藤川さんとは比丘になって初のツーショット

◆外泊先の朝

バンコクでの用は簡単に済んだのに藤川さんのついでの用が多いこと。

初外泊先のワット・タートゥトーンで目覚めると、いつもの習慣のせいか、まだ5時ぐらい。その後あまり眠れない。

起きてから藤川さんに言われたのは、
「お前、鼾(いびき)凄いな、寝て5分程で鼾搔いてたぞ、お陰で眠れんかった!」と言われ、初めて鼾を指摘された、高校1年の入学早々の研修先での同級生の同じ苦情を思い出しました。親父も鼾が凄かったので、私も同じなのだろうと思い、他所の家には極力泊まらないようにしていたのです。

底が開くようになっている頭陀袋とバーツ(鉢)

「托鉢は行かなくていいよ」と昨日このクティに泊めてくれた偉いお坊さんに言われていたので、ゆっくり過ごし、藤川さんと部屋の掃除だけ二人でやりました。

その托鉢に行っていないので、朝食は呼ばれない覚悟もしたところ、8時頃、この寺の比丘数名から「オーイ、こっち来て!」と声が掛かりました。ここの寺の比丘はウチの寺の倍ぐらい多いが、食事は同じような雰囲気で、食材も多く「遠慮は要らないよ」と他所から来た者を差別することもなく、グループが幾つかに分かれ皆で輪を囲む食事でした。

食事後は出発準備して、このクティのデックワットに鍵を返して寺を出ました。昨日の偉いお坊さんには会うことなく、そこは藤川さんが「分かっとるから気にせんでいい」と言うまで。さすがにいつものお泊りパターンの様子。滞在時間は短かい中、新鮮な味わいがあった寺でした。

◆またも寄り道──ソー・ソー・トー(泰日経済技術振興協会)を訪ねる

バーツに頭陀袋を被せるとこんなショルダーバッグ風になります

また市内バスに乗るも、そのまま帰る訳でなく、藤川さんが目指すスクンビット通りソイ29で降り、ソー・ソー・トー(泰日経済技術振興協会)に寄り道しました。
「カンチャナ先生に会いに行くんや!」とは聞いていましたが、日本人会の主婦らしい女性が7名ほどに迎え入れてくれました。

話し合いは、日本人会として、タイに住む日本人各々が抱える社会問題を語り合うパーティーに、藤川さんの人生経験値と比丘としての意見を語って頂きたいというもので、「今後、度々あるパーティーに藤川さんを招く場合の配慮」について話していましたが、私は関係ないので、ただ側で聞いているだけ。

ニーモン(他所へ招いての寄進・喜捨)として招かれるなど、如何なる場合も戒律は守るのは当たり前で、午後は食事は摂れません。

「どう言うたらいいやろなあ!」と頭搔きながら悩む藤川さん。藤川さんは内心行きたがる。女性たちは“比丘を誘い難い”が藤川さんには来て欲しい。しかし食事を伴うので朝しか招待できない。でもパーティーは午後でなければ皆さんの都合が悪い。

「食事などの接待はしなくていいから」と言っても誘う方は気を使うものでしょう。

藤川さんの説法が、日本人会の皆さんの救いになるならば、比丘としての役目は果たします。しかし、こんなところがウチの寺の和尚さんからみれば、“遊びに行っている”と映るのかもしれません。

1時間程の結論出ない会話の後、皆さんそれぞれの主婦業等がある為、我々も御挨拶して此処を出ました。

◆またもタカリ!

時間はお昼前11時頃、外に出て「さて昼飯どうしようか、食わんとこうか、面倒臭いし!」と言う藤川さん。

私もガツガツ食い意地張りたくないので「そうしましょうかあ」と力無く言うと、それを読んだか、「そや、町田さんに飯食わせて貰おう!」と言ってソイ27の昨日の町田さんのところへ向かうことに。

ロビーの女性に町田さんを呼んで貰うと、町田さんは仕事があるので、昨日一緒に居た小林さんが連れて行ってくれることになりました。

私は「また迷惑かけるなあ」と思いつつも、温厚な小林さんは嫌な顔することなく、逆に喜んでホイホイと近くのレストランへ誘ってくれました。11時20分頃、カオパット(炒飯)、トムヤムスープ、カイチアオ(卵焼き)を注文され、12時回る前にアイスクリームまで出される豪華さ。腹減った時に“食う物無い”とか、“食ってはいけない”というのは本当に苦しいもので、この日は我々から「飯食わしてくれへんか?」と実質の“タカリ”に行っているようなもので、私としては申し訳ない気持ちは大きいところでした。

メガネのフレームがガタつくのでネジ修理を頼んだ藤川さんは、こんな感じ(イメージ画像、3月に撮った時計の修理です)

タンブンしてくれた小林さんはタイ生活が長く、「ワシは3日に1回ぐらい正露丸飲んでるよ!タイで日々屋台で飯食ってたら何食わされているか分からんからな、寄生虫発生の恐れもあるから飲んでおいた方がいいよ!」という、私も過去、長くタイに居ながらはあまり深く考えなかった有難い忠告。

食事後は藤川さんのガタつくメガネのフレーム修理をメガネ屋へ寄って頼むと、此処もお店側のタンブンで無料。何から何までタンブン尽くし。この後、小林さんにバス停まで見送られて、また市内バスでサイタイマイバスターミナルへ向かい、寺入りした日と同じ、ペッブリー行き高速バスで寺へ帰りました。

◆バンコクは楽しかった!

バンコクに居た間に藤川さんに言われた、ウチの寺の若い比丘の程度低い連中のこと思うと、こんな馬鹿どもと付き合うのが馬鹿馬鹿しくなる自分も馬鹿な私。門まで辿り着くと何となく虚しい気持ち。

そんな仲間の一人メーオくんがクティの入口に居て、ニッコリ話しかけて来ました。「どこ行って来たの?」とは聞かれるも、「クルンテープ(バンコク)だよ、以前遊んだことあるパッポンの前も通ったよ」と言ってやるも、こいつ行ったこと無いのか、あまりウケはしなかった。

振り返ればバンコクではいろいろな人と出会って楽しかった。市内バスに乗ってすぐさま席を譲られること3回。やっぱり比丘は一般人より位が高いことを実感し、そこに胡坐(あぐら)を搔いていてはいけないことも肝に銘じ、より修行しなければいけない立場であることも実感しました。なのに新米比丘の私が、やがて還俗していくことを考えると、やっぱり罪なことしているように思うのでした。

思えば友達多いことは大事なこと。カモにされるとムカつきますが、藤川さんが行った先で飯を食わせてくれる友達がいるのも実際には私も助かった話でした。

厳密に言えば比丘は、お金で対価を払う行為はやってはいけないので物を買って食べることは出来ません。そういう場合にデックワットにお金を渡して連れて歩き、必要とするものはデックワットが買って手渡しされたものを戴くことになりますが、そこまで徹底するのは現在の文明社会では無理なので、やるのは厳格な修行寺だけになります。そういう金銭に触れる事態を極力回避する為にも藤川さんは「飯食わせてくれ!」といった、知人をカモにする場合も多いのでしょう。特に日本へ帰国の際は、頼れる人が多いと助かるのも確かでしょう。

でも私としては、昨日の佐藤夫人と今日の小林さんには、還俗したら御礼に伺おうと思うほど。その行為は俗人に戻っても、テラワーダ(南方上座)仏教として間違っているかもしれませんが、日本人として恩返ししなくてはと思うところでした。

さて、翌日の満月の日を迎えると2回目の剃髪があり、そんな寺にも慣れた頃、ラオス行きも視野に入れ、また違った日々の風景が見えて来ます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する/編集長・中川が一から聞く日本社会の転換点/日本会議系団体理事が支持「道徳」を〝数値評価〟していた文科省研究開発学校 他

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』