遺伝子から万能細胞の世界へ ── 誰にでもわかる「ゲノム」の世界〈3〉遺伝子について

私の皮膚は日光に弱く、すぐ赤くなってヒリヒリ痛くなります。母も同じような肌でした。また、電話に出ると母の友達に母と間違えられることがよくありました。このように外見、性格、小さな癖など、親に似ているけれども、同じではないというのが私たち生き物です。今回はこれらをつかさどる「遺伝子」について、整理してみようと思います。

生物が持つ形や性質などを形質といい、形質が親から子へと受け継がれることを遺伝といいます。そして遺伝が起こるためには親から子へ何らかの要素が受け渡されているはずだと昔の人が考え、「遺伝子(gene)」と呼ばれるようになりました。その後、その遺伝子は染色体という細胞の核の中のヒモ状に見える構造物に、数珠つなぎになっていることがわかりました。染色体はタンパク質とDNAで構成されていますが、遺伝子の本体がDNAであることがわかったのは、20世紀中頃のことです。そしてDNAが自己複製するのに都合のよい二重らせんで構造であることが解明されたのです。

遺伝子とDNAは同じようなものであると見なされることが多いのですが、遺伝子はある特定の働きをする機能がともないます。一方DNAは「デオキシリボ核酸」という物質であり、遺伝子の本体といえます。つまり、遺伝子を数珠つなぎしているのがDNAです。すべての細胞(人間なら約60兆個)がこのDNAを持っていることが判明しています。しかもそれぞれの細胞(直径0.001~0.003㎜程度)に入っている遺伝子には、体全体のすべてにわたる形質の特徴が刻み込まれています。小さな小さな世界に、たくさんの重要な情報が秘められているのです。

DNAの情報をもとに形質の基となるタンパク質を合成する際、直接的にDNAがタンパク質を作っているわけではなく、DNA→RNA→タンパク質という一方向の順に進みます。この間に行われるのが「転写」と「翻訳」というプロセスです。

「転写」 DNAを鋳型にしてRNAを作ることを「転写」といいます。2本鎖DNAがほどけ、一本のヌクレオチド鎖をもとにして相補的なRNA(メッセンジャーRNA・mRNA)を合成します。

「翻訳」 mRNAの塩基配列をもとにしてアミノ酸の配列が決まりポリペプチド(タンパク質)ができることを「翻訳」といいます。

遺伝子は次の2つの能力を持っています。

(1) 自己複製能力
遺伝子は、幹細胞から生殖細胞へ、幹細胞から体細胞へ、細胞から体細胞へ、複製されながら伝わっていきます。結果、すべての細胞が完全な遺伝子を持っていることになります。この複製の制御が失われると、がん細胞になってしまいます。

(2)遺伝情報発現の能力
形質は遺伝子に刻まれた特徴が現れたものです。遺伝子の中に、手の形、目の色、消化液のつくり、皮膚の構成、などすべてが刻まれています。そういった特徴が、適切な条件で適切な場所に現れることを遺伝子の発現といいます。遺伝子の発現は遺伝子のスイッチがONになることです。そして、スイッチがONになれば、それに沿って、生物の形質が現れます。

さて、細胞がガン化するとか、細胞が脂肪を生産して肥満になるとかは、先に説明した複雑な過程において、何らかの異常が出現し、タンパク質が作用して細胞が変化することに由来します。

一方、薬とは、体の中で起きたこれらの遺伝情報の発現に作用して、症状を抑えようというものです。高血圧を下げたり、前立腺癌の増殖を抑えたり、病気の状態に合わせて様々な働きをします。私のような素人にはとても理解できない深くて複雑な世界ですが、ほんのわずかな違いで、薬の効果は変わってくるのでなないかということが想像できます。同じ名前の薬であっても、先発薬と後発薬では、どこか作用が違うのではということをよく耳にするのもそのためです。

 

◎連載過去記事(カテゴリー・リンク)
赤木夏 遺伝子から万能細胞の世界へ ── 誰にでもわかる「ゲノム」の世界 

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付き、本通信で「老いの風景」を連載中。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「投げさすべき」発言で物議の張本勲氏、甲子園への思いと自分自身の負傷歴

MAX163キロの大船渡高校・佐々木朗希投手が高校野球岩手県大会決勝で監督の判断からケガの防止のために登板回避し、敗退した一件をめぐっては、プロ野球解説者の張本勲氏が世間の批判にさらされている。出演番組『サンデーモーニング』(TBS)で、「絶対に投げさすべき」「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ」などと根性論的な発言をしたためだ。

近年のスポーツ界では、「選手ファースト」の考え方が一般的になっている。そんな中、あのような発言をすれば、批判されるのも無理はない。

ただ、私自身は、張本氏の経歴からして、あのような意見になるのは当然だと思うし、張本氏の意見も1つの意見として尊重されるべきだと考えている。

◆理不尽な形で甲子園出場の望みを絶たれた高校時代

 
『誇り 人間 張本勲』(著・山本徹美/1995年講談社)。不屈の半生が詳細に綴られている

張本氏の経歴の中で、まず見逃せないのは、高校時代に甲子園を目指しながら理不尽な形でその望みを絶たれたことだ。

張本氏は広島市の公立中学を卒業時、地元の野球名門高校である広島商業か、広陵高校への進学を希望し、学業成績からして合格確実とみられていたが、まさかの不合格。野球があまり強くない地元の高校にいったん進学したが、甲子園出場の夢を諦め切れず、大阪の野球強豪校である浪華商業へ転校した。この野球留学では、兄と姉が生活を切り詰め、学費をねん出してくれたという。

しかし、転校してしばらくすると、浪華商業の野球部は不祥事のため、1年間の対外試合禁止処分に。最上級生になってからも、部内で暴力事件が起きた際、濡れ衣を着せられて休部処分を受け、チームは夏の甲子園に出場したのに、張本氏は出場できなかったのだ。

張本氏は、「サンデーモーニング」で次のように述べていた。

「1年生から3年生まで必死に練習してね、やっぱり甲子園が夢なんですよ。私らの時代はね、夢が欲しくてね、小雨の降る路地で泣いたこともあるんです。耐えて、耐えて」

張本氏としては、甲子園に出られるチャンスがありながら、それを自ら手放すに等しい行為は理解できなかったのだろう。

◆野球ができなくなるほどの負傷を2度乗り越えた

張本氏の経歴でもう1つ見逃せないのは、自分自身の負傷歴だ。

張本氏の利き手である右手は、幼い頃に負った火傷の後遺症で、小指と薬指、中指がくっついた状態だ。そのため、中学で野球を始めた時、投手を希望したものの、満足にボールが投げられなかった。しかし、張本氏はそれでも投手を諦めず、左投げを練習してマスターし、四番投手として県大会で優勝するまでになったのだ。

だが、そこまで努力し、左投手として頭角を現しながら、張本氏は高校時代、今度は左肩を故障してしまう。浪華商業のOBである立教大学の捕手がぶらりとグラウンドにやってきて、「受けてやろう」と言われたので、張り切って投球練習をしたのが原因だ。気づけば、300球近くも投げ込んでしまい、左肩を壊してしまったのだ。

「野球をやるからには四番で投手」と考えていた張本氏は、この負傷をした当初、野球をやめることまで考えたという。しかし、監督から「お前には並外れた打撃力があるやないか」と励まされ、奮起。猛練習により、打者として大成したのだ。

このように張本氏は野球自体ができなくなるような大きな負傷を繰り返しながら、その都度諦めずに乗り越え、3000本安打という偉業を成し遂げた。この成功体験がおそらく、「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ」という言葉の背景にあるのだろう。

そうはいっても、佐々木投手が張本氏と同じ道を歩む必要はまったくないし、むしろ、大船渡高校の監督が教え子の将来性を考え、登板回避させたのは英断だと思う。だが、スポーツ選手はどんなに細心の注意を払っても、選手生命を失うようなケガをすることもある。そういう時、心に刺さるのは、「ケガをさせないことを第一に考える人の言葉」より、「ケガを乗り越えた先人の言葉」だと思う。

だから、張本氏の意見も1つの意見として尊重されるべきだと私は考える。

※参考文献:『誇り 人間 張本勲』(著・山本徹美/講談社)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が8月22日発売。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

8月15日に際して あの時代といま、人間のどこが進歩しているのか?

人間(文明)が時間(歴史)とともに「進化」、「進歩」しているという「希望的妄信」は21世紀に入り、より一層怪しくなってきているのではないか。人間が生み出す科学技術は思想をもたないから、従前の蓄積を破棄したり無化することなしに新たな技術が開発される。しかし科学技術の新たな開発は人間の「進化」や「進歩」とはまったく関係ないどころか、人間の退行を引き起こす。

◆技術の進歩と人間の退行

インターネットがあれば、たいがいの疑問や情報を瞬時に得られるが、これは個々の人間の能力が向上したのではなく、「自ら体を使って調べる」行為からどんどん離れて行っていることを意味する。英単語の意味を調べるのには、英和辞書を開き、意味の分からい単語をページを繰りながら探す行為が当たり前だった。面倒くさいといえば面倒には違いないけれども、単語を探す過程で、「この単語のあとのページにあるのか。熟語ではこう用いられるのか。なんだ! 前にも調べていたじゃないか」という「回り道」を経験された方は少なくないであろう。あの「回り道」の時間こそが有機的に知識を広げるためには不可欠な「学び」の手順であり、それゆえ身に着くものが付加的に生じていたのだ。

日々の事務仕事でも同様だった。同じ作業をこなすけれども、どうやったら時間をかけずに完了できるか、効率の良い方法はないものかと知恵を絞るのが、個々の脳に対する刺激であり、設問であった。

デジタルが席巻したように思われる、こんにちの社会ではそのような作為が「無駄」と不当に評価される。義務教育でも持ち込みが許される電子辞書の利用は、確実に生徒の頭脳の低下を招いているし、スーパーコンピュータの演算速度が1000倍になっても会社員の残業は減らない。

おかしいじゃないか。そろばんを使って計算していた時代の1億倍の演算処理能力を皆が目の前のパソコンに持っているのだから、定型業務は1億分の1とは言わないけれども、仕事にかかる時間はなぜ激減しないのだ。

猛暑で頭がどうかしてしまったから、ボヤキ漫才のように愚痴をならべているのではない。科学技術の進歩が誘因する「人間の退行」の惨状を直視すると、「あなたたち、これでいいんですか?」と問わざるを得ないのだ。

◆わかりきっていることを発信できない、発言できない

米国では毎年何度も学校や人込みでの「銃乱射事件」が発生する。そのたびに紋切り型の報道がこの島国の新聞などでもなされる。

馬鹿じゃないかと思う。

兵器産業と政権が結びつき、戦争を筆頭とする定期的な兵器の棚卸と、小売りを続けなければ収支が持たない。「米国」という国家の犯罪性に切り込むことなしに、「銃乱射事件」を止めることなどできないことがどうしてわからないのだ。「銃乱射事件」実行犯の出自や日頃の言動をほじくりだしてなにがわかる。簡単に銃器が入手できる社会病理を「民主主義国」の擬態を被った米国が演じている欺瞞を撃たずに、何が解消するというのだ。

わかりきっていることを発信できない。発言できない。言わない。これが人間の退行でなくてなんだというのだ。この島国には「忖度」という便利かつ恥ずかしい文化がある。諸悪の根源であるとわたしは確信するが、世界は表層のホコリや汚れ、葛藤が拭き取られたように「報じられて」いるけれども、その実、人間の退行は恐ろしい速度で進行してはいまいか。

◆「戦争にルールがある」という違和感

被害者がかつての加害者に、同様あるいはそれ以上の暴虐をはたらく。こんなもの正義でもなんでもないだろう。イスラエルのパレスチナへの暴虐を許容する世界は19世紀のそれと変わらない。20年近く自宅軟禁や逮捕の憂き目にあっていたアウンサンスーチーは軍政とテーブルの下で取引を終えると、途端に少数民族弾圧に手を付けた。よくぞ騙してくれたな(騙されたわたしが馬鹿だったのだ)。「人々の夢を実現するのがわたしの仕事です」の言葉で、それ以前に感じたことのない感動を感じたわたしが馬鹿だったのか、変節した彼女が卑劣なのか。

侵略の歴史を、なにもなかったように横においておいて、韓国攻撃に嬉々とする安倍を中心とする「帝国主義」の復活勢力と、それに便乗する産経を筆頭とするマスコミと庶民。そこにあるのは、第二次大戦中に「国家の一大事」だからと進んで「大政翼賛会」を構成した社会大衆党(自称無産者政党であった)と強圧ではなく、みずから進んで「満州事変」に歓喜した厚顔無恥な大衆の姿もあった。

あの時代といま。人間のどこが進歩しているといえるのだろう。昨年までは「仮想敵国」であった朝鮮が飛翔体を発射したら「Jアラート」なる警報を鳴らし、分別のありそうな大人が「避難訓練」までしていた。あの偽りの危機感はどこへ行ったのだ。朝鮮は最近でも飛翔体を打ち上げているではないか。それでも去年までとはうってかわって、安倍はゴルフに興じている。おかしいだろう。わたしがおかしいのであれば、下段にメールアドレスを明記しているのでご指摘いただきたい。

そして最後に、かねがね疑問であったことを初めて書く。それは「戦争にルールがある」ことである。戦争=殺し合いにルールがあることにわたしはいたく違和感を感じ続けている。捕虜の扱いに関するジュネーブ条約。宣戦布告を戦争開始と定めた不可思議な国際法。これらはいずれも「戦争が起こる」ことを前提に(良心的に理解すれば、その被害を最小にとどめるよう)結ばれた国際法だ。

つまり、国際法は「戦争」という究極の野蛮行為が、「起こり続けること」を是認しているのだ。はたしてこれが「理性」だろうか。真っ当な神経だろうか。なにがあっても「戦争だけは起こさせない」との至極当たり前の前提に2019年8月15日世界は遠く及んでいない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
創刊5周年〈原発なき社会〉を目指して 『NO NUKES voice』20号【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

【カウンター大学院生リンチ事件】金良平氏よ! M君に賠償金を払え!

《6月12日、リンチ被害者M君が5名を訴えた上告について、却下の連絡が代理人の大川伸郎弁護士へあった。賠償を命じられた李普鉉氏からは「賠償金を支払いたいので口座を教えてくれ」と代理人から連絡があった。一方金良平氏からは何の連絡もないので、大川弁護士は金良平氏の代理人に「賠償金の支払い」を求める旨と、大川弁護士の銀行口座明細を記載したFAXを送付したが、7月2日現在大川弁護士には、金良平氏の代理人から何の連絡もないという。》

ここまでは7月3日、本通信でお伝えした。その後さらにM君はがっかりさせられる経験に直面した。7月10日付で金良平氏の代理人、姜永守弁護士から、一方的に「分割払い」を前提とした「合意案」の提案がなされたのだ。その詳細は明らかにしないが、なんと月にわずか5万円の支払いで、2021年までかけて弁済をするという、身勝手極まりないものであった。

M君と支援会は即座に対応を検討し、「こんな我が儘は取り合えない」で速やかに一致した。7月12日にM君代理人の大川伸郎弁護士から姜弁護士に対して、「『分割払い』にするのであれば、姜永守弁護士が連帯保証人に就任することを条件にする」との逆提案をおこなった。ところが、姜弁護士は日弁連の定めた「弁護士職務基本規定」を盾に連帯保証人への就任を断る回答を返してきた。

「弁護士職務基本規定」は法律のような響きがあるが法律ではなく、日弁連が定めた、いわば「ガイドライン」のようなものである。そこには代理人就任した依頼者の保証人には就任しないほうが良い、という趣旨の文章は確かにある。しかし、法的には姜弁護士が金良平氏の連帯保証人になることは何ら問題はない。

代理人に就任したのであれば、どうして最後まで責任を取らないのだ、と姜弁護士には強く聞きたいところである。そこで取材班は姜弁護士の所属する「ポプラ法律事務所」に電話取材を試みた。ところが電話をかけ、鹿砦社を名乗ると、「姜弁護士は事務所にいる」と言いながら電話をつながず、事務員と思しき女性が氏名や電話の目的などを事細かく聞いてくる。

保留音のあと「この件ではお答えできません」とふざけたことを言うので「あなたは、わたしの個人情報と取材目的を聞きながら電話を繋ごうとしない。そんな不誠実な態度は社会的に容認されるものではない。すぐ姜弁護士に繋いでくれ」と要請すると、ようやく姜弁護士が電話口に出てきた。が、姜弁護士に何を質問しても「答えられない」の一点張りでまったくらちが明かない。挙句「話すことはないから切ります」と一方的に電話を切られた。

こういう対応をしているから、しばき隊関係者は社会的信用を失っていくのだ。争いの当事者であろうがなかろうが、一定の社会的関心が持たれている事件の、鹿砦社はいわば「告発者」である。警戒する気持ちは分からぬではないが、われわれは「M君リンチ事件」で無理難題を求めてきたことはない。この日の電話のテーマだって、通常は考えられない「賠償金の分割払い」を提案してきた非常識に対して常識的な質問をしようとしていただけである。どうして逃げるのだ! 姜弁護士!

そして姜弁護士が、「弁護士職務基本規定」を盾に取り、連帯保証人就任に難色を示すのであれば、金良平氏の代理人ではないが、鹿砦社を目の敵にする神原元弁護士が連帯保証人に就任すればよいではないか。下記写真の通り、一審判決の直後に「敗訴しながら祝勝会」を開くほど近しい中である。「エル金は友達」という不思議なツイッター上での印象操作も過去あった。「友達」だったら、困ったときには助けてあげるのが筋じゃないのか。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)

あるいは事件後すぐに100万円でM君に刑事告訴を断念させようと、金を出した伊藤大介氏でも構わない。もちろん李信恵氏や、事件が「なかった」「喧嘩はあったけどリンチはなかった」と繰り返した中沢けい氏や、国会議員の有田芳生氏でも構わない。金良平氏が賠償金の「分割払い」を求めるのであれば、だれかが連帯保証人になることを真剣に検討する気が、どうしてわかないのであろうか。

それ以前に、たかが100数十万円の金である。なぜ金良平氏に貸したり、カンパでこんなはした金が集まらないのだ。金良平氏を早く「リンチ事件の債務者」という縛りから解放してあげようと思う人間はいないのか。

取材班は「しばき隊は嘘つきである」証拠を山ほど探し当ててきたし、直接対話でも経験しているので、彼らは結局、金良平氏の負債を「無きものにしよう」、「M君への賠償支払いを無きものにしよう」と良からぬ合議を済ませているのではないかとの疑いが強まる。その論の延長には、恐ろしいことであるが、金良平氏は「いてもらっては困る存在」という将来像が浮かび上がってくる。

よいか! 金良平氏よ! あなたは、しばき隊から「面倒扱い」されたある「男組」関係者がどのような結末をたどったか、知らぬわけではあるまい。金良平氏よ! あなたは証人尋問の際、M君に頭を下げて詫びたではないか。「友達」や弁護士が頼りにならないのであれば昼夜働いてでも、一刻も早く賠償金をM君に支払うのが、あなたの将来のためでもある。

鹿砦社は「ケジメ」をつけた一般人をしつこく追いかけたりはしない。金額には不満だが、裁判所が金良平氏に支払いを命じた金員をM君に支払えば、金良平氏に対する言及を行う必要は、基本的には消滅する(また違う悪さに手を染めれば別であるが)。しかし、そうでなければ、金良平氏、並びにその周辺にいる「エル金は友達」であったはずの連中が、どれほど悪辣な嘘つきであるかを、指弾し続けなければならない。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

(鹿砦社特別取材班)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

「表現の不自由展・その後」をめぐる責任の所在 ── 不適格なのはどっちだ! 政府の意向に沿わない表現が許されないなら、中国や北朝鮮とどこが違うのか?

大阪府の吉村洋文知事が8月7日の定例記者会見で、愛知県の大村秀章知事について「辞職相当だと思う」などと批判した。ネトウヨの脅迫によって、中止に追い込まれた企画展「表現の不自由展・その後」の責任を追及してのことだ。なぜ極右の脅迫(威力業務妨害)を批判しないで、大村県知事への批判になるのか。このあたりに、言論に自由をめぐるわが国の危機が顕われている。

周知のとおり、企画展をめぐっては、慰安婦を表現した少女像や昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などが展示され、ネトウヨの脅迫に屈するかたちで展示中止となった。すでにネトウヨの一人が逮捕されている。愛知県警によると、逮捕された堀田容疑者は8月2日、会場がある愛知芸術文化センター内のファクスに、企画展に展示されていた慰安婦を表現した少女像について「大至急撤去しろや、さもなくば、うちらネットワーク民がガソリン携行缶持って館へおじゃますんで」などと記した文書を送り、展示の一部を中止させるなどして業務を妨害した疑いがあるというものだ。こういう輩は厳罰に処すべきであろう。

ところで、「表現の不自由展」を問題視したのは、ネトウヨだけではない。河村たかし名古屋市長、日本維新の会代表の松井一郎大阪市長、吉村洋文大阪府知事も展示会を批判していたが、ついに上記のとおり大村県知事に「辞職相当」などと的外れな批判をしたものだ。


◎[参考動画]「辞職相当」「哀れだな」大村愛知県知事と吉村大阪府知事がお互いを批判(CBCニュース 2019/8/8公開)

◆反日には表現の自由がない?

吉村市長は定例記者会見で、少女像などの展示について「反日プロパガンダ」だと指摘したという。「愛知県がこの表現行為をしているととられても仕方ない」と述べ、公共イベントでの展示は問題だとの認識を示した。また、大村氏が展示内容を容認したとして、「愛知県議会がこのまま知事として認めるのかなと思う。知事として不適格じゃないか」と語ったというのだ。

ようするに、反日的な表現は「表現の自由」と認めない。公共の場では、政府の意向をうけた、日本賛美の表現しか許されないというのだ。ネトウヨおよび極右政治家たちのとんでも発言ばかり聞いていると、うっかりわれわれも不感症になりそうなので、大村県知事の反論を引用しておこう。

河村たかし名古屋市長から届けられた「『表現の不自由』という領域ではなく日本国民の心を踏みにじる行為であり許されない。厳重に抗議するとともに中止を含めた適切な対応を求める」という文書および、杉本和巳衆院議員(維新の会)から出されていた「不適切」として中止を求める要望書について、自分の考えを述べたいとして、こう語ったという(8月5日の会見から)。


◎[参考動画]【報ステ】中止された『表現の不自由展』に抗議の声(ANNnewsCH 2019/8/7公開)

◆憲法21条の精神を体現する大村知事

「河村さんの一連の発言は、私は憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか、というふうに思っております。憲法21条はですね、『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する』『検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない』というふうになっております。このポイントはですね、国家があらかじめ介入してコントロールすることはできない。ようは既存の概念や権力のあり方に異論を述べる自由を保障する。公権力が思想内容の当否を判断すること自体が許されていないのです」

じつに真っ当な批判、憲法認識ではないか。河村市長・杉本議員の申し入れはあきらかに権力による検閲行為なのだ。

大村知事はさらに「表現の自由」の原則を無視した発言が相次ぐ世論に対しても、このように反論した。

「最近の論調で、いわゆる税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだということをですね、ネットでいろんな意見が飛び交っているのはこれは匿名の世界ではいいかもしれませんが、いろんな報道等でコメンテーターの方がそういうことを言っておられる方がいるようですが、逆ではないかと思いますね。これは行政、国、県、市、公権力をもったところだからこそ表現の自由は保障されなければならない、と思います。というか、そうじゃないんですか? 税金でやるからこそ、公権力であるからこそ、表現の自由は保障されなければいけない。わかりやすく言うと、この内容は良くて、この内容はいけない、ということを公権力がやるということは、許されていない、ということではないでしょうか」

これまた、じつに真っ当な意見ではないか。公共の場でこそ、表現の自由は保障されなければならない。さらに大村知事は言う。

「いちばん酷いのはね、国の補助金もらうんだから国の方針に従うのは当たり前だろう、というようなことを平気で書かれているところがありますけど、みなさん、どう思われます、それ? ほんとうにそう思います? わたし、まったく真逆ではないかと思いますよ? 税金でやるからこそ、むしろ憲法21条はきっちりと守らなくてはいけないのではないでしょうか。この数日間、ちょっと待てよ。とつらつら考えて、非常に違和感覚えております」「裁判をやれば、河村さんの主張は負けると思いますよ」

権力にこびる現在の裁判所が、展示会を中止に追い込んだ政治勢力およびネトウヨを憲法違反とするかどうかはともかく、公共の場にこそ表現の自由は保障されなければならない。これが憲法21条の精神なのだ。そして自由な表現が国と行政によって保障された社会こそ、民主主義社会なのである。わが国の近隣には、反共と反日を国是とした国があり、血統による王朝が支配する国もある。自由社会に犯罪者引き渡しをもとめる、一党独裁の巨大国家もある。だからこそ、少なくとも表現の自由においては、国家と行政がこれを保障する必要があるのだ。


◎[参考動画]液体、脅迫FAX・・・「表現の不自由展」巡り逮捕相次ぐ(ANNnewsCH 2019/8/8公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

「上級国民」の顕在化 ── 奇妙奇天烈な小泉進次郎の結婚発表

自民党の次世代のリーダーらしいな、と思った方もおられるかもしれないが、常識で考えれば、まことに異様・珍妙な光景である。ひとりの政治家が、相手がタレントとはいえ「出来ちゃった婚」の報告で官邸をおとずれ、官房長官と総理大臣にその報告をして、おおいに祝福されたというのだ。しかもマスコミが国民的な関心をあおり、全国放映するという異様な光景だ。かれは特別な階級に属する、国民が注目するべき貴人なのだろうか? 小泉進次郎は国会議員とはいえ、ふつうの国民ではないのか?

いや、かれはふつうの国民ではない。上級国民なのだから──。

今回のパフォーマンスには、小泉進次郎がこれまで石破茂を総理候補として支持してきた(地方・農業政策は石破茂と一致している)ことから、安倍総理への宗旨替えを表明させたものと見られている。いうまでもなく、それをさせたのは菅官房長官であるが、今回はそれに触れるのは禁欲しておこう。

◎[参考動画]総理「令和の幕開けに相応しい」進次郎氏“結婚”で(ANNnewsCH 2019/8/7公開)

今回の「結婚」をだれもが祝福している、かのような報道もその報じ方の視点も、この国の異様さを顕している。とはいえ、だれもが「上級国民」というわけではないのだ。菅官房長官の「かれは入閣するのがいい」という発言に、猛反発が起きている。当り前だろう。特権者のように官邸を私物化し、下々の者はおおいに祝えというような演出に、反発が起きないわけがない。それは保守やリベラルを問わず、この国に定着しつつある「上級国民」への反発なのだ。あるニュースサイトは、以下のように伝えている。

「祝福ムードが盛り上がったばかりの進次郎氏だが、このタイミングでの『入閣打診』には、保守派からもネット上で怒りや疑問の声が殺到。また、進次郎氏の『過去の仕事ぶり』も槍玉に挙げられており、『国会で質問ゼロだったくせに』『これは出来レースだろ』『つまり解散が近いということか』『笑わせるな』『ご祝儀入閣やめろ』といった批判的な声が多く挙がっている。」(「まぐまぐニュース」総合夕刊版8月9日)これが「下層民」の率直な感想なのだ。

◆上級国民(Upper Class Nation)とは?

ところで、この「上級国民」という言葉は、社会に定着しつつあるようだ。わたし流に定義すれば、利権をともにする人脈・ネットワーク、および血縁やお友達関係を媒介にした利権の形成、さらにはかれらを国家権力が忖度する強固な階級の出現。こんなところだろうか。以下、解題していく。

日本の衆議院議員は、170人が世襲(地方議員・首長をふくむ)である。じつに3分の1が世襲なのだ。自民党の国会議員の40%が世襲議員だ。これはすでに、上級国民と呼ぶにふさわしい、政治家の血流があると言うべきであろう。第二次安倍内閣の閣僚世襲率は50%である。地盤・看板・鞄(カネ)をもって、議員の条件だとすれば、借金もふくめて世襲する日本の政治家はある意味で構造的なものなのかもしれない。けれども、血族で政治をまわしていくのは、王朝と呼ぶにふさわしい。世襲議員たちはそれぞれ利権を独占する地域王朝なのである。

たとえば、麻生太郎と鈴木善幸(その息子は鈴木俊一)は縁戚である。そして武見太郎(生前は医師会会長・その息子は武見恵三)とも縁戚である。さらには三笠宮寛仁親王とも縁戚である。過去にさかのぼれば、大久保利通・三島通庸の血を引く家系でもある。いうまでもなく、戦後の大宰相・吉田茂がかれの祖父である。そもそもかれは、麻生財閥の御曹司である。

たとえば、安倍晋三の祖父は岸信介であり、その弟は佐藤栄作である。吉田茂とおも遠い縁戚であるから、麻生太郎と遠い親戚なのである。財界の総帥・牛島治朗(ウシオ電機創業)とも縁戚である。先祖をさかのぼれば井上馨、松岡洋祐にたどりつく。麻生太郎と安倍晋三にかぎらず、日本の政治家は一族・血脈で政治を生業にしてきた。高級官僚・財閥一族も同じく利権を牛耳るという意味で、同様に一族と血脈で支配を独占してきたのだ。これを上級国民の基幹とみなすことができる。そして、それに何らかの縁で連なる学者や芸術家たち。

ちょうど、上級国民をタイトルに戴いた新刊が出ているので、おおいにこの言葉を流行らせる意味で、言葉の成り立ちから紹介しておこう。著者が版元にことわったうえで、ネットに掲載した橘玲『上級国民/下級国民』(小学館新書2019年8月)「著書の前文」からである。

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橘玲『上級国民/下級国民』(小学館新書2019年8月)

2019年4月、東京・池袋の横断歩道で87歳の男性が運転する車が暴走、31歳の母親と3歳の娘がはねられて死亡しました。この事件をめぐってネットに飛び交ったのが「上級国民/下級国民」という奇妙な言葉です。

事故を起こしたのは元高級官僚で、退官後も業界団体会長や大手機械メーカーの取締役などを歴任し、2015年には瑞宝重光章を叙勲していました。

たまたまその2日後に神戸市営バスにはねられて2人が死亡する事故が起き、運転手が現行犯逮捕されたことから、「池袋の事故を起こした男性が逮捕されないのも、マスコミが“さん”づけで報道しているのも「上級国民」だからにちがいない」「神戸のバス運転手が逮捕されたのは「下級国民」だからだ」との憶測が急速に広まったのです。

すでに報じられているように、男性が逮捕されなかったのは高齢のうえに事故で骨折して入院していたからで、メディアが“さん”づけにしたのは“容疑者”の表記が逮捕や指名手配された場合にしか使えないためですが、こうした「理屈」はまったく聞き入れられませんでした。

2019年5月には川崎市で51歳の無職の男が登校途中の小学生を襲う事件が起き、その4日後に元農水事務次官の父親が自宅で44歳の長男を刺殺しました。長男はふだんから両親に暴力をふるっており、事件当日は自宅に隣接する区立小学校の運動会の音に腹を立てて「ぶっ殺すぞ」などといったことから、「怒りの矛先が子どもに向いてはいけない」と殺害を決行したと父親は供述しています。

この事件を受けて、こんどはネットに困惑が広がりました。彼らの世界観では、官僚の頂点である事務次官にまでなった父親は「上級国民」で、自宅にひきこもる無職の長男は「下級国民」だからです。

「上級国民」という表現は、2015年に起きた東京オリンピックエンブレム騒動に端を発しているとされます。

このときは著名なグラフィックデザイナーの作品が海外の劇場のロゴに酷似しているとの指摘が出て、その後、過去の作品にも盗用疑惑が噴出し大きな社会問題になりました。

その際、日本のグラフィックデザイン界の大御所で、問題のエンブレムを選出した審査委員長が、「専門家のあいだではじゅうぶんわかり合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね」などと発言したと伝えられました。

これが「素人は専門家に口答えするな」という「上から目線」として批判され、「一般国民」に対して「上級国民」という表現が急速に広まったとされます(「ニコニコ大百科」「上級国民」の項より)。

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このように当初は「専門家/非専門家」を表わすネットスラングだったものがいつの間にか拡張され、池袋の事故をきっかけに、「日本社会は上級国民によって支配されている」「自分たち下級国民は一方的に搾取されている」との怨嗟(ルサンチマン)の声が爆発したのです。

下級国民という言葉まで反語として定義されているが、ここでは一般国民といったほうが適切であろう。下級国民がかつてのプロレタリアート(労働者階級)のように、賃金労働者が階級意識に目覚める、あるいは階級形成するという側面をいまだ持ちえないからだ。むしろ本工労働者とプレカリアート(非正規雇用者)という範疇からならば、ロスジェネや引きこもりもふくめた、現代社会の基本矛盾が顕在化するように感じられる。上級国民という言葉は、おおいに使われるべきであろう。今回の小泉進次郎の行き過ぎたパフォーマンス、総理官邸における奇妙奇天烈な結婚報告が、はしなくも現代日本の基本矛盾を露呈したように――。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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ムエタイオープン45、次なる大舞台へ繋げるか、3つのタイトル戦!

上原真奈が圧倒的に攻める

NOWAYは昨年7月22日に獲得した王座の初防衛成る。馬木愛里と、女子の上原真奈が新たに王座獲得。でもまだまだ中間点の国内下位王座である。

8月18日開催の「KNOCK OUT」興行へ、出場予定選手5名(ぱんちゃん璃奈、今村卓也、安本晴翔、与座優貴、壱センチャイジム)の紹介がありました。このイベントは国内トップ選手が集結する中、皆、「いちばん目立つ良い試合したい」と、ほぼ共通したトップ争いとともに、そこには選ばれてビッグイベントのリングに立つことへの責任感を持つ意識がありました。

各プロモーターが独自路線を行く、世間からは知られ難い小さな興行から、それぞれの兵が選抜されて、大企業がスポンサーとなり、テレビ局が取り上げるほどのビッグイベントのリングに上がり、名を売るパターンが定着した現在。その大舞台を目指す前段階のひとつ、MuayThaiOpenでも、壱(いっせい)は完勝して、このビッグイベント「KNOCK OUT」へ出場し、火出丸(クロスポイント吉祥寺)と対戦予定。

この日、本場タイの二大殿堂のひとつのルンピニースタジアム管轄下となる、ルンピニージャパンの、更に下部となるMuayThaiOpenタイトルを獲得した馬木愛里と上原真奈も、当然更なる上位とビッグイベント出場を目指すことでしょう。

◎MuayThaiOpen45 / 2019年7月28日(日)新宿フェース16:00~20:05
主催:センチャイジム / 認定:ルンピニージャパン(LBSJ)

圧倒する壱だが、ミンクワンも逃げ技のひとつ

◆第12試合 54.0kg契約3回戦

LBSJバンタム級チャンピオン.壱センチャイジム(センチャイ/53.85kg)
   VS
ミンクワン・チュンクエージム(タイ/53.9kg)
勝者:壱(=いっせい)センチャイジム / 判定3-0 / 主審:河原聡一
副審:北尻30-29. 少白竜30-28. 神谷30-28

ミンクワンは下がり気味に、壱(=いっせい)の出方を窺がいながら、接近戦ではヒジをタイミングよく振って来たり組んで転ばそうとして、さすがにムエタイテクニックに長けているが、壱は積極的にパンチと蹴りで前進してミンクワンをロープに追い詰める展開が続き、攻撃力で圧倒し判定勝利を掴む。

先手を打ったり打ち終わりを狙ったり、壱の攻めは強かった
ロープ際でパンチを打ち込む壱

◆第11試合 MuayThaiOpenフェザー級タイトルマッチ 5回戦

左ストレートを打つNOWAY

チャンピオン.NOWAY(NEXTLEVEL渋谷/57.05kg)
   VS
千羽裕樹(スクランブル渋谷/57.1kg)
勝者:NOWAY / 判定3-0 / 主審:田中浩明
副審:河原49-47. 少白竜49-47. 神谷49-48

千羽がローキックを蹴ってきても、奥足へ強く蹴り返すNOWAY。更に手数多く攻める勢いが上回ると、ヒジ打ちで千羽の額を切ることにも成功。

千羽も突破口を開こうとアグレッシブに打ち合いに出るが、NOWAYは冷静にかわし、攻勢を維持したまま判定勝利し、初防衛成功。

常に前進し続けたNOWAYの左ミドルキック

◆第10試合 MuayThaiOpenウェルター級王座決定戦 5回戦

最後の前蹴りでセーンケンのボディーを突き刺す

馬木愛里(岡山/66.2kg)vsセーンケン・ポンムエタイジム(タイ/66.0kg)
勝者:馬木愛里 / TKO 2R 0:56 / 前蹴り、カウント中のレフェリーストップ
主審:北尻俊介

1ラウンドから馬木愛里がハイキック、ローキックのけん制から突き刺すような前蹴り主体で様子を探り、パンチと蹴りの交錯の中、セーンケンは馬木の威力に圧されたまま。前蹴りはかなりプレッシャーを与え、セーンケンは表情に表れずもボディーがやや効いた様子。

第2ラウンドには馬木愛里は狙いを定めたか、再び強い前蹴りをボディーに突き刺すと、セーンケンは耐え切れず倒れ込み、レフェリーがカウント中にストップした。

前蹴りでセーンケンを突き放す馬木愛里
堪らず倒れ込んで追い討ちかける馬木、割って入る北尻レフェリー
まだ通過点の馬木愛里、まだ上位を目指すのは当たり前

◆第9試合 ライト級3回戦

下東悠馬(TSKJapan/60.9kg)vs亜努(新宿スポーツ/63.4kg)
勝者:下東悠馬 / 判定3-0 / 主審:神谷友和
副審:河原29-28. 北尻30-28. 田中30-28

亜努が2.17kgオーバーにより試合中止が検討されるも、特別ルールで行なわれることになった模様。試合は手数足数多いが、強烈なヒットは無い緩やかな攻防の末、順当に下東悠馬が判定勝利。

◆第8試合 スーパーフライ級3回戦

バンサパン・センチャイジム(タイ/51.55kg)vsMASAKING(岡山/51.65kg)
引分け0-1 / 主審:少白竜
副審:神谷29-30. 北尻29-29. 田中29-29

◆第7試合 スーパーフライ級3回戦

白幡裕星(橋本/51.8kg)vsペットウボン・チュンクゥエージム(タイ/51.85kg)
勝者:白幡裕星 / 判定3-0 / 主審:河原聡一
副審:神谷30-29. 北尻29-28. 少白竜30-29

◆第6試合 ウエルター級3回戦 

高木覚清(岡山/66.55kg)vs斎藤敬真(インスパイヤード・モーション/65.85kg)
勝者:高木覚清 / KO 1R 2:26 / 3ノックダウン / 主審:田中浩明

◆第5試合 スーパーバンタム級3回戦 

稔之晟(TSK・Japan/54.55kg)vs森岡悠樹(北流会君津/55.1kg)
勝者:稔之晟 / 判定2-1 / 主審:北尻俊介
副審:田中30-29. 河原29-28. 少白竜29-30

◆第4試合 MuayThaiOpen女子ピン級(100LBS)王座決定戦 5回戦(2分制)

上原真奈(NEXTLEVEL渋谷/45.3kg)vsミレー(ペルー/HIDE/45.35kg)
勝者:上原真奈 / 判定3-0 / 主審:神谷友和
副審:田中49-48. 河原49-48. 北尻49-48

上原が積極的に出て、徐々にパンチと蹴りが増していき、ミレーも諦めない打ち合いに出るが、僅差ながらも展開は上原真奈が攻勢に攻め続け王座獲得。

諦めないミレーとの攻防が続く

◆第3試合 女子フライ級3回戦(2分制)

ルイ(クラミツ/50.5kg)vsRAN(MONKEY☆MAGIC/50.55kg)
勝者:ルイ / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:田中30-28. 神谷30-28. 北尻30-28

◆第2試合 62.0kg契約3回戦 

加藤雅也(TSK・Japan/61.5kg)vs飯島直己(キック・フィットネスOZ/61.7kg)
勝者:飯島直己 / 判定0-2 / 主審:河原聡一
副審:少白竜29-29. 神谷29-30. 北尻28-29

◆第1試合 フェザー級3回戦

山下勝義(クラミツ/56.9kg)vs青木大(キック・フィットネスOZ/56.85kg)
勝者:青木大 / TKO 1R 2:24 / ハイキックでダウン後、右ストレートから連打、ノーカウントのレフェリーストップ / 主審:田中浩明

初防衛し、協力者や応援団に感謝を述べるNOWAY

《取材戦記》

NOWAYは本名の井上の頭の“イ”を後ろにもっていくと“ノウエイ”となることから、バンドマン時代のこのアーティストネームを使っているという。

昨年7月にヒジ打ちTKO勝利でチャンピオンとなり、ベルトを巻いてもらう時、センチャイプロモーターに、「ベルトに相応しいムエタイ戦士になる」と約束したという決意が今回もアグレッシブな前進とヒジ打ちを見せた38歳NOWAYの成長。

日本の統一した王座が存在しない中、この日本国の下部タイトルとしか言えない国内王座は10以上(認定組織)。ひとつの団体で2段階に分かれた上位と下位の王座や、ルール分けした王座があるのはもう異常な状態。

その中で強者を集結させた「KNOCK OUT」のようなビッグイベント興行が幾つか存在するが、段階的に目標となるものが存在して盛り上がることは、昭和の低迷期には想像できない世界が広がっている訳で、時代を経たキックボクシング界の成長なのでしょう。しかし、決して順風満帆とはいかない業界であることは確かなキックボクシング界である。

MuayThaiOpen.46は9月29日(日)新宿フェースにて開催されます。

センチャイジムの若きエース、壱はKNOCK OUT出場

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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税金7億5000万円で建てたあいりん総合センター仮庁舎が開業2ケ月で雨漏り…… 手抜き工事で暴かれる大阪維新と南海電鉄の危険な癒着

◆センター仮庁舎の雨漏りが、どうにも止まらない!

JR新今宮駅前に建つ「西成あいりん総合センター」(以下、センター)は、建て替え工事に伴い、隣接する南海電鉄の高架下に仮庁舎が作られた。その仮庁舎で思わぬ事態が起きている。3月11日の開業からわずか2ケ月で、天井などから雨漏りが始まったのだ。

センター仮庁舎、開業2ケ月で雨漏りが
雨漏りで天井板がはがれた?

5月21日、前日に降った大雨のせいで出来た天井板の大シミを労働者が見つけた。朝には、床に水溜まりもできていたという。シミの付いた天井板は、その日に取り替えられた。

そして同じ場所の天井板が、7月16日、ついにはがれた。夕方には早々と補修作業が行われたが、急いでいたのか、4メートル以上の高所作業なのに、安全帯も付けていなかった。雨漏りはその後も、どうにも止まらない状態だ。

この件については、8月2日第4回口頭弁論が行われた「センター仮移転にかかわる公金支出損害賠償裁判」でも、弁護団が証拠写真を提出し、今後審議する予定だ。

本来この裁判は、仮庁舎の建設費用に費やされた税金の使われ方に不正がないかどうかを争うものだ。南海電鉄の高架下には、センターにあった「あいりん職安」と「西成労働福祉センター」が別々に仮庁舎を建てたが、本来同規模に作られるはずの両施設について、あいりん職安が解体しやすいプレハブ構造であるのに対し、センターは地下6mに鉄骨を打ち込んだ強固な土台に重量鉄骨を使った構造物であり、その違いは一目瞭然だ。

1平米の単価も、センター仮庁舎の方が約1万円も高い。裁判で「それが何故か?」を審理している最中に起きた今回の雨漏り問題。新たに判ったのは、税金7億5000万円を注ぎ込んだ割には、非常にずさんな手抜き工事が行われていた実態だ。

◆「大地震で倒壊」より先に「雨漏りで天井が崩落」?

裁判所に提出された、南海電鉄高架下のボロボロの柱

センターに「耐震性の問題」があるとされ、建て替えを決めたのは、2014年秋から始まった「まちづくり検討会議」後、非公開の密室で行われている「労働施設検討会議」の中でのことだ。

2006年耐震改修法の改正以降、国と府、市は減築法による耐震改修でセンターを使い続けようと議論を続けていた。

にも関わらず「ええい、建て替えてしまえ」と乱暴に建て替えを決めたのは、当時の市長、橋下徹氏だ。センターは縮小するが、機能は残すと、言っていたのに。仮移転先の候補には、三角公園横のシェルター跡地や、あいりん職安分庁舎跡地があったのに、よりによって創業から80年以上経ち、老朽化が懸念される南海電鉄高架下が選ばれたのである。

高架下の工事は、2017年4月10日から始まったが、5月10日から、連日工事現場わきで抗議と監視活動を続けてきた稲垣浩さん(釜ヶ崎地域合同労組)にお話を伺った。

── 仮庁舎が南海電鉄高架下に決まったとき、「あそこで大丈夫か」という話はありましたか?

稲垣 いいえ。決まった時、ガード下に労働者を押し込めようとする目論みに反対したのは、委員の中で私だけでした。

── 工事が始まって以降、ずっと座り込んで工事を見てきましたが、耐震工事や屋根の防水工事はやっていましたか?

稲垣 老朽化した柱や梁(はり)にはコンクリートが脱落し欠けた部分や、大きな穴があいてる箇所がいくつか見えました。梁のひび割れが、南海本線と高野線を横断している箇所もありました。穴のあいている箇所はモルタルで穴埋めしていました。雨による水漏れの疑いのあるひび割れのあるとこれは、ブリキの水受けを作っていました。耐震工事をしていたようには見えませんでした。

── この間の雨漏りは何が原因と考えられますか?

稲垣 雨漏りの原因は、南海電鉄高架下の梁や床の耐震工事や補強工事をしっかりやっていないことと、私たちの税金7億5000万円を使って建てられた仮庁舎の建物の屋根の防水工事も手抜きしているのではないか、この2点が原因と考えています。

◆なぜ仮移転先に、老朽化した南海電鉄高架下が選ばれたのか?

南海電鉄・難波駅の高架下に出来た「なんばEKIKAN」

それにしてもここまで老朽化した南海電鉄高架下を仮庁舎先にわざわざ選んだ理由は何であろうか?

森友学園のように、利権が絡んでいるからではないのか。

例えばセンター仮庁舎を、使用後解体せずに、同じく南海電鉄難波駅の高架下の「なんばEKIKAN」のような商業施設として再利用するとなれば、儲かるのは南海電鉄だ。

現在大阪市長である松井一郎氏は、かつて住之江競艇場の電気保守管理や物品販売などを独占してきた電気工事会社「株式会社大通」の元代表取締役だったが(現在は実弟が代表)、松井氏がしこたま儲けてきた住之江競艇場を経営する「住之江興行株式会社」も、南海電鉄グループの傘下にある。

これ1つ見ても市長の松井氏らが、いかに南海電鉄とwin-winの関係であることかは明らかだ。

◆困った人、弱った人が最後にたどり着く町が釜ケ崎じゃないのか?

暑いお昼に、冷やした飲み物、冷えピタ、塩アメを持って、野宿する人たちをまわる

真夏を思わず暑さとなった5月25日、センター北側で野宿していた労働者が、熱中症と思われる症状で見つかり、その後搬送先の病院で死亡が確認された。

目の前のセンターさえ開いていたら、冷たい水を飲んだり、ひんやりするコンクリの床に横たわったり、シャワー室で身体を冷やしたりして、助かっていたかもしれない。そう思うと、無念でならない。

このセンター建て替え=センターつぶしに反対する闘いは、4月1日から自主管理が続いていたが、4月24、25日、センターから暴力的に排除され、荷物を勝手に出されて以降も、北側の団結テントを拠点にねばり強く続いている。国や府に対して何度も何度も「センターを開けろ!」「荷物を返せ!」と抗議し、話し合いを要求し続けている。

毎日、冷たいお茶、冷えピタ、塩アメをセンター周囲で野宿する40~50人に配りながら、体調や安否を聞いて回る活動、月曜日の「寄り合い」、トイレ掃除などをみんなで行っている。

◆大阪維新の「都構想」にリンクする「西成特区構想」に反対していこう!

西成の「センター建て替え」=センターつぶしは、大阪維新の都構想にリンクする「西成特区構想」を実現させるためのものだ。JR新今宮駅前の一等地を、なるべく広い更地にし(耐震性に問題のない第2住宅を解体、移転するのもそのためだ)、新たな施設の建設を企むが、「青写真」には、センターとあいりん職安の事務所機能のスペースしかなく、労働者がゆっくり休んだり、仲間と談笑したり、困ったとき頼りになるシャワー室、足洗い場、洗濯場などの機能はない。

「まちづくり検討会議」には「労働センターが駅前にドンとあるときれいにならない」と発言した委員もいる。「野宿者汚い! あっちいけ!」とでもいうのか! これこそが、弱い者虐めの大好きな大阪維新と手を組んで進められる「まちづくり検討会議」の実態だ! 釜ヶ崎のセンター潰しに反対し、大阪維新の「西成特区構想」に反対し、弱い者虐めの「維新政治」を終わらせよう!

野宿者が亡くなった場所には花や煙草が置かれた

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』20号 尾崎美代子さん渾身の現地報告「原子力ムラに牛耳られた村・飯舘村の「復興」がめざすもの」掲載

阿鼻叫喚か? 静寂か? 「緩慢な死」と「大量殺戮」の間に横たわる感情について

昨年の末からつい最近にいたるまで、知人や知人の家族に自然死ではない不幸が重なった。大きく全国に報道された放火事件。あの不幸な事件の犠牲者にも古い知人がいた。

人はいずれ死ぬ。貧富国籍男女を問わず、この結末だけは人類に平等な運命だ。ただ、標準的な人生をおくっていれば70-90年生きられるのが普通なこの国にあって、病気で人生を終えるのと、ある日、自分の意志によらず人生を突如止められる(殺される)のでは、周囲の人々は受け止め方が違う。はじめて事件被害者の関係者になって(事件被害者の家族ではない)その違いをまざまざと感じさせられている。

◆あきれ返るほどの無力感と感情停止

若いころから人並外れて近しい人の逝去や、看取りに直面する機会を得ていたので、少々の事故で亡くなった方の亡骸と事故直後に直面しても、動揺することはなかった。風呂で極寒季に溺死した親戚の亡骸に挨拶をしようと思ったときは検分中の警察が「仏さんお気の毒な姿なので今は控えられた方が……」と気を使ってくれたことがあった。ありがたいけれども不要な気遣いだった。

ある紛争地帯に出かけたときは、目の前で何人もが銃弾で命を落としたし、長い刃物で押さえつけられ首を切り落とされる場面にも、偶然で合した。「ひどいな」と感じたけどもわたしの感性は、常識的な方々と違っているようで、あの場面を見たがために、嘔吐感したり、悪夢にうなされるということもなかった。

自死した若者のサインを受け止められなかったときは、強い自責と悔恨で苦しかった。このたびは、あの気持ちとも違う。上手に自分の内面を表現できないが、言葉すら発せない脱力感で、被害者のご家族にお悔みや、慰め、共感の気持ちを口にすることすらできない。

誤解を恐れずに言えば、犯人への怒りなどこの脱力感に圧倒されて頭をもたげる余地がない。怒りなどのエネルギーは失われ、ひたすら自らの無力と、現実へ投げかける言葉が見つからない思考停止(感情停止かもしれない)した体たらくにあきれ返るのだ。

◆人はなんとなく、「明日」や「未来」を想定している

人は(勿論わたしも)なんとなく、「明日」や「未来」を想定している。いずれ年を取り燃え尽きる日が来ることがわかっていても、病で床に伏している人でも尺度の長短はあれ、突如命が止められることに警戒しながら生きている人は多くはないだろう。

緩慢な殺人はこれだけ悪質で人体に有害であることが明白な食品添加物や農薬、極めつけは放射性物質がばらまかれたこの時代にあって、感度の鈍くない人は当然予期している。予防策だって本気になれば限度はあろうが打つことができる。

逆に、予防も予想もできない「突如の生命停止」、しかも事故ではないある種の人的行為(殺意と言い換えてもいいだろう)がもたらした結果に対して、わたしの場合、怒哀の感情すら湧き上がることがない。

これはひょっとすると圧倒的な瞬時の大量殺戮のあと、生き残った人々にも共通する感情なのではないだろうか、とこの日を迎え想像している。戦地に送り出した家族の訃報を聞けば身内の方々は泣き崩れるだろう。絨毯爆撃ではない小規模の空襲で焼夷弾による火災により家が焼かれれば、被害者は涙を流すだろうし、近所のひとたちは、慰みや勇気を与える言葉が自然に出るだろう。

◆阿鼻叫喚ではなく、静寂が支配していたのではないか

対して、一面を瞬時に焼き尽くし、数万人を押しつぶすかのように圧殺する大量破壊兵器の惨禍のあと、人々のこころの中にはには「悲しみ」や「怒り」を保持できる精神エネルギーが残っているだろうか。虚無に近い状態に追いやられるのではないか。ここのところ直面した卑近な経験から、初めてこのような想像が可能となった。

小さな鳴き声は聞こえる。その声は子供だ。大人は最低必要な会話しか交わさない。「どこへ行ったら水があるかね」、「市内の病院はみな焼けてしまったと?」、「薬はなかかね?」、「包帯だけでも巻いてやってくれんか」……。犯罪のあとには、それが大規模であればあるほど、喧噪ではなく、暗い静けさが支配しているのではないか。犯罪の責任者(ここが重要である)が誰であるかは関係なく。

この犯罪の犯人は、大量殺戮を行ったもの(米国)はもちろん、その状況を招致せしめた愚かな戦争遂行者(大日本帝国)も含まれる(長崎原爆の悲劇だけを注視すれば圧倒的に日本は被害者であるが、その前史、すなわち朝鮮・中国への侵略から真珠湾への道程を度外視しては、この『犯罪』の本質を理解することはできない)。

ひょっとしたら、70数年前のあの日、原爆が投下されて数時間後、人々のあいだでは阿鼻叫喚ではなく、静寂が支配していたのではないか、と勝手な想像がわいてきた。声が出ないほどの「感情停止」を想像していただければ幸いである。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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創刊5周年〈原発なき社会〉を目指して 『NO NUKES voice』20号【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止劇に表れた「名古屋ファシズム」

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」が、急遽中断されたニュースを読者諸氏は御存知だろう。しかしわたしが見まわしたところ、この問題の核心を突く分析や論評が見当たらない。そこでこの「予定調和劇」についての私なりの分析を述べたい。

◆首都圏、大阪に続いて形成されてきた「名古屋ファシズム」

まず、現在の愛知県政、名古屋市政がどのように動いているかを知っておく必要があろう。乱暴にまとめれば、石原慎太郎による「首都圏ファシズム」、橋下徹による「大阪ファシズム」に次ぐ形で「名古屋ファシズム」が形成されている。

核となる人物は全身からガマガエルのような雰囲気を醸し出し、公然の場では、わざとらしい名古屋弁を使う河村たかしである。河村は「減税日本」なる地域政党(大阪維新、都民ファーストにその位置づけは似ているが、議員数は少ない)を発足させ「住民税の10%減税」を公約に掲げ、名古屋市長に当選した。

名古屋市長当選以前は衆議院議員だった河村が道連れにして、県知事の椅子に収まったのが大村秀章だ。大村も衆議院議員であったが、所属は自民党。民主党から市長に出馬した河村が自民党の大村と組むのは、いったいどういうことか、との疑念もあったが、これはまったく簡単な構図で、河村はかつて、民社党から自民党を渡り歩いた経験があり、所属党派などよりも自分の実利に目ざといだけの男であっただけのことだ。しかもキャラクターの面で、大村は河村の足元にも及ばない。だから河村は名古屋市長に、大村は愛知県知事におさまったのである。

河村は衆議院議員時代から「本気で総理を目指す男」などと選挙の広告にはアピールしていたが、総理大臣への道は無理であることが分かったのか、「三英傑」出身地、尾張名古屋と実質上は三河地方の執権で我慢することに方針を変える。

「減税日本」を名乗るのであれば、日本中の住民の減税(すなわち国税)の減税に切り込まなければ受益者は当然限られている。が、「減税日本」は国税には言及せず、「住民税の10%減税」という低い到達目標しか掲げなかった。加えて2010年に実施された名古屋市の減税では全体の0.2%にあたる高額納税の企業が44%の減税額を受け取っており、ほとんど庶民に恩恵がなかった。

また、名古屋市民225万人の52%は扶養家族や非課税のため減税の対象外となっている。減税を実施した2010年度の名古屋市の一般会計の予算総額は既存の事業については予算カットや人件費削減には取り組んだものの、生活保護受給者の増加などもあり、1兆345億円で前年度に比べて437億円増える結果となっている。

要するに河村は、石原慎太郎や橋下徹同様、口から出まかせの、いい加減な人間なのである。


◎[参考動画]「河村市長の発言は憲法違反の疑いが濃厚」「不自由展」中止で大村知事(CBC 2019/8/5公開)

◆なぜ「芸術監督」が津田大介だったのか?

さて、そんな河村が実権を握る愛知で8月1日から「あいちトリエンナーレ」がはじまった。2010年から始まった「あいちトリエンナーレ」は自称「国内最大規模の美術展」らしいが、なぜか事前広報には芸術監督として「津田大介」の名前があった。この時点でわたしは、「津田がまた売名を画策しているな。何か起こるな」との予感があった。津田は芸術部門で際立った実績はない。否、芸術だけでなく論評や学術論文でも顕著な業績がないのに、朝日新聞論壇委員や早稲田大学教授の肩書を得ている。まことに不思議な登用である。

津田の論には、目新しいものはないが、目新しい技術や現象を紹介する情報収集技術には長けているようだ(それは津田個人の才能ではなく、津田が会社を所有しているからだ)。しかしそれは学者や新聞の論説を担う人間のする仕事ではない。ワイドショーの放送作家あたりが熱心に取り組むべきテーマだろう。ワイドショーを見下しているのではない(ワイドショーなど、金輪際見ないけれど)。ワイドショーの基準で朝日は定期的に1ページ近くを割く人間を選定してもいいのか、早稲田大学はワイドショーの基準で教授を選任してもいいのか、と疑問がわくのだ。

そしてわたしには津田との間で、決定的な経験がある。「M君リンチ事件」について津田に電話でインタビューをしたことがあるのだが、津田が話した内容を文字お越しして津田に送ると、話していたのとまったく似ても似つかぬ原稿が戻ってきた。「インチキだな」とわたしは確信した(関係ないがあの金髪も気に入らない)。


◎[参考動画]津田大介さんが芸術監督「あいちトリエンナーレ」開幕(CBC 2019/8/1公開)

◆「中止劇」のシナリオは決まっていた?

さて、今回の外見的には騒動の分析である。まず日本が過剰に韓国を敵視して、一層の歴史捏造に熱心なこの時期に「少女像」などを展示することは、「妨害」が簡単に予想ができたことである。

では、津田は脅しや批判があっても展示を続ける覚悟があったのだろうか。鹿砦社の取材にもインチキな原稿を返してくる津田に、そんな覚悟があるはずがない。それどころか、この「中止劇」は確実にシナリオが決まっていたとしか思えない証拠がある。

8月2日、河村が「あいちトリエンナーレ」を視察に行くと発表があった。排外主義者の河村のことだからどうせ否定的なコメントを出すだろうと予想したわたしは、別の用があったので、知り合いのライターに取材を依頼した。

まずは名古屋市役所に電話をして、河村のコメントをとるように頼んだ。ところが名古屋市役所の人間は、市長の秘書や広報ではなく「あいちトリエンナーレ」の実行委員会の電話番号しか案内しなかったそうだ。聞きたい理由と内容を告げているのに、どうして主体が違う「あいちトリエンナーレ」の実行委員会が案内されるのだろう。

新聞によれば1400件を超える脅迫や嫌がらせのメールなどがあったそうだ。放火や爆破を予告するものもあったらしい。こういった場合、主催者は警察に「威力業務妨害」で被害届を出すのが通例だ。しかし開催前に警察と「打ち合せ」をしていたと津田は弁解するが、警察が解析すれば発信者の特定がかなりの確率で可能な「爆破」、「放火」予告メールについて津田は放置したままで、被害届けすら出していない。

そして予想通り河村が「展示は日本人の心を傷つけるものだ」と発表したら、ろくに関係者と打ち合わせもせずに翌3日、大村からの要請もあり津田は「中止」を決めてしまった(そんな権限が芸術監督にあるのかとの疑問もわく)。


◎[参考動画]中止について会見する津田大介氏(朝日新聞社 2019/8/3公開)

注目すべきはこの「破廉恥な判断」を売名に変える津田の感性だ。結果から振り返れば「破廉恥な判断」をしても「恥」とは感じない人間、むしろ前田朗東京造形大学教授の表現を借りれば「炎上商法」で、内容はなくともさらにテレビに映ったり、名前が売れることを優先する人間が「芸術監督」に求められていたのではないか。

こう考えると、作品を創作した方々には気の毒であるが「あいちトリエンナーレ」はそれ自体が「虚構」を基盤に「炎上商法」で日韓関係悪化も利用しようとしていたと感じる。

河村・大村・津田。この3人の猿芝居のシナリオを描いたのは誰だろうか。


◎[参考動画]「あいちトリエンナーレ2019」解説 津田大介 Oil in Lifeより

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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