安倍内閣は「人質の身代わり」に大臣を派遣すべし!

人質処刑のタイムリミット過ぎたが、本稿執筆現在までのところ悪い知らせは届いていない(1月24日に人質の一人、湯川遥菜さんが殺害されたとされるビデオ映像が動画サイトに投稿されたものの真偽は未確定)。条件や交渉内容はどうであれ人質の解放が切に望まれる。

そして、日本政府が思い知るべきは、今回安倍が5億ドルの「対テロ支援」を宣言したことにより、このような事件が引き起こされたという教訓である。

安倍は「いや、あれは人道支援だ」などと、この期に及んで言い訳しているが「このような過激集団には毅然と対応する」と事件直後に語っていたではないか。その時の安倍の内心は「よっしゃ! 思ったより早く仕込みが効いてきたわい」ではなかったか。もう取り返しはつかないけれども、国際政治で「敵」をわざわざ作り出すような愚かな行為を繰り返さないことだ。

日本国内でも安倍の気まぐれな「対テロ支援」については批判が高まっているし、人質解放に向けて際立った判断や交渉が進展しているふしはない。欧米列強も口では「支援」と言ってはいるけども内心「日本の事は日本で解決しろ」という態度が見て取れる。特に米国の日本無視は露骨だ。

◆「安保と危機管理」に精通した石破国務大臣を人質の身代わりにしてはどうか?

そこで、私は「イスラム国」も必ず飲む交渉方法を提案する。

石破国務大臣 (地方創生・国家戦略特別区域担当)を2人の人質の代わりに差し出すのだ。そうすれば交渉の時間は稼げるし、いくら武装勢力とて「簡単」に現役の大臣を処刑することは出来ないだろう。何故石破氏かと言えば、彼こそは最近の政権右傾化と軍事化を先頭でけん引してきた人間であるからだ。国防の重要性やテロの危機を常に口にして防衛大臣の椅子にも座った。本音を言えば「安倍本人を」と言いたいところではあるが、さすがに首相自らが現場を離れることは難しかろうから、大臣が適任だ。

即だ。石破氏をシリアに飛ばすのだ。石破氏は嫌がりは出来まい。これまで散々「テロの危機」を説いてきたご本人だ。その危機に対応するのは政治家としての道義的義務でもある。心配しなくとも「地方創生」の仕事など、石破氏は実際には何の興味もないのだし、彼がいなくともがなくとも代わりはい幾らでもいる。「戦争」や「テロ」を語るからには現場に赴き自分が体でその緊張感と現実を体験してくるのが何よりの勉強ではないか。「軍事オタク」としても戦場で人質になる、これ以上、刺激的な体験があろうか。

◆安倍自民は「よど号」ハイジャック事件に学べ!

私の提案は荒唐無稽に聞こえるだろうか。でも同様の人質交換には前歴がある。1970年赤軍派による「よど号」ハイジャック事件の際、ソウル金浦空港で膠着状態に陥った機内に民間人の人質に代わり、単身乗り込んでいったのは山村新治郎議員だった。彼が一人で人質となり「よど号」はソウルを離れそのまま朝鮮に飛んでいった。山村氏は朝鮮で数日を過ごしたが帰国し、春日八郎が「身代わり新太郎」という歌まで歌ったほど、一気に時の人となった。

どうだ。この歴史を見れば石破氏には「世界のイシバ」と名をはせる絶好のチャンスではないか。また、安倍も本心では石破を嫌っているから、最悪石破が銃殺されても「心外だ。石破氏の死を無駄にはしない」と一応沈鬱な顔で語ればいいだけの事で、目の上のたんこぶを除去できるではないか。おまけに武装勢力の恐ろしさもさらに誇張できる。これぞ誰もが損をしない最高の解決策ではないか。

冗談に聞こえるかもしれないけれども、武装勢力を敵に回すということはそういうことだ。少なくとも彼らはこれまで日本を敵視はしてこなかった。これは「イスラム国」に限らず「タリバン」しかり、あるいはアラブ諸国全般に言えることだ。日本は欧米と親密でありながら、アラブの側は日本を欧米と同列に扱ってはこなかった。とても幸いだったのだ。

ところが、この僥倖もまたしても安倍の愚劣な思い付きにより、破綻を見ることになった。安倍自身が言うようにこれから日本人を狙った同様の攻撃は増加するだろう。日本自身が「あなたたちに敵対します」と宣言したのだから仕方がない。

安倍! お前はどうやって責任を取れるというのだ!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎「イスラム国」人質事件で見えてきた「人命軽視」の安倍外交
◎2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる
◎「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?

【復刻新版】近兼拓史『FMラルース 999日の奇跡』1月15日発売!

 

《大学異論29》小学校統廃合と「限界集落化」する大都市ニュータウン

文科省は1月19日、公立小中学校の統廃合に関する手引き案を公表した。小学校は6学級以下、中学校は3学級以下で統廃合するかどうかの判断を自治体に求めるという。

このコラムでは日頃、大学の問題を中心に論じているが、少子高齢化は当然初等教育にも大きな影響を与えている。紹介した文科省の手引き案で言われる所の、小学校6学級とは、1学年に1クラスしか構成できない児童数を意味する。

◆児童数が激減する大都市郊外の巨大ニュータウン

都市集中で過疎地や限界集落にはそのような小学校があろうとぼんやり考えていたが、意外な場所にも児童数激減小学校があった。

それは多摩(東京)、千里(大阪)、高蔵寺(愛知)などの「ニュータウン」と呼ばれる地域だ。ニュータウンはこの3つに限ったわけではなく、全国に規模の大小はあれ、点在する。

そこで今、凄まじい人口減少が進行している。その結果ニュータウン内の小学校は児童数が激減し、既に廃校になった小学校も出てきた。ニュータウンはかつての住宅年整備公団が開発運営をしていたが、賃貸の団地が地域の多数を占める。

大規模ニュータウンの開発は1960年代終盤から始まり、全盛期にはニュータウンだけで、市が構成できる程の人口が溢れていた。小学校は1学年5クラス、6クラスは当たり前で、それでも児童を収容出来ない小学校が続出し、運動場の隅や校舎の間にプレハブ校舎が建てられた。

当然いつまでもそんな環境で子供に勉強させるわけには行かないから、新しい小学校が開校する。そうやってニュータウンは人口減など想像もせずに学校を増やしていった。

しかし、居住面積の割に高額な家賃、また設備の老朽化などが嫌われ、バブル辺りから団地には空室が目立ち始める。その後も人口減少に歯止めがかからず、現在は最盛期の4割程の居住者しかいない団地も珍しくない。当然、子供の数も大幅に減る。

◆3000名近くいた児童数が300名以下に激減!

私自身が数年間通ったニュータウンの小学校は当時1学年最低5クラスあり、総児童数は1000名を超えていた。だが昨日調べてみたら、なんと2年前に児童数減少で閉校していた。お隣の小学校に吸収されたようだが、それでもようやく各学年2クラス維持できる児童数しかいないようだ。

かつて2つの小学校で3000名近くいた児童が今では300名もいないわけだ。少数精鋭で教育できると言うプラス面もあろうが 、あまりに急激な人口の増減である。

小学校は児童数が減っても、教育ができないわけではない。でも街としてのニュータウンはもう限界近いだろう。空室だらけの団地は気持ちのいいものではない。安全面からも問題が多いだろう。

ニュータウンへ引っ越した後、幼ごころに感じたものだ。
山を切り開きコンクリートの団地を立てた地面からは、土地のすすり泣きが、切り開いた山に再度植えらえた街路樹からは、動物園の檻の中にいる飽きらめきった動物の哀愁のようなくぐもった声が。

新興住宅街とはそんなもんだよ、と思われるかもしれないが、ニュータウンの無機質ぶりは、人が長く住めるそれではなかった。結局、私の通った小学校は42年で閉校したそうだ。ニュータウンも人口減と高齢化が進展し、かつての新しい街が過疎化に苦しんでいる。

人間の歴史は400万年位らしい。あちこち移動しながら住みやすい場所に落ち着いていったのだろう。落ち着くにあたっては試行錯誤があったのだろう。何も古い街が優れていると言いたいのではない。古い街にだって過疎は起きているし、高齢化は全国的現象だ。ただニュータウンは余りにも乱暴をしすぎた為に街自体の寿命が極端に短かったのだろう。

利便性や経済性への配慮はあっても、人間の営みヘの視点が欠けていた。

それは今日我々の生活に通底することでもある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論28》気障で詭弁で悪質すぎる竹内洋の「現状肯定」社会学
《大学異論27》「学ぶ権利」を奪われたマスプロ教育の罪──私的経験から
《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文
《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

【復刻新版】近兼拓史『FMラルース 999日の奇跡』発売!

 

 

「イスラム国」人質事件で見えてきた「人命軽視」の安倍外交

イスラム国は、日本人人質2名を条件を飲まなければ処刑すると宣言した。前日に安倍が、中東諸国に25億ドルの援助を発表した直後の発覚だった。

しかし人質にされている方は昨日今日に身柄を拘束されたわけではなく、昨年来イスラム国側から保釈の条件を交渉するメールが御家族に届いていたという。御家族はもちろん政府に相談をなさっていたようだが、結果的に政府は身柄釈放に配慮することなく、イスラム国への宣戦布告に等しい周辺諸国への多額の援助を発表した。

◆「命」を救う気があるのか?

私は不思議なのだが、首相とはいえ25億ドルもの援助を事前に国会や政府の了解がなくとも勝手に決めても問題はないのだろうか。巨額の援助は外交政策だけでなく、予算にも関わる事項ではないのか。

何よりも昨年来、身柄を拘束されている方の「命」について何らかの戦略や配慮があるのだろうか。

ジャーナリストでイスラム国と独自のパイプを持つ常岡浩介氏は、人質解放のチャンスはあった、と述べている。もっとも常岡氏自身が大学生がイスラム国へ参加を計画していた嫌疑の協力者との咎により日本政府によりパスポートを没収されているそうで、動きが取れなかったようだ。

私は安倍が中東への対テロ対策援助を発表した時点から、安倍は意識的にイスラム国を刺激したがっているなと感じていた。そしてそれは現実のものとなった。イスラム国は人質開放の条件として中東援助と同額を支払え、と要求している。

武装勢力による人質事件の場合、解決には当事者同士ではなく、仲介役が大きな役割を果たす場合が多い。仲介役は表立って名前を出す時もあるけども、全く報道などに名前を出さないこともある。

日本政府は「英国や欧州の国と情報交換を行って」などとほざいているが、イスラム国からすれば、それらの国はいずれも敵国だ。素人目には全く成果が望めないのではと考えてしまうが、安倍や外務官僚には秘策があるのだろうか。

◆イスラム国から敵視されていない交渉役を抜擢せよ!

安倍は一応、人命尊重と口にはしているけれども、その前後の文脈から人質の命についての真剣味は感じられない。安倍は最初から、過激主義とイスラム教は違う、など的外れも甚だしい無知を毎日のように披歴しているけれども、私は訝る。

安倍の本心はイスラム国による邦人の犠牲者を期待しているのではないか。国内でもテロを警戒するよう指示したというが、その原因を作ったのは誰だ? テロが起これば軍事化へ向けた格好の口実に利用できる。安倍はテロを期待してはいまいか。

イスラム国の本質について私は正確な分析を行う情報を持ち合わせていない。しかし、自分がイスラム国の人間であれば、と仮定して考えれば自ずと展開は予想できる。

今、常岡さんやイスラム国に繋がりがある同志社大学客員教授の中田考さんが交渉役を担っても良いと表明している。人質の解放を望むなら彼らに交渉を依頼すべきではないか。

少なくとも彼らはイスラム国からは敵視されていない。彼らを猜疑的に疑い、前述の大学生がイスラム国参加問題が起きた時二人の自宅を家宅捜索したのは、日本の警察だ。

無能な外務官僚や安倍より交渉に於いては期待できる方々だろう。だが、それを政権が許容するだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる
「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?
なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

詩人・中山容さんから聞いた京都「ほんやら洞」奇跡の物語

1月16日未明に京都にある老舗喫茶店「ほんやら洞」が全焼した。京都新聞は被害者が出ていない喫茶店の火災を扱う記事としては異例ともいえる扱いで、1面と社会面へ大きな記事を掲載している。

「ほんやら洞」は1972年に開店した。詩人や歌手、学者が集まる場所で、京都だけでなく全国へ様々な文化発信を行っていた。近年は大きなニュースを聞くことも少なくなっていたけども、その名を聞いて懐かしく思う人は少なくないだろう。京都では京大西部講堂と同様の存在感を長年維持していた。

私はといえば行きがかりで2、3度店に入った事はあるものの、ただそれだけの繋がりしかなかった。でも「ほんやら洞」を創立した人々とは職場が同じだったこともあり、様々な話を聞かせてもらっていた。

◆中山容という素敵な詩人

もう亡くなったけれども中山容という詩人がいた。彼は私の勤務していた大学の教員だった。眼鏡をかけて口髭を生やし、ちょっと前かがみに歩く。私が就職したとき彼は学部長を務めていた。こういっては失礼だが、「指導力」や「政治力」ましてや「政治的野心」とは全く縁のない彼が教授会で司会をこなすのを見ているのは本当にかわいそうだった。「教授会」と言う響きは、なにか荘厳と言わぬまでもある種の権威を持った人間の会議のような誤解を導く罠が、それは間違いだと思い知った。

中山さんが学部長を務めていた学部の教授会は、毎回さながら「サファリパーク」のようだった。肉食獣や草食獣が分け隔てなく会議室に集まり、発言する教員がいても別の教員が同時に発言をする。挙手もしないでそれに対する反論や感想を複数の教員が口にする。小学校の学級会でももう少しおとなしかろうと思うほどに、騒々しく秩序がない。中山さんは大声を張り上げてなんとか議事をまとめようとするが、まとまったのか、そうでないのかもよく分からない。陪席として参加していた新人職員の私には腰を抜かしそうな経験であった。当時その学部の教員には極めて強力な人材がそろっていたのであのような会議になっていたのだろうか。

中山さんは歌手の中山ラビさんの元配偶者だか、それに近い存在だか、人には説明しにくい関係だか(本当のところ私は知らないのだけども)・・・とにかく中山ラビさんと良い仲だったことのある人だ。彼はコーヒーとタバコが大好きで、事務室にやってくると我々の机にコーヒーのカップを置き、独特のしゃがれた声と、語り口で和ませてくれた。そういえば「中山容」と言う名前は就職後数年経てから耳にした。中山さんは職場では別の姓名を名乗っていた(蛇足だが大学教員の中には彼のように「芸名」で通している人が意外に多い)。

◆タイのライブハウスで聞いた「ほんやら洞」の魔法

後年中山さんはタイに関心を持つようになり、熱心にタイ語の勉強をしていた。電車の中で単語カードをめくる受験生のよう中山さんがしょっちゅう目撃されていた。中山さんは戦後第1号のフルブライト奨学生だった。だから語学の才能は並外れていたのだろう。1年余りの学習で横で聞いていると大概の話をタイ語でこなすようになっていた。

ある時仕事で中山さんとタイで合流することになった。昼間の仕事を片付けたあとにライブハウスで時間を過ごした。「このドラムはまだ固いね。クッツクッツとこないとね」。バンドの演奏を聴きながら音楽には疎い私に中山さんはロックについてたくさん楽しい話を教えてくれた。そう、かれはやはりフルブライト奨学生だった片桐ユズル氏と共に「ボブディラン詩集」を訳した人でもあるのだ。私なんかが言葉足らずで説明しなくてもその世界では相当の有名人だ。

タイのライブハウスで「ほんやら洞」の話題になった。「いったい何をやっていたんですか?」と無知な質問をぶつける私に「そうだねー。いろいろあったねー。ああ、即興詩の朗読はいつもやってたね。岡林(信康)とか、(片桐)ユズルさんとか、(中尾)ハジメさんとかね」、「僕がここに1行書くでしょ、次に岡林が1行書くの。でまた次に僕が書いて。それで岡林がギター持ち出すと歌になっちゃうんだな、これが!」

魔法のような話だけど、そんなやり取りの中から有名なフォークソングがいくつも生まれてきたのだと教わった。「ほんやら洞の詩人たち」というCDが発売されているし、書籍にもなってる。酒は大して飲まないけれども中山さんの語りには心地よい味があり教養にあふれていた。才能のある人たちは違うんだなーと感心したものだ。

だが、中山さんは定年を待たずに癌にかかってしまった。もう手術できないほど進行していた。私が病院を私が見舞ったのは確か無くなる3日前だった。高石ともやさんと岡林信康さんが病室にいた。なんて豪華な見舞い人なんだと感心した。でも中山さんは気の毒なほどうめいていた。

「痛いよー」、「死ぬのが怖いよー」

詩人でもある中山さんだったからだろうか。「死ぬのが怖いよー」の言葉が今でも忘れられない。

洒落てて、威張らなくて、女性に優しいく、コーヒーとタバコを愛した中山さんが亡くなって10年以上たつ。

全焼した「ほんやら洞」を見たら中山さんは何というだろうか。

「あーあ。焼けちゃったね。でも怪我人がいなくてよかったよな。何とかなるよ。な、そうだろう」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文
《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

1.17も3.11も忘れない!鹿砦社の震災・原発書籍

 

 

阪神淡路大震災20周年でテレビはなぜ震災の本質映像を流さないのか?

「爆撃を受けた街」──。1995年1月17日早朝に起きた阪神淡路大震災の翌日、阪急電車西宮北口駅を降りた時の感想だ。駅周辺のアーケード商店街は軒並み潰れている。線路沿いを歩くと新築以外の一戸建て住宅はほぼすべて全壊している。ここは閑静な住宅街だった。幼少期を過ごした街は誇張なく「壊滅状態」だ。更に線路に沿って歩いているとかなり強い余震がある。電柱を見上げると揺れている。幾度も幾度も余震はやってくる。

完全に壊れ落ちた二階建て文化住宅の中には人の体の一部が見える。まだそこまで救助の手が回っていないのだ。この寒さの中動かない。もう亡くなっているだろう。新幹線の高架が何か所も落下している。地震発生が早朝であったのが不幸中の幸いだった。揺れがあと2時間遅ければ、落下した高架に突っ込んで更なる惨状が展開したに違いない。

地震発生直後、数分間は普通の電話が使えたけども、すぐに不通になった。関西地域では数日間に渡り電話がかかりにくい状態が続いた。私は事情があって当時既に携帯電話を持っていた。携帯電話は通常通りの通話ができた。

◆芦屋の知人のマンション廊下はひし形に変形していた

被災地を訪れたのはボランティアで普及作業をするためでも、取材のためでもない。知人が何人もそのあたりに住んでいて安否を確認したかったからだ。関西学院大学のあるあたりも相当にやられている。古い家は傾き、新しい家でも内部は家具が倒れるなどして惨憺たる状況だ。

そう、思い出した。まだあるのかどうか知らないが、関西学院大学正門前のパン屋はたった4つのロールパンを1000円で売ろうとしていた。売り主の顔が見たかった。

私の知人は全員無事だった。といっても家が全壊したり、半壊したり被害が少ないわけではない。とにかく命は取りとめていた。その日は別口からの要請もあって、倒壊した阪神高速道路近くの芦屋まで、車を確保して向かった。途中国道は警察が封鎖していると聞いていたので、ボンネットに大きく「重体患者移送中」と書いた紙を貼った。検問所で警察が寄って来たけどもボンネットを指さしたら肯きながらすんなりと通してくれた。救急車を要請しても圧倒的にたらない。119番は機能していなかったから警察も検問を固くはしていなかった。

芦屋の知人宅はマンションだが、廊下が菱形に変形していた。いつ崩れてもおかしくはないように感じた。

次の日は神戸、三ノ宮に出かけた。高層ビルがいくつも倒れてる。倒れないまでも大きく傾いているビルがある。そのビルが倒れる瞬間を撮影しようと多数のテレビカメラが狙っている。人影は極端に少ない。長田で燃えていた火事の煙はまだここからも見て取れる。

◆「記憶の風化」を憂うならばテレビは震災当時の映像をそのまま流せ!

阪神大震災から20年が経った。「記憶の風化」とか「経験を後世に伝えるべきだ」とか長年散々言われてきた。

不思議で仕方ない。そのような心配をするのであれば(私は見ないけども)当時のテレビ映像をそのまま流せばいいのだ。

悲しみを慰める行為として語り継ぎは個人的には大いに意味があるだろう。それを否定はしない。でも文字や人の語りでいくら状況を伝えようとするよりも、実際の映像を見せた方が絶対的に迫力がある。当時を知らない子供にも恐怖は伝わる。勿論PTSD(心的外傷後ストレス障害)の方や、惨状極まる記憶思い出したくもない人もいるだろう。そういう方々は見なければいい。

テレビは今年も「阪神大震災から20周年」の特集を放送した。そこでは身近な人を亡くした悲劇とそれに立ち向かう人の姿が描かれ、「この経験を風化させてはいけない」で結ばれる。

異議あり!だ。

悲劇は無数に起きている。そんな事は先刻承知だ。6000人以上が亡くなっているのだ。悲しい思いやつらい経験の片鱗は私にだってある。だがそれは人々の心的経験だ。

何が起きたか? 震度7の激震が神戸周辺を襲い街が壊滅した。心的悲劇を語る前にその事実の圧倒的な衝撃をこそテレビは繰り返し流すべきだ。「冷蔵庫が宙を飛ぶ」と言われる震度7の激震は人間が構築したものなど数秒で破壊し尽す事をこそ忘れてはならない。

でも不思議なことにその映像は流れない。演歌調のお涙頂戴ストーリーか、そこから立ち上がって前を向く人々の人間模様。テレビが好きなのはそういう「定型的」な物語なのだ。

嘘だとは言わない。でもそれは本質ではない。この国のテレビには「死体を放送してはならい」という不思議な自主規制コードがある。何か大切なことを示唆しているように思う。死体のある光景こそを逃げずに凝視するべきだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

JAXAの「夢」は国策詐欺──巨額浪費をし続ける軍事開発機関の無益
なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?
2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる
病院経営の闇──検査や注射の回数が多い開業医は「やぶ医者」と疑え!
速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!

1.17も3.11も忘れない──鹿砦社の原発・震災関連書籍

1.17阪神淡路大震災から20年に想う [鹿砦社代表=松岡利康]

「もう20年経ったのか」……鹿砦社のホームグラウンド・阪神地域を襲った大震災から20年が経った。無我夢中で生きてきたので、長かったのか短かったのか分からないが、バカはバカなりに真面目に考え、ひとつの感慨はある。

この震災では6500人ほどの方が亡くなり、建物の損壊など被害が甚大だったことは言うまでもない。この震災、全国の人から見れば神戸で起きたイメージが強いが、阪神地域の西宮、芦屋、宝塚などの被害も大きかったことも忘れないでいただきたい。

神戸市は広いので、区を一つの行政区分として亡くなられた数を見てみると、
① 東灘区  1471人
② 西宮市  1126人
③ 灘区   933人
④ 長田区  919人
⑤ 兵庫区  555人
⑥ 芦屋市  443人
⑦ 須磨区  401人
⑧ 中央区  244人
⑨ 宝塚市  117人

意外と思われるかもしれないが、鹿砦社本社の在る西宮市の死者の多さに驚かれる読者も多いだろう。

話は逸れるが、西宮という所は地味な市で、震災の死者数もさることながら、甲子園球場がある市だということも、意外と知られていない。甲子園球場の名は、日本で例えば100人に聞いても100人全員知っているだろうが、(関西以外の人で)それが西宮にあるということを知っている人はあまりいない。

また、面積の狭い芦屋市の死者の多さにも、あらためて驚く。震災直後に、私が見て回ったところでは、芦屋の被害の密度の濃さは印象が強い。当時の女性の市長は、自宅が全壊しながら、市長室に寝泊まりしながら復旧の指揮を執られていたことを思い出す。

阪神・淡路AID SONG『心の糸』 (1995年4月26日発売)

もう一つ、意外と知られていないことを記しておこう。

震災復興の象徴的な歌としては、震災当時、神戸市の中学校の先生が作詞・作曲した『しあわせ運べるように』が有名である。今では全国的にも、名が広まっているので、聴かれた方も多いだろう。

しかし私は、「阪神・淡路AID SONG」と銘打って、当時すでに人気も勢いもあった若手女性演歌歌手、長山洋子、香西かおり、坂本冬美、藤あや子、伍代夏子らが歌った『心の糸』という歌を思い出す。メロディも悲哀に満ち、かつ5人の女性歌手の歌も良く、名曲といっていい歌だが、ほとんど流行らなかった。震災追悼番組で2度ほどテレビに出たのを観たぐらいで、被災地の人でさえ全くといっていいほど知らない“隠れた名曲”だ。「エグゼクティブ・プロデューサー」として「芸能界のドン」周防郁雄バーニングプロ社長の名が記されているが、「芸能界のドン」の威光で流行らせて欲しかったところだ。関心のある方はYou Tubeででもご覧になってほしい。

♪覚えててあなた 私がここにいることを
忘れないであなた 歩いた道のほとり
心の糸を たどりながら 過ぎし日を 重ねてみたい
心の糸を 手さぐりながら 夢の続き さがしていたい

震災から4年経った頃、私は次のように記している(ファックス版「鹿砦社通信」1999年1月18日号)。―――

「いずれにしても、『われわれにとって、阪神大震災とは何だったのか?』という<問い>に常に否応ながら迫られつつ、これからのわれわれの行く末があることは間違いがないだろう。われわれはいやしくも出版人として、これに少しでも<答え>を出していきたい」

阪神淡路大震災から20年、一時は、阪神間の公園という公園には仮設住宅があり、多くの方々が、暑い日も寒い日も過ごされていた。阪神間の公園から仮設住宅が完全に撤去されるまで何年の月日を要したのだろうか。一方、近くの甲子園球場では、高校野球やプロ野球が華々しく開催されていて、そのギャップに心を痛めていたこともあった。

今、3.11からもうすぐ4年、被害の規模、死者数など阪神淡路大震災よりも遥かに被害が大きく、加えて原発事故による放射能の被曝に怯えつつ暮らしている東北の方々のことを想うと、曲がりなりにも復興(この解釈については今は置く)した私たちは、東北の方々のことを一時(いっとき)も絶対に忘れてはならないということを、あらためて肝に銘じなければならない。

[松岡利康=株式会社鹿砦社代表取締役]

1.17も3.11も忘れない!鹿砦社の原発・震災関連書籍

 

「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?

合計17人の犠牲者を出したフランスでの「シャルリー・エブド」紙襲撃事件に対して、現地時間の11日大規模なデモや集会が行われた。パリの集会では160万人、フランス全土では370万人の参加者があったという。第二次大戦後では最大級の参加者数だったそうだ。

襲撃されたのが風刺週刊誌であったので、人権意識がひときわ高いフランスでは「言論の自由を守る」立場から集会やデモに参加した市民が多数いたに違いない。またフランスだけでなく、ドイツ、英国、イスラエル、そしてPLO議長までが「反テロ」デモに加わっていた。世界中で追悼の意が表明された。

◆「反テロ」デモは「言論の自由」を守ろうとする「国民の決意の表れ」か?

新聞社の襲撃事件と言えば、古くはなるけれども「赤報隊」による「朝日新聞阪神支局殺人事件」(1987年5月3日)を忘れるわけにはいかない。小尻知博記者(当時29)が散弾銃で射殺され、もう一名の記者も瀕死の重傷を負う報道機関を狙った襲撃事件だった。犯人は検挙されず、事件自体はもう忘却されようとしている。

また、大きなニュースにはならないけれども何者かによる襲撃で命を落とすフリーのジャーナリストは毎年100名を超える。

そこで今回のフランスでの襲撃事件後のフランスを中心とした世界の動きをどう見るか、これはジャーナリスムの世界にいる人々にとって、日常どれほど「言論の重要性」を考察しているかどうかが問われる命題になろう。

テレビや大手メディアは「宗教や立場を超えて、言論の自由を守ろうとするフランス国民の決意の表れ」などと、表面しか見ることが出来まい。

調子に乗ったフランスのオランド大統領は「テロとの戦争宣言」などと舞い上がっている。
フランス国会では、開会直後一部の議員が「ラ・マルセイエーズ」(フランス国歌)を歌い出し、議場全体が国歌斉唱でつつまれた。これは第一次大戦勝利以来の出来事だそうだ。

不遜の誹りを覚悟で本音を述べれば、私はこの世界を上げた「反テロ」キャンペーンが気持ち悪い。「テロとの戦争」を21世紀の幕開けとともに傲慢にも言い放ったのは米国のブッシュ元大統領だった。アフガニスタンを攻撃し、イラク、フセイン政権を殲滅した。イラク攻撃の理由は「大量破壊兵器の脅威」だったがイラク戦争後「大量破壊兵器」は無かったことが判明しブッシュは「I made a mistake(私は間違っていた)」と述べた。戦争を仕掛けておいて、何十万人も殺しておいて「私は間違っていた」はないだろう。世界中で少なくない人々がブッシュの罪を断罪しようとしたが奴は今でも健在だ。

◆「テロとの戦争」で舞い上がるオランド大統領は被害者ではない

フランスのオランド大統領から「テロとの戦争」という言葉を聞くと彼が被害者には思えなくなる。この事件のそもそもの原因は「シャルリー・エブド」紙がイスラム教を揶揄するような風刺漫画を掲載したことだった。そして、同紙がイスラム教を揶揄する風刺漫画を掲載したのは、今回が初めてではない。2006年から断続的に同紙はイスラム教を挑発する内容の風刺漫画を掲載しており、その度に、フランス在住のイスラム教徒からデモなどの抗議行動を受けていた。フランス政府も「あまりイスラム教徒を刺激し過ぎないように」と2012年には自粛要請を行っている。

イスラム教風刺にかけて「シャルリー・エブド」は「確信犯」だったわけだ。その証拠に1月14日発売の事件後初の誌面にもまたもや「ムハマンド」の風刺が掲載されている。

同紙は「あらゆる風刺画は許される」とコメントしている。うーん。そうだろうか。「表現の自由は」言わずもがな、貴重な概念だ。世界中で普遍的に認識され浸透すべき基本的人権の一部とさえいえるだろう。だが「表現の自由」は「全く例外なくすべての表現の自由」を意味するのだろうか。確かに言論活動で、「弱者が強者を揶揄(批判)する」ならばかなり普遍的に「自由は」認められるべきだろう。だが逆ならどうだろう。単なる差別にならないだろうか。その実例を近年不幸なことに私たちは国内で「在特会」により見せてもらっているではないか。韓国国旗をゴキブリに見立ててデザインしてみたり、人の首を絞めて殺そうとしている絵を描いて「いい朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」とデザインされたプラカードは「風刺」の名に値するだろうか。「自由な表現活動」というほど高尚なものだろうか。

◆国際社会から「承認」されている「シャルリー・エブド」は弱者か?

“Je suis Charlie”(私はシャルリー)という言葉が襲撃被害者を悼む言葉として、世界中で語られている。

17名の犠牲者、しかも言論を理由に殺された人々を気の毒に思う気持ちは勿論私にもある。だが”Je suis Charlie”と私は口にする気にななれない。

シャルリー・エブドが「あらゆる風刺画は許される」と言うのは各国首脳をはじめとして、国際世論を味方につけているからではないだろうか。イスラエルからパレスチナ、つまり現在の世界で表面上対立していようとも、本質的には今日的世界を構成している「権力者」達から「承認」を受けているからではないだろうか。つまり「シャルリー・エブド」は国際社会から「承認」されている。決して弱者ではない。

私の杞憂であればよい。でも、そうでなければ同様の「テロ」事件は続発するだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

JAXAの「夢」は国策詐欺──巨額浪費をし続ける軍事開発機関の無益
《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」
なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?
病院経営の闇──検査や注射の回数が多い開業医は「やぶ医者」と疑え!

2015年は同時多発で疾走せよ!

 

JAXAの「夢」は国策詐欺──巨額浪費をし続ける軍事開発機関の無益

JAXA(宇宙航空研究開発機構)が昨年12月3日小惑星探査機「はやぶさ2」を打ち上げた。JAXAによると「はやぶさ2」の任務は、「地球などの惑星は、元は小さな天体が集まってできたと考えられています。しかし、惑星が誕生する過程でいったんどろどろに溶けてから固まっているため、惑星をつくった元の物質についての情報は失われています。いっぽう、小惑星や彗星はあまり進化していない天体ですから、太陽系が誕生した頃やその後の進化についての情報を持っていると考えられています。これらの天体は『始原天体』とも呼ばれています。このような天体を調べることにより、、太陽系がどのように生まれ、どのように進化してきたのか、また私たちのような生命をつくる元になった材料がどのようなものであったのかについて、重要な手がかりが得られる可能性があります。そして、このような知識は、太陽系だけでなく、その他の惑星系の誕生や進化を調べる上でも不可欠です」(JAXA「なぜ小惑星を探査するのか」)
ということらしい。

また、「小惑星の探査目的は、科学だけではありません。小惑星や彗星は、過去に何度も地球に衝突しており、そのたびに当時の地球に大小様々な影響を与えてきました。6500万年前の恐竜絶滅の原因とされる天体衝突から、最近ではロシアに落下して被害を与えた隕石もありました。『宇宙からの天災』は今後も発生するであろうと容易に推測されます。こうした天体の地球衝突に備える『スペースガード』活動の一環としても、地球に近づく小天体の探査は重要なテーマ」だという。(JAXA「なぜ小惑星を探査するのか」)

◆無意味な夢の裏に隠された軍事転用技術開発の本気

宇宙科学についてはずぶの素人なので、こう説明されると「ほーそうなのか」と半分はわかったような気になるけども、どうもすっきり納得ができない。

「始原天体」を調べることにより「私たちのような生命をつくる元になった材料がどのようなものであったのかについて、重要な手がかりが得られる可能性があります」は本当だろうか。もしそうなら、ここで言われている「ロシアに落下して被害を与えた隕石」の構成物質を調べればいいのではないか。わざわざ膨大な資金と長い年月をかけて「重要な手がかりが得られる可能性がある」かもしれない、逆に言えば「何も得られない可能性もある」こんなプロジェクトに意味があるのだろうか。

JAXAも自信があるわけではなく「可能性」と正直に告白しているが、小惑星から「生命誕生」の鍵になる物質が見つかるとは考えにくい。

更に正直すぎて驚くのは「小惑星の探査目的は、科学だけではありません」と非科学的行動であることを認めていることだ。地球に衝突する隕石や小惑星に備える「スペースガード」活動の一環だそうだ。

地球に衝突する可能性のある、小惑星や隕石の存在が分ったところでそれをどうするつもりなのだろうか。「スペースガード」というからには「迎撃ミサイル」さながらに打ち落とすつもりなのだろうか。

そんなものできるわけがないだろう。

隕石など毎日のように地球に降り注いでいる。でもその隕石がどの位置から地球上のどこへ落下するかなど、測定できるはずがないではないか。まあ「科学ではない」と正直にJAXAも言っているからこれ以上突っ込まないけど、要するにこれは対象が「惑星や小天体」ではなく「人工的に作られたもの」=武器(大陸間弾道弾など)への応用を目指しているのだろう。だから「科学」ではなく「軍事目的」なのだがそうは露骨に言えないから、実現可能性がない「スペースガード」などを引き合いに出しているのだろう。

でも「はやぶさ2」の役割はそれだけではない。

「また地球に接近する天体は、月に続く近未来の有人探査のターゲットとして近年大きな注目を集めています。さらに遠い将来、人類が深宇宙空間に進出した暁には、月や火星のような重力の大きな天体ではなく、重力の小さな天体の資源を利用するほうが効率的だと考えられます。このような利用法を探る上でも、小惑星探査は重要なのです」

なのだそうだ。え? 人類は「遠い将来、宇宙空間に進出」するのか?「月や火星のような重力の大きな天体ではなく、重力の小さな天体」ていったいどこのことだ。そんな遠くで人間が暮らすと本気で考えているのだろうか。

◆「ロケット」打ち上げ実験=軍事転用可能「ミサイル」技術の開発

スペースシャトル計画も終了し、国家が宇宙開発に血道を上げる時代はとうに終わっている。火星への有人飛行とか、まだ眠たいことを言っている人間も一部にはいないわけではないけども、それは「宇宙旅行」で一山当てようと計画している民間業者だったり、一部の研究者だ。膨大な金と時間をかけて「有人飛行」を行ったところで、人類に恩恵がもたらされるような特質すべき利益が得られると現実的に考えている人間はほとんどいない。

JAXAによる「はやぶさ2」ミッションの説明から読み取れるのは、極めてあいまいかつ「実り」がほとんど期待できない「金の無駄使い」ということだ。「スペースガード」などという荒唐無稽な理由まで持ち出してくるのにはさすがに驚いたが、「はやぶさ2」に限らず、実は日本の宇宙技術開発は一貫して適当な理由をでっち上げ進められてきた。

つまるところ「ロケット」の打ち上げ実験は、いつでも軍事転用可能な「ミサイル」技術の開発に他ならない。それ以外の人工衛星打ち上げなどはおまけの理由といっていい。さらにその「ミサイル」は「核弾頭」搭載も視野に入れている。安部が副官房長官時代に本音を漏らしたし、過去には科学技術庁(当時)の官僚も暗にそれを認める発言をしている。

JAXAやそれに便乗するマスコミは、相も変わらず「宇宙のロマン」などと、手垢で汚れまくっている古臭い誤魔化しで本質をだまそうとし続けているけれども、「宇宙のロマン」の追求は個人の金でやってくれ。

つい最近も新星発見を趣味にする方がご自身で100個目の新星を発見したではないか。その姿勢こそは「宇宙のロマン」と言う言葉には相応しい。

ついでに言えば、日本人宇宙飛行士はTBSの「宇宙特派員」だった秋山豊寛氏を除いて皆「無賃乗車」、否税金を利用しての公金流用だ。スペースシャトルに乗ったり、宇宙ステーションに滞在したりした人たちは、個人的には興味深い経験だったろうけども、いったい税金からいくら持ち出しをしているのだろうか。

挙句の果て、宇宙飛行士は何か特別偉い存在のように扱われる。その筆頭が毛利衛だ。こいつはあちこち顔を出しては、如何にも「私は特別な人間だ」と言わんばかりに持って回った糞偉そうな言い回しで「宇宙」や「科学」を若者に語っていた。毛利は積水ハウスやSONYなど大企業のCMに出まくった挙句、「九州電力玄海原子力発電所─プルサーマル」のCMにまで登場している。

ここまで紹介すればもうお分かりだろう。宇宙技術開発と原発は共に「ミサイル」と「核弾頭」開発を見越した「今のところ民生技術」だということが。昨今の好戦的政治状況を見れば、あれよあれよと「軍事転用」される日が来ても不思議はない。

金がふんだんに余って、国民が裕福な暮らしをしているのであれば、趣味的な「宇宙探検」をするのも良かろうが、国家財政は破綻寸前、年収200万円以下で食うや食わずの人があふれる今日、税金を使っての「宇宙お遊び」などやっている場合であろうか。JAXAこそ「分割民営化」して民間に任せたらどうか。収益が見込めないから引き受ける企業はないだろうけども。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」
なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

2015年は同時多発で疾走せよ!

 

《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法

「専門職大学院」と文科省が区分する大学院がある。「大学院のうち、学術の理論及び応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的とするもの」のことである(学校教育法第99条第2項)。

通常の大学院は学部の上に位置し、研究を主たる目的としているのに対して、「専門職大学院」は「職業」を明確に視野に入れた教育研究がなされる場所とうことである。

その範疇に「法科大学院(ロースクール)」がある。法学部を卒業して法曹界に仕事を求めようとする人(司法試験受験を志す人)が学ぶ場所だ。司法試験受験は「法科大学院」進学以外にも方法はあるが、現在大多数の受験生は法科大学院を修了した人だ。

◆全国73校の6校しか募集定員に達していない法科大学院の惨状

そもそも「法科大学院」が設置された背景には法曹界の「人材不足」があった。あるいは「日本の裁判は時間がかかりすぎる」という批判も理由とされた。裁判官、検事、弁護士が足らないのだから人数を増やしましょう、ということで旧司法試験を大幅に改編して「司法改革」(裁判員制度の導入)とも併せて各大学は「法科大学院」を競うように設置した。

設置当初はどの大学も学生募集に関する限りは好調だった。「司法試験が大幅に簡易化される」=「合格しやすくなる」という安易な誤解がその背景にはあった。

だが、予想外の問題が起きた。スタッフを揃えそれなりの教育をしているのだから「司法試験」にはせめて半数位の合格者は出せるだろう、と考えていた大学のほとんどが、受験者中2割の合格者すら出せない有様に陥ってしまったのだ。そうなると「法科大学出身ながら司法試験不合格者」というマイナスのイメージを背負って仕事を探さなければならない。「潰し」が効きにくくなるのだ。たちまちその情報は大学生にも伝わり、志願者の急激な減少が始まる。2014年度、定員を満たしているのは全国にある73の「法科大学院」のうち、わずか6校に過ぎない。

既に募集停止を決めた大学も10以上出てきたし、これからも「法科大学院」の閉校は続くだろう。

◆遠からず破綻するロースクール制度

法科大学院地盤沈下、もとはと言えば明らかな国策の誤りだ。勿論それにホイホイと乗ってしまった各大学の軽薄さも情けなくはあるが、法曹関係者の人材不足だけがこの国の法曹界の問題ではなかったということだ。確かに弁護士不足は(数の上では)解消された。いや、むしろ弁護士の中には仕事にありつけない人が少なからずいる。かつては弁護士になれば余程無能でない限り、食べていくことに困ることはなかった。が現在は年収200万円得ることが出来ない弁護士が山ほどいる。

一方で「過払い金の取り戻し」を専門に派手に広告を打つ弁護士事務所はぼろ儲けしている。いつ世のでもあざとい奴は食いはぐれない。

法科大学院が実質的に「破綻」に陥り、法務省も今後は司法試験合格者数の抑制を打ち出した。何とも場当たり的な対応だ。

大学院は一般的に大学よりも学費が安い。が、専門職大学院は例外だ。入学金を含めると年間200万円を超えるところもある。国立でも年間100万円近くの学費がかかる。これだけでも経済的負担は推して知るべしだ。合格可能性の少ない司法試験を目指すための先行投資としてはあまりにも高すぎる。当然志願者も減る。そこで今法科大学院ではなりふり構わない「割引競争」が始まっている。もとより奨学金制度を持っている大学院は別だが、学費の割引を売り物にしている法科大学院は「志願者が寄り付かない」学校と考えてよい。遠からず潰れる。

◆法意識に疎い「市民感覚」で採決を下す「裁判員裁判」の恐ろしさ

不思議なのは、法科大学院と直結はしないものの「裁判員裁判」制度が日弁連も同意する中で導入されたことだ。裁判員に選考されて人を裁こうと裁判所に出かけるのは「国民の義務」らしいけれども、私は同意しない。どうして法律の素人が凶悪犯罪に限り判断を下すことが出来るというのか。裁判に臨む前に裁判員は報道や噂などから完全に隔絶されていて「ニュートラル」な考えの人ばかりであろうか。たった数日の法廷で被告人の量刑を決める。そんな知識や見識のようなものを裁判員が持ち合わせているだろうか。弁護士、検事、裁判官は皆何年も法律を勉強し、司法試験に合格し、司法修習生を経て法廷でそれぞれの役割の仕事をしている。

そんな学習を一切していない市民の「市民感覚」を参考にする必要なんてあるのか。

批判を恐れずに無茶を言う。裁判員として法廷で被告人を裁くに躊躇ない人は、法に無知であるか、心の中にサディスティックな因子を持っている人が多数だ。

裁判員を勤めたけれども、余りも激烈な内容に心を病み、生活に支障を来たすまでになった方が、国家賠償(国賠)を求める裁判が昨年、提訴された。この方以外にも裁判員を軽い気持ちで引き受けてしまったものの、後悔をしている方は少なくないだろう。

法科大学院と同様、裁判員裁判もこれから問題が噴出してくるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」
《大学異論22》真っ当に誠実さを貫く北星学園大学の勇断に賛辞と支援を!
《大学異論21》本気で学ぶ大学の選び方─「グローバル」より「リベラルアーツ」
《大学異論20》過去を披歴しない「闘士」矢谷暢一郎──同志社の良心を継ぐ
《大学異論19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!
《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記

意味不明な英単語「セレンディピティー」を無理強いする日本新聞協会の愚

はて、何の意味だろうと首をひねったのは昨年の早い時期だったろう。私の英語力が低いから、カタカナで「セレンディピティー」と書かれても何のイメージもわかない。このカタカナ言葉が使われていたのは「日本新聞協会」の広告で、「新聞はセレンディピティー」をキーワードに作文を募集する内容の広告だった。

不勉強を恥じ辞書を引いてみた。確かにある。”serendipity”は手元の辞書によれば、「ものをうまく発見する能力, 掘り出しじょうず;幸運な発見」という意味だそうだ。

しかし、この単語、カタカナ語にしても一体どの程度の割合の人々が理解できるだろう。一般企業の広告なら見過ごすけども、広告の出稿主は「日本新聞協会」だ。いわば日本語を適正に使うのが使命とされている新聞の共同体である。わざわざ「セレンディピティー」なる単語を用いないと表現できない概念を述べようとしたのだろうか。

◆わざわざ注釈をつけ始めた

悔しいから新聞協会に電話をした。

── 広告で使われている『セレンディピティー』という言葉について伺いたいのですが。
新聞協会 はい、どうぞ。
── 『セレンディピティー』とはどういう意味ですか?
新聞協会 「今まで知らなかったり気が付かなかったことに気が付く」という意味です。
── 恐縮ですが、これ読んでもほとんどの人は意味が分からないと思うんですが。
新聞協会 そうでしょうか。ご意見として伺っておきます。
── いや、新聞協会は日本の新聞のほとんどが加盟していますよね。そこが広告を出すに際しては言葉の選択を適切になさった方がよいのではないですか? 私の身近な少し英語が出来る人々にも聞いてみましたが、誰もこの意味理解しませんでしたよ。
新聞協会 はぁ。ご意見として伺っておきます。

という具合だった。

その後も何度もこの「セレンディピティー」は広告で登場して、昨年12月30日の新聞にもまた掲載されていた。ただ「セレンディピティー」に注釈がついていた。おそらく私のように「意味が解りません」という苦情が少なからずあったのだろう。

◆新奇なカタカナを強引に読者に提示する小賢しさ

新聞協会の広告と言っても作成は広告代理店との協議によるからコピーライター等の意向が強く作用したのかもしれない。にしても「言葉」の選び方としてはこれ、いかがなものだろうか。

同様の例は広告では過去に山ほどある。そのほとんどすべては英語か欧米語を引っ張ってきて奇をてらう手法だ。広告とは人目を惹かなければその役割を果たせない。だからそういった欧米語を強引に読者に提示するのは一つの手法として「仕事のやり口」なのだろう。

日本語では適切に意味が伝えられない、それゆえに定着したカタカナ言葉は少なからずある。それはそれで納得できる。けれども日本語でも充分語ることが可能であるのに、敢えてカタカナ言葉を持ってくる時には何かしら不純な意図を感じる。不思議なことにそういった不要なカタカナ言葉は往々にして中央省庁から発せられる。

耳慣れないカタカナ言葉を目や耳ににしたら、それを採用した集団とその意図を疑ってみよう。たぶん小賢しい企みが見えてくる。言葉は意味を伝える媒体であると同時に、それを発する人々の思惑を常に帯びている。

そうそう「アベノミクス」を調べてみた。解説では「弱者を思い切り痛めつけて、大企業の景気向上のみを目指す場当たり的な愚作」とあった。

新聞協会は「セレンディピティー」などという不要なカタカナ語を宣伝に使う前に、各紙の誌面で「アベノミスクスは愚策だ!」と連日解説するのが先決ではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!
秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた
自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり
読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する