天皇制はどこからやって来たのか〈35〉昭和天皇――その戦争責任(10)美智子妃入内 横山茂彦

◆平民東宮妃

正田美智子は1957年(昭和32年)に、聖心女子大学の文学部外国文学科を首席で卒業した。在学中は合唱部や英語演劇部のほか、テニス部に所属していたという。スポーツと学業に秀でた、美貌の才媛という表現が似つかわしい。

卒業した年の8月、長野県の軽井沢会テニスコートで開催されたテニスのトーナメント大会で、当時皇太子だった明仁親王と出会う。このときは美智子が明仁を負かしている(対戦はダブルス)。これがテニスコートの出会いとして知られ、その後もテニスを通して交際を深めた。

いったん、正田家に正規の婚儀申し込みがなされるも、正田家はこれを拒否。明仁親王の熱意によって、最終的に婚約が決まったという。

『入江相政日記』によれば、香淳皇后、梨本伊都子、秩父宮勢津子妃、松平信子ら旧華族出身者が正田美智子の入内に猛反対している。その意を受け、右翼を動かして結婚反対運動を起こそうとした者もいたという。

翌1958年11月には、皇室会議で結婚が了承される。反対論を押し切ったのは、明仁の熱意とそれをうけた、昭和天皇の理解だったとされる。

本格的な皇室民主化は、全国巡幸とともに皇太子の成婚によって始まったのである。これが皇室アイドル化、開かれた象徴天皇制の基本路線となった。

◆宮中某重大事件

じつは昭和天皇自身が、皇后良子(ながこ)の入内に反対された経緯がある。良子の実家である久邇宮家には、島津家との血縁関係があり、島津家には色覚異常の血統があるというものだ。いわゆる「宮中某重大事件」である。

元老の山縣有朋らがうごいて、久邇宮家に婚約辞退をせまるなど、一時は婚儀が危ぶまれた。このとき、裕仁親王に倫理学を教えていた杉浦重剛が、人倫論を訴えて婚約破棄論に抵抗している。

「婚約破棄という人倫にもとることが行なわれれば、今まで親王に倫理を教えてきたのが無駄になり、また良子女王は自殺するか出家するしかなくなる」と訴えたのだ。

ちなみに杉浦が言うとおり「婚約破棄が人倫にもとる行為」であるならば、現在の眞子内親王と小室圭の婚約も、同等に扱われなければならないであろう。

けっきょく婚約破棄という事態は避けられ、この事件はかえって山縣有朋の失脚につながる。

三島由紀夫は『豊饒の海』第一巻『春の雪』において、綾倉聡子と洞院宮治典王(閑院宮載仁親王と閑院宮春仁王の父子をアナライズした人物)の婚約(勅許済み)を解消させることで、聡子を月修寺に入山させる。おそらく三島は宮中某重大事件における杉浦の発言を知ったうえで、ヒロインの聡子を出家させたのであろう。この禁忌の王朝物語が、全編のテーマになる。

じつは宮中某重大事件の後のことになるが、皇族との婚約を破棄された女子がいる。その婚約破棄をした皇族とは、ほかならぬ久邇宮良子(香淳皇后)の兄なのだ。現在の眞子内親王婚約問題とある意味でかさなる、婚約破棄事件の顛末を明らかにしておこう。

 
久邇宮朝融王(あさあきらおう)

◆久邇宮朝融王の婚約破棄事件

久邇宮朝融王(あさあきらおう)が婚約したのは、酒井伯爵家の菊子という女性である。まだ学習院の生徒だった菊子を朝融王が見染めたのである。

『牧野日記』には「大正六年御婚約」とあり、大正天皇の勅許で朝融王と酒井菊子の婚約は整った。

ところが、この婚約を久邇宮家が破棄したいと言い出したのだ。朝融王も父親の邦彦王も「絶対に菊子とは結婚しない」「させない」と言い張ったという。

邦彦王がその理由としてあげたのは「婚約の女には節操に関する疑あり。此疑ある以上は如何なることありても之を嫡長子の妃となすことを得ず」

ようするに、菊子に節操(処女ではない)疑惑があるというものだ。

『牧野日記』には次のように記録されている。

「此れは道徳上の問題たるは勿論、殿下には今日となりては直接御縁続きの事なれば、本件の取扱如何に依りては御立場に非常なる困難を来しては、実に容易ならざる義」「皇室の尊厳、御高徳の旺盛に依って統一を保つ事も相叶ふ次第なり。其皇室に於て人倫道徳を傷つける様の出来事は、極力之を避けざる可からず」

ようするに、良子の婚儀で皇太子殿下の縁戚となった久邇宮において、このような人倫・道徳にもとるような行為(婚約破棄)は極力避けるべきだと。宮内省の首脳陣の苦渋が読み取れる。

けっきょく、宮内省内で調査を重ねた結果、上記の「節操に関する疑」は「根拠なし」と結論づけている。

この結論をうけて、邦彦王は「酒井令嬢品行問題は全く取消」と、節操疑惑を取り下げる。

しかし「両者到底円満の共同生活見込なきに付、可然(しかるべく)大臣におゐて配慮頼む」と婚約破棄を繰り返すのであった(『牧野日記』)。

ようするに、振り上げた拳の落としどころに困り、宮内省で何とか処置してくれ。先方から申し出たように破談にしてくれ、というのだ。

破談交渉が続いているにも拘らず、この騒動は新聞にすっぱ抜かれた。最初に関係記事を掲載したのは9月6日付の『万朝報』だった。追いかけ記事が世間をにぎわせる。

しかも朝融王は、菊子との婚約破棄を正当化する目的で「菊子は不治の肺病なので結婚できない」と、裕仁親王に重大なウソをついていた。

裕仁親王(昭和天皇)は朝融王の不誠実さにあきれ果て、菊子に大いに同情したという。後にこれを忖度した近衛文麿らが奔走して、菊子と前田侯爵家との縁談をまとめている。

破談交渉ののち、宮内省はつぎのような発表をおこなった。

「朝融王殿下酒井菊子と御結婚のこと予て御内定の処、今回酒井家に於て本御結婚の将来を慮り辞退を申出たる趣を以て、宮家より御内定取消御聰済の儀願出られたるに就き、其手統を了せり」

ここに、宮家の体面をまもりつつ、酒井家の側から破談にさせるという、宮家およびその御曹司のわがままが、まかり通ったのである。

のちに酒井菊子は、裕仁親王の同情を忖度した近衛文麿らが尽力し、旧金沢藩主家の前田利為侯爵との縁談がまとめられ、大正14年2月7日に結婚式を挙げた。彼女は前田菊子として四人の子宝に恵まれ、戦後はマナーやエチケットに関する評論家として活躍し、1986年まで生きた。

いっぽうの朝融王は、伏見宮博恭王の三女・知子女王との縁談が成り、大正14年1月26日に婚儀の礼が執り行われた。しかし結婚後も朝融王の素行は悪く、侍女を妊娠させてしまう。戦後は事業に失敗し、親族を頼るも零落したという。

なぜ朝融王が酒井菊子に「節操の疑い」を生じたのかは、推して知るべしであろう。

◆仕掛けられた出会い

平成天皇皇后の「世紀の出会い」「テニスコートの出会い」に、仕掛けがあったのは言うまでもない。教育係の小泉信三だとする説もあるが、そうではない。現在では聖心女子大が、その窓口だったと考えられている。

というのも、テニスコートの出会いの前年度に、正田美智子は三島由紀夫と歌舞伎座観劇で見合いをしている(観劇ののち、井上という料亭で歓談)。このときの仲介者は不明だが、在学中だった聖心女子大の推薦(縁談許可)がなければ、そもそも成立しない。

けっきょく、平岡家(三島の実家)がわから断ったことになっているが、三島は母といっしょに聖心女子大の卒業式を見に行っている。本人は乗り気だったのだろう。祖母のなつが「商家の娘など」と反対したのが有力説だ。

そしてもうひとつは、天皇側近の動きである。

当時のお妃選び取材班で、元朝日新聞顧問の佐伯晋によれば「歴史の裏舞台で真摯に活動してきた当時のお妃選考首脳」の努力があったという。

「民間お妃が誕生する場合、単純な恋愛結婚でも、単純な調整された結婚でも事態はうまく動かない。しかも民間お妃誕生には反対勢力がいる、という微妙な情勢の中、お妃選考首脳らが、皇太子さまのご意向も踏まえながら綱渡りのように慎重にうまく話を進めた結果がお2人のご婚約・ご成婚だ」(JCASTニュース)。

こうして皇太子ご成婚は、正田美智子の名をとってミッチーブームを起こすほど、国民を熱狂に巻き込む。

だがその裏側には、隠然たる民間東宮妃反対運動があった。上述したとおり、ほかならぬ香淳皇后良子が反対の急先鋒であり、皇室そのものが賛否両論に揺れたのだ。

皇后良子は静岡県の御殿場に高松宮妃、秩父宮妃、松平信子らを招き「東宮様の御縁談について、平民からとは怪しからん」と当時の侍従と数時間懇談し、妃の変更を訴えたという。

皇后とともに反対派にまわった、旧皇族の梨本伊都子の日記(婚約発表当日)を紹介しておこう。

「朝からよい晴にてあたたかし。もうもう朝から御婚約発表でうめつくし、憤慨したり、なさけなく思ったり、色々。日本ももうだめだと考へた」(11月27日)。

北白川肇子を東宮妃に推薦していた松平信子も、明仁が正田美智子との結婚を決めたことに「妃は華族すなわち学習院出身者に限る」という慣例を主張して反対した。

これらの反対派は昭和天皇の意向にしたがって、皇室会議の決定を了承したものの、隠然たる平民東宮妃反対派として宮中および旧公家社会に残存した。

そう、彼女たちとその末裔こそが、宮内庁の旧華族守旧派とともに、美智子妃を苦しめるのである。そんななかで昭和天皇裕仁は、生物学の研究に没頭してゆく。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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小山田圭吾氏の「いじめ自慢」が普通に雑誌に掲載された1990年代日本の倫理観 片岡 健

それにしても、なぜ、あんな記事が雑誌に載ったのか? ミュージシャンの小山田圭吾氏が過去に雑誌で行っていた「いじめ自慢」で大炎上した問題をめぐり、そんな疑問を抱いた人は少なくないはずだ。

何しろ、当該雑誌2誌のインタビューで小山田氏が自慢していたいじめはまさに犯罪的だった。全裸にしてグルグルにヒモを巻いたうえ、オナニーをさせたり、ウンコを食べさせたり、バックドロップをしたとか(ロッキング・オン・ジャパン1994年1月号)、障害者の同級生を段ボール箱にとじこめたとか(1995年8月発行のクイック・ジャパン第3号)、小山田氏はそんなことを楽しく語っているのだが、現代の感覚で考えると、小山田氏も雑誌関係者もあんな記事が出れば、凄まじい批判を浴びることはわかりそうなものだからだ。

ただ、当時を知る世代の人間からすると、雑誌であのような記事が載っていたことはさほど不思議なことではない。1990年代のメディアの倫理観は今とはずいぶん異なるからだ。

小山田氏の「いじめ自慢」が載ったロッキング・オン・ジャパン1994年1月号(左)とクイック・ジャパン第3号

◆売春の広告、殺人被害女性のヌード掲載、性犯罪者のインタビュー記事も当時は普通だった

たとえば今、新聞に売春業者の広告が載っていたとすれば、大問題になるだろう。しかし当時、タブロイド紙の「三行広告」というものが集まった蘭には、ホテトルや大人のパーティーなどという売春業者の広告がいつも多数載っていた。「社会の公器」たる新聞社が公然と売春業者の宣伝に手を貸し、利益を得ていたのである。

事件報道も今と比べると、当時は人権意識など無いに等しかった。たとえば、1997年に起きた東電OL殺害事件では、被害女性が売春をしていたことが大々的に報じられ、被害女性のヌード写真を掲載した週刊誌まであった。今であれば、被害女性の勤務先や職業が事件名として使われること自体が批判の対象になりそうだし、被害女性のヌード写真を載せた週刊誌は即廃刊に追い込まれてもおかしくない。

ちなみに当時、殺人事件の加害者や被害者になった女性が性風俗業に従事していた場合、週刊誌がその裸の写真を掲載するのは東電OL殺害事件に限らず日常的に行われていたことだった。

また、痴漢や覗きを常習的に行う性犯罪者のインタビュー記事が週刊誌に載るのも当時は普通だった。中には、「痴漢日記」の著者である山本さむ氏のように本まで出すカリスマ的な扱いの痴漢常習犯もいた。

ちなみに当時、このように痴漢をもてはやしていたのは、週刊誌などの「低俗」と評価されるメディアだけではない。山本氏の「痴漢日記」は、大手映画会社グループの東映ビデオにより映像化され、主にVシネマとして人気を博していたほどだ。

このようなことが許された…というか、普通にメディアで行われていたのが1990年代だったのだ。

◆小山田氏や「いじめ自慢」掲載の雑誌だけが問題なのか?

私が思うに、小山田氏の「いじめ自慢」の問題は、このような当時の時代背景もセットで考えたほうがいいのではないかと思う。

こんなことを言うと、小山田氏やその「いじめ自慢」を載せた雑誌及び関係者を擁護しているように受け取られるかもしれないが、そうではない。

あのような記事が出ても、雑誌が何も問題なく存続し、小山田氏も現在に至るまで一線で活動できていたということは、世間もそれを受け入れ、容認していたということだ。あれは、小山田氏一人の問題ではなく、雑誌だけの問題でもなく、日本人全体の問題ではないだろうか。

たとえば、国民がみんなで「鬼畜米英」と叫び、バンザイをしながら兵隊たちを戦場に送り出していた時代、兵隊たちが戦場で非戦闘員を殺害したり、略奪行為をしたりしたことを「兵隊たちだけの問題」だと考える人はあまりいないだろう。今回の小山田氏の問題もそれと通じるものがあると私は思う。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

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五輪・原発・コロナ社会の背理〈9〉「血も凍る悪魔の祭典」をわたしは黙殺する ── これ以上災禍を拡大しないために、個人でできること 田所敏夫

◆あたかも人体実験を行うように

76年前、1945年8月6日午前8時15分広島上空で、大量殺戮を目的とした人類史上初の原子爆弾が投下され、爆発した。爆心地直下のひとびとは即死し、数万人が火傷を負い、苦しみながら死んでいった。あの戦争を「大東亜戦争」と呼び、中国から戦火を広げてゆき、無謀にも米国までに戦争をけしかけたのは、「大日本帝国」だった。だから米国内にはいまでも「あの戦争を終わらすために原爆は必要だったし仕方なかった」と本気で考えるひとびとがいる。

「ヒロシマ・ナガサキ」は世界で通じる原爆や核兵器の恐ろしさを伝える、象徴的な都市名となり、直接の被爆者だけではなく、世代をまたぎ健康被害が発生することも確認されている。あたかも人体実験を行うように、その姿を観察している連中がいる。

原爆をはじめとする核兵器は廃止すべきだ、との意見や国際的な潮流は確実に広がりつつある。他方10年前に世界で初めての原発4機爆破事故により、首都圏壊滅の危機に瀕したことすら忘れて、原発の再稼働にやっきになり、運転期間を40年から60年に延長し、それでも飽き足らず「60年以上の運転を認めたい」と真顔で狂気を語る政府のもとで、わたしたちは生活を余儀なくされている。

◆『成功物語』を演じ切りたい彼らの目論見

「東京五輪」をわたしは1945年8月6日を引き合いに出し、あの日に相当する惨禍と、あとから振り返れば「とんでもない出来事」と評されるに違いないと断じてきた。その思いは変わらない。五輪は「これでもか、これでもか」とテレビで中継されるだろう。参加選手の「個人史」を美化することにより、安っぽい感動を数限りなく創作しようと、テレに制作会社スタッフは夜を徹して準備に励んでいることだろう。新型コロナに感染した選手が半ば行方不明になったり、開会式の作曲を担当していた人物が、過去のいじめ加担で直前に外されたり細かなインシデントは数限りなく発生するだろう。

しかし、大地震でも来なければわたしは、きょうを限りに「東京五輪」について書くことを一切やめる。「東京五輪」はそれが薄っぺらな感動物語であれ、スキャンダルであれ、注目されることを欲しているからだ。奴らの目論見はもちろん「カネ」であるが、「なんでもいいから国内外の注目を浴びて、結果的に禍々しさを忘れさせ『成功物語』を演じ切りたい」との目論見があるとわたしは睨んでいるからだ。

この原稿を最後に「東京五輪」については、大地震でも起こらない限り私は言及することをやめる。じつはそれが、個人が取りうる自身にとってミニマムではあるが有効な態度ではないか、これがわたしの結論だ。

◆「TOKYO CHAOS」混沌の中の地獄

1945年8月6日から同年8月15日までは、10日もない。結果はもうわかっているのだ。東京を中心としてコロナは爆発的に感染を広め、五輪参加選手や大会関係者の感染も多発するだろう。テレビや新聞はそれでも「感動物語」の創出に熱心で、五輪に懐疑的なひとびとを、圧倒的な量の「感動物語」が包囲してゆく。灼熱の中、マスクをして行き交う生活者の中からは、交通規制や予期しないトラブルで熱中症がひっきりなし。五輪を強行しようとする連中の予想を超えたメンタリティーが東京を中心に生じるかもしれない。

コロナがなくても外国からの「要人」来訪には、厳重な警備が用意される。開会式には複数国から警備を必要とする「要人」がやってくるのだろう。千葉県警と、警視庁はその警備だけで大忙しだ。しかもなにを考えたのか、WHOのテドロス・アダノム事務局長が来日し、IOCの会議に出席した! WHOはいつから、犯罪組織に変わったのだ。これから数週間の概観は、「東京五輪」を中心とした「TOKYO CHAOS」が展開されるに違いない。そうとは気づかぬ向きも多いかもしれないが、混沌の中の地獄だ。

こうやって「灼熱下の血も凍る悪魔の祭典」は進行してゆく。わたしの体温は外気と反比例にますます下がる。この国は、そして世界はどこまでも堕ちてゆく。論じる価値からはるかに外れて落ちてゆく。五輪に関する限り、あらゆる細部を論じることはまったく意味がない、これ以上連中のレベルに引きずり降ろされたくはない。

敗戦後の準備をなるべく早くはじめることだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号
『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

【カウンター大学院生リンチ事件】 7・27、対李信恵訴訟、いよいよ控訴審(大阪高裁第2民事部)判決へ 株式会社鹿砦社/鹿砦社特別取材班

鹿砦社がツイッター上で李信恵から、散々な罵詈雑言を浴びせられたため、仕方なく名誉毀損による損害賠償を求め提起した裁判の終結直前になって、李信恵側は「反訴したい」と主張し出した。裁判官はそれを認めず、別の訴訟として李信恵が原告となり、鹿砦社を被告として訴えた民事訴訟の一審(大阪地裁)判決は、あろうことか165万円の賠償金と、本通信記事の一部削除を命じる〈不当判決〉だった。当然われわれは上級審の大阪高裁に控訴し、その判決をいよいよ7月27日に迎える。(控訴人=株式会社鹿砦社、被控訴人=李信恵)

 
因縁の大阪地裁/高裁

◆不可解な判決の連続に首を傾げる

再度強調しておかなければならないが、この一連の裁判を初めに提起したのはわれわれ鹿砦社であり、その訴訟で一審(大阪地裁)、控訴審(大阪高裁)ともに李信恵の不法行為を認定しわれわれは勝訴しているのだ(上告を取り下げ確定)。にもかかわらず、不可思議な別訴に対し、大阪地裁は数々の事実誤認と、思い込みとしか考えられない筋の通らない理屈を根拠に165万円もの賠償金と本通信記事の一部削除命令を内容とする判決を下したのだ。

「カウンター大学院生リンチ事件」とか「しばき隊リンチ事件」といわれる「M君リンチ事件」に関係する訴訟には、純粋な司法判断とはどこか異なる、不自然な“もや”のようなものが常に付きまとっている。政治的な背景があるのではないか、とすら考えざるをえない判決の連続や(このかん和歌山カレー事件再審で話題の元大阪高裁判事の生田暉雄弁護士によれば「報告事件」というものがあり、これは最高裁からの指図で、これに指定されると、どうあがいても勝てない訴訟があるとされ、当初はそんなバカなと思いつつも、こうも不当判決が続くと真実味を実感する)、マスコミの恣意的な報道管制。本来だれにでも使用権限があるはずの司法記者クラブ(大阪地裁・高裁の中にある記者クラブ)からことごとく締め出され、一度も記者会見を開かせてもらえていない現実。これらはやはり“何らかの背景”なしに起こりうる事象ではない。

本人尋問で大川弁護士の追及に答えきれず涙ぐむ仕草で裁判官の心証に訴える李信恵(画・赤木夏)。後ろに代理人の神原・上瀧弁護士。2020年11月24日、大阪地裁で。この後、傍聴に来ていた伊藤大介は深夜暴行・傷害事件を起す
李信恵の「謝罪文」(全7ページの内の2ページ)。のちに撤回したことに李信恵の人間性が表われている
 
リンチの是非を問うた人に開き直って恫喝する李信恵のツイート

◆われわれは死力を尽くした! 

そういった背景の中、一審の大阪地裁は、上記の通り不当判決を下したのであったが、控訴にあたり、われわれは死力を尽くした。まず元裁判官(大阪高裁にも勤務)の森野俊彦弁護士に弁護団に加わっていただいた。『週刊金曜日』によれば、「裁判所の内外で発言を続けた裁判官は、森野俊彦氏しかいない」とされ、失礼な物言いながら、当初予想した以上に優れた方であることがすぐに判った。従前より一連の訴訟を担当していただいている大川伸郎弁護士、森野弁護士を中心に何度も打ち合せを行い、精神科医・野田正彰先生にM君の「精神鑑定」を行っていただき、ニューヨーク州立大学名誉教授で心理学者の矢谷暢一郎先生からも海の向こうから「意見書」を頂いた。いずれも重厚な内容である。

そして地裁判決が素人目にも粗雑であって(例:証拠として提出してある書籍の中にある人物の電話取材を掲載しているが、判決文では「取材をしていない」と断言している。裁判官はろくろく証拠に目を通していないのだ)、重要な事実認定に妥当性を欠き、判決全体が恣意的な内容であることを「控訴理由書」、およびこの補充書で指摘した。さらには、われわれの委託を受けて取材に飛び回ってくれた、ジャーナリスト寺澤有氏の「陳述書」、さらには鹿砦社代表・松岡の渾身の「陳述書」など、これまでになく力を込めた。

勝ち負けは別として、これだけ衆智を結集した。果たして大阪高裁が、これらの知見を越える判断を示すか、興味津々だ。

大阪地裁判決前に、まさかこのような〈不当判決〉が下されるとは、われわれは予想だにしていなかった。だから、控訴審に向けては限られた時間の中で弁護団の先生にはかなりの無理をお願いし、われわれも死力を尽くした。

これ以上の証拠や、地裁判決を弾劾する法的哲学、論理は探求しようがない、といえるところまで「控訴理由書」、この補充書は研ぎ澄ました。野田正彰先生、矢谷暢一郎先生のご尽力には感謝に堪えない。

論理的にわれわれは、負けるはずはないと確信している。しかし、裁判所は証拠と論理を揃えても、一般人の「市民感覚」から遊離した判決を少なからず出すことがあることも知っている。

李信恵の「名言」の数々(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

◆7・27控訴審判決に注目を!

繰り返す。われわれは死力を尽くした。当然地裁判決破棄の判決を期待するが、判決の如何に関わらずできうることはすべてやり尽くした。判決の如何を問わず、「やれることはすべてやり切った」との想いが強い。

だから、大阪高裁には“真っ当”な判決を出してもらわねばならない。7月27日(火)13時15分から大阪高裁(別館)82号法廷で判決言い渡しが行われる。猛暑の中であるが、関西在住の方で都合のつく方は傍聴に結集を! 判決は、結果の如何にかかわらず当日速報を打つ予定だ。圧倒的な注目を! 

 
自ら泥酔したことをツイート。常識的に考えれば、1升近く飲んで泥酔しないわけはない

ちなみに、集団リンチの被害者M君は、いまだにリンチの後遺症に苦しんでいる。一方で、加害者グループの一人として実際にリンチの現場に居合わせ、1時間ものリンチを見聞きしつつも止めもせず、救急車やタクシーを呼びもせず、師走の寒空の下に放置して立ち去った李信恵は何の反省もなく、最近も(コロナ禍で少なくなっているとはいえ)各地の「人権団体」や行政などの招聘で講演旅行に回っている。

李信恵は、この時代「反差別」の象徴、あるいは旗手たり得る人格と思想を備えているであろうか。「日本酒に換算して1升近く飲んだ」(李信恵本人のツイート)と平然と公言するほど泥酔した挙句、集団リンチ事件に連座した責任を、どのように申し開きできるのだろうか。われわれは〈あらゆる差別に原則的に反対する〉が故に、この闘いを貫徹してきた。少なからずの傷も負っている。だが、〈差別〉に関する限り〈原則〉は譲ることはできないのだ。〈本当に撃つべきもの〉は何であるのか?この問いに立脚することをわれわれは一時(いっとき)も忘れはしない。

「因果応報」という言葉がある。この通信でもことあるごとに述べているが(7月12日号参照)、かつて「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧事件で鹿砦社弾圧に手を貸した者がことごとく再起不能なまでに失脚したことをわれわれは知っている。それは決して“偶然”だろうか――われわれは「因果応報」という言葉を信じる。リンチの被害者がこの後遺症に苦しみ、加害者が表舞台で「反差別」や「人権」などを語る講演三昧などという世の中は不条理だ。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

五輪強行開催後に始まる「ポスト菅」政局 ── 二階俊博が仕掛ける大連立政権

一都三県が無観客となり、盛り上がりに欠けることはなはだしいオリンピックは、菅政権の延命策になりそうもない。いやそれよりも、第5波にいたったコロナ禍を、オリンピック強硬開催が加速しそうな趨勢なのである。

来日外国人報道陣やアスリートの「バブル方式」(行動における外部接触の遮断)は、当初から準備がなされていなかった。組織委員会が行なってきたのは、プレイブック The Playbook – Athletes and Officialsによる「協力のお願い」だけで、警備員による行動阻止や行動の自由を阻止する措置は、なんら講じられていないのだ。

◆官僚と宏池会秘書団に感染者が続出

ワクチンも来ない。自粛をもとめられる一方で、愕くべき事態も起きている。官僚と自民党の宴会やパーティーによる、国のリーダーたちの感染者続出である。

すなわち、国民に宴会の自粛を呼びかけていながら、官僚が内輪の宴会でクラスターを発生させる(国税庁の男女7人が感染。7月13日に判明)。自民党宏池会の議員秘書に感染者が続出し、じつは1200人もの政治資金パーティー(7月8日)を開いていたことが判明した。

そして自分たちは酒宴やパーティーを開いておきながら、酒販業者には金融機関を使って商売を禁止するという。法に基づかないトンデモ行政指導である。経済再生相が消費を壊滅させようとする、愕くべき事態に立ちいたっているのだ。これらも菅自民党政権批判に直結するだろう。

もう自民党ではダメだ、菅には任せられない、という声が澎湃(ほうはい)と巻き起こっている。もはや、菅政権に祝うべき秋は来ない、と断言しておこう。

◆ポスト菅に「小池新党」との連立?

そこで、ポスト菅の政局である。コロナ禍の悪化やオリンピックの結果で、戦後三度目の政権交代の可能性も開けているが、自民党は総選挙前の総裁選で「選挙の顔」のすげ替をせざるをえない。衆参補選3連敗、知事選2連敗、都議選でもまさかの失地回復ならずと、菅では勝てないことが明白になったからだ。

自民党の派閥構成の概要である。

派閥名       国会議員数    総理・総裁候補者
細田派(清話会)  96人       下村博文、安倍晋三(安倍派)
麻生派(志公会)  55人       甘利明、河野洋平
竹下派(平成研)  52人       加藤勝信、茂木敏充
岸田派(宏池会)  47人       岸田文雄
 谷垣グループ   23人(重複含む) 中谷元
二階派(志帥会)  47人       林幹雄、※党外[小池百合子]
石破派(水月会)  17人       石破茂
石原派(未来研)  10人       石原伸晃
無派閥       63人       野田聖子

二階派の総理候補者に小池百合子都知事を持ってきたのは、保守連立の可能性があるからだ。

自民党が次期衆院選で苦戦を強いられ、結果として選挙後に「小池新党」と維新の2党と保守連立政権を組むことになり、首相には小池氏がなるしかない。と予測するのは、国際戦略問題研究所長の津田慶治氏である。

連立構想については、都議選をふまえた上で、今後の政局を概説した「この秋、政権交代は起きるのか? ── 『紙の爆弾』最新号を参考に、都議選後の政局を俯瞰する」(2021年7月8日)」のとおりだ。

自民党内からも声が上がっている。中谷元元防衛相は谷垣グループの会合において「政局を安定するために、衆院選後に『小池新党』と保守合同を真剣に検討すべきではないか」と述べた。東京都議選で自民党の議席が伸び悩んだことを受けて「おごりとたるみの体質への反省が足りない。こういうことはしっかりと踏まえないと(衆院選に)勝てない」と強調。その上で、「政権安定のため」として、小池氏が今後新党を結成した場合に協力すべきだと訴えた(朝日新聞デジタル、7月7日)。

もともと宏池会系には「大宏池会構想」や「保守大連立」の傾向があり、野党との提携も視野に入る、寛容な保守による主流派意識がつよい。

◆二階の麻生抱き込みが鍵か?

政局的には、3Aライン(安倍・麻生・甘利)の党内多数派が、安倍の再登板もふくめて総理候補をしぼったとき、小池と蜜月関係にある二階俊博のウルトラ戦術として、この連立構想が持ち出されることになる。

現状は菅をまっさきに担いだがゆえに、閣僚人事と党内人事において二階派が主流派として優遇され、3Aラインは人事問題で不満を抱えている。大臣になるべき当選数のベテランが、据え置きを食らっているからだ。

そしてその一方では、二階が幹事長として候補者の選定権を独占し、キングメーカーとして君臨することへの対抗がある。二階とキングメーカーを争う筆頭こそ、安倍元総理にほかならない。

いっぽう、麻生太郎も総理をささえる立場で、財務相と副総理の地位を手放そうとしないであろう。この人物の政治的立ち回り、節操のなさは、大嫌いな菅義偉の副総理を務めていることでもわかる。理念のためではなく、自民党政治家に特有の猟官、自分のためなら悪魔とも手をむすぶ政治屋なのである。

そこで二階が、自分を排除しようとする3Aの一角を崩そうと麻生の抱き込みをはかり、小池新党および維新、公明党との大連立を呼びかけるというものだ。

二階が「国会へ戻って来られるなら大いに歓迎だ」と述べたのは、小池の自民党復帰ではなく、保守連立を展望してのものにほかならない。

◆大連立の成否は、小池新党の国会進出

だが、小池新党なるものが、本当に成立するのだろうか。すでに「希望の党」は最後の幹事長だった行田邦子が2019年の埼玉都知事選の出馬を取りやめたときに、事実上の機能停止に陥っているのだ。その後の行田は昨年の4月に、二階俊博と面会して自民党への入党を相談し、最終的に野田聖子の推薦で入党している。

18年段階での党代表だった松沢成文も、19年に日本維新の会に移籍している。ようするに、新党の軸となる人物がいないのだ。

都議選挙でもその一端が明らかになったのは、都民ファーストには国政へのパイプがない、ということだった。東京都に予算とモノ(たとえばコロナワクチン)を持って来られる国会議員が、どうしても欲しい事情がある。そして近い将来における、小池百合子知事の国政復帰である。

したがって、小池と都民ファーストに求められるのは、この夏をつうじて総選挙出馬のタマを育成・確保できるかどうかである。

◆二階が仕掛ける政局とは?

そのうえで、秋の政局を占っておこう。党内多数派(3A)の菅おろし(二階おろしでもある)が始まり、多数派が擁立する総裁候補(河野洋平・加藤勝信・茂木敏充・岸田文雄のいずれか)がまとまりかけたときこそ、二階俊博が麻生を切り崩し、宏池会(岸田)を抱き込みつつ、維新と小池新党との大連立を提起する。そしてそこにはすでに、野党共闘による自民衰退が濃厚な情勢が、絶対の条件として存在するはずだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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紀州のドン・ファン死亡事件、キーマンの探偵のインスタに気になる記述 片岡 健

「紀州のドン・ファン」こと和歌山県田辺市の資産家・野崎幸助氏(享年77)が2018年5月に急死した事件は、当初から疑われた55歳年下の元妻・須藤早貴被告(25)が逮捕されても、まったく解決したような雰囲気になっていない。

和歌山県警は、早貴被告が野崎氏に致死量の覚せい剤を飲ませたとみているようだが、メディアの取材に応じた法医学者ら専門家たちは、異口同音に「覚せい剤は苦みがすごく、口から飲ませるのは難しい」と指摘。逮捕当初には、県警はスマホの位置情報から早貴被告が田辺市内で覚せい剤の売人と接触したことを突き止めたように報じられたが、その売人が逮捕されたという続報も聞かれない。こうなると、そんな売人がそもそも本当に実在するのかも疑わしく思えてくる。

そんな中、筆者がこの事件のキーマンの1人とみている人物がいる。早貴被告が逮捕前、「真犯人を捕まえて欲しい」と依頼していたとされる探偵・戸塚敦士氏(社団法人探偵協会代表理事)だ。

◆早貴被告の無実を信じていることを公言

戸塚氏は5月から6月の前半までよくメディアに登場し、あれこれと早貴被告の面倒をみていていたことを明かしているが、注目すべきは早貴被告の無実を信じていると公言していることだ。

たとえば、元神奈川県警刑事の犯罪ジャーナリスト・小川泰平氏がホスト役を務めるYouTubeチャンネル『小川泰平の事件考察室』(https://www.youtube.com/watch?v=qCAU0iAxePs)に出演した際には、

「(早貴被告は)嘘はついていないという印象を持っています」
「堅く無罪を信じております」
「(覚せい剤の)売人との交流も考えられません」

などと、早貴被告の冤罪を断定的に主張していたが、その口ぶりは自信に満ちていた。

残念ながら、戸塚氏はメディアでは、怪しい人物のような扱われ方をして、その話にきちんと耳を傾けてもらえていない印象だった。しかし、そもそも、早貴被告が戸塚氏に「真犯人を見つけて欲しい」と依頼していたのが事実なら、自分以外に真犯人が存在すると本気で思っていた可能性を示している。このこと1つとっても、戸塚氏が事件のキーマンの1人であることは間違いない。

戸塚氏は、『小川泰平の事件考察室』に出演した際も早貴被告の無実を信じていることを公言した

◆和歌山県警が受け取らなかった情報とは…

さて、戸塚氏に取材を申し込んだところ、残念ながら応じてもらえなかったのだが(戸塚氏は多数の取材を受けた結果、取材不信に陥っている可能性を感じた)、戸塚氏が6月14日にインスタグラム(https://www.instagram.com/p/CQEvSOsj_QQ/)において、独自に早貴被告のことを調査していたことを明かしたうえ、気になることを書いていたので紹介したい。

・・・・以下、引用・・・・

紀州のドンファンこと野崎幸助さんの最後の妻須藤早貴被告が事件1年後 一人全裸でベットに飛び込みながら「なんで私が殺人犯扱いなんだよ~」と涙ながらに叫び飛び込む様子や私自身が厳しい尋問をあらゆる角度から数十回ぶつけている状況を警察に提供したものの

元警察庁捜査1課長の親家(しんか)和仁率いる和歌山県警察本部長以下精鋭警察官は有罪に繋がる情報以外一切必要無い!と断罪し各種無罪の証拠を徹底隠滅の上で情報操作に奔走暴走する様はまさにこの映画「それでもボクはやっていない」と重なりました。

・・・・以上、引用・・・・

書いていることは必ずしも明瞭ではないが、戸塚氏が無罪心証を抱く原因になった早貴被告の言動について、何らかの形で証拠化しており、それを和歌山県警に提供しようとしたが、県警側が内容を十分に検討せず、門前払いにしたことを訴えているようにも受け取れる。

現時点では、こうした戸塚氏の言動に基づいて何か断定的なことを言うことはできないが、裁判で早貴被告の逮捕前の言動が争点になれば、戸塚氏が証人として証言台に立つ可能性もある。その動向は真面目に注視しておいて、損はないと思う。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

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五輪・原発・コロナ社会の背理〈8〉 酷暑下で「血も凍る悪魔の祭典」東京五輪の開幕が近づいて 田所敏夫

新型コロナウイルスの感染者は、7月の中盤に東京では1000人を超え、「東京五輪」が強行開催されれば、その開始時点で東京を中心に、医療機関は逼迫し、開催中には海外からやってきた五輪関係者にも感染者が相次ぎ、間違いなく混乱が起きるだろう。わたしは第四波までの感染者の推移を眺め、素人ながら過去の感染者数の増減と地域的な広がりを参考にそのように予想していた。

感染者は東京都で既に1日あたり1000人を超えている。この数はまだ増えるだろう。梅雨が明け猛暑がやってきた関東地方。蒸し暑い風は吹き抜けるが、都心高層ビル屋上のビアガーデンで、凍らせたジョッキに注がれた生ビールを煽って「クーッ! 課長! やっぱり夏はこれに限りますね! ワッハハハ!」ってな息抜きも許されない。

◆こんな状況でいったい誰が「東京五輪」をテレビで視聴するだろうか

テレビは面白くもないバラエティー番組を、ひな壇芸人の数で埋め合わせようとして、結局まったく面白くなくなった苦い経験を忘れたかのように、連日「五輪中継」や「五輪の話題」を盛り上げようとエネルギーをつぎ込むだろう。でも会場には観客はいない。声援も上がらない。見たい番組があろうがなかろうがテレビをつけっぱなしにしているのが習慣化しているのは、きょうび高齢者に限られる。

専業主婦はスマートフォンを手に入れてから、徐々にテレビから離れた。昼(昼下がり)の時間帯に「メロドラマ」がめっきり少なくなったのはそれが理由だろう。子供たちは夏休みになったって、外遊びをするわけではないが、かといってゲーム以外で液晶に向かうことはない。多くの勤労年齢成人はリモートだろうが、通勤だろうが昼間は仕事に就いている。

さて、こんな状況でいったい誰が「東京五輪」をテレビで視聴するだろうか。いい方を変えよう、誰が「喜んで」あるいは「期待をもって」「東京五輪」をテレビで視聴するだろうか。例えば開会式は中継されるだろう。実際のところ「いったいどんな開会式やってるんだか」あるいは「事実をもって批判するためには、自分の目で見ておかないと」という動機で視聴するひとが、大勢になるのではないだろうか(わたしは自宅にはテレビがないので、五輪があろうがなかろうがテレビを見ることはない)。

◆わたしたちの頭脳は記憶を留める能力を、著しく失っている

7月16日IOC会長バッハが広島を訪問した。報道や個人的に聞くところによれば、異例の厳戒態勢での受け入れであったにもかかわらず、平和祈念公園周辺だけでなく、複数個所で抗議行動が行われたようだ。地元広島市民の受け止め方も、冷めたものだったようだ……。

さて、いよいよ酷暑下で「血も凍る悪魔の祭典」が行われる。会場となる東京都にとっては、自殺行為にも近い「血も凍る悪魔の祭典」。人間の退化と理性喪失の象徴、嘘っぱちの感動物語、資本による利益追求の究極形、そして永年機能してきた通りの世論操作装置。

これから数週間の間に、様々な事件が起こることだろう。そしてそれらは重大な事件であっても、数日もせずに忘れ去られてゆく。おそらく数週間ではなく数日だ。なにも五輪が特別なわけではない。情報処理速度が高速化するにしたがい、大惨事であってもわたしたちの頭脳は記憶を留める能力を、著しく失っているからだ。たぶんこれは、液晶を毎日目にするひとびとにとっては、世界共通の現象だろう。

検索することなしに、鳥取地震、熊本地震、大阪北部地震、広島大水害、新潟地震、岩手内陸地震それぞれの発生年月を即答できる読者はどのくらいいるだろうか。わたしだって全問回答はできない。でもこれらの自然災害はいずれも20世紀の後半では阪神大震災だけに匹敵する揺れや被害を引き起こしている大災害だ。でも、わたしたちは、各被災地にお住まいか関係のある方ではない限り、重大災害の発生年すらそらんじられない。

災害だけではなく、出来事(事件)でもそうだ。「血も凍る悪魔の祭典」を招致した時の、東京都知事は誰だったか。本通信読者の大半はご記憶であろうが、ではその前の東京都知事は誰で、どのような理由で辞任したか。その前任者は? このあたりにくると怪しくなってくるのも仕方あるまい。大阪五輪招致など大阪人でも忘れているかもしれない。

◆わたしの体温は徐々に下がってゆく

1週間ほど前、名神高速道路で偶然奇妙な光景に遭遇した。東京方面に向かって兵庫県警の機動隊員輸送車が最低4台とワゴンが数台走っていたのだ。断言はしないがあれは「東京五輪」警備の応援に、兵庫県警が派遣した警察官を運送していたのだと思う。全国動員とは言わぬまでも、警備の警察官もかなり広域から東京に集中するのだろう。

関西もどうやら梅雨明けのようだ。最高気温はこの夏最高近くになるかもしれない。だがわたしの体温は徐々に下がってゆくように思う。「血も凍る悪魔の祭典」はそれに関わるすべての出来事、ひとびとに禍々しさを感じる。

わたしはこの大会に出場する選手、役員、大会関係者あるいはボランティアを、国籍を問わず特別視して免罪するつもりはまったくない。ひとりひとりは人格と判断能力を持った人間なのだ。IOCの役員連中と同じく、ひとりひとり自立した人格として捉えるのが、平等というものだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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天皇制はどこからやって来たのか〈34〉昭和天皇――その戦争責任(9)人間宣言 横山茂彦

保守派による昭和天皇の評価として「帝王学を修められた英邁」とするものが少なくない。その評価は君子にたいする形式的な賛辞であり、実質は激動の昭和史を国民の苦難とともに生きてきた共感であろうか。

かえりみて上記の賛辞をみたす内実があるとしたら、戦中の戦争指導の過多による講和工作の遅滞を別として、時におうじて適切な対応をこなした几帳面さであろう。大正天皇が女官制度(側室)を遠ざけ、昭和天皇において廃止したこと。人間宣言や皇太子への民主教育、これから取り上げる皇太子の民間人との結婚など、天皇制と皇室の民主化に果たした、一定の役割はみとめられるべきであろう。

だがそれにしても、中国戦争における和平工作の不徹底。太平洋戦争の開戦時における和平工作の不徹底、サイパン陥落を目途に講和へ転じることができなかった「戦争ギャンブル症候群」ともいうべき戦争指導へののめり込みは、その道義的責任や法的責任(形式)をこえて、戦争犯罪への責任が問われてしかるべきであった。

小野田寛郎が言うとおり、昭和天皇の責任の取り方における出処進退の不明確さが、戦後日本の無責任な風潮をもたらしたのは疑いないところなのだ。その昭和天皇の戦後をたどってみよう。

◆昭和天皇の戦後改革

昭和天皇の「人間宣言」は有名だが、原文(ほぼ漢文カナ書き下し)を知っている人はあまりいないのではないだろうか。正確にいえば、日本は神話の国ではなく、天皇も現御神ではないと言っているだけで、天皇が人間だとはひと言も書かれていない。

参考までに、原文の冒頭部と訳文(全文)を掲載しておこう。冒頭には「五箇条の御誓文」が引用され、わが国は近代化の「国是」として民主主義があった。とすることで、明治維新の精神に立ち返り、国家再建にいそしもう、というほどのものだ。

【原文冒頭】
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。

【訳文=全文】
ここに新年を迎える。かえりみれば、明治天皇は明治の初め、国是として五箇条の御誓文をお示しになられた。それによると、
一、幅広く会議を開き、何事も議論をして世論に従い決めなければならない
一、身分の高い者も低い者も心をひとつにして、積極的に国のあり方を考えていかなければならない
一、中央政府も地方の領主も、庶民に至るまで、それぞれ志を遂げ、人々が生きていて幸せに感じる事が重要である
一、古くからの悪しき習慣を打ち破り、人類普遍の正しい道に基づいていかなければならない
一、知識を世界に求め、大いにこの国の基盤となる力を高めなければならない
お考えは公明正大であり、付け加えなければならない事柄は何もない。わたしはここに誓いを新たにして国の運命を開いていきたい。当然このご趣旨に則り、古くからの悪しき習慣を捨て、民意を自由に広げてもらい、官民を挙げて平和主義に徹し、教養を豊かにして文化を築き、そうして国民生活の向上を図り、新日本を建設しなければならない。

大小の都市の被った戦禍、罹災者の苦しみ、産業の停滞、食糧の不足、失業者増加の趨勢などは実に心を痛める事である。しかしながら、我が国民は現在の試練に直面し、なおかつ徹頭徹尾、豊かさを平和の中に求める決意は固く、その結束をよく全うすれば、ただ我が国だけでなく全人類のために、輝かしき未来が展開されることを信じている。

 

そもそも家を愛する心と国を愛する心は、我が国では特に熱心だったようだ。 今こそ、この心をさらに広げ、人類愛の完成に向け、献身的な努力をすべき時である。

思うに長きにわたった戦争が敗北に終わった結果、我が国民はややもすれば思うようにいかず焦り、失意の淵に沈んでしまいそうな流れがある。過激な風潮が段々と強まり、道義の感情はとても衰えて、そのせいで思想に混乱の兆しがあるのはとても心配な事である。

しかし私はあなたたち国民と共にいて、常に利害は同じくし喜びも悲しみも共に持ちたいと願う。私とあなたたち国民との間の絆は、いつもお互いの信頼と敬愛によって結ばれ、単なる神話と伝説とによって生まれたものではない。天皇を現御神(あきつみかみ)とし、または日本国民は他より優れた民族だとし、それで世界の支配者となる運命があるかのような架空の概念に基くものでもない。 私が任命した政府は国民の試練と苦難とを緩和するため、あらゆる施策と政府の運営に万全の方法を準備しなければならない。同時に、私は我が国民が難問の前に立ち上がり、当面の苦しみを克服するために、また産業と学芸の振興のために前進することを願う。我が国民がその市民生活において団結し、寄り合い助け合い、寛容に許し合う気風が盛んになれば、わが至高の伝統に恥じない真価を発揮することになるだろう。 そのようなことは実に我が国民が人類の福祉と向上とのために、絶大な貢献をなす元になることは疑いようがない。

一年の計は年頭にあり、私は私が信頼する国民が私とその心をひとつにして、自ら奮いたち、自ら力づけ、そうしてこの大きな事業を完成させる事を心から願う。

以上のごとく、天皇の人間宣言は文言にはない。国民が「臣民」ではなくなったというのは、つぎのフレーズによるものであろう。

天皇と国民の絆は「信頼と敬愛」によって結ばれるべきで、わたしが任命した政府は国民のために万全の施策を準備しなければならない、と。

◆皇室現代化(民主化)の妙案とは?

さて、明治大帝の全国巡幸にならって、昭和天皇は国民との接点を親しくするいっぽう、皇室改革も具体化しなければならなかった。そのひとつは東宮(皇太子)の教育であり、その結婚もまた現代的(民主主義的)なものにしなければならない。皇統の継承とはつまり、皇位継承者の婚姻がその真髄なのである。

しばらく戦争にかかる暗いテーマがつづいたので、ここからは天皇家の唯一性という、皇統の正統性の根幹。すなわち婚姻をテーマにすすめていこう。そのことはまた、現在の秋篠宮家にかかる自由恋愛結婚にかさなるテーマでもある。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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ボクシングなどの装備、マウスピースの進化 堀田春樹

◆マウスピースとは

ボクシングやキックボクシングの試合で、口に入れたり、外したりするものはマウスピースと言われ、パンチを食らった際、歯によって口の中が切れたり、歯が折れたり、脳への衝撃などを軽減する防具です。

アメフトやラグビーでもマウスピースが使われますが、歯を噛みしめることによる歯の磨り減りや抜けるなど咬合性外傷に繋がる恐れの軽減や予防の為に使用され、格闘技では顔面を殴られる直接的衝撃による負傷の軽減があり、よりマウスピースが重要視されてきました。

噛みしめると外そうにもなかなか外れない場合が多い。いずれも簡易型ではない、各々の歯型タイプが一般化したものでデザインも豊富(写真は梅沢武彦選手)

◆観戦で何気に目にするマウスピース

昔はマウスピースを嵌めなかったり、試合中に吐き出したりしても、そのまま続行されましたが、プロボクシングに於いては安全面が進化していく中で、世界機構を中心に「マウスピースは必ず嵌めなければならない」と明確にルール化されてきました。

それで試合中、マウスピースを落とした選手に対して、基本的には試合を中断してコーナーに戻り、セコンドにマウスピースを軽く洗わせて口に戻して再開という流れを組んでいます。故意に吐き出したりすると減点となるケースもあります。

日本ではなるべく試合を中断せず、レフェリーがマウスピースを拾って、その選手コーナーに投げて返し、セコンドに洗わせてレフェリーが受け取り、ブレイクのチャンスを伺ってマウスピースを嵌めるという流れを組んでいます。

キックボクシングに於いては、落とした時点ですぐ拾って選手の口に戻す行為を見ますが、なるべく中断しない手段ではあるものの、見た目にも衛生的に好ましくはありません。以前は単にコーナーへ投げ返すだけで、そのラウンド終了まではマウスピース無しで進行していました。

昭和のキックボクシングでは、ロッキー藤丸(西尾)選手がマウスピースを相手に投げつけてから殴りかかったシーンもあり、今ではボクシングでもキックボクシングでも、最低限でも注意はされるでしょう。

白いマウスピースは一般的、試合前の一コマ(写真は高橋亨汰選手)

◆選手の体験談

赤土公彦氏(西川/格闘群雄伝No.10)は、「最初にマウスピースの必要性を感じたのが、デビュー前に、ジムでの先輩とのマススパーリングで、ハイキックを貰って口の中を十数針縫う裂傷を負ってしまいました!」と衝撃を語ってくれました。

更に、「タイのルンピニースタジアムでの試合では劣勢だった為、最終第5ラウンドに何としても勝ちたいという思いで打ち合いに行くと、カウンターでヒジ打ちを貰って前歯が吹っ飛んでしまいました。最終ラウンドはマウスピースを付けずに向かったようで、マウスピースの必要性を強く感じた試合でした!」といった痛々しい想い出。

平成初期の某選手の話では、「第1ラウンドにノックダウンを喫した次のインターバルで、ダメージで意識がボーっとしたまま、セコンドがマウスピースを口に入れたくれたところが、上下逆に、更に反対向き(Uの字カーブしてる側を奥に)に入れてきて、そのまま第2ラウンドが始まり、何か違和感あるなと思った途端、集中力が落ちていて倒されてしまいました!」という傍から見れば笑えるエピソードや、
昭和時代にタイで試合した選手では、「マウスピースしなかったら、ヒジ打ち貰って下の歯(犬歯)が下唇を突き抜けて外に飛び出したまま試合続けていた!」といったエピソードもありました。

牙型模様は流行りのひとつ(写真は吏亜夢選手)

◆マウスピースの進化

昭和時代からキックボクシングでよく見た光景としては、アッパー食らって口からマウスピースが真上に吹っ飛んだり、息苦しさや相手への挑発で自ら吐き出し投げ落とすことがありました。それは殆んどが白く小さい簡易型マウスピースで、ジムで売っていたり、渋谷のセンタースポーツで買ったという選手も多かったでしょう。

1983年(昭和58年)に伊原信一氏がノックアウト勝利後、投げたマウスピースが撥ね返りながら私(堀田)の鞄にスッポリ入ったことがあり、それは歯型のマウスピースでした。その時代、向山鉄也選手(格闘群雄伝No.3)もジム練習時に歯型のマウスピースをしていたところも見たことがあり、外れ易い簡易型から、徐々に各々の歯型で作る、より安全確実なものが普及してきたものと考えられます。

平成初期のまた別の某選手はジム入門後、先輩に「マウスピース作って来い!」と言われて、指示通りのゴム製の、熱湯で軟らかくして、熱いのを我慢して口に入れ、噛んで型を作り上げるタイプで、あまりに熱いので「ちょっと冷ましてから噛みましたがダメでした!」と言うと、「冷ましたらダメだろ!」と怒られる苦労が付き纏うも、安価で作れる中では一般的なタイプでした。

値段は昔ながらの簡易型タイプが1000円以下の安価なものから、歯型を作るタイプは種類に寄り、ゴム製、シリコン製などもうちょっと高めの2000円以上。

歯科技工士さん作成、特殊技巧型

これより高級タイプは、歯科技工士さんに作って貰う手法で、値段は高いが(1万円以上)、造りがしっかりハマり、食いしばりや激しい衝撃にもズレ難く、口の中も切れない高い保護力があります。

最近は、パンチ食らってマウスピースが吹っ飛ぶシーンが少なくなり、無駄な打ち合いが少なくなったテクニシャンの増加と、ガッチリ歯型に合うマウスピースを作る普及があるでしょう。その為、インターバルでセコンドが外そうにもなかなか外れない光景もよく見られます。選手の口元を見ても色付きや牙型模様などハイカラなデザインも目立つようになりました。

マウスピースは、使うと汚れや臭いが発生します。歯ブラシで洗うことと、歯磨き粉使用は配合されている研磨剤がマウスピースの表面を傷つけ、細菌が入り易くなってしまうので、この辺は部分入れ歯洗浄法と同じく、ポリデントなどを使うのもいいのかもしれません(使用上の注意は要確認)。

リングコスチュームやトランクスと違い、目立つものではありませんが、こういった装備品にも進化が伺える近年のキックボクシングです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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無法と強権の末期政権 ── 菅義偉という政治家は、もはや憐れむべき惨状なのではないか 横山茂彦

◆もう菅では、自民党がもたない

かつて、安倍長期政権に憤懣を抱きながらも、われわれ国民はその長期試験の理由を何となく了解していた。その方向性や内実はともかくとして、安倍晋三のほかに「政治の理念」「国家のビジョン」を語れる政治家が少なかったからだ。

理念の語れる政治家は、たとえば石破茂のようにゼロではなかったが、その能弁さにおいて、国民的な人気において、安倍に敵う政治家はいなかった。

だから国民はつねにアンケートで「ほかに、ふさわしい政治家がいないから」と回答し、じっさいの投票行動においても、安倍自民党に投票してきたのだ。

だが、菅義偉には語るべき「政治の理念」や「国家のビジョン」は散見されない。ただひたすら、揚げ足をとられないように、飽きられるほど官僚作成の答弁に終始してきた。

国民に対しては密室的な強権を発動することで、たとえば学術会議会員の任命拒否や金融機関をつうじた酒販業者への締め付けなど。まるでナチスのような陰険さで、強権だけを振るって見せる。もう菅義偉では、自民党がもたない。

参考までにいくつか、安倍晋三と菅義偉の違いを表現・評価しておこう。

◆演説力──勉強していなくてもあれだけ喋れる安倍の才能

安倍晋三 話に内容はないが、聴く者を酔わせるアジテーターの才能を認めざるを得ない。ベストセラーとなった『美しい国へ』は、まさに安倍の演説をそのまま活字にしたものにほかならない。

音楽のような演説はまさに、あたかもそこに素晴らしい理想があるかのように思わせる。勉強していなくてもあれだけ喋れる、これは才能であろう。

菅義偉  内容はともかく、何を喋っているのか、よくわからない。原稿を読まなければ、ほとんど意図する演説ができない。ハッキリ言ってヘタくそ。

◆風格(容姿)──外国の政治家とのツーショットでも引けをとらない安倍

安倍晋三 容姿端麗な長身であり、外国の政治家とのツーショットでも引けをとらない。個人的な好みでは民主党政権の菅直人、カリスマ性のあった小泉純一郎、魁偉な魅力の田中角栄に劣らない。客観的にみても、保守権力の奥深さを感じさせた佐藤栄作や中曽根康弘、貴族的な上品さのあった細川護熙。このあたりと互角以上に渡り合える風貌であろう。

菅義偉  見るに耐えない貧相な容姿に、憐憫を禁じえない。この人の姿を見て「さぁ、自分も元気にいこう!」と思える国民は、きわめて少ないのではないか。根暗、怨念を溜めたような目が怖い、ハンサムとは言えない(ぶオトコ)、背が小さい(ちび)、すだれ髪(ハゲ)……。※差別的な表現ですいません。

◆パフォーマンス──品性のなさの一方で、その場に雰囲気をつくり出す安倍の天性

安倍晋三 ネトウヨ的な「反日の人たち」「恥ずかしい人たち」などと言う品性のなさの一方で、その場に雰囲気をつくり出す天性のものがあった。容姿で評価したように、存在そのものが華やかだった。

菅義偉  人を笑わせてり、感動させたりということは、ほとんど出来ない。その自覚があるのだろう、盛り上がる場所ではつねに孤独を極めている。もともとオモテの政治家ではなかったはずだ。地味すぎる。

◆素養や政治家としてのスキル──良いとこ取りができる器用な安倍

安倍晋三 学生時代の成績は二流校の普通以下だったが、アメリカ留学で英会話を習得。パソコンやITも、それなりに詳しい。人脈を生かした政策ブレーンの提言や、スローガンや政策の良いとこ取りができる。つまり器用な政治家であるといえよう。

菅義偉  SNSはできない。語学もできない。空手に打ち込んだとか、集団就職の叩き上げとか、苦労話が得意だったが、少年時代の東京五輪の想い出とか、ほとんど思い出話で勝負するしかない。

だいたい、上述のような評価から大きく外れるという異論は、ないのではないだろうか。もう惨憺たるものである。

本通信の読者のようにきわめて政治意識が高く、政治家たるものは政策内容であると考えている、いわばインテリの諸賢と違い、国民の大半は上述のごとき「印象」で政治家を選んでいるのだ。

だからじっさいに、菅義偉が総理総裁となってから、自民党が何連敗もしている事実には、このような理由があるのだ。

◆菅義偉の本質は、ナチスばりの陰謀と強権である

政治的パフォーマンスは苦手だが、人事や組織の締め付けは陰謀家的な実務能力を発揮するのが、わが菅総理である。

さきごろ、安倍政権時代に「官邸のアイヒマン」と呼ばれた北村滋国家安全保障局長が退任した。代わって後任に就いたのは、菅総理の信頼が厚い秋葉剛男前外務次官である。官邸関係者によれば、この秋には「官邸の守護神」こと杉田和博官房副長官も、側近に交代させる方針だという。

そればかりではない。安倍政権から続投していた増田和夫総理秘書官も7月1日付で退任させ、自分の事務所秘書だった新田章文を登用した。官房長官時代の秘書官だった矢野康治財務相主計局長、伊藤詩織レイプ事件のもみ消しで名をはせた警察庁の中村格次長を、それぞれ秘書官に。さらには、自身のテリトリーである総務省から引き抜く予定だという。

すなわち、身辺から安倍色を一掃し、信頼できる自分の事務所や総務省系から人材を持ってくることで、虚実の入り混じった党内外の情報の精査や政局の動きの把握、メディア支配の強化をはかろうというものだ。こういう政治手法を、独裁政権にありがちな、情報統制国家という。

◆西村発言は、菅の了解済みだった

そんな中で起きたのが、西村経済再生大臣の「自粛措置に協力しない酒販業者を、金融機関から働きかけさせる」という、およそ違法・無法な方針である。これには酒販業者のみならず、国民的な抗議が殺到している。

田部祥太氏は「リテラ」(7月10日付)で、このような実情を明らかにしている。

「官邸周辺では『たしかに西村大臣はスタンドプレーが目立つが、経産官僚出身だから、違法性があることを知らなかったとは思えない。それでもこんな強引なやり方を打ち出したのは、菅首相に尻を叩かれたからではないか』という見方も流れている。実際、この金融機関の働きかけについては、西村経済再生相が発言した段階で、すでに内閣官房のHPには金融機関への通知を前提にした事務連絡が出ていた。
 いずれにしても、菅首相がこの金融機関を使ったヤクザまがいの恫喝に同意していたことは間違いない。」

その証拠は、発言が問題となったあとの会見である。閣議後に菅総理と面談した西村経済再生大臣は、記者会見でこの発言を撤回しなかったばかりか、金融機関からの働きかけを「真面目に取り組んでいる事業者との不公平感の解消のためだ」と主張したのだ。閣議後の面談で、菅総理から「OK」のサインが出ていたのは間違いない。

このことは、関係省庁の文書で裏付けられた。国民民主党の山尾志桜里衆院議員が入手した内部文書を公表し、「金融庁監督局監督調査室・財務省大臣官房政策金融課・経産省中小企業庁金融課の3部署と内閣官房でなさたことが明らかになったのだ。麻生太郎財務相も「放っておけと言ったのさ」と、事前に知っていたことを明かした。この麻生の「常識」も、菅義偉にはなかった。

発言が炎上したのに驚いて、加藤官房長官をして火消しに回らせたのである。今回の一件は、菅の政治的な感度の悪さ、上述した政治家としての資質・素養のなさがなさしめたものと、断じておくべきであろう。

自民党の諸侯よ、もはや菅義偉では政権が立ちいかない。いやいや、最初から彼には無理だったのだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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