広島原爆70年──被爆者の「戦争責任」発言を中学校長が制止するこの国の行方

70年目の広島原爆の日を迎えるにあたり、「将来への希望」や「平和の希求」を語ることを控える。それらは全く胸中に思いを抱かない安倍と言う人間の口から軽々しい言葉で語られることが必定だからだ。真意の全くこもらない空疎の限界を超越した「言葉」や「意味」への侮辱が今年もまた繰り返されるだろう。見なくともわかる。準備した原稿のみに目を落とし、よく回らない舌で精一杯必死に本心と真逆の「ことば」を職務としてこなす不誠実極まりない奴の姿が。安倍に抗議する意味でも、むしろこの日に敢えて寒々とした現実を直視しようと思う。

◆中学校長による「被爆者への言論弾圧事件」を島原市の教育委員会はどう考えているか、聞いてみた

少し古い話だが、2014年7月1日に島原市のある中学校での「平和学習」に講師として招かれた被爆者である末永浩氏(79)が被爆体験や戦争責任、原発事故の話を語ったところ、校長が「やめてください」と大声で遮るという事態が起きていたことが先日の報道で明らかになった。

当該中学校の名前が明らかにされていないので、末永氏の話を遮った校長本人には取材できていないが、島原市の教育委員会学校教育課の平田氏に電話で事情を聞いた。

平田氏によると「校長、末永氏双方平和を望む気持ちは同じと理解している」らしいが校長が「一方的な意見だけを末永氏が正しいと思い込み話をしていた」ので「制止」をしたそうだ。この件について島原市宮原照彦教育長は「校長と講師の被爆者が幸せを願う気持ちを持っている。今回のような残念な結果にしてしまい大変遺憾に感じている。今後はこのような事態を引き起こさないように各学校での平和学習に努めたい」との声明を明らかにしている。

しかしこの「声明」は何かを語っているようで、役人特有の「事なかれ主義」により読む者を煙に巻き、中学校長によって行われた「被爆者への言論弾圧事件」を曖昧に誤魔化そうとした出来の悪い作文だ。

◆日本のアジア侵略は「歴史的に定まっていない」という立場をとる教育委員会

平田氏によると「事前の打ち合わせでは無かった内容だったので校長が末永さんの話を制止したのは仕方ない」というのが教育委員会の見解だそうだ。では問題とされたのはどのような話なのだろか。

末永氏は長崎で被爆した自身の体験を話したあと、「アジアで原爆を語ろうとすれば、日本がしてきたことを反省して語らなければならない」と説明しながら、中国や韓国の博物館が旧日本軍による侵略に関するものとして展示している写真を生徒に見せ、日本の戦争責任について話した。さらに、「原爆と同じように核分裂によって放射線を出す」と、福島第一原発の事故など原発問題について語り出したところ、校長が「やめてください」と大声で遮ったため、末永氏は「原発についてもみんなでよく勉強し考えて下さい」と述べて話を終えた。というのが平田氏の説明だ。

「平和学習」の中で被爆者末永氏が上記のような話をした中の一体どこに問題があるのだろう。校長が「一方的な意見」と感じたのは一体どの部分なのか。被曝者が講師に呼ばれて戦争や放射能の話に文句を言われるのであれば、どんな話をしろというのだろうか。これに対して平田氏は「事前の打ち合わせではあくまで『被曝体験』を語って下さいと校長は依頼していたが、戦争責任や原発の話に及んだので打ち合わせ外の話と判断した」そうだ。え、正気か? 島原市教育委員会?

平田氏がそのように説明してくれたので、私は「では、被爆者が核兵器の話をするのは構わないのでしょうか(馬鹿げた質問ではあるが)」と尋ねると「それは勿論構いません」とのお答え。では「核兵器だけでなく兵器や戦争について被爆者が見解をのべることは」と聞くと、これまた「問題はありません」だ。更に「被爆者を苦しめている放射能について原発も同様の問題を孕んでおり、実際に事故が起きたことに言及することは如何か」との質問にも「問題はありません」との回答だ。

ならば、末永氏の講演のどの部分が「一方的な意見」に該当するというのだ。個別の話を1つ1つ点検して行ったが、どこも「問題」にされる部分はないじゃないか。そう糺すと「日本の戦争責任に言及した部分が事前の打ち合わせにはなかった」と平田氏は発言した。島原市教育委員会によると「アジア諸国への日本の戦争責任」を語るのは「一方的な意見」に当るそうだ。私は「日韓条約」では不十分ながら日本政府は戦時の賠償をしていること、更には「村山談話」や「河野談話」で日本政府は正式に戦争責任を認めていることを紹介した。国が「侵略」の事実を認め国際条約上も確定していることに言及することのどこに問題があるのかを平田氏に重ねて聞いた。平田氏は「社会科の教科書には『日本の侵略行為』には諸説議論があるとの記述がある」事を根拠に持ち出し、日本が中国・朝鮮をはじめとするアジア諸国を侵略したかどうかは「歴史的に定まっていない」ともとれる発言をした。

爆心地からは離れているとは言え、原爆を落とされた長崎県の島原市教育委員会にして戦争への認識がこの程度なのだ。これがあの「天草四郎」を生んだとされる島原の今日的現実=知的退廃である。平田氏に「満州国を知っているか」と聞いたらさすがに「知っている」と回答されたけれども、満州から中国へ広がった戦線が「侵略」でないはないというなら日中戦争をどう解説するつもりなのだろうか。

◆原爆被爆者が「戦争責任」や「原発事故」に言及してはいけない「平和学習」

被爆者を講師に呼んでおきながら「戦争」の真の意味や歴史、戦争責任を語らせない「平和学習」には微塵の意味もない。「平和学習」は正式な「科目」ではないのだから講師を呼べばそれぞれの考えや個性に基づいた話を展開するのが当たり前だろうに、被爆者に「戦争責任」や「原発事故」への言及を禁じる「平和学習」など「アリバイ造り」以外の何物でもない。その証拠に教育委員会は中学校長の「言論弾圧行為」を全く問題にしていないどころか、末永氏の歴史認識を「一方的な意見」と決めつけている。本来強く責められるべきは中学校長の憲法21条違反行為と教育委員会の憲法99条違反行為だ。

ここ数か月学校現場での明らかな歴史改竄策動事件や、国の過剰介入を何件か紹介してきた。もうこの程度の話は全国に溢れているということだ。私如き暇人でも一々取り上げきれないくらいに「教育現場の戦争体制化」は拡大している。残念だがもう決壊したダム同様、止めようがない。

つまり、私(達)は圧倒的に敗北している。しかも決定的な最後の敗北の寸前まで押し込まれている。この事実を直視し自分の身の丈と時代の容貌とのとてつもない差異を冷徹に確認しながら、少なくとも身内3人を死に至らしめた原爆の日の自省とする。


◎[参考動画]元ちとせ「死んだ女の子」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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さいたま市立指扇中学校長に直接聞いた「憲法より礼儀が大事」の真意

さいたま市立指扇(さしおうぎ)中学校の「学校だより」7月号に新井敬二郎校長が「憲法より礼儀が大事」と題した文章を作成し生徒に配布していたことが判明した。私の手元には問題の「憲法より礼儀が大事」はないので、7月3日午前電話取材で新井敬二郎校長に詳しい経緯と見解を伺った。

◆「私には憲法軽視の気持ちは全くありません」

新井校長は開口一番「私には憲法軽視の気持ちは全くありません」と前置きし、「指扇中学の生徒は最近礼儀正しいと近隣住民からお褒めを頂いていることもあり、そのことへの賞賛から文章は始まっている。夏休みを前にして益々精進しようと激励の気持ちで前プロ野球監督の野村克也氏の著作から当該部分を引用した。『礼に始まり礼に終わる』は特に素晴らしい言葉だと考えた」とのことだった。

新井校長は長くソフトボール部の顧問として活躍し埼玉県内では指導した中学では県内でかなりの好成績を収めた実績の持ち主でもある。「学校だより」5月号も陸上で近年活躍をする愛知県の豊川高校の例を挙げ「どうやったら勝てるか」などの実例が紹介されている。

◆「今考えると軽率だったと思います」

それにしてもなぜ、わざわざこの時期に野村氏の引用でなければならなかったのだろうか。新井校長は「憲法軽視ではない」と仰ったけれども、憲法と礼儀を同等(正確には憲法が礼儀より価値的には下位とする)文章を何故中学生に配布したのだろうか? 中学校の校長先生だから話し方は穏やかだったが、新井先生に悪意はないものの、「遵法」意識は極めて希薄だったと言わざるを得ない。

「今考えると軽率だったと思います。ここで『憲法』の部分を削っておけば良かったんですね」と新井校長は語ったが、表題自体が「憲法より礼儀が大事」となっているのだからこの文章を掲載するにあたって新井校長が現在の戦争推進法案を一顧題しなかったとは考えられない。

新井校長に対しては、さいたま市の教育委員会が既に電話で事実確認を行っており、3日午後、新井校長本人が直接教育委員会へ赴き事情を聞かれるとのことだ。新井校長は「始業式の際に生徒には改めて真意を説明するなりしなければいけないですね」と言われたので「始業式が行われる時にはもう『安保関連法案』が成立していたらどうなさいますか? 尊敬する新井校長先生から『憲法より礼儀が大事』を教わった生徒さんの中には夏休み中に保護者にその話をする人もいるでしょう。早急に訂正文を出されてはいかがですか」と伝えると「そうですね」と黙り込んでしまった。

話をしていて新井校長は生徒指導に熱心な先生だということは理解できた。しかし問題は中学、高校の教育現場でこの時代「熱心」とされる教師の中には「礼儀」、「校則」を守ることを熱心に教える先生は沢山いるけれども、その先生たちの大半は日本国憲法を本気で読んだことがある人が殆どいないことだ。

◆「教育指導要領」の憲法軽視

教員採用試験受験の為には大学の資格課程で「憲法」が必須だから今教育現場にいる先生方は「憲法」について大学時代に講義は受けている。資格課程は採っていなかったが私も「憲法」は受講した。しかし大学で「憲法」の講義を受講したことが、現在問題になっている「改憲策動」を理解する材料になるかと言えば、それはかなり疑わしい。

また「礼儀」、「校則順守」に熱心な先生の中には、「遵法意識」から逸脱してしまう先生もいる。「親や家族を大切にしろ」と教えるのはいいけれども、その教材に某右寄り宗教団体のパンフレットを配布して校長に注意された先生は確かに「生徒指導」には熱心な先生ではあった。

問題の核心は初等教育(小学校)中等教育(中学・高校)で教育の指針となる「教育指導要領」に実際の社会生活で重要な法律について教えることが殆ど記載されておらず、従って普通科高校を卒業した人でも「刑事事件」と「民事事件」の違いを明確に説明が出来ないほど「法律」についての教育が手薄だということだ。

◆諸悪の根源は「教育基本法」と「教育指導要領」で教育委員会を縛る文科省

実はこれは大問題で「基本的人権」に属する「逮捕された際の黙秘権」や「接見交通権」などを実践的な知識として持ち合わせている大学生は少数だ。本来ならば義務教育の段階でこの様な「基本権」は教えられるべきだと思うが、それを譲るにしても高校卒業までには教示されておくべき内容ではないか。学校を卒業して仕事に就いたら誰もその様な知識を教えてはくれない。

逆に言えばそのような初歩的な法律も中等教育では教えないし、教育指導要領は改悪された教育基本法に沿ってどんどん「国家に奉仕する」国民養成に邁進しているから教育現場でも「憲法よりも礼儀が大事」という実践的な本音が飛び出すのだろう。

たしかに中学校の中だけで生活している限り、生徒にとって「憲法」は差し迫った課題ではないのかもしれないが、それは生徒レベルの感覚であって校長先生が率先してこのような意見表明をしてはならない。

教育現場は先生たちが忙しくて残業過多のようだ。ヒラの先生から副校長(教頭)、校長までが雑務に追われているという。文科省が押し付けてくるどうでもよい「統計」や「資料」の作成に膨大な時間を割かれ、本務である授業準備や教材作成が後手に回ってしまうと嘆く先生が多い。

改悪された「教育基本法」とそれに準拠する「教育指導要領」の縛りはてきめんで、各市町村の教育委員会はこれにビビりきっている。猛暑だから頭がヒートして「憲法よりも礼儀が大事」と中学校長は間違えたのではない。

文科省、教育指導要領が暗にそれを期待しているのだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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極東戦線異状なし!?──放射能や戦争法案に鈍感すぎる若者たちと遭遇して考えた

自分の怪我は痛い。指先を数ミリ切っただけで気になって手仕事が進まなくなる。たったそれだけの怪我でも鬱陶しいものだが、横で仕事をしている人に「指先を切ってね、仕事が進めにくいんだ」と言うほどの大事ではない。でも横の同僚が気遣いの細かい人だったらあなたが何を語らなくてもいつも通りではないあなたの仕草に気が付き「どうかしたの?調子悪そうだけど」と声をかけてくれることがあるかもしれない。

これは注意力(洞察力)が繊細かどうかという個性に起因する反応だが、その上であなたが「ちょっと指先を切ってね」と言った時に「ああそう」と答えが返って来るか「あらら、ちょっとの事でも指先の怪我は気になるよね」と声をかけてくれるかは「感性」(想像力)に属する反応と言えよう。他者の「痛み」を自分も想像して共感できるか、あるいは「他人の事は他人の事」とそこで思考停止するかは社会的な問題に対する態度にも繋がって来るだろう。

◆徐々に迫ってくる危機を自分の生命の危機と繋げて想像すること

私達の多くは戦争の実体験はない。でも同時代に他国で実際に戦争が起こっていることは知っている。また私達の多くは「直ちに健康に影響はない」(言い換えれば「いつかは健康に影響が出るかもしれない」)放射能がばら撒かれた島国で生活していることを感性の鈍くない人ならば意識をしている、と思っていた。

でも私の見込みは随分外れていた。私のようにもうどうでも良いほど年を取っている人間よりも若い人々が将来に対して不安が強いのではないか、と心配しながら想像していたが若者の多数は私が心配するよりも放射能に対して脅威を感じていないことを知らされる機会に直面した。

若者に原発や放射能について語り掛ける人の前で多くの若者は眠そうにしていたり、露骨に居眠りをしていた。

「おいおいお前達! 被害を食らうのは君たちだという話をされて、それでも居眠りしていられるのか・・・」と私は内心少し腹も立ち、それ以上に彼らは大丈夫だろうか、と心配が湧き上がってきた。自分の生命の危険に関わることに生物は敏感で、それを回避しようとするのは、考え方や思想と言ったレベルの話ではなく「反射」に近いはずだと考えていた。目に見えない危機だから若者は危険性を察知できないのだろうか。危機は目に見えるまで察知されないとすれば、放射能に限らず事故や伝染病について彼らはどう反応するのだろう。

ましてや「戦争」といった現実に起きているけれども、「自分の目の前にはない」ことが徐々に迫っていることを彼らは自分の生命の危機と繋げて想像することができるだろうか。

◆ソウル・フラワー・ユニオンの「極東戦線異状なし!?」

私は歳を取ったと痛感する。このようにグタグタ考えることは大学に勤務している時はなかった。学生が「戦争」についての関心が薄ければ直接語り掛けたり、その非道さを示す証拠を示したりして少なくとも私なりに感じる危機を伝えようと試みたものだが、それに割くエネルギーが徐々に枯渇してきているとの実感がある。要する私自身がどんどんダメになってきているのだ。

だがやはりこれだけ明確に迫りつつある「戦争」についてはそのおぞましさを伝えるのが義務の様な気がして(ここが私の往生際の悪いところだ)逃れることが出来ない。「戦争になったら君達が一番最初に戦場に連れて行かれるんだよ」、「戦場では『人殺し』が義務なんだよ。敵前逃亡すれば見方から撃ち殺されるんだよ」、「指先を数ミリ切ってもチクチク痛いけど、砲弾の破片が体に刺さると取り出しにくくて、寝ることが出来ないほどの痛みが続くんだよ」・・・・。

やはり絞り出す言葉に迫力がないなぁ。こんな陳腐な言葉にはきっと反応してくれないだろうな。私の「伝達力」は日々低下しているのだろう。彼らの「想像力」はどうなっているのだろうか。言葉を吐けば吐くほど自分の脳髄や感覚までもがどんどん摩耗していくのではないかと、こちらの方が心配になる。情けない。

ソウル・フラワー・ユニオンに「極東戦線異状なし!?」という楽曲がある。「極東戦線異常発生」の今日この曲はどのように聞こえるだろうか。


◎[参考動画]ソウル・フラワー・ユニオン「極東戦線異状なし!?極東戦線異状なし !? ALL QUIET ON THE FAR EASTERN FRONT !?」(2004年6月11日)

戦争推進法制が仮に成立すれば、数年以内に確実に戦争がやって来る。自分が戦場に赴くことなど金輪際ない政治屋どもが決める悪法は「君たちを片道切符で戦場へ送り出す」ための準備以外の何物でもない。考えよう。想像しよう。私は「戦争」で誰にも死んでほしくない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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◎安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心
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『慨世(がいせい)の遠吠え  強い国になりたい症候群 内田 樹 鈴木邦男 対論』

 

《大学異論41》福岡教育大学「粛清」事件──安倍の弾圧に過剰適応する大学の罪

J-castニュースによると福岡教育大学の准教授が7月21日の講義中に「戦争法案絶対反対」「安倍やめろ」などのシュプレヒコールの「練習」をさせたとして大学は准教授の授業を停止したそうだ。(2015年7月27日付J-castニュース

これに関して同大学は7月23日、下記の声明をHPに掲載した

福岡教育大学「授業内容のインターネット掲載に関わる事案について」(2015年7月23日)

◆1日15件の問い合わせは「炎上」なのか?

21日の講義からわずか2日で准教授の「授業停止」を決定したのだというから「電光石火」の対応だ。学生からネット上に投稿されたものは複数ある模様だが、その中にはこの准教授の講義を否定的にとらえていないものも含まれる。大学によると「一時炎上と言われる状態に陥った」とコメントがあるが、「炎上」などという軽々しい言葉を大学が使うことに私は違和感を覚える。いったい「炎上」と言うほど大騒ぎになったのはどこのサイトなのだろうか。学生個人のTwitterじゃないのか。投稿したのは学生だとJ-castニュースには書かれているが、個人のTwitter書き込みに反論が相次ぐことは別段珍しいことではない。さらに「7月22日には問い合わせや苦情、対応を求める電話やメールが15件ほど大学側に寄せられた」そうだが1日にメールや電話で15件の問い合わせは大騒ぎするような数ではない。

大学職員時代に、やや刺激的な企画やイベントを新聞などで告知すると案内した電話番号に電話が集中し、仕事が出来なくなる経験を何度かしたが、そんな状態に比べれば「メールを含めて」1日に15件など特段取り上げるほどの数ではない。

◆国公立大学は教育機関でも研究機関でもなく「従順な国民の養成機関」なのか?

そこで福岡教育大学の田中正幸事務局長に電話で事情を伺った。田中氏の話によると「問題の講義は『人権同和教育論』という講義でその受講生がTwitterに投稿した。その事実が判明したので授業担当者の准教授に事実確認を行ったところ『否定』はしなかった。本人が『否定』していないのでTwitterに投稿された事実は存在したと考えており、現在その詳細を調査中だ。授業担当者の外したのは『処分』とは考えない。教員がどんな考えを持とうが自由だが、講義の中で特定の考えを語るのは逸脱の可能性がある。それを語る必要があったのか、無かったのかも含めて調査している」との回答であった。

私は「『人権同和論』の講義ならば最大の人権蹂躙である戦争に対して反対を述べるのは全く自然なことではないか。安保法制に反対するのは『特定の考え』ではない。人権を教える講義の中でごく自然なことではないか」と質問した。

田中氏は「安保法制の事など大学は全然問題にしていない。あくまでも講義内容として適切であったかどうかだけだ」と回答されたが「では、不適切な可能性が疑われる内容は何だ」との問いに「それは学生が投稿した通り『戦争法案絶対反対』とか『安倍を倒せ』というものだ」と結局問題にされているのは「特定の考え」=「安保法制反対」であることを認めた。

田中氏には忙しい中30分ほど時間を割いて丁寧に対応頂けたが、残念ながら福岡教育大学の判断は完全な過ちだ。過ちどころではない。罪でさえある。

国公立大学の教員は公務員だから「国に楯突く研究や言動をするな」というなら、大学は教育機関でも研究機関でもなく、単なる「従順な国民の養成機関」だ。

◆安倍政権の「反動攻撃」にビクついてばかりの国公立大学の経営陣

福岡教育大学は「大学教員が行った教育活動の適正さについて関係法令や本学規則に照らした事実調査等を早急に実施し厳正に対処してまいります」なんていきり立つな。どれだけの凶悪犯罪や知能犯罪を犯したかと誤解するけども、要するに准教授は「戦争推進法案」に危機感を持っていてそれを講義中に語り、きょうび政府に反対することの方法や表現すら知らない学生に範を示しただけの事ではないか。

普通の教育者としては「当たり前」の行為じゃないのか! 戦争に反対するのは。

国公立大学の経営陣は安倍政権発足後矢継ぎ早に飛んできた「反動攻撃」にびくついている。これは福岡教育大学に限った事ではない。教授会権限を奪い学長権限を拡大する「独裁運営」を認める法改正が行われ、ついには「文科系教員養成系学部の廃止・統合」などという実質的な「大学破壊」を文科省は迫っている。もう文部科学省は「教育弾圧省」と実態に合わせて改称すべきだ。

◆大学が異常なほど迅速に対応した背景の本質──戦争推進勢力に抗うことが「非行」扱いされる時代

大学が僅か2日でこのような決定を発表するのは「異常」だ。国立大学の意思決定は通常このように敏捷ではない。「役所的」な手続きがあるから普通の概念より「ゆっくり」しているのが常態だ。その「常態」を「異常」にせしめたのは僅か15通のメールや電話だけであろうか。

違う。殺人事件が学内で発生した並の「緊急対応」を大学当局に取らせたのは、私が想像するに「時代の脅迫」だ。元朝日新聞植村記者の非常勤講師契約について様々な脅迫を受けた北星学園大学のような状態に陥ることへの恐怖感が大学執行部をつき動かしたのではないか。あるいは匿名の卑怯な脅迫や恫喝ではなく「教育弾圧省」からの「お叱り」を慮った側面もあろう。

実際田中氏によると22日時点では問い合わせやメールや電話は15本程度だったが28日に産経新聞(!)が記事化しネットでも配信してから苦情や問い合わせが急増しているという。

憲法違反の「戦争推進法制」に反対することへの「自己規制」いや「内部粛清」が顕在化したのが福岡教育大学事件とみるべきだ。便利なようで「凶器」にもなる「ネット」が力を持つ現代、匿名性の脅迫は当事者を思いの外委縮させる効果を持つ。

武器を持たされる「戦争」の前に「言葉を封じられる」言論弾圧はこのように急速に進行している。既に時代は戦争推進勢力に抗うことが「非行」扱いされる段階に入っている。

真逆に同志社大学では学長が国会の特別委員会中央公聴会で「戦争推進法案」に賛成意見を述べても同志社大学の理事会は「個人の意見には介入しない」との理由で村田晃嗣学長の責任を一切問題にしていない。学内外で有志教職員・学生が反対の声を挙げるのみだ。図々しくも村田は27日も「良心学」という名の講義を行ったそうだ。そんな資格がこの男にあるのか。

戦争法案反対を講義で語れば担当を外されるが、国会で戦争法案賛成を明言しても「良心学」を語らせる。この底抜けに救いがたい倒錯。ファシズムの加速がはっきり目に見える。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎今こそ同志社を<反戦の砦>に! 教職員有志「安保法制を考える緊急集会」開催
◎同志社の「良心」は「安保法案」賛成の村田晃嗣学長を許すのか?
◎安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心
◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落

『慨世(がいせい)の遠吠え  強い国になりたい症候群 内田 樹 鈴木邦男 対論』

今こそ同志社を<反戦の砦>に!教職員有志「安保法制を考える緊急集会」開催

同志社大学で7月25日、「安保法制を考える緊急集会」が行われ250名以上が集まった。「同志社平和の会」が主催し、「安保法制に反対する同志社大学教職員有志」、「村田学長の公聴会発言に対して抗議する同志社学生有志の会」が共催し学生さんが司会を務める中、会はほぼ予定通り17:00から始まった。

◆鶴見俊輔さんへの黙祷で始まった良心の集会

会の冒頭主催者の出原政雄教授から、20日に逝去した元同志社大学教員でもあった鶴見俊輔さんへの黙祷が呼び掛けられ参加者は起立して黙祷を捧げた。個人的にもお宅に何度も伺った鶴見さんの逝去がこのタイミングに重なったことは、あの穏やかな語り口から「同志社は一体どうなっているんですかね。もう良心は死んだのですか?」との声が聞こえて来そうだった。

会の前半は既に声明を出している同志社大学教職員、学生代表、同志社中学の先生、京大・立命館の先生方からそれぞれお話があった。出色だったのは、言葉は穏やかだったが怒りを含んだ学生代表と中学の先生方のお話だった。学生代表は「教職員よりも先に声明を出そうと思ったが間に合わなかった」と述べながらも、村田発言の問題点を正確に抽出、指摘していた。

◆同志社にはまだまだ真っ当な教師たちがいる

同志社中学の先生方は「13日の村田学長の発言を聞いて、学年末の忙しい時期だったが何としても早く声明を出すべきだと思い翌日には声明をまとめた。学長に手渡そうと出向いたが受け取りを拒否され、その場に抗議声明を置いてきた。生徒は毎朝の集会で不安になっている『僕ら戦争に行かんとあかんの?』と聞いてくる生徒もいる。私達は中学が職場だが学長を辞任させるまで大学の人を応援するので頑張って欲しい」と語った。真っ当な教師の姿ここにあり、との印象を受けた。

だが、一部の教員の発言は時間だけがやたらに長く、内容的には「緊急集会」の名に値しない間延びしたものだった。あたかも通常の講義を行っているかのようで概して「緊張感」がない。そして何よりも「怒り」が感じられない。

◆鹿砦社松岡社長も緊急アピール! 「同志社を<反戦の砦>に!」ビラを配布!

前後するがこの日の集会には松岡社長が「緊急アピール! 稀代のファシスト=村田晃嗣学長を退陣に追い込み 同志社を〈反戦の砦に!〉」と銘打ったビラを持参し会場前、参加者に配布していたが、そこへ出原政雄教授がやってきて「人格を誹謗中傷するのはこの集会の趣旨ではないのでこのビラを回収してくれ」と要求してきた。なに? 戦争推進法案に賛成した村田を批判するビラが「人格攻撃」だからそれを巻くな、回収しろと?

出原氏が問題視したのは、「学生を戦場に送るのに熱心な学長」など殺人者と変わりません。私達は同志社を卒業して何十年かぶりに、体の奥底からの怒りを抑えることが出来ません。村田学長は政治学者ですが、人間性を持ち合わせない〈悪魔〉であることが明らかになりました」の部分だ。

この指摘には呆れるほかなかった。戦前を通じて初めて国会の場で「戦争法案賛成」を表明した私立大学学長への、筋違いな過剰なまでの配慮。戦争を牽引することは「個人研究者の意見」として許される、戦争を誘引する発言は「穏やかな表現であれば」許される。逆に直接的な表現を用いると「人格批判」として排除しようとする。

村田が極悪・史上最悪の国会内での発言を行い、それを問題にする集会でもこのような「言葉狩り」が行われている現実こそが村田のような人間を学長に押し上げ、その暴言を放置する遠因になっているのではないか。そんな的外れな「品性」や「体裁」ばかりに気を回しているからこそ村田の暴走を許したのだという反省が、概して同志社大学には欠如していると感じた。

このビラについては、実質的な教職員有志のまとめ役である板垣竜太先生に相談し「この表現問題ありますか」と伺ったところ、「いや私は問題を感じませんが」とご了承頂いたので、結局無事に配布することが出来たが、村田が調子に乗る学内的要因を図らずも垣間見る機会とはなった。

同志社OB鹿砦社松岡社長もリレートークで緊急アピールを行った

◆同志社はなぜ村田のような超ファシストを大学長にまでしてしまったのか?

主催関連団体の挨拶に次いで「リレートーク」が行われた。合計16名の発言者が5分の時間制限時間内で意見を述べた。松岡社長も発言に立ち「昔は良かったという言い方はしたくないが、同志社の空気は変わったと思う。なぜ村田のような超ファシストを学長にまでしてしまったのか。はっきり言うが教職員の方々にも責任はあると思う。これまで卒業以来大学内の問題に関わることがなかったが、同志社が私にも母校愛がある。今日はチラシを配らせてもらったが主催の先生から『人格攻撃』しているから配布するな、回収しろとまで言われた。そんなケツの穴の小さいことを言っているから村田のような人間がのし上がって来るのではないか。そんなことを言っている場合か。もっと体を張って、村田退陣、安保法案阻止の闘いを期待したい。主体は学生、教職員だから我々は後方支援をしてゆきたい」と語った。

次いで私の発言となり思いの一部を述べた。

この日の集会はたぶん主催者も予想以上の人数が集まり3時間を超える会となったが、様々な立場から多くの人の発言があり大変意義深い集会だったと言えよう。とりわけ短時間でこの集会を準備した関係者の方々のご苦労には敬意を表したい。

◆250名もの良心が集まった理由──村田に辞任を求めない集会に意味があるのか?

だが、残念だが何かが欠けていたように感じる。大学では講演会やシンポジウムが頻繁に行われるが、その空気感と大差がなかったように感じたのは私だけであろうか。

私はこの会を実質的に運営した板垣竜太先生と学生諸君には特に再度深い敬意を払う。同志社中学の先生方の熱意も実感した。

だが、最後に再び登壇した出原教授は「この会は議論を目的にしている、村田学長への批判は予想されていたが『人格攻撃』はならないと考える」と再び述べたにとどまらず「会の目的は『村田学長に辞任を迫るものではない』」とまで言及した。

では、この「緊急集会」の意味は一体何なのだ。参加者の少なくない人々が村田許せぬ。即時退陣を願っているからこそ250名を超える人数が集まったのではないか。この発言は決定的に問題の本質を捉えていない。許せないと感じた私を含めた多くの人から声が上がった。

「村田に辞任を求めない集会に意味があるのか?」

こう発言した私に出原教授は「集会の趣旨と違うから出て行ってください」と言い放った。更にその発言を糾弾すると私の前に座っていた教員が「静かにしろ!黙って聞け!」と立ち上って迫ってきた。

何を考えているのだ、あなた達は。私に向ける「言論弾圧」のエネルギーがあればそれをすべて「村田打倒」に向けたらいいではないか。近年アカデミズムの世界でも「回りくどい」言い回しで煙に巻く話法が流行している。その意味が戦争賛成である「回りくどい言い回し」は「直接的な反論言語」よりも高尚とされる。表現の細かな部分の揚げ足取りで発言を封じ、あからさま悪意が「修辞」を纏って闊歩することは往々にして問題にされない。

ここだ。ここに「知」の退行がある。そして人間として当たり前に感じ、表現すべき「怒り」への抑制と蔑みがファシズムを下支えしている。

身近なファシズムを打破するところから始めなければ、と再度痛感した1日でもあった。

当日、配布禁止回収を求められた緊急アピールチラシ(表面)
当日、配布禁止回収を求められた緊急アピールチラシ(裏面)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎《大学異論40》同志社大学長発言を「個人の意見」と容認した理事会に反省なし!
◎《大学異論39》同志社の「良心」は「安保法案」賛成の村田晃嗣学長を許すのか?
◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落

自粛無用のタブーなき月刊誌『紙の爆弾』!

《大学異論40》同志社大学長発言を「個人の意見」と容認した理事会に反省なし!

先の国会衆議院特別委員会で「戦争推進法制」賛成意見を述べた村田学長の発言をめぐって7月16日、同志社大学の理事会が審議を行った。その場で村田氏から国会での発言は「あくまで学者個人としてのもの」であったことについて弁明がなされ、いくつかの疑問意見は呈されたものの、理事会としては「村田発言」を「納得する」との結論に至ったと同大学広報課の高阪氏は述べた。

◆「公序良俗に反しない限り、各教員の考えに介入することはない」(高阪=同志社大学広報課)

「村田発言」についてはいち早く「同志社中学校教職員有志」から発言内容を厳しく批判する声明が出されたほか、「同志社大学教職員有志」、「同志社大学学生有志」らから非難の声明が相次いでいる。私の取材に同志社中学の先生は「教職員全員というわけではないが、ほとんどの教職員は怒り心頭です。毎日生徒を目の前にしている私たちは村田氏の発言を絶対に許すことはできず、辞任させるまで頑張ります」と語っていた。(安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明)

同志社中学校の先生たちの真っ当さに比べて、同大学理事会の例えようなき愚劣振りはどうだ。「村田発言」を不問にするという、大学としては「自殺行為」に等しい愚かな判断だ。理事会に限れば、もうこの大学は「戦争翼賛大学」と言われても仕方がないだろう。

◆「戦争推進」は「公序良俗」に反しないという同志社大学理事会の総意

広報課の高阪氏は「本学は各教員の考え方を尊重するという基本姿勢なので、公序良俗に反しない限り、各教員の考えに介入することはない、というのが基本姿勢です」と語ったが、同志社大学において「戦争推進」は「公序良俗」に反しないということらしい。何たる想像力の欠如と、「知」の摩耗であろうか。

いったい同志社大学における「公序良俗」とは何を意味するのか。同志社大学は学生のバイク通学を禁止しているが違反学生は小さいけれども「公序良俗」の違反者とされるのだろう。数年前同じ学校法人である同志社女子大学に勤務する職員が同僚を殺すという事件があった。これは間違いなく「公序良俗」違反だろう。

◆「集団的自衛権」行使で日本に戦火が及んだら、その有責者には「外患誘致罪」を問えないか?

なら戦争はどうなんだ。刑法には「外患誘致罪」という罪がある。

「外国と通謀して日本国に対し武力を行使させ、又は、日本国に対して外国から武力の行使があったときに加担するなど軍事上の利益を与える犯罪である。現在、外患誘致罪(刑法81条)や外患援助罪(刑法82条)などが定められており、刑法第2編第3章に外患に関する罪として規定されている」

この罪に問われると誰一人殺していなくても最高刑は「死刑」である。「外患誘致罪」は外国の軍隊や武装組織を日本に招き入れることを前提とした刑罰だが、この条文だけ読めば「集団的自衛権」行使だって結局同じ結果を招くのではないか。「外国」を「米国」と置き換えれば日本に戦火が及んだ時の有責者は同様に罰せられないとおかしくはないか。

近代の戦争で「侵略」を旗頭に行われた戦争などない。戦争は常に「解放」や「自由を守る」、「自衛」といった一見理のありそうな「美名」のもとに口火が切られる。大学で国際関係・国際政治を教えている教員ならばこの程度のことは最低レベルの人間でも知っている。

そんな最悪事態をわざわざ招き入れようとする与党の「戦争推進法案」に賛成することを、しかも学長が国会で「あくまで個人的な意見だが」といえば免罪されるとする同志社大学の「個人の自由」概念には論理や理性のかけらもない。あるのはこの時代にまったく抗おうとせず,諾々とルーチンワークをこなし「善良な教職員」を演じ切りたいとする、人間として最低の自己保身だけだ。

この惨憺たる事実を見つめながら、同志社内部で声を上げる良心的な人々を精一杯応援してゆきたい。


◎[参考動画]頭脳警察-世界革命戦争宣言~銃を取れ!(1990年11月12日同志社大学「超非国民集会」)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎《大学異論39》同志社の「良心」は「安保法案」賛成の村田晃嗣学長を許すのか?
◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落

失われつつある民主主義を日本に取り戻す「慨世の遠吠え」を聞け!

「不逮捕特権」を持つ国会議員は「体を張って」安保法案を阻止できる!

〈2015年7月15日国会前の市民デモ〉

7月15日、予告されていた通り衆議院の特別委員会で「戦争推進法案」が自公多数で可決された。国会の外では1日総計10万人以上の人々が抗議の声を挙げ続けたが、当たり前のように無視された。

昨日の強行採決の際の映像を見て私は違和感を感じた。浜田靖一議長が審議を打ち切り、議長席に野党議員が詰め寄る。ここまでは想像通りだ。だが、だれも委員長浜田の暴挙を「体を張って」止めようとした議員はいない。挙句の果て採決に移ると野党議員は用意していた「自民党感じ悪いよね」「安倍政権を許さない」「強行採決反対」という印刷されたメッセージを掲げ始めた。

元から政治や政治家を本当は全く信用していない私にとって、またもその思いを強くさせられる光景だった。野党議員は国会を取り巻く市民ではない。特別委員会の委員以外にも多くの議員が議事の傍聴に訪れ、議場後方には立ち見の議員であふれかえっていた。

◆国会議員はもっと「体を張って」法案を阻止せよ!

ここで審議されているのは一体どんな法案なのか、その重大さに対する本当の危機感が野党議員にはあるのか。「戦争推進法案」はこれまであまた審議された悪法のなかでも間違いなく最大級に憲法違反かつ将来の「戦死者」を創出することが確定的な、絶対に許してはならない法案なのではないのか。

市民は国会の外でしか活動出来ないけれども、国会議員には委員会の議場に入る権利がある。だったらなぜ「体を張って」採決を止めないのだ。議長席に詰め寄った議員は誰一人として委員長の議事進行を物理的に阻止しよとはしていなかった。辻元清美議員は合掌しながら「議長だめです」と言い続けていたけれども、そんなことが通じる相手だと本気で考えているのか。他の議員も議長机を叩くだけで、誰も議長席から浜田委員長を排除しようとはしない。

私は「暴力はいけない」という一般論をこの場合排除する。抗議する市民は国会の外では何も暴力行為に及んでいないのに少なくとも2名がこの日逮捕されているし、抗議行動を警戒した警察は鉄策を国会の周りに二重三重に張り巡らせていた。重ねて強調するが、審議されているのは「暴力の究極形」である「戦争」を召致する法案だ。いわば「無法暴力の合法化」を図ろうとの策動が行われているのだ。目の前で立ち上がろうとしている「戦争」を止めるためならば、議事進行を物理的阻止することなど何の罪もないに等しい。

いや「どんな場合でも暴力はいけない」、「法律に沿った範囲で抗議しないと」という意見があるが、この法案に限っては、その意見は完全に間違いだと私は断言する。

〈2015年7月15日国会前の市民デモ〉

◆「自民党感じ悪いね」などと恍けたフレーズをかざしている場合か!

本気で野党議員がこの審議を阻止しようとするなら議場封鎖や委員長を議長席から引きずりおろす位の行動にでなければおかしくはないか。

これ程重要な法案でなくとも、過去に国会内での「実力行使」による衝突はいくらでもあった。何日も議場入口で座り込みを続ける野党議員を警察が排除したこともあったし、強行採決を画策する議長を議長席から引きずりおろしたことも実際にある。近年国会内も「お行儀良く」しておくのが何か「美徳」であるかのよな誤解があるが、そうではない。与野党の体によるぶつかり合いは別に珍しいことではなかったし、その時の強力な「排除要員」として元プロレスラーの馳浩は自民党から頼まれて議員になり、実際彼は混乱の中で野党議員排除に活躍をしたことがある。

そしてこの特別委員会委員長の浜田の父親、浜田幸一は1979年自民党内の派閥抗争「40日抗争」で主流派閥が机や椅子でバリケードを作っていた時「いいか、断っとくけどなー。かわいい子供達の時代のために自民党があるっちゅうことを忘れるな!お前らのためにだけ自民党があるんじゃないぞ!」とテレビカメラに向かいながら椅子や、机を投げ捨てていったことがあった。

浜田幸一は好きではなかったがこの時のセリフ、今となっては新鮮だ。そして息子の浜田靖一をはじめとする、自民党議員や安倍はこのセリフにどう答える?「かわいい子供達の時代」を戦争の時代にしようとする与党の強引な審議に野党議員は体を張れ。

「自民党感じ悪いね」など、初めて政治に興味を持った子供のように恍けたフレーズの紙をかざしている場合か。ちなみに国会議員には国会会期中「不逮捕特権」がある。この国会は9月まで会期があるからそれまでは余程のことがなければ逮捕はされない。

15日は日中から夜遅くまで、蒸し暑い中、市民の必死の抗議が続いた。その熱意を野党議員はしっかり受け止めるべきだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
◎「目が覚めた」人たち──抗議行動はいろんなカタチがあっていい

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安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心

2015年7月15日、衆院特別委員会で自民・公明両党が「戦争推進法案」の強行採決に踏み切った。


◎[参考動画]7月15日、衆院安保法制特別委で赤嶺政賢議員の質問のあと強行採決(2015年7月15日国会)

◆「小さな嘘よりも大きい嘘に人は騙されやすい」ファシズム論法を体現した安倍政権

人間は時にあからさまな嘘や悪事を目の前で披歴されると、かえって策を弄した詭弁や小ズルい嘘をぶつけられた時よりも、反応が鈍くなることがある。ヒットラーは「我が闘争」の中で「小さな嘘よりも大きい嘘に人は騙されやすい」という権力者が喜んで座右の銘にしたがるような名言を残しているが、安倍はその体現者だ。「戦争推進法制」は昨日今日に突如として出現したものではなく、1955年の自民党発足以来の党是「自主憲法制定」への着々とした目論見がいよいよ最終段階を迎えていると考えるべきだろう。

であるから、その目的達成の為には「小さな嘘(暴言)よりは大きな嘘(暴言)」の方がこの時代にあっては政権にとって有効なのだ。「解釈改憲」という「憲法殺し」は歴代どの首相も手を染めなかった「反則技」だが、「大きな嘘き」を祖父岸信介から受け継いできて、自身も「大きな嘘」を重ねることにより総理の座に納まった安倍にとっては、「違憲行為」すら自己正当化されるのだ。

◆嘘や詭弁を発語しても何も感じない21世紀日本型ファシスト

「フランス語で“白痴化する”ことを“アベチル(Ab?tir)”というんですが、ここから生まれた言葉で“馬鹿”のことを“アベッチサン(Ab?tissant)”っていうんですヨ」(2014年10月18日付「屁世滑稽新聞」より)

安倍は小学生時代から学校での勉強は苦手だったらしく(これだけは私と共通する)、警察官僚から自民党議員になった平沢勝栄が家庭教師をしていたそうだ。だが成蹊小学校からエスカレーターで成蹊大学へ進学となり、難関大学へ進学することは出来なかった。学歴で人の能力が計れるものではないし、私も学歴信者ではない。でも安倍の父親安倍晋太郎は相当熱心に有名大学へ押し込もうとしたらしいが、それはかなわなかった。しかし安倍は「高学歴」は逃したものの、天性とも言うべき「詭弁使い」の才と、嘘や詭弁を発語しても何も感じない「無恥」という感覚を兼ね備えた「21世紀日本型ファシズム牽引者」として君臨している。

大阪都構想の市民投票で敗けて「政界引退」を公言している橋下市長との不可思議会談(6月14日)や、官房長官を通じての翁長雄志沖縄県知事への「謝罪」もどき(7月4日)、改造前内閣では複数大臣の政治資金問題による辞職などがあろうと、この男が徹底的に叩かれることは今のところない。「福島原発からの放射能漏れは完全にブロックされています」と五輪誘致の為に世界に向かって大嘘をつくことくらい安倍にとって晴れがましい得意満面な舞台はなかったろう。

◆「安倍の本心」を代弁してみた

「本心を申し上げるとですね、解釈改憲も既に終わっているのですから、安全保障法制の成立の如何に関係なく、アメリカからの要請があれば直ちに日本は自衛隊をですね、その要請に従って出動することが出来る訳であります。現在審議をお願いしております安保関連法制は、本音を申し上げれば、『どうでも良い』、のでありまして、いざと、と言う場合には『解釈改憲』でもお示ししました通り、いかなる法令も憲法も無関係に、ひたすらですね、自衛隊を派兵し、堂々と戦闘を行うと。国際社会からの要請云々ではなくですね。わたくしがこの国の最高責任者でありまして、選挙で国民の負託を全面的に受けておるわけでありますから、そこのところはしっかりご認識を頂き、国民の皆様には相応の覚悟と、場合によっては犠牲といったものもですね、可能性としてはありうると、そういったお願いをしているわけでございます」

安倍は上記の発言をしてはいない。重ねて断るが安倍の発言ではない。しかし私が想像する「安倍の本心」が必ずしも的を遠くはずしているとも思えない。


◎[参考動画]東京・日比谷野外音楽堂での安保法案「強行採決反対」集会(2015年7月14日朝日新聞社公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「目が覚めた」人たち──抗議行動はいろんなカタチがあっていい

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《大学異論39》同志社の「良心」は「安保法案」賛成の村田晃嗣学長を許すのか?

衆院平和安全法制特別委員会は7月13日午前、有識者の意見を聞く中央公聴会を開いた。憲法や外交・安全保障の専門家ら5人が出席。野党推薦の3人が法案に否定的な見解を表明し、与党推薦の2人が賛意を示した。(毎日新聞2015年07月13日

◎[参考動画]2015年7月13日衆議院平和安全特別委員会中央公聴会(村田晃嗣は動画13:35から)

◆同志社大学は大学長が「戦争推進法案」賛成を表明した初の大学となった!

いったいどんな輩が「戦争推進法案」に賛成を表明したのかと記事を読み進むと、一人は外交評論家と自称するタカ派で有名な岡本行夫で、ああ、この人間ならさもありなんと驚きはなかったが、何ともう一人は同志社大学長の村田晃嗣ではないか。村田の反動ぶりはイラク派兵の際に当時の川口外相を学内に招き(多数の私服警官も学内へ招き入れ)「派兵」の抗弁をする機会を与えた過去があることからも明確な通り、文字通りの好戦的米国追従学者だったが、学長に就任してから昨年までは以前に比べれば目立った政治的発言は控えていた。

しかし、昨年の「解釈改憲」について実質的に是認する発言を行ったあたりから、この男はいつ本性を露わにするのか、と注視していたがまさか「戦争推進法制」の「中央公聴会」で政府の暴走是認を行うとは考えもしなかった。毎日新聞の記事によると村田は「憲法の精神を守るのは言うまでもないことだが、これは安全保障の問題でもある。安保の学会では多くの専門家が肯定的回答をするのではないか」と述べたという。(産経新聞2015年7月13日

◆「安保の学会」とはどの学会なのか?

「安保の学会」とは何を指すのだろうか、名前が近いところでは「国際安全保障学会」がある。

この学会は1973年に「防衛学会」と言う名前で発足しているが、2013年次大会記録を見ると「日米武器技術協力の模索 1978-1986 日本原子力研究開発機構 武田悠」や「東アジアにおける共同軍事演習 防衛省 廣瀬律子」と言った、とてもではないが「学問」の範疇には収まらない「戦争推進学会」であることは一目瞭然だ。この学会なら「反対はしないだろう」というのが村田の言い分だ。

それはたぶん正しい。この学会は「戦争をしたくてしたくて仕方がない」連中の寄合なのだから。では「日本平和学会」に対しても村田が中央公聴会で発言したのと同じ内容を語れるのか。日本憲法学会に対してはどうだ。

◆新島襄の「良心」は「学生を戦場に送るのに熱心な学長」を許すのか?

村田が学長の地位にある同志社大学は「新島襄」が設立した「リベラル」を学風とする大学だった。昔はそうだった。しかしこの村田の言動は一体どう表現すればよいのだろう。大学長が「戦争推進法案」に積極的に賛成するということは学生に対して「戦争へ行け、戦場で人殺しをして来い、若しくは殉死して来い」と言っているのに等しい。あらゆる屁理屈を並べようと村田のこの発言は絶対に許されるものではない。大学人として万死に値する。「学生を戦場に送るのに熱心な学長」など殺人者と変わらない。

私はこの文章を書きながら指が震えている。何年振りか、体の奥底からの怒りを抑えることが出来ない。村田は政治学者だが人間性を持ち合わせない「悪魔」であることが明らかになった。

同志社大学の教職員、学生諸君はこのような人間を学長のまま放置するのか。否、同志社大学だけでなく、日本中の大学関係者は村田のこの蛮行を黙認するのか。私の指の震えは増すばかりだ。村田晃嗣を人間として絶対に許せない。

◆同志社大学の広報課に電話して問いただしてみた!

それにしても村田の発言を同志社大学はどう考えているのだろうか。広報課の植村巧課長に電話で話を聞いた。

田所 午前中の中央公聴会で村田学長が安保法制に賛成の立場の発言をしたが問題を感じないか。
植村 発言は個人としての意見を述べたものであると考えている。
田所 大学の学長が国会の委員会で発言する内容が「個人としての意見」と言うのは無理がある。そんな詭弁は世間では通用しない。現に複数のマスコミは「同志社大学長」村田晃嗣氏の発言と報じている。しかも発言内容は「戦争を可能にする」法案への賛成意見だ。違和感を感じないか。
植村 確かに問題化する恐れはあるとは思う。
田所 あなたは今審議されている法案が「戦争を可能にする」法案である、と認識しているか。
植村 それはそうだ思う。
田所 それでも呑気な応答をしていられるのか。大学の使命は学生を守ることではないのか。
植村 それはその通りだ。
田所 大学の学長が国会で「戦争を可能にする」法案に賛成意見を述べたことなど戦後の歴史にはない。同志社大学として問題だと感じないか。
植村 だから、先ほど申し上げた通り「個人としての発言」と言う認識だ。
田所 あなたは大学職員として恥ずかしくはないのか。「戦争推進」を公聴会で明言した学長の下で呑気に仕事をして学生に申し訳ない、恥ずかしいとは思わないのか。
植村 …………。
田所 村田氏はイラク戦争の際にも川口外相(当時)を招き派兵を正当化する講義を指せた前科がある。今回の発言と繋がっているのではないか。
植村 あの時は個人的な企画で………。
田所 違うだろ。法学部が決定した正式な大学行事だったのではないか。
植村 法学部の行事ではあった。
田所 ならば個人的な企画ではないではないか。同志社大学は戦争を推進する大学なか。
植村 そうではない。
田所 ならば、国会で学長が「戦争を可能にする法案」に賛成の意見表明を行ったことは極めて大問題ではないか。
植村 執行部で対応を協議することになると思う。大学へ何らかのマイナスはあるかもしれない。
田所 総長の大谷實氏は地元で「戦争に反対する」運動に名前を連ねているが矛盾しないか。
植村 それも個人的な意見表明ではないか。
田所 新聞報道では同志社大学総長大谷實と肩書が書かれている。だいたい大学の学長や総長が公的な場所で発言をする時に「個人的な意見」だと断ってもそんな理屈は通じない。彼らは「公人」だし公の場での発言は常に「学長」、「総長」の発言と理解されるのが普通の感覚だ。
植村 意見として伺っておく。
田所 意見ではない。大学学長の公式発言としては「戦後最悪」だと私は呆れている。同志社大学は村田氏を学長から解任すべきだ。そうでなければあなた方全員が「戦争法制加担責任者」と看做されることを心すべきだ。
植村 意見として伺っておく。

役人風の緊張感の欠片もない問答だった。最悪の学長を抱いた同志社大学に学ぶ学生と心ある教職員が不憫でならない。しかし同志社関係者が村田を学長から引きずり降ろし、謝罪を述べさせることが出来れば、この最悪の「不名誉」を回復する道はある。学内で大した問題にもされないとすれば、残念ながらもうこの大学には存在意義が全くないと断ぜざるを得ない。

決起せよ! 同志社大学学生諸君! 心ある教職員諸君!


◎[参考動画]2015年6月1日 同志社大学講義「良心学」第7回「総括」(村田晃嗣)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎《大学異論22》真っ当に誠実さを貫く北星学園大学の勇断に賛辞と支援を!
◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落
◎2005年7・12鹿砦社弾圧事件――関与した人たちのその後
◎7・12「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧から10年──鹿砦社は復活した!

大学人の必読書!矢谷暢一郎『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』(鹿砦社)

自由なはずのアメリカで、自由なはずの日本で、
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ガンジガラメの時代が始まっている!
闘う心理学者、矢谷暢一郎の心情溢れる提言に心が震えた!
──加藤登紀子(歌手)──

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「絶歌」騒動で見過ごされている問題

平澤貞通著「遺書帝銀事件―わが亡きあとに人権は甦えれ」(現代史出版会1979年4月)

犯罪加害者が自分の起こした事件を題材に本を出していいのか――。神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aが上梓した著書「絶歌」(太田出版)をめぐり、そんな議論が続く中、私は大変不思議に感じていることがある。

この議論では、永山則夫や加藤智大、市橋達也ら著名な殺人事件の有罪確定者たちの著書があちこちで引き合いに出されている。それなのに、この議論に参戦する人たちはナゼ、以下のような本の存在を黙殺しているのだろうか?

平澤貞通著「遺書帝銀事件―わが亡きあとに人権は甦えれ」(現代史出版会)1979年4月発売 ※発売元は徳間書店
袴田巌著「主よ、いつまでですか」(新教出版社)1992年8月15日発売
菅家利和著「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版)2009年8月20日発売
須田セツ子著「私がしたことは殺人ですか?」(青志社)2010年4月6日発売
高橋和利著「『鶴見事件』抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた」(インパクト出版会 )2011年5月発売
林眞須美著「和歌山カレー事件―獄中からの手紙」(創出版)2014年7月発売

菅家利和著「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版2009年8月)

すぐにピンときた人は少なくないだろう。ここで挙げた6人はいずれも「殺人事件の有罪確定者」という立場でありながら著書を上梓している。ただし、のちに再審で無罪を勝ち取った足利事件の菅家利和をはじめ、世間的には冤罪だと確信されているか、もしくは冤罪の疑いが根強く指摘されている。この6人の出版行為を否定する者はいないだろう。つまり、絶歌をめぐり議論になっていることの多くは、冤罪問題を入口に考えれば、議論せずとも答えが出ることなのだ。

こう言うと、「冤罪被害者の人たちを酒鬼薔薇のような犯罪加害者といっしょくたにするな」と思った人もいるだろう。しかし、「冤罪被害者」と「犯罪加害者」を完璧に見分けることは現実的に不可能だ。げんに、菅家をはじめ、ここに挙げた6人の著者たちも当初は世間の大多数の人たちから「正真正銘の犯罪加害者」だと認識されていたのである。

したがって、冤罪被害者が公に向けて無実を訴える機会を保証されるには、正真正銘の犯罪加害者が本を出す程度のことは当然に容認される社会である必要がある。もちろん、本を出すのに実名を明かす必要などないし、遺族に話を通す必要もない。冤罪被害者には、報道などを通じて無実を訴える際に匿名を望む人は存在するし、冤罪被害者が本を出すために遺族に話を通す必要がないことは論じるまでもないだろう。

林眞須美著「和歌山カレー事件―獄中からの手紙」(創出版2014年7月)

表現の自由は、ヘドの出るような表現にも保証されるものだ――というのは、よく言われることである。「絶歌」騒動を見ていると、まったくそのとおりだと改めて思う。ヘドの出るような表現を弾圧すると、一緒に真っ当な表現まで弾圧されることになる。だからこそ、ヘドの出るような表現も、表現の自由のもとに守られなければならないのだ。

絶歌騒動をめぐっては、「市の図書館では購入しない」と宣言し、書店に販売への配慮を求める発言までした明石市の市長という権力者が世間の多くの人から賞賛された。表現の自由をないがしろにする発言をした権力側の人間たちが大バッシングされている百田尚樹騒動より、こちらのほうがよほど表現の自由が危機にさらされている状況だと私は思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎献花が絶えない川崎中1殺害事件と対照的すぎる西新宿未解決殺人事件の現場
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑
◎国松警察庁長官狙撃事件発生20年、今年こそ「真犯人」の悲願は叶うか

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