【緊急報告!!】有田芳生参議院選落選としばき隊の凋落 鹿砦社代表 松岡利康

有田芳生が先の参議院選挙で落選した。いろんな意味で感慨深い。

今回が3期目、当初は楽勝ともいわれていたが、蓋を開けてみると惨敗! 1期目の約15%以下、前回2期目の4分の1以下しか獲得できなかった。その要因はどこにあるのか? 有田も真摯に反省し総括すべきだろう。

まずは1期目からの得票数を挙げてみよう。──

有田の出馬政党と比例順位と得票数
1期目 2010年 民主党で比例首位   373,834票 当選
2期目 2016年 民進党で比例4位   205,884票 当選
3期目 2022年 立憲民主党で比例10位 46,715票 落選

なんという激減ぶり!

◆有田芳生との因縁

実は私と有田は同期に当たる(私は1951年生まれ、有田は1952年の早生まれ)。1970年、二人とも京都の大学に入学した。有田が入学したのは、当時日本共産党(と、学生青年組織「民青」〔みんせい。民主青年同盟の略称〕)の屈強な拠点・立命館大学だった。京都生まれで京都育ちの彼は高校時代から、民青の熱心な活動家だったという。京都は元々共産党の強い土地柄で、当時は「社共統一戦線」(これは70年代の半ばには破綻するが、「夢をもう一度」で昨今出てきたのが「野党共闘」だ)で京都府知事を擁していた。民青も、「ゲバ民」とか「暁行動隊」とか呼ばれるほど強かった。当時立命の本部キャンパスは京都御所の東側に位置し、御所の北側に位置する同志社のキャンパスに部隊を組んでいつもいつも(週に二、三度、部隊で、また早朝ゲリラ的に)ゲバを掛けに登場した。

一方の私は、九州熊本から同志社大学に入学した。第一志望は早稲田の第一文学部、第二志望が同教育学部で、同志社、立命は地方試験があったので滑り止めで受験し、立命に落ち、ただ一つ合格した同志社に入学した。当時は立命のほうが学費が安かったので、もし立命にも合格していたら、母子家庭だったこともあり立命に入ったかもしれない。立命の入試(地方試験)は私の高校(付属高校)の親大学で行われ、試験監督も高校の先生方、入試当日まで知らなかった。これですっかり緊張感を失くし日本史の試験では居眠りをしていたほどだった。もし早稲田に合格していたら、革マルに入り川口君虐殺に連座していたかもしれない。私の高校の親大学は当時革マルの拠点で、隣に在った女子大と共に全学連中央委員を出すほどで、そのOBで九州革マルのトップだった人間が中核派に襲われ半身不随になり最近亡くなっている。日々革マルと接していたことで、革マルにさほど違和感はなかった。

一般にまだ判断力がない18歳の田舎出の少年は、入学したその大学の主流派の組織に入るのが常であったようだ。同志社は、60年安保闘争以来「関西ブント」と称する党派の強力な拠点校だったが、70年になると、前年赤軍派が出来、ブントは分裂し、ブント系のノンセクト組織(全学闘。全学闘争委員会の略称)が残っていた。時は70年安保─沖縄・三里塚闘争の高揚期、私は一時べ平連、しばらくして全学闘に所属し活動した。

当時から立命は経営が大変で、一回生の夏、帰省から戻ると、一部のキャンパス(府立医大の隣)を、某宗教団体に売却し宗教団体の看板が出ていた。その後、広小路キャンパスも予備校に売却し、今は御所の横にはない。

同志社、立命の学生は、河原町今出川の飲み屋や深夜喫茶などに屯(たむろ)することが多く、やおら議論をふっかけたりしていた。

有田は民青の熱心な活動家だったことをみずから公言し、何年も留年し卒業は1977年ということだ。当時(今はどうかな?)、党派の活動家は、新旧左翼問わず組織の指示で何年も留年し活動している。拠点を守るためである。私のようなノンセクトと違うところでもある。3、4年前、革マル派の拠点校、奈良女子大の自治会委員長が逮捕された事件が報じられたが、その委員長は30歳を過ぎていた。最近では自治会自体が皆無状態になったが、そんな中で、おそらく上からの指示で、何年も留年させてでも自治会を死守するということだろう。

卒業後は、共産党のエリートコースともいえる「新日本出版社」に入っている。その後、有田は、べ平連の創始者の一人・小田実と、共産党の理論家・上田耕一郎との対談を雑誌に企画し実現、これを契機に最終的に除名されたという。

当時の共産党、その下部組織・民青は極めて暴力的だった。某ノーベル賞受賞者の甥っこの先輩は、70年師走の早朝、民青の武装部隊=ゲバ民に襲われ負傷、一時は医者も見放すほどの重態だった。これには驚いた。かく言う私も71年5月、やはり早朝の情宣活動中、短く切った角材などで武装したゲバ民に襲われ、5日間ほどの「病院送り」になった。「人殺し!」「何人殺したんや!」等々と詰られ、短い角材でボカボカに殴られ蹴られた。「暴力反対!」じゃなかったんかい!?

民青の中心的活動家だった有田も、そうしたゲバ民の部隊にいたものと推認する。数十回襲撃に来たので、一度や二度はいなかったことはあるかもしれないが、ゼロということは考えられない。

日本共産党=民青が、こうした暴力を許容した時代に活動した有田にとって、芯から暴力性が身に着いているのだろうか、時を隔てて起きた「しばき隊リンチ事件」被害者M君に対する姿勢に、あたかも当たり前のように被害者に冷淡に対応したのではないか、と感じる。

◆共産党から離れて以後の有田──「しばき隊」との連携

極右とされる西田昌司議員と画策し「ヘイトスピーチ解消法」成立させる

その後、有田の名は、1995年、オウム真理教の事件が起きた際、コメンテーターとしてマスメディアに頻繁に登場することになる。この頃には共産党を除名になっている。オウム事件、これに続く統一教会による霊感商法問題などで、さんざん名を売り知名度が高まった中で当時の民主党から参議院選挙に立候補し民主党比例トップで当選する。

そうして、ネトウヨによるヘイトスピーチ、ヘイトクライムが社会問題化するや、「しばき隊」とか「カウンター」と称される政治グループと行動を共にするようになる。しばき隊の中で国会議員の有田の存在は大きく、その後、「ヘイトスピーチ解消法」成立に、極右として名高い自民党・西田昌司参議院議員と画策し一役買うことになる。有田がいなかったら、おそらく同法は成立しなかっただろう。有田、西田が握手している写真は、いわば“国共合作”で同法を成立させた象徴的な写真といえよう。

いやしくも国会議員の有田の存在は、「カウンター」とか「しばき隊」といわれる政治勢力にとって、極めて大きかったことは言うまでもない。有田が落選したことで今後これがなくなるわけだが、それは、このところ影が薄くなってきた「カウンター」や「しばき隊」凋落の決定的な要因になるであろう。

私たちがこの6~7年、精力的に関わってきた、大阪北新地で起きた「カウンター大学院生リンチ事件」とか「しばき隊リンチ事件」といわれる事件(2014年12月17日未明発生)でも、有田の存在は大きかった。事件当日にさっそく来阪し、事件前に加害者5人が腹ごしらえをした「あらい食堂」を訪れ情報収集を行っている。その前後には、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬、作家で法政大学教授の中沢けいらも訪れたことが明らかになっている。有田や中沢は東京から急遽来阪していることから、よほど慌てたのだろうと推認される。

[写真左]有田を象徴する釘バット。いやしくも国会議員が、こんな画像をみずから発信することを恥じよ![写真右]しばき隊チンピラ活動家とツーショット!

かたやリンチ被害者のM君には、有田のような政治家は付いていない。それどころか、事件後1年余りも隠蔽され孤立無援状態で、私たちが相談を受けるまでの被害者M君の心中を察すると耐えられない。

そうしたこと故に、私たちは有田へ質問状やリンチ本を何度も送ったりしたが、一度形式的な返事があったのみで、まともな返事はなかった。ジャーナリストの寺澤有も同様のことを試みたが、会って取材することはできなかった(それ故、鹿砦社取材班は直撃取材を試みたのである)。やむなく自宅への取材で「誤爆」したこともあったが、国会の入口で二度直撃取材を試み成功した。鹿砦社の名を名乗り質問を行おうとすると、「なし! なし!なし! あなたたちを相手にしない!」と拒否し逃げた。いやしくも国民から選ばれた国会議員(「選良」というらしい)ならば、相手が誰であろうが有権者やメディアの取材には答えるべきだ。有田が私人ならば拒否するのもいいだろうが、当時有田は国会議員、公人中の公人だ、答えることは義務である。それも大学院生(当時)は、激しい集団リンチに遭い、重傷を負い精神的にも傷つけられているのだ。リンチに連座した李信恵ら5人に忖度し守ろうとするしないに関わらず、しっかり情報を公平・公正に集めきちんと答えなければならないだろう。そうではないだろうか? 私の言っていることは間違っているだろうか?

鹿砦社取材班の直撃に驚き逃げる有田
同。盟友・安田浩一も写っている

◆有田落選は「しばき隊」凋落の決定打となる!

前記したが、このかん、「しばき隊」「カウンター」の影が薄くなった。大掛かりな集会や街頭行動も、以前ほどは聞かれなくなった。例えば一時これまでにない集会スタイルで世間の関心を惹いたSEALDs(これもしばき隊/カウンターの一部)をとっても、一部中心的活動家のみが就職を保障され利権を得ることが、元参加者らから恨み節のように出され、「阿呆らしい」と飽きられたのかもしれない。

かの香山リカも、北海道の小さな診療所に副所長として就職するという口実の下に遁走した。私たちに対し有りもしないことをツイートし平気で嘘をついたりしたことを私たちは忘れることはできない(『暴力・暴言型社会運動の終焉』参照)。

李信恵ら5人による集団リンチに遭った大学院生(当時)M君は、いまだにそのトラウマで苦しんでいる。著名な精神神経医の鑑定書もあるほどだが、もっと早く出すべきだったところ、それができず、このこともあってか裁判は実質上敗訴が続いた。ようやくこれ(つまりリンチへの李信恵の関与)が裁判で認められたのは、M君が当事者の裁判ではなく、鹿砦社が李信恵を訴えた訴訟の反訴として出され別訴で審理された訴訟の控訴審判決(2021年7月27日、大阪高裁)でだった。さすがに大阪の裁判所も、あまりに凄惨なリンチの様に、連座した李信恵の責任を容認できなかったものと私たちは認識している。

大学院生M君リンチ事件は、この事件を知ったその人の人間性や人格を問うものだ。ふだん立派なことを言ったり、暴力反対を口にしたり、耳触りのいい言葉を口に出す者が、「見ざる、聞かざる、言わざる」を貫き、真正面から真摯に答えず逃げたりする醜態を数多く見てきた。

しばき隊内最過激派「男組」を使い「有田丸」で合田さんの会社と自宅を訪問すると恫喝

私たちは、M君リンチ事件の情報がもたらされ、実際にM君本人から相談を受けた際に仰天、「いまだにこの民主社会に、こうした暴力がはびこっているのか」と感じた。それも「反差別」とか「人権」とかを声高に叫ぶ者によって起こされたことに驚いた。私と同期の有田は隠蔽に走り、6年前の参議院選挙の際、「有田丸」と称する彼の宣伝カーで、M君の支援者の一人、四国在住の合田夏樹さんの経営する会社や自宅を襲うかのようにツイッターを拡散し、実際に近くまで行ったりする者がいて、合田さんのみならず家族や社員までもナーバスにした。有田よ、あなたの宣伝カーを使ってなされた、そういう言動を、あなたは諌めたのか!? 新旧左翼問わず、社会運動内部に於ける暴力を、私たちの世代は痛苦の想いで懲りたのではなかったのか!? 

◆同期の有田に最後の忠告

有田の参議院選落選にちなみ、思うところを縷々書き連ねてきた。有田は、これまでのみずからの言動について虚心に反省すべきだ。そうでないと、もう高齢者の部類に入っていることもあり、再浮上の目はないだろう。

ちょうど17年前の今頃、私たち鹿砦社は、「名誉毀損」に名を借りた類例がない大弾圧を受けた。その際、それに加担した者らは「鹿砦社の呪いか、松岡の祟りか」と後に揶揄されるように逮捕されたり会社を乗っ取られたり失脚したり散々な目に遭っている(その一部は本通信7月12日号を参照)。因果応報である。

有田は、それに加わらないようにしなくてはならない。罪滅ぼしではないが、これを機に一刻も速く、しばき隊から離れ、リンチ被害者M君に寄り添い事件の真相を世に伝えることを願う。そうした犯罪被害者の立場に寄り添うことから再出発していただきたい。これは、立場は違えど、同期で同時代を生きてきた者からの最後の忠告である。 (文中、一部を除いて敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》
 しばき隊リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《参院選2022》「反安倍野党共闘2016」は賞味期限切れ! 市民にねざした政治勢力の確立を さとうしゅういち

第26回参院選が7月10日執行されました。今回の選挙はひとびとの暮らしがコロナの前から厳しく、コロナが追い打ちをかけ、さらにロシアのウクライナ侵略による輸入物価上昇に苦しめられる中で行われました。また、ロシアのウクライナ侵略に乗じて、自民党が防衛費倍増を打ち出し、安倍晋三さん(故人)や維新などが改憲や核共有を叫ぶ中で行われました。

さとうしゅういちは、憲法は変えずに財政出動で25条を主にいかす立場、新自由主義をやめて公共サービスを充実させる立場、そして核兵器禁止条約を進める立場、原発ゼロでの気候変動対策を進める立場で、比例代表ではれいわ新選組の躍進に取り組みました。


◎[参考動画]【参院選2022】消費税の73%が法人税減税に/教育・防災のプロ #れいわ新選組 #大島九州男を三度国会へ さとうしゅういちIN広島・五日市


◎[参考動画]参院選 さとうしゅういちIN横川駅前「れいわの頭脳・ダブルケアの当事者 #長谷川ういこ を国会へ」「原発ゼロのグリーンニューディールを」

れいわ新選組比例区候補の代理での遊説中に同じ地域の遊説中の中村たかえ候補を激励する筆者。7月8日撮影

広島県選挙区では島根原発再稼働反対、憲法改悪反対などがはっきりしている中村たかえ候補を応援しました。当初は筆者自身も選挙区での立候補準備を進めていましたが、広島の2議席を自民高級官僚と補完勢力に推薦されたタレントで独占させないとの観点から中村候補の応援に回りました。

わたし自身も党是の財政出動により人々の暮らしを底上げすることを軸に、憲法問題については緊急事態条項改憲ではなく、具体的な感染対策・防災対策の充実を、ということ、ロシアのウクライナ侵略という今こそ核兵器禁止条約と緊張緩和の外交こそ必要だということなどを訴えました。

また、介護福祉士としての経験や、介護医療担当の県庁マン時代の経験から、これまで軽視されてきたケア労働の給料抜本改善や、公務員バッシングは止めて地方に十分な人と財源を保障することを力説しました。また、今こそ原発禁止と再エネ、スマートグリッドなどへの大胆な投資をするべきことを街頭やネットで訴え抜きました。

この選挙の結果、れいわ新選組は選挙区で代表の山本太郎が1議席、比例区で2議席を確保しました。

広島市内では総理の地元の超保守王国であるにもかかわらず比例代表で15,002.548票(衆院選2021では14240票ですので支持を伸ばしています。) をいただきました。ご支援に感謝申し上げます(ネットでのお礼は合法ですがプリントアウトすると違法なのでご注意ください) 。

他方で、自民党が定数1の選挙区では青森、山形、長野、沖縄以外を獲得するなど、改選議席の過半数を単独で確保し、大勝してしまいました。憲法を変えることに前向きな勢力が引き続き3分の2以上を確保することになってしまいました。

なお、女性当選者は125人中35人で28%。過去最多割合となりました。女性議員が減ってしまった衆院選2021とは一転して女性議員が過去最多割合となりました。この点は遅々としながらも歴史の進歩は感じます。

広島県選挙区では自民党の官僚出身の現職が有効投票の過半数を獲得し、2位で当選した国民民主党などが推薦するタレントに二倍以上の差をつけました。中村候補は58461票の4位で及びませんでした。

参院選広島2022に立候補された皆様

《参院選広島2022開票結果》

宮沢洋一【当選】 530,375 自民現職公明党推薦 元大蔵官僚、世襲
三上えり【当選】 259,363 無所属新人 タレント 芳野連合、国民民主党、立憲民主党など推薦
森川ひさし 114442   維新新人 京都市議会で辞職勧告決議。
中村たかえ 58461 共産党新人 筆者が応援。
浅井ちはる 52969 参政党新人
渡辺としみつ 11087 NHK新人
玉田のりたか 7335 無所属新人
野村まさてる 7149 幸福新人
うぶはらとしふみ 6717 無所属新人
猪飼のりゆき 5846 NHK新人

今回の参院選の特徴は以下です。
・2016年以降のいわゆる野党共闘が崩壊、多党化が進んだこと。
・立憲民主党が労働貴族化し、衰退が決定的になったこと。
です。

なお、選挙運動期間終盤の7月8日に安倍晋三さんが応援演説中に、統一教会に恨みを持つと報道されている被疑者の凶弾に倒れるという凶事(総理経験者の暗殺は2.26事件の高橋是清以来86年ぶり)がありました。ただ、開票結果を拝見すると、今回の選挙に限って言えば大きな影響があったようには思えません。自民党が着実に地盤を固める一方で立憲民主党が後記の事情で自滅したことによるある意味で順当な結果というのが、筆者の見方です。

◆「反安倍野党共闘2016」賞味期限切れと多党化

2016年、当時の安倍晋三さん(故人)の暴走を止める目的で、野党共闘が始まりました。広島県内でも翌2017年に市民連合が広島3区で県内はじめて発足しました。

安倍晋三さんという「共通の敵」が総理だった時代には野党共闘は一定の役割を果たし、とくに2016参院選、2019参院選で一定の一人区で野党側が議席を確保する原動力になりました。

しかし、2020年、安倍晋三さんが退陣し、後継の菅義偉さんも1年で退陣して岸田内閣にかわるころから、野党共闘に求心力の低下がみられました。そこへ、連合の芳野友子会長が立憲民主党と日本共産党の選挙協力にネガティブな発言を繰り返したこともあり、2021衆院選では立憲民主党も日本共産党も議席を減らす結果になりました。

一つは、安倍晋三さんという強烈な個性を持った共闘の「標的」の消滅です。野党共闘は安倍晋三さんを標的に求心力を高めたのは間違いありません。それだけ、安倍晋三さんの政治がひどかったということなのですが。

もう一つは、地域にもよりますが「政策軽視での候補者一本化」の副作用が顕在化してきたことです。

一本化においては、日本共産党さんが一方的に候補者を下ろすパターンが多かったのですが、政策の大きく違う候補を推すことで内部的なご苦労もあったと推察されます。同党の比例票も野党共闘を開始したころから減りはじめたことの背景となったとも思われます。

さらに泉代表にかわった立憲民主党が衆院選の議席減少の原因を共産党との共闘のせいにしてしまいました。

それにもかかわらず、共産党は立憲との共闘を追求したことで、立憲の衰退に巻き込まれる形になって今回の参院選では票を減らした面もあると思われます。

一方で、ガツンとモノを言うように見える参政党が初めて比例区で議席を獲得しました。参政党の選挙区候補が広島でもいきなり落下傘で5万票以上取ったのは衝撃でした。NHK党も前回に続いて議席を確保しました。

すでに衆院選2021では、広島県内の小選挙区、特に広島市関連の1-4区では野党は「一本化しても惨敗」でした。

◆市民連合は、当面は「一本化」よりも「政策・政治姿勢本位の政治」に力を

現時点では野党はこれ以上、政策不在での一本化を無理にするよりは、各党がとくに参院選複数区や、地方選挙で積極的に候補を出し、切磋琢磨し、次期衆院選までには「共闘すれば勝ちが見える」状況までもっていく必要があります。

もちろん、憲法改悪反対、核兵器禁止条約推進など個々の政策課題では協力は大事です。しかし、現時点では参院選複数区や県議選、市議選などで候補者の「一本化」工作は難しいし、効果も疑問符です。

そこで、市民連合さんにおかれても、無理な一本化よりも、市民が各政党や候補者の政策を吟味する機会をもっと設けて、野党の切磋琢磨を促すことをお勧めします。市民が「政策・政治姿勢」を重視するようになれば、広島の政治もかわってきます。

そうした意味では7月2日に市民連合さんが主催された「投票に行こう 参院選2022 候補者や政党の政策チェック市民集会」は素晴らしい取り組みでした。立憲、共産、社民、れいわ(筆者)が政党からは参加し、市民の質問に答えさせていただきました。

立ってお話ししているのがれいわ新選組を代表して筆者

◆「労働貴族」化した立憲民主党の衰退

もう一つの特徴は立憲民主党が労働貴族化し、衰退していることです。

広島県内では、主に、高級官僚・経団連中心の自民党と、大手企業正社員中心の労組中心の勢力で国政や地方議会の議席を分け合ってきました。

しかし、そうした構造の中で、多くの労働者・市民の実態や思いがおきざりにされてきたのではないでしょうか?

筆者自身も元県庁マン、介護福祉士として、そのことを強く感じます。

「自民党も、野党第一党も公務における非正規労働をふやす方向の政策を進めてきた。」
「自民党も、野党第一党も介護現場の労働者の抜本的待遇改善に後ろ向きだった。」
という思いが強くあります。

そして、今春、立憲民主党は公務員労組の推薦を受けながら、公務員ボーナスカットに賛成してしまいました。また、広島県選挙区で連合や国民民主党とともに立憲民主党も推薦するタレント女性候補は、7月2日のイベントでの市民連合の政策質問の最低賃金1500円の賛否を問う質問に対して「分からない」と答えておられました。

コロナの前から厳しくコロナが追い打ちをかけ、さらにロシアのウクライナ侵略を背景にした輸入物価上昇が拍車をかけている庶民の生活苦。そうした中で、立憲民主党やその推薦候補の態度はあまりに生ぬるかったと言わざるを得ません。敢えてたとえれば、武士というより公家・貴族のような対応である。「労働貴族化している」といわざるをえません。

このような態度が参院選での立憲民主党の衰退を招いたのではないでしょうか?また、原発ゼロ・島根原発再稼働の是非についても曖昧な態度を、広島県選挙区の上記タレント女性候補もとっています。立憲民主党はこうした労働貴族体質を打破できないと再起は難しい。しかし、今回の参院選でも、比例区では辻元清美さんを除けば連合の組織内候補ばかりが当選する形になりました。こうなると、余計に同党の衰退に拍車がかかるのではないかと心配です。すなわち、「労働組合組織内議員比率上昇」→「立憲民主党の労働貴族化」→「労働貴族以外の支持者が逃散」→「労働組合組織内議員比率上昇」の悪循環が止まらなくなる恐れが出てきました。

◆市民にねざした新しい政治勢力を広島でも確立

れいわ新選組はこうしたなか、2019年の結党以来、財政出動で消費税廃止などを軸にあなたの暮らしを底上げすることを一貫して訴えてきました。

原発国有化により雇用を保証しつつの廃炉と再生可能エネルギー・蓄電池・スマートグリッドなどへの200兆円の投資、食料安保への財政出動、ケア労働の抜本的待遇改善などグリーンニューディール政策を提案しています。組織のえらい人ではなく「あなた」、すなわち、ひとりひとりの労働者・市民のための政策がれいわ新選組の政策だと思います。

自民党が大手企業(経団連)・高級官僚党なら、旧民主党政権も残念ながら労働貴族党でした。それが旧民主党政権の失敗の背景にありました。そもそも根っこが同じである以上、同じような花しか咲かない。だから、市民に根ざした政治の新しい花を広島でも全国でも咲かせたい。

こうした思いで新しい政治勢力を広島県内でも確立していく先頭に、筆者はれいわ新選組のみなさまとともに立ってまいります。

2023年には統一地方選が行われます。現状のれいわ新選組は広島市議も県議もいません。国政で決まった政策も多くは地方自治体で実施されます。自治体現場での政治活動を展開しないと、今後は苦しいものがあります。筆者自身もふくめて、広島県議や市議をつくっていく先頭に立ってまいります。

当面は、そのことを通じ、被爆地広島から核のない平和な世界、そしてひとりひとりが大事される社会を皆様と一緒につくっていくための不断の努力を続ける所存です。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の脱原発季刊誌 『季節』2022年夏号(『NO NUKES voice』改題 通巻32号)

出版社に忍び寄る読売新聞の影、懇親会に出版関係者240人、ジャーナリズム一極化への危険な兆候 黒薮哲哉

新聞社と放送局の間にある癒着が語られることがあるように、新聞社と出版社のグレーゾーンを薄明りが照らし出すことがある。

 
渡辺恒雄『反ポピュリズム論』(2012年新潮新書)

今年の5月11日、読売新聞社は「出版懇親会」と称する集まりをパレスホテル東京で開催した。読売新聞の報道によると、約240人の出版関係の会社幹部を前に、渡辺恒雄主筆は、「日頃の出版文化について情報交換していただき、率直なご意見を賜りたい」とあいさつしたという。

出版関係者にとって新聞社はありがたい存在である。と、いうのも新聞が書評欄で自社の書籍を取りあげてくれれば、それが強力なPR効果を生むからだ。新聞の読者が老人ばかりになり、部数が減っているとはいえ、中央紙の場合は100万部単位の部数を維持しているうえに、図書館の必需品にもなっているので、依然として一定の影響力を持っている。そんなわけで読売新聞社から懇親会への招待をありがたく受け入れた出版関係者も多いのではないか。

しかし、新聞販売現場の現場を25年にわたって取材してきたわたしの視点から新聞業界を見ると、新聞業界への接近は危険だ。書籍ジャーナリズムに、忖度や自粛を広げることになりかねない。同じ器に入るリスクは高い。新聞業界そのものが、欺瞞(ぎまん)の世界であるからだ。醜い裏の顔がある。

◆清水勝人氏の「新聞の秘密」

いまから半世紀前の1977年2月、雑誌『経済セミナー』で「新聞の秘密」と題する連載が始まった。執筆者は、清水勝人氏。連載の第1回のタイトルは「押し紙」である。

清水氏は、当時、『経済セミナー』だけではなく、他の雑誌でも新聞批判を展開していた。清水勝人氏の経歴についてはまったく分からない。聞くところによると、「清水勝人」というのはペンネームで、新聞社に所属していたらしい。実際、「新聞の秘密」を細部まで知り尽くしている。

 
「押し紙」の回収風景

連載の第1回原稿の劈頭(へきとう)で清水氏は、新聞業界の体質について次のように述べている。

「新聞という商品、新聞業界にとって最も不幸なことは、それが今日まで世論の批判の対象外-「批判の聖地」におかれてきたことではなかったかと思う。これまでごく少数の例外を除いては、新聞は自らの矛盾、誤りをみずからの手で批判したり、訂正しようとは決してしなかったし、第3者からの批判を率直に受け入れようともしなかつた。
 新聞は今日まで厳しく監視する第3者を持たなかったためにどうしても、みずからの矛盾、誤り、時代錯誤に気付くのが遅れてしまいがちだったし、他人の批判にさらされないために規制力を失いがちであったといえるのではないかと思われる。」

清水氏は、「押し紙」によりABC部数をかさ上げして、紙面広告の媒体価値を高める新聞社のビジネスモデルを暴露した。わたしがここ25年ほど指摘してきた問題を、半世紀前にクローズアップしていたのである。おそらく問題をえぐり出せば、新聞人は過ちを認めて、方向転換するだろうと期待して、筆を執ったのだろう。

が、そうはならなかった。いつの間にかこの報道は消えてしまった。「無かったこと」にされたのである。

その後、1980年代になると、共産党、公明党、社会党が超党派で新聞販売の問題を取り上げるようになった。85年までに15回の国会質問を行った。新聞業界は批判の集中砲火を浴びたのである。「押し紙」も暴露された。

たとえば1982年3月8日に、瀬崎義博議員(共産党)が、読売新聞鶴舞直売所(奈良県)の「押し紙」問題を取り上げた。この質問で使われた資料は、後に「北田資料」と呼ばれるようになり、新聞販売の問題を考えるとひとつの指標となった。次に示すのが、鶴舞直売所の「押し紙」の実態である。

読売新聞鶴舞直売所(奈良県) 「押し紙」の実態

しかし、5年に渡る国会質問は何の成果も残さなかった。新聞業界は反省もしなければ、状況の改善もしなかった。もちろん報道もしなかった。再び「無かったこと」にされたのだ。

◆公正取引委員会を翻弄して「押し紙」を自由に0

1997年になって新しい動きがあった。公正取引委員会が北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を発令したのである。北國新聞社は朝刊の総部数を30万部にするために増紙計画を作成し、3万部を新たに増紙した。その3万部を新聞販売店に一方的に押しつけていた。夕刊についても、同じような方法で「押し紙」をしたというのが、公取委の見解である。

さらに公取委は、「他の新聞発行者においても取引先新聞販売業者に対し『注文部数』を超えて新聞を供給していることをうかがわせる情報に接した」として、日本新聞協会に対して改善を要請した。

さすがに新聞業界も「押し紙」を反省するかに思われたが、逆に公取委に対して驚くべき対抗策にでる。

当時、新聞業界は内部ルールで、表向きは「押し紙」を禁止していた。販売店に搬入する新聞の2%を予備紙と定め、それを超える部数を「押し紙」と定義していた。俗に「2%ルール」と言われていた規定である。

北國新聞に対する処分を機に公取委から「押し紙」問題を指摘された日本新聞協会は、驚くべきことに、この「2%ルール」を削除したのである。それにより販売店で過剰になっている新聞は、「押し紙」ではなく、すべて「予備紙」という奇妙な論理が独り歩きし始めたのだ。予備紙は、販売店が営業目的で好んで注文した部数ということになってしまったのだ。

「押し紙」裁判でも、こうした論理がまかり通るようになった。しかし、残紙に予備紙としての実態はなく、その大半は古紙回収業者によって回収されてきた。営業に使うのは「新聞」ではなく、ビールや洗剤といった景品だった。

◆裁判にはめっぽう強い読売新聞

新聞業界の内側を見る視点は、「押し紙」問題だけではない。

不思議なことに中央紙は、裁判となればめっぽう強い。たとえばわたしは2008年2月から1年半の間に、読売新聞社から3件の裁判(請求額は約8000万円)を起こされたことがあるのだが、2件目の裁判で壮絶な体験をした。最初の裁判は、わたしが勝訴したが、2件目で、「大逆転」された。野球でいえば、9回裏の2アウトからの逆転である。それぐらい新聞社は、なぜか裁判に強い。

発端は、「押し紙」を断った新聞販売店を読売新聞西部本社が強制改廃したことだった。江崎徹志法務室長ら数人の社員が、事前連絡することなく販売店に押しかけ、改廃を宣言した。その直後に読売ISの社員が、店舗にあった折込広告を搬出した。この行為をわたしが、「窃盗」と表現したところ、社員らが2200万円を請求する名誉毀損裁判を起こしたのだ。

わたしは、「窃盗」を文章修飾学(レトリック)でいう直喩として使ったのである。「あの監督は鬼だ」といった強意を際立たす類型のレトリックである。店主に強烈な精神的衝撃を与えた直後にさっさと折込広告を運び出したから、「窃盗」と表現したのである。それだけのことである。だれも本当に窃盗が発生したとは思っていない。

この裁判で読売新聞社の代理人として登場したのは、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士だった。改憲論をリードしている読売新聞社が、護憲派の自由人権協会の弁護士を依頼する行為に違和感を感じた。軽薄なものを感じた。

さいたま地裁で行われた第1審は、わたしの勝訴だった。東京地裁での第2審もわたしの勝訴だった。ところが最高裁が口頭弁論を開き、判決を東京高裁に差し戻した。そして東京地裁の加藤新太郎裁判官は、わたしに110万円の支払いを命じたのである。後に加藤新太郎裁判官について調べてみると、読売新聞に少なくとも2回登場していることが分かった。

◆政界との癒着、874万円の政治献金

新聞業界と政界の距離は近い。癒着の度合いは首相との会食ぐらいではすまない。

新聞業界は、販売店の同業組合を通じて、政治献金を送ってきた事実がある。目的は、再販制度の維持、新聞に対する軽減税率の維持などである。最近は、学習指導要領の中に学校での新聞の使用を明記させることにも成功している。新聞記事を模範的な「名文」と位置づけて、児童・生徒に熟読させる国策を具体化したのだ。

2017年度、新聞業界は874万円を献金している。内訳は、主要な議員21人(述べ人数)に対して、「セミナー参加費」の名目で、総計234万円。この中には、とよた真由子(自民)、漆原良夫(公明)といった議員(当時)が含まれている。

セミナー参加費とは別に、「寄付」の名目で、128人の議員に対して640万円を献金している。金額としては1人に付き一律5万円で高額とはいえないが、政治献金であることには変わりがない。挨拶がわりに金をばら撒いているのだ。

裏付け資料は次の通りである。

※政治資金収支報告書 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2020/06/9c4ca05ead3fb9cbcdf0434aba4dc778.pdf

他の年度についても、政治献金を繰り返してきた。

◆進むジャーナリズムの一極化

出版業界は、新聞の帆を立てた船に乗り込まないほうが懸命だ。ジャーナリズムの一極化は、最終的には自分に跳ね返ってくる。

日本の新聞業界は、清水氏の内部告発を無視し、5年にわたる国会質問を無視し、公正取引委員会の指導を逆手に取って、自由に「押し紙」を増やせる体制を構築した。昔から何も変わっていない。反省もなければ、対策もない。

1936年8月15日付け『土曜日』は、新聞業界について次のように書いている。太平洋戦争を挟んで現在まで、権力構造に組み込まれた新聞の本質は何も変わっていない。

「新聞の仲間にはヘンな協定があって、新聞同士のことはお互いに書くまいということになっている。これはいくつ新聞があっても、どれもこれも何かの主義主張があるのではなく、みんな同じ売らん哉の商品新聞ばかりで、特ダネの抜きっこ、販売拡販競争から起こった事で相手を攻めれば、その傷はやがて戻ってきて痛むのを知っているからである。これはもう新聞が完全に社会の木鐸でなくなったことを示すもので、ただただ商品であるだけから起こった仁義なのである」

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号
黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

私にとって〈7月12日〉の意味とは何か? 鹿砦社代表 松岡利康

今年も〈7月12日〉がやって来た──2005年7月12日早朝6時頃、母親が当日の朝日新聞を持って来て「あんたが逮捕されるよ」と言った。眠気まなこに、その一面が目に入った。天下の朝日新聞の一面を飾ることなど、それ以前も以後もない。一面は大阪本社版だけで東京は中面の社会面だったようだ。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

当日は東京出張に出る日だった。夜は新宿ロフトで宮崎学氏らによるトークイベントに呼ばれていた(逮捕されたので急遽『紙の爆弾』編集長・中川志大が出席し発言、支援を訴えた)。そうしたことは前週末の呼び出しで主任検事の宮本健志検事(地元甲子園出身)に言っていたので、この日が狙われたのだろう。1日早く出掛けていればスカだったな。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊

あれから17年の月日が経った。時の過ぎ去るのは速い。私はこれまで二度の“逮捕記念日”があり、二度とも有罪判決を受けた。一度目は50年余り前の1972年〈2月1日〉、20歳、私のいた大学で(いや、その年は関西大学や早稲田など全国多くの私大、また国公立大学で)前年から続いた学費値上げ阻止闘争の最終局面、最後まで身を挺して値上げ阻止の意志表示をせんとする私たちは大学の中央にある建物の屋上に拙い砦をこしらえ徹底抗戦し、そして逮捕された。このことは、すでに本年2月前後にこの通信(1月26日2月13日)でも記しているので、ここではこれ以上述べない。

◆2005年〈7月12日〉、逮捕は突然やって来た

その後、70年代、80年代、90年代と、生活や子育てに追われ過ごした。もう、かつてのように御堂筋をデモの大群が通ることもなくなった。大阪・心斎橋に在った勤め先のビルの7階から御堂筋の季節の移ろいを眺め日々見る夕陽のせつなさを感じながら過ごしバブル期到来、そして崩壊。勤め先も会社整理するということで独立、そうそううまくは行かなかった。

しかし、私にも、いわゆる「暴露本ブーム」で遅れてバブルがやって来たが、それも長くは続かなかった。苦闘しつつ凌いでいる中で、やって来たのが2005年、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧だった。主要な告訴人は大手遊技機(パチンコ・パチスロ)メーカー「アルゼ」(現ユニバーサルエンターテインメント)創業者オーナー社長(当時)岡田和生と役員Oで、「アルゼ王国の闇」シリーズによる告発が続いていた。

続々出版されけ「マスコミ・タブー」とされた問題企業を恐怖に陥れた「アルゼ王国の闇」シリーズ。直接の立件対象は第2弾『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』

これに業を煮やした岡田らは「名誉毀損」で刑事告訴と3億円もの巨額訴訟を起こしたのである。神戸地検特別刑事部になされた刑事告訴はしばらく進展がなかったが、その年の4月に大坪弘道検事が特別刑事部長に就任してから急速に進展し、私が大坪検事の指揮による最初の逮捕者だということだ。

松岡が192日間勾留された神戸拘置所

その後、宝塚市長、神戸市議会の長老親子らが続々逮捕されていく。大坪検事は、一時は検察トップ候補とまで言われるほどのエリートだったそうだが、のちに厚労省郵便不正事件(村木厚子冤罪事件)で証拠隠滅により逮捕・有罪判決を受け失脚する。「因果はめぐる」とはよく言ったものだ。私見だが、大坪検事が神戸地検に赴任して来なかったら、この事件はなかったと思っている。

すでに50歳を過ぎていて、小なりと雖も会社も経営し社員もいた中で、1972年の学生の頃と違い、社会的責任もあり、肉体的にも精神的にも辛かった。192日間勾留され、クリスマス、大晦日、正月を「鵯(ひよどり)越えの逆落とし」で有名な、神戸市北区ひよどり台、六甲の山の上に在る神戸拘置所の独房で過ごした。

神戸拘置所が在る神戸市北区ひよどり台を解説する10月31日付け朝日の記事。偶然に勾留中に掲載

その半分ほどは「接見禁止」、これは単に面会ができないというだけではない。アメリカでは電話ができるらしいが、電話は勿論、面会も手紙のやり取りもできない。外界との交通は弁護士を通してのみで孤独感が募り毎日感情が変わりきつかった。この間に本社事務所も撤去を余儀なくされ、精神的にさらに追い込まれた。おそらく半年拘禁状態というのが精神的に一番きつく、1年、2年経つごとに日常化し諦念が生じていくのだろう。

保釈されたのは年が明けた1月20日、第3回公判の後だった。

松岡は神戸拘置所で年を越し、保釈されたのは2006年1月20日だった

保釈後そのまま地元のテレビ局、阪神タイガースの野球中継で有名な「サンテレビ」に連れて行かれた。サンテレビでは、私の逮捕事件を追ってくれた若手ディレクターがいて、何度となく報じてくれていた。すぐに取材を受け、その日のうちに報道されたと記憶している。その後彼は本件の取材を続けてくれ、判決など機会あるごとに報じてくれた。彼は爾来、いろいろな話題作を世に送り出し、その報道活動で賞を獲ったり、現在は幹部に昇進、東京勤務となっている。先日久し振りに旧交を温めた。

蛇足ながら、旧交を温めたのは、日比谷公園に面した事務所のある高層ビルのレストランだった。50年余り前の1971年11月19日、翌年の沖縄返還を前にして沖縄返還協定批准阻止闘争が盛り上がっていたが、そのうち「日比谷暴動」を叫ぶ中核派が日比谷野音に5千人を集め集会、首都中枢を占拠せんとデモに出る際、追い詰められた活動家らは松本楼を焼き討ちしたり1500人以上が逮捕された因縁ある場所だ。この意味でも懐かしかったが、このことを話しても通じなかった。報道に携わる者は、みずからの会社の近くで、過去にそういうことがあったことぐらいは調べて知っておいてほしかったが、私たちの世代では、どうしてもこういう記憶が口に出る。最近、モーニングショーで「ペレストロイカ」を知らなかった若い女性アナウンサーを観たが、時の経過は歴史を忘却させるのか。

いささか話が逸れたが、私の逮捕に危機感を持ったのは、地元テレビ局のディレクターだけではない。日本で活動する海外メディアの記者もそうで、保釈後外国人記者クラブから招かれ会見に応じた。

日本で活動する外国人記者の関心も大きく、招かれて外国人記者クラブで会見

◆刑事、民事、二つの「名誉毀損」裁判を闘うが敗訴、懲役1年2月・執行猶予4年、賠償金600万円が最高裁で確定

裁判は続き、一審判決(神戸地裁)が下されたのは翌年7月4日だった。「懲役1年2月、執行猶予4年」だった。

2006年7月4日、松岡一審判決当日のテレビ画像。右は佐野裁判長の画像と“名言”
アルゼ(現ユニバーサル)創業者元オーナー岡田和生、遂に逮捕! ロイター電子版2018年8月6日号。これに至るロイターの取材には水面下で協力した

最高裁まで争ったが覆ることはなかった。アルゼは、執行猶予付きで罪状が軽いとして再告訴したが不起訴処分となり確定した。ちなみに、私の人格のいたらなさゆえ支援会が分裂し、再告訴には、かつての支援会の代表ら中心メンバーも(別個に告訴したとはいえ)加担する恰好になり、ほうぼうに迷惑メールを拡散されたりして、アルゼからの再告訴よりも、実はこちらのほうが堪えた。

また、同時に損害賠償請求3億円の巨額民事訴訟も提起された。こちらは一審(東京地裁)300万円の賠償金が課され、控訴審(東京高裁)では二倍の600万円に跳ね上がった。

刑事告訴し3億円もの巨額訴訟を提起したのは、前記したように大手遊技機(パチンコ、パチスロ)メーカー「アルゼ」だった。創業者オーナーの岡田和生は、言論で対抗するのではなく(当時『週刊新潮』に告訴人Oが連載を持ったり女流文芸賞を設けたり昵懇だったのは新潮社だが、言論で対抗する手だてはあったはずだ)、警察との癒着(当時のアルゼの雇われ社長は警察キャリアの阿南一成で法廷でも証言に立ったが、その後耐震偽装問題企業との不適切な関係で辞任)で私の逮捕を画策したのだ。代理人弁護士は元検事。

当時アルゼと岡田らはラスベガスで「カジノ王」と称されたスティーブ・ウィンと組んでカジノホテル建設を計画し、その後、オープンしている。この勢いで、次はアルゼ単独でフィリピン・マニラでのカジノ建設を計画、この間、アルゼは岡田みずから先頭に立って現地に根を下しフィリピン当局幹部へのアプローチを行い、贈賄容疑で岡田は逮捕されてもいる。

その前には、もう一人の首謀者・大坪弘道検事も逮捕されている。

神戸地検特別刑事部長として鹿砦社弾圧を指揮した大坪弘道検事の逮捕を報じる2010年10月2日付け朝日新聞

さらにその後、フィリピンでの活動にうつつを抜かしている間に、息子や子飼いの社長、妻らのクーデターにより、みずからが作り育てた会社から放逐されている。

私の「名誉毀損」事件に蠢いた人たちのその後の歴史から学ぶとすれば、〈人をハメた者は、みずからもハメられる〉ということだ。大坪、岡田の事件がこのことを物語っている。さらに、私に手錠を掛けた主任検事の宮本健志検事は、次席検事として昇任先で深夜泥酔し一般市民の車を蹴り傷つけ検挙され降格(次席検事から平検事へ)─懲戒処分を受けている。

ところで、あまり知られていないが、日本でカジノを成功させた遊技機メーカーはアルゼしかない。かつて構想された「お台場カジノ構想」ではコナミやサミーなどの名も出たが頓挫している。このかん、大阪カジノ構想がリアリティをもって画策されている。背後には警察権力が控えている。反対運動が佳境に入れば、必ずや弾圧がなされるであろう。これは逮捕された私だからこそ言えることだが警鐘を鳴らしておきたい。

そもそも人の血を吸い上げるギャンブルで経済を活性化させようなどという発想自体が邪道である。まともな政治家なら、それぐらい気づくべきだし、もっと違う健全な方途を考えるべきであろう。

◆“官製スクープ”に踊った朝日新聞・平賀拓哉記者のその後

神戸地検と連携し大々的な”官製スクープ”を展開した朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者

一昨年、ちょうど15年という節目ということもあり、神戸地検のリーク(「風を吹かせる」というらしい)により(官製)スクープしたのは朝日新聞大阪社会部の平賀拓哉記者だった。彼はその後、中国瀋陽支局長を務めたりしていたが、大阪社会部に戻り「司法担当キャップ」を務めていることが、偶然、とある冤罪事件の記事を執筆していることで判明、15年も経ったのだからわだかまりもなく面談を求めたが、あろうことか拒否されたのだ。それも本人からではなく広報部が担当者名なしの素っ気ないメールでだった。私は“当事者中の当事者”ですよ、事件直前に、あの本はないか、この本が欲しいなど、さも私たちの出版活動を理解しているかのような振りをして近づいていながら、それはないだろう。

平賀記者のみならず、朝日の記者は、そのような体質があるようで、それはここ数年私たちが精力的に取り組んできた「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)の取材でもそうだった。一例を挙げれば、当時阪神支局に務めていた阿久沢悦子記者は、リンチ被害者M君に、さも朝日で記事にするかのように期待させ近づき、「浪花の歌う巨人(虚人?)」こと歌手・趙博を紹介、当時は外部に出ていなかった貴重な資料を渡し、その後突然裏切られている。二人のやったことは「S」行為であり、私たちの追及に逃げ回っている。特に阿久沢記者は、他人を取材したり追及する時には「朝日」の金看板を後ろ盾にずいぶん居丈高だが、逆にみずからが取材される立場になると、逃げ回り、ここでも登場するのは広報部である。

◆思い出すだに──

この時期になると、あれこれと思い出す。それはそうだろう、地獄に落とされ血を吐く想いを強いられたからだ。平賀、聞いとるか! 逮捕から勾留中の出来事で、二つ三つ書き記しておきたい。

逮捕後、すぐに釈放されるものと甘く考え、ある印刷所には300万円を支払ったり月末の支払いも弁護士を通じ通常通り行った。この直後差し押さえされ金欠状態になる。こうしたこともあってか、その印刷所は翌月に急遽発行されることになった、事件を報告した『紙の爆弾』9月号(8月7日発行)の印刷を承諾いただき、さらに保釈後、迷惑を掛けたことを詫びに挨拶に伺ったところ、塩を撒いて追い返されても仕方ないなと覚悟していたが、築地の高級寿司屋の個室に招いてくれ、「私は支援しますので頑張ってください」と激励してくれたことは忘れられない。

その後5年近くかかったが、会社は再建され、2010年夏、もう不可能だと思っていた甲子園に戻ることができた。今はコロナ禍長期化で青色吐息だが、ひと頃は逮捕前よりも飛ぶ鳥を落とす勢いにまで飛躍し、くだんの印刷所の社長は心から喜んでくださり、今度は神宮前の高級レストランで祝ってくださった。

一昨日参議院選挙があったが、勾留中にも選挙があった。「松岡、選挙はどうする?」と刑務官からたずねられた。「当たり前じゃないですか、投票しますよ」と答えた。未決囚が投票すると希望すれば、国家権力の機関である拘置所は拒否することはできない。一人ひとり、住民票のある場所は違うので、いちいち投票券を取り寄せないといけないわけだから、ずいぶん面倒なことなのである。投票所も、道場だったか、急遽こしらえて行われた。誰もができるわけではない貴重な経験だった。

激動の2005年も押し迫った師走、第2回目の公判があり(12月19日)、それまで複数回保釈請求を行っていたが、却下され勾留が続いていた。「今度は、正月前だし、裁判官も比較的物分かりがよさそうだから大丈夫だろう」と弁護人も言うし甘く見ていたが、結果は却下、大晦日から新年を拘置所で過ごした。普通、ラジオ放送は午後9時で終わるところ、大晦日は『紅白歌合戦』を最後まで放送するということで、「拘置所も粋なことをやるもんだ」と思っていたが、電気が消され、真っ暗闇の中で虚しく曲が流れ華やかそうに伝えられる会場の雰囲気に切なさを感じたこともまた忘れられない記憶である。

もっと書き記したいこともあるが、また別の機会に譲ろう。

◆「人に歴史あり」というが……

「人に歴史あり」── 有名人の中でも獄に入れられ、そのことを肥やしとして、その後の人生を豊かにした人がいる。後輩の書家・龍一郎風に言えば、「人生に無駄なものなどなにひとつない」ということだろうか。

弾圧10周年に、後輩で書家の龍一郎が魂を込めて揮毫し贈ってくれた

例えば、昭和の名女優・沢村貞子。彼女は戦前・戦時下治安維持法で二度(私と同じ!)逮捕、計1年余り勾留されている。地下活動まで行っていたという筋金入りの活動家だったようだ。「人権」などという言葉がない時代だ、取調べや処遇が過酷だったことは言うまでもない。NHKの朝ドラ『おていちゃん』で、その裁判のシーンが出て来る。「文化運動のために闘います」というようなことを陳述していたことを記憶している。今では朝ドラでこうした作品を製作したり放映することはないだろう。

また、歌手・三波春夫、彼は日本敗戦直後からシベリアのラーゲリー(強制収容所)で4年も抑留されている。彼の反戦意識はこの経験に基づいているとされる。4年もソ連に抑留されていると洗脳されたようで、記憶が定かではないが、帰国してしばらくは「共産主義浪曲団」で全国を回っていたことを週刊誌で読んだことを微かに覚えている。書いたのは猪瀬直樹だったかな? しかし、これじゃあ生きて行けないということで“転向”したのだろうか、1964年の『東京五輪音頭』、1970年大阪万博のテーマソング『世界の国からこんにちは』などで国民的歌手として、押しも押されもしない大御所となる。勾留中に官本(拘置所に備え付けの本)で、私たちの世代には馴染み深い平岡正明が三波をインタビューした本を読んだが、破天荒とされる平岡が非常に緊張している様子がうかがえた。官本には田中角栄の『日本列島改造論』などもあって神戸拘置所は比較的揃っているような感がした。

沢村、三波の生き方を肯定、否定するかどうかは別問題として、私など足下にも及ばないが、拙い私の人生史に於いて、二度の逮捕は欠かすことのできない出来事であったと考えている。このことで(特に2005年の「名誉毀損」事件で)銀行口座を新規に作れなくなったり(3つの金融機関と裁判したがいずれも敗訴)不利益を蒙っているが、決して恥ずべきことではないと思っている。

 

*上記の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件については、とりあえず次の出版物をご覧ください。
『紙の爆弾』2005年9月号 (逮捕直後に発行された)
『紙の爆弾』2020年5月号 (『紙の爆弾』創刊15周年記念号。別帳付録として「『紙の爆弾』が創刊された2005年に何が起きたのか?」を16ページ渡り記述し、15年目の中間総括を試みている)
『パチンコ業界のアブナい実態──謀略と犯罪うごめく「三十兆円産業」』 (逮捕から判決確定までの詳細な記録と、パチンコ業界の実態を記述)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の脱原発季刊誌 『季節』2022年夏号(『NO NUKES voice』改題 通巻32号)

追悼 安倍晋三元総理大臣 横山茂彦

心から哀悼の意を表したい。

選挙戦にめっぽうつよい一強のゆえに、また不寛容と強権的な政治手法ゆえに、生前の安部氏への批判はすさまじかった。本通信もその例にもれず、政策のみならず政治体質そのものへの批判に及ぶことが少なくなかった。

ネットの批評では、あまりにも安倍批判が過剰となり、匿名SNSで「安倍しね」などという何でもありの罵倒が嵩じて、安倍氏を殺す空気があったという指摘がある。ネット時代の匿名性・無責任な発言・異常な書き込みが社会のありようを壊しているのだとしたら、表現者としてのわれわれも、その弊害に自覚的でなければならないであろう。

いずれにしても、選挙戦のさなかの「銃撃」という暴力は許されない。選挙戦は「野次」や「批判」もふくめて言論戦である。銃を撃ちたいなら、逮捕や拘束・戦死をも覚悟で戦場に行くべきである。かさねて安倍氏の生前の労をねぎらうとともに死を悼み、銃撃犯の暴虐を弾劾するものです。

とはいえ、敵をつくってそれを叩くことで自分の主張を際立たせる。たとえば「あの悪夢のような民主党政権時代」などと、国民の分断を意識的につくり出す安倍氏の手法にこそ、ネット時代特有の弊害を生む理由があったのではないか。旧来の自民党にあった、日本的な寛容さで対立をも呑み込む広さは、安倍氏には感じられなかった。本通信で扱ってきた、安倍氏の時々の歩みを再録しておこう。直近のものから収録したので、編年的に読みたい方は、下から上にクリックしてください。

◆果たせなかった院政

福田家との争闘が想像されたが、安倍氏の院政は残念ながら「逝去」によってついえた。

安倍家と福田家もそうだが、日本の政治家(国会議員)の3人に1人が世襲制という現実が問題にされなければならないであろう。看板(名前)・地盤(組織)・カバン(金=借金もふくむ)を個人が継承しなければならない以上、この弊害というか異様な伝統は今後もつづく。

総理大臣にかぎっていえば、平成になってから32年間で19人の総理のうち、世襲でない人は6人。70%が世襲の総理大臣なのだ。もはや王朝政治ともいうべき世襲率、特権貴族のような人たちが政治を支配していることになる。これでは北朝鮮の金氏王朝を批判できない。記事はこれにも触れるべきであった。

安倍派の誕生 ── 息づく「院政」という伝統 2021年11月12日

◆晩節を汚した「桜を見る会」

安倍氏の政権末期は、大物政治家らしいスキャンダルにまみれた。われわれは政治家に清廉よりも能力をもとめたいが、やはりルール批判は許せないものだ。そして安倍氏においては、ピンチになると姿を隠したり病気になったりと、正面から向き合わない、ある意味では政治家的なスマートさが、かえって格好悪さだった。そういえば、再登板も噂されていたのだ。

危機になると、病気になったり姿を隠す……。卑怯な「容疑者」安倍晋三の逃げ切りを許すな! 再登板をねらうも、不起訴不当の議決で頓死! 2021年8月3日

安倍晋三を逮捕せよ! 自民のアベ切りの背後に、菅首相の思惑 2020年12月26日 

安倍晋三の政治とカネの無様な実態 検察は自殺者を出さないために、前総理の身柄を押さえて説諭せよ 2020年11月28日 

◆自民党のCM動画での安倍氏

昨年の春には、編集部の企画で自民党のCM動画で安倍氏の雄姿を懐かしむ記事も掲載した。

こうして見ると、やはりアジテーションの上手い頭のいい人だったのだろう。経済も法律(とくに憲法解釈)も、あまりわかっているとは思えなかったが、答弁力(質問の論軸をはぐらかす)やパフォーマンス能力は一流だった。

自民党のCM動画で安倍元総理の雄姿を懐かしむと、政権の旧悪が露見してくる ── 政権奪還からコロナ禍逃亡退陣まで 2021年4月7日

◆コロナで挫折

経済への期待感から、景気の良い話に乗りたがる国民には圧倒的な人気があった。それが選挙戦での強みである。

だが、スキャンダル対応(すぐにカッとなる)もふくめて、守勢にまわると弱い人だった。コロナ禍で、はしなくもそれが暴露された。対応は後手にまわり、アベノマスクという遺産を残して、ふたたび病魔に倒れる。

安倍総理辞任の真意 コロナ禍に対応できず、危機管理に苦しまぎれの退陣! 2020年8月29日 

247億円が使途不明? カビや異臭も? 髪の毛と虫が混入したアベノマスク疑惑 2020年4月25日 

コロナ恐慌「経済対策総額108兆円」のイカサマに安倍政権の末路が見えた! 2020年4月10日 

◆反社との関係

もうひとつ。反社との関係は工藤會をはじめ、脇が甘かった。ネット上では「ケチって火炎瓶」というハッシュタグで、下関事務所襲撃事件が暴露されたものだ。桜を見る会の核心部は、反社との公然たる付き合いであろう。

「反社会勢力」という虚構〈5〉やはり虚構だったのか? 「反社会的勢力」を「定義困難」と閣議決定した安倍政権に唖然 2019年12月14日

「反社会勢力」という虚構〈4〉やっぱり反社が参加していた「桜を見る会」── 自民党政治は反社との結託で成立している 2019年12月7日

◎プーチンとの蜜月 
二島返還もままならなくなった安倍〈売国〉政権・北方領土問題の絶望 2019年2月6日 

◎政治手法
もはや圧倒的な独裁制 私物化された情報機関が生み出す政敵ヘイト工作の軌跡 2018年9月13日 

◎アベノミクスの裏側
官民ファンドは全て赤字! アベノミクス「成長戦略」の無責任 2018年8月10日 

◎放置された拉致問題
安倍氏を総理候補に浮上させたのは、いうまでもなく北朝鮮拉致問題だった。この課題もなおざりにされた。
拉致問題「報告書」の真相とは? 2018年5月15日 

安倍氏を追悼したあとは、事件の背後関係の有無であろう。山上容疑者(の母親)が関与していたという統一教会と対立しているサンクチュアリの教祖(文鮮明の七男)が現在、来日中なのである。

統一教会の母子骨肉の分派抗争が事件に関わっているとしたら、まるで映画のような歴史的事件ではないでしょうか。森田芳光『ときめきに死す』のラスト暗殺成功バージョンということになる。


◎[参考動画]安倍元総理銃撃の瞬間

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号

《書評》『紙の爆弾』8月号 心療内科の闇をあばく野田正彰の「大阪心療内科放火事件に思う」 横山茂彦

野田正彰の記事「大阪心療内科放火事件に思う」に注目だ。事件そのものではなく、心療内科というよくわからない精神科についての疑問である。心療内科放火事件の背後には、拡大自殺にいたる人間の世界観(存在観)が横たわり、自殺による世界の消滅が自分をとりまく世界を道連れにする。このような構図が鮮やかに解説されている。

記事それ自体は朝日新聞のウェブ論座向けに書いたものを、直前で没にされたものだ。

それらの経緯については、別記事の「野田正彰論考を朝日新聞『掲載見送り』の裏側──『心療内科』はマスコミダブー」(浅野健一)を読んでいただきたい。

◆病は気から

さて、一流の書き手ならではの明解な文章で、その秀逸な問題意識は読んでいただくとして、わたし自身が得心したことを述べておこう。

野田さんは心療の診療行為に、一時間半をかけるという。じっくりと患者の話を訊き、鬱症状の因子をさぐりあてる。患者もその因子に気づき、対応できる行動(職場替えなど)で解決するという。鬱病と呼ばれるものの大半は、心理的な因子、環境によるものなのだ。薬で治ると考える医師たちによって、患者は薬漬けの「ジャンキー」にされるのだと。

『紙の爆弾』2022年8月号より

野田さんの記事中には村西とおるさん(映画監督)の薬漬け体験記の抄録があり、とても参考になる。

わたしの場合は鬱ではないが、神経性胃炎みたいな症状が「持病」である。いずれは胃がんで死ぬなと思っているが、症状が出る時はH2ブロッカーのお世話になる。小学校低学年のころ寄宿学校に通っていたことがあり、月曜日の登校日(寄宿学校への出発)の朝になると、行きたくないから胃がキリキリと痛む。母が「じゃあ、今日は休んで明日になさい」で、ピタリと嘘のように胃痛が治るのだった。

長じて仕事の責任がかかってくるようになると、しばしば胃痛に悩まされたが、40代のころに初めて胃カメラを体験。十二指腸潰瘍の痕跡がある(つまり知らないうちに治癒している)ことを告げられた。薬によるピロリ菌の除去をへて安堵したが、しかし十二指腸潰瘍は再発した。

ちょうど「情況」の編集長を引き受け、某元総理大臣(こう書けば誰だかわかる)のインタビューの前日のことだった。その前日には東大阪に某元政治家の大物弁護士(こう書けば誰だかわかる)の親族の取材をして、河内方面の人々の手荒い歓迎(大きな声、タバコと酒)で神経が参っていたのかもしれない。ようするに、やや苦痛な取材だったのだ。

診察の結果、すぐに入院ということになったわけだが、そこで医師と論争をするという、とんでも患者を演じてしまったものだ。明日は大事な仕事があるので、入院なんて絶対にできない、というわけだ。

前日までの疲労、翌日のコーディネーターとしての責任感から、十二指腸が出血していることが判明。抵抗むなしく、人生で初めての入院となったものだ。入院生活4日で味気ない食事とはお別れしたが、やがて収入の半分近くが年金生活となり、編集長も辞した安穏な現在も、ときどきその気が訪れる。

論争や創造的なことだとアドレナリンが出て活力を感じるし、遠距離のサイクリングでβエンドルフィン(快楽物質)を体感することはあるが、嫌なことや大儀なことを前にすると──。今後は野田さんの記事を参考に、自分との対話をくり返しながら、おだやかに生きていこうと思うこのごろだ。

◆台湾有事について

5月号につづいて、天木直人さんと木村三浩さんの対談が掲載されている。「台湾有事の米国戦略と沖縄の可能性」である。ウクライナ戦争の原因については、両氏と意見を異にするが、熱のこもった対談には元気をいただいた。

お二人によると、沖縄が反戦の声をあげることで東アジアの危機(台湾をめぐる米中戦争、およびそれに巻き込まれる日本)は回避できるというものだ。日本の平和を沖縄に押しつけるような疑問は残るが、それ自体としては慧眼である。沖縄は命を宝として、日米の基地押しつけに耐えてきた。われわれヤマトンチュが、辺野古をはじめとする米軍基地の撤去に何ができるのか。そのことを抜きに沖縄の可能性は問えないであろう。

いっぽうで、ウクライナ戦争が反戦平和一般では解決できないことを、この4カ月余は厳しくも知らしめて来た。かつて日本は朝鮮半島の戦争で焼け太り、いままた台湾危機に逢着しようとしている。外交による解決が最優先であるにしても、戦争は外交が破綻したあとに起きるものであって、勃発した戦争は戦争でしか止められない。

朝鮮戦争のとき、共産党をはじめとする革命勢力は武装闘争で「戦争を内乱へ」(レーニン)を実行し、壊滅的な弾圧をうけた。その方針は、朝鮮動乱で大量の避難民が日本に流れ込む、その混乱と政治危機をとらえて革命情勢を創出するといったものだった。中朝共産主義勢力の、いわゆる「第5列」として内乱を実行する。帝国主義戦争を終局させるのは、社会主義革命しかないと。こうした議論はいまや日本の左翼にはない。

木村さんのように対米自立・自主防衛を唱える場合も、平和一般ではなく国防という問題は避けられない。共産主義のコミューン原則であれば、現在のウクライナが採っているように、18歳以上60歳未満の男性は国内にとどまり、郷土を防衛しなければならない。さて、台湾有事にさいして、われわれは何を議論するべきなのか。テーマは鮮明だが、議論の軸心があやうい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号

核兵器禁止条約、オブザーバー参加もできぬ岸田総理 広島サミット2023の意味があるのか? さとうしゅういち

核兵器禁止条約締約国会議が6月21日~23日オーストリアのウィーンで開催されました。

核兵器をはじめて法的に禁止する核兵器禁止条約。その締約国があつまり、「核抑止」を真っ向から批判するウィーン宣言と行動計画を採択しました。

◆核兵器廃棄や撤去への段取りも策定進む

22日には、核兵器保有国が条約に入るときの「執行猶予」は10年、他国の核兵器を置いている時は90日と定められました。過去、冷戦後に米ロが核兵器を削減していたときのペースを続ければ10年で可能、また、台湾(中華民国)や韓国にアメリカが、キューバに旧ソビエトがおいていた核兵器を撤去した際に90日かからなかったということから計算したものです。このように、核兵器禁止条約を実施するために必要となる「段取り」もどんどん決まっています。

すでに、核兵器禁止条約は66か国が批准しています。近隣で言えばASEAN加盟の東南アジア諸国はお隣のフィリピン(南沙諸島を含めて中国との安全保障上の緊張関係は日本同様ある)を含めてほとんどが批准しています。ドイツ、ノルウェー、オーストラリアといういわゆる西側の国もオブザーバー参加しているのが核兵器禁止条約です。

◆爆心地出身、しかし会議にオブザーバー参加すらしない総理

しかし、かたくなに会議に顔を出すことすら拒否している国があります。情けないことに我が日本です。爆心地の広島1区を選挙区とする岸田総理率いる日本。来年2023年5月後半には広島サミットを開催する予定です。

自民党政府は長年、「核兵器保有国と非核兵器保有国の橋渡しをする」と公約してきました。

そうであるならば、結論は簡単です。いますぐ核兵器禁止条約を批准までできれば理想です。しかし、そこまでいかなくとも、条約にオブザーバー参加すればいいのです。そして、今回の会議に顔を出して、条約をつくった市民や国の意見に耳を傾け、来年のサミットでそれを米英仏の核保有国に伝えればいいではありませんか?このままでは、それこそ、核兵器禁止条約のオブザーバー参加国で、今年のG7議長国でもあるドイツあたりに橋渡しをとられてしまうのではあるますまいか?ただ、今のショルツ首相にはメルケル前首相とちがい、それをやるだけの外交的な力量はないとも思いますが、そんなことを日本人が喜んでいる場合ではありません。

◆米欧主導の世界を平和公園舞台にアピールするだけに? 2023広島サミット

残念ながら、来年の広島サミットがたいした意味があるものにならない。それどころか、一般県民・市民の多くにとっては警備や交通規制で大迷惑するだけになるのは、容易に予想がつきます。せいぜい、首脳が平和公園をめぐって、被爆者の話を聞いて、それで終わり、になりかねない。おそらく、核兵器による威嚇には反対しても、核兵器廃絶をめざすものにはならない。そう筆者には思われて仕方がないのです。

岸田総理は、5月23日、広島でのサミット開催について来日中のバイデン大統領に「おうかがい」を立て、大統領に「裁可」を得ました。そのあと、こう言いました。

「世界が、ウクライナ侵略、大量破壊兵器の使用リスクの高まりという未曽有の危機に直面している中、来年のG7サミットでは、武力侵略も核兵器による脅かしも国際秩序の転覆の試みも断固として拒否するというG7の意思を歴史に残る重みをもって示したいと考えています。

唯一の戦争被爆国である日本の総理大臣として、私は広島ほど平和へのコミットメントを示すのにふさわしい場所はないと考えています。核兵器の惨禍を人類が二度と起こさないとの誓いを世界に示し、バイデン大統領を始め、G7首脳と共に、平和のモニュメントの前で平和と世界秩序と価値観を守るために結束していくことを確認したいと思っています。私は、バイデン大統領にもこうした考え方を伝え、来年のG7サミットを広島で開催し、その成功に向けて共に取り組んでいくことを確認しました。」
参考 https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0523kaiken.html

あくまでも、西側先進国、踏み込んでいえば白人中心(いまは、移民政治家も多いから白人だけとは申しませんがそうはいっても白人中心であることは間違いない)の「西側帝国主義(ロシアは東側元帝国だったと言える)」の国々が平和公園という舞台装置を自分たちの「世界秩序と価値観」を正当化するために使う。平和といっても、あくまでもアメリカにとって都合のよいそれに利用する。そういうことではないでしょうか?

◆NATO招待「名誉白人」扱いで喜んでいる場合ではない!

そう言えば総理は、核兵器禁止条約締約国会議にはいかずに、NATOの首脳会議には招待されて大喜びでした。厳しい言い方をします。白人中心の先進国(踏み込んでいえば帝国主義国)の仲間に入れてもらい、「名誉白人」扱いに喜んでいるだけではないでしょうか?明治時代の「脱亜入欧」から全く進歩がないといっても言い過ぎではありません。戦前の日本はそれで勘違いして調子にのっているうちに、第二次世界大戦で近隣諸国に加害をし、また、ナチスと組んだことで今でも国連の敵国条項適用国になっています。

こうした過去への反省を忘れたスタンスだと、たとえ核兵器廃絶を言っても、かつて日本が加害をしたアジア太平洋の国々から本気度を疑われるでしょうが、まあ、核兵器廃絶に及び腰の現状ではその心配はないでしょう。

東南アジア諸国は上記でご紹介したように核兵器禁止条約に入っています。こうした国々でまとまって、アメリカにも中国にも物申す態勢をつくっています。一方で、日本は白人中心の国々にちやほやされて喜んでいるけれど、近所では浮き気味。それが今の状態ではないでしょうか?核兵器禁止条約という場をいかして、東南アジア諸国とも組んで、東アジア全体の集団的安全保障体制をつくる。それくらいのことをいまこそ、打ち出すべきときではないでしょうか?

たとえば、ロシアが制裁逃れで中国やインドに資源を安く買ってもらい、それで、日本が経済的に劣勢になったとしても、欧州の国なんて自分たちのことで精いっぱいで助けてくれませんよ?地理的に利害を共有している東南アジア諸国と核兵器禁止条約というツールをいかして連携を強化するほうがいいと思うのですが。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の脱原発季刊誌 『季節』2022年夏号(『NO NUKES voice』改題 通巻32号)

月刊『紙の爆弾』8月号は本日7日発売です! 鹿砦社代表 松岡利康

創刊200号を越えた月刊『紙の爆弾』、今月も7日発売です!

今月号の特にお薦め記事は精神科医の野田正彰先生の記事「大阪診療内科放火事件に思う」です。

これは、みなさん記憶に残る昨年末、大阪北新地の心療内科放火事件について、精神科医・野田正彰先生の記事ですが、元々は朝日新聞のウェブサイト「論座」に掲載予定のところドタキャンになったものです。こういう記事を忖度なく載せるところに『紙の爆弾』のレゾン・デートル(存在理由)があります。ここではさわりだけ掲載しておきますが、ぜひ全7ページをお読みください。

『紙の爆弾』2022年8月号より

また、この事件についていうと、浅野健一さんが『創』で掲載をドタキャンされ、せっかく関係が修復したと思っていたところ、また関係がこじれています。『創』の篠田編集長は、私と同じ歳ですが、なんとも度量の狭い男です。その浅野さんが野田記事掲載ドタキャンの経緯を書かれています。

事件直後、映画監督の村西とおるさんが、非常に刺激的なツイートをし、物議をかもしましたが、実は村西さんも心療内科で薬漬けになり、回復するのに数年かかったことをカミングアウトするや、しだいに鎮火しました。

その他にも力の入った記事が満載です。ぜひ通退勤途中、書店に立ち寄りご購読お願いいたします! 気に入ったら定期購読をお願いするしだいです。

さて、来る〈7月12日〉は何の日かご存知でしょうか? 『紙の爆弾』創刊直後の2005年の7月12日、「名誉毀損」に名を借りて私が逮捕された日です。もう17年になります。7月12日には、このことについて書き記します。

(松岡利康)

7日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号

鈴鹿殺人事件、再審請求の申し立てへ! 尾崎美代子

◆不合理すぎる確定審判決

6月30日、三重県津地方裁判所に、鈴鹿殺人事件の再審請求が申し立てられた。再審請求を申し立てた加藤映次さんは、2012年11月13日、鈴鹿市山本町の会社役員Тさん(当時39歳)を殺害したとして逮捕・起訴され、一貫して否認したものの、2018年、懲役17年の刑が確定、現在千葉刑務所に服役中だ。

2018年、懲役17年の刑が確定。現在は千葉刑務所に服役中の加藤映次さん

加藤さんは、事件当日Тさんの事務所兼自宅を訪れていた。Тさんに貸した金を返済してもらうためで、事前に電話で確認していたものの返して貰えず、わずか10分ほどで部屋から退出、11時5分には鈴鹿インターから高速に入ったことが確認されている。その後、当時付き合っていた女性Mさんと買い物などをし、夕方5時には名古屋駅前の会社で面談を行っていた。ちょうどその頃、Тさんの遺体が、同じ敷地内の母屋に住む両親によって発見された。

検察は、加藤さんの退去後から遺体発見時まで、Тさんの部屋に入った者がいないとして、加藤さんが犯人だと断定した。これに対して弁護団は、加藤さん退出後に、Тさんの部屋を訪れていた第三者がいると強く主張、加藤さん退出後の11時40分頃、ТさんのiPhoneに送信された「あ」と書かれたショートメール(以降「あ」メール)が既読になっていたからだ。操作したのが生存していたТさんか、第三者かはわからない。これに対して検察は、現場に入った捜査官が誤って触ったと主張していた。

加藤さん逮捕の決め手とされたのは、施錠されていたТさんの部屋の鍵が、翌日、加藤さんの車からみつかったからだった。鍵はすぐ見つかりそうな助手席の下にあったが、発見までに3時間も要し、しかも前日Mさんが買った鋏の入っていたプラスチックケースにちり紙に包まれ形で入っていた。 

ほかにも、Тさんは頭部を10ケ所以上殴打され殺害されているのに、加藤さんの車内などから血痕や血液反応が一切ないこと、Mさんが加藤氏に頼まれ、スーツの捨てたとする供述の信用性、凶器とされたモンキレンチの購入代金を、経費を落とすためレシートを残しているなど、検察が加藤さんを犯人と断定する証拠には、不合理・不自然な点が多すぎた。

◆加藤さんが犯人でない証拠が次々と明らかに

6月30日、申し立てを終えた弁護団が名古屋市内で記者会見を行い、弁護団長の井戸弁護士から申し立ての内容が下記の通り説明された。

6月30日、三重県津地裁に再審請求を申し立てた鈴鹿殺人事件、夕方名古屋市内で記者会見が行われた

※         ※           ※

この事件の特徴は本人の自白、直接証拠もなく、間接事実の積み上げで加藤さんが有罪とされた。関節証拠のアは、加藤さんの車両からみつかったТ氏の部屋の鍵で、犯人が被害者宅を施錠し、その7~8時間後、両親が遺体を発見するまで、誰もそこに立ち入ってないとのストーリーから、加藤さんを犯人と決めつける証拠としていた。

イは、凶器がモンキレンチとされ、それを犯行で使った加藤さんの手にケガ(色の変化)がついていたこと、ウは、加藤さんに当日来ていたスーツを捨てるよう指示されたというMの供述、エは、殺害の動機があったということ、オは、その日、加藤さんがТさんの部屋を訪ねていることだ。これらのうち、とくにア、イ、ウの3つの関節事実を潰していくために、弁護団は1~20の新証拠を提出した。

支援を呼びかける加藤映次さんのご両親

特に重要と考えているのはline株式会社からの回答です。当日、加藤さんはТ氏宅を遅くとも午前11時には退出した。被害者の遺体が発見されたのは5時半から6時の間で、翌日の捜査で、3時27分、被害者の遺体の脇にある本人のiPhoneが見つかった。それを解析すると、事件当日の4時37分に、lineのスタンプがダウンロードされていたことが判明。弁護団はLINE株式会社に、スタンプのダウンロードがどのような方法でできるのかを問い合わせた。結果、iPhoneを直接操作したとしか考えられないことがわかった。つまり、4時37分に誰かが遺体のすぐそばにいたということであり、この事実から、加藤さん退去から遺体発見までの間、誰も部屋に入った者はいなかったという検察のストーリーが根底から覆されることになる。

上記の端末を直接操作する以外の方法として、「iosのroot権限を奪取してファイルを直接設置する方法」があるとLINE株式会社は指摘する。しかし、これは普通の人では操作は難しく、「iPhoneマニア」や「ITリテラシーが高いエンジニア」など特殊な人にしかできないとの回答だった。Т氏が「iPhoneマニア」や「ITリテラシーが高いエンジニア」であったとする証拠は皆無である。

従ってこのスタンプのダウンロードは、4時37分にiPhoneを直接誰かが操作しておこなったと考えるしかない。その人物は加藤さんではない。加藤さんは5時には名古屋駅前の事務所にいたから、4時37分に鈴鹿にいることは不可能だ。被害者本人である可能性は、死亡推定時刻の関係から可能性は乏しい。

つまりiPhoneを操作したのは第三者である可能性が高い。その第三者は、Т氏の死亡の事実を知りながら、何故警察に通報しなかったかと考えると、その第三者自身が殺人犯であるか、少なくとも殺人犯とつながりのある人物だという蓋然性を伺わせる。

最後にドアを施錠したのは、その第三者(申立書では「X」)の可能性が高い。鍵は5本セットで、1本は両親、3本は被害者が持っており、残りの1本が加藤さんの車両から発見された。Xが最後に施錠するために用いた鍵が、翌日午後11時過ぎに加藤さんの車両内から発見されたということになる。誰がどのようにして行ったかは謎だが、重要な事実だ。

前述したように、弁護団は確定審段階で、加藤さんがТ氏宅を立ち去ってから、遺体発見までの間に、Т氏宅に立ち寄った人がいるのではないかと訴えてきたが、当時の裁判所はそれを認めなかった。しかし、今回のLINE株式会社の回答を得たうえで弁護団が調査した結果、それは争いのない事実となった。

獄友仲間の西山美香さんと、桜井昌司さん。西山さんは、午前中、自身の国賠訴訟の期日を終え、滋賀県から駆け付けた

また、検察は凶器をモンキレンチとしているが、吉田謙一東大名誉教授の鑑定書から、モンキレンチでないことが明らかにされた。モンキレンチは先に近い部が大きく加速度がつきやすく、打撲による破壊力が大きく、頭部に当たった場合、必ず陥没骨折が生ずるが、Тさんの頭部には陥没骨折は生じていないからだ。さらに、Mの「加藤氏に頼まれ、スーツを岬水辺公園のゴミ箱に捨てた」旨の供述も、豊明市長の「当時、公園にゴミ箱がなかった」との回答書から嘘だと判明した。

しかし、鍵については大きな謎が残っている。加藤さんが逮捕された日の10時15分、警察が加藤さん宅にあった車をレッカー移動する前、外から車内を写した写真がある。テッシュに包まれた鍵がタグなどと一緒に入れられている小さなケースがある。さらに、同日午後11時53分、鍵の入ったそのケースが助手席下から発見された際撮られた写真がある。2つの写真との間にどのような変化があったか鑑定したところ、ケースから中身が一度取り出された後、再びケース内に戻された可能性が極めて高いことがわかった。

Xが、事件当日の4時37分以降、Т氏の部屋の鍵をかけ、翌日の午後11時53分までの間に、なんらかの形でその鍵を加藤さんの車に置いたとしか考えられない。そもそも凶器とされるモンキレンチ、犯行時に来ていたスーツについては、証拠隠滅のために廃棄しているにもかかわらず、それ以上に犯人性を疑わせる被害者宅の鍵を持ち続けていたことはあまりに不自然だ。廃棄する時間・場所もいくらでもあったのに。

実は、暴力団関係者と繋がるТさんの周辺には、彼を恨む人が沢山いたという。しかし、警察は鍵が見つかったということで加藤さんを犯人ときめつけた。この事件については様々な闇があり、可能な限り解明したいが、他方で解明されなくても加藤さんを犯人とすることに合理的な疑いが残る以上、加藤さんに対しては速やかに再審開始が決定されなくてはならない。加藤さんの無実を晴らすために、検察はすべての証拠を明らかにすべきだ。

※         ※           ※

井戸弁護士の説明の後。冤罪被害者仲間の西山美香さん、桜井昌司さんから応援メッセージが、加藤さんのご両親から支援を呼びかける訴えが行われた。質疑応答の後、最後に獄中の加藤さんからのメッセージが代読された。津地裁は一刻も早く再審開始を決め、加藤さんの無実を明らかにすべきだ。

《関連記事》
「息子は殺していない」 鈴鹿殺人事件・冤罪被害者の母親に聞く【前編】
「息子は殺していない」 鈴鹿殺人事件・冤罪被害者の母親に聞く【後編】

《連絡先》〒496-0862 愛知県津島市城山町1-15
◎鈴鹿殺人事件・加藤映次さんを守る会 加藤元博 http://enzai.main.jp/
◎拘置所ブログ 加藤映次、冤罪と闘ってます、刑務所日記 NOW ! http://eiji-enzai.blog.jp/

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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「不当裁判」認定の高い壁、憲法が提訴権を優先も「禁煙ファシズム」を裏付ける物的証拠の数々、横浜副流煙裁判「反訴」 黒薮哲哉

幸福の科学事件。武富士事件。長野ソーラーパネル設置事件。DHC事件。NHK党事件。わたしの調査に間違いがなければ、これら5件の裁判は、「訴権の濫用」による損害賠償が認められた数少ない判例である。(間違いであれば、指摘してほしい)

「訴権の濫用」とは、不当裁判のことである。スラップという言葉で表現されることも多いが、スラップの厳密な意味は、「公的参加に対する戦略的な訴訟」(Strategic Lawsuit Against Public Participation)で、俗にいう不当訴訟とは若干ニュアンスが異なる場合もある。

それはともかくとして、日本では不当裁判を裁判所に認定させることはかなり難しい。日本国憲法が、裁判を受ける権利を優先しているからだ。第32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と提訴権を保証している。

 
藤井家の近くにある自然発生的にできた「喫煙場」

◆前訴までの経緯

今、この司法の高い壁に挑戦している人がいる。横浜副流煙事件の加害者として法廷に立たされた藤井将登さんである。前訴で原告の訴えが棄却された後、前訴は不当裁判だったとして、前訴の原告らに損害賠償を求める裁判を起こしたのである。今年3月のことだ。請求額は約1000万円。前訴を基にした「反訴」にほかならない。

妻の敦子さんも原告として将登さんに加わった。非喫煙者であるにもかかわらず、娘と共にヘビースモーカー呼ばわりされたからだ。

事件の発端は、煙草の副流煙をめぐるトラブルである。将登さんが自宅で吸っていた煙草の副流煙が原因で、「受動喫煙症」になったとして、同じマンションの斜め上に住むA家の3人が2017年11月に提訴した。請求額は約4500万円だった。しかし、訴えは棄却された。原告の全面敗訴だった。

前訴の中で、3人の診断書を交付した日本禁煙学会の作田学医師の医療行為が問題になった。A娘を診察せずに診断書を交付していたのだ。実際、前訴の判決は、作田医師による医師法20条違反を認定した。後に、作田医師は刑事告発され、横浜地検へ書類送検された。

こうした事情もあって、藤井夫妻は「反訴」の被告に作田医師も加えた。

◆不当裁判の法理

過去の判例によると、裁判所に「訴権の濫用」を認定させるためには、まず前訴の提訴に事実的根拠がなかったことを立証しなければならない。この点について、藤井さん夫妻のケースでは、判決がそれを認定している。

しかし、それだけで訴権の濫用が認められるかけではない。前訴の提起に事実的根拠がないことをA家の3人が知り得た事情を、藤井さんの側が立証しなければならない。相手の内面を客観的な事実で解明する必要がある。

このあたりの法理について、最高裁は次のような基準を示している。

「訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」(判例=昭和63年[1988年]1月26日)
 
これが訴権の濫用を認定させる裁判の法理なのである。過去に認定された例が極端に少ないゆえんにほかならない。

◆A夫の陳述書や日誌が裏付ける事実

しかし、藤井夫妻のケースでは、元原告が訴訟提起自体に無理があること認識していた可能性を示す有力な物的証拠がある。たとえばA夫に喫煙歴があった事実を裏付ける書面の存在である。それは前訴でA夫が提出した陳述書である。

「私は、タバコを吸っていた頃は、妻子から、室内での喫煙は、一切、厳禁されていましたので、ベランダで喫煙する時もありましたが、殆どは、近くの公園のベンチ、散歩途中、コンビニの喫煙所などで喫煙し、可能か限り、人に配慮して吸っておりました」

前訴原告が煙草を吸っていたことを自ら認めた陳述書

副流煙の発生源として将登さんの責任を問うていながら、実はA夫自身がスモーカーだったのだ。当然、家族もそれを知っていたと考えるのが理にかなう。実際、引用した陳述書の中で、A夫はA妻から喫煙を注意されたと告白している。

A夫の禁煙歴が発覚したのは偶然だった。この裁判を取材していたわたしが、A家の弁護士を取材したところ、A夫の喫煙歴を認めたのだ。その後、A夫みずからが陳述書(上記)でそれを告白したのである。喫煙歴を隠していたことが、裁判に不利に作用することを見越して取った措置だと思われる。作田医師に対しても、A夫は自らの喫煙歴を告げていなかった。

また、前訴の本人尋問を通じて、A夫の喫煙歴が約25年に及ぶことも分かった。提訴の直前まで吸っていたという目撃証言もある。

 
前訴までの経緯は、『禁煙ファシズム』(黒薮哲哉著、鹿砦社)に詳しい

さらにA夫が前訴で裁判所に提出した日誌(約3年分)も、前訴に事実的根拠がないことを家族3人が認識していた物的な証拠になりそうだ。この日誌には、将登さんが自宅に不在のときに、煙草の臭いがするという記述が少なくとも38箇所ある。その一部を引用してみよう。

「午後4時将登氏、車で外出する。しかし、いつもの臭いの煙草臭入ってくる。風、B、藤井から千葉方向に流れている。(リボンで確認)」(平成30年7月20日)

「8時30分、将登車なし、将登不在のようだ。しかし花のような臭いのタバコ相変わらず入ってくる、独特の臭い、国産のとげとげしたタバコではない」(平成30年8月8日)

「朝9時位から将登の車なし、しかし、甘酸っぱいお香の様な臭いがする。将登不在でも藤井家でタバコを喫っている人がいる。風は西から東へ相変わらず吹いている。」(令和元年11月23日)

つまり将登さんとは別の人物が煙草を吸っていることを認識していながら、将登さんに対して損害賠償を求めたのである。

ちなみに敦子さんと娘さんは非喫煙者である。前訴の被告ではない。4500万円の請求は、将登さんに対してのみ行われたのである。

他にも将登さんを被告とした提訴に根拠がないことを立証する証拠は複数ある。

◆司法制度改革の失敗

小泉元首相を長とする司法制度改革が始まった後、些細なことで訴訟を提起する風潮が広がった。それはますますエスカレートしている。IWJの岩上安身氏や水道橋博士もこうした時代の波に巻き込まれた。

被告にされた側は、提訴により有形無形のストレスにさらされる。精神的にも経済的にも損害を被る。

こんな時代、軽々しい提訴を防止する意味でも、藤井夫妻の「反訴」は重要なプロセスなのである。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』