《追悼》キックボクシングの最古参、藤本勲会長永眠

また一人、キックボクシングの生き証人が逝ってしまった。

一見怖いイメージも元後輩の向山鉄也選手をからかうお茶目さもあった(1983年2月5日)

キックボクシングの老舗、目黒ジムに長く務め、藤本ジムに移行後、会長を務めて来られた藤本勲会長が5月5日午前3時過ぎに永眠されました。78歳でした。

2年ほど前から体調を崩し、興行にも姿を見せることも少なくなり、昨年12月興行に於いて勇退式を行ない、協会役員から外れ療養することになった藤本勲氏でした。それまでの病状を考え、今年1月31日には目黒区下目黒の藤本ジムも閉鎖されました。

勇退式の日、藤本会長から聞いた病状では過去、腎臓摘出や糖尿病があり、間質性肺炎、肝臓癌の疑いもあり検査中と言われていましたが、肺癌、胆嚢癌も併発していた様子でした。亡くなる一週間前には、ジムを経営する後輩達に電話で「コロナの影響で大変な時期だけどジムは大丈夫か!」と心配する様子だったということです。

こんなセコンド姿が毎週全国に映し出された時代があった。選手は富山勝治(1983年11月12日)

4年前にこのデジタル鹿砦社通信枠で「藤本勲物語、日本キックボクシング半世紀の生き証人」として拾わせて頂き、過去掲載と一部重複しますが、藤本勲氏の本名は藤本洋司。1942年(昭和17年)1月24日山口県生まれ、1967年(昭和42年)2月26日に、テレビ初の放映で同門の木下尊義との日本ヘビー級(三階級制67.5kg超/当時は全日本という名称)王座決定戦で、4ラウンドKO勝利で王座奪取。

後の東洋ヘビー級王座は奪取成らずも、1969年6月、東洋ミドル級(七階級制/正規の72.5kg以下)王座決定戦で、ポンピチット・ソー・サントーン(タイ)に判定勝利し東洋王座奪取。

1970年12月5日がラストファイト。51戦40勝(32KO)11敗の生涯戦績。引退後、キックボクシングの本格的トレーナーと言える第一人者となり、54年に渡り、目黒の聖地で業界を見つめてきた最古参でした。

日本ライト級チャンピオン、飛鳥信也のセコンドに付く藤本トレーナー(1992年6月)

1998年7月、会長となった藤本勲氏は「死ぬまでキックに専念する。でもまたセコンドやりたいね。」と言う本音は、本当に身体が動く限り、癌で10kg痩せても踏ん張って来た様子が伺えます。

石井宏樹に続く2人目のムエタイ殿堂スタジアムチャンピオン誕生は成らなかったが、藤本氏自身がデビュー当時からジム運営に関わり、トレーナー、会長までを経て育てたチャンピオンは50名を上回ります。

元・日本ライト級チャンピオン.飛鳥信也氏の現役時代、担当トレーナーとなったのが藤本勲氏であり、飛鳥氏は、「どんな励ましの言葉よりも藤本会長がセコンドに居るだけで安心感を持って戦えました。そんな人格と経験値を持った人がセコンドに居る、“ジャブ、ロー”しか言わなくても、そこに居るだけで励みになり心強かった。」と語り、そんな言葉は最近の選手からも聞かれます。

WKBA世界スーパーライト級チャンピオン.勝次(=髙橋勝治)は2006年5月、19歳で藤本ジムからデビューし、「藤本勲会長の、身体で語る昔ながらの指導で、試合の時は何よりも気合の入る言葉で“ジャブ、ロー”を繰り返す。それが凄く心強いものでした(フェイスブックより引用)。」と語る。その存在感は他団体興行、他のジムには無い、キックボクシングの初の興行から全てを見て来た偉大な親父風でした。

日本ライト級ランカーだった元木浩二さんは、藤本会長の訃報を知り、「目黒ジム入門当時、偶然にも藤本さんが営業部長を勤めるカステラのナガサキ屋に就職しており、その影響で職場ではより一層皆に可愛がられ、1983年(昭和58年)、伊原ジムに移籍した後も、目黒ジムに遊びに行くと快く迎えてくれて、『ジム終わったら二人で焼肉でも行きませんか?』と誘うと嬉しそうに一緒に行ってくれました。今、僕に優しかった藤本さんの顔が想い浮かび、とても懐かしく、それ以上に哀しく涙が出てしまいます。」と懐かしそうに語っていました。

レフェリー・李昌坤さんの引退式で感謝状を渡した藤本代表(1996年2月)
目黒藤本ジムが改築完成した翌年の藤本会長(2006年1月5日))

改めて振り返るとテレビ放映時代の沢村忠をはじめ、多くの名チャンピオンから新人選手まで、藤本氏のセコンドに付く姿が、脇役ながらも全国に毎週映し出され、長身のメガネを掛けた二枚目のちょっとキザなお兄さん的印象は強い。それは一見怖い印象もありつつ、ジムでもナガサキ屋の店舗でも、ジョーク言っての対面販売が好きで、お茶目なエピソードも多い藤本会長なのでした。

現在、コロナウィルス蔓延問題も懸念される時期でもあり、親族の希望もあって通夜・葬儀告別式は親族のみで行われるということで、コロナ問題が落ち着いた頃、藤本会長を偲ぶ会などを予定されている様子です。昭和のキックボクシング同志といった面々が藤本会長を偲び集まることでしょう。

《取材戦記》

私もテレビで藤本会長の沢村忠、富山勝治など多くの選手のセコンドに付く姿を見て来た一人。1981年に上京して後楽園ホールで見た姿もテレビで見た姿と変わらなかった。

そして友達が目黒ジムに入門した縁で目黒ジムを訪問すると、藤本氏の対応が優しく、後のある日、さほどのお付き合いも無いのに中目黒にあるタイ料理店に誘ってしまうも、あっさりOKしてくれて飛鳥信也さんも連れてやって来られました。元木浩二さんの話にもあるように、誘われれば快くお付き合いしてくれたのは誰に対しても対等に向き合う、そんな人柄が皆に愛される親父さんであったことでしょう。

私もそこから次第に目黒ジムとの付き合いも深くなり、テレビで観た藤本さんと知人で居ることの不思議さと、今日まで選手が感じるセコンドのような存在感がありました。それは昔のことの分からないことがあれば藤本さんに聞けばいいという安心感。もう創生期のことは聴けない。また一人偉大な人が逝ってしまいました。御冥福をお祈り致します。

キックボクシング生誕50周年記念パーティーにて。左は御挨拶に立つ藤本会長。右はTBSで実況を務めた石川顕アナウンサーとの再会(2014年8月10日)
藤本会長勇退式で最後のリング登壇となった(2019年12月8日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈74〉タイで三日坊主!Part66 藤川さんが残した言葉

◆原点に返った回想

いちばん穏やかな年齢に入った頃か、藤川さんの自然な笑顔(2000年筆者撮影)

藤川さんが亡くなって7年が経った2017年5月に旅行代理店の知人に誘われ、タイを訪れることになった。それがこのテーマ、「タイで三日坊主!」の回想となる旅でもあり、当時にそのレポート掲載済みである。短い日程では行けないと思えたラオスまで足を延ばすことが出来、藤川さんと歩いた旅を思い出す時間だった。藤川さん絡みの訪ねる地域は多くなるが、いずれは数週間の時間を掛けてペッブリーの古巣を含め、ノンカイ・ビエンチャンをまたゆっくり訪ねてみたいものである。

◆藤川さんと出会った最初のお店、M&K

藤川さんの若い頃やタイに渡るまでの生き方は、私が直接関わったものは全く無い。藤川さんのビジネスの片鱗を見たのは、わずかにアナンさんのジムの近くで経営していたM&Kミニマートとレストラン(食堂)のみ。

画像は2年程前、タイでムエタイ・イングラムジムを経営している伊達秀騎くんが撮って来てくれた、元・藤川さんのお店である。ここが1993年に藤川さんと出会った運命のレストランであった。

私の記憶と合致しない風景だったが、改めて見直してみると思い出してきた。今は誰も寄り付かない不気味な様相だが、当時は風通し良い明るい雰囲気だった。少々改築されているかもしれないが、この右側の段差の上にあるフェンスのフロアーは、ここにテーブルと椅子が並べられていたレストラン。奥が調理場である。隣接する左側の建屋はタイ語の看板が出ているが、「M&Kミニマート」と書かれたコンビニエンスストアー。当時、三十代ほどの女性一人がレジでお客さんと接していた。

ここの道路を挟んだ対角線上にも別業者のコンビニエンスストアーがあるが、美容室が隣接し、オバサン店長と二人の若い女の子が店員として居た。この店の前は集落から大通りに出るに便利なバイクタクシー乗り場があるところで周囲は人の往来が多い。その反面、M&Kミニマートは一人店員でやや通りからの目が遠く、藤川さんが出家する為、権利を明け渡した後、この女性店員さんが強盗に襲われナイフで首を切られたらしい。命に別状は無かったが、この経営体制で置いて来てしまったことに藤川さんは「この女性には可哀想なことをした!」と悔やんでいたことがあった。その後は新たな展開もすることなく空き家となっていたようだ。

廃墟となった元・藤川さんのお店M&Kミニマート(1998年伊達秀騎撮影)

◆男の更年期?!

それから一年後の私が出家の為、寺に入る一ヶ月前頃の藤川さんからの手紙は、過去を振り返る反省の書き殴りがあった。当時は何も気に留めなかったが、これは誰もが通過する悩み多き50歳代の男性が直面するものかもしれない。

「最近、真剣に考え込んでいることがあるんです。“俺、今までの人生で何か無償で真剣に打ち込んだことがあっただろうか”ということです。子供の頃の勉強、あれも本当に何かを学びたいという真剣なものじゃなく、ただ良い成績を取れば親や先生から褒められるし、友達からも一目置いて貰えた。仕事も頑張れば収入が増え、欲しいものが手に入り、好きなことが出来るから。恋も結婚も本当に何の損得無しに相手に惚れ、“彼女を幸せにしてやりたい”といったものじゃなく、ただ女が欲しかっただけ。子育ても本当は子供のことなど考えていなかったのではないか、いつも周りの目を気にし、恰好付けて生きてきたのではなかろうか。人間としてやらなければならない最低限のことすら何もしないで、ただ周りの目と自分の欲望の為だけに生きてきたのではないか。考えれば考えるほど自己嫌悪に打ちのめされます。人に宗教のこと、仏教のこと語る資格は俺には無い。なぜなら宗教とは人間が人間らしく生きていく為の指標だと、最近分かってきたからです。夜寝る前に自分の部屋で一人座禅を組み瞑想しても、このことが頭の周りを巡り、過去の行ない、あの時はどうだったか、やはり間違っていた。この時はどうだったか、やはり自分の欲望だけでやっている、あれもこれも、やっぱり人間として恥ずべき行ないだった。本当に自分が恥ずかしくなってきます。それなら現在はどうだ、やっぱり駄目人間だ。私に人を責める、ましてや教える資格など無い。自分の心を鍛え直す、それが精一杯で、それも充分果たすことさえ出来ず墜ちていくのではと焦っています。」

比丘の日々の懺悔は、在家者でもいずれ誰にでも訪れる行為(2000年筆者撮影)
数少ない藤川さんとのツーショット(1997年春原俊樹撮影)

2020年の今、私がこの頃の藤川さんの年齢を超える歳となり、人生を振り返ると似たような感情になることがあって、1994年当時の藤川さんの心理が読めてくる気がした。一般的には結婚し子供が生まれ成人し、親の手から離れて行く頃のこの年齢になると、心にポッカリ穴が空いて自分を見つめ直す時間が増えると、他人より学歴があって裕福な人生を送っていても、或いは忙しく働いてもギリギリの生活であっても、或いは仕事もしないで借金抱えながら何をやっても三日坊主な人生を送っていても、もう先が見えてきて取り返しのつかない歳になった今、過去出来なかったことや間違っていた行為を悔やむ反省の時期を迎えるのだろうか。これが男の更年期障害なのかは分からない。

最後に「でも元々、この年まで刑務所に入ることなく、人に殺されることなく、人様と同じ空気を吸わせて生かさせて頂いているだけで吉本の漫才のようなものです。そしてこんな男でも、一人前のことを言い、大きな顔で生きられるのだと安心してください。」と藤川さんらしく、「俺みたいになるな!」と言っているような文言で締め括っていた。

刑務所に入ることは無かったが、やんちゃな思春期を送り、少年鑑別所送りにもなったことがある藤川さん。知り合った当時、私が練馬区に住んでいると知ると、すぐさま出た言葉が「練馬少年鑑別所の在る所やな!」と反応は早かった。

少年鑑別所は「過去と向き合う場所」という捉え方があるらしい。そういう施設と似た場所がお寺かもしれない。そんなこともすでに触れたかもしれないが、私もラオスの旅の時、藤川さんに「今は過去を見つめ直す時なんや!」と言われたが、藤川さん自身も出家した一年後辺りは、その時期を迎えていたのだろう。

◆堅気の人生

そんな藤川さんの出家前か、やんちゃな若い頃に付き合いがあったという、後に堅気になった元ヤクザと偶然、京都の喫茶店で会った際、「右手の薬指小指の第一関節が切られて無くなっておったが、『藤川はん、真面目に仕事しようと思うても、指二本無いとハンマーもしっかり握れまへんのや、もうこれだけで出来るはずの仕事が出来んようなってしまうんや、アンタはヤクザにならんで良かったなあ!』と言われたことあるが、指ツメられるというのは、痛いだけや無うて生きていく術も奪われるいうことや!」という取り返し付かない人生もあるのだろう。

まだ続く藤川さんが残した言葉。長い年月の間に記憶に残っている会話は多い。興味津々だった話、鬱陶しい話、何気なく聴いていたことも多いが、「タイで三日坊主!」を書いてきた中で、なかなか組み込めなかった印象的なところを仏教とも無縁ではない話は活かしておきたいと思います。

◎[カテゴリーリンク]私の内なるタイとムエタイ──タイで三日坊主!

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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緊急事態下のキックボクシング界 新型コロナ禍で長引く開催中止の中で

◆安倍首相の緊急事態宣言後の経営難……

キックボクシングに限らず、多くの競技が先行き未定の興行中止や延期となり、ジムが自粛休業された所属選手は試合出場を目指して、今は出来る範囲でひたすら身体が鈍らないように自己練習に明け暮れる日々。

自粛休業も、賃貸で経営するジムは家賃・光熱費が大きな負担となってくるので、経営難に陥るジムも出てくることが懸念されています。

昭和50年代後半のキックボクシング低迷期、国内で興行予定が立たない団体と各ジムは、香港でのキックボクシングブームに乗って選手の遠征試合を重ねました。また時代を問わず、選手個人はタイへ修行に出掛け、たとえタイの田舎の無名なリングでも勧められれば臨んで出場していました。でも現在は、タイに入国も労働許可証を持った者のみと制限されている上、どこの国にも遠征することも難しい現状です。

◆原点に返ったストリート練習

選手によっては感染拡大前から危機を感じて地方の実家に帰省する選手もいたようです。 そこでロードワークや近所の公園でダッシュの走り込み等の基礎トレーニングをして、そんな練習風景を見た地元の小中学生が興味を示し、勿論、密集・密接を避けながら一緒に練習に参加して、思わぬコミュニケーションとキックボクシングの知名度アップにも繋がっている話がありました。

首都圏で自粛生活をするしかない選手も大半ですが、選手同士が公園や路地でキックミットを持ち合い、交替で蹴りの練習をするというジム設備を持てなかった時代のような原点に返っている話も聴かせて頂きました。

ストリートジムのイメージ画像(昔の実際の練習風景)(1981年12月27日撮影)

この新型コロナウイルスによる影響により、選手らはまた必ず近いうちに興行が再開されると信じ、ひたすら自分との闘いとなって、諸々の生活事情も重なって心折れて気持ちが引退に傾くか、怪我の回復と筋力アップに力を注ぐチャンスと考えた、何でもプラスに捉えるようにする心の持ち方が、今後の人生に大きく影響していくでしょう。

そんな今、ジムに於いてトレーニングを実践、それを撮影し、インターネット等で一般会員練習生に配信し、テレワーク型指導でトレーニングを促すジムもあるようで、今の時代にあった工夫も活かされているようです。

プロ野球やサッカーも開催が延期されていますが、格闘技においてはタイでよくある王宮前広場での興行のように、屋外で開催されれば密閉だけは避けられるので、屋内より開催され易いかもしれません。プロレスやキックボクシング創生期は、かつて駐車場や空き地を借りての興行も多く、「雲行き怪しい中、客席に席番貼り付ける作業しながら雨降らないこと祈りつつ、何とか乗り切った!」というある会長も居ましたが、そんな時代も懐かしいものです。

無観客となっても外部へ配信も出来る時代(2017年7月2日撮影)※スクリーンはイメージ

◆タイの現状

日本は規制が緩過ぎで感染者が増えている状況に対し、タイは下降線の様子です。
タイは実質軍事政権で、こういう緊急事態の際には統制がしっかり取れて、感染者がタイ全土で1日30人程まで下がり、当初の100人超えた頃から日毎に減っている模様。タイの非常事態宣言は4月30日まで規制が掛かっており、夜間は完全な外出禁止令が発令中、見つかれば逮捕されます。その後の延期は今のところ発表されていない様子(4月20日現在)。

多くのムエタイ選手やトレーナーは、田舎に帰省し農作業して、それが専門誌のFacebookに掲載されたりもしている模様で、山中慎介や佐藤洋太と対戦した元・WBC世界スーパーフライ級チャンピオン.スリヤン・ソー・ルンウィサイや、2年前、梅野源治の挑戦を退けた当時のルンピニー系ライト級チャンピオン.クラーブダム・ソー・ピヤックウタイもその話題の人です。

タイ社会がいろいろと厳しくなり、政府の支援金を受けられず、失望して自殺したというニュースもあるといいます。

タイの王宮前広場での観衆、密集・密接だが密閉だけは避けられている(2000年12月5日撮影)

◆中止・延期と目途が立たない再開見込み

日本は緊急事態宣言が発令され、プロボクシングも5月31日まで興行中止・延期が決定。更に後楽園ホールは政府の緊急事態宣言による要請で5月6日まで休館となり、その間に予定されたイベントは全て中止。

キックボクシング興行は無観客試合も自粛となり、3月末までは強行された興行も、今はどこも開催中止や延期に陥っています。

ジャパンキックボクシング協会は5月10日に後楽園ホールで予定された興行も中止決定。4月24日から、その5月10日枠に延期したREBELSも興行中止決定。

6月に入ると14日に後楽園ホールに於いて予定されるニュージャパンキックボクシング連盟興行、6月20日の日本キックボクシング連盟(NKB)興行、6月21日の市原臨海体育館でのジャパンキックボクシング協会興行等は今のところ、開催予定としていますが、まだ新型コロナウイルス感染影響の下降も終息も見込めないと判断する団体と各プロモーターは多く、今後も政府の要請によって6月以降も影響が出ることが予想されます。終息に2年は掛かるという専門家の話が事実とすれば経済への影響も懸念されるところ、今更遅いですが、タイのような迅速な対応が安倍首相と政府に求められています。

もう少し密接を避ければ開放的で暴動も避けられそう(2000年12月5日撮影)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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私の内なるタイとムエタイ〈73〉タイで三日坊主!Part65 藤川さん、永眠!

◆別れの時

藤川さんが新大久保に住居を構えて直ぐ、新宿区の住民登録を済ませていた。日本で暮らせば付き纏ういろいろな問題がある中、生活費は支援者の施しだけで賄えているのか、タイ同様に御布施という生計の足しにしている活動はあっただろうが、確定申告はどうしているのか。更には「身分証明書代わりに免許証の再発行を出来んか?」と願い出ていたと思うが、タイで出家して既に免許証は失効しているから、結局これはダメだっただろう。

日本に住めば金銭的、老化進む先行き不透明な日々の中、癌を患ってしまった運命。入院生活を拒否したのは莫大な治療費が掛かることは確実で、御布施や支援の賄いでは追い付かない。周囲に迷惑を掛けるのを避けたかっただろう。それでも「痛いのだけは嫌だ、これだけは何とかして欲しい!」とお医者さんに懇願していた声は聴いたことがあった。

2010年2月24日の夜遅く、最近どうしているかなと、いつも覗いていた藤川さんの「オモロイ坊主を囲む会」のブログを開くと、衝撃が走った。

「藤川和尚、永眠!」

えっ、永眠!? しまった! これが悔いが残るというものか。もっと早く会いに行ってやればよかった。

「もう長ごうないんや!」の声が響く。

オモロイ坊主を囲む会の管理人に聞いてみると、「2月19日の夕方、体調は前々から悪いからその様子に大きな変化は無かったが、急に意識不明となって倒れて救急車で病院へ運ばれるも昏睡状態続き、24日未明に永眠。脳内出血だった!」という。まだ2月下旬の活動予定が残る中、支援者誰もがそんな急に逝くとは思わなかっただろう。

オモロイ坊主を囲む会のブログで衝撃が走った画面

◆藤川さんは御釈迦様のもとへ!

翌25日には火葬だけであったが、大勢の人が訪れたようだった。タイの寺に居た頃、藤川さんは「生前葬を済ませた!」とも聞いていたが、遺言で葬儀告別式は行わないとのことだった。

結局、私は仕事もあって行けなかったが、冥福を祈って送り出したいと想うところだった。

胃癌、帯状疱疹の悪化で、この一年はかなり辛い様子だったらしい。それでも高笑い響かせながら全国行脚を続けていたであろう藤川さん。 ミクシイで繋がった全国の友達は1000人近くになっていた。

遺骨は、後の4月4日に八王子にあるタイのお寺、ワッパー・プッタランシーへ納骨され、生前、藤川さんが言っていたとおりの希望で、御釈迦様(仏陀)が最後の旅となったインドの地域にあるガンジス河へ散骨の予定という。

これで御釈迦様のもとへ行くかのような話を藤川さんから聴いたことがあり、「骨はインドのガンジス河に流してくれるように孫(?)に頼んだ。親戚一同の反対に合って年長者の力に圧されないように公証役場で遺言も書いた!」と言っていたが、お孫さんにお願いしたのかは私の記憶が曖昧だが、法的にも有効な遺言を残したのも藤川さんらしい手回しであった。

◆道連れ!?

藤川さんが亡くなった後、一緒に寺で過ごした日々やラオスに向かった旅を想い出しては、黄衣を纏ってあんな冒険できたのも藤川さんのお陰だなあと想い返したり、時折、「お前の親はまだ居るんか、会いに行ってやれよ、来てくれるだけで嬉しいんやぞ、今のうちやぞ!」とはよく言われたことや、いろいろな触れ合いを想い返す日々が続いた3月20日の夕方、石川の私の実家から電話が入った。

「父ちゃん死んだぞ!」と言う母親の泣き声。

「藤川ジジィ、俺の親父を引っ張りやがった、この野郎!」と有り得ないこと怒っても仕方無いが、そんな因縁があるような気がしてならなかった。そこからはもう4年ほど会っていなかった親父のことで頭がいっぱい。私の親父は老衰。最終的には心不全によるものと思うが、母親も気付かぬ間に眠ったように楽に逝ったようだ。
藤川さんの納骨式や偲ぶ会も4月初旬に予定されていたが、私は仕事や実家のことでいっぱいになり、精神的にもそちらへ向かう余裕は無くなっていた。

これで藤川さんとこの世のお付き合いは完全に終わった。

京都の地上げ屋がバブルが弾ける前に、「このまま好景気が続く訳が無い。もう天井が見えとる。やがて不動産価格の下落が起きる!」と赤字に転じる前に全てを売り飛ばし、こんな好景気の恩恵に支えられた金儲けではなく、自分の本当の実力を試そうとタイで勝負しようと考え、新たなビジネスを始めたのが1991年春。その2年後にアナンさんのムエタイのジムの近くに開店した日本料理店で私との出会いから長い付き合いが始まったものだ。

リングサイドで試合を見つめる春原さん、選手からも記者としての評判は良かった(2003年10月13日撮影)

◆続く道連れ!?

藤川さんが北朝鮮に行く前辺りの頃、私の仕事の一つであった出版社のスポーツ部門が消えた為、ボクシング興行は滅多に行かなくなった。それでも別ルートで入った取材や、立ち見チケットを買っての観戦で後楽園ホールに行くと、リングサイドの春原俊樹さんとはカメラの話にもなるが、藤川さんの話になることがほとんどだった。そして会うこともほとんど無くなっていた2014年1月。春原さんが出版社を退社したという情報が入った。ボクシングビート(旧・ワールドボクシング)の記者を辞めたという。

安いながらも私と同じNikonD90程度のカメラを買って試合を撮ったり取材に向かったり、仕事熱心な人だったが、こんなボクシング好きな人が記者辞めるなんて、おかしいなとは思ったが、また藤川さんの想い出話でもしようか、また以前のようにタイ料理に誘ってみようかと思っていた矢先、3月30日午後、埼玉県内の入院先の病院で亡くなったという知らせが知人記者から入った。 春原さんは胃癌で療養中だったらしい。

そして「藤川さんよ、春原さんまで引っ張るのか!」という切ない想い。ちょっと強引なこじつけだが、深く関わった人が同じ胃癌で逝くのは不思議な因縁である。
春原さんが撮ってくれた私の得度式のフィルムと写真は永遠の宝物である。改めて感謝を述べたい。

後々の2017年に私が「タイで三日坊主!」を書く為に、当時のフィルムと写真を探し、日記を読み返し、記憶に残っている会話とテレビに映った冒険を参考にし、ここ2年あまりはずっと頭に藤川さんの声が聞こえてくるほどの存在があった。こんな風に藤川さんは多くの人々の心に今も生き続けているのだろう。散々振り回されたのに、もっと昼飯食わせに会いに行ってやればよかったと悔いが残る。もっと話を聞いておけばよかったと。

藤川さんの最後の誘いを無下にし、親父の最期を看取れぬまま、更に春原さんも最期の姿は見せたくなかっただろうと思うが、皆、最期の言葉無き別れとなった。

藤川さんが言っていた万物流転。「この世に在るあらゆるものは、絶え間なく変化して止まない。エベレストにしても富士山にしても少しずつ変化している。不変のものは何一つ無い。新しく生まれたものは必ず劣化して滅びていく。これが諸行無常や!」と言い続けた。これが現実。やれる時にやっておかないと時は流れ、万物は変化して取り戻せなくなるだけ。そんな諄かった藤川さんの話が何度も頭を過ぎる。本当に姿無き腐れ縁が今も続いているのである。

藤川さんにはミャンマーに連れて行って欲しかった。胃癌を患い、杖を突いて歩いている時点でそれは無理と思ったが、藤川さんが歩いた軌跡を、今後、機会があれば歩いてみたいと思うこの頃である。

毎度、異様な組み合わせの昼食会だった今は亡き二人

私が撮った藤川さんの日本で暮らす画像はあまり無いので、こちらのブログを御覧ください。

◎オモロイ坊主を囲む会 http://omoroibouzu.blog35.fc2.com/

◎[カテゴリーリンク]私の内なるタイとムエタイ──タイで三日坊主!

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

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私の内なるタイとムエタイ〈72〉タイで三日坊主!Part64 藤川さん、日本移住へ

◆タイから日本へ

ペッブリー県のワット・タムケーウから、1997年春、サムットソンクラーム県のワット・ポムケーウに移った藤川さんはその後、旅がし易くなっただろう。活動が幅広くなり、多くの出会いを重ねることが出来た。

藤川さんの活動を知らぬ者からは、単に人の金で遊び回っているように捉えられがちだが、タイ国内はもとより四国八十八箇所お遍路の旅や、ミャンマーに出向いてメッティーラに行き着いたこと。北朝鮮に渡るまで成し得た活動は多かった。

これまで私とネイトさんを出家に導き(実質、他2名)、数々の人を説法してきた藤川さん。やがてアジアの旅も一段落ついたところで、「人間には帰巣本能がある!」と言ったことも当てはまるのか、やがて、出家する為に京都に捨てて(残して)きた日本の娘一家のことがことが気になりだしたようだ。まだお釈迦様が歩いたシルクロードの旅を残しながらも、「いつでも何があっても飛んで行けるところに居た方がいい!」という結論に達し、比丘のまま帰国を決意。

在籍するワット・ポムケーウの和尚さんから「出家者と在家者の関係が成り立たない日本で生きていけるのか!」と心配されながらも、「やれるだけやって見させてください!」と願い出て、2006年10月26日、正式帰国。住居は新大久保駅から歩いて5分程の、支援者が用意してくれたアパートへ入居。藤川清弘庵となった。

新大久保駅近くを歩く藤川さん(2007年5月24日)

◆新大久保から活動開始

ここでは前々から計画していた「悩める日本人を救いたい!」という想いがあったことから“悩み相談室”なるものを開き、破天荒な人生を送った藤川さんの生き様をテレビやインターネットで知った相談者が藤川庵に訪れること多くなった。またオモロイ坊主を囲む会などから発信されるパソコンでの人生相談も、タイに居た時からメールが入るようになっていた。すでにフジテレビのスーパーニュースの取材も舞い込んでおり、夜の新宿と渋谷の街へ向かった。

新宿歌舞伎町にタムロする若者。そこへ黄衣を纏ったオッサンが現れれば、いつも以上に違和感ある存在となった。道を歩いて若者に声を掛けようと近づけば皆に避けられ、「みんな逃げよるやないかい!」と言葉を漏らす。道路脇でダンボール敷いて寝ようとしているホームレスのオッサンには「ここで寝るんか? 風邪引くなよ!」と声掛けるが、まともな返事は無い。渋谷センター街の地べたに座り込んでいるカラフルなメイクの女子高生に「素顔が見えへんやんけ!」と声掛ければ「ブッ殺すぞテメー!」と野次られた。日本に着いて、新宿を眺め歓楽街を歩いて、「何に飢えとるか言うたら、心に飢えとるな、今の日本は。悩むというより、何をしたらいいんか(どう生きたらいいのか)分からんのちゃうか?」という感想。

京都に住む娘さんとお孫さんにも再会。幼かった4歳の男の子は高校生になっていた。娘さんは父親らしい生き方には納得していて、藤川さんの「出家の為に京都に捨ててきた」というわだかまりも解けたような親子だった。元々仲が悪い訳ではなく、私が出家する前も藤川さんの托鉢姿を撮った写真を「娘に送るからパネルにしてくれ!」と頼まれたこともあった。タイからも日々こんな黄衣姿で頑張っている証を見せたかったのだろう(タイの寺から帰国まで、夜の歓楽街、娘さんとの再会までが放送の内容)。

支援者に支えられ、新大久保生活が続いた藤川さん。ある日、新大久保駅に向かう途中の路上でツッパリ兄ちゃんと肩がぶつかって因縁つけられたという。脅されてもビクともしない藤川さんだが、少々の説教を言ったところでボディブローを一発喰らい、“ウッ”と一瞬後退り。若者は走って逃げて行ったが、下手な素人パンチ、効いたパンチではなかった。藤川さんも「ワシの若い頃と同じやな!」という。あの若者もこの先行きが何も分からない、ツッパルだけしかない幼稚な存在だろうと。

藤川庵でオモロイ説法する藤川さん(2007年5月24日)

◆やがて体調に異変が

日本に移ってからもミクシィを使って多くの出会いあり、オモロイ坊主の説法へ各地へ向かうこと増え、インドのヨガを源流に持つヴィパッサナー瞑想も実践して勧めるなど、充実した日々を送っていたようだった。もう私は会いに行くことは滅多に無かったが、その翌年(2007年5月)、仏門での私と藤川さんの絡みに興味を持っていた私の友達を連れて、新大久保の藤川庵へ向かった。狭い部屋ながら生活必需品が揃ったタイの寺の部屋のような感じだった。そこでも笑いを誘いながら人の身になった指導をしてくれる藤川さん。言葉に落ち着きが増し、以前の喋りだしたら止まらない鬱陶しさは消えていた。

その後(2009年5月)、新宿での待ち合わせで、一度だけ昼飯に呼び出されたことがあったが、その時は黄衣は纏わず、肌色系の羽織物を着て杖を突いていた。老化で右膝が痛くなってきたのだという。黄衣を纏わないことは戒律違反。寒い日本に来たり、北朝鮮に渡った時は靴下を履いたり、シャツやモモヒキを穿き、毛糸の帽子を被ったりもしていたが、これも戒律違反。寒い時期は仕方ないと思うが、これ以外はしっかり戒律を守ってきた藤川さん。

そんな羽織物姿で「小便横丁行こう!」という。思い出横丁のことを小便横丁と呼ぶ藤川さん。その由縁は想像に難しくない終戦後の飲み屋街の環境だろう。

向かう途中、「ワシの母親は早うに呆けてしもうたからな。ワシも歩けんようになったら終わりやと思うで、呆けんように無理してでも歩くようにしとるんや!」と言い、以前より明らかに歩くスピードは落ちていた。

◆深刻化する病状

私と最後の昼食となった日の藤川さんの姿(2009年5月9日)

前年(2008年7月)には尿路結石破砕手術を受けていた。タイでの寄進から得る食生活は栄養が偏りがちだろうと思う。「タイは生野菜を食べる習慣が無いから果物で補うしかない!」と言っていたこともあった。

小便横丁で昼食を摂る藤川さんの手が、やたらデカく見えた。「手、デカくなっていませんか?」と聞くと、「全身浮腫んどるんや!」と言う。次第に老化からくる免疫力の衰えがあるのだろうか、帯状疱疹も患っていた。腕や背中に発疹ができ始め、それが黄衣が擦れると凄く痛いのだという。だから極力痛みを抑えられる羽織物に替えていたのだ。俗人時代から抱える糖尿病も影響していたかもしれない。

更には胃癌を発病した藤川さん。胃の内側でなく、胃壁の中に出来る腫瘍ですぐには見つかり難くかった進行癌だという(と言う解釈だったと思う)。

もしかしたら、藤川さんは何らかの身体の異変に気付き、医療を受け易い日本に帰ろうと思ったのではないか、そんな想いも過ぎった私であった。タイも医療は発達した国であるが、主要都市の大病院に限るだろう。

そんな状況でも、手術や抗ガン剤などの治療で入院生活に縛られることを拒みながら「あと1~2年の命を貰えんか!」と医者に懇願した藤川さん。まだまだやり残した仕事があるのだろう。

2010年1月末、連絡も少なくなった藤川さんから珍しく私に電話が入った。「また近いうちに会えんけ? もう長うないんや!」という弱々しい発言。

私はすぐに空く日は無く、「また暇になったら行きますよ!」と冷たい言い分を残して電話を切ってしまった。毎度の一方的な要求には何度も応じて来たし、体調は悪くても、そんな切羽詰まった状況とは思わず、もう少し暖かくなったら行って来ようと思っていたところだったが、これが最後の会話となってしまったのだった。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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新型コロナウイルスによる日本・タイのムエタイ興行への影響は甚大!

◆首都バンコク、ルンピニースタジアムでは3月6日だけで100人超の感染者!

バンコクでは新型コロナウイルス(COVID-19)による影響で、バンコクとその周辺の県に限り、デパート、ショッピングモールなどの商業施設、スタジアム、スポーツ施設、イベント、パブ、ソープランド、マッサージ店その他、人が集まる場所の開催全面禁止令が発令されました。当初の閉鎖等の実施となったのが3月18日から3月31日まで。その後4月12日まで延期。さらに4月末まで延長されています。他の県は各県知事の判断によります。

3月25日には改めてタイ全土でのスタジアム、スポーツ施設、スポーツ競技会、競馬場、遊技場の開催禁止令と70歳以上の人と5歳以下の子どもの正当な理由なき外出の禁止令が発令されています。外国人の入国も一部の条件を満たしている労働許可所持者など以外は実質入国禁止。

コンビニエンスストアとスーパーマーケットの営業は可能。飲食店は持ち帰りのみで店内での飲食は不可。ムエタイも興行開催やジムのオープンも出来ず、やっていれば違法となり、10万バーツ(約33万円)の罰金か1年以下の禁固刑が決められている模様。

試合の無い選手たちは一例として、野菜を売るなどのアルバイトもしている選手もいるようです。発表されている非常事態宣言の日程や禁止範囲が日々拡大化される可能性もある中、「経済が悪化し犯罪が増える可能性が高くなるのが怖い」と言う現地の声があるようです。

3月6日のルンピニースタジアムでのムエタイ興行で100人あまりの爆発的な感染者を出した中では、MC担当した有名俳優が感染したり、ギャンブラーらの感染が増えたのが公になった為、無観客試合も禁止されてしまいました。

ムエタイジムの昼間の休息時間。これはイメージ画像です

◆お寺にタンブン(寄進)に行く人も減ってはいるものの……

数は減っても通常の托鉢は各地で行われている模様(2003年3月撮影)

タイのお寺では、比丘による通常の托鉢は行われており、お寺に信者さんが集まる徳を積む行為も、一般的に言えば営利目的ではないにせよ、人が集まる場所として禁止令に該当すると考えられますが、お寺にタンブン(寄進)に行く人は減ってはいるものの、やはり敬虔な仏教徒の在家信者さんはお寺と密着した存在で、お寺に行って御布施や寄進をすると考えられ、比丘の食を乞う存在は食糧難に陥ることは無く、そのバランスは保たれていると考えられます。

中には人と比丘も密着を避けるという理由で、タンブンする食品を比丘が持つバーツ(御鉢)めがけて3メートルほど離れたところから投げ渡すとか、食品を棒に括り付けてバーツに入れるとか、離れてサイバーツ(御鉢に寄進)するのをネタにした、ふざけた動画がインターネット上に投稿されているのが出回ってますが、これらはヤラセが多いようです。

◆日本では経営難に陥るジムやプロモーションも出てくる

開場前の後楽園ホール南側

日本でのプロボクシング興行は当初どおり、日本ボクシングコミッションと日本プロボクシング協会の連係決定で、改定を経て4月末までの興行中止か延期が決定(無観客試合は規定条件を満たせば可能)。

プロキックボクシング興行では、元から機能するコミッションは存在せず、国の自粛要請が出ても法的拘束力は無い為、判断は各団体、各プロモーション任せしかありません。自粛ムード高まる中での開催された興行もあり、会場費のキャンセルが出来ない等、主催ジムが経済的に大打撃を受けるので開催せざるを得ないという場合があるようです。中には開催反対意見もあったり、開催希望する意見もある様子で、コロナに対する個人の意識の差があるようです。

会場も建っているだけで日々経費が掛かるもので、キャンセル代無料とはいかない立場でもあり、市や区運営の会場によっては社会情勢を考慮してキャンセル料を取らないという温情もある模様です。長引くほど経営難に陥る各ジム、各プロモーションの生き残りも深刻化していく状況で、終息を祈るばかりの日々は続きます。

自粛状況や興行中止期限は日々変化していくものと考えられますので、各団体等の発表を御確認ください。

後楽園ホールの開場前風景。無観客となるとこんな感じか

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

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新型コロナウイルス感染予防対策によるキックボクシングの開催影響!

2月26日、安倍首相が「今後2週間はスポーツや文化に関するイベントの開催について中止・延期などの対応をとるよう要請した。」という発表がありました。

プロボクシングは、日本ボクシングコミッションと管轄下の日本プロボクシング協会が2月26日、いち早く日本全国で行われる3月興行全てが中止か延期と発表しました。

プロボクシングを含む多くの興行が中止となった後楽園ホールのリング
伊原代表のマイク投げも今回は見られない

3月に予定されていたプロボクシング興行は全国で15興行。4月以降の興行は、政府の要請やコロナウイルス感染拡大の影響を鑑みて判断する模様です。

大相撲春場所も前々から対策を発表していましたが、本場所そのものの延期は難しいので(過去、1日順延有り/昭和天皇崩御)、無観客での開催や中止も考えられた中、日本相撲協会は3月1日、春場所の無観客開催を決定しました。

政府発表の翌日2月27日、3月興行を予定される一部のキックボクシング各団体興行、フリーのプロモーター興行は中止・延期の発表がありました。

キックボクシングは統一管轄機関(コミッション)が無いので各団体等の協議次第ですが、中止・延期の発表とともに、3月初頭開催の直前中止が難しいもの、下旬に大会場での強行を予定している興行もあり、一斉に自粛要請ができない、または発表にバラつきが出るのはこんな時、コミッションが無いのは不便なものです。

鹿砦社通信で掲載予定の二つの興行は、2月27日に主催者より中止、または延期が発表されています。

・3月8日(日)後楽園ホールでの新日本キックボクシング協会主催、REBELSとの合同興行「TITANS×REBELS.1st」

3月8日予定、新日本キックボクシング協会「TITANS×REBELS」は延期の発表
アリス(左)とオンドラムの二人も出場予定だった「TITANS×REBELS」

・3月15日(日)後楽園ホールでのジャパンキックボクシング協会主催「KICK Insist.10」

3月15日予定、ジャパンキックボクシング協会「KICK Insist.10」は中止を発表

その他も中止の発表をされている団体興行やフリーの単独興行があります。

チケットに関して、「後楽園ホール窓口にてチケットをご購入された方は、3月1日(日)から3月31日(火)まで、後楽園ホール窓口にて払い戻しのご対応を致します。」という発表です。 その他、購入先での発表を御確認願います。

2月29日(土)に後楽園ホールで行われましたREBELS.64について、以下の対応を行なった模様です。

3月8日のメインイベンターは重森陽太だった(撮影:伊原プロモーション)

前日計量の一般公開中止、サイン会の中止、 会場入口付近に消毒剤の設置、 スタッフのマスク着用、 全ての来場者に手洗い・アルコール消毒・うがいの励行・マスクの着用などの徹底。今後の開催される興行についてもこのような対策が強いられることでしょう。

中止となった興行のカードは今後の予定されている興行に順延され、選手、ジム側の先のスケジュールの都合によって消滅カードもあるかもしれないのは仕方無いところ。

「TITANS×REBELS.1st」という対抗戦の延期は次回以降の興行に組み込むか、または時期をずらした新たな日程を組んだ上での興行開催も検討されることでしょう。

自然災害はいつ起こるか分からないものの、問題は会場費、売り捌かれたチケットの払い戻し、パンフレット・ポスターの製作費などとそれらの人件費があります。

保険で賄える範疇が判別し難いところがありますが、悪天候、交通機関の事故による開催不能は対象となり、地震や戦争など被害の規模がどこまで及ぶか予測が難しい場合や、新型ウイルスの蔓延防止による中止は対象とならないようですが、保険会社によって対応が異なるようで、今後の災害時に向けた対策が急がれるところでしょう。

昨年10月の台風19号による日本キックボクシング連盟の興行中止がありましたが、対戦カードは後々の興行に組み込まれたり消滅したカードがありました。PRIMA GOLD杯トーナメント戦も準決勝後の期間が大きく空いてしまう影響が出ましたが、後の興行で決勝戦を開催し、無事終了を迎えています。このコロナウイルス影響が長引くと続けて興行中止に繋がるので、あらゆるスポーツ、文化イベントは終息を祈るばかりでしょう。

以上は3月1日時点の状況です。今後の中止・延期、または無観客開催などの発表には各主催者発表を御確認ください。

「TITANS×REBELS」記者会見で意気込みを語ったばかりの選手たち(2月22日/撮影:伊原プロモーション)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年4月号
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

NJKFの新春本興行は前田浩喜がメインイベンターを務めるも惜敗!

年初めの本興行としては空席目立つ静かな場内。大きな声援は出場選手の応援団ばかり。しかし、いつもながら交流戦が進む他団体首脳陣の顔触れが目立つ会場風景であった。坂上顕二理事長は初年度を乗り切り、二年目の舵取りはどう進むかも見所の興行。

メインイベントは度々耳にするISKAという世界機構の傘下にある王座のタイトルマッチ。国内も乱立しているが、世界的にも数々のタイトルがある中、ムエタイルールやキックルール、プロ空手式のルールによって、ヨーロッパやアメリカ、アジア各地でチャンピオンらの占めるエリアの片寄りがあるものの、比較的充実した展開を見せているISKA。

2019年の年間表彰式がリング上で行われ、年間最優秀選手は大田拓真。昨年は6月に新人(=あらと/ESG)からWBCムエタイ日本フェザー級王座を奪取し、11月にS-1ジャパン55㎏級トーナメント優勝。その決勝戦の馬渡亮太戦で年間最高試合賞も獲得。

最優秀選手:大田拓真(新興ムエタイ)
殊勲賞:波賀宙也(立川KBA)
敢闘賞:中野椋太(誠至会)
技能賞:健太(E.S.G)
努力賞:山浦俊一(新興ムエタイ)
新人賞:優心(京都野口)
女子最優秀選手賞:Ayaka(健心塾)
年間最高試合賞:大田拓真(新興ムエタイ)vs 馬渡亮太(治政館)
他、格闘技マスコミ各賞

2019年の年間表彰式。前列中央が年間最優秀選手の大田拓真(新興ムエタイ)
ロベルトの威圧的攻めでリズムを狂わされた前田浩喜

◎NJKF 2020 1st / 2月16日(日)後楽園ホール17:00~20:50
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF) / 認定:NJKF、ISKA

◆10 ISKAムエタイ・インターコンチネンタル・フェザー級王座決定戦 5回戦

前田浩喜(CORE/57.0kg)
    VS
ISKAイタリア・フェザー級8位.オリビア・ロベルト(イタリア/56.45kg)
勝者:オリビア・ロベルト / 判定1-2 / 主審:宮本和俊
副審:竹村48-47. 中山46-49. 多賀谷47-48

ロベルトの脚は細く、脆そうな体格だったが、見た目と実力は大きく差があった。

ロベルトの攻めが届く距離の取り方が上手かった

身長177センチからくる手足の長さを有効に使うロベルト。前田のローキックはその細い脚に幾度かヒットさせ、真っ赤に蹴り跡が残る。

ここから脚を殺してノックアウトに導くかと思えたが、ロベルトの重心の乗ったパンチを振り回して前田の顔面とボディーを打ち込み、長い脚から振り回してくるハイキックは厄介で、前田はリズムを作れず、蹴りやパンチも単発でヒットさせてもインパクトが足りない。

ズルズルとロベルトのペースに引き込まれたまま試合は終了。接戦の展開にも見えるが、前田陣営からも檄が飛ぶ、攻めの勢いが全く足りない試合だった。

前田浩喜は43戦26勝(16KO)14敗3分となった。

前田浩喜の勝機を導くローキックは効果的ながら、次第に少なくなった
手足の長いロベルトが活かした左ストレート
前田浩喜が攻めるがロベルトも返しが上手い

◆9 NJKFスーパーライト級タイトルマッチ 5回戦

畠山隼人の強打がヒットし、崩れ行く真吾YAMATO

チャンピオン.畠山隼人(E.S.G/62.9kg)vs1位.真吾YAMATO(大和/63.1kg)
勝者:畠山隼人 / KO 2R 2:46 / 3ノックダウン / 主審:少白竜
畠山隼人が初防衛

2018年6月に王座決定戦で対戦した両者。畠山がパンチの強打で制したが、今回は距離を保つ真吾が蹴りで主導権を奪う序盤の勢い。

畠山はスロースターター気味に出遅れた感があるが、強打を打込むタイミングを図り、倒す確信を持ったか、第2ラウンドに入ると目が覚めたように強打を振り回し始めた。

踏み込んで畠山の距離になると、フック系のパンチ連打で真吾の顎にヒットすると形勢逆転、効いてしまった真吾に連打を続け、フック気味に2度ノックダウンを奪うと、何とかこのラウンドを凌いで青コーナーに帰りたい真吾に逃がさず連打したところでレフェリーが止める3ノックダウン目となり、再び畠山の豪快ノックアウト勝利となって初防衛に成功。

28戦16勝(8KO)10敗2分となった畠山隼人。勝ったり負けたりだが、またスリリングな展開で上位を目指す。真吾YAMATOは22戦13勝(5KO)8敗1分。

畠山隼人の強打再び、真吾の顔面を打込む
倒すのは時間の問題、仕留めに掛かる畠山隼人の左ストレート
主導権を奪った波賀宙也の攻め

◆8 57.0kg契約3回戦

IBFムエタイ世界ジュニアフェザー級チャンピオン.波賀宙也(立川KBA/56.95kg) 
     VS
フアサン・オー・ユッタチャイ(タイ/56.5kg)
勝者:波賀宙也 / TKO 3R 2:08 / 主審:多賀谷敏朗

ローキックなど蹴りの様子見でフアサンの出方を見て先手を打って出た波賀。接近しても攻められても波賀の冷静な捌きがあった。
第2ラウンドには接近戦でのヒジ打ち、ヒザ蹴りの展開からパンチに繋いでノックダウンを奪うと更に余裕が出てきた波賀。
第3ラウンドも接近戦でヒジ打ちでノックダウンを奪い、更に左ヒジ打ちを顎に打ち込むとフアサンはその場で倒れ込み、レフェリーがカウントを始めたところですぐ試合をストップした。保持する世界王座の初防衛戦に向けて前哨戦を難なく突破した波賀宙也は40戦26勝(4KO)11敗3分。

接近戦の攻防からパンチでノックダウンを奪う波賀宙也
左ヒジ打ちをヒットさせた波賀宙也
左ヒジ打ちを食らった後、バッタリ倒れ込んだフアサン

◆7 56.0kg契約3回戦

WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.大田拓真(新興ムエタイ/55.8kg)
     VS
バンラングーン・オー・ユッタチャイ(タイ/54.65kg)
勝者:バンラングーン / 判定0-3 / 主審:竹村光一
副審:少白竜28-30. 多賀谷27-30. 宮本27-30

蹴ってくる大田に前蹴りを合わせてバランス崩させるバンラングーン。大田の出方に合わせて空いた箇所を打込むのが上手い。大田の脇腹と背中に周るあたりは真っ赤に蹴られた跡が残った。2019年の年間最優秀選手賞を受賞したばかりの大田拓真に、また新たな試練を与えるような結果となった。大田拓真は24戦18勝(5KO)5敗1分。

◆6 59.0kg契約3回戦

WMC日本スーパーフェザー級チャンピオン.梅沢武彦(東京町田金子/58.8kg) 
     VS
J-NETWORKフェザー級チャンピオン.一仁(真樹AICHI/58.95kg)
引分け 三者三様 / 主審:中山宏美
副審:少白竜30-29. 竹村29-29. 多賀谷29-30

パンチと廻し蹴りの攻防が続く。接近戦での首相撲からのヒザ蹴りもあるが展開は少ない。主導権を奪うに至らない結果が残った。

一仁の左ジャブと梅沢武彦の左ミドルキックが交錯

◆5 60.0kg契約3回戦

NJKFスーパーフェザー級チャンピオン.山浦俊一(新興ムエタイ/61.85→61.75kg) 
    VS
NJKFライト級6位.羅向(ZERO/59.9kg)
勝者:山浦俊一 / 判定3-0(山浦に減点1を含む採点) / 主審:宮本和俊
副審:中山29-27. 竹村29-28. 多賀谷29-28 

◆4 フライ級3回戦

EIJI(E.S.G/50.8kg)vs優心(京都野口/50.85→50.8kg)
勝者:優心 / 判定0-3 / 主審:少白竜
副審:中山28-30. 竹村28-30. 宮本27-30

◆3 68.0kg契約3回戦

渡邊知久(Bombo Freely/67.4kg)vs宗方888(キング/67.85kg)
勝者:宗方888 / KO 1R 1:45 / 3ノックダウン / 主審:多賀谷敏朗

◆2 女子 アトム級(-46.266kg)3回戦(2分制)

亜美(OGUNI/46.0kg)vsねこ太(トイカツ/46.26kg)
勝者:亜美 / 判定3-0 / 主審:竹村光一
副審:多賀谷30-29. 少白竜30-29. 宮本30-29 

◆1 フライ級3回戦

悠(GRABS/50.15kg)vs谷津晴之(新興ムエタイ/50.4kg)
勝者:谷津晴之 / 判定0-3 / 主審:中山宏美
副審:多賀谷28-30. 少白竜28-30. 竹村28-30

《取材戦記》

昨年9月23日に獲得したIBFムエタイ世界ジュニアフェザー級王座を保持する波賀宙也の初防衛戦は獲得から9ヵ月の期限に合わせて6月14日に行なわれる予定。期限以内でももっと防衛戦を行なって欲しいところだが、プロボクシングとは違う興行事情があるのは仕方無いところだろう。

前田浩喜の対戦相手は“ロベルト・オリビア”か“オリビア・ロベルト”か。ファーストネームに“ロベルト”が付くプロボクサーは多い。ニュアンス的にロベルトがファーストネームとなる気がしたが、ISKA立会人に聞いてみると、あまり拘る様子無く、どっちでもいいらしい。本名と正式なリングネームはあるはずで、この辺は招聘したプロモーター側の発表次第だが、発表どおりに記載すると、「オリビア・ロベルトが王座獲得」となりました。

役員に囲まれて、チャンピオンベルトを巻き、認定証を受けたオリビア・ロベルト

畠山隼人に敗れた真吾YAMATOは3度目の王座挑戦も実らず倒されてしまった。この打たれたダメージと精神的ダメージは如何ほどか。真吾よりチーフセコンドが泣いていたことから、チームとしての試合に懸けるよほどの覚悟があったのだろう。そんな勝負の厳しさが伺える勝者と敗者の明暗だった。

反省点を述べつつ初防衛に成功、ラウンドガールとエスコートキッズの男の子に囲まれる畠山隼人

年間表彰式はプロスポーツ各競技でも実施されていて、プロ野球や競輪などは歴史は長く、プロボクシングも終戦後の1949年から始まっています。キックボクシングは各団体ごとの実施で行なわれない団体もあり、業界統一された表彰式はありません。

ニュージャパンキックボクシング連盟では毎年開催され、最優秀選手に大田拓真が選ばれたが、この団体内では順当な選出でしょう。ではキックボクシング業界統一的に視野を広げると、仮に誰が年間最優秀選手となるか。一概には言えないところ、誰もが察するのはあの選手でしょうか。

NJKFは関西支部により関西方面の興行が増えており、3月15日(日)に拳之会ジム主催「NJKF 2020.west 2nd」が岡山コンベンションセンターに於いて開催。翌週3月22日(日)には誠至会主催「NJKF 2020 west 3rd」が大阪市旭区民センター大ホールに於いて開催。

幾つかの地方興行を経て、6月14日(日)後楽園ホールに於いてNJKF主催本興行「NJKF 2020.2nd」が開催されます。

勝者・波賀宙也を波賀宙也を囲むラウンドガールとエスコートキッズの女の子

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
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3つのトーナメント戦、それぞれの運命! NKB交戦シリーズ Vol.1

PRIMA GOLD杯決勝戦は昨年10月12日の開催予定が台風19号による影響で延期され、準決勝の6月15日から約8ヵ月経ての開催。ウェイト的にやや不利と見えた清水武は筋力アップに時間を掛けることが出来たものの、その成果を活かすことが出来なかった。

Japan Sift Land杯は、予定どおりの日程で昨年12月14日から始まり、決勝進出かそれまでに敗れればそこで引退を宣言していたテープジュン・サイチャーンと村田裕俊の二人が12月の初戦(準々決勝)で対戦。敗れたテープジュンはその場で引退セレモニーを行なった。そしてこの日、「引退挨拶で喋ることを準備をしていた」と言う村田裕俊は遠藤駿平を僅差で破って決勝進出を決め、有終の美を飾りたい村田の決勝戦の相手は髙橋亮となった。

その髙橋亮はローキックでコッチャサーンの脚を殺し快勝。髙橋三兄弟がエース格を担うNKB興行に於いて順当な優勝へ、どちらにも大きな運命が掛かる一戦となる。

NKBウェルター級王座決定トーナメントは、また新しい時代を担う世代の戦いに移っている中、すでに若くない30~40歳代4選手によるトーナメントとなった。他(多)団体チャンピオンと競り合うことが出来るかは難しいところ、決勝戦で勝ち上がれば、NKBの面子を守る、その試練が待っているだろう。

◎交戦シリーズ Vol.1 / 2月8日(土)後楽園ホール 17:15~21:00
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆13. PRIMA GOLD杯ミドル級トーナメント決勝 5回戦

NKBミドル級1位.田村聖(拳心館/31歳/72.3kg)
    VS
清水武(元・WPMF日本SW級C/sbm TVT KICK LAB/32歳/72.5kg)
勝者:田村聖 / TKO 1R 2:04 / 主審:前田仁

開始早々から田村の右ローキックが清水の右脚を狙うヒットが数発続くと、早くも足運びがおかしい清水。

田村聖もローキック狙い、開始から早くも右ローキックが清水武にダメージを与える
清水武の右脚に集中した田村聖の右ローキック

田村は蹴りの流れから右ストレートを打つと、清水はまともに貰いノックダウンを喫する。

ゆっくり立ち上がるも脚がふらつくとカウント中にレフェリーストップとなって、田村聖が優勝を果たした。

田村聖が蹴りを意識させ右ストレートを打つと清水武はバッタリ倒れた
PRIMA GOLD杯は田村聖が目出度く優勝

◆12. Japan Sift Land杯59kg級トーナメント準決勝3回戦

決勝戦で戦う村田裕俊と髙橋亮が健闘を誓った

NKBフェザー級チャンピオン.髙橋亮(真門/24歳/58.9kg)
    VS
コッチャサーン・ワイズディー(元・ルンピニー系SB級7位/タイ/21歳/58.5kg)
勝者:髙橋亮 / TKO 1R 1:13 / 主審:佐藤友章

髙橋亮も開始早々から左ローキックで鋭くコッチャサーンの脚にヒットすると数発で棒立ち状態。

連続してローキックを貰ったコッチャサーンは早くもノックダウン。立ち上がるも髙橋亮のローキック追撃にコッチャサーンのセコンドからタオル投入による棄権をレフェリーが受入れ試合は終了した。

あっけなくダウンしたコッチャサーン、髙橋亮の蹴りの強さ発揮

◆11. Japan Sift Land杯59kg級トーナメント準決勝3回戦

接近戦になれば村田裕俊のヒザ蹴りが炸裂

MA日本ライト級チャンピオン.遠藤駿平(WSR・F三ノ輪/21歳/59.0kg)
    VS
NKBフェザー級2位.村田裕俊(八王子FSG/30歳/59.0kg)
勝者:村田裕俊 / 判定0-2 / 主審:亀川明史
副審:仲29-29. 前田29-30. 川上28-29.

離れた距離での互角に渡り合う蹴りとパンチの攻防も、村田はいつもながら蹴りから接近してヒザ蹴りの連係が上手い。更にヒジ打ちで遠藤の眉間の上をカットする。

最終ラウンドは遠藤の前進でやや押されるも、崩し転ばす技や蹴りの的確さで僅差ながら村田裕俊が勝利を掴み決勝進出、この日の引退からは逃れた。

村田裕俊の左ストレートが遠藤駿平の胸板にヒット
ロープ際に押されても右ミドルキックで返す村田裕俊

◆10. NKBウェルター級王座決定トーナメント初戦(準決勝)3回戦

準決勝を勝ち抜いた村田裕俊に勝利者賞を贈呈したジャパンシフトランド代表

NKBウェルター級2位.稲葉裕哉(大塚/32歳/66.68kg)
    VS
同級3位.笹谷淳(TEAM COMRADE/44歳/66.68kg)
勝者:稲葉裕哉 / 主審:鈴木義和
副審:馳29-29(10-9). 佐藤彰彦30-29(9-10). 佐藤友章28-30(10-9).
3R引分け三者三様 / 延長R 2-1

決定打の少ない中、笹谷がやや攻めの勢いがある流れ。審判構成によってはここで結果が出たかもしれないところ、三者三様の採点で延長戦が行われた。

ここから積極的に出た稲葉。執念が優った稲葉が勝利を掴む。

稲葉裕哉が執念で延長戦を制した
NKBウェルター級王座は稲葉裕哉と蛇鬼将矢で決定戦が行われる

◆9. NKBウェルター級王座決定トーナメント初戦(準決勝)3回戦

NKBウェルター級4位.蛇鬼将矢(テツ/30歳/66.68kg)
    VS
同級5位.SEIITSU(八王子FSG/41歳/66.3kg)
勝者:蛇鬼将矢 / KO 1R 1:01 / 主審:仲俊光

蛇鬼が蹴りからパンチの連打で早々にノックダウンを奪い、立ち上がったところを更にパンチ連打を浴びるとSEIITSUは蹲り、カウント中にタオルが投入される棄権となり、レフェリーが試合を終了させた。

蛇鬼将矢がSEIITSUを仕留めにかかる

◆8. ライト級3回戦

NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK/29歳/61.2kg)vs聖(KSK/22歳/61.0kg)
引分け1-0 / 主審:川上伸
副審:佐藤彰彦29-29. 馳29-28. 佐藤友章30-30.

◆7. 59.0kg契約3回戦

KEIGO(35歳/58.75kg)vsガオパヤック・ワイズディー(タイ/21歳/58.6kg)
勝者:ガオパヤック / 判定0-3 / 主審:仲俊光
副審:亀川27-30. 鈴木28-30. 川上27-30.

◆6. バンタム級3回戦

NKBバンタム級4位.海老原竜二(神武館/28歳/53.3kg)
    VS
古瀬翔(ケーアクティブ/24歳/53.5kg)
勝者:海老原竜二 / KO 3R 2:43 / 3ノックダウン / 主審:佐藤彰彦

◆5. フライ級3回戦

NKBバンタム級5位.則武知宏(テツ/25歳/50.75kg)vsTOMO(K-CRONY/37歳/50.6kg)
引分け1-0 / 主審:鈴木義和
副審:川上29-28. 仲29-29. 高谷29-29.

◆4. ライト級3回戦

NKBライト級5位.パントリー杉並(杉並/27歳/60.95kg)
    VS
マサ・オオヤ(八王子FSG/45歳/61.23kg)
勝者:パントリー杉並 / 判定3-0 / 主審:馳大輔
副審:佐藤彰彦30-26. 佐藤友章30-27. 亀川30-27.

毎度の打ち合いに出る激戦展開するパントリー杉並。ベテランのマサ・オオヤを苦しめ、ノックダウンを奪うもマサオオヤの有効打(パンチかヒジ)で額を切ったパントリーは流血しながらの攻勢。仕留めるに至らずもパントリー杉並が大差判定勝利となった。

◆3. ウェルター級3回戦

宮城寛克(/赤雲會/28歳/66.68kg)vsゼットン(NK/48歳/66.6kg)
勝者:宮城寛克 / KO 3R 0:52 / カウント中のタオル投入 / 主審:高谷秀幸

◆2. 55.0kg契約3回戦

龍太郎(真門/19歳/54.5kg)vs加藤和也(ドージョーシャカリキ/25歳/54.9kg)
勝者:加藤和也 / 判定0-2 / 主審:亀川明史
副審:鈴木30-30. 佐藤彰彦29-30. 佐藤友章29-30.

◆1. フライ級3回戦

會町tetsu(テツ/31歳/50.7kg)vs舟本空明(治政館16歳/50.4kg)
勝者:舟本空明 / 判定0-3 / 主審:前田仁
副審:川上29-30. 馳27-30. 仲27-30.

PRIMA GOLD杯トーナメント表

《取材戦記》

PRIMA GOLD杯は田村聖が晴れて優勝し、長引いた決勝戦を無事に締め括りました。
NKBウェルター級王座決定トーナメントも、昨年10月12日に予定されていましたが、今回の2月8日に延び、他にも延期やカード変更も起こる調整の苦労があったようでした。

PRIMA GOLD杯はミドル級で行われ、リミットは規定どおり160LBS(72.57kg)。ミドル級と言いながら“73.0kg契約”とか言わないか、昨年4月の初戦前に当時の広報担当に聞いたところ、「正規のミドル級で行われます。」と言う規定どおりの回答でした。

今回のJapan Sift Land杯は59kgリミットで開催。プロボクシングの階級呼称を使いながらリミットを変えるのは正しくはないが、スーパーフェザー級(-58.97kg)と言わないのはリミット超えしているという自覚があるのでしょう。数値(キログラム)で区切るならそれも結構なことだが、元からスーパーフェザー級でもよかったかもしれない。「ノンタイトルでも負ければ王座剥奪」のチャンピオンの義務から外れるには、もう少し幅を持たせて60kgリミットでもよかったかもしれない(この辺は外部者の勝手なひとりごと)。

Japan Sift Land杯トーナメント表

日本キックボクシング連盟も設立当初から、統一・分裂・合併、何度も起こった離脱の流れの中、当然ながら設立に至った当時の経緯を知らぬ若い世代が台頭してっ来ている中、小さな組織のイベントの範疇で統一戦には程遠いものの、若い世代による幾つかのトーナメント戦が盛り上げを見せました。今後も、かつて業界一丸となった昭和の「1000万円争奪オープントーナメント」に導かれるような発展に期待したいものです。

日本キックボクシング連盟次回興行「交戦シリーズ2nd」は4月11日(土)に後楽園ホールに於いて、二つのトーナメント、NKBウェルター級王座決定戦とJapan Sift Land杯決勝戦が開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

2020年は老舗逆襲の年となる! MAGNUM.52

◆老舗逆襲の年!

「老舗のキック初め」というタイトルが付いた2月に入っての新春興行。次の時代を担うタイトルマッチが二つと、今後のメインイベンター争いとなるチャンピオンクラスが主要カードを占めた。

大晦日、那須川天心に敗れた江幡塁、その業界への衝撃大きく、老舗の逆襲が始まる。

◎MAGNUM.52 / 2020年2月2日(日)後楽園ホール17:00~20:16
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会、WKBA

◆第11試合 63.6kg 契約 ノンタイトル5回戦

唯一の勝次の攻勢、飛びヒザ蹴りヒット、チャンスだった

WKBA世界スーパーライト級チャンピオン.勝次(=高橋勝治/藤本/62.35kg)
    VS
ロンペット・Y’ZD GYM(タイ/62.2kg)
勝者:ロンペット / 判定0-3 / 主審:少白竜
副審:椎名45-50. 仲45-50. 宮沢45-50
1R10-10.
2R 9-10.
3R 9-10.
4R 9-10.
5R 8-10
三者とも同様採点45-50.

初回からロンペットの左ハイキックが強烈に勝次を襲う。勝次は第2ラウンドの飛びヒザ蹴りが一発だけロンペットの顔面にかすったか、一瞬後退したロンペットだが、倍返しの左ハイキックが威力を増していき、勝次がガードする腕の上からでも構わず蹴り込み、脳にも響くヒットを続けた。

ロンペットの左ミドル、ハイキックは強烈に何度も勝次を襲った

勝次の度重なる飛びヒザ蹴りは読まれてしまい、クリーンヒットには至らず。勝次は劣勢続く中、第4ラウンド終了間際にはコーナーに詰まったところでロンペットの右ヒジ打ちを貰って左瞼を切られてしまう。

ブロックの上からでも蹴り込むロンペット

勝次は最終ラウンドも逆転を狙って打ち合いに出ていくと左フックをカウンターされ、踏ん張り利かずフラフラとマットにヒザを付きノックダウンとなってしまった。逆転の可能性はほぼ無くなっても、一発でも当てたい闘志むき出しで出ていく勝次だったが力及ばず。

ロンペットの左ハイキックが勝次にビンタする
ロンペットの左ボディーブロー、勝次は押されっぱなし
左の蹴りは威力ある重森陽太

◆第10試合 62.5kg契約 ノンタイトル3回戦

WKBA世界ライト級チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/62.45kg)
    VS
デッパノム・チューワッタナ(元・ラジャダムナン・スーパーバンタム級C/タイ/62.25kg)
勝者:重森陽太 / TKO 3R 2:19 / 主審:桜井一秀

重森が小学2年生の頃からタイで指導を受けていたという恩師が今回の対戦相手。「テクニシャンでとてもやり難かったが、恩師だからと言って遠慮が出るといった意識は無かった」と言う重森陽太。

手口を読まれ、なかなか攻め難い展開で手数も少なかったが、しなりあるハイキックの威力を見せつけ、左ボディーブロー2連発は、この2発目がタイミング強く効いたであろう見事なノックダウンとなり、カウント中にレフェリーがストップを掛けた。重森は恩師に大きく成長した姿を見せた結果となった。

恩師デッパノムに力強く立ち向かう重森陽太

◆第9試合 WKBA JAPAN(日本)スーパーフライ級王座決定戦 5回戦

WKBA JAPANの幕開けは日畑達也が最初のチャンピオンへ

泰史(前・日本フライ級C/伊原/52.1kg)
    VS
J-NETWORKバンタム級1位.日畑達也(FKD/51.8kg)
勝者:日畑達也 / KO 1R 2:53 / 主審:椎名利一

泰史があっけなかった。九州を拠点とするKOS(King of Strikers)スーパーフライ級チャンピオンの日畑達也。地方でも実力は高い証明を残した。

開始の様子見けん制の蹴りとパンチの交錯から、日畑がコンビネーションブローの左ストレートで泰史がノックダウンを喫する。

更にコーナーに追い込んで顔面へ左ストレートを打ち込むと泰史はコーナーにもたれ掛かったまま立ち上がれず、2ノックダウン目でテンカウントを聞いてしまった。日畑は新設王座の初代チャンピオンとなる。

日畑達也がハイキックで徐々に泰史を追い詰める
日畑達也がサウスポーからの左ストレートが勝負を決めた
日畑達也が左ストレートで2度目のノックダウンを奪う

◆第8試合 日本フェザー級王座決定戦(新日本制定) 5回戦

1位.瀬戸口勝也(横須賀太賀/56.85kg)
    VS
2位.平塚一郎(トーエル/57.05kg)
勝者:瀬戸口勝也 / TKO 3R 0:57 / 主審:宮沢誠
瀬戸口勝也が第11代日本フェザー級チャンピオン

やっぱり出てきた瀬戸口の強打。平塚が距離をとって蹴りで主導権を握れるか見所だったが、次第に瀬戸口が距離を詰めながら強打のタイミングを図っていく。

第2ラウンドに平塚を掴まえた瀬戸口は、連打から右ストレートでノックダウンを奪うが、平塚は強打を振るう瀬戸口をなんとか凌いで第3ラウンドに繋ぐ。勢い止まらぬ瀬戸口は猛攻を続け、平塚を2度ノックダウンを奪いレフェリーがノーカウントのストップを掛けた。

「鹿児島の地方公務員でもチャンピオンになれる姿を見せたい」と語っていた瀬戸口は先ずその第一歩目のベルトを巻くことに成功した。

瀬戸口勝也の強打炸裂
瀬戸口の強打を浴び続けてしまった平塚一郎
瀬戸口の強打でついに力尽きた平塚一郎、レフェリーが止めた

◆第7試合 55.5kg契約3回戦

日本バンタム級チャンピオン.HIROYUKI(=茂木宏幸/藤本/55.1kg)
    VS
NJKFスーパーバンタム級チャンピオン.久保田雄太(新興ムエタイ/55.5kg)
勝者:HIROYUKI / 判定3-0 / 主審:仲利光
副審:少白竜30-28. 桜井30-28. 宮沢30-28

技にゆとりがあったHIROYUKI。先手を打つ蹴りや、久保田の蹴り足を取って大きく押し飛ばすような崩し、軸足を蹴って転ばす崩し、一つ一つの技が鮮やか。

久保田も懸命に蹴り返し、HIROYUKIの脇腹を赤く腫れさせる意地を見せるが一発で終わり連打が少ない。試合の流れはHIROYUKIが安定したペースで勝利を掴んだ。

横須賀太賀ジムからのチャンピオン誕生は初か?

◆第6試合 61.5kg契約3回戦

日本ライト級チャンピオン.髙橋亨汰(伊原/61.4kg)vsウ・スンボム(韓国/61.1kg)
勝者:髙橋亨汰 / KO 2R 1:30 / 主審:椎名利一

突進力あるスンボムに冷静に立ち向かった髙橋。第2ラウンドに髙橋がヒザ蹴りでノックダウンを奪い、更にパンチ連打でこのラウンド3度のノックダウンを奪って快勝。

◆第5試合 67.0kg契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン.リカルド・ブラボ(伊原/66.75kg)
    VS
チェ・ジェウク(韓国/66.35kg)
勝者:リカルド・ブラボ / TKO 2R 1:16 / 主審:宮沢誠

ジェウクの突進力は厄介で我武者羅に打って出て来て接近戦になりがちな中、リカルドはヒジ打ちやヒザ蹴りを上手く使いジェウクの左頬をカットする。

最後はスリップ気味に倒れ込んだジェウクの顔面に蹴り込んだリカルド。やや効いた様子があったが反則裁定とはらず、それまでに左頬の傷の悪化がありドクターチェックの末、レフェリーストップとなった。

◆第4試合 57.5kg契約3回戦

日本フェザー級3位.瀬川琉(伊原稲城/57.35kg)vs田中銀次(Next零/57.2kg)
勝者:瀬川琉 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-27. 宮沢30-28. 仲30-28

◆第3試合 57.0kg契約3回戦

日本フェザー級7位.仁硫丸(富山ウルブズスクワッド/56.95kg)vsヨ・ソンミン(韓国/56.65kg)
勝者:仁硫丸 / KO 2R 1:17 / 3ノックダウン / 主審:桜井一秀

◆第2試合 59.0kg契約3回戦

甲斐康介(伊原/59.15→59.05→59.0kg)vs角☆チョンボン(CRAZY WOLF/58.75kg)
勝者:角☆チョンボン / 判定0-3 (28-30. 28-30. 29-30)

◆第1試合 女子48.0kg契約3回戦(2分制)

ラム(伊原/47.4kg)vs徳里鈴里奈(沖縄RIOT/47.4kg)
勝者:徳里鈴里奈 / 判定0-3 (28-30. 27-30. 28-30)

《取材戦記》

江幡ツインズが出場しない伊原プロモーション興行は珍しい。新日本キックボクシング協会は、昨年上半期の分裂脱退騒動の後、10月の江幡睦の4度目のラジャダムナン王座挑戦は引分けで奪取成らず、大晦日には那須川天心に完敗した江幡塁。ここでリフレッシュのインターバルに入ったかツインズ。

カラカルの鋭い顔つきがベルトに起用

そんな転換期にある新日本キックは、今年からWKBA JAPANの発足。そして勝次のメインイベント起用。WKBA世界王座に君臨する勝次、重森陽太、緑川創は今年のメインイベンターとなっていく可能性は高い。

新しく出来上がったWKBA JAPANのチャンピオンベルト。描かれたデザインはカラカルという、ネコ科カラカル属のネコの仲間で跳躍力があり、蹴る力が強いという。その強さを肖ってデザインに起用。両脇には現役時代の伊原信一氏がロッキー藤丸戦で見せた顔面を捉えるハイキックと、もう一方には沢村忠氏のハイキックが描かれている。

WKBA JAPANのチャンピオンベルトが披露された
チャンピオンベルトとカラカルの関連を披露
痛々しい右腕と左瞼、リベンジへ動き出す勝次

WKBA JAPANタイトルは、日本キックボクシング界どこの団体でもフリーでも有資格者と認められれば挑戦可能な門戸を開いた広域タイトルで、新日本キックボクシング協会で制定されている日本タイトルは従来どおり、この団体に加盟するジム所属の選手で争われるタイトルです。元々はこちらが老舗を継承し、日本を代表するべきタイトルという位置付けでしたが、多団体化とタイトル乱立する中ではその存在感も薄れがちで、改めてWKBA傘下となる上位王座を作った形でしょう。また新たなタイトルが出来たことで賛否はあるところ、活気あるタイトルとなるよう願いたい。

勝次と対戦したロンペットは沖縄のY’ZD豊見城ジムのトレーナーを務めるタイ選手で、かなりの実力者という関係者の話。勝次のガードを吹っ飛ばすような、腕を折るかのような蹴りが何度も襲ったことにはムエタイの凄さを改めて見せつけられた試合だった。昭和の終わり頃のムエタイボクサーも伝説となる名選手が大勢居たものである。

勝次のこんな完敗でもその現実を見せる試合は、より日本選手の巻き返しが面白くなるでしょう。

新日本キックボクシング協会の次回興行は、3月8日(日)後楽園ホールに於いて、REBELSとの合同興行、TITANS×REBELS 1stが開催。

勝次出場予定の他、HIROYUKI(藤本)vs岩波悠弥(橋本)、小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)vs壱センチャイジム、宮元啓介(橋本)vs鈴木寛太(ONE’S GOAL)、内田雅之(藤本)vs羅向(ZERO)戦が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!