飛松五男解説「川崎ストーカー事件」は警察の犯罪である(紙の爆弾2025年7月号掲載)

 神奈川県川崎市で4月30日、民家の床下から20歳の女性がバッグに入った遺体で発見された「川崎ストーカー事件」。事態が明らかになるにつれ見えてきたのは、女性本人や家族から再三の相談を受けながら、捜査を拒絶し続けた神奈川県警川崎臨港署の異様さだ。
 元兵庫県警刑事で、退職後も被害者や家族の依頼を受け、本件にも携わる飛松五男氏が、事件の裏側と「警察の実態」を明かす。(構成・文責/本誌編集部)

◆遺体発見までの遺族の努力

 私が今回の事件で亡くなられた岡﨑彩咲陽(あさひ)さんの遺族から相談を受けて、川崎市に赴いたのは4月10日。話を詳細に聞いて、まず考えたのは、本件が“対警察”の問題であるということでした。
 報道されているように、祖母の家で生活していた彼女が行方不明となったのは、昨年12月20日。それ以前から本人や遺族が、川崎臨港署にストーカー被害を繰り返し訴えていました。しかし警察は動かないどころか、彩咲陽さんの失踪後、捜索を求める遺族に対し、「事件の証拠をでっち上げた」などと、自作自演を疑う言葉まで投げつけています。それで遺族は探偵に大金を払って、元交際相手の白井秀征被告の動向を調べたり、自ら白井に会ったりするなど努力を続けたものの、事態の進展が見通せず、私に依頼したのです。
 ひととおり状況を聞いた私は、1カ月以内に警察に捜査させるところまでもっていくと遺族に約束し、翌日に改めて川崎臨港署に行くように言いました。その際に重要なことは、彩咲陽さんが「特異行方不明者」に当たるということです。
 特異行方不明者とは、国家公安委員会規則「行方不明者発見活動に関する規則」の第2条第2項で「殺人、誘拐等の犯罪により、その生命又は身体に危険が生じているおそれがある者」等と定義され、受理署長や本部長がとるべき捜査方法が定められています。関連資料を見た彩咲陽さんの父親は、「まさに娘のことだ」と驚き、警察署に向かいました。
 父親は資料ファイルに私の名刺も挟んでいたといい、それが功を奏したかはわかりませんが、それまで「事件性がない」と言って追い返す対応を続けてきた川崎臨港署で、すぐに刑事部の責任者が来て謝ったといいます。
 その後も遺族と連携して調査を続け、白井宅の見張りを続けていた父親から、家宅捜索が始まったと報せを受けたのは、4月30日の深夜のこと。夜11時半に最初の電話がかかってきて、翌朝まで14回にわたり状況を伝えられながら、私も翌朝の新幹線で川崎に向かいました。
 翌5月1日、遺族ら約50人が警察署の前に集まり抗議を行ないました。私も求められて加わったのですが、そこで言った重要なことは、神奈川県警をはじめ警察が起こした不祥事をきっかけに、2000年に国家公安委員会が出した「警察刷新に関する緊急提言」です。
 全9項目の第2に、「苦情を言いやすい警察に」とあります。苦情申し立て制度は、署長に対して文書または口頭、公安委員会に文書または口頭で申し立てる4種類に大別されます。遺族らの抗議には、「これだけ人数がいるのなら自分たちが容疑者を直接シメればよかった」といった、警察を擁護するような批判もSNSに溢れましたが、彼らは警察の制度に従った正当な手段で、苦情申し立てを行なったのです。そうである以上、署には受理する義務があります。
 “対警察”の闘いにおいて、遵法精神に則り活動するのが私のやり方です。たとえば張り込みをするにしても、私有地に入ればこちらの不利を招きます。一方で後述するとおり、警察の方に遵法精神を疑う手法がみられる事実があります。その場合には、警察の行為の不当性を突くことになります。だから、依頼者に対しても、法や制度を外れない活動をすることを、私は約束させます。そうしなければ警察とは闘えない、ということです。

◆「姫路バラバラ事件」との共通点

 では、この家宅捜索まで、川崎臨港署は何をしていたのか?
 彩咲陽さんの遺族から依頼を受けた私も、彼女が住んでいた祖母の家や、遺体が発見された白井宅を調査しています。川崎臨港署は指紋採取を1月7日に行なったと言っているようですが、私が祖母宅を実況見分した際には、行方不明時に割られたガラスに指紋を調査した痕跡は一切ありませんでした。父親も、失踪2日後にやって来た警察は、手袋すらしていなかったと言います。鑑識には専用の鞄を持ち込み、現場にシートを敷くものなのに、それも見なかったという。専用ケースに入ったカメラもない(ただしスマートフォンで撮った可能性はある)。それで女性警察官が「事件性がない」と言い、それどころか、ガラスは遺族が割ったのだろうと偽装工作まで疑ったのです。
 すでにストーカー被害を受けており、加害者が明らかである以上、窓ガラスが割られた時点で逮捕状、少なくとも捜査令状をとる十分な理由があります。特異行方不明者であることを示した時点で警察の態度が変わったことが、何よりの証拠です。
 この「川崎ストーカー事件」を調査する中で思い出したのが、私が退職を目前にした2005年に起きた「姫路2女性バラバラ殺害事件」です。23歳の女性会社員・畠藤未佳さんと、同い年で友人の女性が殺されてしまったケースです。

※記事全文は↓
https://note.com/famous_ruff900/n/nebde52086054

《緊急アピール!》対エル金訴訟、一審判決(東京地裁立川支部。被告森奈津子と鹿砦社に損害賠償11万円等)の取り消しを求め東京高裁に控訴! 人生を台無しにされ、いまだにリンチのPTSDに苦しむ大学院生(事件当時)М君に対する残忍なリンチ事件の主要暴行実行犯・エル金こと金(本田)良平の開き直りを私たちは人間として決して許さない! 圧倒的なご支持、ご支援をお願いいたします!

鹿砦社代表 松岡利康

別途「デジタル鹿砦社通信」で述べていますように、元大学院生М君に対する凄惨なリンチ事件(俗称「しばき隊リンチ事件」)の張本人、エル金こと金(本田)良平が、作家・森奈津子さんに粘着し、これから逃げるために、やむなく金良平らによる集団リンチ事件の「略式命令」書を晒したことが「プライバシー侵害」だとして110万円の損害賠償等を求める民事訴訟で、その一部を認容した一審判決の取り消しを求め、森さんと鹿砦社は7月25日、東京高裁に控訴いたしました。さっさと「はい、そうですか」と賠償金11万円を支払って終わりにすることの方が経済効率的には賢いのかもしれませんが、私たちは、くだんの集団リンチ事件によって人生を狂わされ、研究者の途を断念、いまだにリンチのPTSDに苦しんでいるМ君の胸中を思うとやり切れなく、ここはお金の問題ではなく、かの奥崎謙三級のしつこさを持って徹底的に闘うしかありません。

狂犬・金良平

「リンチはなかった」「デマだ」「街角の小さな喧嘩」などと吹聴し開き直る徒輩を私たちは決して許しません。リンチ直後に撮った被害者M君の顔写真を私たちは冷静に見れません。またリンチの最中の音声データも平常心で聴けません。時が経てば解決するなどということはありません。

被害者М君、リンチ前と後の画像を比べれば、これが「デマ」「リンチはなかった」「街角の小さな喧嘩」などではないことは歴然!

一審で原告・金良平は、関西から首都圏に移住したことは述べつつも実際の住所を明らかにせずして提訴しました。「住所」としているのは代理人の神原元弁護士の事務所の所在地です。

控訴状
控訴状
控訴状

かつて、あれだけの凄惨なリンチに手を染めた狂犬が、いったんは「謝罪文」をМ君に渡しつつも、すぐに反故にし開き直り、時を経て今度は森さんに粘着し、森さんの居住地の首都圏に移住したことで、森さんに危害を加える危険性が強く懸念され、私はやむなく、すでに〈公知の事実〉とされてきた罰金40万円の「略式命令」書を森さんに送り、これを大っぴらにしてでも身を守るように申し述べました。森さんは私のアドバイスに従い、それをX上に公開しました。これが「プライバシー侵害」だというのです。

それ以前には、先に森さんを提訴したグループの連中は森さんの自宅周辺を徘徊したり、昨年には正体不明の輩から殺害予告がありました。さらに、森さんや私も面識のある山梨学院大学の小菅信子教授は何者かに愛猫を殺され、またエッセイストの室井佑月さんは自宅前に汚物を撒かれたりしています。小菅、室井両氏とも、金良平に繋がる連中(いわゆる「しばき隊」とか「カウンター」といわれる)を批判したことが共通しています。こうしたことが脳裏を過りました。

森さんが、くだんの「略式命令」書を公開するや金良平による粘着はやみましたので効果はあったと思います。誤解を恐れず申せば、「毒には毒をもって制す」ということです。自分の身は他人が守ってくれるわけではありません。24時間介護の重度身障者の夫を持つ森さんの行為はみずからの身を守るためだったのです。

あれだけの凄惨なリンチをやった者が「プライバシー侵害」だって!? 笑わせないでいただきたい。

ところで、私たちが大学院生リンチ事件について被害者支援、真相究明に本格的に関わり始めるや、被害者周辺はもちろん、加害者周辺からも多くの資料が寄せられました。これらのうち一部は6冊の出版物に掲載していますが、掲載していないものも少なからずあります。くだんの「略式命令」書はそうで、この他には「カウンター」「しばき隊」界隈の活動家住所録なども寄せられ、取材に使わせていただきました。金良平など狂犬のような徒輩がいるので、多くの方々は面従腹背を装っていますが、代わりに多くの情報や資料を寄せていただきました。

今後、森さんら、しばき隊界隈に批判的な人たちに危険が生じるようなら、私は綺麗事は棄て、どんどんディープな情報を公開しても身を守ることを優先いたします。かつて「おっかけマップ」を出して芸能ゴロや原発貴族を震撼させたように──。

尚、一審係争中の本年正月早々、森・鹿砦社代理人の内藤隆弁護士(1996年から鹿砦社の東京方面の訴訟を依頼。主な事件に、日本相撲協会から東京地検特捜部への刑事告訴[不起訴]、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧の対アルゼ民事訴訟などがある)が急逝され、以後、内藤先生の先輩の清井礼司弁護士が引き継がれ、本件控訴審も清井弁護士が代理人を務められます。いずれも動労千葉弁護団であり、相手方の神原弁護士(ら日本共産党に近い者ら)からは「極左」と詰られる弁護士です。清井弁護士は、偶然ながら、私が10年間のサラリーマン生活を辞め本格的に出版の世界に入った際に、手取り足取り教えていただいた師匠=府川充男(装丁家、活字研究家)さんの親分で、ある新左翼党派の理論家でした。府川さんは軍団を率いこれには坂本龍一も加わっていたそうです。

ともあれ、私たちは一審判決取り消しを求め控訴しました。圧倒的なご支持、ご支援をお願い申し上げます。裁判の遂行を経済的に保障するご支援のカンパをお願いいたします。本件専用の口座を設けましたので、ご支援のカンパはここにご入金をお願いいたします。

三井住友銀行 甲子園支店 普通 0966462 口座名=別口株式会社鹿砦社

ちょっと奇異な口座名ですが、これが正式な口座名です。
皆様方の圧倒的なご支持、ご支援をお願い申し上げます! 勝利をわれらに!

(松岡利康)

《禁煙ファシズム》訴権の濫用を問う横浜・副流煙裁判、和解が決裂、東京高裁

黒薮哲哉

東京高裁が和解を提案していた横浜副流煙事件(控訴審)は、被控訴人(作田学医師ら4人)が、和解を拒否したために、8月20日に判決が言い渡されることになった。控訴人(藤井敦子さんら2名)は、作田氏が作成した診断書に瑕疵があったことを認める内容の和解案を提案していた。

事件の概要(PDF)

◆訴権の濫用

既報してきたようにこの裁判は、藤井さんらが、前訴の勝訴を受けて、起こした反スラップ裁判である。藤井さんの夫・将登さんが吸う煙草の副流煙で健康を害したとして、隣人家族3人が4518万円の金銭支払いを求めて起こした裁判が、訴権の濫用に該当するとして起こした訴訟である。

前訴の中で、最も大きな争点となったのは、作田医師が原告3人のために交付した診断書である。そこには「受動喫煙症」という病名が付されていたが、診断のプロセスに重大な疑惑があることが次々と判明した。

たとえば作田医師がトラブルの現場を確認することなく、患者の訴えを鵜呑みにして、一方的に将登さんを副流煙の発生源と事実摘示したことである。また、原告のひとりに約25年の喫煙歴があった事実である。さらに別の原告については、診察することなく、診断書を交付した事実である。

面識すらなかったのである。この点に関して原審は、医師法20条違反を認定した。

つまり事実的根拠に乏しい診断書を、根拠として4518万円の高額訴訟を起こしたのである。しかも、提訴した後も作田医師は、5通もの意見書を作成して将登さんを批判するなど、一貫して原告3人を支援し続けた。

作田医師が交付した診断書には前提事実に根拠が乏しく、しかも、それを自覚していた可能性が高い。作田医師が理事長を務めていた日本禁煙学会は、訴訟提起も推奨しており、藤井さんのケースは、訴権の濫用に該当する可能性がある。

8月20日に下される判決内容とはかかわりなく、不当裁判に対して「反訴」することは、スラップを防止する上で重要である。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年6月27日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

《ご報告とお礼》『紙の爆弾』創刊20周年/『季節』創刊10周年7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」、盛況裡に終了! 4・5東京に続く二つの「反転攻勢の集い」の成功によって、共に苦境を突破しよう!

株式会社鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社の出版活動を理解し支援されるすべての皆様!

私たちは去る7月12日、鹿砦社のホームグラウンドである兵庫県西宮において「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」を催し、50名余の方々が参加され盛況裡に終了することができました。

4月5日、東京日比谷・日本プレスセンターでの集いが100名余ですから、人数だけを見ると半分ですが、元々関西にはライターさんが少なく、いつもこんなところです。

また、集いの構成も三部構成で、第一部は20年前の7・12事件の検証と回顧、私が基調報告を行い、当時、地元テレビ局記者として精力的に取材をされ何度もニュース番組で特集を組んでくださったNさん、私が保釈された直後に同じ神戸地検に逮捕されたWさん(当時宝塚市長)も当時の神戸地検の捜査の酷さを証言してくださいました。第二部は、今年デビュー25周年を迎え、このかん全国の刑務所、少年院などを回り獄内ライブ(ご本人らが言うプリズン・コンサート)を行ってきた「Paix2(ぺぺ)」のミニライブ、第三部が懇親会という流れで、3時間という長丁場でした(東京は2時間)。さらに二次会にも15名の方が残り、遅くまでいろいろ語り合いました(東京は二次会なし)。硬い話ありライブあり飲み食いあり自由な歓談ありの濃密な一日でした。

基調報告をする松岡

◆4・5、7・12の二つの「反転攻勢の集い」をステップとして苦境を突破し、『紙の爆弾』『季節』を、存在感のあるミニメディアとして継続させよう!

よく考えてみてください。『紙の爆弾』にしろ『季節』にしろ、わが国には類誌がありません。本来ならもっと売れてしかるべきですが、私たちの宣伝力の弱さにより、いまだに社会的に小さな存在です。『紙爆』はわずかながら黒字ですが、『季節』は創刊以来ずっと赤字です。会社が好況だった時期は、これでもよかったのですが、新型コロナ襲来以降、局面ががらりと変わり、蓄えもすべて溶かし、資金不足、苦境に喘いでいることを隠しません。今現在、両誌を同じ月に発行するのが困難で、やむなく『紙爆』は8月売りの号をお休みさせていただかざるを得ませんでした。

両誌の今後につきましては、極めて重要な選択と改変を迫られており、皆様方にも前向きなご意見を賜りたく存じます。7・12でも『季節』の今後について、私に直談判にお越しになった方もおられました。

私たちは、なんとしても両誌を継続的に発行し、まさに反転攻勢を勝ち取るべく、塩を舐め、たとえ「便所紙」を使ってでも発行を続ける覚悟です。

先の二つの集いには計150名余りの方々がご参集くださいました。これは大きなことです。ふつうなら会社が厳しくなると、こういう集まりを避けられがちになりますが、まだまだ見捨てず時に温かい叱咤激励、時に有り難いご支援をされる方々がおられることは私たちにとって大きな力になります。この方々のお力もお借りし、この苦境を乗り越えていきたく存じます。本来なら自立自存でやっていければいいのですが、残念ながら今は皆様方のご支援なくしてはやってはいけません。

しかし、人件費をはじめ徹底した経費削減、製作費用圧縮、また落ち込んでも一定の売上があることなどによって、月々の不足金も縮小しつつあります。書店や取次会社も元気を失くし書店での売上金が縮小していることは事実で大きな痛手ですが、これを今後は直販などでカバーしたく思っていますので、「セット直販」や『紙爆』『季節』の定期購読と拡販、バックナンバー購読、あるいは書籍の直販など、よろしくお願いいたします。

今しばらく耐え抜き、必ずや勝機を掴みブレイクします! 過去の成功例に酔い知れるのも問題がありますが、私たちはこれまで、幾度となく困難に直面し(その最たるものが20年前の「名誉毀損」逮捕事件)、その都度、皆様方のご支援を得て乗り越えてまいりました。今回も同じく、なりふり構わずなんとしても乗り越える決意です。

◆二つの雑誌の存在意義(レゾンデートル)、鹿砦社の出版活動の社会的意義を、あらためて想起し、再び逆襲、反転攻勢へ!

私たちの出版社・鹿砦社は、良くも悪くも、これまで芸能本の売上によって支えられ、『紙爆』『季節』やその他、社会問題書など、いわゆる“硬派”の書籍の発行を保証してきました。これで年間10億円売り上げたこともありましたので、これはこれで評価すべきでしょう。20年前の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧後、復活の元になったのも芸能本で、私たちの規模の会社でコンスタントに3~4億円の売上が続きました。それが、このコロナ禍によってガラリと崩れました。コロナを甘く見て、これについての対応が後手後手に回ってきました。大いなる反省点です。

トーハン、日販の大手取次も、本来の出版取次業務はずっと赤字で、介護やホテル経営など非出版取次業務のほうにシフトしています。書店も、書籍、雑誌だけでは売上不足で、書店をよくご覧になったらわかりますが、文具など非出版物に力を入れています。

『紙爆』20年、『季節』10年、われながらよく頑張ってきたと思います。しかし、これまでと同様の認識、やり方ではやっていけないことが露呈されました。直販や定期購読などを拡大していくことも一つの方策だと思います。雑誌や書籍などの「紙」の出版をやめて電子書籍にシフトしたら、というご意見もあり、電子書籍はサイゾー社と五分五分の共同出資で10年ほど前に別会社を作りやっていますが、さほど売上が立ちません。『紙爆』も『季節』も「紙」と同時に電子書籍を発売しています。今後はわかりませんが、早急な会社再建の柱にはなりません。

しかし、『紙爆』にしろ『季節』にしろ、社会性があるのは事実で、他に類似誌もありません。書籍でも左右硬軟織り交ぜて鹿砦社らしくタブーなく雑多に出してきました。芸能本でも、例えばジャニーズ問題は1995年から追及し、3度の出版差し止めにもめげず続け、一昨年のジャニー喜多川による未成年性的虐待問題では、事前から水面下でBBCに協力し、その先駆性が高く評価されました。

このかん「セット直販」をやるために、これまで出版してきた書籍の一部をリストをリスト化しましたが、どれも社会性があり、よくもこれだけ出して来たなとあらためて感慨がありました。古い本には、当時の気持ちを思い出し、浮き沈みの激しかった出版人生を想起し、もう一仕事、二仕事し、拙いながらやってきたわが出版人生を全うしないといけないな、と思い知りました。

 やはり、こうした出版は続けるべきだし、販売方法ややり方を工夫すれば、今後も続けていきたいし、続けて行けると信じています。近日、精神科医の野田正彰先生の著作を2点出す予定で進めていますが、今後の試金石になると思っています。

◆私(たち)はくたばらない! 『紙爆』『季節』継続! 後々に残る書籍の刊行を持続します! 

私が本格的に出版を始めた頃、歴史家の小山弘健先生に教えていただいたクラウゼヴィッツの「われわれの出版の目的は一、二年で忘れ去られることのない本を作ることである」という言葉を思い出しました。そうして出版したのが、『日本マルクス主義と軍事科学』という本で、引っ越しで書庫を整理しているとまとまって30冊ほど出てきました。皆様にもぜひ読んでいただきたい一冊です。

4・5、7・12と二つの反転攻勢の集いを準備する過程で、多くの皆様方のご支援、ご厚意に触れることができました。それなりに支援金も集まり、2つの集いの直接的費用を支払っても余剰金が出て経費などに使わせていただきましたが、一番底の時期で、かなり助かりました。

同時に、いろいろ考えることも多く、「われわれはなぜ出版を続けるのか?」という本質的な問題にぶつかりもしました。私の出版人生は、このコロナによる負債(特に皆様のご厚志である社債)を今後返し終えるまではやめれなくなり、少し延びましたが、なんとか「一、二年で忘れ去られることのない本」を、一冊でも二冊でも出して行きたいと思っています。

私(たち)はくたばりません。4・5、7・12の二つの集いは、まだまだ多くの皆様の期待が残っていることを私たちに思い知らせ、「弱音を吐かず、もっと頑張らんかい!」という叱咤激励をいただきました。いろんな意味で収穫が大きかった二つの集いでした。準備などもきつかったですが、共に語り合い共に喜び合った集いでした。最悪の事態は脱し山は越えたとはいえ、もうしばらく苦しい時期は続くかと思いますが、今後共ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

最後になりますが、二つの集いに参加された皆様、ご支援の賛同金、カンパ、ご祝儀を賜りました皆様、本当に有り難うございました。心より感謝とお礼を申し上げます。

以上簡単ですが、7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」のご報告、そして4・5の前後からのご支援への感謝を申し上げます。

本年も超猛暑が続くようですが、くれぐれもご自愛ください。

いつもこの場所にはPaix2(ぺぺ)がいた

《書評》甲斐弦著『GHQ検閲官』の読後感

江上武幸(弁護士)

阿蘇の北外輪山に、カルデラの中央に横たわる涅槃像の形をした噴煙をたなびかせる阿蘇五岳をながめることができる絶好の観光スポットがあります。外輪山最高峰の「大観峰」と呼ばれる峰です。小国町の温泉旅館に宿泊したときなど、天気がよければ大観峰まで足を延ばし雄大な阿蘇の景色をみて帰ったりします。

最近、熊本インター経由で久留米に帰るため大観峰から内牧温泉にくだる道を通ったことがあります。山の上の広々した草原地帯と異なり、道の両側には鬱蒼とした杉林が続いていました。おそらく、湯けむりで湿った空気が斜面をのぼり、時には雨を降らせるような地形が杉の成長に適しているのではないでしょうか。

ところで、昨年12月に関東地区新聞労連の役員会に招かれたことから、ネットで新聞の歴史を調べていたところ、偶然、甲斐弦熊本学園大学名誉教授の『GHQ検閲官』(経営科学出版)という本を見つけました。

甲斐弦『GHQ検閲官』(経営科学出版)

「元検閲官だった著者が米軍検閲の実態を生々しく描き出した敗戦秘史がここに復刻」・「敗戦で日本人は軍のくびきから解放され自由を与えられたと無邪気に信じ込んでいるが、戦争は終わったわけではなく、今なお続いているのである。」とのカバーに目をひかれ、さっそくアマゾンで購入しました。

◆著者の甲斐教授について

著者の甲斐教授は、1910(明治43)年に熊本県阿蘇郡内牧町(現阿蘇町内牧)に生まれ、旧制第五高等学校から東京帝国大学文学部英吉利文学科に入学、佐渡中学校教諭、その後、約7年間の蒙古政府官吏を経て、昭和20年6月18日に現地で応召、翌年の昭和21年5月13日に佐世保に上陸、15日午前8時49分熊本駅に着き郷里に復員されています。熊本駅の到着時刻まで記録されており先生の几帳面さが窺えます。ちなみに私の父は明治45年生まれなので、甲斐教授を父に置き換えることで、当時の先生の周りを囲む人たちの生活・行動・考え方・心情等をリアルに感じることができるような気がしています。

先生は、前もって故郷に引きあげていた奥さんと幼い二人の子供達が無事だったことを喜び、同時に、我が子のようにかわいがっていた亡兄の子(甥)が戦死したことを知ります。一人息子の戦死の公報を受け取った兄嫁の狂ったような悲しみを描いた文章は秀逸であり強く胸を打たれます。

「(戦死の公報がはいった)数日後の夜更け、異様な叫びに姪は目覚めた。離れに飛んでいくと、母(兄嫁)が半裸になって四つ這いとなり、畳を掻きむしって泣いていた。爪は血だらけであった。髪を振り乱し、これも血だらけとなった額を何度も何度も畳に打ち付け何で死んだ、何で死んだ、と獣のように吠え続けた。」

私が、冒頭で阿蘇の大観峰から内牧温泉に下る道の杉林のことにふれたのは、次の一説を見つけたからです。

「何とか収入の道を講ぜねばならぬ。ホテルがダメなら開墾をやるしかない。開墾の話は私の復員直後に持ち上がったもので、(引揚者互助会の)幹部が役場に日参して、町長や助役を説いて承諾させたものである。」

「開墾予定地は私の家からは目と鼻の距離にあった。北外輪山の一角、遠見ヶ鼻 -今は徳富蘇峰翁の命名で大観峰と呼び名が変わったが- その大観峰から流れ落ちる尾根の一つが、湯山と呼ぶ古い湯治場の手前でわずかにカーブする。その東南の斜面に予定地はある。尾根の頂きと山すそは杉の町有林となっているが、あとの斜面はみな篠竹に覆われている。そこを借り受けて切り開こうというのである。」

その描写は、私が大観峰から内牧温泉に降りてきた山道の情景そのものでした。戦地から身ぐるみ一つで故郷に引き上げてきた著者が、家族を養うために慣れない開墾の仕事に汗水にまみれて打ち込む姿が目に浮かんできます。

開墾を始めた6月の19日の日記には、「今日は19日。月こそを違え、結婚記念日。ともかくも家族4人、何とか生きていることのありがたさ。京浜地区の餓死者を思うと、ぜいたくは言えない。」と記してあります。

先生は、職を見つけるために熊本市に出向いたおり、朝日新聞の記事で博多の米軍第三民間検閲局(CCD)が外国語の出来る者を百名ほど翻訳係として募集しているのを知ります。さっそく熊本から博多に向かい採用試験を受験し翻訳係に採用されます。36歳の時です。本俸700円、手当200円、土・日の週休2日、外に月2回の公休。野菜や魚の公定価格での配給など、まずはAクラスの待遇であったといいます。

◆同胞を裏切る仕事に耐えがたい嫌悪感

先生が福岡の米軍第3民間検閲局(CCD)に勤務されたのは、昭和21年10月28日から同年12月27日までのわずか61日です。その時の自分のことを「アメリカの犬」と評しておられます。米軍の手先となり検閲要領に抵触する手紙を片っ端から翻訳し、危険人物と思われるものはブラックリストに載せ、あるいは逮捕し、場合によっては手紙そのものが没収されるという、同胞を裏切る仕事に耐えがたい嫌悪感を感じておられたことが伺えます。

「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不愉快な仕事である。」

先生は、そのような忸怩たる思いを抱えながらも、外輪山の山麓でひたすら先生の帰りを待つ妻子のために、見ず知らずの日本人の手紙の翻訳作業を黙々と続けておられたことがわかります。

◆著作にふれて感銘を受けたふたつのこと

私は、先生のこの著作にふれて、特にふたつのことに感銘を受けました。ひとつは先生の家族に対する愛情の深さです。その愛は、なかんずく先生より先に旅立たれた長女の津賀子さんに最も多く深く注がれていたことを感じざるを得ません。

もう一つは人の評価です。先生は反共の闘志として鳴らした友人を訪ねたとき、その友人が共産党中央委員を独占取材したインタビュー記事を新聞に掲載したことを自慢げに語るのを見てがっかりします。友人の節操のなさに失望された先生は、節操によって人を次の3つに区分されています。

「一番偉いのは節を守って死んでいった人たち、次が私みたいな憂鬱組。どんじりが、彼のような自称文化人。たちまちに看板を塗り替えて、時世に媚び、朗らかに飛び回っている連中だ。」

先生は、福岡での仕事は2ヶ月で見切りをつけ、熊本にもどり大学での教育・研究、著作業にその後の人生を捧げられます。

◆何故、誰一人として自己の体験を公表しないで生きてきたのか

さて、私がメディア黒書に甲斐弦先生の『GHQ検閲官』を取り上げたのは、「占領軍が放送、新聞、雑誌、書籍、映画、演劇、紙芝居等々、あらゆるメディアの徹底した検閲を行ったこと。併せて郵便、電信、電話の検閲が行われ民間検閲局(CCD)がそれらを担当したこと。CCDは日本を3地区に分け、東京、大阪、福岡に検閲本部を設置し、通信工作のうち郵便は2億通、電報は1億3600通開封され、電話は80万回も盗聴されたこと。優に1万人以上を超える英語力を扱える日本人が検閲官として働いていたこと。」をこの本で知ったからです。

戦後50年を経て、ようやく甲斐教授が自らの検閲官としての経験を本書で刊行されたことから、戦後生まれの私も占領期の日本社会の実相に迫ることができました。生活の為とはいえ、占領軍の手先となり検閲作業に従事し、その後、日本各地でしかるべき地位を得て社会生活を送ったと思われる1万人を超える人達が、何故、誰一人として自己の体験を公表しないで生きてきたのか。

押し紙裁判に携わる中で、新聞が戦前戦中はもちろん戦後も政治権力の広報機関としての役割を担わされそれを果たしてきたこと、戦後日本にジャーナリスト精神なるものが存在するとしたら、なぜ、新聞やテレビがジャーナリズムとしての本来の役割、すなわち権力の監視機能を果たせていないのか、未解決の朝日新聞の阪神支局の記者殺害事件にみる気味の悪さや、押し紙問題から目をそらす新聞人の言動などに思いを致すと、甲斐先生が「一番偉いのは節を守って死んでいった人たち。」と言われている言葉の重さがズシリと伝わってきます。

幸い私たちは「失われた30年」あるいは「日本中枢の崩壊」といった日本社会の本質をずばりとつく言葉を持ちえています。新聞・テレビの崩壊と反比例するようにSNSのネット情報が拡散・拡大しています。それに刺激されて若い世代の人たちが、新聞・テレビの既存のマスメディアの再生に尽力すれば、きっと遠い将来ではあっても、いつかは平和で豊かな日本を築き上げることが出来ると信じて疑いません。

甲斐先生は、2000(平成12)年8月21日に、89歳の生涯を閉じられました。私の父も90歳を前に他界しています。私は先生のこの著作に出会ったことで私達世代の父親の時代がどのような時代だったのか肌感覚で知ることが出来ました。今、先生はこの世で一番愛されたであろう娘さんと、あの世で永遠の命を共にしておられるだろうと思います。ありがとうございます。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年5月5日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

《参院選2025》はんどう大樹・れいわ新選組初の広島県内国政選挙区初挑戦で健闘

さとうしゅういち

◆自公共敗北、多党化定着

第27回参院選は2025年7月20日執行されました。

与党自民党は、終盤のマスコミ予想よりは持ち直したものの、選挙区27、比例12の39議席と敗北。非改選と併せて101議席。

公明党は改選14議席から6議席減の8議席の大惨敗となりました。中でも比例代表では4議席しか取れず、過去最悪の結果になりました。非改選と併せて21議席となりました。

野党第一党の立憲民主党は比例代表で7議席しか取れずに伸び悩み改選22議席は変化なし。非改選と併せて38議席に。

国民民主党が改選4議席を17議席で非改選と併せて22議席。参政党が改選1議席を14議席で非改選と併せて15議席。それぞれ、大躍進しました。

日本維新の会は改選前6議席を7議席に増やしましたが、実際には、現職の梅村みずほさんが参政党に引き抜かれていますので、実質的には横ばいです。非改選と併せて19議席。

日本共産党は改選7議席を3議席に減らす大惨敗。比例区では日本保守党さえ下回りました。非改選と併せて7議席。

れいわ新選組は改選2議席を3議席に増やしました。非改選と併せて6議席。

日本保守党は参院選初挑戦で2議席確保。社民党は1議席を確保し、政党要件を死守し非改選と併せて2議席。34歳の若者・安野貴博さん率いるチームみらいが1議席確保し、初議席。他方、立花孝志さん率いるNHK党は改選議席を失い、非改選の1議席のみに。また、石丸伸二さんの「再生の道」も議席に遠く及ばず、都知事選挙2024の熱狂は完全に過去のものです。

自公はきついお灸をすえられたものの、野党第一党の立憲民主党ではなく、国民民主党や参政党に票が流れた形です。全体として「多党化」が進みました。いわゆる新自由主義グローバリズム・緊縮財政二大政党(実際は1・5大政党)が、小選挙区制を背景に主導権を取ってきた日本の政治でしたが、それが大きく崩れた形です。それは全体としては、例えばドイツのAFDとか、フランスの国民戦線、ハンガリーのオルバーン政権のようないわゆる右派ポピュリズムの参政党が躍進しています。一方、れいわ新選組の場合は、東京で大苦戦する一方、後述するように、広島など地方圏で善戦。政党の性格が変わりつつあります。

◆自民・立憲で独占継続も参政・れいわ・独立系が健闘 広島県選挙区

広島県選挙区では、以下のような結果になりました。

当選 西田英範 自民新 43歳 当選:1回目 推薦:公明 経済産業省課長補佐 399,640(33.9%)
当選 森本真治 立憲現52歳 当選:3回目 推薦:社民県連合 立憲民主党副幹事長 303,928(25.8%)
小石美千代 参政新 56歳 教材訪問販売員 251,370(21.3%)
楾 大樹 れいわ新 50歳 弁護士 92,896(7.9%)
高見篤己 共産新 73歳 共産党広島県委員会書記長 51,179(4.3%)
谷本誠一 無所属連合新 69歳 元広島県呉市議会議員 26,947(2.3%)
産原稔文 無所属新 57歳 元マツダ社員 17,094(1.4%)
堤美登里 NHK新 68歳 化粧品販売業 16,164(1.4%)
玉田憲勲 無所属新 67歳 医療法人理事長 13,598(1.2%)
上子 亨 無所属新 48歳 政治団体代表 6,469(0.5%)

安佐南区内の結果 
西田英範  30,958(30.0%)
森本真治  27,198(26.3%)
小石美千代 24,571(23.8%)
楾 大樹  8,602 (8.3%)
高見篤己  5,000(4.8%)
谷本誠一  1,933(1.9%)
玉田憲勲  1,553(1.5%)
産原稔文  1,513(1.5%)
堤美登里  1,420(1.4%)
上子 亨   588(0.6%)

河井案里さんの当選無効に伴う参院選広島再選挙2021で、筆者とともに宮口治子さんに敗れた自民党の西田さんが、逆風の中でも自民党王国の組織力に支えられ、堂々のトップ当選。

他方、立憲民主党は現職の宮口治子さんを引きずりおろして同じく現職の森本真治さんに一本化しましたが、参政党の小石さんに猛追され苦戦し、ひやひやものの当選となりました。

参政党の小石さんは全国同様の参政党の追い風に乗り、追い上げました。

れいわ新選組は広島選挙区で初めて候補擁立。「仁義なき候補者選考・楾―宮口事件」で、立憲民主党の候補に内定しながら、直前になってはしごを外された楾大樹弁護士に白羽の矢を立てました。楾候補は、初挑戦ながら、供託金没収点を大きく上回る7.9%の得票率。全国のれいわ新選組選挙区候補では宮城に続く二番目の得票率でした。日本共産党は前々回と同じ高見さんを擁立も、この数十年では最低の得票数・率にとどまり、歴史的な惨敗です。

一方、無所属連合で立候補し、広島瀬戸内新聞の取材にも応じられたことがある元呉市議の谷本さんが2万7千近く、筆者が衆院選2024で投票した経験のある元マツダ社員の産原さん、筆者が同じく衆院選2024で応援のマイクを握ったこともある玉田ドクターら、いわゆる独立系候補が1万票を超える健闘しました。

◆急遽、はんどう大樹候補の後援会事務局長をお受けした筆者

はんどう候補は筆者と同じ1975年に海田町生まれ。中央大学ご卒業後、弁護士登録。しかし、2010年代半ば、当時の安倍政権により憲法違反の政治が続いていることに危惧を抱き、憲法を檻に、為政者(政治家)をライオンにたとえた「檻の中のライオン」を著し、全国1200か所以上を講演しています。腐った政治を質すには「主権者がきちんと投票に行き、政治家をチェックしていかないといけない」とぶれずに主張してこられています。

なお、最近では、講演活動ばかりで、弁護士としての業務もほとんど行っていないという有様です。

筆者は、はんどう候補が、本来なら立憲民主党から立候補するはずだった参院選広島2021に立候補し、20848票をいただいております。今回は、はんどう大樹候補の事務局長を引き受けさせていただきました。

はんどう候補は、「広島瀬戸内新聞」主催で、何度もご講演をしていただいています。その経過から、筆者が出納責任者=後援会事務局長を引き受けさせていただいたものです。

「広島瀬戸内新聞」主催の講演会でのはんどう候補

◆時間不足で態勢づくりが不十分

ただ、広島県選挙区で候補を擁立するとれいわ新選組が明言したのは2025年5月10日の山本太郎の広島でのおしゃべり会の席上、山本太郎が記者に答弁する形でした。その時は、楾先生が候補者だとは全く知りませんでした。楾先生自身も、全国講演ツアーの途中でした。このため、公認決定は6月11日、正式発表は6月16日でした。参院選の公示が7月3日ですので、発表から公示まで17日しかありませんでした。

正直、選挙において支持を広げるには、公示前に政治活動としてのあいさつ回りや街頭宣伝が重要です。(あいさつ回りはあくまで政治活動としてのそれです。公示後は、あいさつ回りは戸別訪問として公示後は禁止されています)。ある程度、地域の有力者に知ってもらい、選挙運動をスタッフで実務的に支えてくれるような皆さんのご支持を取り付け、さらに一般市民にも存在を知ってもらう「政治活動」をある程度やっていないと、正直なところ、公示後の「選挙運動」の態勢づくりは難しいのです。

れいわ新選組は、県内に数千人のオーナーズ・サポーターズ会員がおられます。そうした方々の名簿も、公認候補はいただけるのです。本来であればそういう方々にスタッフになってもらえれば随分選挙活動は楽になりますが、時間がなさ過ぎて、本番の投票依頼をするのが精一杯でした。

はんどう候補の主張を理解してくれそうな有力者にあいさつ回りをするにしても、時間がなさ過ぎました。結局、政治活動期間自体ははんどう候補よりは長い筆者も代理で、必死であちこちに頭を下げて回りましたが、とにかく時間がなさ過ぎました。

ハッキリ言って「これで良く、92896票も取った」と思いました。そういう意味では伸びしろは多くあります。はんどう候補は中国新聞の出口調査では40代の19.2%から得票。当選した森本候補も上回る勢いでした。

◆筆者の寝坊でヒヤリ

公示日の7月3日、筆者は、はんどう候補の原爆慰霊碑への献花に同行した後、はんどう候補の代理で、広島県選挙管理委員会に立候補届け出書類を提出する予定でした。そのため、6時には自宅を出発しないといけない。ところが、寝坊してしまい目が覚めた時には7時10分過ぎでした。はんどう候補をはじめ、皆様に大変なご心配をおかけしたことを改めてお詫びいたします。

原爆慰霊碑へ献花するはんどう候補

なんとか、献花に同行し、県庁での立候補届け出に間に合いました。はんどう候補は、故郷・海田町から出発しました。

◆農村部でもはんどう候補の演説にネット告知だけで聴衆10名近く

はんどう候補は大崎神島町と江田島市を除く県内全市町を遊説しました。このうち、世羅町での街宣では、当日朝のネット告知だけで10名近くの方が応援に来られました。自ら進み出てはんどう候補のためにビラ配りをお手伝いしてくださる方もおられました。

世羅町で駆け付けた聴衆の「消費税ゼロ」を掲げるスーパーカブとはんどう候補

れいわ新選組は結党当時、山本代表が2013年-2019年と2022年から選挙区で議席を持っていた東京中心の政党でした。ところが、今回の参院選2025では、東京選挙区では山本ジョージさんが得票率3.5%だった一方で、広島ではんどう候補が7.9%を得票しました。東京では参政党・保守党(百田)や国民民主党(2020)などの新興勢力と一定程度、東京ではまだ健在な立憲や共産などの狭間で苦戦する一方で、広島などの地方では「地方の庶民に優しい政策の党」として認知されている状況が読み取れます。

また、はんどう候補の地元の海田町では得票率が10%を超えました。

ただ、残念なのは、街宣の日程が前日の夜まで固まらなかったことです。ようやく、当時の朝になって告知される。そんな状態でも、農村部でも少なくない方が駆けつけてくださったのです。きちんともう少し早めに日程を固められていれば、もっと多くの方にはんどう候補の生の声を聴いていただけたのではないかと思います。

◆「失われた30年を40年、50年にしないため」「はんどう大樹と書かなくていい、自分の頭で考えて投票を!」

はんどう候補の主な政策は「消費税廃止」、そして「税金は大金持ち・大手企業から」です。要は、所得再分配の強化です。消費税廃止で購買力を引き上げる。法人税は累進化することで、お金が内部留保ではなく、従業員の給料や設備投資に回るようにする、というものです。

それとともに、衆院選2024での投票率全国最下位を返上しよう!と訴えました。特に終盤では「はんどう大樹と書かなくていい。自分の頭で考えて投票を!」と敢えて訴える姿勢には、筆者も度肝を抜かれました。

そのおかげかどうか、わかりませんが広島県内の投票率は53.9%で、徳島県(50.48%)を上回り最下位を脱出しました。はんどう大樹のお訴えに応えて?投票に行かれたすべての県民の皆様に感謝申し上げます。その上で、はんどう候補は、れいわ新選組の選挙区候補では宮城に続く第二位の得票率を記録しました。

「はんどう大樹と書かなくていい。自分の頭で考えて投票を!」と訴えたはんどう候補

過去30年間、新自由主義・緊縮財政二大政党が広島の参議院の二議席を独占してきました。それも、毎回、ほぼ無風でした。そのことが、県民をあきらめさせてきた経過があります。

実は筆者自身も、はんどう候補がもし立候補しなければ、自民党の西田候補への「鼻をつまんでの」投票も検討せざるを得ないと覚悟していました。これは、立憲現職の森本議員が新自由主義的な湯崎県知事にある意味で自民党以上に近い一方で、その湯崎知事と比べても気候変動対策に後ろ向きではないか?と彼のSNS投稿から感じていたことなどが挙げられます。

不毛だった広島の政治に新たな選択肢を市民の手作りで示した。これが、今回の参院選の意義ではないでしょうか?手作りが故に、様々な行き届かないところもありました。それでも、この取り組みをあきらめてはいけない。そう筆者は確信しています。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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39年前の福井女子中学生殺害事件で前川さんに再審無罪判決! アン・ルイスと吉川晃司のいやらしい踊りのパフォーマンスはいつ放送されたのか?

尾﨑美代子

7月17日、西山美香さんの湖東記念病院事件の国賠で、大津地裁は滋賀県(滋賀県警)の捜査の違法性を認める判決を下した(ただし、国の違法性は認めなかった)。その翌日、名古屋高裁金沢支部で福井女子中学生殺害事件の犯人とされた前川障司さんに再審無罪判決が下された。39年前のこの事件、亡くなった桜井昌司さんから「前川の事件も書いてくれよ」と言われていたが、資料を読み何度も諦めていた。

事件は卒業式の日、家で1人でいた女子中学生が殺害された。非常に凄惨かつ残忍な殺害方法だったため、女子学生が関わる非行グループ内のリンチ事件と考えられた。しかし、捜査は難航。そんななか、逮捕中の暴力団組員の加藤(仮名)が「後輩の前川が犯人だ」と刑事に告げたことから、前川さんが逮捕された。前川さんはこの女子学生と面識はなかったうえ、前川さんを犯人とする証拠も一切なかった。あるのは「血がついた前川を見た」という多くの関係者の証言のみ。その関係者の数だが、AからG位まであり、中には小文字のn、大文字のNとかある。これは、例えば中野が仲野に変わるなど、加藤の証言がころころ変遷していたからだ。

しかも関係者の多くが暴力団関係者やシンナー、覚せい剤を使用していた若者たち。警察に睨まれたくないため、いわれるがままに嘘の調書をとられた。「前川の手に血がついていた」というBの証言、「前川が『あのバカ女』」などと言っていた」というDの証言などをを集めて、前川さんを犯人とした。このようないい加減な証拠しかないうえに、同じ一審で検察側証人に立った若者が、その後、弁護側証人として、前の証言をひっくりかえすなどしたため、一審は無罪だった。しかし、これを不服とした検察が控訴。控訴審では一審で証言をひっくり返した少年が再び「前川を見た」に証言を変え、二審は有罪判決、前川さんは服役してきた。

服役後の第一次再審は再審開始が決定したが、検察が控訴し訴えは棄却されていた。今回の第二次再審で、2024年10年再審開始の決定がでた。その「決定書」を読んだ私は「なんだ、これは?」と驚いた。決定書には、これまでの判決文などに出てこなかった文字が躍っている。「夜のヒットスタジオ」「アン・ルイス」「吉川晃司」。なんなんだ?

こういうことだ。当時流行った歌番組「夜のヒットスタジオ」でアン・ルイスが「六本木心中」を歌う後ろで吉川晃司が過激な踊りを披露するという場面があった。実は、私は取材を始めた頃、その場面をネットで探して見たことがある。吉川がアン・ルイスの後ろで腰を打ち受けたり、アン・ルイスがマイクを吉川の股間に押し付けるという過激な内容だった。裁判では、木曜日夜9時の同番組で、その過激な踊りが放送されたのは、事件当日だったとされた。山田(仮名)と林(仮名)という加藤の手下の若者は、山田の家でこの番組を見ており、2人で「いやらしいな」と話していたが、ちょうどそのとき、加藤から電話があり、車で迎えにいったというのだ。 当時見ていた方はご存知だろうが、夜のヒット・スタジオにはその週ヒットした歌手が出演して、生放送で歌っていた。なのでヒット曲を持ち続ける歌手は、毎週のように出演するわけだ。なので、新聞の番組欄には毎週のように2人の名前がでていたはずだ。警察は関係者にその新聞をみせ「この日で間違いないな」などと確認していたのだろう。

黃色の勝負ネクタイは、青木恵子さんからプレゼントされたもの。入廷行進で被っていたお帽子は袴田巌さんから頂いたもの

時は過ぎ、新たに弁護団に入った若手の弁護士らが、「いやらしい踊りってどんな踊りなんだろう?」と興味をもち、なんとAIに質問してみたという。すると、古舘伊知郎が語る場面がでてきたそうだ。その放送日は1985年10月2日。古舘はその日初めての司会だったので、そのいやらしい場面が「目について離れない」と語っていたという。え? 1985年?? さらに調べると、その場面は翌年1986年に再放送されていた。「ヒットパレード、この1年間の思い出に残った曲」などという特集でも組まれたのではないか?しかし、その放送日は1986年の3月26日で、事件のあった3月19日ではなかったのだ。さらに驚いたのは、再審で弁護団が開示させた新しい証拠の中の「捜査報告書」には、その事実がはっきり書かれていた。「いやらしい踊りをしている場面が放映されたのは3月26日、3月19日にはありません」と。その報告書の作成日は1989年1月28日、つまり一審が続けられていた時期だ。

おい、どういうことだ。警察、検察はいやらしい踊りの放送はその日でないことを知りつつ、裁判を続けた。何故なら、山田と林が事件当日見ていたのは、ただの夜のヒットスタジオでアン・ルイスが歌う場面ではない。吉川晃司といやらしい踊りを踊った番組だ。だから、印象に残っているのだ!事件のあった日だ。ちょうどその時、加藤の兄貴に呼びだされただと……。そうか、だから、検察は裁判で、この一番重要な証拠について、証人に聞くことはなかった。「アン・ルイスと吉川晃司はどんな踊りをしていたんですか?」とか「それを見てあなたはどう思いましたか?」などと。詳細を聞けばうそがばれる可能性があったからだ。一方、裁判官が証人にそのことを聞いた。証人は「間違いないです。その(いやらしい踊りが放送された)日です」と証言した。

結局、その証人は、再審で、証言を変えたことについて、当時自分も覚せい剤をやっていたので、それを見逃してもらうため、警察のいうがままに嘘の証言をしたと証言した。裁判で更に嘘の証言をした日は、刑事に飯を奢られ、スナックで飲まされたとも証言した。その際、結婚したことを告げた証人に、その刑事が5000円入ったお祝い金をくれたと、刑事の名前がばっちり入った祝儀袋を証拠提出した。

もちろん、それ以外でも弁護団は多くの新たな証拠を提出し、無罪を争っていた。それにしても本当に悪質だ。冤罪は証人の記憶違いや小さな間違いで作られるものではない。警察、検察が何十年も証拠を隠し続け、必死で作っているのだ。前川さんの無罪は、控訴期限の8月1日で決定する。前川さんはその後全国各地を報告会で回るようですが、まず最初に大阪に来て話したいといいますので、8月9日土曜日に大阪で報告会を行いたいと、現在弁護団と調整中です。決まりましたらお知らせします。ぜひ、多くの方々に集まって頂きたい。

◎前川障司さんをお招きしての大阪報告会開催決定!◎
8月9日(土)14時~(開場13:30)
「福井女子中学生殺害事件」報告会
報告:前川障司(冤罪犠牲者)、端将一郎(弁護士)

事件から39年で再審無罪!
開示証拠が無罪の決め手に!
判決は警察・検察を厳しく批判!

会場:社会福祉法人ピースクラブ4階
(大阪メトロ大国町駅5番出口南へ5分)
参加費:800円(資料代込み)
主催:実行委員会
問い合わせ:090-7356-1747(オザキ)
 hanamama58@gmail.com

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

「原発推進党」という国民民主党の正体 ◎横田一(紙の爆弾2025年7月号掲載)

◆リニアに触れない代表と幹事長を直撃

 静岡県の島田市議選(5月25日投開票)が告示された5月18日、国民民主党の玉木雄一郎代表と7月の参院選で改選を迎える榛葉賀津也幹事長(参院静岡選挙区)が、5選を目指す清水ただし候補の応援演説でそろい踏みをした。
 代表と幹事長がそろって市議選候補者の応援に入るのは異例だが、榛葉氏の参院選事前運動を兼ねていたとみると、不思議でも何でもない。早々に地元の票を固めて、大量擁立する新人候補の応援に回ろうとする狙いが透けて見えたのだ。
 一帯は茶畑が広がる大井川流域。街宣では、静岡市から駆けつけた山田吉彦・東海大学海洋学部教授(参院選比例代表の公認候補)が県産のお茶の輸出が伸びていることを紹介すると、榛葉氏も大井川水系の重要性を強調したが、玉木代表を含めて誰一人として大井川流域の水枯れが懸念される「リニア中央新幹線問題」について触れることはなかった。
 川勝平太・前静岡県知事は、南アルプスをぶち抜くトンネル工事で大井川の流量低下を招くおそれがあるリニア計画を問題視、JR東海や国交省と長年にわたって対峙してきた。それなのに国民民主党は同流域の存亡にも関わるリニア問題を、代表も幹事長も地元議員もスルーしたのだ。自公政権を補完して国策に迎合する国民民主党の実態(正体)が透けて見えた瞬間でもあった。
 そこで街宣終了後、両幹部がそろい踏みをした囲み取材で、「リニアについて触れなかったのはなぜか」と聞いてみたが、玉木代表は「ほかの記者が質問中」「順番を守って」などと言って私の質問を遮り、スタッフも「時間です」と終了を宣言した。やむなく立ち去り始めた榛葉氏を追いかけて「リニアについて触れなかった理由は何か。水問題、深刻ではないか」と叫んだが、無言のまま。
 しかも榛葉氏は私の会見参加不可(出禁)を決定した当事者でもあったので(紙の爆弾1月号参照)、支持者との記念撮影を始めた榛葉氏に向かって「嘘つき幹事長と呼ばれるのではないか。ルール違反をデッチ上げないで下さい」「(私の質問中に)不規則発言をしたのは(フリーの)堀田(喬)さんですよ」と声かけ質問をしたが、ここでも榛葉氏は「横ピン(私のこと)だよ」と発するだけで何も答えない。それで「質問に答えて下さい」と求めたが、一言も答えることなく黒塗りの車に乗り込んで走り去った。都合の悪い質問には全く答えない国民民主党の差別的報道対応(記者排除)を、ここでも目の当たりにすることになったのだ。
 ただ、思わぬ収穫もあった。榛葉氏を直撃した後、その様子を見ていた中年女性が私に声をかけてきて、参院選比例代表の公認候補となった山尾志桜里・元衆院議員への怒りを爆発させてくれたのだ。
「山尾さん公認への反発で女性票が激減するのは間違いありません。私の周りにも『選挙区は国民民主党に入れても、山尾さんに当選してほしくないので比例は他の党に入れる』という支持者がたくさんいます」
 こう切り出した国民民主党の支持者は、スマホを取り出して5月16日の榛葉幹事長会見の画面を指し示し、こう続けた。
「会見動画への書き込みが3千件を超えていますが、多くが山尾さんへの批判です。支持率が急落するのは間違いないでしょう」
 この予測は数字として現れていた。自公過半数割れとなった昨年秋の総選挙以降、103万円の壁解消などでメデイア露出が急増、野党第1位の支持率を維持してきた国民民主党だが、共同通信が5月17日と18日に実施した世論調査によると、前回調査(4月12日と13日)の18.4%から5.2%も下落して、13.2%になってしまった。朝日新聞の同時期の世論調査も同じ傾向で、国民民主党の支持率は12%から8%へと急落。毎日新聞と読売新聞はともに2%下落と小幅だったが、全体として下落傾向に転じていたのだ。
 5月20日付の朝日新聞が「国民民主勢いにブレーキ」「参院擁立巡りSNS上で批判」との見出しを打ったとおり、5月14日に山尾氏ら参院選比例代表に擁立した候補予定者4人が支持率下落の原因であることは明らかだった。
 ほかの3人は、立憲民主党を離党した須藤元気・元参院議員、維新の党員資格停止処分を受け政界引退を表明していた足立康史・元衆院議員と、みんなの党や自民党を転々とした薬師寺道代・元参院議員。マイナスイメージの筆頭格は不倫スキャンダルが報じられた山尾氏だが、他の3人も突っ込みどころには事欠かない。

◆脱原発派を転向させた「確認書」

 5月の連休前後から全国を飛び回り街頭演説を繰り返す玉木代表の定番ネタは「受かりたいから国民民主に来るとか、選挙を就職活動にしない」と強調することだった。しかし今回の比例代表候補予定者4人の発表で「元議員再就職の受け皿(駆け込み寺)政党なのか」「玉木代表は言行不一致」といった疑問が噴出し支持率急落につながったと見えるのだ。
 そんな国民民主党の実態をズバリ指摘したのが、れいわ新選組の山本太郎代表だ。5月17日に大阪で開かれた「おしゃべり会」で、以前は脱原発派だったのに原発推進の国民民主党候補予定者となった須藤氏の“変節”について、次のように聞いた時のことだ。
「かつて山本代表と連携、ともに脱原発を訴えていた須藤元気さんが国民民主党の比例候補になり、原発推進の確認書にもサインをした。脱原発から原発推進に舵を切ろうとする危険性をはじめ、国民民主党の化けの皮をどう剥がして対抗していくのかについて伺いたい」
 山本代表からはこんな答えが返って来た。

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KICK Insistは波乱の展開、睦雅は圧勝、馬渡亮太は幻の勝利!?

堀田春樹

好ファイトが続出した全14試合だったが、メインイベント終了後に波乱は起きた。馬渡亮太が勝者コールされたが、リングを下りてから雲行きが怪しくなったリングサイド周りとその後の舞台裏。採点の在り方にギリス陣営が抗議。マイクで発表した運営側に不備や責任は無く、今後WMOが対処する模様。

最終メインイベント以下、睦雅はコンビネーションブローで圧倒の勝利。
瀧澤博人はリズム掴めず苦戦しながらも、攻めの姿勢で僅差の判定勝利。
HIROYUKIが倒す気満々の攻勢でノックアウト勝利。
吏亜夢がムエタイテクニシャンのキヨソンセンを技と勢いで優って大差判定勝利。
細田昇吾が前回の敗戦から立ち直り、圧倒のノックアウト勝利。

◎KICK Insist.23 / 7月13日(日)後楽園ホール17:15~21:30
主催:(株)VICTORY SPIRITS、ビクトリージム
認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)、WMO

前日計量は12日14時、水道橋内海ビルにて行われ、オーウェン・ギリスは15時55分、計量失格。ゴリムは泣きながら何とかクリアー。花澤一成は軽く走って問題無くクリアー。

◆第13試合 WMO世界スーパーフェザー級タイトルマッチ 5回戦

前・選手権者.オーウェン・ギリス(イギリス/19歳/ 59.6→59.3→59.3kg/+330g/計量失格)
        VS
挑戦者11位.馬渡亮太(治政館/2000.1.19埼玉県出身/ 58.96kg)

正式に最終決定が下されば再度、触れたいと思います。

◆第12試合 63.0kg契約3回戦

WMO・INスーパーライト級チャンピオン.睦雅(=瀬戸睦雅/ビクトリー/ 1996.6.26東京都出身/ 62.8kg)29戦22勝(14KO)5敗2分
VS
タイ・ジットムアンノンStadiumライト級4位.ペットムアンデット・コルウッティチャイ(タイ出身20歳/ 62.6kg)61戦40勝18敗3分
勝者:睦雅 / TKO 2ラウンド 32秒
主審:少白竜

ペットムアンデットの多彩に出て来る勢いに負けず、ローキックからパンチ、組み合っても圧力掛けて出る睦雅。ペットムアンデットの出方を見極め、より前進。ロープに詰め、パンチ連打から飛びヒザ蹴りと勢いに乗る。

睦雅の三日月蹴りヒット、効果的にノックダウンに繋げた
睦雅の右ストレートヒット、蹴りとのコンビネーションブローでノックアウトに繋げた

第2ラウンドには右ストレートから右ローキックでノックダウンを奪う。更に右ローキックで脚を弱らせ、左フックでほぼ勝負を決め、連打とヒザ蹴りフォローでノックダウンを奪い、ノーカウントのレフェリーストップ。睦雅の余裕の完封TKO勝利となった。

5月30日にタイ・ルンピニースタジアムでのONE Friday Fightsに於いて、ヤイ・チャン(ミャンマー)に判定勝利した睦雅は、ジャパンキックボクシング協会の顔という自覚も持ってONE でベルト(王座)獲ることが目標と言う。今後も日本とタイで存在感を示す勢いは続きそうである。

◆第11試合 57.5kg契約3回戦

WMO・INフェザー級チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー/1991.2.20埼玉県出身/ 57.4kg)
44戦28勝(15KO)12敗4分
VS
ヌンプーシン・コルウッティチャイ(元・BBTVバンタム級5位/タイ出身22歳/ 57.5kg)
81戦61勝19敗1分
勝者:瀧澤博人 / 判定2-1
主審:椎名利一
副審:西村30-29. 少白竜29-30. 中山30-29

瀧澤博人は左ジャブでリズムを掴みたいが、ヌンプーシンの蹴りの圧力が瀧澤の勢いを止め、瀧澤の脇腹が赤く染まる。瀧澤は距離を詰めパンチを打ち込むが簡単にはヒットしない。

瀧澤博人の長い左ジャブ、試合のコントロールはここから始まる

最後まで主導権は奪えなかったが、要所要所でジャブやヒジを出し、ヌンプーシンの頬を腫れ上がらせたり、自分の距離に導こうとする前進でヌンプーシンの蹴りを凌いで終了。際どい判定となったが僅差で勝利を掴み、次の11月へのステップへ駒を進めた。

これがヌンプーシンの頬を腫らす一発か、瀧澤博人のヒジ打ちヒット

リング上の瀧澤博人は、倒し切れなかったことは残念と言い、「この悔しさでもっと強くなって次、11月興行で、もし世界戦が決まったら応援に来てください!」とアピールした。

◆第10試合 54.5kg契約3回戦

HIROYUKI(=茂木宏幸/元・日本バンタム級Champ/RIKIX/1995.10.2神奈川県出身/54.5kg)61戦41勝(21KO)16敗4分
      VS
アカラデット・クェイバンコーレーム(元・ジットムアンノン・フライ級3位/タイ出身24歳/ 54.0kg)78戦49勝26敗3分
勝者:HIROYUKI / KO 1ラウンド 2分5秒
主審:勝本剛司

両者の様子見の蹴りパンチの攻防は、余裕あるHIROYUKIが前蹴りでアカラデットを突き飛ばすとボディーを狙って距離を詰め、パンチからボディーへヒザ蹴りでノックダウンを奪うと、効いてしまったアカラデットは苦しそうにテンカウントを聞かされた。

HIROYUKIが前蹴りでアカラデットと突き飛ばした。狙いは定まったか
ヒザ蹴りでボディーを効かせたHIROYUKI、ノックアウトへ繋げた

◆第9試合 60.5kg契約3回戦

キヨソンセン・ビクトリージム(元・WMO・ICスーパーフェザー級Champ/タイ出身35歳/ 60.5kg)188戦110勝(15KO)70敗8分
         VS
WMC日本スーパーフェザー級チャンピオン.吏亜夢(ZERO/2004.12.栃木県出身/ 60.2kg)
25戦18勝(8KO)5敗2分
勝者:吏亜夢 / 判定0-3
主審:西村洋
副審:椎名 27-30. 少白竜27-30. 勝本27-30

吏亜夢は2024年6月9日、亀本勇翔と王座決定戦に初回カウント中のレフェリーストップ勝利で獲得。

キヨソンセンに蹴りでプレッシャーを掛け前進する吏亜夢。ローキックからストレートでボディブロー、首相撲もヒザ蹴りも吏亜夢が優った。キヨソンセンもやや劣勢な態勢も距離感を計り、要所要所で隙を突いて蹴って来るタイミングはベテランの上手さがあった。

吏亜夢は圧倒も倒し切れないもどかしさを残したが、圧倒の判定勝利。

吏亜夢のアグレッシブなヒットとキヨソンセンの巧みな技が交錯
優っていったのは吏亜夢のしなやかさ、ハイキックでキヨソンセンを襲う

◆第8試合 52.5kg契約3回戦

ジャパンキック協会フライ級1位細田昇吾(ビクトリー/1997.6.4埼玉県出身/ 52.4kg)
24戦15勝(4KO)7敗2分
        VS
ゴリム・クェイバンコーレーム(元・True4Uフライ級9位/タイ出身21歳/ 52.7→52.65→52.6→52.55→52.5kg)49戦30勝16敗3分
勝者:細田昇吾 / KO 2ラウンド 2分6秒
主審:中山宏美

初回から細田昇吾が先手を打つアグレッシブな展開。ゴリムのいきなりのハイキックはしっかり見て躱した。細田はパンチとローキックで弱点を探ると、第2ラウンドには右ストレートボディーブローでノックダウンを奪い、続けてボディブローによる3度のノックダウンを奪って圧倒のノックアウト勝利。

細田昇吾の狙ったボディブローヒット、上下多彩に攻め、ゴルムの弱点を掴んだ
細田昇吾のボディブローが効いたゴリムは蹲ってしまう

◆第7試合 ウェルター級3回戦

ジャパンキック協会ウェルター級3位.正哉(誠真/神奈川県出身22歳/ 66.3kg)
12戦7勝(3KO)5敗
         VS
同級5位.我謝真人(E.D.O/神奈川県出身33歳/ 66.678kg)17戦5勝(2KO)10敗2分
勝者:我謝真人 / KO 1ラウンド 2分51秒
主審:少白竜

初回の正哉のパンチで前に出る圧力からボディブローとハイキックはいい流れだったが、我謝真人が凌いで徐々にローキックで出た後、コーナーに詰め、ヒザ蹴りボディブロー一発であっさりノックダウンを奪うと正哉は立ち上がれずテンカウントを数えられた。

◆第6試合 スーパーフェザー級3回戦

ジャパンキック協会フェザー級3位.石川智崇(KICKBOX/神奈川県出身33歳/ 58.7kg)
9戦5勝3敗1分
        VS
青木大好き(OZ/千葉県出身29歳/ 58.6kg)14戦7勝7敗
勝者:石川智崇 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:西村29-28. 中山29-28. 少白竜29-27

初回、石川智崇のタイミングいい右フックでノックダウンを奪うが、青木も諦めずに攻めて来る中、蹴りとパンチで試合運びの上手さで攻勢を維持した石川智崇が内容的には圧勝の判定勝利。

◆第5試合 58.0kg契約3回戦

ジャパンキック協会フェザー級4位.眞斗(KIX/千葉県出身35歳/ 58.0kg)14戦5勝(2KO)7敗2分
        VS
松岡優太(チームタイガーホーク/宮城県出身23歳/ 57.8kg)4戦3勝1分
勝者:松岡優太 / 判定0-2
主審:勝本剛司
副審:椎名29-29. 中山28-30. 少白竜29-30

◆第4試合 73.0kg契約3回戦

白井大也(市原/千葉県市原市出身/23歳/ 72.75kg)6戦2勝(1KO)2敗2分
        VS
タイン・ノーナクシン(タイ出身23歳/ 72.9kg)40戦28勝10敗2分
勝者:タイン・ノーナクシン / 判定0-3
主審:西村洋
副審:椎名28-30. 勝本29-30. 少白竜28-30

◆第3試合 スーパーフライ級3回戦

花澤一成(市原/2004.4.9千葉県市原市出身/ 52.25→52.0kg)12戦3勝(3KO)6敗3分
    VS
磯貝雅則(STRUGGLE/東京都出身38歳/ 52.0kg)7戦2勝5敗
勝者:花澤一成 / TKO 3ラウンド 2分9秒
主審:中山宏美

初回から花澤一成が先手を打った多彩な蹴りで主導権を奪った流れでプレッシャーを掛け飛びヒザ蹴りも見せた。第3ラウンドに入るとやや手数減ったが、首相撲でも優って崩れ行く中、磯貝雅則が後頭部を打ってダメージを負うとノックダウン扱いとなって立ち上がれずカウント中のレフェリーストップ。5月25日の市原興行に続いて2連続KO勝利の花澤一成。これからが勝負。

◆第2試合 53.0kg契約3回戦

西澤将太(ラジャサクレック/埼玉県出身20歳/ 53.0kg)1戦1勝(1KO)
        VS
謙斗(バトルフィールドteamJSA/静岡県出身31歳/ 52.9kg)1戦1敗
勝者:西澤将太 / TKO 3ラウンド 39秒

多彩に蹴り合った両者は第3ラウンドに入って西澤将太がパンチ連打でノックダウンを奪うと続けて連打でノックダウン奪ってレフェリーストップに追い込んだ。

◆プロ第1試合 フェザー級3回戦

BANKI(治政館/埼玉県出身17歳/ 56.3kg)1戦1勝(1KO)
        VS
デートサヤーム・シット・デーンサヤーム(タイ出身19歳/ 56.8kg)7戦5勝2敗
勝者:BANKI / KO 1ラウンド 1分5秒

両者の鋭い蹴りの様子見の中、BANKIが右ハイキックをキレイにヒット。カウントアウトされ、短い時間だったが、密度の濃い攻防だった。

◆アマチュアキック 75kg級2回戦(90秒制)

西村寿一(SOGA/ 71.75kg)vsリブタック・ヒデ坊(K-BRIGHT/ 74.7kg)
勝者:リブタック・ヒデ坊 / TKO 1ラウンド 1分10秒

《取材戦記》

馬渡亮太が会場盛り上げる激戦を戦いながら勿体無いジャッジ側の不手際。試合後のオーウェン・ギリス陣営の猛抗議。収拾がつかず、正式な結果を載せることも出来ないので、この試合結果は7月17日夜時点で保留に致します。最新の情報はWMOのホームページ等で観られますが、最新の進展が発表されつつ、すぐ削除という展開もあるようです。ジャパンキックボクシング協会側も収集着くまで安易には発表できない事情もあるでしょう。

セミファイナル、睦雅までのアンダーカードは激しい展開が見られました。睦雅は圧倒の倒して勝つTKO勝利。瀧澤博人は際どくも勝利を掴んで次に繋げ、HIROYUKIはインパクトあるノックアウト勝利で存在感を示した。細田昇吾も前回のKO負けから払拭。再起を飾った勢い有るKO勝利でした。

次回のジャパンキックボクシング協会興行は9月15日(月・祝)に新宿フェースにてKICKInsist.24が開催予定。11月23日(日)には後楽園ホールに於いてKICK Insist.25が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

冤罪「湖東記念病院事件」滋賀県に勝訴! 国の責任を認めず!

尾﨑美代子

冤罪「湖東記念病院事件」の国賠訴訟、本日、大津地裁で判決がくだされた。傍聴券抽選のため、ロビーは希望者で溢れたが、私はどうにか傍聴券を頂いて中に入れた。

判決は、滋賀県警の捜査に対する違法について、原告の主張をほとんど認めた。とくに、警察が、捜査当初から鑑定医が「患者さんの死亡は痰詰まりの可能性がある」とした捜査報告書を検察に送致していなかったことについて、違法だと認め、この違法がなければ、美香さんは起訴すらされなかったと判断した。

私はこの国賠訴訟、第一回目を傍聴したが、その後は仕事で傍聴ができていなかった。が、裁判で証言した刑事は「報告書といってもメモ的なものもあるのですべて送致するわけではない」などと言い訳したそうだ。しかも送致しなかった報告書は「ちゃんと保管してますわ」と刑事が親指と人さし指で3~5センチほどの厚さを示したと、井戸弁護士が指で示した。つまり警察は私たちの税金で集めた証拠の多くを検察に送致していなかったということだ。

もちろんその証拠の中には、患者の死因は「痰詰まりの可能性がある」という、美香さんに無罪判断を下す証拠もあるのである。この捜査資料の不送致の違法性を厳しく断罪した判決は過去に例がないと思われるとのことだ。

一方、判決は、国(検察)については原告の違法の主張をすべて認めなかった。裁判所はとくに、早川検事が作成した調書についての不合理について全く判断しなかった。次の内容だ。美香さんは、当時勤務していた病院で呼吸器を付けて永らえていた患者さんが死亡した件で、呼吸器の管を抜いたとして殺人罪で逮捕・起訴され、有罪判決で服役した。

それまでの経緯だが、一人の看護師が「(呼吸器を抜いた際に出る)アラームが鳴っていた」と嘘を付いたことから始まり、結果、看護助手を美香さんは山本誠刑事にマインドコントロールされ、「管を抜いた」と嘘の自白を強いられた。

「管を抜く」イコール「殺す」とは考えてもいなかった美香さん。警察はその後、具体的にどのように殺害したかを供述させなくてはならない。滋賀県警と山本刑事はどうやったか? 実は、その後の捜査で実際はアラームは鳴っていなかったことが判明。では管を外したのにアラームが鳴らないようにするにはどうしたらいいか。警察は考えた。そこで警察は、呼吸器の専門家に技術的なことをレクチャーしてもらった。呼吸器には消音機能維持装置があって、管を抜いてアラームが鳴ったらそのボタンを押すと消える。それから60秒経つと再度鳴るので、その前にまた押す。それを3回、つまり3、4分管を外し、酸素を送らずにいたら、絶命するということだ。

しかし、ここで困った事態がおこる。美香さんは看護助手なので、呼吸器などの医療器具を扱う立場にない。やり方もしらない。しかもこの消音機能維持ボタンについては普通の看護師でもしらないそうだ。「何故そんな装置を知ってたか」と問われ、美香さんは当初「看護師さんがやっていたのを見て覚えた」と話していたという。しかし、同病院の看護師全員に聞いたところ、その装置の使い方を知る人はひとりもいなかった。

そこで気が付け! 早川! 看護師がだれひとり知らなかった装置を看護助手の美香さんがしっているはずないだろう? ところが、警察の作った嘘・デタラメな調書を本物のようにするために上塗りするのが検事の仕事。そこで検事として頑張った早川、患者に強い殺意を抱いて管を抜いた美香さんが、そのとき装置についたボタンを偶然押した。「あらま、アラームが止まったわ」と美香さんが思ったか思わなかったか。しかし、問題はそこからだ。美香さんは何故か胸のなかで「1、2、3……」と数えたという。いやいや、美香さん、そのやり方(アラーム音止めるボタンを押したのち、60秒したらまた鳴るという)しらないってば? と突っ込みたくなるのは私一人ではないはず。早川! そう思わないか?

なお、判決全体で井戸弁護士が強く批判したのは、弁護団と美香さんが最も強く主張した「供述弱者」についての判断が全くないことだ。滋賀県警と山本誠刑事は、美香さんが山本に恋心を抱いていることを利用して違法な取り調べを行ったことの違法については判断を避けたことだ。この点が全くネグレクトされている点について、井戸弁護士は裁判所としてはありえないと断罪した。弁護団、美香さんも国に対して控訴することを決めているが、控訴審ではこのネグレクトの違法性をとことん追求していくそうだ。

ここにきて、朝からバタバタして突然力尽きた尾崎さん。いろんな人にも会ったからね。それにしても最後の記者たちのつまらない質問。「美香さん、今日のお洋服は白ではないのですか?」みたいな。そんななか、青木恵子さんが花束を贈る時間がなくなってきた。私は亡くなった桜井昌司さんの「記事を書くなら記者席に座れ」を守り、偉そうに記者席の前から2列目に陣取っていたので、事前に司会の方に伝えておいた。が、青木さんらが明日の福井女子中学生殺人事件の判決に向けた、今日中に金沢入りということで、電車の時間が迫っていた。大勢の記者が多くの質問をするのはよいが、最後「何故、今日は白い洋服ではなかったんですか」とか要らないだろう、とイラついていたら、青木さんが「ママ(私)、時間ないわ」と言ってくるので、司会の方に伝えたら、急遽花束贈呈をいれてくれることになった。

それにしても井戸弁護士のお話のなんてわかりやすいこと、美香さんの受け答えのなんと的確でユーモアに溢れていること。詳細は判決文を読んでまたまとめよう。写真は全然撮れてなくて、入廷行動の写真は東京の部落解放同盟の安田さんから、旗出しの写真は水戸さんにお借りした。皆さま、お疲れ様でした。

◎新プロジェクトX~挑戦者たち~「無罪へ 声なき声を聞け」滋賀・看護助手 知られざる15年
 再放送予定 7月19日(土)午前0:10~~午前1:00
 https://www.nhk.jp/p/ts/P1124VMJ6R/episode/te/56K65391MP/

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/