだ。

そして、「第2次大戦後、国際連合ができ、対立があっても、人間の自由と尊厳のために維持せねばならないものがあるという、平和のロジックを世界は共有した。イスラエルをつくったユダヤ人にも生活があり、家庭を築いており、土地が必要であることをパレスチナ人は否定できない。だからこそ、話し合いを始めることがパレスチナ人の大きな念願。イスラム、アラブ社会では、宗教が違っても、隣人同士としての関係をつくるという考えが根本にあった。アラブの関係を動揺させるアメリカのやり方に対しても、違和感が世界に広がり始めたのだ。そして、イスラエルの将来に絶望する人々はイスラエルから外へ出ている」とも加えた。

会場からの「神風特攻隊と抵抗運動の共通点」などに関する質問に答え、現地で活動していた足立正生さんは、「神風特攻隊とリッダ闘争(パレスチナ解放のための日本人青年による決死の闘争)とは、180°異なる。そうでない後者は人間の尊厳を求める側から、虐殺と困難を強いられた側からの個人的な決起。国家テロこそなくさないかぎり、人道主義も人権もへったくれもない。人民や民衆を弾圧する政治こそがテロだ。生き延びるかの抵抗の闘いはテロではない。占領と抵抗抜きにして、『暴力』を否定できるのか。それは、尊厳の一部ではないか」と問いかける。

ほかにもいくつか質問があり、藤田先生も、「アメリカのバックアップを受けてユダヤ人だけの国を造ろうとすれば、アラブ全土を治めないかぎり安心しない主体となる。ただし、そのイスラエルの中にも、共存を考える人が現れている。だからこそ、アラブとユダヤ人の共存の話し合いに舵をきるべきだ。まずは、イスラエル内の左翼や民主主義者との対話を構築せねばならない。また、リッダ闘争は政治と武力闘争を力尽くで押さえ込まれた『お手上げ状態』から起こった。ルサンチマンに近い武力の闘争だ。神風特攻隊は、天皇制国家・国民国家から起こったものだが、アラブの自爆はパトリオット、自分の故郷を思う気持ちから起こっているもの。生活空間を守るための最後の手段として選択されており、女性の救急隊員などですら『自爆テロ』をおこなう。占領に抵抗する『暴力』を、はっきりと批判したり断じきれるのか。冷静では考えられないことだ。非暴力とは別に、人間の尊厳を蹂躙するものに対して激しく闘う心、リスペクトの闘いがイスラム世界にある。これをさせないためには、軍事力でなく、彼らが求める話し合いに応じることだ」と繰り返す。

また、サラームという言葉は平和と訳されるが、「宗教は違っても人間同士共存すべきだというイスラムの論理。人間のダメさ加減をアッラーの教えを忠実に守ることで乗り越えるというもの、そういった意味でアッラーの奴隷になるということ」と説明した。

撮影=小林蓮実

最後に、「世界から支援されているという意識が生まれ、現在、強力に非暴力抵抗活動が進められている」という意見が会場からあったが、足立さんは「それが民衆の抵抗の抑圧に使われており、現在も自爆攻撃はある」と口にしたのだ。

力をもたない側、尊厳を奪われている側は、命をすでに奪われていることと同じ状態にさらされる。そんな人々の最後の選択としての抵抗運動の形。国内などでは理解も得られず有効でない方法かもしれないが、リッダ闘争に参加した岡本公三さんを支援するオリオンの会では、「秋葉原事件」は抵抗運動かどうかという議論がなされたことがあった。答えは出ていなかったが、事件当時わたしは、彼は化け物ではないし理解できると考えたものだ。無差別殺傷を肯定はできないが、それは自分だったかもしれないと、これにかぎらずさまざまなときに考える。

わたしたちの、そして世界の人々の尊厳のために、いろいろな問題に対して対話を実現させること。そのために自分は何ができるのだろうか。そんなことをいつも思う。

◎『三里塚のイカロス』オフィシャルサイト http://www.moviola.jp/sanrizuka_icarus/
横浜シネマリンにて上映中。10/21(土)より名古屋シネマテーク、フォーラム仙台、メルパ岡山で公開。ほか全国順次公開予定

◎JAPAC blog(Japan Palestine Project Center)http://japac.blog.fc2.com/


◎[参考動画]映画『三里塚のイカロス』予告編(moviolaeiga 2017年7月24日公開)


◎[参考動画]証言で紡ぐ成田空港反対闘争~「三里塚のイカロス」代島監督インタビュー(OPTVstaff 2017年9月6日公開)

▼ 小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター、労働運動等アクティビスト。
○『紙の爆弾』11月号 特集「小池百合子で本当にいいのか」
「『追悼文見送り』でも隠せない 関東大震災 朝鮮人虐殺の〝真実〟」寄稿。
○現代用語の基礎知識 臨時増刊号ニュース解体新書(自由国民社)
「従軍慰安婦問題」「靖国神社参拝」「中東の覇権争い」「嫌韓と親韓」を執筆。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

スポーツと権力の癒着は宿命か? 国家に抗えないアスリートたちの不幸

種目に限らず幼少のころ、あるいは中学、高校で熱心にスポーツに励む若者たちからは将来の目標として、自己記録の更新や地方、全国大会での優勝、果ては世界選手権やオリンピック出場、プロ選手での活躍が語られる。「将来政治家になって活躍したい」と公言したのは、私が知る限り、須磨学園時代に駅伝を中心に中距離で目覚ましい活躍をした小林祐梨子氏くらいだ。

私はスポーツ観戦が趣味である。それゆえに近年は複雑な思いに直面せざるをえない苦痛を強いられている。スポーツでは、個人やチームが勝利や自己の練達を目指し練習を重ね、その結実を果たすプロセスも見るものにとっては醍醐味である。アスリートが目的を達成し、観戦している人びとへの感動を引き起こす。動機はまったく純粋で「ある道で自分(自分たち)の限界を極めたい」。そのひたむきな姿にさして世間と比べてなにか秀でたものを持たない、私のような人間はすがすがしさを感じる。

◆活躍すればするほど「国家」の引力に抗えない

しかし、活躍が国内にとどまらず、他国の選手を凌いでの世界選手権やオリンピックの優勝となると「奴ら」は目標を遂げたアスリートに別の視線を送り始める。企業が社会人チームに優秀な選手を引き入れたい、プロのチームが同様にスカウト活動を行う。これはアスリートにとっても生活設計の上からメリットがあり、両者の目指すものあいだに、大きな乖離はない。

ところが、オリンピックでメダルを得たり、長年国際的に活躍をしたアスリートを待ち受けるのは前述のような目的合理性において両者が合致するものばかりではない。その中でもとりわけ厄介なのが「政治」からのスカウトだ。アスリートは成功を重ね、活躍すればするほど「国家」からの抗いがたい引力にからめとられる。

国際大会で優勝すると表彰式では「日の丸」が上がり「君が代」が流れる。アスリートはその種目に適した肉体を造り上げ、技術を磨くために、激烈な練習に日々打ち込む。そしていかに勝利するかのメンタルトレーニングも欠かせない。当然勝負に勝つためには「闘争心」もなければならない。

純粋に自己の目的達成のために日々のトレーニングをこなし、レベルが上がっていくとスポーツジャーナリズムを中心に取材を受ける機会が増す。競技だけに没頭したいと思っていても、スポーツ界とジャーナリズムの持ちつ持たれつの関係はそれを許してはくれない。世界大会前になれば「メダルへの自信は?」、「日本代表としての意気込みを」と何度も似たような質問にさらされなければならない。

そして晴れて好成績を収めた暁には、首相官邸などに招かれたり、○○栄誉賞を授与されたりと、いよいよがんじがらめにされていく。成功したアスリートが、現在の政治や社会体制に対して異議を申し立てることは、外堀(環境)内堀(思考)を埋められ、実質上不可能となる。「奴ら」は当該アスリートが引退後「使えるかどうか」の本格的な選別作業に入っている。

アマチュアのアスリートは、現役時代の大半を競技で好成績を残すことと、学業、もしくは仕事を中心目標とした生活(練習や移動)に費やすので、政治や社会問題について、「ああでもない、こうでもない」と議論したり、資料を漁ることに多くの時間を費やすことはできない。プロの選手となり長期間にわたり活躍すれば、それなりの社会経験を積み、生活の時間配分を自分なりにコントロールできるようになる。また、プロの団体競技では、いつ他のチームからの引き抜きや、所属チームからの契約打ち切りに直面するかわからないので、自分がより望ましい環境で活躍する、または有利な条件でプレーするために知恵を身につけることが必要になる。

◆鈴木大地、橋本聖子、馳浩──権力の都合に最適なアスリート出身政治家たち

国際大会で目覚ましい活躍をしたアスリートが引退後「奴ら」の引力に吸着されていった先例は、枚挙にいとまがない。顕著なところでは、現スポーツ庁長官の鈴木大地だ。鈴木大地はソウルオリンピック水泳で金メダルを獲得した。「バサロスタート」と呼ばれる長時間水面に潜りなかなか浮きあがってこない泳法で16年ぶりに水泳で日本に「金メダル」をもたらした。引退後は順天堂大学に教員としての職を得て、2015年に発足したスポーツ庁の初代長官に就任した。鈴木は現役時代、どことなく斜に構えたコメントを発することが多く、個性の強い人物との印象があったが「奴ら」は順調に権力中枢に鈴木を招へいすることに成功した。鈴木は自分が活躍をしたオリンピックの東京での開催を控え、世論の批判をかわすには絶好の人選だったといえる。

印象が強烈であったアスリートに「奴ら」からの触手が伸びたのは、たとえば以下の通りだ(古い例は除く)。日本スケート連盟及び日本自転車競技連盟の会長にして参議院議員の橋本聖子、釜本邦茂(サッカー・元参議院議員)、第20代文部科学大臣の馳浩(レスリング、プロレス、衆議院議員)、萩原健司(ノルディック複合、元参議院議員)、谷亮子(柔道、元参議院議員)、アントニオ猪木(プロレス、参議院議員)、朝日健太郎(ビーチバレー、参議院議員)、堀井学(スピードスケート、衆議院議員)、堀内恒夫(プロ野球・元参議院議員)、大仁田厚(プロレス、元参議院議員)、神取忍(女子プロレス、元参議院議員)以上は国会議員若しくは議員経験者である。上記の顔ぶれの中で所属が自民党以外なのはスポーツ平和党から維新などを渡り歩いているアントニオ猪木と、民進党圧勝で勝ち馬に乗った谷亮子だけだ。ほかは全員自民党公認で当選している。

◆スポーツは「国家意思」に吸収されていくしかないのか?

スポーツでの成功者は徐々に「国家」に絡めとられてゆき、根源的な問題では(例えば東京オリンピック開催の是非など)必ず「国家意思」と同意せねばならない、(あるいは自ら進んで強い同意の表明をする)運命を背負わされる。ある分野では極めて卓越した成功を収めた者が、必然的に「国家意思」に吸収されていくというまことに不健全で恐ろしい構造。実はこの島国においてスポーツと「国家意思」の間には相当昔から不健全な関係性が脈々と続いていたのではないか。

「2020年東京オリンピック・パラリンピック」は至極当然、話題や争点にすらならず総選挙が展開されている。


◎[参考動画]スポーツ庁発足 初代長官に鈴木大地さん(TOKYO MX 2015年10月1日公開)


◎[参考動画]第2期スポーツ基本計画 スポーツ審議会委員からのメッセージvol .1(mextchannel 2017年3月26日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか
『NO NUKES voice』13号 「反原発と反五輪──東京五輪が福島を殺す」(鵜飼哲さん)他