MAGNUM.46 江幡祭りは終わらない!

江幡睦vsニンモンコン。チャンスを逃さない江幡睦、パンチのラッシュを掛ける

続く江幡ツインズのムエタイロード──。ラジャダムナンスタジアムのランキング入りを果たしたい江幡睦は無名のニンモンコンをパンチとローキックの強さを見せて圧勝。

開始早々はお互いに様子を伺うローキックが交差するが、一気に詰めたのは公約どおりのパンチで、ローキックとの連係で1ラウンド早々のノックアウト。江幡祭りはこれから本番のランキング入りを目指します。

圧勝の江幡睦、次はランキング戦で勝利するか
意識朦朧のニンモンコン
石川直樹vs泰史。泰史のパンチが石川直樹にヒット、パンチ勝負なら負けない泰史

石川直樹は2度目の防衛戦。泰史戦はこれで1勝2分。2016年3月の王座決定戦での引分けは泰史が勝者扱いで王座獲得。その王座を同年10月にTKOで奪ったのが石川直樹、昨年11月の初防衛戦は幸太を組んでのヒザ蹴りで捻じ伏せKOで下したばかり。

初回から泰史はパンチとローキックで攻勢に出る。第2ラウンドから石川も攻め返すパンチとローキックに続き、ヒザ蹴りが目立っていく中、石川のヒジ打ちで泰史の左頬が次第に腫れが大きくなる。石川の掴みに行くヒザ蹴りと泰史のパンチの攻防は、互いが思うようにペースを掴めないスタミナ消耗激しい苦しい展開で最終ラウンドに入り、泰史がパンチのヒットがやや巻き返すが、それまでの石川のヒザ蹴り主体の攻めを上回るには至らない。判定は引分けで、石川直樹が辛うじて王座を守り2度目の防衛成る。

石川直樹vs泰史。石川直樹のヒザ蹴りに右ストレートを合わせる泰史
泰史vs石川直樹。右ハイキックで腫れた泰史の顔面を襲う石川直樹

斗吾は12月に引分けた齋藤智宏と再戦。この時は斉藤が組んでのヒザ蹴りの持ち味を活かした試合でした。2014年3月に対戦した時は斗吾がヒジ打ちでTKO勝利。 今回もヒザを有効に使いたい齋藤智宏に、斗吾は掴まらないうちにパンチの距離を見極め、第2ラウンドにもダメージある齋藤をパンチ主体に攻め続け完勝。

HIROYUKIは昨年10月、地花デビッドにボディを攻められKO負けして以来の再起戦。チャンピオンとして弱点が目立ってはいけない中、欠点を克服して、国内では経験豊富な國本真義のローキックからパンチ主体の攻めに、打ち負けず飛び蹴りや後ろ蹴りの派手な技も織り交ぜ攻めるも圧倒出来ず引分け。

國本真義vsHIROYUKI。HIROYUKIの飛びヒザ蹴りが國本を攻める
江幡睦vsニンモンコン。ブロックされても想定内、右ローキックで動きを止めにいく

◎MAGNUM.46 / 2018年3月11日(日)後楽園ホール17:00~20:55
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会

◆第14試合 54.5kg契約 5回戦

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/54.2kg)
   VS
ニンモンコン・ペットプームムエタイ(タイ/53.8kg)
勝者:江幡睦 / KO 1R 1:26 / カウント中のタオル投入
主審:椎名利一

ニンモンコンvs江幡睦。いつもの様子見の江幡睦、けん制ローキック
江幡睦の左ローキック、次第にニンモンコンをロープ際へ追い詰める
齋藤智宏vs斗吾。第2ラウンド最初のダウンを奪った右ストレート
齋藤智宏vs斗吾。斗吾が一気に攻めたパンチのラッシュ
齋藤智宏vs斗吾。第1ラウンドに続き第2ラウンドに斗吾が最初のダウンを奪う
勝者コールを受ける斗吾

◆第13試合 日本フライ級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.石川直樹(治政館/50.7kg)
   VS
同級1位.泰史(伊原/50.8kg)
引分け 1-0 / 主審:仲俊光
副審:椎名48-48. 宮沢48-48. 桜井49-48

◆第12試合   73.5kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.5kg)
   VS
齋藤智宏(Ys.k/73.5kg)
勝者:斗吾 / KO 2R 1:01 / ノーカウントのレフェリーストップと同時にタオル投入
主審:少白竜

◆第11試合 54.5kg契約3回戦

日本バンタム級チャンピオン.HIROYUKI(藤本/54.5kg)
   VS
國本真義(MEIBUKAI/54.4kg)
引分け 三者三様 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 少白竜28-29. 仲30-29

◆第10試合 70.0kg契約3回戦

喜多村誠(前・日本M級C/伊原新潟/69.7kg)
   VS
小原俊之(キングムエ/69.7kg)
引分け 1-0 / 主審:宮沢誠
副審:仲29-29. 少白竜29-29. 桜井30-28

◆第9試合 64.0kg契約3回戦

石井達也(元・日本L級C/藤本/63.8kg)
   VS
日本ライト級4位.春樹(横須賀太賀/63.8kg)
勝者:石井達也 / 判定2-0 / 主審:椎名利一
副審:少白竜30-29. 宮沢29-29. 桜井30-28

◆第8試合 56.0kg契約3回戦

瀧澤博人(前・日本B級C/ビクトリー/56.0kg)
   VS
ナコンルアン・スワンアハンピーマイ(タイ/55.3kg)
引分け 0-1 / 主審:仲俊光
副審:椎名29-29. 宮沢29-29. 桜井29-30

◆第7試合 バンタム級3回戦

日本バンタム級3位.阿部泰彦(JMN/53.5kg)
   VS
日本バンタム級4位.古岡大八(藤本/53.4kg)
引分け 0-0 / 主審:少白竜
副審:椎名29-29. 宮沢29-29. 仲29-29

◆第6試合 フェザー級3回戦

日本フェザー級4位.皆川裕也(藤本/57.0kg)
   VS
日本フェザー級10位.渡辺航己(JMN/56.6kg)
勝者:皆川裕也 / 判定2-1 / 主審:桜井一秀
副審:椎名30-29. 少白竜29-30. 仲俊光30-29

◆第5試合 69.0kg契約3回戦

日本ウェルター級5位.リカルド・ブラボ(伊原/68.6kg)
   VS
輝也(TS/72.4→72.2kg) 3.2kgオーバーによる減点2
勝者:リカルド・ブラボ / KO 1R 2:04 / カウント中のタオル投入

◆第4試合 62.0kg契約3回戦

日本ライト級7位.大月慎也(治政館/61.9kg)
   VS
長谷川健(RIKIX/62.0kg)
引分け 0-1 / 29-29. 28-29. 29-29

◆第3試合 52.0kg契約3回戦

空龍(伊原新潟/51.3kg)vs林佑哉(空修会館/51.2kg)
引分け 0-0 / 29-29. 29-29. 29-29

◆第2試合 70.0kg契約2回戦

大久和輝(伊原/69.8kg)vs萩本将次(CRAZY WOLF/69.5kg)
勝者:大久和輝 / 判定3-0 / 20-19. 20-19. 20-19

◆第1試合   ウェルター級2回戦

RYOTA(トーエル/66.6kg)vs宮崎亮(RIKIX/66.4kg)
勝者:宮崎亮 / 判定0-2 / 19-19. 19-20. 19-20

《取材戦記》

「江幡祭りは終わらない」というキャッチコピーが付いた今回の興行。14試合中7試合が引分け、3回戦では大差には成り難く、2-0、2-1判定も3試合あり、迫力に欠け、盛り上がるような接戦ではない展開に「昔のような倒しに行く姿勢が足りない」という休憩時間に聞かれた厳しい関係者の声も多い中、後半の斗吾、江幡睦がノックアウト勝利。石川直樹vs泰史は引分けでも攻防激しい展開で盛り上げてくれました。

来月15日(日)はTITANS NEOS 23が開催、今度は江幡ツインズ弟の塁が出場。ラジャダムナンスタジアムのランキングには常に名を連ねていて欲しい江幡ツインズです。重森陽太、緑川創のいずれも現時点で対戦相手未定ながら海外選手と対戦が予定されています。

日本ライト級チャンピオンの勝次は同じ藤本ジムの後輩、HIROYUKIと皆川裕哉とのエキシビジョンマッチも予定されています。「KNOCK OUT」から本来の路線に戻っての再起に期待が掛かります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

それぞれに因縁あるWBCムエタイ日本タイトルマッチ開催!

タネ・ヨシホvs能登龍也。能登の右ミドルキックに右ストレートを合わせるタネ・ヨシホ(左)
能登龍也vsタネ・ヨシホ。一度対戦した経験から一歩上回った攻勢のタネ・ヨシホの右ストレート

能登龍也vsタネ・ヨシホ戦の初対決は昨年10月の「KNOCK OUT」に於いての3回戦で対戦し引分けた試合は攻防で盛り上がり、決着戦が期待されたカードとなりました。
初回から能登が圧力掛け続け、タネ・ヨシホは下がり気味も的確に返していく。次第に距離を詰め、蹴りに加えたムエタイ特有の崩し技を活かしたタネ・ヨシホが判定勝利。

白神武央vsYETI達朗戦は3度目の対戦で、2015年5月にノンタイトル戦で引分け、2016年2月に白神がKO勝利でYETI達朗からNJKF王座奪取して1勝1分。YETI達朗はその白神の後を追うように上位王座のWBCムエタイ日本タイトルを懸けての対戦。

目立ったヒットは少ない両者でしたが、白神を破る執念が垣間見れたYETI達朗のパンチと蹴り。勢いつかない両者にもっと蹴り合いがあればもっと盛り上がったと思えるところ、僅差でYETI達朗が雪辱を果たしました。

積極性で優ったYETI達朗のヒザ蹴り

小川翔vsNAOKI戦は過去の国内王座を勝ち上がってきた者同士の対戦で、先行く小川翔に挑むNAOKI。

相打ち覚悟のヒジ打ちの攻防が目立った両者。第2ラウンドにはNAOKIに2度のドクターチェックが入るが、その後、小川も少々切られる。両者に幸い出血は少なく打ち合いは続き、小川は勢い強め、NAOKIの攻撃力弱まった終盤を経て小川の判定勝利。

小川翔の右ハイキックがNAOKIを襲う
ムエタイ技であり、キックボクシングの攻防であるヒジ打ち、小川翔の右ヒジがNAOKIにヒット
激しい攻防の小川翔vsNAOKI

波賀宙也は1月10日に新日本キック興行に出場してパカイペットに判定負けしたばかり。と言っても1ヶ月半の試合間隔になるので、体調は問題ないでしょう。この日は前田浩喜に判定勝利で5連敗から脱出し、WBCムエタイ日本スーパーバンタム級挑戦権を獲得しました。

新人(=あらと)は宮城からやって来た「聖域統一」60kg級チャンピオンの岩城悠介に右ストレートが決定打となる2度のダウンを奪われてレフェリーストップによるTKO負け。東北地方で普及している聖域(サンクチュアリ)のアピールが活きたことでしょう。

タネ・ヨシホの左ミドルキックが能登龍也にヒット、ブロックの上からでもリズムを作った
タネ・ヨシホはまだ18歳、今後も上位に向かって勝ち進めるか

◎NJKF 2018.1st / 2018年2月25日(日)後楽園ホール17:00~21:20
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本実行委員会

◆第5代WBCムエタイ日本フライ級王座決定戦 5回戦

1位.能登龍也(VALLELY/50.55kg)
   VS
2位.タネ・ヨシホ(=多根喜帆/直心会/50.8kg)
勝者:タネ・ヨシホ / 判定0-3 / 主審:竹村光一
副審:桜井47-50. 中山47-50. 神谷47-50

◆WBCムエタイ日本ライト級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.小川翔(OISHI/61.2kg)
   VS
挑戦者.同級1位.NAOKI(NJKF同級C/立川KBA/61.2kg)
勝者:小川翔が初防衛 / 判定3-0 / 主審:中山宏美
副審:桜井49-46. 竹村50-47. 神谷49-47

◆WBCムエタイ日本スーパーウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.白神武央(拳之会/69.6kg)
   VS
挑戦者.同級1位.YETI達朗(NJKF同級C/キング/69.8kg)
勝者:YETI達朗が第4代チャンピオン / 判定0-2 / 主審:竹村光一
副審:桜井49-49. 中山48-49. 神谷48-49

◆59.0㎏契約3回戦

WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.新人(E.S.G/59.0kg)
   VS
岩城悠介(PCK連闘会/58.6kg)
勝者:岩城悠介 / TKO 1R 2:34 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮本和俊

小川翔が初防衛成功

◆WBCムエタイ日本スーパーバンタム級挑戦者決定戦3回戦

1位.波賀宙也(立川KBA/55.3kg)
   VS
2位前田浩喜(CORE/55.2kg)
勝者:波賀宙也 / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:竹村30-28. 中山30-27. 宮本30-27

◆55.0kg契約3回戦

同級1位.大田拓真(新興ムエタイ/55.0kg)
   VS
ダウサヤーム・ウォーワンチャイ(タイ/54.95kg)
勝者:ダウサヤーム / 判定0-3 / 主審:神谷友和
副審:竹村29-30. 桜井29-30. 宮本28-29

◆NJKFスーパーライト級挑戦者決定トーナメント3回戦

2位.真吾YAMATO(大和/63.5kg)
   VS
3位.嶋田裕介(Bombo Freely/63.5kg)
勝者:真吾YAMATO / KO 1R 2:32 / 3ノックダウン
主審:中山宏美

◆60.0kg契約3回戦

WBCムエタイ日本スーパーフェザー級5位.TAaaaCHAN(PCK連闘会/59.6kg)
   VS
NJKFスーパーフェザー級7位.梅沢武彦(東京町田金子/59.8kg)
勝者:梅沢武彦 / 判定0-2 / 主審:宮本和俊
副審:竹村29-30. 中山29-29. 神谷29-30

白神武央に雪辱成功、WBCムエタイ日本王座を奪取したYETI達朗

◆バンタム級3回戦

NJKFバンタム級2位.日下滉大(OGUNI/53.4kg)
   VS
同級3位.俊YAMATO(大和/53.45kg)
勝者:俊YAMATO / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:竹村28-29. 中山28-30. 宮本28-30

◆スーパーバンタム級3回戦

NJKFスーパーバンタム級3位.久保田雄太(新興ムエタイ/55.3kg)
   VS
永井健太朗(Kick Box/55.2kg)
勝者:久保田雄太 / 判定3-0 / 主審:神谷友和
副審:桜井30-28. 中山30-27. 宮本30-28

◆NJKFスーパーライト級3回戦

NJKFライト級1位.村中克至(ブリザード/63.0kg)
   VS
NJKFスーパーライト級9位.野津良太(E.S.G/63.5kg)
勝者:野津良太 / 判定1-2 / 主審:竹村光一
副審:桜井29-30. 中山29-30. 神谷30-29

《取材戦記》

WBCムエタイの日本組織が根付いて丸10年になる今年です。2009年から日本タイトル化されて来ました。此処の組織は此処なりに、低空飛行のようでもしっかり選手が育ち、世界チャンピオンも二人誕生してきました。今後更なる世界チャンピオンが誕生するか、この日勝ち上がって来た日本チャンピオン達に期待が掛かります。今後のNJKFのメインイベンターと成り得る存在でもあります。

その中でも小川翔vsNAOKI戦はヒジ打ちの攻防が盛り上がり、タイトルマッチ3試合の中ではいちばん迫力がありました。キックボクシングの醍醐味はムエタイ技を酷使してのノックアウト勝利。ヒジやヒザだけを重視という訳ではなく、打撃すべてがムエタイ技でもあります。その点は「KNOCK OUTイベント」にも思想が繋がるところでしょう。

次回NJKF興行は4月15日に山陽ハイツ体育館に於いて、拳之会主催興行の「NJKF 2018 WEST 2nd」が行なわれます。国崇、白神武央、白築杏奈がベルギーからの刺客を迎え撃つ戦いとなります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

3月7日発売『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

高橋亮は初のムエタイ選手との対戦に試練の辛勝! 闘魂シリーズ vol.1

コッチャサンvs高橋亮。中間距離はコッチャサンの距離、ヒザが入り易い
コッチャサンvs高橋亮。高橋亮のローキックでバランス崩すコッチャサン

高橋亮は初回の様子見からパンチとローキックで主導権を握る。そのローキックで次第にコッチャサンは足が効いて仰け反ったりフラつくようにバランスを崩すこと多くなる。「KOできるぞ」というムードも3ラウンド中盤からコッチャサンの組み合っての攻防が多くなり、崩されたり、くっ付いてもやや離れてもヒザ蹴りが鋭く入るムエタイの距離感。前半の足のダメージなど、効いていないかのようにコッチャサンのフットワークがいい。

高橋亮も元のペースに戻そうとパンチで出る攻勢は見せるも、コッチャサンの巧みな技にはまり、ムエタイの奥の深さを感じたように攻略が難しくなる。高橋亮もキックとして攻めは目立ったので勝利を導いたが、「ムエタイでは完全にポイント持っていかれたな」という展開。

昨年12月、「KNOCK OUTイベント」に於いて小笠原瑛作と引分けた結果には評価が上がったが、ムエタイ元ランカーには苦戦。まだまだ越えなければならない壁はあるが、今後も壁を打ち破る成長が期待される三兄弟の一人で、観衆からの不甲斐なかったと言う不満の声にも反省の言葉を返した高橋亮でした。高橋亮はこれで19戦14勝(6KO)4敗1分。

コッチャサンvs高橋亮。高橋亮の左ストレートが先にヒット

棚橋賢二郎(拳心館)vs野村怜央(TEAM.KOK)は第1ラウンドに2度ずつのノックダウンがあり、第2ラウンドも棚橋のパンチ連打で2度のダウン奪ってKO勝利。第1ラウンドの棚橋2度目のダウンはその前の過撃の注意と重なりタイムストップが入るも、そのアナウンスがされていないが2度ずつのダウンとなる様子。前回興行に続く劇的な展開はNKBらしさがあるが、打たれ過ぎはなるべく避けて貰いたいところでもあります。

野村怜央vs棚橋賢二郎。2ラウンド目の2度目のダウンへ繋いだ右ストレート
棚橋賢二郎のパンチ連打で崩れ落ちた野村怜央、この後、タオルが入る

安田浩昭は得意のパンチで攻勢に出るが詰め切れない。時折、鎌田政興の強い蹴りが出るがこれも詰め切れない。安田浩昭のパンチとローキックがやや上回る展開が続き、決め手に欠ける内容ながら、安田浩昭の判定勝利。

安田浩昭は昨年12月に倒した高橋聖人(真門)と今年6月16日にNKBフェザー級王座決定戦で対戦予定となります。安田浩昭は11戦9勝(4KO)2敗。

鎌田政興vs安田浩昭。安田浩昭の重いパンチで鎌田政興を追い込む

その王座は、高橋と同門の優介が昨年12月に村田裕俊(八王子FSG)からダブルノックダウンの末KO勝利で王座奪取しているが、試合前からドクターによる引退勧告が言い渡されており、頭部の危険を承知の上での挑戦でした。王座を獲ることが目標で、それが達成された今、引退を表明したこの日のリング上でした。

女子キックも定着してきた日本キック連盟での展開。両者の技術の向上も見られ、21歳の壽美が31歳の喜多村美紀に的確さで優り判定勝利。

壽美(コトミ)vs喜多村美紀。互いにキャリアは浅いが若い壽美が有効打で上回る

◎闘魂シリーズ vol.1 / 2018年2月17日(土)後楽園ホール 17:30~20:45
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

野村怜央vs棚橋賢二郎。ダウン奪われた野村怜央が逆転の右ハイキック
棚橋賢二郎vs野村怜央。更なるダウンを奪う野村怜央の右ストレート
逆転から逆転へ繋ぐ棚橋賢二郎の前進する圧力
ペースを奪い返してパンチヒット狙う棚橋賢二郎

◆第10試合 55.5kg契約 5回戦

NKBバンタム級チャンピオン.髙橋亮(真門/22歳/55.4kg)
   VS
コッチャサン・YZD(元・ルンピニー系スーパーバンタム級7位/タイ/19歳/54.7kg)
勝者:高橋亮 / 判定3-0 / 主審:前田仁
副審:鈴木50-48. 馳49-48. 川上49-48

◆第9試合 ライト級 5回戦

NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/30歳/60.75kg)
   VS
同級4位.野村怜央(TEAM.KOK/27歳/61.0kg)
勝者:棚橋賢二郎 / KO 2R 2:56 / カウント中のタオル投入による棄権
主審:亀川明史

◆第8試合 フェザー級3回戦

NKBフェザー級1位.安田浩昭(SQUARE-UP/31歳/56.95kg)
   VS
同級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/27歳/56.9kg)
勝者:安田浩昭 / 判定3-0 / 主審:鈴木義和
副審:佐藤友章50-48. 川上50-48. 亀川50-48

◆第7試合 女子51.0kg契約3回戦(2分制)

喜多村美紀(テツ/31歳/50.95kg)vs壽美(NEXT LEVEL渋谷/21歳/50.8kg)
勝者:壽美 / 判定0-2 / 主審:馳大輔
副審:川上30-30. 前田29-30. 佐藤友章29-30

◆第6試合 ヘビー級3回戦

打田知彦(テツ/37歳/86.75kg)vs森本真(極蹴会/50歳/81.6kg)
勝者:打田知彦 / KO 3R 2:02 / 3ノックダウン
主審:佐藤彰彦

◆第5試合 フェザー級3回戦

藤田洋道(ケーアクティブ/37歳/56.8kg)vs半澤信也(トイカツ/36歳/57.0kg)
勝者:半澤信也 / TKO 2R 0:57 / カウント中のレフェリーストップ
主審:佐藤友章

◆第4試合 ウェルター級3回戦

ゼットン(NK/46歳/66.6kg)vsちさとkiss me(安曇野キックの会/35歳/66.6kg)
勝者:ゼットン / 判定3-0 / 主審:川上伸
副審:鈴木30-29. 佐藤彰彦30-29. 馳30-29

◆第3試合 ライト級3回戦

小笠原裕史(TEAM.KOK/39歳/60.75kg)vs神田拳児(Team S.A.C/20歳/60.95kg)
引分け 0-1(28-28. 28-28. 28-29)

◆第2試合 バンタム級3回戦

古瀬翔(ケーアクティブ/22歳/53.1kg)vs大﨑草志(STRUGGLE/36歳/53.25kg)
勝者:大﨑草志 / 判定0-3 (29-30. 28-30. 28-30)

◆第1試合 バンタム級3回戦

志門(テツ/21歳/52.9kg)vs剣汰(アウルスポーツ/18歳/53.15kg)
勝者:志門 / 判定2-1 (29-30. 30-29. 30-29)

プログラム貰って会場に入ると、後で2冊持っていることに気付く。薄くなったのでした。紙質は厚くなった気がするが過去の16ページから8ページに。でも明らかに1冊の厚さは薄い。だからすぐには気付かず。この薄さと中身から「体制が何か変わったな」とはすぐ感じました。興行的には普段と変わらず、盛り上がりもあれば、不甲斐ない試合もあった興行でした。日本キック連盟は昔からプログラムは無料配布される体制です。

連盟の渡辺信久代表が珍しく体調不良で欠席されました。インフルエンザかな?と思いますが、ドクター勧告で「行っちゃダメ!」と止められている様子

その渡辺ジムは昨年暮れに、長年住みなれた葛飾区東新小岩から江戸川区東小松川に移転。ジムは近代的でもなく、古い造りでもないような話は聞きましたが、その様子は一度覗いてみたいものです。

旧ジムは古いビルの4階で、入るには4階に至るまで薄暗く緊張する階段でした。今時の空調設備と女子更衣室完備のジムが増えた中、昔ながらの隙間風入る、冬寒くて夏暑い、カビ臭い、ボロボロのサンドバッグが吊り下がり、リングのマットが剥がれているようなジムはどれぐらいあるでしょう。古いジムの方がキックらしい気がします。古い考えですが。

次回興行、闘魂シリーズvol.2は、4月21日(土)後楽園ホールに於いて17:30開始です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈23〉タイで三日坊主!Part.15 慣れぬ寺の生活

外出する為、黄衣を纏うブンくんたち。面倒そうだが、3分も掛からず纏い上げる

托鉢の苦戦、寺の様子、更に試練が襲ってきます。

◆六日坊主?!

朝4時に起きる日が続き、黄衣の纏いは練習はするものの、相変わらずコツが掴めず、下手なまま3日目の托鉢に出発。黄衣は何とか解けずに帰れた2日目と違い、この日はどうも調子が悪い。肩に掛けても掛けても緩くて落ちてくる纏い。寺に帰る最後の路地で、前を歩く藤川さんが遅い私を待ち構えるように立っていて、纏いが崩れた姿を見て、凄い怖い顔で何も言わず緩んだ纏いを引っ張り上げ肩に掛けてくれるも、寺の門を潜った途端、「こんなの見たこと無いわぃ!」と吐き捨てるように言われてしまいました。

昨日は、読んだままの、どこが表紙かわからないグチャグチャに畳んだバンコク週報(日本人紙)を、何も言わずに私の部屋にポンと投げ入れ、与えるというよりゴミを捨てていくような行為は2度目。前回の白衣とは意味合いは違うが、無視する藤川さんに怒りすら覚えていた私。去って行く後ろ姿を飛び前蹴り食らわそうかと、キレそうになるところを我慢するも、翌朝のこの纏いが乱れた托鉢では、もうそんな気持ちが萎えてしまいました。

托鉢4日日はワンプラで、かなりサイバーツ(寄進)が多かった托鉢で、重くなって傾くバーツを直そうと肩に手を回したところで、バーツの蓋を落としてしまいました。“バシャーン”、ステンレス製の蓋がコンクリートの地面に落ちたらどれだけ響くことか。藤川さんが驚いて振り向き、近くに居た信者さんも驚き、恥ずかしいやら情けないやら怖いやら。

寺へ帰ると「バーツの蓋落とすなんて聞いたことないぞ!」とまたキツく言われる始末。

更なる5日目、路地のデコボコ石で足の裏は痛くて仕方ない。藤川さんとの距離が開き、足下を見ながら追い付こうと前に進むと、軒先でサイバーツしようと待ち構えるオバサンを見逃してしまいました。通り過ぎてから気が付き、「まあ仕方ない、先を急ごう」と歩き始めると、その姿を藤川さんが見ていて、「一軒飛ばしたやろ、無視したことになるから、あのオバサンに対して凄い失礼なことしたんや、そう思わへん?」と言われ、認めるしかありませんでした。「あんた、歩くの速いんだよ!」と少し頭を過ぎるが、足下が気になって下ばかり見て歩いているから不注意だった。本当に心から反省でした。連日続く失態。托鉢5日目で「もう辞めたい」と涙が浮かぶ。ここで辞めれば六日坊主。ここで頑張ると言うより、ただ耐えるだけでした。

◆寺の作業!

「ここでの生活は、自分の意志次第で、自分でしたいことを自由にやればいいのです。和尚様から“あれをせよ”とか、“こうしなさい”とか言われることはありません。戒律に触れる事をしなければ本当に自由です。勉強がしたければすれば良いし、瞑想がしたければすれば良いし、外の寺に行って学びたければ行けば良いし、ただ自分が何のために得度したのかを忘れなければそれで良いのだと思います。自力本願で誰も何も教えてくれません。」

これは私がまだタイに渡る前に藤川さんからの手紙に書いてあった一部です。しかし、私が感じた寺での生活は、まだ慣れていないにせよ、なかなか気が休まるものではありませんでした。

比丘となって托鉢2日目の朝、路地に出る前、藤川さんから「何かやらんと“あいつは怠け者だ”と言ってたぞ、タイ人は見ていないようで見てるぞ!」と苦言をされていました。しかし、何をやればいいのか分からないのです。

職人技発揮のコップくん、読経も完璧で天才肌

この日の朝食後、比丘たちの様子を見ていると、それぞれが自分の持ち場があるかのように幾つか散らばっていく姿が見受けられました。寺のクティ脇に公衆トイレを建設する職人さんが来ていて、その手伝いに加わるのがコップくんら元々職人だった比丘が作業。ケーオさんは得意の機械イジリで和尚さんの車のメンテナンス。アムヌアイさんは寺で放し飼いしている牛の糞運びなど。副住職のヨーンさんは葬儀場の整理。他に、仏塔建設が行なわれている場では資材運びを手伝っているメーオくんらのグループ。藤川さんはいつもの日課。

ブンくんら数名は本堂の木陰のベンチでお喋りをする比丘ら数名。私はいちばん気が合うブンくんらの不器用な面々の輪に加わりお喋りに徹しました。
「みんな普段何しているの? 何すればいいの?」と聞くと、「俺らはお喋りか昼寝だろうな!」と言う呑気な回答。

そんな時に和尚さんに呼ばれて、広い境内の空地のゴミ拾いを命ぜられました。特に技術の無い我々は、そんな雑用になる自然な成り行きでした。

葬儀と朝昼の食事以外、日々の読経など全く無く、何で比丘が肉体労働やってんだか。もっと仏門らしさがあるはずだったのに、私の“修行”の解釈が間違っているのでしょうか。

比丘の食事の輪に入ればこんな風景
ゴミ拾いや牛の糞しまつなど、率先してやるアムヌアイさん、私もアムヌアイさんに付いて動くことも多かった

◆パンサー明けの転換期!

「来月、5日過ぎたら還俗者が増えて部屋が空く」と藤川さん言っていたのは、私の寺入り初日のこと。

その11月5日はカティン祭があります。一時出家者が7月半ばのパンサー入り(三宝節記念日の翌日)前に出家し、この最も厳しくて重要な修行期間に入ると、パンサー明けまで還俗は認められず、パンサー明けの10月半ば(満月の日)を過ぎると徐々に還俗者が出てきます。私の寺入り前に、すでに還俗した者も居て、カティン祭を待って還俗する者のほうが多いのも事実のようです。

カティン祭とは、その年のパンサーが無事に終わったことを祝い、信者さんが比丘に黄衣や日用品を包んだ黄色い供え物を捧げるお祭りで、実際にはお寺の寄付金集めの行事らしく、クリスマスツリーのように飾り木にお金(紙幣)を吊るし、楽器の演奏者を先頭に寄進者一同が行列を作り、踊りながらお寺に寄進にやって来る、信者さんの徳を積む機会となります。

そのカティン祭でいつもの葬儀より高額のお布施を貰うと、これが最後のボーナスかのように還俗者が増えるというのが、当初の藤川さんの言葉の意味なのです。
そのカティン祭の為、前々日からクティ内が小学校の学芸会でもあるような飾り付けがされていきます。比丘が脚立に上って高いところへ飾り付ける。これも器用な奴が率先してやるので、皆が競い合ってやることはなく、井戸端会議のような集まりになっていました。それはそれで楽しいもの。藤川さんも笑いながら若い比丘と冗談言っているものの、私に対しては無関心状態が続いていました。

◆ビザ問題浮上!

その翌朝の托鉢の、寺を出たところでまた藤川さんが珍しく話しかけて来ました。

藤川さん「お前の今のビザは観光ビザか?」
   「そうです」
藤川さん「いつ入国したんや?」
   「10月15日です」
藤川さん「ビザ期限は12月半ばやな」
   「そうですが、バンコクの入国管理局へビザ延長に行く予定なので、30日延長出来て期限は1月半ばになります」
藤川さん「タイ法務省の宗教局に電話で聞いたら、“坊主は修行者で、明らかに観光ではないから延長は出来ん”と言われたぞ、どうするんや」
「えっ、本当ですか? どうしましょう」
藤川さん「そんなもん自分で考えんかい!」

さあ困った。托鉢中にビザ問題が頭を過ぎる。迂闊だった観光ビザの認識。でも早く教えてくれてよかった。私に気を掛けて宗教局へ電話してくれていたことには感謝でした。さて対策を考えなければなりません。藤川さんは助けてくれるでしょうか。

出家して4日ほど経った頃、いずれこの写真見て懐かしく思えるだろうかと思って撮った洗濯して干した黄衣

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

おかげさまで150号!最新刊『紙の爆弾』3月号! 安倍晋三を待ち受ける「壁」
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

プロボクシング、伝統の年間表彰式はメジャー競技の象徴!

日本プロボクシング協会、渡辺均会長の御挨拶

2017年度年間表彰式が、2月9日、日本ボクシングコミッション、日本プロボクシング協会主宰で、東京ドームホテルで行なわれました。一堂に会するチャンピオン達の顔触れに、夢の祭典という印象を受ける表彰式でした。また反面、来場者に古くからある顔触れも見られると、子供の頃、テレビで観た頃の懐かしさがありました。

《各受賞選手》

◎最優秀選手賞 WBA世界ミドル級チャンピオン.村田諒太(帝拳)初

◎技能賞 WBO世界スーパーフライ級チャンピオン.井上尚弥(大橋)2年連続2回目

◎殊勲賞(2名) WBA・IBF世界ライトフライ級チャンピオン.田口良一(ワタナベ)初
        WBO世界フライ級チャンピオン.木村翔(青木)初

三賞受賞選手。左から田口良一(殊勲賞)、村田諒太(最優秀選手賞)、井上尚弥(技能賞)、木村翔(殊勲賞)
謝辞を述べる村田諒太(最優秀選手賞獲得)

◎努力賞及び敢闘賞 東洋太平洋ヘビー級&WBOアジア・パシフィック・ヘビー級チャンピオン.藤本京太郎(角海老宝石)初

◎KO賞 WBC世界フライ級チャンピオン.比嘉大吾(白井・具志堅S)初

比嘉大吾(KO賞)と具志堅用高会長の師弟コンビ

◎新鋭賞 WBC世界ライトフライ級チャンピオン.拳 四朗(BMB) 初

◎年間最高試合賞 WBA・IBF世界ライトフライ級王座統一戦(12月31日・大田区総合体育館)田口良一vsミラン・メリンド(フィリピン)

◎年間最高試合賞(世界戦以外)=WBC世界スーパーフェザー級挑戦者決定戦(1月28日・カリフォルニア)三浦隆司vsミゲール・ローマン(メキシコ)

ライトフライ級の対立チャンピオン、WBC拳 四朗、WBA・IBF田口良一

◎優秀選手賞(全15名、上位受賞者含む)
WBA世界ミドル級チャンピオン.村田諒太(帝拳)
WBO世界スーパーフライ級チャンピオン.井上尚弥(大橋)
WBA・IBF世界ライトフライ級チャンピオン.田口良一(ワタナベ)
WBO世界フライ級チャンピオン.木村翔(青木)
WBC世界フライ級チャンピオン.比嘉大吾(白井・具志堅S)
WBC世界ライトフライ級チャンピオン.拳 四朗(BMB)
IBF世界ミニマム級チャンピオン.京口紘人(ワタナベ)
WBO世界ミニマム級チャンピオン.山中竜也(真正)
IBF世界スーパーバンタム級チャンピオン.岩佐亮佑(セレス)
前WBA世界スーパーバンタム級チャンピオン.久保隼(真正)
前WBO世界ミニマム級チャンピオン.福原辰弥(本田フィットネス)
他、欠席4選手=山中慎介(帝拳)、井岡一翔(井岡)、ホルヘ・リナレス(帝拳)、田中恒成(畑中)

京口紘人と岩佐亮佑のIBFベルトコンビ

◎女子最優秀選手賞
WBA女子世界フライ級チャンピオン.藤岡奈穂子(竹原&畑山)3年連続5回目

◎女子年間最高試合賞
WBC女子世界ミニ・フライ級タイトルマッチ(12月17日・福岡)
黒木優子(YuKOフィットネス)vs小関桃(青木)

女子の受賞者、藤岡奈穂子選手(女子最優秀選手賞)と小関桃選手(女子年間最高試合賞)

◎特別功労賞 内山高志

◎特別賞 三浦隆司、下田昭文

引退組となった特別功労賞受賞の内山高志、特別賞受賞の三浦隆司と下田昭文

◎トレーナー賞 有吉将之、野木丈司

◎社会貢献賞(ダイヤモンドフィスト賞) 坂本博之SRSジム会長

◎WOWOW検定賞 三井賢徳

◎日本プロボクシング協会功労賞 山中勇、関谷西生、高橋美徳、原田実雄、中村尚秀

◎協会より感謝状 森田健レフェリー

表彰選手全員集合
全国の児童養護施設訪問で尽力された功績を称えられた坂本博之氏
レフェリーとして功績大きい森田健さん

受賞者を代表して謝辞を述べた村田諒太選手、帝拳ジム関係者や周囲の応援があっての受賞に至った感謝を述べた後、「個人的な話をさせて頂きますと」と、恐縮気味に進めたお話では「今日は高校の恩師にあたります武元先生の命日に当たります。そういう日にこういう賞を頂けるのも高校の恩師が未だに見守っていてくれているんだなと、つくづく感じております。思えばデビュー戦も8月25日の先生の誕生日でした。」と恩師(武元前川氏)の導きに感謝し、今後の飛躍を誓っていました。
数年前と比べ、若い顔触れに流れが変わった壇上のチャンピオン達、ベルトの数も増えていました。主要4団体という過去に無い王座の多さは賑やかさがある反面、世間から見ればどう映るのか懸念も残ります。

上昇気流に乗るチャンピオン達に対し、引退していく選手もいます。特別功労賞を獲得した内山高志選手、世界戦以外の年間最高試合賞と特別賞を獲得した三浦隆司選手、もう一人特別賞を獲得した下田昭文選手の引退組も、選手としてのこの表彰の場では最後の勇志という感じでした。

社会貢献賞として別名ダイヤモンドフィスト賞と呼ばれた賞にはSRSジム会長の坂本博之氏が受賞。“平成のKOキング”と言われたかつてのKOパンチが想い起こされる懐かしい顔が壇上に見られました。

日本プロボクシング協会より感謝状を受取られたのは、長年の審判員を務められた森田健氏。具志堅用高氏の世界戦のレフェリーを務められたこともある森田氏、それよりもっと古くから世界戦を裁いていらっしゃるので、古い者から見れば無くてはならない印象に残る存在でしょう。永年、レフェリーとして国際的にもボクシング界に貢献した功績を称えられる感謝状でした。

村田諒太選手は、ミドル級統一制覇するには避けて通れないのがWBA世界ミドル級スーパーチャンピオンでWBCとIBF王座も持つゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)がいます。
「まずは4月の初防衛戦に勝つことが第一で、そのあとにゴロフキンやサウル・カネロ・アルバレス、WBOチャンピオンのビリー・ジョー・サンダースへ進んでいけるように、しっかり頑張っていきたいと思います」と本人が語るとおり、これらのスーパースター級に勝利すれば、日本ではかつてない偉業を果たすことになります。そのトップレベルに挑める可能性がある現在だけでも偉大なもの。1年後の表彰式でどんな立場で現れるか楽しみなところです。

今年は1階級上のバンタム級に上げ、ライトフライ級、スーパーフライ級王座に続いて三階級制覇を目指す井上直弥選手は村田諒太に続く世界の偉業に挑む注目を浴びる立場。
「上の階級に向けた体作りに取り組んでいる」と言います。村田諒太と井上直弥は本場アメリカ、ラスベガスなどでのビッグマッチ、世界的に名声が轟く定着も視野にあり、これらが今後の日本のボクサーが目指すステータスとなるでしょう。

サインを求めるファンの列がいちばん長かった井上直弥
拳 四朗選手は人懐っこい笑顔が素敵だったという評判

この日、JBC役員の方に、ある些細なことをお尋ねしました。それはリングネームについて、ルールは変更されていないことを確認出来ました。それは以前から思っていたとおりでしたが、後楽園ホール5階の正面入口には世界チャンピオン達のパネルが並んでおり、“拳 四朗”のパネル写真もあります。リングネームは“姓名”を揃える、そこに漢字・カタカナ・平仮名で外来語も含む別名に替えることも許されています。拳四朗の呼び名は「けん・しろう」で姓名として分けているという強引な解釈ながら、これで認められているということでした。そういう意味で、“拳”と“四朗”の間が開いていることは想定したとおり。「他・格闘技で見られる個人名のみのリングネームの影響が、ここまで来ているんだな」と古い考え方では違和感があるも、これが時代の流れなのでしょう。拳四朗の本名は、寺地拳四朗で、元・東洋太平洋ライトヘビー級チャンピオンの寺地永氏の次男となります。

年間表彰式、来年はまたここに新しい顔が入ったり、外れる顔があったり、また年間最優秀選手(MVP)という一人しか選ばれない枠に誰が入るかという興味。王座乱立の中でも、MVPだけは乱立しない価値があります。選考審査はこの日以前に、東京・関西運動記者クラブ、ボクシング分科会によって決まることですが、当日の壇上にはまた違った緊張感に包まれる、1949年から続く伝統の年間表彰式はメジャー競技の象徴として今後も続いていくことでしょう。

乾杯音頭直後のチャンピオン達

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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私の内なるタイとムエタイ〈22〉タイで三日坊主!Part.14 友達何人できるかな

◆比丘となって2日目!

初の托鉢から帰って束の間、儀式用黄衣の纏い(ホム・ドーン)が出来なければ朝食が食べられません。昨日ちょっと習っただけではまだ下手糞。そんな焦る私を助けるように藤川さんがやって来て教えてくれました。ジグザグの蛇腹風に折り畳んだ黄衣を持って、「端を持って肩幅まで引っ張って、束になった方を左肩に乗せて……。アカンなあ、もう時間無い、やったるわ!」グチグチ言いながらまた幼子に着せるようにやってくれました。

ホー・チャンペーンでの食事は5僧ほどが輪を囲ったグループが5つあって、合掌して食べ始めます。食べ終わると座ったまま2列が向かい合うように並び、アヌモータナーウィティーという経文の序章部分を誰かが率先して先導し、朗読のような読経から副住職に繋がれ、続いて全員で1分程度の短い読経に入ります。

3月に来た時、藤川さんが「この経文だけは覚えておいて、お前が初日から先導して唱えてみい、みんな驚くぞ!」とは言われていたものの、やっぱり未熟者が初日から率先することは出来ませんでしたが、やっておけば先制クリーンヒットのような、どよめきがあったかもしれません。

◆相変わらずの不器用な纏い!

午前中は纏いの練習。また昼食時に儀式用纏いにしなければと悪戦苦闘していると、コップと言う名の比丘が何か察したか、部屋にやって来て「昼食時はこれじゃないよ、普通のホム・ロッライだよ」と教えてくれました。このコップくんは私の得度式で黄衣に着替えさせてくれた奴。ムエタイボクサーのような筋骨隆々で読経も上手く、勘が冴えてる奴でした。

午後はまた藤川さんと外出しなければいけません。また外出用(ホム・マンコン)に纏うものの、なかなか上手くいかない。20分も掛けて纏っていると、昼間の暑い部屋では汗だくで黄衣に汗が染み渡ります。そんな時に外のクティ下のベンチで若い比丘らが屯(たむろ)しており、私の部屋の窓に向かって「おーいハルキ、外で一緒に喋ろうよ!」なんて声掛けてくれる奴が居て、「誰だ、俺の名前を覚えたいい奴は!」と思いながら「いや、外出しなけりゃならない、ゴメン!」と謝りつつ外に出たついでに、纏った黄衣を「ちょっと見てくれ!」と彼らに見せ、藤川さんを待たせたまま応急処置的に強く巻き付けて貰い、「コップンカップ!」とタイ語で御礼を言って出発。ちょっと首周りがキツイがしっかり巻かれていることが心地良い。

◆街を歩く!

街を歩いて俗人の時と違うのは、比丘である私に敬いを感じる周囲の目線。おこがましいがそう感じ、それは“私”が敬われているのではなく、仏陀の弟子である比丘が敬われていること。行きかう人々は、至近距離に比丘が居ては、特に女性は一歩身を引く気遣いが見られます。そんな立場である私は、女性に接触しないよう気をつけ、女性をイヤラシイ目で見ないよう気をつけ、見たとしても周囲に気付かれないよう気をつけ、黄衣が解けないよう気をつけていると、もう挙動不審な歩き方でしたが、その辺をウロつく野良犬だけが私を見ても無視して行きました。

街に出た用事は、雑貨屋へ行って比丘手帳買って、写真屋に行って証明写真を撮ること。私はこの必要性をまだ分かっていませんでしたが、何でも早めに行動を起こす藤川さんに促されて行ったまででした。この撮影は藤川さんが先に、その纏った黄衣のまま撮影。しかし私は纏いが下手な為、黄衣を脱がされ、亀の甲羅のような、撮影用の黄衣を模った甲羅を付けて椅子とともに縛り付けられ、どこかの風俗店にいるような姿。ちょっと無理ある合成写真のような仕上がりになること想像付きました。

若い比丘たちのリーダー格存在のケーオさん

撮り終わると困ったのは黄衣をすぐには纏えないこと。纏いに20分掛かるのに写真屋さんで手間取っている訳にもいかない。意地悪いことに藤川さんは「早よせいよ!」と言って先に外に出てしまいます。「こんな時に助けろよ!」と日本語で口走ると、状況で察して助けてくれたのは撮影した写真屋の兄ちゃん。「得度したことありますか?」と聞くと、「あります!」と応えられ、さすが上手く速く、纏い付けてくれました。比丘として御礼は言えないので、「ありがとう!」と日本語で御礼を言って店を出ました。

寺に帰って、比丘手帳に必要事項を書いて貰う為、隣の部屋のケーオさんに頼みましたが、「3ヶ月経ったら書いてやるよ!」と言われて、普通は1パンサー(安居期)超えて一人前になってからということとは分かりつつも、「ビザの延長に入国管理局に行かないといけないから!」とパスポートを添えてお願いし、了承して頂きました。

◆仲間と打ち解け始める!

慌しい用も済んだところで次は洗濯。黄衣ではなく、これまで着ていた下着やズボンなどの衣類。本来、得度式を終えると、それまでの衣類は親族が持って帰るか、寺が預かるもの。しかしこの寺はかなり大雑把。白衣になってからは部屋に置きっぱなしでした。比丘の身分で洗ってもいいのか分からず、クティ下の洗い場で、先に黄衣を洗濯していた先程のコップくんに聞くと「大丈夫だよ、問題無い!」と場所を共有させてくれました。彼は元々、便所を作るような土建業の仕事をやっている職人の22歳。このパンサー入り前に出家したという話でした。

中央がコップ、勘が良く、読経が上手く、大工仕事も上手い奴

夕方以降、部屋に居ると若い比丘が2人、得体の知れない私に興味津々でやって来ました。カメラ(NikonFM2モータードライブ付き)を見て「これ幾らするの? 覗いていい?」という流れはムエタイジムでもあった話。メガネを掛けてニコニコした人懐っこいブンくんは、元々は学生だった様子でパンサー前に出家したコップくんと同じ一時出家者の22歳。「葬儀用の纏いは何て言うの? 托鉢に出る場合は? 寺に居る時の肩出す纏いは? タイ語できれいに書いてくれたら読めるから!」と聞いてメモ帳に書いて貰うと、他にも聞いたこといっぱい書いてくれる親切丁寧な奴でした。

もう一人のスパープくんは藤川さんの隣の部屋の奴。藤川さんの蚊取り線香の凄い煙を避けて、隣の部屋に集まる蚊の犠牲になっているのがこのスパープくん。と言うのは大袈裟な話として、スパープくんはムエタイジムにも居るような田舎者で、村社会で育った習慣から、自分の家も隣の家も自由に出入りして勝手に何でも使い、それが普通の環境で育った奴。私のカメラバッグを弄りだし、油断ならないところがあるが、決して悪気は無い。藤川さんの話では、彼は結構真面目にお経を覚える努力している奴で、他の奴より1年早く出家している23歳。こうして仲間が増えていくのは、何も分からない私を支えてくれるので心強くなれました。

物珍しさにやって来たメガネのブン(左)とスパープ(右)

◆藤川さん無視!

その反面、キツイこと言うだけの藤川さんは、昨夜から私には必要事項以外、無視状態となり、その距離は私の出家前とずいぶん掛け離れ、立嶋アッシーや春原さんと笑って話していた、あの朗らかさはどこへ行ってしまったのか。不安と怒りが次第に増してきた夜でした。

托鉢と写真屋しか行っていないのに目まぐるしい一日でしたが、私はこれまでの人生での三日坊主の怠け癖が出て、「黄衣纏いの練習は明日の朝でいいや」と思って夜10時頃寝ます。静けさの中でもクティの中はまだ蛍光灯は点いていて、どこかで誰かがまだざわついている様子は伺えるいつもの寺でした。

剃髪前と剃髪後と23年後にツーショット撮ったのはメーオだけ

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

おかげさまで150号!最新刊『紙の爆弾』3月号! 安倍晋三を待ち受ける「壁」
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キックボクシングや格闘技関係者の資格は国家的ライセンスにすべきか?

トレーナーとしてセコンドとして後輩を育てる鴇稔之氏(2017.4.16)

先日、元・日本バンタム級チャンピオンの鴇稔之(とき・としゆき)さんがフェイスブックに於いて、キックボクシングの免許制度案について想いを述べられていました。その文面を引用させて頂く形で、過去記事と重複する箇所はありますが、改めてこの事案を取り上げてみたいと思います。キックボクシングが誕生して50年あまり、もっと早く、みんなが真剣に考え実現に動かなければならなかった課題です。

日本ではキックボクシング業界がまとまって共通のライセンス制度を取り入れたい意見は古くからある中、現在はどの団体もプロ選手に関してプロ・テストはやっていますが、内容に関してばらつきがあり、一定のプロ・レベルに達していないプロ・テストもあるのかもしれません。

日本バンタム級チャンピオンとして4度防衛した鴇稔之氏(1992.11.13)

◆命を守る国家的ライセンスの威力!

一般社会では、各種免許には国家試験が実施されますが、そこには人の命に係わる事由があり、知識と技術が要求される為、自動車免許にしても医師免許にしてもフグの調理師免許にしても、素人がそれらをやる事によって、人が死に至ることも有り得る事柄に関しては、国の免許制度が導入されている訳です。

スポーツに於いては、プロボクシングはJBCによるプロテストの下、各種ライセンスが能力に応じて与えられている基盤がしっかりした競技であり、キックボクシングに於いては、どこも任意団体で、制度が整備されなければならない危険度高い運営環境にあります。

キックボクシングはボクシングに比べれば死に至るケースは少ないものの、怪我をする確率はボクシングより遥かに上回ります。試合においての骨折はよく起こることで、それは競技性の内容にもよりますが、キック各団体やレフェリー団体、指導のされ方によっては適切な処置が出来ないレフェリーが居ることにも原因のひとつがあり、ジャッジにも不適切なジャッジメントのせいで選手が引退してしまったり、会場で見受けられる客同士のトラブルや、関係者の士気をさげるような言動など、興行的にも選手や関係者の意識の低さで、あってはならない事態も度々起こり、なかなかメジャースポーツの仲間入りが出来ません。

また、「ジムの会長は業界育ちではなくても資金があればジムを開設出来る」というのが現状で、キックボクシングが好きでお金があるというだけでジムをやっている会長も居るのも事実です。そこは経営者たるもの、格闘技の知識や一般常識を持ち合わせなくてはいけません。例えば他のスポーツで、野球やサッカーで選手経験の無い人が監督を務めることはありません。

選手の命を守ること第一に、興行のトラブルを未然に防ぐ為にもキックボクシング業界は選手、オーナー、セコンド(トレーナー)、役員に、団体ごとではない業界統一レベルでライセンス制度を取り入れたい現状で、こういうところにも国家的ライセンスの威力がないと整備できない現状があります。

キックボクシングは決してつまらないスポーツではなく、かつてのテレビ放映が長く続いた昭和の時代や、後の「K-1」、現在の「KNOCK OUT」もテレビ番組の反響を見ればその素晴らしさは誰もが理解出来るでしょう。人気だけが先行して組織の基盤は軟弱なのが、キックボクシングと新興格闘技の現状です。

◆タイ国ボクシング法

タイ国では、政府に観光・スポーツ省があり、傘下にあるボクシング・スポーツ委員会は、公務としてコミッションに相当する役割を果たしています。この管轄下にあるのがタイ国ムエスポーツ協会で、プロボクシングを含みます。

1999年に制定されたタイ国ボクシング法では、規定のムエタイレフェリー公式講習に合格すると国家資格として、タイ国観光・スポーツ省が認定する正式なムエタイレフェリーとしてライセンスを交付されます。こういう構築した国家的ライセンスはは魅力的存在でしょう。

願わくば、日本もタイ国のようにスポーツ庁が定めてくれるのが望ましいところですが、それはまた利害が絡む別次元の複雑な問題があり、プロ競技に係わってくることは、おそらく10年以内では難しいところ、全ての団体が集まって統一ルールの下、将来的に国から認可されやすい環境を作っていくことを最優先に整備することが望ましいところです。

ムエタイレフェリー講習で指導するブンソン・クッドマニー陸軍大佐、タイの国家的業務です(2017.9)
終了証を得た新人レフェリー達、タイの国家的ライセンスです(2017.9)

◆理想のスタジアム建設

数年前、ライセンス制度の話をキックボクシング生みの親、野口修会長と語り合った鴇稔之氏は、「キックボクシング専用のスタジアムがあれば、タイのラジャダムナンスタジアムやルンピニースタジアムのように各団体をプロモーターに見立ててランキングを統一出来るようになります。」という前例を語り、それでスタジアム建設の話が盛り上がって来たところで、野口修会長が2016年3月に亡くなってしまったので、立消えてしまったということでした。

ラジャダムナンスタジアム館内、世界に知れ渡った殿堂です(2017.5.25)
数々の代表の立場で語った野口修氏、もうひとつ大きな仕事を残していましたが(2014.3.9)

鴇氏は「今後、何とか話を再燃したいです。それは私でなくても、やれる人がやればいいのです。」と語り、団体乱立が長く続いたキックボクシング界では、「今後も誰かが強力な団体を立ち上げてもあまり意味が無く、設立者が亡くなられたり、資金が尽きれば消滅や弱体化し、また分裂に至ります。」とも語られています(私の過去記事と同意見)。

スタジアム制の場合、支配人の交代があっても立退かない限りはスタジアム自体が無くなることはなく、タイの二大殿堂のように、ここに集まる観衆が群集の力となって支持が働けば自然と最高峰と成る可能性を持っています。

都心に極力近い地域にキックボクシング・スタジアムが建設されれば、国内統一と世界から注目される格闘技殿堂は実現できるかもしれない、そんな莫大な資金が掛かる建設計画も一度は可能性ある話が進んでいたことに関心が持たれる今、ぜひ実現に向かって欲しいと願う昭和のキック同志達であります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

おかげさまで150号!最新『紙の爆弾』3月号! 安倍晋三を待ち受ける「壁」
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私の内なるタイとムエタイ〈21〉タイで三日坊主!Part.13 初めての托鉢

◆三日坊主生活の始まり!

今、纏っているのは黄色い僧衣。俗人の時に身に着けていたものは一切無い。パンツも穿いていない。外に出る時はサンダル履き。頭を触ればやっぱり髪は無い。本当にお坊さんになったよ、どうしよう。

泣きそうにアナンさんらを見送った直後、そんな呑気に我が身を観察している時間は無く、一刻も早く黄衣の纏いを覚えなければならない時。

◆黄衣の纏いを覚える!

午後は葬儀が続く中、藤川さんの黄衣纏いの指導が始まりました。托鉢に行く場合の纏い、普段寺に居る場合の纏い、葬式用の纏いを教えてくれますが、とにかく難しいし、文句言いっぱなしの藤川さん。「よう見とけ!まず端と端持って巻いていくんや、アホ、強う締めんかい、解けてくるぞ!」語気強く、ひたすら貶すばかり。そんなこと言ってる間に葬儀が再開、「もう行かなあかん、葬儀用に戻すぞ、早よせい、あかんなあ違うやろ!」ほとんど父親に服を着せて貰っている幼児状態で式典用(ホム・サンカティ)に纏い、葬儀に向かいます。

新米の私は比丘の列席の後方に座り、ワイ(合掌)をして読経など全く出来ないまま。周囲はこの年のパンサー(安居期)に出家した比丘ばかり。しかし皆、見事に声に出して読経している姿に圧倒され、これから日々、使う経文だけは覚えなくてはいけないと思うところでした。

葬儀の一区切りで、クティ下のベンチでタバコを吸ってくつろいでいる比丘、自家用トラックの荷台に乗って外に向かう数名の比丘がいると思っていたら、サーラーからまた読経が聞こえてくる。油断していると立ち遅れる私。皆当てられた役割があるので、私以外誰も迷ってはいません。

黄衣を纏う練習は続く(1994.10.30 セルフタイマー撮影)

やがて藤川さんがやって来て「折り目合わせて畳んどけよ!」と言って出て行かれ、私の出番は終わりと悟り、何とか慌しい行事の1日は終わりました。しかし夕方以降は黄衣の纏い練習をしなくてはなりません。

その夜も藤川さんがやって来て教えてくれるも、昼間までと違って口数少なく、今迄なら京都弁でグチグチ言いそうなところが何も言わない。それは何か冷たく、「こんなことすぐ覚えんとあの若い奴らにバカにされるんとちゃうけ?」と言うことは言うが語気は静か。

黄衣を頭から被り、生地を引っ張ると頭が引っ張られて持って行かれる状態。剃った頭はツルツル滑るものではなく、ザラザラで生地が纏わりついてしまうのでした。傍から見れば笑えるような光景にも私は苛立ち、藤川さんは無視し、全く笑いが起きない。私の不器用さに呆れたのでしょうか。
「これだけは覚えんと明日からのビンタバーツ(托鉢)に行けんのとちゃうか? 明日の朝までに出来るようにしとけ!」と言って出て行った藤川さん。

時間は夜9時過ぎた頃。その後11時頃まで練習。ホム・マンコン(注釈:ホム・クルムとは型が違う)と言われる門外用の仕上がる形だけ分かるものの、その纏いは上手く出来ない。足下は雑、首周りも雑、全体はダブダブして締まりが無い。やり方だけは覚えたが、イライラするばかりでは集中力も落ちている。やめた、もう寝よう。

◆初めての托鉢!

カメラのさくらやで買った小さな目覚まし時計が、午前3時50分。“ピピピピッ”を連続繰り返される音で目が覚める。藤川さんの部屋をノックするのは5時25分。それまで練習するのだ。昨日、一回纏うまでに20分以上掛かっていた。今日はどうだろう。その為の早起き。コツが掴めぬまま何度も繰り返し、格好悪いが形だけは出来た。解けずに帰って来れるか不安ながら、もう時間だ、これで行こう。

藤川さんの部屋をノックする。中に入ると、「やり直せ」と言うかと思うも、「今日はその場凌ぎに、脇の下に輪ゴムで止めとけ、最悪でも全部バラけることは無いやろう」と言って黄衣を巻き寿司のように巻きつけて捻った部分を脇の下で輪ゴムで止めてくれました。

20分かけて何とか完成、格好悪いが2つある型のひとつ、ホム・マンコン。我が寺ではこれに決まっています(1994.10.30 セルフターマー撮影)

そうして私の初めての托鉢は出発。夜明け前の寺の鉄扉を開け玄関を出て、裸足で藤川さんを先頭にして歩き出します。足の裏が冷たいジャリ道の地面に触れると直接的に肌触りがわかる土や石ころの感触。やがてコンクリートの道に入るとまた違った硬い感触。小石を踏むと若干痛い。ガラスや尖った金属片が落ちていないかと前かがみに歩き、見た目は格好悪いことは分かる。

寺から大通りに出るまでに、一軒のサイバーツ(鉢に入れる寄進)を待つオジさんを発見。藤川さんが立ち止まりサイバーツを受けています。その次に私の番。バーツの蓋を開け、しゃもじで掬った炊いたばかりと分かる湯気が立つ御飯が入れられました。そしてビニールに入った惣菜を頭陀袋に入れられ、藤川さんは振り返って私のその姿を見届けてから歩き出しました。
「ワシらは信者さんの徳を積む機会を与えとるんやで、物を貰って居るのではないぞ!」と、そんな教えを以前から受けているので間違った振舞いはしないが、やっぱり真の仏教の下で育った訳ではない私は、貰っている感覚で頭を下げそうになってしまいます。

藤川さんの後ろを歩けばこんな感じ(イメージ画像)
藤川さんのサイバーツを後ろから見る(イメージ画像)
後ろで待つとこんな感じ(イメージ画像)

大通りを出て、例の銀座がある方向へ歩きます。藤川さんの歩くスピードが速く、ついていくのがやっとの思い。足下に気をつけ、信者さんを見落とさないよう気をつけ、黄衣が解けないよう気を付けていると、どこを歩いているのか分からなくなる道。3月に来た時も歩いた路地にも入ると、やたら痛いデコボコ石があり「痛テテ、痛テテ、この路地やめようや!」と言いたくなる痛さで前を全く見れない状態。

ところで何軒受けたろうか。寺に入る路地まで戻って来て、やっと寺が近い見たことある風景を把握する。寺に入って溜め水で足を洗って部屋に戻り、藤川さんはいつものコースを短縮などせず、約1時間経っていたことに、結構長く歩いたんだなと我ながら感心。

「ヤクルトとかオレンジジュースとか手元に残して他、全部ホー・チャンペーンの受け皿に空けろ」と藤川さんに言われて全て出し、バーツの御飯はタライに空け、洗面台でバーツを洗い、部屋に戻って中を拭いて壁に吊るします。これでビンタバーツ一通りが終了。後はデックワットが朝食準備に掛かります。

ビンタバーツは、信者さんにもお得意さんの比丘が居るのも自然な成り行きで、「あのお坊さんが来るのを待っている」といった信者さんも居ます。そんな中では、この日、信者さん皆普通に私にもサイバーツしてくれたことに安堵するところでした。

◆次なる試練!

他の比丘も帰って来る中、気が付けばお腹が空いている状態。午後食事を摂ってはならない戒律の下、昨日のお昼以来の食事が待っていました。しかし、ここから次の難問が待ち構えています。朝の読経も短いながらこなさなければいけません。朝食の時も葬儀用同様の黄衣の纏い方があり、これをこなしてから朝食に向かうことになります。修行が始まっていることをようやく実感する最初の朝でした。

※注01=托鉢撮影は出家前の3月にタイに渡った際の撮影です。比丘となっては托鉢中は撮れません。(筆者)

※注02=23年も経って、当時の記憶や日記の記録、今の時代の文明の利器、インターネットで調べるなどで、改めて理解することもあり、黄衣の纏いの種類と呼び方に細かく違いがあるようでした。主には3種類の纏い方があり、またその中でも纏い方の呼び方が違う部分があります。今後の「タイで三日坊主」の中では、分かる範囲でなるべく正しい表記で書かせて頂きます。(筆者)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈20〉タイで三日坊主!Part.12 得度式に臨む

左は春原俊樹記者(ワールドボクシング)、右はキックボクシング全日本ライト級3位の高津広行(小国)、いずれも当時
先頭からゲオサムリットジム会長アナンさん、私、アナンさんの奥さん、高津くん

◆人生特別な日の朝!

朝起きて頭を触って改めて気が付く、やっぱり昨日の出来事は夢ではなかったと。やっぱり本当に髪が無かった現実の朝でした。そんな朝、私が朝起きるのが早いからか、デックワットは昨日の夜は私の部屋には来ませんでした。

◆アナンさんらを迎える!

7時20分頃、比丘の朝食中に部屋の窓から外を覗くと1台の車が止まっており、アナンさんらが到着した様子。最初に降りた高津くんと目が合うと互いが笑顔になる。こんなところまで所属選手でもない私の為に、アナンさん夫妻も来てくれたことには本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。積んできた寄進する料理を運び、和尚さんに挨拶に行ったアナン夫妻。私の手を煩わせない気遣いがあって、案内しなくても場所だけ示せば勝手に行ってくれる、どこの寺でも造りなどすぐ分かる慣れたものでした。

比丘の食事が終る頃、隣の部屋の秘書的存在のケーオさんに呼ばれて履歴調査となりました。このお坊さんは若い一時僧たちのお兄さん的存在。私が初めて寺を訪れた3月に藤川さんを「キヨさ~ん!」と呼んでくれたのがこのケーオさん。

「名前は、出身は、生年月日は、両親の名前は、日本で何してる?」など、得度証明書に書かれる項目と、得度出家者をサンガ(僧組織)に届ける義務がある為の簡単な面接でした。終わって部屋に戻ると、すでに春原さんが来てタバコを吸っていました。

「春原さん朝飯食ってないでしょ、一緒に食いましょう!」とまず、昨日春原さんは和尚さんと会えなかったので和尚さんのもとへ行って紹介すると「朝食まだなら、一緒に食べなさい」と予想どおり言われ、デックワットのいる部屋へ向かい一緒に朝食を摂りました。

「朝の托鉢でサイバーツ(寄進)された食材ですよ、比丘が箸を付けてないものもありますから頂いてください」と言うも春原さんは何も気にせず、どの惣菜も召し上がってくれました。

いつの間にか居なくなっていたアナンさんらは外に食事に行き、部屋に戻ると高津くんも戻って来て、出番まで春原さんと高津くんとお話して待機。9時半になってアナンさんが私らを呼び、いよいよ出陣となりました。

なんと寂しい本堂を周る我々(2017年、ワサン氏の得度式と比べて寂し過ぎ)
本堂に入る前の経文。黄色いシャツの人が親代わりとなってくれた先導者

◆人生最後のイベント、得度式!

私にとってこれが人生最後のイベントとなるだろう。今後結婚式などしないし、残るは葬式か。それがあっても自分は見れないが。

クティ内のホー・スワットモン(読経の場)に備えてあった黄衣とバーツ(お鉢)と、式に備える花などの供え物をアナンさんと奥さんと高津くんが持ち、アナンさんを先頭に全員裸足でボート(本堂)へ向かいます。ここに来て、参列者を募らなかったことを悔いました。

「春原さん以外誰も来なくていい」なんて言ってはいけなかった。こんな遠いペッブリーまで、日本の彼らを含め誰も来なかったかもしれないが、過去、タイで知り合った数々の人に出家することを伝えていたらどれぐらい集まっただろうか。私が出家することより徳を積む機会に喜んでいたでしょう。日本人なら「何の祭りか知らないけど酒が飲めるぞ!」といったノリでしょうか。

本堂に入る前に周りを右回りに3周歩きます。三帰依(仏・法・僧へ帰依)を意味するこの3周も、全く分からないまま、ただ小石を踏んでは「痛いなあ、アナンさんゆっくり歩いてよ」と心で呟きながら、“サラサラ”と4人だけの寂しい足音が響き、ようやく3周。ところどころで春原さんのシャッター音が響いていました。

先導してくれる親代わりとなってくれた弁護士の先導者に導かれて経文を唱え本堂に入ります。大きな仏陀像の下にある比丘が座る台座には17僧が待機しており、私が先導者の指示に従って前に進みます。同時にサーラー(葬儀場)では葬式が行なわれており、和尚さんは御挨拶で少々遅れる様子。

少々ざわめきがあった本堂内も、和尚さんが入って来ると空気が変わり、比丘たちも緊張感が増しました。私は先導者の指示のもと和尚さんの前に座り、問答が始まりました。

本堂で待ち構える17僧の比丘たち

「すべては口移しでやるからお経は覚えなくてもいい」と言われていたものの、「本当に大丈夫かな」と就職の面接のような緊張感が走ります。そして黄衣とバーツを掲げ、出家願いの経文、やっぱり出て来た高校時代に唱えた「ブッダン・サラナン・ガッチャーミ、ダンマン・サラナン・ガッチャーミ、サンガン・サラナン・ガッチャーミ(我、佛に帰依し奉る、我、法に帰依し奉る、我、僧に帰依し奉る)」。これだけは口移しでなくても唱えられた三帰依でした。「これは鉢である、これは上衣である、これは重衣である、これは下衣である」を指され、その意味も話されているであろう和尚の言葉。ひとつひとつの問いに分かっていなくても「アーマ・バンテー(仰せのとおりです)」と応える私。

副住職のヨーンさんに導かれ、口元を指差し、経文を唱える言葉を見て聞いて真似して唱えること何十回と続く。順番も意味も覚えていないが式は続き、ある時全員の笑いが起きる。何かウケ狙いを言ったなこの和尚。「戒律だからな、オナニーするなよ」とでも言ったのだろうか、藤川さんもアナンさんも声が響く笑いでした。

「もっと前に出ろ」とケツ叩く副住職のヨーンさん

何はともあれ一応厳格な儀式は進み、最後に比丘全員によって読経が続きました。
「この言葉も常識もわからんトロい日本人を比丘にして大丈夫か?」と大雑把に言えばこのような審議と採決があり、その全ては無言の満場一致で決まる出来レースで、得度式は終了しました。

再び黄衣を授けられ受け取る私
三拝する私、因みに仏像の手前、和尚さんの左側に座る、和尚さんと同じ色の僧衣を纏うのがケーオさん
重要なことを言っているのかもしれないが、返事するのみ
バーツを受け取り、供え物を受け取り
再び問答
副住職による誓いの問答
アナンさんと記念写真
高津くんとの記念写真

◆アナンさんらを見送る!

得度式が終わったのは11時少々過ぎ。サーラーでの葬儀も一時休息に入ったようで、昼食はこちらに移動。今朝まで比丘の後に朝食を摂っていた私は、まだ後手に回っていると、昨日ツーショット撮ったメーオが「もう立場は同じだからこっちに入れ!」とケツを叩いて輪に入れてくれました。昼食は葬儀を出している親族の寄進でワンプラのように多くの惣菜が並んでいます。アナンさんが持って来た食材もどこかに並んでいます。せっかく持って来てくれたものだから私が手を付けたかったところ、アナンさんらのタンブンは充分果たしているので気にする必要はありませんでした。

その後、アナンさんらも他の信者さんとサーラーの脇で昼食に入り、春原さんを一緒の車に誘ってくれてバンコクに帰る時間となりました。

藤川さんは「高津くんもやったらどうや!」と誘うことを忘れない。満更でもなさそうに笑っていた高津くん。「鬱陶しい藤川さんのもとでは止めとけ!」と心で呟く私。

皆がクティの前の車に向かうと私は「俺も帰る!」と駄々こねて泣きだしそう。幼稚園の頃、母親に泣きついて一緒に帰ろうとしたあの幼い頃と同じ胸中。それをしなかったのは、大人だから我慢出来たというものではなく、泣いて駄々こねるなんて恥ずかしいこと出来ないだけでした。「これで立派な大人だ、しっかり学んで来い!」と、ただひたすら応援してくれるアナンさんらに御礼を言って見送るのみ。春原さんには「フィルムは大切に預かっておいてね!」ということだけは忘れない目ざとい私。高津くんはまた来月試合が控えているのに、その気遣いも出来ず、最後は慌しく一同を見送りました。

この後、午後も葬儀は続き、合間を縫って藤川さんの厳しい黄衣纏いの指導が始まります。

※写真は春原俊樹氏(ワールドボクシング=当時)撮影(御本人が写っているもの以外)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」
  
  
  
  
  
  

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈19〉タイで三日坊主PART.11 剃髪の時

先輩僧たちに囲まれて俗人姿で撮影(1994.10.28)

◆寺入り3日目の朝

部屋は替わったので、隣に寝て居るのは二人のデックワット。不安や苛立ちが大きいのか、今日も眠りが浅いまま自然と目が覚めてしまいました。今日は春原さんがやって来る日。「明るく笑顔で出迎えなければならない」と思っているうちに5時に目覚まし時計が鳴り、電灯を点るとデックワットも目を覚ましてしまい「悪いな!」と言いつつ、藤川さんに合わせるため仕方ないところ。

ワンプラの次の日は平凡な朝に戻ります。いつもの流れで比丘の朝食、デックワットの朝食と移り、相変わらずやることが遅れる私。朝食後、藤川さんは私に声掛けることなく一人で掃除を始めていました。口煩かった昨日と比べ、今日は無視か。仕方なしに私も自分の部屋を雑巾掛け掃除して、そのまま部屋に篭ってしばらく本を読んでいると扉が開き、藤川さんが白衣をポンと投げ入れ、何も言わずに行ってしまいました。

「何だ、何か言って行けよ」と思うも、この白衣は剃髪後に纏うことになり、比丘と俗人との中間に立つことになります。これは借り物で済むものですが、本来はこれも親族から贈られるものでしょう。これを準備してくれた藤川さんでありました。

本堂脇で藤川さんは春原さんと立ち話(1994.10.28)
髪を剃ってくれるのは僧歴7年のアムヌアイさん(現・住職)(1994.10.28)

◆春原さんを迎える!

比丘の昼食後はデックワットと一緒に飯喰いたいところ、春原さんを迎えにバスターミナルへ行かねばなりません。

一応、藤川さんに断ってから行こうと部屋に行くと「オイ、待っとってくれよ!」と言って黄衣を纏って準備している藤川さん。

私は「はあ? 何で来るんですか?」と言うと「まあええやろが!」とまた出たがり藤川さん。仕方なく、また2台のバイクタクシーで向かいました。予定していた12時30分ぐらいに青いエアコン高級バスは到着。15人ほどの乗客の中、降りて来た春原さん。先日会ったメンバーは誰も来ず、それで結構なところ、彼らの気分を悪くさせていたかと後ろめたい気持ちも残りました。

藤川さんは「よう来たな、こんな田舎まで御苦労さん!」と労いの言葉をかけます。また話し相手を迎えてニコニコ顔。「お久しぶりです。相変わらず元気そうですね!」と応える春原さんの御挨拶を遮って、私は早速、「春原さん、昼飯行きましょう!」と食事に誘い、我々は軽四輪タクシーに乗って市場に向かいます。ぶっ掛け御飯の惣菜が並ぶ屋台に入るも、藤川さんは昼を過ぎているので食事は摂れません。こんな状況だから連れて来たくなかったのです。

昼食後は銀行へ行って、得度式での参列する比丘たちへのお布施用に100バーツ紙幣が多めに必要になるので、4000バーツ分を両替。更に雑貨屋で、昨日買っとけばよかったと思うも、封筒や湯沸しポット、部屋の鍵は新しく備える為の南京錠を購入。

「ついでにネズミ殺しの餌買うて来てくれ!」と言う藤川さん。比丘がネズミ殺しって?「これはさすがにワシが買うのはマズイやろう、そやから頼むわ!」ってそんな勝手な。春原さんは巣鴨での会話の再現に笑っているし、「巣鴨の時のような呑気なものではないんですよ、愚痴聞いてよ!」と悶々と春原さんに訴えかける私。

何かポーズをとっては印象に残るカットを考える私(1994.10.28)
他の比丘も興味津々集まって来る(1994.10.28)
心は泣いている私(1994.10.28)
仕上がり直前、剃り残しをチェック。藤川さんも何か言いたそうな顔つき(1994.10.28)(1994.10.28)
白衣を着せてくれる藤川さんと私(1994.10.28)

◆剃髪の時間!

午後2時頃、寺に帰ると春原さんを連れ境内を案内し、得度式を行なう予定の本堂の方へ回りました。ついて来た藤川さんはそんなところでも立ち話しが長い。こちらは今のうちに春原さんとツーショット撮りたいのに、自分の話しが終われば「もう頭剃るぞ!」と急がせます。クティの階下にある芝生の上にパイプ椅子が置かれており、正に刑場のような佇まい。「まず水浴びて来い!」と藤川さんに促されます。石鹸で頭洗いながら、「髪がある、ずっとこうやって何年も髪洗って来たんだな」としみじみ洗い収めました。

今日は髪がゴワゴワになる心配は無い。タイに居て石鹸で髪洗うことはムエタイのジムでも経験あり。幼い頃も石鹸でした。昔は粉石鹸なるものも売っていて、これで髪洗ったんだな。何か遠い昔を思い出す水浴びでした。

3時半頃、“刑場”に向かうと髪を剃ってくれる僧歴7年のアムヌアイ(現・住職)さんが待っています。

「まず断髪式や!」と言って春原さんにハサミを持たせた藤川さん。普通は親族の父親が最初にハサミを入れるのでしょう。しかし私にはこのタイで親族は居らず、親族暫定代表の立場にあるのは春原さんだけ。
「えっ! いいの? 切るよ! 本当に切るよ!!」
オドオドしながらハサミを入れようとする春原さんに藤川さんが
「バサッといけ、そんなもん!」と後押しします。

そしてついに頭頂部の髪が切られました。散髪屋で感じる切れ味とは違う、遠慮がちなゆっくり“ジョキッ”とした音。「ついに切った。始まった!」と悟る瞬間でした。次にアムヌアイさんが剃り始めます。カミソリで髪を梳いているような心地良い響きが伝わってきます。

春原さんに「あっちからも撮って、見ている坊さんらも入れて!」なんて注文していると「いちいち煩い!」と言われる始末。仕事でカメラマンも兼ねる人だから、分かっていることには苛立ったことでしょう。やたら喋ることが多かった私は、心が動揺してどうしようもなかったのです。10分あまりで剃り終えるとアムヌアイさんに御礼を言って仕上げの水浴びに向かいました。髪を掴もうにも「あっ、髪が無い、現実なんだな」と意識すること10秒ぐらい。しかし頭洗うことの楽なことも実感。

部屋に戻り、春原さんは「どうです、今の心境は?」と計量を終えたボクサーにインタビューするかのように問い、「昨日も今日も変わらぬ風景が視野に入っていますが、この場に春原さんが居る不思議さと、癖で髪を掻き上げようとすると髪が無いことに気付く。そこでハッと現実に返るような心境です」と応える私。そんなところへ藤川さんがやって来て「早よ着んかい!」と急かすように白衣を纏わせてくれました。

子供の蛇が成長し脱皮して古い皮を捨て去るように身体は白くなり、大人へと一段と成長する過程にあるこの状態が、この白衣の意味があるようです。そして次が黄衣に変わる、明日は大人の仲間入りとなります。

そして明日の得度式に備え、比丘へのお布施を「100バーツを25人分、300バーツを2人分、500バーツを一人分、親代わりになってくれる式の先導役へ200バーツ用意しとけ!」と言って出て行った藤川さん。買った封筒は50枚ほどあり、両替した紙幣をその人数分用意しました。

夕方、5時30分を回った頃、そろそろ春原さんはホテルへ移動します。こんな寺ではお誘いできる寝床はありません。予約はしてなかったと思いますが、寺から7~8分ほど歩いたところに、中級のホテルがあるようで、藤川さんが付き添って行ってくれました。

30分程で戻って来た藤川さん。ホテルのフロントの女の子に勿論タイ語で「“日本からウチの寺を取材に来た記者や、どうせ今晩暇やろうから晩飯でも付き合うてやってくれてもええで”と言うて来たわ!」と話す藤川さん。フロントの女の子も大笑いだったらしく、比丘の立場でお騒がせな藤川さんでありました。

寝るまでに髪触ろうと何度頭を触ったことか。中学生の頃は五分刈りで、こんな剃ってしまうのは生まれて初めてのこと。長髪が好きで、もう絶対坊主頭にはしないと思った中学卒業の頃。私も変わったものだと感心。明日は高津くんがこの頭見て笑うのかあ。恥ずかしながら楽しみな対面となります。

春原さんと初めてのツーショットは剃髪後、セルフタイマーで(1994.10.28)

※筆者剃髪時の写真は春原俊樹氏(ワールドボクシング=当時)撮影

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』