藤本勲物語──日本キックボクシング半世紀の生き証人【後篇】

「キックの鬼」沢村忠より一足先に日本のテレビでその姿が放映されたキックボクサー、藤本勲氏。キックと共に生き、キック業界のあらゆる変遷を見てきた生き証人の半世紀を秘蔵写真と共に全2回で辿ります。

全日本キックのリングでの交流戦チャンピオン対決で、川谷昇(岩本)に勝利し、敵地で目黒ジムが輝く(1992年6月27日撮影)

◆小4年の担任の先生に励まされ、走ることに熱中する

藤本氏が語る若き日のエピソードには時代の背景が映し出されるようなドラマがありました。

藤本勲氏の本名は藤本洋司。勲という名は同じ空手仲間の平田勲から頂いたと言います。

1942年(昭和17年)1月、島根県生まれ。4才の時、父親を病気で亡くし、母の実家である山口県長門市に移り、高校卒業まで暮らしました。

小学生の頃は草履で片道5kmを走って通い、鼻緒が切れても裸足で野道を走って通った小学校時代でした。走ることが好きで速く、小学校4年の時、担任の先生に「お前は濱村秀雄(戦後の陸上競技選手)のようになれるぞ」と励まされ、スポーツに、走ることにより頑張る気になったのが人生の節目となったのでした。

◆高校時代、「何かで日本一になろう」と水泳、陸上、野球、そして空手の道へ

中学生になると一年生から野球を始め、より一層長距離走が強くなり、体育系の優秀さで山口県の水産高校に推薦で入学しました。

高校では「何かで日本一になろうと思って幅を広げ、水泳、陸上、野球、何でもやった」と言います。

テレビでボクシングの日本ライト級チャンピオンの石川圭一さんの試合観て「ボクシングっていいなあ」と思ってボクシングもやりたくなるも、すぐ入門出来るジムも近くには無かったので、まず空手から格闘技の門をくぐりました。

MA日本キックボクシング連盟代表となった頃。フライ級チャンピオン.山口元気(山木)を讃える(1994年頃撮影)
日本キックボクシング協会復興で古巣に戻るが、「断腸の思い」と語った苦渋の会見(右端が藤本氏)(1996年3月8日撮影)
瀬戸幸一(仙台青葉ジム会長)とはキック創生期からライバルであり、苦労を共にした仲でもあった(1996年5月25日撮影)

◆洋菓子会社とキックの見事な両立で、営業部長にまで昇進!

藤本氏は母親の手で育てられましたが、母方の実家では比較的恵まれた生活環境があり、「勉強すれば大学行かせてやる」と言われていましたが、成績は優秀(本人談!)でしたが勉強は嫌いで、そのまま普通に高校卒業して大阪の船会社に就職しましたが、視力が弱くて航海士の免許が取れず転職に踏み切りました。

そして、ある製菓会社に再就職するも倒産し、そこの先輩の紹介で洋菓子専門の長崎屋に再々就職。お客さんとの触れ合いが得意で営業成績が良く、性に合った天職でした。

デビュー戦となったキックボクシングの試合に出ることを会社に申し出ても、営業成績抜群により否定的な声は聞かれず、タイ遠征も試合出場も優遇され、会社からは長崎屋の社名入り刺繍入ったガウンも贈られ、協力的な後ろ盾抜群の中、リングに上がりました。

後に東日本営業部長に昇進。ジョーク言っての対面販売が好きで、羽田空港でも店舗を持っていた長崎屋店頭にも立ちました。

◆キックの生みの親、野口修氏宅に沢村忠と共に泊まり込み合宿していた「ジャックナイフの藤本」

現役時代のキャッチフレーズは「ジャックナイフの藤本」。同門でも容赦ない膝蹴りを顔面に繰り出し、周囲からも“えげつない”と言われるほど貪欲に攻めました。膝蹴りのほか、後ろ蹴りも使いましたが、驚かす繋ぎ技としても得意でした。
それらはみんな空手で身に付けた技が実っていました。

デビューした頃は、キックの生みの親、野口修氏の家が合宿所となり、当初は沢村氏とともに泊まっており、タイ選手が泊まることがあると「蹴りやヒジ打ちなど技術論でバカにされると、互いによくわからない言葉でケンカしていた」と言います。

そんな時代では珍しい高価なビデオ機器が野口氏の家にはあり、モノクロのムエタイ試合観て技術盗む努力をしていました。

試合のダメージで、ムチ打ち症で入院したことがあり、退院したばかりで試合観に行ったところ、ピンチヒッターに駆り出され、1ラウンドKO勝ちしたこともあったという、非常識なピンチヒッターも日常茶飯事のような創生期のキック興行でした。

藤本ジム落成懇親会で有志一同と鏡割り(左から3人目)(2005年4月17日撮影)

◆51戦40勝(32KO)11敗で生涯戦績を終え、育てる側へ転身

過去、日本プロスポーツ大賞功労賞は2回獲得しており、1969年(昭和44年)2月、タイでランカーを倒した試合と、1986年(昭和61年)には、長きに渡り、日本チャンピオン多く誕生させたことでの受賞でした。

藤本氏は東洋王座を獲った翌年には結婚して娘さんも誕生したことで、ある決心が芽生えていました。

いつも重い相手と戦ってきたことから、体に故障が増え、自身が幼児期に父親を亡くしている影響から、娘のため、片親になっては可哀想と、家族を守ることを真剣に考え、「我が身ひとつで、入院していい覚悟で試合していた気持ちも萎えたらもう試合はできないと思った」と言います。

古くからの目黒ジムの聖地に再建した藤本ジム(2006年1月5日撮影)

当時は極端にトレーナーが不足していたのもひとつの理由で、第二の沢村忠を育てる必要性も感じていて、引退を決意しました。そして1970年12月5日の大阪での試合をラストファイトにして、判定負けでしたが、自身のけじめとなった試合でした。

これまで51戦40勝(32KO)11敗の生涯戦績となりました。

◆育てた選手は数知れず、 起こした事件も数知れず

キックボクシングそのものが歴史が浅く、経験を積んだトレーナーは空手やボクシング経験者しかおらず、藤本氏は翌年初頭にはキックボクシングの本格的トレーナーと言える第一人者となりました。

過去、育てた選手は数知れず、テレビに映る時の「沢村選手のセコンドに着く、眼鏡かけた背の高い藤本トレーナー」は放送でも度々、TBSの石川顕アナウンサーが実況合間の余談に拾われ、全国的に静かな知名度がありました。

1993年に、当時加盟していたMA日本キックボクシング連盟で、連盟改革の為、代表理事に藤本氏が選ばれ就任。そのため、試合でのユニフォームを着てセコンドに着くことはできなくなり、後に日本キックボクシング協会復興に伴う移行などもありましたが、幹部として役員席に着く立場は残り、目黒ジムから藤本ジムに移行した際には、より責任ある立場に置かれましたが、「今まで大好きなキックをやれてこれて幸せだった。今後も死ぬまでキックに専念する。でもまたセコンドやりたいね。」と本音も漏らしていました。

ジム内でのミット持ちは今も健在(2006年1月5日撮影)

こんな紳士的な藤本氏も、酔った勢いで起こした事件は数知れず、タイではレストランの警備員にフレンドリーに握手を求めつつ、ふざけて寸止めの膝蹴り。笑顔から本気モードの顔色に変わった警備員とやり合う寸前で、周囲の仲間が止めに入って事なきを得たこともあり、他にもその場に立ち会わされた選手から聞く武勇伝が、本当にあった怖い話のように実感させられます。

優しい面では、ジムでは誰かひとり、目に止まったり頑張った選手に「お前だけにいい物やる」と言って長崎屋で仕入れたお菓子をあげる気前の良さを見せつつ、いろいろな選手に「お前だけに」と言っていたので、誰も自分が特別と思わずも大胆不敵な優しい会長に感謝しているようでした。

瀬戸会長同様に、創生期からの対抗ジムとして、やり合った仲。千葉ジム・戸高今朝明会長と(2014年8月10日撮影)

藤本氏は永いキック人生で、日々ジムにいると垣間見れる選手らのいろいろな想い出があって、「亀谷長保(日本フェザー級チャンピオン、6度防衛の実績)は練習後、着替えた後も1時間ほど他の選手の練習も見てから帰っていた程の研究熱心だった」とか、隆盛期には喧嘩の絶えないジム内や、昭和50年代の低迷期には興行のメドも立たず、「試合も組めないのに練習に来ていた選手もいて、当時は切ない思いだった」という藤本氏でした。

◆二人目のムエタイチャンピオン誕生を目指す

現在は、タイ殿堂のラジャダムナンスタジアムのチャンピオンを誕生させたことで先代野口里野会長へ恩返しができたことに安堵し、そのチャンピオンになった石井宏樹は亀谷長保に並ぶ、目黒ジムで5本の指に入る名選手と言います。今後は二人目のムエタイチャンピオン誕生を目指しています。

藤本氏の武勇伝がいかに多く、また人脈多きキックの人生か、また想い出に残る昭和の名選手の裏の姿も多く見ているので、新たに藤本伝説を伺っていこうかと思います。(了)

伊原信一代表より紹介され、久々にマイクを持って御挨拶の藤本勲氏。デビュー50周年の想いを語る(2016年7月3日撮影)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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藤本勲物語──日本キックボクシング半世紀の生き証人【前篇】

「キックの鬼」沢村忠より一足先に日本のテレビでその雄姿が放映されたキックボクサー、藤本勲氏。キックと共に生き、キック業界のあらゆる変遷を見てきた生き証人の半世紀を秘蔵写真と共に全2回で辿ります。

富山勝治のセコンドに付く、テレビ放映時代でもお馴染みの光景(左端が藤本氏)(1982年1月7日撮影)

◆現役生活は4年半、トレーナー歴は45年

先日、7月3日の新日本キックボクシング協会興行、MAGNUM.41に於いて伊原信一代表より、キックボクシング生誕二人目のキックボクサー、藤本勲氏のデビュー戦から満50周年を祝う労いの言葉が藤本氏に贈られました。

1998年5月に目黒ジムから藤本ジムに移行して会長歴は18年ですが、これを含む目黒ジムでのトレーナー歴は45年。引退後もトレーナーやジムオーナーとしてキックボクシングに関わり、業界歴としては一番長いキャリアを持つことになります。

現役生活は4年半でしたが、1966年(昭和41年)6月のデビューからキックと共に生き、業界のあらゆる姿を見てきた生き証人となります。

富山勝治引退試合にて、テレビ時代のスターが終わった日(1983年11月12日撮影)

伊原代表も現役時代は目黒ジムで藤本氏の指導を10年以上受けた選手でした。また、多くの目黒ジム所属の名チャンピオンも全員が藤本氏から指導を受けた経験を持つでしょう。

◆1966年──剛柔流の空手家からキックボクシング界へデビュー

デビュー戦となった1966年(昭和41年)6月21日、沢村忠氏の道場仲間という空手選手からキックボクシングの試合に誘われて自身も剛柔流の空手家として、空手が一番強いと信じての出場も、4日間程度の“キックボクシング”と呼ぶにも不透明な時期、ルールも把握していない中での対策練習だけで藤本氏は出場。

対戦相手も橘五郎という空手家でしたが、キックボクシングの練習経験は橘五郎氏が2ヶ月ほど早く、その差とラウンド制の不慣れな中、ペース配分を誤り藤本氏は1ラウンド終了間際のKO負けのデビューでしたが、驚いたのは自身の敗北より、後に控えたカードの沢村忠氏の16回ダウンしてKO負けした壮絶な試合を観てムエタイの凄さを実感。

キックボクシングを正式に始める決意をすると、すぐに目黒ジムに入門しました。

◆1967年──キックボクシング史上初のテレビ放送された試合でKO勝利の王座奪取

藤本氏は翌年2月26日に木下尊義(目黒)と同門による日本ヘビー級王座決定戦を争い、4ラウンドKO勝利で王座奪取しました。

その日は日本で初めてキックボクシングが放送された日で、メインイベントは沢村忠氏の試合でしたが、生放送のため、試合順でセミファイナルに出場した藤本氏の試合が先に放送され、事実上この試合がキックボクシング史上最初のテレビ放送された試合という密かなエピソードになりました。

格闘技の祭典、ブッチャーとの対面で(1988年4月2日撮影)
世代が変わった平成の時代に、飛鳥信也チャンピオンのセコンドに付く(1992年6月27日撮影)

◆1969年──東洋ミドル級王座決定戦でタイ人選手に勝利!

2ヶ月後の東洋ヘビー級王座決定戦はKO負けで奪取成りませんでしたが、この創生期は3階級制で67.5kg超えはすべてヘビー級。藤本氏がそのウエイトだったにも関わらず、180cmの長身であることから当時の目黒ジムの野口里野会長から「藤本は背が高いからヘビー級でやれ」と強引で不可解なヘビー級出場でした。

後の1969年1月にはプロボクシングと同リミット設定の7階級制に変更され、藤本氏はミドル級にランク改訂(日本王座そのまま保)へ。同年2月26日にはタイ遠征中、ルンピニースタジアムで、ランカーだったコクデーノーイに得意の膝蹴りで5ラウンドKO勝利したことで、自身の現役生活の中でもベストバウトと言える想い出の試合となりました。

そして同年6月、東洋ミドル級王座決定戦で、ポンピチット・ソー・サントーン(タイ)に判定勝利し東洋王座奪取に成功と、それまで苦しい体験も経験しつつ、ここまでは重量級としての期待に応える成長を見せていきました。(つづく)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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20年の歴史を誇るムエタイTOYOTA CUPが日本で初開催!

決勝戦、ペットモラコットのハイキックがシーラリットを捕らえる
クジ抽選による組み合わせ発表。迷わずチャムアトーン&佐藤翔太が並ぶ

タイのチャンピオンやランカー、イベント覇者クラスと日本国内チャンピオンクラス4名ずつ計8人参加によるウェルター級中心の全3回戦のワンデートーナメント。20年の歴史を持つ通称「タイTOYOTA CUP」や「TOYOTAムエマラソン」と言われるこのイベントが7月29日、ついに日本で開催されました。

チャムアトーンの鋭い蹴りを受けてしまう佐藤翔太

日本では有り得ないぐらいの大手企業が、ムエタイプロモーターとの提携で、タイでのその知名度はかなりメジャーな存在です。このイベントがタイ7chで衛星生放送されるため、14:00開始ながら2試合終えて16:00まで待機時間が長く続きました(放送枠は3時間)。平日の昼間(時差2時間)にムエタイ放送なんて不自然な感じもしますが、タイでは平日も土日も大差なく、タイはこの日も祝日ではない平日です。

ノンタイトル戦、ムエタイ3階級制覇のサムエーに翻弄されっぱなしの甲野裕也

◆日本人4選手は全滅──タイ選手との実力差

参加した日本人選手4名は、国内で何らかのチャンピオンとなった実力のある選手ですが、タイ選手との実力差には開きがあり力及ばず全滅。攻防に大差は開かないものの、上手さ素早さの駆け引きで差が出た試合が多かった様子でした。準決勝戦2試合はタイ人選手同士となり、決勝戦はペットモラコットがシラリットをボディブローで仕留める、ちょっと意外なKO決着でした。これでペットモラコットが優勝賞金100万円を獲得。シーラリットは準優勝50万円を獲得です。

決勝戦、ペットモラコットのボディーブローでシーラリットがあっけなく崩れ落ちる

そしてもうひとつのメインイベント、タイ国ムエスポーツ(プロムエタイ)協会フライ級チャンピオン、福田海斗の初防衛戦が行われました。昨年12月、ルンピニースタジアムで奪取した王座から7ヶ月経ての防衛戦は日本のディファ有明となりました。

優勝ペットモラコット、準優勝シーラリットがワンデートーナメントを締め括るセレモニー

チャンピオンの福田海斗は牽制しあう素早い前蹴りや繋いでいく蹴りに本物の実力が垣間見れました。挑戦者のトゥカターペットは3ラウンドから福田を転ばしに来る展開が増え、福田の印象点が悪いまま進み、トゥカターペットも勝利を確信したか逃げに入り、敗北の色が濃くなるまま終了。しかし、判定は意外に福田の勝利。「よくぞ防衛してくれた」と喜びの声が響きました。

福田海斗の素早い蹴りは観ている者を唸らせる上手さがあった

◎TOYOTA Hilux Revo Superchamp in Japan
 7月29日(金)14:00~19:35 主催:センチャイジム、ペッティンディープロモーション

◆第11試合 / タイ国ムエスポーツ協会フライ級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.福田海斗(キングムエ/18歳/50.75kg)
.VS
トゥカターペット・ソー・ギャットニワット(タイ/21歳/50.3kg)
勝者:福田海斗 / 3-0 (49-48. 49-48. 50-48)

福田海斗が第3ラウンドの、ここから的確さで勝負に出るミドルキック

◆第10試合 / TOYOTA CUP 決勝戦3回戦

ペットモラコット・ウォー・サンプラパイ
.VS
シーラリット・チョー・サムピーノーン
勝者:ペットモラコット / TKO 2R 0:32

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TOYOTA CUP 準決勝3回戦2試合
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駆け引き勝負の第4ラウンド、優勢とは見えなかったが、福田海斗の攻めが続く

◆第8試合

ヨーディーゼル・ルークチャオメーサイトーン
.VS
シーラリット・チョー・サムピーノーン
勝者:シーラリット / 0-3 (28-29. 29-30. 28-30)

◆第7試合
ペットモラコット・ウォー・サンプラパイ
.VS
チャムアトーン・ファイタームエタイ
勝者:ペットモラコット / 2-1 (29-28. 28-29. 30-27)

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TOYOTA CUP 準々決勝3回戦4試合
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余裕を持ち出したトゥカターペットのミドルキック

◆第6試合

シーラリット・チョー・サムピーノーン(タイ/64.1kg)
.VS
為房厚志(二刀会/66.35kg)
勝者:シーラリット / 3-0 (30-27. 29-28. 30-28)

◆第5試合

タイ東北部スーパーライト級チャンピオン
ヨーディーゼル・ルークチャオメーサイトーン(タイ/63.8kg)
.VS
喜入衆(フォルティス渋谷/66.9kg)
勝者:ヨーディーゼル / 3-0 (30-28. 30-28. 29-28)

勝ったと思った両者の明暗が分かれる勝者コールの瞬間

◆第4試合

ルンピニー系スーパーライト級チャンピオン
チャムトーン・ファイタームエタイ(タイ/64.6kg)
.VS
佐藤翔太(センチャイ/66.8kg)
勝者:チャムアトーン / 3-0 (29-28. 29-28. 30-27)

◆第3試合
タイ・ムエスポーツ協会ライト級チャンピオン
ペットモラコット・ウォー・サンプラパイ(タイ/64.5kg)
.VS
平野将志(インスパイヤードモーション/67.0kg)
勝者:ペットモラコット / TKO 2R 1:03

◆第9試合 60.0kg契約ノンタイトル3回戦

サムエー・ガイヤーンハーダーオ(タイ/59.8kg)
.VS
甲野裕也(センチャイ/59.5kg)
勝者:サムエー / TKO 3R 0:41

◆アンダーカード4試合(勝者=○、敗者=●)

最終第13試合/ 73.0kg契約3回戦
●KP・フライスカイジム(USA)vs山田寛(BLUE DOG)○0-3

第12試合 / 65.0kg契約3回戦
●柳谷文彦(センチャイ)vsアローン・エスジム(カンボジア)○0-3

第2試合 / スーパーライト級3回戦
●及川大夢(センチャイ)vs橋本悟(橋本)○TKO 3R 0:45

第1試合 / 58.5kg契約3回戦
○中村慎之介(インスパイヤードM)vs充(ゴールデングローブ)●
TKO 1R 0:31

◆リング上のクジ引きで対戦相手を決める

7月28日、前日計量と記者会見が同会場で行なわれており、全員1回でパスしていました。主催する日本代表のセンチャイ・トーングライセーン氏も7月17日のルンピニージャパンに続くビッグマッチ開催でムエタイ興行での活躍が定着してきた感じがします。

TOYOTA CUPは試合当日、リング上でクジ引きによって初戦準々決勝の対戦相手が決定するという、それまで各選手は他の7人の誰と初戦を戦うか分からない、この手のトーナメントでよく行なわれるシステムです。

在日タイ大使高官によって箱から選手名入りクジを淡々と引いた結果、日本人対タイ人の4組が、プログラムに印刷されている並びどおりの、感動もない分かりやすい組み合わせとなりました。

何とか初防衛に成功した福田海斗。歴史に名を残す“防衛してこそ真のチャンピオン”

タイ選手65.0kgリミット。日本選手67.0kgリミットで、2kgのハンディーが付く変則的トーナメントで、主催者都合のワンデートーナメントであるが為、競技性が崩れるのは仕方ないところでしょう。

イベント発表からTOYOTA CUPが注目されがちですが、タイの格闘技カテゴリーに入る元祖ムエタイは、タイ国ムエスポーツ協会フライ級タイトルマッチ5回戦の方。

格闘エンタメとは違う格式が伴います。試合は接戦の振り分けには難しい見極め方があり、日本のホームリングで戦っている有利性か有効打の的確さが優ったか、トゥカターペットの崩し転ばしが軽視されたか、玄人の意見を聞くと、トゥカターペットの転ばしは攻撃に繋がらない転ばしで優位とは言えず、視点を変えれば福田海斗の有効打の的確さで勝ちもおかしくない接戦であったようです。

このタイトルはタイ政府スポーツ庁のムエスポーツ委員会(コミッションに相当)が管轄するタイトルで、30年以上前から存在するタイ国タイトルとなっています。
しかし、二大殿堂のラジダムナンスタジアムとルンピニースタジアム王座と同等かと言えば難しい位置付けで、1999年のボクシング法成立後、活性化してきたタイトルと言えるかもしれません。同協会の今後のトップスターによる活躍と協会の活性化が、権威を上げていくでしょう。

前日計量でベルト奪取を誓う8選手

この日センチャイジムから出場した、夢センチャイジム(及川大夢)、翔センチャイジム(佐藤翔太)、裕センチャイジム(甲野裕也)、獅センチャイジム(柳谷文彦)は国際試合として、それぞれが本名で出場する要請があったか、そのまま本名で出場。いつも思うことですが、個人名一文字では分かり難く、国内でも普段から本名でいいのではと思います。本名の方が人格・経歴が分かりやすく、感情移入し易く、仲間内ではない一般のファンも増えやすいのではないでしょうか。

この日の来賓の中には 、藤原敏男氏、その藤原氏とラジダムナンスタジアムで戦った、タイの英雄シリモンコン氏、また二人の激闘を知る古くからの、タイから来日中のレフェリーなど、古き時代の盟友が集まる光景が見られました。

初の外国人ムエタイチャンピオンとして、タイでも有名な藤原敏男氏が紹介された

こういう競技のビッグマッチに昔の盟友が集まる光景は、過去のキックボクシングでも往年のチャンピオンが集まる光景がありました。しかしこの日のムエタイイベントには少人数でもその重みが違う顔ぶれに、名チャンピオンが多く誕生した競技の同窓会のような再会には、ムエタイの権威と歴史を感じる光景でした。

日本のキックボクシングでも過去の世代には名チャンピオンが大勢いましたが、近年のチャンピオンは乱立した存在が複雑過ぎて、またすぐに返上する王座が多過ぎて、感銘を受けるチャンピオンが少ないことが心を過り、将来チャンピオンが集うイベントがあっても感動が少ないだろうなと感じる一日でした。

次回のセンチャイジム主催興行としては、MuayThaiOpen.36が10月2日に新宿フェイスにて行なわれます。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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WBCムエタイ祭りの日、好ファイトも落胆のテヨン

展開に期待がかかった不安のない序盤戦
ローキックを受け続け、テヨンの踏み込みが弱まる展開へ

「勝ったなんて言えないです」テヨンが答えた第一声。
序盤から中盤にかけて重い蹴りが交差する攻防から、そのあとテヨンがどう捌くか、テヨンのローキックがマシアスの動きを止められるか、パンチの連打でKOに導くのか、あるいは反撃を許さず、どう盛り上げるか期待の展開の中、テヨンの蹴り、パンチを受けてもマシアスが勢い衰えませんでした。

逆にマシアスのローキックがテヨンを苦しめていき、テヨンが劣勢に陥るほどの差はないが、マシアスが踏ん張った印象が残る展開でラストラウンドが終了。その直後、テヨンが足を引きずるような効いた様子を見せてしまいました。終了後の動きは採点に関係ないですが、悪い印象を与えかねないので気をつけるべきでしょう。

息子をリング上で抱き上げる撮影も増えた近年、責任感も増す一生もののツーショット

ラウンドマストシステムならテヨンが失ったラウンドは大きかったかもしれない、マシアスの踏ん張りが目立ったところです。テヨンが印象点を掴む連打が勝ちを導いたか、際どい判定でした。

「マシアスに申し訳ない、結果的に自分がベルトを巻いていますが、本当の勝者はマシアスです」と続いて語り、反省は残るテヨンですが、試合は観る側が力こもる見応えがある好ファイトとなりました(マシアス・セブン・ムエタイは同組織元スーパーフェザー級チャンピオン)。

TOMONORIは勝ちに徹し、無理せず距離をとって、シティバの攻めを空回りさせ、シティバに指導しているかのような風にも見える技術の差を見せ、2~3ポイントながらもっと大差を付けたような展開。過去2度失敗したインターナショナル王座挑戦に、「WBCのベルトはどうしても欲しかった」というモチベーションで38歳まで頑張ってきたTOMONORI、もう一段階上のベルトへ踏ん張れるでしょうか。

MOMOTAROは変則的に先手を打つ突進力で完全に主導権を掴み、正攻法で反撃する一戸は後手に回り、巻き返せず。MOMOTAROは初防衛。

3年前に3-0で白神を退けている宮越宗一郎は、互いに地位を上げ、インターナショナル王座を持つ宮越が一歩上位のWBC傘下のチャンピオンの肩書きを持つ同士で再戦。1ラウンドの白神のパンチのラッシュに宮越は一旦仰け反り後退するも、立て直して徐々に打ち合いの強さを発揮して密度濃い展開の中、僅差の判定勝利。

TOMONORIの左フックでシティバがこのあとダウン

◎NJKF 2016.5th / 7月23日(日)ディファ有明17:30~20:55
 主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本実行委員会

◆WBCムエタイ・インターナショナル・スーパーライト級王座決定戦 5回戦

日本同級C.テヨン(中川勝志/キング/22歳/63.5kg)
.VS
マシアス・セブン・ムエタイ(イタリア/23歳/63.45kg)
勝者:テヨン / 2-1
(主審 篠原弘樹 / 少白竜 49-48. 松田 49-48. 小林 48-49)

先手を打って多彩に攻めるベテランの余裕

◆WBCムエタイ・インターナショナル・フライ級王座決定戦 5回戦

日本同級C.TOMONORI(佐藤友則/OGUNI/38歳/50.7kg)
.VS
シャリー・シティバ(ベラルーシ/34歳/50.55kg)
勝者:TOMONORI / 3-0
(主審 小林利典 / 少白竜 49-47. 松田 49-47. 篠原 50-47)

欲しかったWBCのベルトを巻いて涙。まだ上があるWBCのベルト

◆WBCムエタイ日本フェザー級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.MOMOTARO(OGUNI/26歳/57.1kg)
.VS
WPMF世界Fe級C.一戸総太(WSR・F三ノ輪/29歳/57.0kg)
勝者:MOMOTARO / 3-0
(主審 少白竜 / 小林 50-48. 松田 49-48. 篠原 50-47)

◆WBCムエタイ70.0kg契約3回戦

IN・Sウェルター級C.宮越宗一郎(拳粋会/29歳/70.0kg)
.VS
日本同級C.白神武央(拳之会/28歳/70.0kg)
勝者:宮越宗一郎 / 2-0
(主審 松田利彦 / 小林 29-28. 少白竜 29-29. 篠原 29-28)

MOMOTAROがムエタイ修行の成果を発揮。一戸のリズムを狂わせた

◆WBCムエタイ日本バンタム級挑戦者決定戦 5回戦

1位.前田浩喜(CORE/35歳/53.5kg)
.VS
WPMF世界B級暫定C.林敬明(TSK Japan/32歳/53.45kg)
勝者:林敬明 / KO 1R 3:06 / 主審 篠原弘樹

◆WBCムエタイ日本フライ級王座決定トーナメント準決勝 3回戦

2位.大槻直輝(OGUNI/33歳/50.6kg)
.VS
3位.ローズ達也(ワイルドシーサー沖縄/36歳/50.8kg)
勝者:ローズ達也 / 0-3
(主審 小林利典 / 篠原 27-30. 少白竜 27-29. 松田 27-30)

◆ブランドが光るWBCベルト

WBCのベルトは確かにカッコいいですね。このベルトを目指す選手が増えているのも確かな現象です。価値と共にカッコいいのは他にもありますが、やっぱりWBCのブランドが光るのでしょうか。

初防衛を果たし、更なる上を目指すMOMOTARO、WBC認定式での顔ぶれ

午前から第2回WBCムエタイジュニアリーグが長時間に渡って行なわれた関係から予定通りですが、夕方の部のプロ部門は全6試合、計26ラウンドの長さ。それでも3時間半近く掛かりましたが、全試合の印象が記憶に残る、纏まりとして良い感じの長さでした。とにかくムエタイとして勢力を増した興行が増えています。世界王座となると曖昧な地位となってしまう業界ですが、現在の努力が将来に繋がるのは確かなところ、どの組織が生き残っていくかは誰にもわかりません。

テヨンはNJKF、WBCムエタイ圏内で順調に国内王座を制し、今回インターナショナル王座挑戦となりました。ヨーロッパ強豪という選手を観る度、強豪はタイ選手だけではないことを実感しますが、落胆している場合ではなく、「防衛してこそチャンピオン」を心に留め、次の防衛戦で名誉挽回へ結果を残して欲しいところです。

過去には内容に納得いかなくて、レフェリーの勝者コールを受けない、チャンピオンベルトを巻こうとしない選手もいました。勝者を支持したのは審判で、公正な競技として、観衆の前でその支持を受けてリングを降りなければなりません。そこで礼儀正しく認定セレモニーを受け、チャンピオンベルトを巻いたテヨンは当たり前ながら、立派でカッコよかったと思います。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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見落とされがちなチャンピオンの義務!

新日本キックボクシングのチャンピオン認定証の後文の行。競技の原点を継承する項目

チャンピオンたる者は何時いかなる場所で誰と戦っても、そのウエイトでは常に勝利者でなければならない──。この文言聞いたことありますか?  これはプロボクシングのチャンピオン認定証の左の隅っこに書かれている文言です。これらのチャンピオンの方々はこの意味を理解していると思いますが、キックボクシングのチャンピオンの方々はどんなもんでしょうか? この文言、新日本キックボクシング協会の認定証には書かれていますが、他の団体、王座認定組織では書かれているところはほとんどないと思います。さらにこの文言そのものを適用されていないため、知らない選手も多かろうと思います。

チャンピオンの義務となる上記文言を補足的に言えば「チャンピオンはその階級のウエイトでノンタイトル戦でも負ければ王座剥奪」という意味になります。チャンピオンたる者はその権威を貶める試合をしてはならない義務があるわけです。

◆「負ければ王座剥奪」という義務から外れる手段

大相撲では横綱という地位に昇進したら、二度と下位に陥落することはありません。しかし、それならばと、毎場所負け越す横綱はいません。横綱としての品格、角界のトップたる権威を保たなければならない責任があります。毎場所優勝争いに絡む成績を残し、時には不調もあるが、しかし負け越せない。そんな中、休場という手段で無様な姿を晒すことだけは避け、次の場所に備えます。その横綱としての力を維持できなくなった時、引退するしかなくなります。

階級の違うチャンピオン対決が行われた葛城昇vs 須田康徳戦。葛城の方が大きいですね。激しい攻防の名勝負結果は須田康徳の判定勝ち(1984.3.31)

プロボクシングのチャンピオンという立場も、その時持つエリア内(日本・東洋・世界)では負けられない立場に立つことになります。タイトルマッチでは負ければそのまま挑戦者に王座が渡ることになりますが、ノンタイトル戦において、この負ければ王座剥奪義務から外れる手段は、そのリミットを超えて、重量的に上の階級となる契約ウエイトで戦うことで避けられます。

仮にライト級ならばリミットが61.23kgですが、チャンピオンがノンタイトルで試合する時、62.0kg契約とか、スーパーライト級(63.5kg)契約などのライト級を超えたウエイトで戦う場合が多いですね。これでライト級チャンピオンの義務を外れて戦うので、負けても王座は剥奪されません。

なおヘビー級では無制限のため、ノンタイトル戦でもチャンピオンの義務は生じます。それゆえ、エキシビジョンマッチがよく行われ、世界ヘビー級チャンピオンだったモハメッド・アリ氏などもよくエキシビジョンマッチをやったと言われています。

◆権威あるタイトルほど制約は厳しい

かつてプロボクシングで、1991年12月に日本ジュニアミドル級チャンピオン.上山仁(新日本木村)vs 日本ウェルター級チャンピオン.吉野弘幸(ワタナベ)がノンタイトルで対戦しました。ジュニアミドル級は154ポンド=69.85kgがリミット。ウェルター級は147ポンド=66.68kgがリミットです。

日本プロキック・フェザー級(57.15kg)チャンピオン.葛城昇(習志野)vs 日本プロキック・ライト級(61.23kg)チャンピオン.須田康徳(市原)のチャンピオン対決は契約ウェイト62.5kgでした

さてこの試合の契約ウエイトは何kg契約だったでしょう? この試合の契約ウェイトは155ポンド=70.3kgで、両者ともリミットの155ポンドで計量をパスしました。要するに両チャンピオンともに階級から外れるための155ポンド契約でした。考えられがちな両階級の中間の68.2kg契約などではありません。キック系競技ではありがちですが。

プロボクシングの世界タイトルマッチで、チャンピオンがオーバーウエイトとなった場合、王座剥奪で、挑戦者の王座挑戦のみのタイトルマッチとなります。挑戦者がオーバーウエイトとなった場合、「勝敗に関わらず、タイトルは移動しない」と世界タイトルマッチ使用ルールに書かれていますが、統一戦(互いがチャンピオンであり互いが挑戦者)などは団体ごとの条件が統合し変わる場合があります。

日本バンタム級チャンピオン.鴇俊之(目黒)vs 全日本バンタム級チャンピオン.赤土公彦(キング)交流戦による同級チャンピオン対決。契約ウエイトはバンタム級リミットを越えた54.0kgでした。結果は引分け

日本で同様に、挑戦者がオーバーウエイトとなった場合、チャンピオンにタイトルマッチを行なうか、ノンタイトル戦にするか選択肢が与えられ、タイトルマッチを行なう場合はグローブハンディなどは付かない不利な条件ながら、チャンピオンが勝てば防衛、負ければ王座は空位となります。

プロボクシングでもマイナー世界団体(主要4団体以外)ではこのチャンピオンの義務が適用されていない団体もありますが、それは都合のいいルールを作り上げる所詮マイナー団体です。権威あるタイトルほど制約が厳しいものとなっているので、ルールをひとつひとつ吟味してみるのも面白いものです。

◆ムエタイのチャンピオン・ルール

ムエタイにおいてはラジャダムナン系、ルンピニー系二大殿堂とも、チャンピオンの階級リミット内でノンタイトル戦で試合した場合、判定負けでは剥奪されないようです。やや実力差があっても賭けの対象の赴きが強く、僅差の判定が多くなり、頻繁に試合をこなす競技の性質上、各ラウンドが独立した採点となるボクシングとは同様には扱えない事情でしょう。

ヒジで切られるレフェリーストップTKO負けもアクシデント的な意味合いで剥奪されませんが、倒されるKO負けは剥奪されます。しかし僅差判定であっても連続で負け続けていれば、いずれも許されなくなるでしょう。またムエタイでは大差判定負けはほとんど無いと言われます。勝ち目が無くなればレフェリーが試合を止めてTKOを宣します。または八百長疑惑でも試合を止められます。

向山鉄也、羅紗陀の父。激闘で有名、チャンピオン対決も経験豊富な実績

過去、ムエタイのWPMF世界チャンピオンになった選手が、その階級リミット内でノンタイトル戦を行ない、KOで敗れて王座剥奪されるケースが日本だけでなく、他国選手でも起きた時期がありました。WPMFも二大殿堂と同様のシステムを適用しており、選手陣営がこのルールを理解していないことから始まった悲劇でした。

過去に行われた国内でのチャンピオン対決の一部ですが、1983年2月5日に行われた、日本ナックモエ・ウェルター級チャンピオン.レイモンド額賀(平戸)vs 日本プロキック・ウェルター級チャンピオン.向山鉄也(北東京キング)戦は激闘の名勝負で向山鉄也の判定勝ち。契約ウエイトは68.0kgでした。後に続く向山氏の激闘は伝説になりました。

1989年7月2日に行われた、日本フライ級(50.8kg)チャンピオン.松田利彦(士道館)vs 日本バンタム級チャンピオン.鴇稔之(目黒)戦のチャンピオン対決はバンタム級契約で53.5kgリミット。鴇稔之が逆転判定勝利。奪われたダウンを奪い返しKO寸前まで圧倒しました。もし鴇稔之氏が負けていたら王座剥奪でしたが、知ったルールで覚悟の上での出場でした。

古い時代からのチャンピオン対決はまだまだありますが、勝敗結果よりテーマに絡む契約ウエイトが不明ですので割愛させて頂きます。

羅紗陀、向山鉄也の長男・竜二。親子でチャンピオンを制す。父親を超える為、もう一つ上のステージへ期待(画像提供:NJKF)

王座返上が多いキック界ですが、昔の名チャンピオンを越える国内防衛記録を狙って欲しいものです。

「チャンピオンたる者は安易に返上せず、誰の挑戦も受けつつ防衛を果たし、更なる上を目指して戦い続けなければならない」なんて“迷言”は、数十年後まで誰にも聞いて貰えそうにありません。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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日本で4つ目のムエタイ王座が誕生!──ルンピニージャパンがついに船出!

昨年、8月7日にムエタイ殿堂のひとつ、ルンピニースタジアムの日本支部が誕生する記者会見が行われてから、一旦は頓挫したのかと思うほど進展が鈍った印象がありましたが、約1年弱経過して王座決定戦が行われる進展が見られました。水面下ではレフェリー育成やライセンスの認定、ルンピニースタジアムの新たな認可や連携が必要とあって時間は掛かりつつ下地は整ったようです。

国内3つめのタイトル奪取成功の貴センチャイジム。右端は会長のセンチャイ氏

ムエタイの興行はキックボクシングとは違った赴きがありますが、M-ONEのような、派手な幟や横断幕が掲げられる外装は無いものの、リングサイドにタイ側役員首脳の顔が並ぶだけでもこの興行の重みを感じます。

3階級の初代王座決定戦が行われた試合出場の萩原秀斗だけが無冠の中、他の5人は過去何らかの国内王座に就いている実力が測れるチャンピオン経験者でした。世界チャンピオンも居て、肩書を書き並べると一般の人の前ではややこしく長くなるので省略します。

長身を利した貴のミドルキック

◆3階級で初代チャンピオンが誕生

貴(たかゆき)は組んでのヒザ蹴りは優位に立つ中、離れて戦えば岩浪悠弥も劣らぬ攻勢でヒジとパンチでクリーンヒットを見せる。ムエタイ式採点にしても日本人ジャッジが見極めるにしてもポイントの取り方が読み難い展開の中、スプリットデジションとなりました。

ペットナリンは来日3年という紹介。手数少ない中、一発の威力ある両者の蹴りも微妙な振り分けで3-0ながら二人のジャッジが僅差の判定。

ペットナリンのミドルキックを避けるのは際どく、耐える加藤剛士

藤原あらしは37歳になっても闘志劣らぬ攻勢で、21歳の萩原秀斗からダウンも奪って大差判定勝利。「まだ20年やります」という発言には、お子さんも「もうすぐ4人目が生まれます」という発言に続き、モチベーションが上がる一方の様子で頂点を極めるまで辞めない、諦めない姿勢が見られます。

重量級でも鋭い蹴りを持つTOMOYUKIが引退試合。パンチの上手さはタイでのプロボクシングでチャンピオンにもなった経験で、2ラウンドに2度ダウンを奪ってレフェリーが止めるTKO勝利。ラストファイトの後、家族とともにテンカウントゴングに送られました。

反撃のミドルキックの加藤剛士もペットナリンに負けない蹴り合い

◎MuayThaiOpen35 & LumpineeBoxingStadium of Japan
主催:センチャイムエタイジム / 7月17日(日)ディファ有明16:00~21:20
認定:ルンピニースタジアム

◆ルンピニージャパン・スーパーフライ級王座決定戦 5回戦
貴センチャイジム(センチャイ/52.15kg)vs 岩浪悠弥(橋本/52.16kg)
勝者:貴センチャイジム / 判定2-1
主審 少白竜 / 蔵満 48-49. 山根 49-48. 桜井 50-48.

在日タイ人として実績もあり、日本タイトル奪取のペットナリン

◆ルンピニージャパン・スーパーライト級王座決定戦 5回戦
ペットナリン・ソー・スパーポン(岡山/63.5kg)vs 加藤剛士(WSR・F池袋/63.3kg)
勝者:ペットナリン / 判定3-0
主審 山根正美 / 蔵満 50-49. 少白竜 50-47. 桜井 49-48.

◆ルンピニージャパン・バンタム級王座決定戦 5回戦
藤原あらし(バンゲリングベイS/53.25kg)vs 萩原秀斗(エイワS/53.52kg)
勝者:藤原あらし / 判定3-0
主審 河原聡一 / 蔵満 50-46. 山根 50-47. 桜井 50-46.

ヒジ打ちでダウンを奪い、若々しいファイトを続けた藤原あらし

◆女子50.0kg契約3回戦(1R=2分制)
ホンカーオ・モー・ラチャパットチョンブン(タイ/50.0kg)vs 小林愛三(NEXTLEVEL渋谷/50.0kg)
引分け / 0-0 (三者とも29-29)

◆73.0kg契約3回戦
TOMOYUKI(センチャイ/72.1kg)vs 剛王(FIGHTLAB JAPAN/73.0kg)
勝者:TOMOYUKI / TKO 2R 1:50

─以下、8試合─  / ○=勝者 ●=敗者

◆61.0kg契約3回戦 
●スアノーイ・トー・ヌームエタイシンジム(タイ/59.5kg)vs 笠原淳矢(フォルティス渋谷/61.0kg)○ / 判定0-3

◆62.5kg契約3回戦 
○村中克至(ブリザード/61.75kg)vs ライヤマン(ナックルズ/62.3kg)●判定3-0

◆フェザー級3回戦
翔貴(岡山/57.1kg)vs 大山拓也(インスパイヤードM/57.15kg)引分け0-0

◆ウェルター級3回戦
○重宗(TSKJapan/66.35kg)vs 田邊裕哉(京都亀岡/65.2kg)●判定3-0

◆65.0kg契約3回戦
馬木愛里(岡山/64.75kg)vs 柿沼慶(ポゴナクラブ/64.9kg)●判定3-0

◆スーパーフェザー級3回戦 
●宮田裕司(バンゲリングベイS/58.8kg)vs 皇貴(インスパイヤードM/58.97kg)○判定0-3

「あと20年」「4人目が生まれます」前向きに語る藤原あらし

◆スーパーバンタム級3回戦
○丸吉伴幸(クラミツ/55.3kg)vs 菊地英時(ポゴナクラブ/54.95kg)●TKO 3R 2:58

◆スーパーフライ級3回戦 
大翔FLYSKYGYM(FLYSKY/51.4kg)vs 前田翔太郎(NEXTLEVEL渋谷/51.85kg)
引分け三者三様

──────────────

重いローキックを放つTOMOYUKI

4月には、これもタイ発祥のWMC傘下の日本王座が誕生しており、ムエタイを母体とする日本王座も4団体目となりました。この他に従来の日本のキックボクシング王座が乱立している訳で、共存共栄できるとしても、一般世間の人には説明し難い厳しい現状が続きます。

日本では「LumpineeBoxingStadium of Japan」が正しい名称の、略称「ルンピニージャパン」です。本場タイでは世界タイトルという位置付けではないスタジアムタイトルですが、これがムエタイを代表するラジャダムナンスタジアムとルンピニースタジアムが二大殿堂となる最高峰と言われています。スタジアムとしての歴史は古く、ラジャダムナンは1941年の設立。ルンピニーは1956年の設立です。また古代ムエタイと言われる歴史は1774年にまで遡るナーイ・カノムトム物語が有名です。更には500年の歴史と言われるほど、その原点は複雑なほど古くなります。

こんな偉大な歴史を母体に持って動き出したルンピニージャパンの興行は、ディファ有明での満員にはならない船出でしたが、センチャイ氏はムエタイオープン興行を過去34回継続してきた経験値で今後も踏ん張るでしょう。

次回センチャイジム主催興行は7月29日(金)14:00より「TOYOTA Hilux Revo Superchamp in Japan」がディファ有明で開催。タイ選手4人、日本選手4人の計8人によるワンデートーナメントが開催されます。喜入衆(フォルティス渋谷)、平野将志(インスパイヤードモーション)、佐藤翔太(センチャイ)、為房厚志(二刃会)が出場予定です。

またムエタイオープン36&ルンピニージャパン2は10月2日(日)にディファ有明で開催予定です。

スポットライトを浴び、家族と共にテンカウントゴングを聞くTOMOYUKI

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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7月13日発売!芸能界の闇を暴く震撼の書『芸能界薬物汚染』(鹿砦社薬物問題研究会編)

MAGNUM.41 江幡塁と重森陽太と高橋勝次のそれぞれの奮起!

5月29日、ラジャダムナンスタジアムで敗れた江幡塁と重森陽太の二人が、本場の経験を活かして、それぞれの奮起。江幡塁はローキックとパンチを主体に相手の出方を窺いながらの素早い切れ味良い攻めはより進化あり。ローキックは次第に効いていき、ペットクラピーは心折れるように倒れ込みました。立ち上がるも陣営よりタオルが投げられた棄権により江幡塁のKO勝利。

江幡塁の左ハイキック
重森の右ローキック

重森陽太も初の本場リングに立った自信から多彩な攻めが力強く感じられました。右の蹴りも威力が増した感じ。重森の圧力に下がり気味のカターテープは手数が追いつかないまま重森の右ハイキックが頭部に命中。一発で仕留めました。

日本ライト級タイトルマッチ、勝次(高橋勝次/藤本)vs 永澤サムエル聖光(ビクトリー)の昨年3月の王座決定戦以来の再戦で、勝次が判定勝利で2度目の防衛。2ラウンド目の永澤のローキックが当たりだし、勝次の印象が悪いが、3ラウンド目には勝次のパンチ蹴りの盛り返しでそのペースを持続。5ラウンドには顔面打ち合いの激しさが増すスリリングな展開のまま終了し小差ながら判定勝利。

勝次の左飛ヒザ蹴り

渡辺健司が昨年引分けている松岡力に、ベテランの技を見せつけた青コーナー寄りでのカウンターのパンチでダウンを奪い、更にヒジ打ちで松岡の額を切る攻勢。反撃の松岡のパンチラッシュもかわして余裕の勝利。挑戦者決定戦で政斗に引分けつつ敗者扱いで後退した松岡の再浮上の野望を打ち砕きました。

松岡の巻き返し狙う懸命の右後蹴り

新チャンピオンになって初戦の泰史は、チャンピオンの重圧を感じているような、じれったい苦戦。現・元ランカーとも第一線級ムエタイボクサーとは今後も当たらなければならない地位で攻める姿勢は見せるものの、ティンリーに有効打を無に返される展開で辛うじて引分け。

—————————-
◎MAGNUM.41 / 7月3日(日) 後楽園ホール17:00~20:57
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会

ペットクラピーに最後の一撃の塁

-主要6試合-

◆56.0kg契約 5回戦

WKBA世界スーパーバンタム級チャンピオン.江幡塁(伊原/55.9kg)
.vs
ペットクラビー・ペットプームムエタイ(タイ/55.6kg)
勝者:江幡塁 / KO 3R 1:53 / カウント中のタオル投入 / 主審 少白竜

永澤も懸命に逆転を狙った連打のひとつ

◆日本ライト級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.勝次(藤本/61.1kg)vs 1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー61.0kg)
勝者:勝次
3-0 (主審 椎名利一 / 桜井 49-48. 少白竜 49-48. 仲 49-48)

勝次、勝者の雄叫び

◆57.5kg契約3回戦 

日本フェザー級チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/57.35kg)vs カターテープ・ポー・アリパーイ(タイ/57.0kg)
勝者:重森陽太 / TKO 3R 0:39 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 桜井一秀

重森が右ハイキックを放った後、喰らったカターテープが崩れ落ちる

◆68.0kg契約3回戦 

日本ウェルター級チャンピオン.渡辺健司(伊原稲城/67.75kg)vs 同級1位.松岡力(藤本/68.0kg)
勝者:渡辺健司 / 3-0 (30-27. 28-27. 30-28)

◆52.0kg契約3回戦 

日本フライ級チャンピオン.泰史(伊原/51.95kg)vs ティンリー・リバイバル(元・ラジャダムナン系F級C/タイ/51.2kg)
引分け / 0-1 (29-29. 29-30. 29-29)

◆70.0kg契約3回戦

喜多村誠(前・日本M級C/伊原新潟/69.8kg)vs ナ・スンイル(韓国/69.2kg)
引分け / 三者三様 (30-29. 29-30. 29-29)

◆他、7試合

5月29日(日)タイ国ラジャダムナンスタジアム

123 LBS 5回戦  
セーンピチット・STDトランスポート(タイ)vs 江幡塁(伊原)
勝者:セーンピチット / 判定

127 LBS 5回戦  
タレーグン・ポー・アーウタレーバーンサレー(タイ)vs 重森陽太(伊原稲城)
勝者:タレーグン / 判定

—————————
江幡ツインズや重森陽太をはじめ今すべてのチャンピオンたちはデビューした時から“ランカー3回戦世代”です。その為、王座挑戦試合から5回戦を経験しても1ラウンドから飛ばし気味の傾向があるように感じます。それでも全5ラウンドをスタミナ切れずに乗り切るので凄いことですが、プロボクシングシステムにある「各ラウンドは独立したラウンドで、前のラウンドの印象を後のラウンドの採点に影響を与えてはならない」という基準はキックボクシングには正式な文言は無くとも、その基準で競技運営されてきましたが、本場ムエタイにその基準は無く、後半に進むにつれ、勝負を懸けてより攻勢に行かねばならない駆け引きに、日本の選手は3回戦慣れからくる短期決戦に体幹的に導かれ、主導権を奪われてしまうのかと感じます(素人考えですが)。

またそういう後半勝負重視の採点基準の為、ムエタイでは偶然のバッティングなどの負傷による試合続行不可能になった場合、負傷判定が無くTKO負けになります。
昔の名チャンピオンで、スロースターターだった須田康徳や松本聖が3回戦で試合してたら引分けが多かったろうなと思いますが、石井宏樹も後半勝負が多く、2004年の5回戦から3回戦に短縮された当初は引分けが多かったですね。

勝次は2014年5月に翔栄(治政館)との日本ライト級王座決定戦に判定で敗れ、その翔栄が返上した王座を昨年3月、永澤サムエル聖光と争い判定勝利で王座獲得。12月には春樹(横須賀太賀)に判定勝利で初防衛。そして迎えた今回の防衛戦で永澤サムエル聖光を返り討ちで2度目の防衛。12月には3度目の防衛戦を希望し、来年には殿堂ラジャダムナン王座挑戦を夢描いています。

旧目黒ジムである藤本ジムは「防衛してこそ真のチャンピオン」と言われる先代会長の名言があり、「防衛を重ねることは名チャンピオンの証」であることも含まれるでしょう。早々に返上したチャンピオンもいましたが、怪我など諸々事情もあるようです。今の時代に於いて勝次は比較的早いペースで防衛戦をこなしているので好感が持てます。

新日本キックボクシング協会、興行予定は8月28日(日)ディファ有明に於いてWINNERS 2016.3rd、9月18日(日)後楽園ホールTITANS NEOS.20、10月23日(日)後楽園ホールMAGNUM.42と続きます。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
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 「世に倦む日日」田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』
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NO KICK NO LIFE 最終章──そして次回、進化の変貌へ!

「今回でNO KICK NO LIFEは終了となります」と言っても、小野寺力氏がイベント開催を撤退することなど1000%在る訳がなく、「“キックなくして我人生なし” は1ミリもブレずに何十倍にも大きくなって帰って参ります」と語った小野寺力氏。9月14日に渋谷TSUTAYA O-EASTに於いて公開記者会見(発表会)が行われます。観覧(観戦)自由ということですが、開始時刻等詳細は後日発表です。

対戦を前に全員集合。イベント参加者としては個々複雑な想いがあるでしょう

◎NO KICK, NO LIFE~THE FINAL~
6月24日(金)渋谷TSUTAYA O-EAST.19:00~21:55 主催:RIKIXジム / 放映:フジテレビオンデマンド
7月3日(日)22:00~スカパー『Fighting TV サムライ』でも放映

◆60.5kg契約 5回戦

WBCムエタイ世界スーパーフェザー級チャンピオン.梅野源治(PHOENIX/60.4kg)
VS
ヨードワンディー・ニッティサムイ(ヨーペットから改名/タイ/60.3kg)
引分け / 1-0 (主審 大成敦 / 北尻 48-48. 玉川 50-47. 大村 48-48)

ハイキックでヨードワンディーを弾き飛ばす梅野
梅野源治vsヨードワンディー。効果あった梅野の伸びる右ストレート

梅野源治の右ストレートでヨードワンディーがノックダウンしましたが、「梅野のパンチは当たっていたか?」という疑問が試合後、あるジムの会長より聞かれました。ヨードワンディーすぐ立ち上がり、“ダウンではない”というしぐさを示しましたが裁定は当然ながら覆らず。実際は額に当たっていたようです。

最近のレフェリー組織によっては「フラッシュダウンは取らない」という傾向もあるキックボクシングですが、これは裁くレフェリー陣の経験や、古いキックと今時のムエタイの視点の置き方などの違いがあります。インパクトは軽くても見た目は当たって倒れ、ノックダウン扱いとなったら、それに従うしかありません。

梅野はやや劣勢になる展開もありつつ、的確なヒットもあり、完全に取られたラウンドがあったかは難しい見極めでした。ヨードワンディーを含め、日本選手にもタイ選手にも研究される立場の中、トップクラスと激闘続く梅野は、またも引分けでも評価は落ちないでしょう。

◆59.5kg契約 5回戦

全日本スーパーフェザー級チャンピオン.森井洋介(ゴールデングローブ/59.3kg)
VS
チャオ・ロブート(元ルンピニー系フライ級C/タイ/59.0kg)
勝者:森井洋介 / 3-0 (主審 北尻俊介 / 大成 49-47. 玉川 50-46. 大村 50-47)

劣勢気味のチャオも実質負けてはいない互角の蹴り合い
冷静に狙っていたチャオのハイキック。油断ならない展開が続く

森井洋介は多彩なパンチとローキックを武器に、左のボディブローが度々強烈にヒット。怯まないチャオは下がらずローキックやパンチで軽く様子を見ながら時折強烈なハイキックやヒジ打ちを繰り出しました。終始、森井の手数が多く主導権は譲らず2~4ポイント差で安定した勝利。

◆57.3kg契約 5回戦

WBCムエタイ・インターナショナル・スーパーバンタム級チャンピオン.宮元啓介(橋本/57.0kg)
VS
北薗翔大(元KOSフェザー級チャンピオン/田畑/57.2kg)
勝者:宮元啓介 / 3-0 (主審 大村勝巳 / 大成 49-48. 玉川 50-49. 北尻 49-47)

後半は宮元が主導権を握った展開

北薗翔大は元KOSフェザー級チャンピオンの経歴を持ち、テクニックはしっかり備えた選手で宮元に負けないせめぎ合いを続けましたが、後半はテクニックと経験値で優る宮元が主導権を握り、飛び技を出す余裕で小差ながら判定勝利を導きました。

◆65.0kg契約3回戦

中尾満(エイワスポーツ/64.5kg)vs 前田将貴(RIKIX/65.0kg)
勝者:前田将貴 / 0-3 (主審 北尻俊介 / 大成 28-30. 玉川 28-30. 大村 29-30)

◆ライト級3回戦

雅駿介(PHOENIX/61.23kg)vs 錦和道(ゴールデングローブ/61.0kg)
勝者:雅駿介
TKO 3R 0:22 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 玉川英俊

結果は引分け

◆スーパーフェザー級3回戦

浦林幹(フリー/58.3kg)vs 藤野伸哉(RIKIX/58.9kg)
勝者:藤野伸哉
TKO 3R 2:01 / レフェリーストップ / 主審 大成敦

◆スーパーフェザー級3回戦

井上将吾(白山/58.4kg)vs 旭野穂(ゴールデングローブ/58.5kg)
引分け / 0-0 (主審 玉川英俊 / 大成 29-29. 北尻 29-29. 大村 29-29)

17歳とは思えぬ風格の那須川天心

◆毎回期待を裏切らないNO KICK NO LIFE

今回の開催時間は約3時間掛かりましたが、全7試合は手頃な試合数でした。
アトラクションとして、話題の17歳天才キックボクサー、那須川天心がミット蹴りを披露しました。素早さ、バランスの良さ、力強さ、これは確かに、天才と言われる素質に納得です。

前半4試合は、前日計量のルールミーティングで忠告された「小野寺力氏がコンセプトとする“キックボクシングの魅力を世間に伝える”ことを意識に持つこと」を促されていて積極的に打ち合いに出るファイトが目立ちました。後半3試合は、ベテランの経験値を活かした攻防に判定結果ながらファンを魅了していました。

いろいろな団体、各プロモーション単位の興行は増えましたが、NO KICK NO LIFEも毎度期待を裏切らない5回戦のこだわりと豪華さがありました。次回、リニューアルスタートを切る小野寺力氏自身の思想は、原点が純粋なキックボクシングの老舗だっただけに、間違った方向に行かないのは確かなところでしょう。単に新たなキックのイベントでなく、キックの魅力を世間に伝える為、どんな再スタートを切るか期待が掛かります。

負傷した選手、会場を後にした選手等を除いて、お疲れ様集合写真で締め括る

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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高橋三兄弟、復帰の岡田清治、翔・センチャイジム出場の多彩なファイター出場!

大和知也の右ストレートが翔太の接近を防御
大和知也、無念の負傷敗北
センチャイジム陣営、アウェイで勝利

武士シリーズVol.3 / 6月19日(日)後楽園ホール17:30~21:20
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆61.5kg契約 5回戦

NKBライト級チャンピオン.大和知也(SQUARE-UP/61.2kg)
VS
WMC日本ライト級チャンピオン.翔・センチャイジム(佐藤翔太/センチャイ/61.5kg)
勝者:翔センチャイジム / TKO 3R 0:48 / 左腕骨折の疑いでタオル投入による棄権。
主審 川上伸

古いキックスタイルの大和知也と今時のムエタイスタイルの翔・センチャイジムという全く違うタイプの対戦はパンチヒジ打ち、ミドルキック、ヒザ蹴りなど、離れてよし、接近してよしの翔太が有利な技を持ち、1Rには早くもパンチで大和知也からダウンを奪う。

大和も伸びる右ストレートとローキックが翔太のムエタイ戦法を封じる動きだが、翔太の距離を詰めつつある動きに、大和が練習で痛めた左ヒジに翔太のヒザ蹴りが当たると大和の動きが鈍くなる。左腕が使えないような下がった状態。セコンドがタオルを投げ試合を終了させました。大和知也はメインイベンターとして強行出場ながら、練習での怪我が多いのが気になるところです。

チャンピオンになっても守りに入らない積極的前進の安田一平
強打同士も圧力で2度のダウン奪って仕留める
勝利の瞬間、最高の気分の時

◆67.0kg契約 5回戦

NKBウェルター級チャンピオン.安田一平(SQUARE-UP/66.6kg)
. VS
同級5位.マサ・オオヤ(八王子FSG/66.7kg)
勝者:安田一平 / KO 1R 1:49 / カウント中のタオル投入による棄権。
主審 鈴木義和

王座獲得後、初戦となった安田一平は守りに入らず、打ち合い覚悟の左右パンチで2度ダウンを奪い豪快にKO。

◆ミドル級 3回戦

NKBミドル級6位.西村清吾(TEAM-KOK/72.5kg) VS 釼田昌弘(テツ/72.1kg)
勝者:西村清吾
判定2-0 (主審 前田仁 / 佐藤 30-29. 川上 30-29. 鈴木 30-30)

◆ウェルター級 3回戦

NKBウェルター級7位.岡田拳(大塚/66.5kg) VS 上温湯航(渡邉/66.4kg)
勝者:岡田拳(岡田清治/元同級C)
判定3-0 (主審 馳大輔 / 佐藤 30-27. 川上 29-27. 前田 30-27)

元NKBウェルター級チャンピオンの岡田清治(大塚)が岡田拳とリングネーム改名し3年ぶりに復帰。デビュー1年ながら、前に出る圧力ある上温湯航(うわぬゆ・こう/渡辺)と対戦。上温湯が予想どおりヒザ蹴りハイキックで圧力かけるも、元チャンピオン岡田はやや劣勢の中、冷静に試合勘を取り戻すように様子を見る。次第に岡田のローキックが効きだして上温湯の圧力が弱まり、ダウン奪って逆転判定勝利。

◆55.0kg契約 3回戦

NKBバンタム級1位.松永亮(拳心館/54.7kg) VS 町野秀和(八王子FSG/54.8kg)
勝者:町野秀和
判定0-3 (主審 鈴木義和 / 前田 28-29. 佐藤 28-29. 馳 28-29)

◆59.0kg契約 3回戦

NKBフェザー級2位.優介(真門/58.5kg) VS 竜坊(BIBLE/59.0kg)
勝者:優介
判定3-0 (主審 川上伸 / 馳 30-28. 佐藤 30-28. 鈴木 30-29)

柔軟なハイキックが冴える高橋聖人
ヒジヒザも有効に使う高橋聖人

◆フェザー級 3回戦

NKBフェザー級4位.KAZUYA(JKKG/57.15kg) VS 高橋聖人(真門/57.1kg)
勝者:高橋聖人 / TKO 3R 2:10 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 前田仁

高橋三兄弟三男の聖人はようやくデビュー一年が過ぎたところ、デビュー戦以来のKO勝利を飾り、4戦3勝(2KO)1分となりました。三兄弟としては次男・亮が昨年12月に王座獲得、長男・一眞が4月に王座奪取失敗、聖人は2月に引分けと、まずまずながら、期待が掛かる次期エースの立場としては停滞している感が強い。そんな中、次男・亮が7月3日ディファ有明でのBOM興行(バトルオブムエタイ)に出場します。キョウヘイ・ゴールドライフ(ゴールドライフ)と対戦予定。高橋三兄弟の、進化と明確な実力の披露に、好感度アップと勝利の期待が掛かります。

デビュー戦以来のKO勝利、ランキング入りは確実の高橋聖人

◆他3回戦6試合

4月16日の興行で7戦7敗の岩田行央(大塚)が豪快なKO勝利を飾り、初勝利を挙げました。その興行最優秀選手として6月19日のリング上で表彰されました。デビューが2009年ですでに30歳でしたが、「勝つまでやめられない」と頑張ってきたようです。惜しい展開もありつつ、なかなか勝利を挙げられないまま8戦目を迎えることも難しいものです。

しかし、ここでもうひとつレベルアップを図ろうと高橋三兄弟三男の聖人との対戦を熱望しました。話の成り行きが先行している状況のようで正式決定はしていませんが、アトラクションやパフォーマンスも充実してきた同興行に於いて、リングアナウンサーのような正装でリングに上がった岩田選手。表彰とインタビューを受ける姿はインパクトありました。ここからチャンピオンになったら凄い話題になりますね、日本を越えるほどの王座まで狙って欲しいところです。

6月26日 (日)新宿フェース17:30開始のJ-NETWORK 興行ではメインイベントで、NKBバンタム級6位の佐藤勇士(拳心館)がJ-NETWORKバンタム級6位の金基勲(キムギフン/韓国/STRUGGLE)と対戦予定。高橋亮も7月3日のBOM興行出場と、他団体(フリープロモーション興行含め)出場も緩やかに増えて、更なる団体交流に期待が掛かります。

司会は元NKBウェルター級チャンピオン.武村哲、岩田行央、高橋聖人の次期対戦候補の顔合わせ

次回興行、武士シリーズvol.4は10月2日(日)の開催ですが、NKBバンタム級からウェルター級までの4階級のチャンピオンが出場。タイトルマッチの発表はまだないですが、活性化に繋がる争奪戦に期待したいところです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』7日発売!

夢と希望に満ちたジム入門の前に《後編》──理想のジムと出会うために

◆一般的なジムの選び方

ジムに入門する場合の一般的なジムの選び方は、まず家から近いこと、職場仲間といっしょにやれること、練習費が安いこと、更には有名選手が所属している、元・有名選手が経営している、女性用設備が充実している、タイ人トレーナーが常在している、などでしょう。

日本で最初のジム。藤本ジムに名は変わったが、目黒ジムを引き継いで盟友が集う。目黒藤本ジム落成懇親会(2005.4.17)

もう一歩、踏み込んで考えるならば、多少家から遠くても、練習費が少しだけ高くても、引越の際に賃貸物件を幾つか見て回るように、ジム見学を幾つかしてみた方がよく、また斉藤京二氏の例のような、団体が乱立していることを知らない少年たち、業界の組織図のようなものを理解してから、どこのジムに行けば目指す方向が近いのか、自分との相性も含め、何か感じ取れれば、後の後悔があっても小さくて済むかもしれません。ただし、プロデビューを目指すなら、どこのジムも厳しい練習があることだけは変わりません。

同・落成懇親会。元・東洋ウェルター級チャンピオン.斉藤元助、伊原信一現・協会代表、元・日本ヘビー級チャンピオン.池野興信。創生期の荒くれたジムを知る名チャンピオンたち(2005.4.17)

練習生としてジム入会諸々の手続きを経て練習開始し、基礎体力、基礎技術習得しプロライセンス制度が有る団体では取得後プロデビュー、そのジム所属としてプロ選手生活が始まります。大雑把に言えば、伸び悩んで方向転換する(引退、転向など)といった選手が多い中、チャンピオンやランカーなど、地道に勝ち上がっても、その地位を維持するだけで必死の努力で、入門者数のほんの一握りになっていきます。

◆稀に移籍トラブルが発生

そして稀に移籍トラブルが発生します。ジム会長と選手間で、主にはファイトマネーが絡む問題。またはその他の待遇に関するもの、進む方向に関わるもの、練習環境の問題などありますが、転勤や家族の事情で遠地に移る場合を除き、移籍はそう簡単なものではありません。送り出す側のジムと受入れる側のジムが対話で円満に解決してくれればいいですが、有力選手になると、そうはいかない場合もあり、行き場を無くし引退を余儀なくされる場合もあるようです。

藤本勲会長。ジム前でポーズ。日本で放映されたキックボクシングの最初の人(2006.1.5)

「移籍金100万円払ったのに、1戦しただけで姿消された」という話も昔聞いたことがありますが、円満に移籍してもその先で挫折する、過去にそんなパターンもありました。

円満に移籍できなかった場合、密かに海外、タイなどで試合するという例はあるようです。選手とのトラブルがあってもすべての所属選手が会長を嫌っていることは少なく、そこは個人間の相性でしょうか。国内では聞いたことはありませんが、本気で所属選手全員に嫌われては、そのジムは試合出場が無くなり閉鎖に追い込まれるかもしれません。タイでは、あるジムから選手全員夜逃げの撤退が起こったことがありました。その後、新しい選手が入ってもジムに活気無く閉鎖に繋がりました。

◆心温かい名古屋の大和ジム

斉藤京二氏の例は決して失敗例ではなく、逆にその目白ジム(後の黒崎道場)は昭和50年代のキック低迷期であっても比較的試合出場に恵まれて、そこで頑張った先には、日本人初のムエタイチャンピオン、同門の先輩・藤原敏男にKO勝利する驚きの結果を導いたスターとなって、その後怪我もありましたが、期待どおりMA日本ライト級チャンピオンに就き、復興した全日本キック連盟に移っても引退までエース格を務めました。

チームワークが良いジムメイト、大和ジムの守永光義会長、大和大地。右は連盟代表理事・斉藤京二氏

心温かいジムと言えば、名古屋の大和ジムでは会長と選手のコミュニケーションがしっかりとれているジムと言われます。守永光義会長が選手誘って一緒に呑んでバカなこと言って溶け込んでお互いをしっかり知る、そんなところから選手を見て育てる方針には理解出来る部分があります。昭和の市原ジム(玉村哲勇会長)では、練習後、選手みんなでジム近くの焼き鳥屋で食事し、時には会長宅に押し掛け大宴会をやるといった、玉村会長自身が自由奔放な指導者だった為、日々みんなが計画せずも自然と集まる輪がありました。

石井宏樹引退セレモニーで挨拶、デビューから19年の想いを語る。ここまで来れたのは、すべて周りへの感謝

温かみあるジムはそれぞれの個性を持って他にもいろいろあると思いますが、移籍問題に発展するトラブルは少ないでしょう。
選手が引退式の中でのスピーチで、会長やトレーナー、選手仲間など周囲への感謝を述べていく挨拶があります。引退式に向けて話す内容を前もって考えてくることで、綺麗ごとを並べている部分もあるかもしれませんが、周囲への感謝は本音でしょう。周囲の協力が無ければ練習も充実せず、マッチメイクも決まらないことに繋がっていきます。

ミット持ったり持って貰ったり、スパーリングパートナーになったりなってもらったり、また先輩の試合も後輩の試合も、控室で身体にタイオイルを塗るマッサージや準備、試合中のセコンドでフォローすることなどのチームワークも学び、コミュニケーション能力が増していきます。

そんな触れ合いから教わった想い出が感謝と涙に変わるのは自然なことで、1戦でもプロ公式戦を経験させて貰えたならば、どれだけの人たちがフォローに周ってくれたかを自覚し感謝していくことは他の職場では味わえない大切な人生経験となるでしょう。どこのジムへ入っても、最後は感謝の気持ちを持って引退できる環境で戦って欲しいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』!
「世に倦む日日」主宰者による衝撃の書!田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』