《速報》国はなぜ頑なに和解に応じようとしないのか? 冤罪犠牲者・青木恵子さんの国賠訴訟「和解勧告」の行方 尾崎美代子

1995年に起きた東住吉事件の冤罪犠牲者・青木恵子さんが、再審無罪後、国と大阪府に国家訴訟を提訴した件で、昨年9月の結審後、大阪地裁・本田能久裁判長が「和解勧告」を出していた(昨年12月2日付けデジタル鹿砦社通信参照)。国賠訴訟で和解勧告が出されるのは極めて異例だ。裁判長は「私が正しい判決を出しても、また控訴、上告され、裁判が長引き、青木さんの苦しみが続く。だから私たちで裁判を終結させたい」と述べ、青木さんは感動で胸がつまり、すぐには返答できなかったという。

和解には、国と府の謝罪と何故冤罪が起きたかの検証も入るとのことだったため、青木さんは和解に応じ、大阪府も和解を前向きに考えると協議のテーブルに着いたものの、国は、一旦持ち帰って返答するとしていたが、その後の裁判所の呼びかけには一切応じていない。

昨年12月23日の協議に、国が応じず和解が決裂した場合、弁護団が会見する予定だった。この日も国は出廷しなかったが、裁判長が「もう一度説得したい」と申し出、会見は延期となっていた。そして1月12日、いよいよ和解は決裂し、その後の会見で、これまで伏せられてきた和解勧告の中身が公開される予定だった。

14時半から始まった協議は長引き、40分後司法記者クラブの現れた青木さんは少し疲れた様子だった。今日も国は出廷しなかったが、裁判長は再度説得にあたるので、来週まで結論を待ってくれというようだ。しかし、来週は青木さん、弁護団とも多忙であること、決裂はほぼほぼ決まりであることなどから、本日(1月12日)、会見が開かれた。

協議後の記者会見。裁判所が来週まで説得に当たるとなり、疲れた様子の青木さん

◆「青木恵子氏は完全に無罪であり、もはや何人もこれを疑う余地はない」

昨年11月29日、第一回目の和解協議後に店に寄った青木さん。裁判長らから暖かい言葉を貰い、ほっとした様子だった

「冤罪の『冤』の文字は、ウサギが拘束され、脱出することが出来ない状態を表しているが、一説によれば、この文字は、漢(紀元前206年~220年)の隷書の時代から見られるようである……」から始まる「和解勧告」が参加者に配布され、加藤弁護士が説明を行った。昨年11月、裁判所が和解勧告にあたって双方に提出した所見だが、国への説得が続くため、和解条項は公表されなかった。加藤弁護士は「和解はほぼほぼ99%ないだろうと判断している。来週半ばには正式に打ち切りが決定されるとは思っていますが、裁判所のご努力については尊重していきたいと思います」と説明を始めた。

「青木さんは完全に無罪であり、もはや何人もこれを疑う余地はない」

「しかし、青木恵子氏が今もなお苦しみ続けていることは、疑いのない事実である。このような悲劇が繰り返されることを防止するとともに、冤罪により棄損された国民の刑事司法に対する信頼を回復・向上させるためにも、刑事手続きに関わる全ての者が全身全英をもて再発防止にむけて、取り組むべきであることについては、民事責任を争う被告らにおいても、否定されないと信じたい。青木恵子氏も、二度と冤罪が繰り返されない社会の実現を切望して、本件訴えを提訴されたと述べられている」。

次に、和解のために必要な限度で、争点についての所見を示すとして、大阪府に対しては、取り調べ報告書の記載内容だけでも青木氏に対して相当な精神的圧迫を加える取り調べが行われていることが明らかである。国についても、その取調報告書の取り扱いについて(その報告書を見て起訴していること、公判で、弁護団から開示を求められたが拒否していること)、あるいは警察官の証人尋問に関する検察官の対応についての疑問は、同居男性が自ら警察署に赴き、自供書を作成したなど、もろもろ虚偽の事実を述べていた件については、検察官も偽証であることはわかっていたはずだということを意味していること。これらについて裁判所は、被告の国と大阪府に対して連帯して和解金を支払うことを求めるということ。勧告書は最後に「古来繰り返されてきた冤罪による被害を根絶するための新たな一歩を踏み出すべく、当裁判所は、下記の通り和解を勧告する」と締めくくられていた

その後、青木さんが感想を述べた。「和解が成立することを望んでいたが、国が応じないということで本当に許せない思いです。裁判所は異例にも関わらず、和解を出してくれ、私の裁判を終わらせてくれようとしたのですが、国が応じないということで、国はこれからも冤罪を作るんだという、それを自ら発言したのと同じだと思っています。反省も検証もしない、そしてこれからも冤罪を作り続けていく国が本当に許せない。あの人たちはどういう考えなのか! 再審でも、国は『有罪立証をしない、裁判所に委ねる』と言い、自分たちの意見を言わずに終わらせました。そして私が国賠を提訴すると、私の本人尋問で、(国は)1時間必要といっていたが、1つも質問しませんでした。何もかも放棄し、裁判所の和解案にも一度聞きにきただけで、それ以降は協議の席に全く着かなかった。裁判所は再三に渡って説得を試みると言ってくれましたが、それでも応じない。怒りでいっぱいです。判決で私たちは国と大阪府の違法性を認めてもらったら、控訴せずに終え、刑を確定したいと思ってますが、これでまた検察に控訴されたら、再び怒りが沸いてくると思います。こんなおかしい国の態度をもっとマスコミの皆さんも批判して頂けたらと思います」。

昨年8月27日、東京高裁で桜井昌司さんの国賠訴訟で完全勝利判決が下された日、高裁前でアピールを行う青木さん
昨年9月16日長くかかった裁判の終結後に行った記者会見で

◆放火でないと知って「起訴」した検察

国はなぜ頑なに和解に応じようとしないのか? 国は全く悪くないと考えているのか? そうであるならば、弁護団の最終総括から、国(検察)がいかに深く関与し、この冤罪を作ってきたかを検証していこう。

1995年9月10日、任意同行された青木さんと同居男性が、警察の違法な取り調べで「自白」に追い込まれたことは、再審無罪判決で明らかになっていた。「お前がやったんだろう」と怒鳴られながらも、否認を続けていた青木さんを自白に追い込んだのは、男性がめぐみちゃんに性的虐待を行っていた事実を突然ぶつけられたからだ。しかも「息子も知っていた」などと嘘をつかれ、「どうなってもいい、早く房に戻って死にたい……」との思いから自白に追い込まれていった。

この経緯を青木さんは、検察官の取り調べでも訴えていた。弁護人も違法な取り調べについて抗議していた。青木さんの自白が嘘であることを、検察官が知らないはずはない。

しかも警察も検察も、火災が自然発火か放火かを十分捜査していなかった。当初、現場で消火を手伝った住民の多くは「当初炎は50センチ程度でチョロチョロ燃えており、消火器で十分消せると思っていた」と証言しており、警察も「風呂釜の種火が(車両から)漏れたガソリンに引火した可能性がある」と発表していた。

一方、男性の「自白」通りに放火を行えば、50センチの炎がチョロチョロどころか、あっという間に炎上し、大量の黒煙があがり、男性自身大火傷を負うことは、起訴前に警察が行った杜撰な再現実験からも明らかだった。しかし、警察も検察も、 自然発火の可能性をより科学的・専門的に検証することなく、青木さんを娘殺しの放火殺人犯に仕立て、起訴したのである。

◆刑事裁判で青木さん無実の証拠をことごとく隠した検察官

刑事裁判で検察官は、青木さんの無実、あるいは有罪心証を揺るがせる証拠について一切証拠調べ請求を行わなかった。ガソリンスタンド店員の「ガソリンを満タンにいれた」とする供述、青木さんが娘の救出を求めていた事実、男性が消火活動を行ったり、消防士に娘の救出を求めていたことを複数の住民が目撃し、報告書などがあるのに「男性の消火活動しているところを見ていない」という証言のみを提出した。あまりに悪質ではないか。

大阪府警にも重大な責任はあるが、警察を指導・管理すべき立場の検察が、警察の違法な捜査を放置・助長し、青木さんを「娘殺し」の犯人にしたてたのだ。国はその責任をとりたくない。それが今回、国が和解勧告を蹴った理由であり、青木さんが言うように、国は今後も堂々と冤罪をつくり続けると宣言したようなものだ。断じて許さず、今後も裁判を見続けていこう!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号

連合赤軍事件から50年──その教訓を検証する〈2〉その前史 横山茂彦

連合赤軍は共産主義者同盟赤軍派(第二次)と日本共産党革命左派が合同した組織である。71年12月の「新党結成」からわずか2カ月ほどで、同志12人を暴力的な「総括要求」で殺害し、2月19日から9日間にわたる銃撃戦(あさま山荘事件)で死者3名を出し、ほぼ全員が逮捕されることで壊滅した。とくに同志殺しは社会運動史上、稀にみる内ゲバ事件と言えよう。

◆12人を死に至らしめた「総括」とは何なのか?

当初は誰にも、銃撃戦と山岳ベースの目的がわからなかった(じつはほぼ全員が指名手配されていたので、容疑者の逃亡劇にすぎなかった)こと、同志殺しの陰惨さゆえに「狂気の沙汰」「集団ヒステリー」などと、メディアは口をきわめて批判したものだ。

たしかに「狂気」としか思えない結果だが、一部のメディアが「狂人集団」とこれまたヒステリックに非難することにも、冷静なメディアからは批判が上ったものだ。事件の本質を「異常な狂気」としてしまえば、事件の動機を不問に付し、事件から何も教訓が得られないことになる。

たとえば、オウム事件で麻原彰光教祖が黙したこと(精神疾患を装った?)で、被害者遺族に事件の真相が明らかにならなかった(との印象を抱いた)のは、記憶に新しいところだ。連合赤軍事件は動機において「政治犯罪」であり、のちに理論的な誤謬や明らかになることによって、それなりに真相が究明されてきた。

しかしながら、その理論的総括は新左翼特有の難解な語彙や文体によるもので、いかにもわかりにくい。とくに赤軍派系の文章は、まるでレジュメか内部文書を読んでいるように図式的で不可解である。現代の若い人たちにも理解できる、平易な解説が必要なのである。

まず、この「総括」という言葉から解説していこう。国会での与野党の討議を「総括質問」と称するように、総括とは文字通り全体を統括、ないしは包含したという意味である。学生運動や労働運動では、大会議案書が「情勢分析」「総括」「方針」という具合に分類される。したがって「反省」という意味合いがつよいといえよう。

その「総括(反省)」が連合赤軍においては「共産主義化」のためとして、個々人につよく求められたのである。

◆人間の尊厳を否定しておいて、反省を迫る「総括」

では、つぎに共産主義化とは何だろうか。森恒夫が語るところを聴こう。

「作風・規律の問題こそ革命戦士の共産主義化の問題であり、党建設の中心的課題」「各個人の革命運動に対するかかわりあい方を問題にしなければならない(『十六の墓標』)。

この「作風」「規律」をめぐって、じっさいに諸個人が「総括」をもとめられ、それに答えられないことで、暴力で「総括を援助」する事態が発生するのだ。この「援助」は食事を与えない、縛り付ける、自分で自分を殴るなどで、総括の対象者を死に至らしめるものとなった。

およそ人間の尊厳を否定しておいて、反省を迫るというのが間違っている。その誤りに、連合赤軍は気づかなかったのである。

そのような事態に至った、さまざまな要因は後述するとして、まずは連合赤軍の前史である赤軍派と革命左派の生成から解説していこう。じつは赤軍派の結成とそれへの森恒夫のかかわり方、革命左派の結成とその変遷における永田洋子の立場に、連合赤軍の淵源があるのだ。

◆ブント7.6事件

赤軍派がブント(共産主義者同盟)から分立する過程で起きたのが、7.6事件である。その事実関係は「7.6事件の謎」として、中島慎介が提起した問題(『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』収録)を、本通信も書評として解説してきた。

《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈4〉7.6事件の謎(ミステリー)──求められる全容の解明(2021年11月30日)

この事件をさらにさかのぼれば、68年12月のブント8回大会で関西派(のちに赤軍派となる部分をふくむ)が執行部(中央委員会政治局・学対)から排除されたことが挙げられる(人事問題)。

さらに69年1月の東大闘争安田講堂攻防戦をめぐって、政治局が責任を負わない態度を取ったことから、荒岱介(のちに戦旗派指導者)と高原浩之(赤軍派指導者)が反発した(闘争指導問題)。※『破天荒伝』(荒岱介著・横山編集、太田出版)

そして4.28沖縄デー闘争で、共産主義突撃隊(RG)が組織され、その敗北が赤軍フラクの結成へとつながるのだ(軍事組織改編問題)。その指導者が塩見孝也(のちの赤軍派議長)である。

7.6事件に至るまでの過程(6月のアスパック粉砕闘争・郵便局自動化反対闘争)で、ブント内右派から赤軍フラクへの「リンチ」があったとされる(『世界革命戦争への飛翔』赤軍派編)。

◆権力(スパイ)の謀略か?

そして、問題の7.6事件である。赤軍フラクの排除に抗議しようとしたところ、なぜかリンチ事件になった。その結果、赤軍フラクはさらぎ議長を逮捕させる結果となり、ブントを組織的混乱に陥らせたのである。

中島慎介が提起した「事件の謎(事件を準備した者がおもてに出ないまま所在不明)」を概括すれば、森恒夫の失踪(テロによるとされている)と藤本敏夫拉致事件(数日間行方不明)と併せて、謀略の気配がきわめて濃厚である。

運動体の内部にスパイを送り込み、運動の過激化をうながして組織を崩壊に導く。あるいは権力の謀略部隊が、直接的に運動体を叩く。

「権力の謀略」といえば、革マル派が74年の夏以降、独自に唱えてきたものがある。

「われわれは敵対党派(中核派や社青同解放派など)に対する闘争に勝利したが、国家権力は敵対党派の指導部にスパイを潜入させて操り、内ゲバを装った謀略を仕掛けている」というものだ。

すべてがそうだと言えないまでも、国家権力が内ゲバを装って謀略を仕掛けることは少なくない。

70年当時の新聞記者の証言として、警察署からヘルメット姿に身をやつした男女の警官が出てきたり、機動隊との攻防の現場で逮捕に協力しているヘルメット姿の学生風の警官が写真に撮られてもいる(『過激派壊滅作戦』三一書房) 。映画監督の大島渚は終生「学生運動が内ゲバで鎮静化したのは、警察のスパイが行なったことだ」と発言していたものだ。

中島慎介が問題視している、7.6事件で赤軍フラクが明大和泉校舎に入った時間は、始発電車(または次発)で御茶ノ水から明大前に行ったことが、当事者の新たな証言として、1月21日発売の「情況」(連合赤軍50年特集号)に掲載予定である。

またそこでの、さらぎ議長リンチが偶発的なものだったこと。その後、東京医科歯科大に引き揚げた赤軍フラクに逆襲したのが、中大ブントだけではなく情況派(医学連指導部、明大生協理事)が加わっていたことから、ブント内左右の派閥抗争の延長だったことまで判明している(重信房子の手記、『聞き書きブント一代記』)。7.6事件については、さらなる事実関係の究明が課題であろう。

8月にはブント中央委員会で赤軍派の「7.6事件の自己批判」が認められず、9回大会で塩見以下の指導部がブントを除名となる。ここに赤軍派は、ブントの分派として、共産同赤軍派を結成することになるのだ。

◆革命左派の前史

さて、新左翼オタクや共産趣味者にとって、よくわからないのが日本共産党革命左派(神奈川県委員会)という組織の系譜であろう。

日本共産党の毛沢東支持派から分裂した、というのが一般的な説明である。全くはずれてはいないが、組織の歴史を正確に顕わしているとはいいがたい。じつは革命左派もブントの系譜なのである。

革命左派の前身は、警鐘グループと言われるブント系の一派である。すなわち、マルクス主義戦線派の川島豪、社学同ML派議長だった河北三男が「これからは学生運動主体ではなく、青年労働者を組織すべき」として結成されたのが警鐘グループだった。

《図表》日本共産党革命左派(神奈川県委員会)という組織の系譜

この警鐘グループが日中友好運動を媒介に、接触をはかったのが日本共産党左派神奈川県委員会なのである。日共左派は山口県委員会(現在の「長周新聞」)が有名だが、中国のプロレタリア文化大革命を背景に、共産党から分立した組織で、全国的に自立的に存在していた(日中友好協会正統派)。

じつはその前に、マルクス主義戦線派(のちに前衛派・レーニン主義協会など)や社学同ML派(のちに日本マルクス・レーニン主義者同盟、マルクス主義青年同盟、日本労働党など)を解説しなければならないが、長くなるので別枠(ブントの分派)で解説することにしたい。※図表参照。

ともあれ、日本共産党左派神奈川県委員会に合流することで、川島豪と河北三男の一派は、横浜国大と東京水産大学(現・東京海洋大学)を拠点に組織を伸長させる。

かれらにとって、戦中派で戦後革命期を経験してきたベテランの元共産党員と合流したことは、政治的にも組織的にも新たな地平だった。すなわち、新左翼の粗雑な作風・体質からはなれて、労働者・労働組合運動に基盤を持つ革命組織の確立である。

とはいえ、横浜国大の自治会を拠点にする学生メンバーは、ML派から執拗に付け狙われる。河北三男がML派時代に突然いなくなり、分派として立ち顕われた、とML派は判断したのである。分派をゆるさない、レーニン主義の組織論の悪弊が、まずここに見出せる。

横国大自治会に出入りするメンバーが拉致され、ML派の拠点である明治大学の学生会館に監禁されるなど、党派闘争・分派闘争としての大義名分でテロリンチが行なわれたという。

このとき、元共産党員で日共左派神奈川県委員会の指導者(望月登=一部の本では小林)は、果敢にも「人民内部の矛盾であるから、暴力に暴力では返さない」と、明大学館に単身のりこんだ。顔が倍に腫れ上がるほど殴られながらも、横国大のメンバーを奪還したのだった。

じつに毅然とした勇気を必要とする行動で、指導者の範をしめしたというべきであろう。この望月登は海軍兵学校(幹部養成学校)の出身者だったという。

◆神奈川県委員会の分裂

しかしながら、68・69年の新左翼(三派全学連・全共闘運動)の運動的な高揚と先鋭化は、日共左派神奈川県委員会にも影響をおよぼした。元共産党員の指導者たちの、地道な労働運動による組織建設は、いかにも時代の趨勢に付いて行けないものだった。

69年春の党会議において、河北と川島が望月に指導責任を問い質し、会議は紛糾した。指導方針を示せない望月を罷免することで、日共左派神奈川県委員会は事実上の分裂。日共革命左派神奈川県委員会の結成となったのだ。

新左翼系としては、ML派につぐ毛沢東主義の党派結成で、その路線は「反米愛国」である。

ちょうど赤軍派が大阪戦争・東京戦争をくり広げ、大菩薩峠で53名の逮捕者(武装訓練合宿)を出していた69年秋、革命左派も米軍基地へのダイナマイト闘争を実行(すべてが不発)していた。両者の歩みは、ほとんど軌を一にしていたといえよう。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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『公明新聞』を印刷している新聞社系の印刷会社、毎日新聞グループの東日印刷など26社、新聞ジャーナリズムが機能しない客観的な原因に 黒薮哲哉

公明党が自民党と連立して政権党に変身したのは、1999年、小渕恵三内閣の時代である。自民党単独では、安定した政権運営にかげりが兆し、公明党が自民党の補完勢力として、その存在感を発揮するようになったのである。

しかし、公明党と新聞業界の関係が、派手に報じられることはない。かつて問題になった安倍晋三と渡邉恒雄らマスコミ幹部の会食に象徴される両者の「情交関係」などは、公明党には無縁のような印象がある。

筆者はこのほど公明党の政治資金収支報告書(2020年度分)を出典として、公明党の機関紙『公明新聞』を印刷している新聞社系の印刷会社をリストアップした。その結果、複数に渡る新聞社系列の印刷会社が、『公明新聞』を印刷していることを確認した。公明党から総額で月額1億2000万円程度(2020年度6月度の実績)の印刷収入を得ている。

次に示す表が、その内訳である。

『公明新聞』を印刷している新聞社系の印刷会社(出典=公明党の2020年度政治資金収支報告書)

なお、(株)池宮商会は新聞社系の印刷会社ではない。

(株)かなしんオフセットというのは神奈川新聞社系の印刷会社である。

東日印刷、日東オフセット、高速オフセットは、毎日新聞グループの持株会社である毎日新聞グループホールディング傘下の会社である。取引額がずば抜けて多い。

ちなにみ高速オフセットは、公明新聞だけではなく、大阪府の広報紙『府政だより』の印刷も請け負っている。(2021年度時点での調査)。

読売プリントメディアは、読売新聞グループの印刷会社である。余談になるが、この会社は公明新聞のほかに次の媒体を印刷している。同社のウエブサイトの記述を引用しておこう。

 
神奈川県の広報紙「県のたより」

【主な自治体広報・選挙公報の実績】

■自治体広報
県のたより(神奈川県)、ちば市政だより(千葉県・千葉市)、広報ふじさわ(神奈川県・藤沢市)、広報ところざわ(埼玉県・所沢市)、広報東京都(東京都)、都議会だより(東京都)など。

■選挙公報
・衆議院選公報(東京都比例代表)および最高裁裁判官国民審査公報
・参議院選公報(東京都比例代表)

このように政党機関紙、広報紙、選挙公報などの印刷を請け負うことにより、取引の当事者間に特別な関係が構築されているのである。公権力や政党と行政機関の癒着は、大阪府と読売新聞の包括提携協定にみる事例だけではない。それは氷山の一角に過ぎない。

◆2010年の調査、印刷事業から撤退した朝日新聞社系

新聞社系の印刷会社が、『公明新聞』を印刷していることは、かなり以前から指摘されてきた。筆者がこの調査を最初に行ったのは、2010年である。出典としたのは、2009年の政治資金収支報告書である。

調査結果は「マイニュースジャパン」に掲載した。

事業規模そのものは、今回の調査で明らかになった結果と大きな差はないが、事業に参加している新聞社系の印刷所の数が若干増えている。前回の調査では、朝日新聞系の日刊オフセットも公明新聞の印刷事業を請け負っていたが、今回の調査では確認できなかった。両者が取引を終了した理由は分からない。

 
公明党・山口那津男代表(出典:wikipedia)

次に示すのが前回の調査で明らかになった印刷会社である。

岩手日日新聞社
かなしんオフセット(神奈川新聞)
神戸新聞総合印刷(神戸新聞)
四国新聞社
静岡新聞社
中国印刷(中国新聞)
中国新聞福山制作センター(中国新聞)
中日高速オフセット印刷(中日新聞)
山陰中央新報社
道新旭川印刷(北海道新聞)
長崎新聞社
西日本新聞印刷(西日本新聞
日刊オフセット(朝日新聞)
新潟新報社
福島民報社
毎日新聞北海道センター(毎日新聞社)
東日印刷(毎日新聞社)
東日オフセット(毎日新聞社)
エステート・トーニチ(スポニチ新聞社・注:縮刷版)
ショセキ(北國新聞社)
南日本新聞オフセット輪転

◆新聞批判、視点の問題点

「なぜ新聞ジャーナリズムは衰退したのか?」という例題は、昔から延々と論じられてきた。読者は、次の引用文がいつの時代のものかを推測できるだろうか。

「【引用】たとえば、新聞記者が特ダネを求めて“夜討ち朝駆け”と繰り返せば、いやおうなしに家庭が犠牲になる。だが、むかしの新聞記者は、記者としての使命感に燃えて、その犠牲をかえりみなかった。いまの若い世代は、新聞記者であると同時に、よき社会人であり、よき家庭人であることを希望する。」

この記述は、1967年、日本新聞協会が発行する『新聞研究』に掲載された「記者と取材」と題する記事から引用したものである。1997年には新聞労連が、「新聞人の良心宣言」なるものを発表した。「はじめ」の部分で、次のように述べている。

「【引用】新聞が本来の役割を果たし、再び市民の信頼を回復するためには、新聞が常に市民の側に立ち、間違ったことは間違ったと反省し、自浄できる能力を具えなくてはならない。このため、私たちは、自らの行動指針となる倫理綱領を作成した。他を監視し批判することが職業の新聞人の倫理は、社会の最高水準でなければならない。」

ここでも精神論が柱になっている。同じような傾向が現在も続いている。全員が本田勝一氏や望月衣塑子氏のような記者になれば、新聞はよくなるという幻想である。もちろんこうした考えが、全くの誤りだとまではいえないが、思考の方向性としては間違っている。

それは木を見て森を見ない論理である。新聞社が企業として成り立つ基盤に公権力が経済上の優遇措置を施すことで食い込んでいる状況下では、いくら新聞記者に精神論を唱えても新聞ジャーナリズムには限界がある。基本的には何も変わらない。

わたしは、新聞ジャーナリズムを衰退させた物質的・経済的事実を徹底的に探る必要性を感じている。たとえば、記者クラブ制度である。新聞社と広告主との関係である。新聞に対する優遇措置、たとえば軽減税率の適用や再販制度の維持政策である。「押し紙」政策に対する公権力の不介入方針である。学校教育現での新聞の使用を提唱した学習指導要領の実施方針である。そして本稿で取り上げた政党機関紙の印刷を通じた「情交関係」である。

筆者が取材してきた「押し紙」問題は、単に商取引の問題ではなく、新聞ジャーナリズムの問題である。新聞ジャーナリズムが機能しない最も大きな原因にほかならない。「押し紙」により新聞社が得る経済的メリットが尋常ではないからだ。

※今月発売の『紙の爆弾』に、浅野健一氏らによるメディア(新聞やSNS)について考えさせる優れた記事が複数掲載されている。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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《書評》出河雅彦著『事例検証 臨床研究と患者の人権』── 医療と人権問題のリアルな最先端に触れられる圧巻の調査報道 田所敏夫

◆「医療問題」とは、言葉にしずらい日常的な関心事

健康状態が良好なときには、関心を持つこのと少ない「医療問題」。本人や家族が疾病や怪我で、医療機関にかかった際に、運が悪いと直面する。「医療問題」とまで大上段に構えずとも、医師や病院の信頼性や態度は、健康状態を悪化させている本人や家族にとって言葉にはしにくいものの、日常的な関心事だ。

人間はいずれ生命を全うする。その最終局面を医療機関(病院)で迎えることは今日常態化しているといってもいいだろう。医師や看護師の手厚く心のこもった治療姿勢の後に最期遂げる。その遺族は、医療機関が「業務」として提供したサービスであっても、悲しみの中「お世話になりました。本当にありがとうございました」と感謝の念を抱く。不幸の中にあってもこのような姿は、遺族にとっては一縷の救いとなり、感謝の気持ちで病院を後にする。

◆事件の経緯から裁判資料まで、医師と患者の間に横たわる諸問題を詳述

 
出河雅彦『事例検証 臨床研究と患者の人権』(2021年11月 医薬経済社)

ところが医療機関(病院)や医師の行為から不信感を抱かされると、患者の困難がはじまる。仮に命には別条のない施術や治療であっても、医師から納得のいく説明を受けることが出来なかったり、あるいは説明もなく治療を行われ、その予後が思わしくないと、患者には不信感が残る。病院を選ぶことのできる環境に生活する人であれば、病院を変えることができようが、そうではない患者にとって「不信感」をもって医者にかかることは、極めてフラストレーションの高い不健康な状態である。

さらに、病院(医師)の判断・行為で命を落とされたり、本来は避けられる副作用で苦しむことになったらどうであろうか。医師と患者の「絶対的服従関係」はインフォームドコンセントが常識化した今日、過去に比べればかなり改善されたといえようが、その陰には多くの患者・遺族そして医師自身の苦悩や闘いがあったことを、わたしたちは充分には知らない。出河雅彦氏の手になる『事例検証 臨床研究と患者の人権』(2021年、医薬経済社)は医師と患者の間に相変わらず横たわる問題の中でも、極めてデリケートな「臨床研究」と治療の問題について、発生した事件の詳細から裁判資料までを紹介する重厚な書物である。

◆6つの「医療事件」をめぐる緻密で膨大な調査報道

出河氏は、医師が適切な手順で患者を治療したか(プロトコール違反はなかったのか)? 臨床試験に「同意」は存在したか? なぜ日本では「人体実験」と区別のつかない「臨床研究」があとを絶たないのか? などを着目点に「当事者がどのような主張を行い、どのような結末に至ったのか」を詳述する。

6つの事件(愛知県がんセンター、金沢大学病院[2件]、東京女子医科大学、群馬大学病院、東大医科研病院)を追った出河氏の報告は「調査報道」に分類することも可能かもしれないが、当事者に取材し膨大な準備書面を提示する手法は、法律家の技に近いともいえる。

しかし出河氏がこのように緻密で膨大な資料を示した理由はわたしにも推測できる。一般の民事裁判とは異なり、「医療事件」は病院サイドが圧倒的に多くの情報を握っているために、内部告発者でもいない限り患者(遺族)側が対等な条件で闘うことが、極めて難しいからではないだろうか(実際に第二章「同意なき臨床試験」金沢大学病院では金沢大学の医師が「告発者」として活躍した事実が紹介されている)。また「プロトコール違反」、「臨床試験」といった基本的な概念の理解にすら、医師によってかなりのばらつきがあることも読者は学ぶことになる。

◆読者はまるで陪審員(裁判員)、裁判官の立場に置かれたかのような錯覚を抱く

「これでもか、これでもか」と叩き付けられるような証拠の山に、読者は陪審員(裁判員)あるいは裁判官の立場に置かれたかのような錯覚を抱くかもしれない。「良い」、「悪い」という単純な善悪二分法では解決することができない、しかしながら解決しなければ患者の人権擁護を確立することのできない、極めて困難な設問に出河氏は事例報告だけではなく、生命倫理研究者橳島次郎氏との対談で法制度の未整備について率直な指摘を展開している。

昨年まで朝日新聞の記者として、現場を飛び回っていた出河氏は最前線の記者だった。それにしては、文体が一般の新聞記者のように硬直していない。極めて入り組んだ医療最前線の問題を長年地道に取材し、新聞紙面では一部しか紹介できなかった取材成果を醸造、その成果の一部を纏めたのが本書といえよう。

余談ながら金沢地裁で争われた金沢大学(国)を訴えた遺族が提起した裁判の裁判長として、現在原発差し止め訴訟などで著名な井戸謙一弁護士も登場する。出河氏と井戸弁護士はその後、滋賀医大病院における説明義務違反訴訟で取材者と原告弁護団長の立場で再会を果たすことになったのは、本書とは関係ないが偶然とは思われない。

病院と無関係で一生を終えられるひとはいない。いま医療現場で問題になっている最先端の問題(最先端医療ではない)は何なのか、を知っておくことは、誰にとっても有益なことだろう。600頁を超える大著から学ぶことは多い。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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安江博『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』

2022年キックボクシング展望 今年の変貌は! 堀田春樹

◆新世代の交流

今年のキックボクシング、定期興行が続いている既存の各団体(協会や連盟)において、年間スケジュールが発表されている範疇では、東京近郊開催は全部で20回あまりが確認出来ます。その他、地方興行、フリーのプロモーター主催興行を加えれば未発表を含みますが、全部で60回以上が予測されます。

昨年は各団体興行に他団体役員の来場が見られること多くなり、そこでは会長に連れられ「試合組んで頂きたくて交渉に来ました!」と言う選手の姿もありました。

今年、プロボクシング転向を宣言している那須川天心(画像は5年前)

過去に団体分裂した間柄では結束は難しくても、その他の団体と交流する中で、いろいろな顔触れが入り混じっていく中、昭和の殺伐とした因縁は新しい世代のジム会長には関係無く、今年も交流が増えるだろうと強く感じるところです。

また、一昨年からコロナ禍で海外からの選手を招聘出来なかった期間が長かったので、新たなオミクロン株は、年末時点ではやや拡大傾向で不安な年越しながら、無事開催が進めば滞っている国際戦タイトルマッチも行われることでしょう。

◆那須川天心はプロボクシングでどこまで通用するか

一般社会的にも注目されている那須川天心は、キックボクサーとしてはもう別格の有名人。4月でキックボクサーを引退するとしていた宣言は6月に延びましたが、その後はプロボクシング転向し注目されていくでしょう。

「手や足に脳が付いている」と言われるほど、頭で考える前に手足が相手に当たっている天才型でもプロテストはB級となるかと思いますが、合格は間違いないところでしょう。C級デビューは無いでしょうが、新人王トーナメントから勝ち上がる姿も見てみたいものです。

プロ専門家の意見では「日本か東洋までは早々に勝ち上がるだろう」と予測されますが、
「4回戦以上の長丁場で、闘志空回りしてしまう凡戦や、隙を突かれるクリーンヒットを貰ってしまう苦戦は見られるだろう」という見方もあり、今後の予測が難しいデビュー前の現在です。まずはライセンス取得し、年内にプロデビュー戦まで進めて話題を盛り上げるところでしょう。

◆本場ムエタイ、世界のトップリーダーを持続できるか

コロナ禍で延期、IBFムエタイ世界Jrフェザー級王座防衛戦を待つ波賀宙也

ルンピニースタジアムではコロナ蔓延以降、場内ギャンブル禁止(11月より)や女子試合導入に移行など新しいものを取り入れる時代に入りましたが、真のムエタイボクサーも昔のような伝説的バケモノのような頑丈さやテクニシャンは少なくなったことも起因し、今後、世界的に有名な総合格闘技、Mixed Martial Arts(MMA)の試合も組んでいく模様です。

スポンサーやテレビ局の意向が大きく影響していると見られますが、ラジャダムナンスタジアムはまだ大きな変化は無いものの、他からの影響を受け、殿堂スタジアムがどう変化していくのか今年の注目でしょう。

過去、タイ発祥のムエタイ世界認定組織が幾つも出来た上、一時は絶大な存在感を示しながら衰退していく組織がありました。その傾向は代表が亡くなられたり、失態を起こして辞任すると、いとも簡単に勢力が他組織に移る基盤の脆い造りで、世界機構の権威たるものがあっけなく崩れ落ちるのは以前から指摘されるところでした。

昨年10月にはInternational Muaythai Sport Association(IMSA)なる団体を元・WPMF会長のサーマート・マルリム氏が設立した模様で、世界を牽引する組織として期待していいのか衰退するのか、将来を占う今年の活動を見ていきたいところです。

◆日本国内王座は進化するか

IMSA、1年後はどんな評価を受けているか

「タイトルは多いけれどタイトルマッチが少ない」と見られるのが国内各団体タイトルでしょう。団体多過ぎて各ランキングが埋まらないのも当然のことです。

空位王座は通常のランキング上位による王座決定戦がありますが、争奪トーナメント戦で盛り上げる手法も増えている感じがします。

チャンピオンになっても直ぐ返上が多かった過去に対し、現・Krushライト級チャンピオン、瓦田脩二(K-1ジム総本部チームペガサス)は昨年9月に王座獲得し、今年2月のK-1出場後の4月に初防衛戦を行なう予定で、「Krushライト級のベルトの価値をドンドン上げていきたい」と言い、ベルト返上の意思は全く無い様子。そんな基本姿勢を持つ律儀な選手もまだまだ存在するもので、プロモーター意向にもよりますが、タイトルの防衛戦を重ねて他団体へも活性化を促して欲しいところです。

キックボクシング誕生から満55周年。創生期の重鎮が鬼籍に入り、幅広い世代に跨る時代となりました。今年も若い力が台頭して来ることでしょう。

[左]S-1ジャパン女子バンタム級チャンピオンSAHOもS-1世界トーナメントを待つ立場[右]Krushライト級チャンピオン瓦田脩二はK-1王座を目指しつつ、Krush王座を守り抜く宣言

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

新年1月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

憲法改正ではなく、日米地位協定の改正を! 広島でもオミクロン株でのコロナ感染爆発! 拡張強化後の米軍岩国基地が「震源」か? さとうしゅういち

広島県内でも役所や企業が仕事始めだった2022年1月4日、広島県内の新型コロナウイルスの新規感染者数が109人と聞いて、筆者は腰を抜かしました。たった1週間前の2021年12月28日、すなわち役所の仕事納めだった日に1人だった感染者数が、指数関数的に爆発しています。こうした中、1月10日の成人式を広島市や大竹市は延期するなどの対応に追われています。広島県は宿泊療養施設の受け入れを開始しました。

今回の感染爆発の主役はオミクロン株とみられます。南アフリカなどでは死亡率や重症化率は従来型より低いというデータもありますが、反面で感染力が強いために、患者が桁違いに増えて、重症や死亡の「絶対数」は多くなる危険もあります。

◆隣接する岩国市との関連が多い広島県内感染例

そして、広島県の分析では、西隣で、広島市から直線距離でわずか30kmあまりの山口県岩国市との往来が関係する感染例が多いとのことです。

岩国市は広島県に隣接します。広島カープの2軍の本拠地も岩国市の由宇というところにあります。岩国からわたしの事務所がある広島市の安佐南区に通勤してこられる方も多くおられます。大昔、わたしが、岩国の酒場で県外だからと油断して大酒をのんで遊んでいたら、突然、となりの席の方に声をかけられ、「古市橋駅前でよく演説している人でしょう」と声をかけられ、驚愕して酔いが覚める、という不覚を取ったことがあります。また、それなりの有名な雑誌などでも「広島県岩国市」と誤記していたりすることがみられました。

◆拡張強化された岩国基地で先行して感染爆発

そして、その岩国市では一般市民に先行して、米軍岩国基地で感染爆発が起きています。米軍岩国基地は、現在は、軍人、軍属、家族をあわせて10000人以上の方がおられます。昔は、3000人規模だったのが、2013年度ころに空中給油機、さらには2014年度ころに厚木基地の艦載機が移駐して10000人にふくれあがりました。その岩国基地では2022年1月5日にはなんと182人もの新規感染者が出ています。

広島県内(県内)、岩国市内(岩国)、米軍岩国基地(基地)の新規感染者数は以下のように推移しています。

     県内-岩国-基地
12/01~20 0-0-0
12/21   0ー0-1
12/22   2-0-1
12/23   3-1-0
12/24   1-0-0
12/25   5-1-0
12/26   1-1-0
12/27   1-1-8
12/28   1-1-5
12/29   3-7-80
12/30   6-7-27
12/31   23-8-23
01/01   21-14-0
01/02   57-13-0
01/03   40-44-50(岩国基地は3日分をまとめて発表)
01/04   109-62-47
01/05   138-70-182

広島県の人口は280万弱(2021年に280万を割り込んだ)、岩国市が14万人弱、米軍岩国基地が上述のとおり1万人強です。

12月27日に岩国基地で8人の感染を確認すると、2日後には、80人に急増。岩国の一般市民でも1→7人に増えます。31日には、広島県内でも23人感染となりますが、これは県東部の尾道市でのクラスターによるものです。岩国とは関係がない可能性が高いでしょう。しかし、2022年元日。広島県で21人を記録。そして、わずか3日後の4日に109人、5日には138人を記録します。

◆人口あたり感染数、今の岩国基地は2週間後の広島か?

5日時点では、1週間の人口10万人あたりの新規感染者は岩国基地が3000人くらい、岩国市が150人くらい、広島県が14人くらいです。12月30日では、岩国基地が1200人くらい、岩国市が13人くらい、広島県内が6~7人くらい。12月28日では、岩国基地が150人くらい、岩国市が4人くらい。広島県内でも5人くらい。

岩国基地についていえば、毎日100万人が感染しているアメリカ本土と同等であるのはうなずけます。米軍兵士らは、パスポートもなしに、自由に日米を往来できるのです。

その岩国基地に遅れること8日で岩国市が基地と同程度の人口あたり感染数になる。さらにおくれること6日くらいで広島県内が岩国市と同程度になる。こういう関係が読み取れます。いまの岩国基地は2週間後の広島県という予測はできます。

◆変えるなら憲法よりも日米地位協定を変えるべき

広島県知事はすでに、岩国基地に対して、対策の強化を求めています。米軍基地を震源とする感染爆発はすでに沖縄県で起きています。沖縄県知事も米軍に対して激怒し、政府にはまんえん防止措置を求めていますが当然です。

コロナ対策に関連して、自民党など右派勢力からは、緊急事態条項創設を求める声が強まっています。しかし、まずは、米軍基地をなんとかするのが先ではないでしょうか?

米軍兵士らは、パスポートもなしに自由に日米を往復できています。これまでと桁違いの感染状況にある岩国基地からも事実上、自由に出入りできてしまいます。日本人は困窮者急増にみられるように、生活を犠牲にしてまで協力をしている。しかし、米軍にぶっ壊されてはたまったものではありません。

2008年岩国市長選挙の様子。この時、井原勝介前市長が打倒されたことが、14年後にコロナ災害の拡大につながろうとはおもいもよらなかった

日本政府は、コロナを災害指定し、全住民に、大水害や大震災の被災者と同様の生活再建支援をすればいいのです。緊急事態条項などいりません。日本全国を激甚災害に指定すれば、自治体が仕事をしやすいように、国が思い切った補助ができます。

それとともに、日米地位協定を変えるべきです。日本の国内にいる以上、米軍兵士の皆様にも、日本人同様にご協力をいただかなければなりません。今後も、コロナに限らず感染症が世界的な流行をみることは十分に想定できます。

岩国基地の地元の岩国市民は、2006年、いったんは艦載機の移駐を拒否する住民投票結果を出しました。しかし、自民党政府が財政面での執拗な締め上げを行ったのです。それに市議会多数派が屈して、当時の井原勝介市長の市政運営の脚をひっぱりました。

2008年の出直し市長選挙で議会多数派は、自民党代議士だった福田現市長をかついで井原市長を打倒。福田現市長が、交付金と引き換えに米軍基地強化を受け入れた経緯があります。基地の規模は人員ベースで3倍以上になりました。

それ以降、筆者が住む広島市内でも米軍機が我が物顔で飛ぶようになり、爆音が増えるなど被害が増えていました。その矢先の米軍によるコロナ災害拡大です。岩国市民も広島県民もこれ以上、米軍になめられてはいけん。日米地位協定改定を今回のことも教訓に強く求めていきましょう。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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閉鎖後の「あいりん総合センター」で迎えた3度目の正月! 大阪維新の横暴卑劣な「まちづくり」に抗す路上生活者の拠点回復の闘いに引き続き支援と注目を! 尾崎美代子

2019年4月に閉鎖された「あいりん総合センター」(以下、センター)周辺に野宿する22人に対して、国と大阪府が立ち退きを求めた裁判で、昨年12月2日、大阪地裁(横田典子裁判長)は、立ち退きを認める判決を下した。但し、原告が求めた仮執行宣言は認めなかった。

毎日新聞(12月3日付)によれば「判決は、センターが長年、路上生活者の拠点となってきた経緯から、『閉鎖後も段ボールを置くなどして実質的に支配している』と指摘。代替場所を提供しているため府の立ち退き請求は妥当だと結論づけた」とある。一方、野宿者側の弁護団・武村二三夫弁護士は「生活の場を奪うことは許されず、行政の都合に合わせた判決だ」と非難した。

◆野宿者を暴力的に締め出し、センターを閉鎖した国と大阪府

センターは釜ヶ崎の労働者にとって特別な施設であった。1970年大阪万博開催に向け、釜ヶ崎に大量の建設労働者が全国から集められた。それまで労働者は、手配師と直接交渉する「相対方式」で仕事に就いてきたが、賃金未払い、契約違反、暴行などが多発したため、就労環境整備のため、そして労働者の福利厚生のためにとセンターが作られた。センターの1階と3階では、誰でも自由に横になれた。こんな場所は全国でここしかない。ほかに足を洗う、洗濯する、シャワーを浴びる、水が飲める、安く飯が食える、将棋ができる、建設当時「100年持つ」といわれた頑強な構造物だった。

しかし2008年頃から「耐震性に問題がある」として、センター建て替え問題が浮上、当初は補強、耐震工事などの案も出ていたが、突然「解体、建て替え」に変わったのは、2012年、大阪維新の橋下徹氏が市長になってからだ。橋下氏は「西成が変われば大阪が変わる」とする「西成特区構想」をぶち上げ、NPO、組合、支援団体など一部関係者と有識者などで構成する「まちづくり検討会議」で、センター解体、建て替えを一挙に進めようとしてきた。

2019年3月31日、いよいよセンターが閉鎖されようとした日、各地から集まった労働者や野宿者、支援者らが反対の声をあげ、閉鎖は阻止された。その後、自主管理が続いたが、4月24日、国と大阪府は強制的に中にいる労働者・野宿者を締め出し、以降シャッターは閉められたままだ。

[写真左]野宿者の多いセンター西側に山積みのごみ。釜合労、支援者が片づけを要求したが、行政は放置したまま。[写真右]一方裏の東側はごみを片付けられている。これについて神戸大准教授の原口剛氏は「建物の維持管理をあえて放置し、居住環境を意図的に悪化させることは旧来の住民を追い出すために採られるジェントリフィケーションの戦略のひとつ。しかも特に悪質な戦略のひとつである」と述べている

◆土地明渡訴訟(本訴訟)と仮処分訴訟

2020年4月22日、大阪府は、センター周辺で野宿する人たちに「立ち退きせよ」と「土地明渡訴訟」(本訴)を提訴、そのわずか数か月後の7月、本訴では時間がかかるため、緊急に立ち退き命令を執行する必要があるとして仮処分命令を訴えてきた。これに対して大阪地裁は、2020年12月1日に却下、理由は2008年から「耐震性に問題がある」と主張してきたが、まちづくり会議などでも「喫緊の課題」として論議された形跡がないからなどだ。野宿の仲間は、2020年の正月を、無事センター周辺で迎えることができた。

その後、大阪地裁で本訴である「土地明渡訴訟」が争われてきた。これまで大阪府は、長居公園、大阪城公園、西成では2016年花園公園から野宿者を追い出すために、行政代執行を強行してきた。では何故、今回センターで行政代執行を行うことができないのか。センターは公の施設として開設したが、そういう施設を閉鎖するためには正式な協議を行う必要がある。しかし今回、国と大阪府は、財団法人としてそうした手続きを全くとっていないのだ。

そのため裁判の争点の1つ目は、「それはおかしい。土地明渡訴訟などという民事裁判で争うべき事案ではない」と主張してきた。

2つ目に、野宿者から「住まい」を奪うということは、国連の「社会権規約」に違反すると訴えてきた。社会的規約によれば、立ち退きさせる場合、それと同等の住まいを与えなければいけないとある。大阪府は、これに対して代替場所を提供していると反論し、判決も代替場所が確保されているとした。

しかし、代替場所とされるシェルターや「萩小の森」公園、南海電鉄高架下の「西成労働福祉センター」「あいりん職安」の仮庁舎などは、時間及び自由が制約されている上に、センターのようにごろりと休める場所もない。それらが代替場所といえるだろうか。新たに作られるセンターも、かつてのセンターが備え持った生きるためのライフラインを持たず、実質野宿者や労働者を寄せつけない施設になることは、仮庁舎を見れば容易に想像がつく。

大阪府が、センターの代替場所の1つとした「萩小の森」。普段は将棋をさす人もいるが、寒いこの日(1月4日14時30分撮影)は、誰もいなかった

3つ目は、国と大阪府のやり方があまりに理不尽だということだ。国と府は、立ち退き理由を、センターの耐震性に問題があり建て替えが必要と主張していたが、仮処分の敗訴理由で明確になったように、その理由も確かかどうか不明だ。さらに野宿者を立ち退かせ跡地をどうするかも未だ確定には至っていない。

また裁判の後半で焦点化したのは、誰がどこに野宿しているか、国も大阪府も明確に判っていないことだった。これに対して国と大阪府は、「野宿者全員がセンター周辺のどこかにいるのだからと、センター周辺を野宿者全員で『共同占有』している」などと、驚くような無理筋の反論を行ってきた。

しかも「共同占有」する野宿者らは、釜ヶ崎地域合同労組委員長やセンター北西側に団結小屋を建て、野宿者らと寄り合いや共同炊事を行う「釜ヶ崎センター開放行動」の人たちの主張に同調する者だと主張してきた。馬鹿なことをいうな! 確かに、野宿者の中には裁判に関心を持ち傍聴する人もいる。しかし、多くの野宿者は「実質的な支配」(地裁判決)どころか、毎日野宿しながら生きていくことに必死なだけだ。

この間、大阪市や西成区職員は、野宿者に生活保護などを受けさせ立ち退かそうと必死で説得を行ってきた。生活保護を受けるか否かは本人の自由だし、受けたい人は既に受けているだろう。それでもなお、野宿にとどまる人が多数いることも事実だ。しかもこの間、コロナ禍で職を失ったり困窮し、新たにセンターに来た人、再び去っていく人を何人もみてきた。それだけセンターは社会的に困窮する人たちの最後の砦になっているのだ。

大阪地裁は、私たちのこれらの訴えを全て認めなかったが、前述したように「仮執行宣言」については「本件事案の性質に鑑み相当でないことから、これを付さないこととする」と認めなかった。そうして、センター閉鎖から3度目の正月を迎えることができた。

「センター解放行動」の仲間が取り組んだ越冬闘争

◆大阪維新のまちづくりは成功するのか?

最後に、センターが閉鎖された2019年の3月28日、大阪維新の松井市長が西成区役所前で行った演説を紹介する。

「西成のいろいろ問題がある所に、僕と橋下さん2人揃って、課題1つ1つ解決してきた。新今宮駅の周辺はガラっと景色がかわります。センターの建て替えも決まった。これは難しかった。関係者が一杯いたから。でも僕と橋下が直接会議に出て意見をもとめ決まった。(中略)あのへんは無茶苦茶大阪の拠点にかわっていきます。問題あるところに真正面に向き合ってこなかったのが10年前の府と市でした。(府市)1つにまとめて機能を強化してありとあらゆる問題に対峙すれば、良くなるという見本がこの西成なんです」。

新今宮駅北側に建設中の星野リゾートが、今年4月に開業する。大阪維新が、2025年大阪関西万博再開に向け,さらなる利権獲得のために進めるまちづくりの一環だ。そんな大阪維新の暴走を、最底辺で食い止めているのが、センターでの闘いだ。大阪維新の野望を打ち砕くため、今年もセンターの闘いにご注目を!

今年4月開業の星野リゾート。ホテルの前のJR新今宮駅反対側にセンターがそびえたつ

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

新年1月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号
『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

《NO NUKES voice》2022年こそ核兵器禁止条約に日本は参加を! さとうしゅういち

2017年8月7日、採択され、9月20日に署名が始まった核兵器禁止条約。2021年1月22日、批准・加盟国が50ヶ国に達してから90日を経過したため、発効しました。

原爆ドーム。長崎原爆の日の8月9日に筆者撮影

ガイアナ、バチカン、タイ、メキシコ、キューバ、エルサルバドル、パレスチナ、ベネズエラ、パラオ、オーストリア、ベトナム、コスタリカ、ニカラグア、ウルグアイ、ニュージーランド、※クック諸島、ガンビア、セントルシア、サモア、サンマリノ、ヴァヌアツ、南アフリカ、パナマ、セントビンセント及びグレナディーン諸島、ボリビア、カザフスタン、エクアドル、バングラデシュ、キリバス、ラオス、モルディブ、トリニダード・トバゴ、ドミニカ、アンティグア・バーブーダ、パラグアイ、ナミビア、ベリーズ、レソト、フィジー、ボツワナ、アイルランド、ナイジェリア、※ニウエ、セントクリストファー・ネイビス、マルタ、マレーシア、ツバル、ジャマイカ、ナウル、ホンジュラス、ベナン カンボジア、フィリピン、コモロ、セーシェル、チリ、モンゴル、ギニアビサウ(58ヶ国) 
※=オブザーバー参加 2021年11月ノルウェー、2021年12月ドイツ

核兵器禁止条約は、核兵器の開発・実験・生産・製造・取得・貯蔵はもちろんのこと、核兵器による威嚇も禁止しています。核兵器を包括的に違法とする初めての国際法です。また、核実験による被害者に対する援助および環境の修復についても定めている点も画期的です。

これまでも、「非核兵器地帯」は東南アジアやアフリカ、中南米、モンゴル、太平洋など各地にできています。核兵器禁止条約は、世界を対象にひろげた上で内容も充実させたものです。

わたくし、さとうしゅういちの父親は広島市内の被爆で全焼した地域に1945年の7月まで住んでいました。引っ越しが遅れればわたしは存在しませんでした。東京で過ごした小学校時代には、たまたま広島で被爆した経験をもつ先生に担任をしていただき、薫陶を受けました。高校時代には井伏鱒二の小説「黒い雨」に感動しました。そんな、わたしにとっても、核兵器禁止条約は悲願です。

◆日本政府は条約に反対

日本政府はご承知のとおり、「核兵器保有国と非核兵器国の橋渡しをする」といいつつ、アリバイ程度の国連決議を毎年の総会に提出する以外には、ほとんど何もしていないのが実態です。基本的には、アメリカの核抑止力に依存するから、何も言えない、というのがほんとうのところです。

日本政府はそもそも、核兵器禁止条約については「分断を広げる」という理由で反対をしています。その理由のひとつは、「安全保障環境」です。

◆安全保障環境は不参加の理由になるのか?

しかし、そもそも、安全保障環境は不参加の理由になるのでしょうか?

日本とほぼおなじような安全保障環境を共有している国といえば東南アジア(ASEAN)諸国です。そのASEAN諸国は核兵器禁止条約にすべて署名しています。たとえば、ベトナム。ご承知のとおり、南シナ海問題で中国とは紛争状態で、小競り合いもときどき起きています。さらにベトナムは中国と国境を陸上と接しており、過去には中越戦争も起きています。日中間の「尖閣諸島」問題どころではありません。

フィリピンについても南シナ海問題という意味では深刻な紛争を中国と抱えています。
安全保障環境は理由とした核兵器禁止条約不参加は、ベトナムやフィリピンを見る限り、成り立ちません。

欧州に目を転じてみましょう。ノルウェーがまず2021年はオブザーバー参加をしています。ノーベル平和賞の授賞式が行われることでも有名なノルウェーは、陸軍では世界最強ともいわれるロシアと陸上の国境を接しており、NATO加盟国です。

さらに、同じ第二次世界大戦の枢軸国かつ西側の経済大国という意味では日本と似たような立場にあるドイツも同条約についてはオブザーバー参加をしています。ドイツもNATO加盟国です。

ASEANをみても、ノルウェーやドイツをみても、日本政府が核兵器禁止条約のオブザーバー参加程度をちゅうちょする理由はどこにも見当たりません。

◆日本は核問題でもASEANと行動を共にしたら?

日本政府に申し上げたい。ここは核兵器禁止条約の面で東南アジア諸国と行動をともにしたらどうでしょうか?そもそも、日本の気候風土や文化は東南アジアと北東アジアの両方の要素を兼ね備えています。

すでに、中国は、2021年11月に北京にASEAN首脳を招いての首脳会議を開催しています。ASEANとの関係を格上げしています。ASEANはASEANで、南シナ海問題については、「法の支配」ということで、一致して中国に対応する一方で、経済的な関係は強化する、という現実的な対応もとっています。

日本人は長年、東南アジア諸国を自分たちより格下とみる傾向が否めませんでした。しかし、新型コロナ災害では、マレーシアに介護用手袋を依存していたために、我々介護労働者もマレーシアからの輸入がとだえ、苦労しました。日本企業がつくろうとしても、技術がないためにマレーシアに勉強にいかないといけない状況です。

また、わたし自身、現場で多くの東南アジアからの労働者と仕事をさせていただいています。

日本は、国力が落ちたにもかかわらず、アジアで盟主のように振る舞いたがり、浮いているように思えます。そのあたりが実は、本当の意味での安全保障環境の厳しさではないでしょうか?

日本人が潔く、国力低下をみとめ、東南アジア諸国とも名実ともに対等な関係にしていく。東南アジア諸国の仲間として、核兵器禁止条約にせめてご一緒させていただく。そのことを通じて「安全保障環境」を改善していく。このことがいま求められるのではないでしょうか?

もちろん、過去の選挙で野党が公約していた日本と朝鮮半島をふくむ北東アジア非核地帯も追求すべきです。ただ、日本さえその気になれば「いますぐ」実現するのは、ASEANとの統一行動、場合によってはASEANへの加盟とそれにともなう核兵器禁止条約と東南アジア非核兵器地帯への加入でしょう。

◆侵略の歴史はきちんと反省した上で日本が先頭に立とう

日本はそもそも、世界で最初に戦争による核兵器の被害を受けた国(最初に受けたのはほかでもないアメリカ自身)です。その日本が核兵器禁止の先頭に立たないでどうするのでしょうか?

「被害を受けた国が核兵器禁止に不熱心」ということは、核兵器保有国にも核兵器を維持する口実を与えてしまいます。

なお、いまだに、「日本は被害者としての側面ばかりを重視している。」という批判も、中国などからは、もちろんあります。

また、現時点でも日本を標的とした国連憲章のいわゆる敵国条項は厳密にいえばまだなくなっていません。従って、「敵基地先制攻撃論」などは、逆に緊張を高めるどころか、日本への攻撃の口実を与えてしまいます。そもそもが、第二次世界大戦に日本は敵基地先制攻撃により、参戦したのです。

核兵器禁止の訴えに説得力を持たせるには、かつての侵略の歴史については、今後とも日本は反省をしなければならない。その上でアメリカにも中国にも忖度せずに、東南アジア諸国とも連携しながら、核兵器禁止の先頭に立つべきではないでしょうか?

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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連合赤軍事件から50年──その教訓を検証する〈1〉「シラケの時代」がやってきていた 横山茂彦

1971~72年という時代は、どのような時代だったのだろうか。鹿砦社から刊行された『抵抗と絶望の狭間──一九七一年から連合赤軍へ』の書評でも取り上げた、連合赤軍事件50年の今日的な捉え返しである。

15年安保(6年前の安保法制反対運動を、若い世代はこう呼ぶ)以降、新しい世代が反戦運動や反原発運動に加わり、ある意味でまっさらな世代が登場した。

彼ら彼女らは、長らく日本社会を覆ってきたアパシーとは無縁で、全共闘世代と内ゲバの時代すら相対化している。清新な感性で、社会運動の歴史に学んでいるかのようだ。

しかし反ヘイト運動内部にリンチ事件が発生するなど、日本の社会運動に「伝統的な」内ゲバの病根が見られるとき、連合赤軍事件など負の過去を検証する作業は無駄ではないだろう。

まず71~72年という時代は、どういう時代だったのだろうか。72年元旦のお茶の間の風景から再現しよう。

木枯し紋次郎

◆「木枯し紋次郎」のニヒリズム

現在六十歳前後の方なら、この時代にご記憶にあるだろうか。ドラマ「木枯し紋次郎」がブラウン管に登場したのは、1972年1月1日のことだった。

シラケ世代を象徴する「あっしには、かかわりのないこって」という台詞は、単なるニヒリズムではなかった。

物語の展開のなかで「放ってはおけない」紋次郎の優しさが、事件の真実にふれさせ、哀しさとみずみずしい余韻をのこす。それは単純な義侠心や正義ではなない。ありのままの現実を直視する目撃者の視点、やさしさの希求、あるいはそれが果たせない末の諦観であろう。

そんな71~72年はおそらく、熱意と正義が失われた時代であった。ニーチェ風にいえば「善悪の彼岸」、キリスト教権力の「真理」が失われたときに「超人」の意志が求められたが、それすらも挫折する傲岸な権力の発動がそこにあった。

70年安闘争の敗北は、71年に爆弾闘争という副産物(60件以上)を生み、反体制運動は分散と混迷を深めていた。

ちょうどそのころ、群馬の山間では革命集団に凄惨な最期が訪れていることを、「木枯し紋次郎」に共感しているわれわれは知らなかった。

「木枯し紋次郎」のニヒリズムは、全共闘運動と70年安保の敗北をうけたものだ。正義はどこにもないし、闘っても何も意味がなかった。危ういことに関わり合いになると、ろくなことにはならない。政治なんて変わらないし、関わらない方がいい、という諦めへの共感だった。それはまた烈しい闘争のはてに、傷ついた心をいやす受け皿だったのかもしれない。

◆目的がわからなかった山荘占拠

紋次郎の口癖が話題になり、札幌オリンピックが閉会してから一週間後、その事件は、いきなりお茶の間のブラウン管に飛び込んできた。

赤軍派らしいグループが2月19日に、あさま山荘を占拠したのである。われわれ視聴者はもとより、捜査当局もその目的が何なのか、まったくわからなかった。山荘管理人の妻を人質に取っている以上、何らかの要求があるものと思われたが、電話線はたてこもったグループの手で早々に切られた。

やがて10日以上におよぶ「銃撃戦」が行なわれ、警官2名が死亡、民間人1人が死亡、20数名が重軽傷を負った。

山荘事件後、事前に逮捕されたメンバーの中から、自供に応じる者が出はじめた。そして捜査当局は、尋常ではないことが起きていたことを察知するのだ。12名のリンチ殺害、別件で2名の処刑という、同志殺し事件である。

われわれの知らないところで行なわれていた内部リンチ、やがてはブラウン管を独占する銃撃戦にいたる連合赤軍の闘いは、この時代のニヒリズムをいっそう拡大した。

◆分裂と内ゲバの時代

パリの5月革命をはじめとする、68年革命と称される世界的なスチューデントパワーは、69年には終息に向かっていた。

69年にブント(共産主義者同盟)が分裂し、70年には海老原君事件(中核派による革マル派学生殺害=中核vs革マル戦争の勃発)が起きている。日本中を驚愕させた、赤軍派のハイジャック事件(北朝鮮へ)。そして71年には、爆弾闘争が「流行」する。

◆狂気だったのか?

リンチ事件が発覚したとき、メディアは口をきわめて、事件を「孤立した革命集団」が」起こした「狂気の惨劇」「凶悪そのもの」「発狂寸前で行なわれた」と報じた。だが「狂気」ではなく、それが一途な思いで行なわれたところに、事態の深刻さがあるのだ。

この連載では「怖いもの見たさ」で、酸鼻を極めたリンチ事件を再現することはひかえ、連合赤軍が生まれなければならなかった必然性。その組織的・理論的な根拠を明らかにすることで、かれら彼女らの行動が「狂気」ではなく、社会運動に固有の問題であることを提示していこう。

そのことはたとえば、パワハラやモラハラが社会運動の中でこそ頻繁に発生し、運動の頽廃をもたらすことに逢着させるはずだ。

なお、略年譜をこの記事の最後に添付しますので、連載中もフィードバックして参照してください。(つづく)

連合赤軍略年譜

[関連記事]
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈1〉71年が残した傷と記憶と
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈2〉SM小説とポルノ映画の淵源
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈3〉連合赤軍と内ゲバを生んだ『党派至上主義』
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈4〉7.6事件の謎(ミステリー)──求められる全容の解明

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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読売新聞社と大阪府の包括連携協定、残紙問題が提示する読売グループの実態、読売に「道徳」を語る資格があるのか? 黒薮哲哉

昨年(2021年)の12月27日、読売新聞社と大阪府は記者会見を開いて、両者が包括連携協定に締結したことを発表した。大阪府の発表によると、次の8分野について、大阪府と読売が連携して活動する計画だという。特定のメディアが自治体と一体化して、「情交関係」を結ぶことに対して、記者会見の直後から、批判があがっている。

連携協定の対象になっている活動分野は次の8項目である。

(1)教育・人材育成に関すること
(2)情報発信に関すること
(3)安全・安心に関すること
(4)子ども・福祉に関すること
(5)地域活性化に関すること
(6)産業振興・雇用に関すること
(7)健康に関すること
(8)環境に関すること

(1)から(8)に関して、筆者はそれぞれ問題を孕んでいると考えている。その細目に言及するには、かなり多くの文字数を要するので、ここでは控える。

◆読売が抱える3件の「押し紙」裁判

多くの人々が懸念しているのは、大阪府と読売が一体化した場合、ジャーナリズムの中立性が担保できるのかとう問題である。もちろん、筆者も同じ懸念を抱いている。

しかし、筆者は別の観点からも、この協同事業には問題があると考えている。それは読売グループの企業コンプライアンスである。大阪府は、同グループによる新聞の商取引の実態を調査する必要がある。

結論を先に言えば、新聞販売店に搬入されている新聞の部数に不自然な点があるのだ。俗にいう「押し紙」問題である。現在、読売新聞社を被告とする「押し紙」裁判が3件起きている。しかも、東京本社、大阪本社、西部本社のそれぞれが裁判の被告になっている。いずれも販売店の元店主が、「押し紙」による損害賠償を求めている。

「押し紙」とは、簡単に言えば、新聞社が販売店に対して買い取りを強要する新聞のことである。しかし、読売本社は一貫して、「押し紙」をしたことは一度もないと主張してきた。読売の代理人を務めてきた喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)も、一貫してそのような考え方を表明してきた。

新聞販売店で過剰になっている新聞(残紙)は、新聞販売店が折込広告の受注枚数を増やしたり、本社から支給される補助金の額を増やすことなどを目論んで、自主的に注文してきた部数であるとする立場を貫いてきた。そのために残紙を指して、「押し紙」とは言わない。「積み紙」と言う。用語にもこだわりを持っているのだ。

残紙の回収風景(本文とは関係ありません)

◆ABC部数と実配部数が乖離している可能性

大阪府が調査しなければならないのは、読売新聞社と新聞販売店のどちらに残紙問題の責任があるのかという点ではない。それは裁判所の役割であって、大阪府は関知できない。

問題は、読売側に非があるにしろ、販売店側に非があるにしろ、公表されている新聞の部数(ABC部数)に疑義がある点なのである。実配部数(実際に配達している部数)を反映していないのではないかという疑惑があるのだ。

残紙を抱え込むことで、事業規模を実際よりも大きく見せていれば、広告主(折込広告、紙面広告)が経営判断を誤ることになりかねない。

調査の焦点は、読売グループの残紙である。残紙が確認できる読売の販売店が複数存在することは紛れない事実である。たとえば現在進行中の3件の「押し紙」裁判の資料を、裁判所の記録係で閲覧すれば、それは簡単に明らかになる。(誰でも閲覧可能)。

またABC部数を解析することで、ABC部数と実配部数に乖離があるかないかを推測することもできる。

次に示すのは、大阪府の大阪市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)である。着色した箇所は、部数がロック(固定)されている期間を示している。

読売新聞 大阪市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)

通常、新聞購読者の数は日々変化する。しかも、「紙新聞」離れが進んでいるので読者数は極端な減少傾向にある。ところが上の表に見られるように、大阪市における読売新聞の場合、当たり前に部数がロックされている。読売本社が販売店に販売している部数が、1年から数年にわたり固定されているケースが頻繁に観察できる。
 
たとえば生野区の場合、2016年10月から2020年10月までの4年半にわたって、ABC部数が6083部にロックされている。1部の増減もない。その原因が読売本社にあるにしろ、販売店にあるにしろ、広告主(折込広告、紙面広告)は不信感を抱くだろう。PR戦略に不安を感じかねない。常識的にはあり得ない現象であるからだ。

参考までに堺市のデータも紹介しておこう。

読売新聞 堺市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)

広告主は、ABC部数などのデータを参考にして、紙面広告の媒体を選んだり、折込広告の印刷部数や折込枚数を決めるわけだから、新聞の実配部数(実際に配達している新聞)を把握しておかなければ、経営判断を誤る。大阪府自身も広報紙『府政だより』の広告主(新聞折り込みで配布)になっており、正確な実配部数を把握する必要がある。

ちなみに次に示す熊本日日新聞の熊本市におけるABC部数は、新聞の商取引が正常であることを示している。わたしが知る限り、同紙は自由増減制度(販売店が、自分の判断で注文部数を決める制度と権利)を保証しているから、部数のロックが1部も観察できない。表の上で、着色対象になる期間がまったくない。

熊本日日新聞 熊本市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)

「押し紙」裁判は、読売本社と販売店の係争(業界内の問題)であり、両者で決着すべき問題だが、残紙問題に折込広告や紙面広告がからんでくると、業界の壁を超えた大問題になる。残紙が広告主のPR戦略と経営判断に影響するからだ。かりに読売グループにコンプライアンス問題があれば、読売関係者が児童や生徒に読み書きや作文を指導するのはふさわしくない。彼らが「道徳」を語るべきではない。

大阪府の吉村洋文知事は、この点を踏まえて新聞の商取引の実態を調査すべきではないか。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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