あまりにも卑怯! 自分の保身・お友だち利権を担保する法改正 検察官定年延長法は、安倍を退陣させられない自民党の凋落をまねく 横山茂彦

これほど法案反対が国民的な運動になったのは、いつ以来だろうか。いうまでもなく、検察定年延期法案(検察庁法改正)に対する批判である。

ネット上では法案反対の声が1000万ツイートにもおよび、安倍政権への国民の怒りを象徴している。小泉今日子や東ちづるなど、国民的人気の芸能人が反対を訴えることで、コロナ不作為とはまた別の意味で、安倍政権の致命傷となりそうな気配だ。政府は強行採決も辞さない構えだが、そのことが「消えた年金」以来の自民党凋落の予兆となることを、ここに指摘しておこう。

とくに安倍政権にというよりも、官房長・事務次官時代をつうじて、政権一般に協調的・親和的といわれる黒川弘務検事長の定年延長(閣議決定)を、安倍総理はさりげなくやったつもりだった。森友・加計・桜を見る会という具合に、総理自身の利益供与、公職選挙法違反という刑事訴追の可能性も浮上してくる中、おそらく軽い気持ちでやったのではないか。じっさい、市民運動家や弁護士による安倍総理刑事告発が、複数回にわたって官邸を悩ませてきた。


◎[参考動画]東京高検のトップに黒川弘務氏が就任 抱負語る(ANNnewsCH 2019年1月21日)

◆あまりにも卑怯

しかしそれは、卑怯な戦術として国民の目に映った。国民の目には、官邸が訴追を怖れるあまり、三権分立を侵す検察官の人事権を掌握する挙に出たと映ったのは、あまりにも当然のことだった。

黒川検事の定年延長をきめた閣議が法的担保のない、行政行為(法解釈の変更)であるのとは違って、停年延長法は検察に対する官邸の優位を決定づける。もはや形式的な任命権。すなわち検察官を内閣の指名により天皇が任命するという、法手続きの域を超えてしまうがゆえだ。まさに訴追権を時の政権が掌握するという、ナチス政権ばりの独裁法(全権委任法)である。

それゆえに、松尾邦弘元検事総長は「内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更」することが「フランスの絶対王政を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』という中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない」とまで安倍政権を批判しているのだ。

まさに「今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺(そ)ぐことを意図していると考えられる」(検察定年延長 OB有志意見書)。まさに正鵠をえた批判であろう。定年延長という人事権をもって、政権が検察を支配しようとしているのだ。


◎[参考動画]検察OBが定年延長可能にする検察庁法改正に反対し記者会見(朝日新聞社 2020年5月15日)

◆安倍総理の検察支配は目論見通りにはいかない

検察庁法22条には「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」と定められている。

国家公務員法第81条の3は「その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるとき」は最大3年の勤務延長を認めている。

そして国家公務員法の定年制度には「法律に別段の定めのある場合」は除かれるという規定がある。したがって検察庁法に、この「別段の定め」があるのだから、今回の黒川検事長の定年延長には、そもそも違法の疑いがあった。

国家公務員の定年制度導入を論議した1981年の衆議院内閣委員会においても、政府は「検察官と大学教官につきましては、現在すでに定年が定められております」と、国家公務員法での定年制度に検察官は含まれないと明言しているのだ。

こうした違法の疑いを、停年延長法で乗り切ろうとしたところに、安倍総理の浅はかさが露呈した。

自分の保身のため(桜を見る会における公職選挙法違反)に、あるいはスキャンダルにも等しいお友だち利権(森友・加計)のためにする閣議とそれを担保する法案に、だれが賛意をしめすというのだろうか。

安倍総理のもうひとつの弱点として、いったん言い出したことは曲げない。絶対に誤りは認めない、謝罪をしないというものがある。謝れば負けを認めたことになると、彼の狭隘な政治感性がそうさせるのだ。それゆえに人事権を官邸ににぎられた官僚は政権に「忖度」し、政権も国民的な常識からかけ離れた言動を繰り返してきた。

新型コロナウイルス防疫の遅れや不作為もあり、いまや安倍政権は第一次政権時のような衰亡に晒されている。であるがゆえに、安倍総理が辞任するとともに、刑事訴追されるのではないかという観測が高まっているのだ。すでに河井克行元法務大臣、河井案里参院議員にたいする公選法違反での立件も現実性をおびてきた。そう遠くない時期に、そして自民凋落という情勢の中で、総理が逮捕されるという事態があるかもしれない。すくなくとも安倍総理においては、その危機感故に、「指揮権発動」にもひとしい検察人事に手を染めたのだから。


◎[参考動画]【アベの大嘘】黒川の定年延長は法務省が言い出した事。我々はそれを承認しただけ【隠蔽】(FckAbe 2020年5月16日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』『ホントに効くのかアガリスク』『走って直すガン』『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』『ガンになりにくい食生活』など。

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る

《福島PCR検査続報》福島市が5月19日よりドライブスルー方式PCR検査を導入 とはいえ、検査のハードルは高いまま 民の声新聞 鈴木博喜

場が増えたという意味では一歩前進、しかしPCR検査の〝ハードル〟は高いまま。残念ながら、PCR検査数が一気に増えるという事にはならないようだ。

福島市は19日から、福島県内で初めてドライブスルー方式のPCR検査を導入。14日午前に福島市保健所の駐車場でメディア向けデモンストレーションが行われた。

19日からはマイカーに乗ったままPCR検査を受けられる

福島市は既に今月1日から市内の医療機関にプレハブのPCR専門外来を設置しているが、新たに設置されるPCR専門外来はドライブスルー方式。車に乗ったまま検体が採取される。いずれも設置される病院名は公表されない。マイカーで検査に訪れるのが難しい市民には、屋内型のPCR専門外来を案内される。

これまでは症状の有無などにかかわらず医療機関(帰国者・接触者外来)で検査が実施されていたため、通常診療の合い間を縫って検査をし、1人の検査が終わるとレントゲン室の消毒などが必要になるなど医療機関の負担が大きかったという。今後は、一般クリニックや「帰国者・接触者相談センター」で「感染リスクは高いが軽症」、「早急な治療を必要としない」などと判断された人は2カ所のPCR検査専用外来(一次外来)を案内されるため、ドライブスルー方式では「1人約20分ほどで終了。1日に20検体の採取が可能になる。医師や看護師が慣れて来れば、もう少し速くなるだろう」(中川昭生保健所長)。

公開されたデモンストレーションは、検査が必要と判断された市民がマイカーでPCR検査専用外来を訪れた場面から開始。指定された場所に車が止まると、まず事前に記入された問診票と体調面で変化が無いか看護師が確認する。さらに非接触式の体温計を額に近づけて検温。続いてパルスオキシメータを指先にはさみ、血中酸素飽和度も測る。この際、なるべく対面しないよう留意するという。

看護師から報告を受けた医師が最終的な説明を行い、「スワブ」と呼ばれる長い綿棒を鼻腔の奥に挿入して検体を採取する。鼻の奥まで達したら数秒待ち、ゆっくり回転させながら引き抜く事で検体が得られる。保健所によると、喉より鼻の方が検体を得やすいという。検査結果は後日、文書で伝えられる。医師や看護師は手袋を廃棄し、手や指を消毒した後に新しい手袋を装着する。

ただ、場が増えてもPCR検査の〝ハードル〟が低くなるわけでは無い。福島市保健所総務課の担当者は「希望する市民が全て検査を受けられるようになるわけではありません。そこまで間口を広げてしまったら希望者が殺到してしまうので、やはり医師や保健所が検査の必要性を判断するという流れは今後も変わりません」と説明した。

勝山邦子副所長も「採取する検体数を増やすためです。今まで『帰国者・接触者外来』で午後の時間を使って2人とか枠が少なかったんです。福島市ではそれでも、東京都のように何日も検査を待つような事態にはなっていませんが今後、検査を必要とする人が増えたらギリギリなんです。このPCR検査専用外来が機能すれば、1日で20人くらいの検体を採取出来るようになります」と意義を説明した。

しかし、一方で「検査の〝間口〟が広がるわけではありません」とも。これまで、市内の保育園や大学学生寮で感染者が見つかっても「症状が無く濃厚接触者には該当しない」などの理由で他の園児や学生のPCR検査を積極的には行ってこなかった。その姿勢は変わらないという。「必要だと判断すればPCR検査を行います。検査を希望する市民がいて、じゃあドライブスルーに来てください、とはなりません」。

中川所長も「希望者がPCR検査を受けられるようになるのは…。そういう可能性は出て来るとは思いますが…。あとは採取した検体を調べる側のキャパの問題もありますしね」と話した。現在、福島市保健所では最大で16人分の検体を調べる事が出来る。それを超える場合には民間の検査機関に委託するため、検体数が増える事そのものには特に問題は無いという。

検査の場が増えるのは大いに賛成だが、PCR検査の〝ハードル〟は高いまま。福島市保健所の姿勢には疑問も残る

福島市内では、保育園に通う男児の感染が判明(感染源は同居する父親と思われる)したが、市保健所は保育園の他の園児や保育士などは「濃厚接触者に該当しない」としてPCR検査を実施せず、2週間の健康観察にとどめた。判断の決め手となったのは男児が無症状である事だった。感染が分かった父親(症状あり)の濃厚接触者としてPCR検査を行ったら陽性だった、しかし症状が全く無いので感染させるリスクは低い─そういう判断だった。市保健所にはわが子を通わせる保護者からPCR検査を希望する声も寄せられたが、実施しなかった。結果として、2週間経っても体調を崩した園児や保育士はいなかったという。

また、大学の学生寮に住む大学生の感染も確認されている。この大学生は市内の学習塾で講師のアルバイトをしているが、市保健所は塾側が消毒などの対策を講じている事、個人指導であるうえに生徒は壁を向いて座り講師と対面しないため飛沫を浴びるリスクが低い事などを理由に濃厚接触者には該当しないと判断。PCR検査を行わなかった。学生寮で暮らす大学生も、聴き取りをした結果3人のみ(入寮者は、帰省などで寮を離れている学生も含めて145人)を濃厚接触者に該当すると判断し、そのうち1人だけにPCR検査を実施した(結果は陰性)。PCR検査の〝ハードル〟は非常に高いのが現実だ。

「PCR検査をして陰性と判定されても2週間は健康観察をするので、その意味では検査をしてもしなくても変わらないんですよ」と話す保健所職員もいる。これまで健康観察中に体調が悪化した市民がいないため、一定の成果が出ているとも言える。
しかし、なぜそこまでPCR検査数を抑えようとするのか。いきなり希望する市民全てに検査を実施するのは難しいだろうが、感染が判明した人とかかわりのある人を濃厚接触の有無にかかわらず検査する事は出来るはずだ。せっかく場が出来ても、入り口の段階で抑制してしまうのなら、有効活用される事にならないのではないだろうか。

多くの地元記者が駆け付けたデモンストレーション=福島市保健所

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他

水害被災者も叫ぶ「五輪どころでねえ」 民の声新聞 鈴木博喜

「五輪どころでねえ!」と声をあげているのは原発事故被害者ばかりでは無い。福島県災害対策課のまとめでは、2019年10月に発生した台風19号、21号に伴う水害では県内で37人が亡くなった(直接死、関連死の合計)。住宅の全半壊は、同課が把握しているだけで1万3000棟を上回った。県の災害対策本部は今年3月に解散したが特別警戒配備体制は続いており、被害回復にはまだまだ時間がかかる。

1986年の「8・5水害」に続き甚大な被害が出た郡山市水門町。女性が庭先に置かれた廃棄用コンテナを眺めながらため息をついた。

「うちは3メートルくらい水に浸かったかな。全壊と判定されて、ようやく修繕が始まったと思ったら、床板をはがしたところで作業が止まっているの。直さなきゃいけないのはうちだけじゃ無いし、家の中も乾かさなきゃならないからね。作業員さんも足りないらしいから。それに加えてコロナ騒ぎしてっばい。もう7カ月が過ぎたけど、まだまだこれからなのよ」

コロナ禍が無ければ、3月26日に「Jヴィレッジ」から聖火リレーが始まり、同月28日には郡山市内でも華々しくリレーされる予定だった。それが、新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期。しかし、女性はコロナ禍が無かったとしても五輪どころでは無かったと話す。

水害被災地では住宅の修繕が緒についたばかり。コロナ禍が無くても「五輪どころでは無い」のだ

「夏のお盆くらいまでに作業に取り掛かってくれればいいけれど……。オリンピック? オリンピックなんて全然頭に無いよ。作業員さんがいつから来てくれるのかなって、毎日そればかり考えてる。朝、二階から眺めてさ、あゝ今日も作業員さんの車無いなってがっかりしてるんだよ」

水門町内には、不動産業者の「売地」看板が目立つ。人通りも少なくなった。年度末に家屋解体が行われ、さら地が増えたためだ。

「この家も、あそこの家も帰って来ないのよ。他の土地に移っちゃった。今年だって大水にならないなんて誰にも言い切れないからね」

甚大な被害が出た郡山市水門町では、家屋解体に伴うさら地が増加。「売地」の看板が至る所で目につく

別の女性は町内に立派な自宅を構えていたが、浸水で3月中に取り壊した。前の年に外壁を修繕したばかり。きれいな壁が哀しかった。

「うちは解体は早い方だと思います。さら地にして、同じ土地にまた家を建てるしか無いよねえ。どこかよそに移ると言っても年が年だから…」

女性はわが家を見上げながら今にも泣き出しそうな表情で話した。遠くから見るときれいな家だが、1階部分は水の力で完全に壊れてしまっている。2階は直接の浸水は無かったが、柱の損傷などを考えて取り壊す事に決めたという。

「私もオリンピックどころでは無いと思いますけど、世界の大会だしね。皆さん、今まで一生懸命練習して来て、その成果を出したいというのはしょうがないと思うの。でも、今回のコロナで来年も無理でしょ? 実際には」

女性は選手の心に想いを寄せて言葉を選びながら、東京五輪への複雑な想いを口にした。「8・5水害」を経験し、家庭菜園をやりながら静かな老後を送っていたところに再び大水害。気候が大きく変動する中で、またいつ、大雨による被害に遭ってしまうか分からない。

「雨で再び水が上がらないように、はあ、祈っています。ここで生活して行こうと考えていますから」

女性はそう言うと、家庭菜園に向かって歩き始めた。

JR東北本線・本宮駅周辺も、病院が孤立するなど大きな被害が出た。病院近くの精肉店は今年4月、半年ぶりに営業を再開させた。機械類など全てが水に浸かってしまったため新調した。「きれいになったのは良いけれど、お金の工面が大変で…」と店の女性は表情を曇らせた。

同じ本宮市内のパン店も、4月下旬にようやく営業再開にこぎつけた。再開初日には多くの常連客が駆け付け、パンはほぼ完売した。

「内装から全てやり直しましたし、職人さんも不足していたので時間がかかりました」と経営する女性は笑顔を見せた。水害被災地での職人不足は深刻で、郡山市内では青森や山形など県外から仕事に来ている職人と会った。

女性は、筆者が「オリンピックどころでは無いのではないか」、「五輪に多額の予算を充てるのであれば、水害被災地に分配するべきだ」と水を向けると「そうですよね」とうなずいた。

「補助金の申請をしたんですけど、書類に不備があったとかでまだ支払われていないんです。こういう被害ですから、書類といっても用意出来ないものもありますしね……。揃えるのにも限界があって四苦八苦しています」

本宮市のパン店は営業再開までに半年を要した。まだ振り込まれていない助成金もあるという

JOCも政府も「五輪は中止しない」と強調している。あくまで「1年間の延期」であって、それまでに新型コロナウイルス問題も片付ける算段なのだろう。その動きに呼応するように、福島市役所入り口では五輪までのカウントダウンが再開された。市内の「県営あづま球場」では、野球とソフトボールの試合が行われる事が決まっている。それだけに、他の市町村と比べても力が一段と入っている。市の担当者は「五輪に向けた気運を改めて醸成するために始めました。特に木幡市長の指示ではありませんよ」と話す。

福島県内では、原発事故避難者や県内在住者たちが2月下旬、「Jヴィレッジ」や「県営あづま球場」に集まり「オリンピックどころでねえ」と抗議の声をあげた。今年は原発事故から10年目だが、放射能汚染は続いており、なされるべき被害者救済も不十分だ。それどころか県外避難者の切り捨てが着々と進んでいる。都内の国家公務員宿舎に入居する〝自主避難者〟を追い出す訴訟を福島県が起こしたほどだ。

しかし、「五輪どころでねえ」のは原発事故被害者だけでは無いのだ。水害被災者たちは十分に救済されないまま、時間の経過とコロナ禍で忘れられてしまっている。家屋解体が本格化すれば、災害廃棄物はさらに増す。放射能汚染測定をして県外で燃やされているが、その数値は公表されない。五輪に多額の金を注ぎ込んでいる場合では無い。コロナ禍も含めて、予算は人の生活や生命を守るために分配されるべきなのだ。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他
私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

盛り上がる検察官「定年延長」法案批判、いくつかの的外れな批判 片岡 健

検察官の定年を引き上げたり、内閣や法相の判断で定年を延長できたりする検察庁法改正案に対する批判が凄まじい。そんな中、再燃しているのが、黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題だ。

黒川氏は、本来なら今年2月、検事総長以外の検察官の定年である63歳の誕生日を迎え、検察を去るはずだった。しかし、1月に「検察庁の業務遂行上の必要性」を理由に半年間の定年延長が閣議決定され、これが「政権に近い黒川氏を次の検事総長にするための布石ではないか」と批判されていた。この問題が今、改めて取り沙汰されているわけだ。

しかし、黒川氏の定年延長問題と関連づけた法案に対する批判には、的外れなものも見受けられる。安倍内閣や黒川氏を擁護する気は毛頭ないが、その点を指摘しておきたい。

◆黒川氏の定年延長に法改正は必要ない

異例の定年延長が改めて批判されている黒川弘務東京高検検事長(東京高検のHPより)

法案に対する批判のうち、明らかに的外れなのは、「検察庁法が改正されたら、黒川氏の定年が延長される。そして安倍政権に都合のいい黒川氏が検事総長になってしまう」というたぐいのものだ。検察庁法が改正されようがされまいが、閣議決定された黒川氏の半年間の定年延長がゆらぐことはないからだ。黒川氏が次の検事総長につくために検察庁法を改正する必要もまったくない。

この法案を批判している人たちのうち、野党や大手マスコミ、弁護士などの有識者は、当然、そのことをわかっている。だから、「安倍政権は、政権に近い黒川氏を検事総長にするために検察庁法を改正しようとしている」とは言わず、「安倍政権は、問題のあった黒川氏の定年延長を“事後的に”正当化するために検察庁法を改正しようとしている」などというロジックで批判している。

しかし、このロジックもずいぶん無理がある。今年1月になされた閣議決定に問題があったなら、たとえ法律を変えようと、事後的に正当化されるわけがないからだ。「事後的に正当化される」などというのは、批判のための批判に他ならない。

◆「黒川氏は出世争いに負けていた」は本当か?

この問題をめぐる批判を見ていると、もう1点、的外れだと思える批判がある。それは、黒川氏が定年延長を閣議決定されるまで、次期検事総長の座を争っていた同期の林真琴名古屋高検検事長に「出世争い」で負けていた、というものだ。なぜなら、黒川氏と林氏の経歴を比較すると、黒川氏が出世争いでリードしていたのは明らかだからだ。

検事総長に昇り詰めるまでの出世コースとしては、法務省の刑事局長と事務次官を歴任したのち、法務・検察のナンバー2である東京高検検事長につき、最後に検事総長に就任するのが王道だ。そして2人のうち、先に刑事局長についたのは林氏だったが、その後、黒川氏が先に法務事務次官について逆転し、そのまま東京高検検事長について、検事総長に王手をかけている状態だったのだ。

「黒川氏の定年延長がなければ、林氏が次の検事総長になるはずだった」という見方をしている人たちは、黒川氏が2月に定年を迎えて検察を去っていれば、林氏がその後任として東京高検検事長につき、夏に勇退する稲田検事総長の後釜に座っていたはずだ――という筋書きを描いているようだ。

しかし近年、林氏のように法務事務次官を経ずに検事総長になった者はいない。検察では、組織の不祥事などのために期せずして検事総長に就任した笠間治雄氏ら一部の例外をのぞけば、検事総長に昇り詰めるまでにつく主要ポストはほとんど不動であり、林氏が特例的な扱いをされてまで検事総長につけたかはおおいに疑問だ。

もっとも、黒川氏が林氏に先んじて法務事務次官につき、さらに東京高検検事長へと出世の階段を昇ったことについては、官邸の強い意向がはたらいたと言われている。それ自体は事実の可能性が高そうに筆者も思う。ただ、そうだとしても、黒川氏と林氏の「検事総長レース」は、遅くとも黒川氏が東京高検検事長についた時点で勝負は決していたとみたほうが素直だ。

黒川氏の定年延長の閣議決定や、現在行われようとしている検察庁法の改正については、あちらこちらで指摘されている通り、「政権の都合により検察人事が左右される恐れがある」という問題はたしかに存在するだろう。しかし、的外れな批判をしていると、本質的な問題も見えづらくなるので、注意が必要だ。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

なぜPCR検査を行わないのか? 福島市保健所が検査に消極的な理由 鈴木博喜

新型コロナウイルスの感染拡大防止を目的とした緊急事態宣言の解除に向けて〝終息ムード〟が漂う中、PCR検査を積極的に行わない行政への不満も多い。福島県福島市も市内の保育園や大学学生寮で感染者が見つかりながら、他の園児や入寮生などのPCR検査は「症状が出ていない」として一部を除いて実施していない。なぜPCR検査を行わないのか。福島市保健所の勝山邦子副所長が取材に応じた。

◆なぜ濃厚接触者にあたらないとPCR検査をしないのか

PCR検査に消極的な福島市保健所。無症状だと非濃厚接触者として検査していない

「濃厚接触にあたらないので塾の名前は公表しません。消毒など対策も講じられているし、生徒さんの特定も出来ています。その代わり、感染が分かった大学生に教わっていた生徒さんの健康状況は念のために把握させていただきます。濃厚接触者がいないという意味では保育園のケースと同じです」

陽性判定を受けた大学生(福島市内で家族と同居)は、福島市内の塾で講師のアルバイトをしていた。この大学生と同じ塾で講師のアルバイトをしている友人(大学内の学生寮で生活)を濃厚接触者としてPCR検査を実施したところ陽性だった。しかし、福島市保健所は個人指導である点と対面指導では無い点に着目。2人から指導を受けていた生徒は濃厚接触者には該当しないと判断した。

「お子さんは壁に向かって座り、先生(大学生)は脇から指導する形です。確かに先生と生徒の間にアクリル板が立っているわけではありませんが、対面していないために飛沫を浴びる可能性は大きく下がります。新型コロナウイルスは空気感染するものでは無いですから、同じ部屋にいるからといって感染するものではありません。大事なのは『飛沫』と『接触』です。それらを総合的に判断して濃厚接触者とは判断しませんでした」

なぜ濃厚接触者にあたらないとPCR検査をしないのか。検査を実施し、陰性であればひとつの安心材料になるではないか。しかし、勝山副所長は「無症状であれば健康観察にとどめる」との姿勢を崩さない。

「ひとつは症状が出ていないという事。万が一、症状が出てくれば検査を実施する事もあるかなとは思います。中には無症状で陽性になる方もいますが、症状が無いという事は一般的にはウイルス量が多くないので陰性になる可能性が高いのです。その代わりと言っては何ですが、この大学生から指導を受けていた生徒さんには、念のための健康観察として発熱や咳、味覚障害、倦怠感が生じたら連絡をいただくようにお願いしています。濃厚接触者に準じる形で最終接触日から2週間です。2週間経っても体調に異変が現れない場合は、基本的には安心していただいて良いと思います」

◆「PCR検査は『総合的な判断』で実施しています」

福島市内では、保育園に通う男児の感染も明らかになっている。同居する父親の感染が判明したため濃厚接触者とされ、無症状だったが検査をしたら陽性だと分かった。しかし、他の園児や保育士などは「濃厚接触者には該当しない」として健康観察にとどめ、PCR検査は実施されなかった。木幡浩市長は園児の感染が判明した直後の記者会見で「(保育園は)感染の広がりが懸念される状況ではありません」などと断言。市議からは批判の声があがった。

保育園も学生寮も、結果として集団感染に発展しなければもちろん良い。しかし、今のやり方ではそれはあくまで結果論。まるで〝ギャンブル〟だ。なぜ接触機会の少ない人も含めて積極的にPCR検査を行わないのか。それが安心につながるのではないのか。

大学の学生寮には145人が入寮(帰省などで寮を一時的に離れている学生も含む)しているが、福島市保健所がPCR検査を実施したのは濃厚接触者と判断した3人のうち、症状のあった1人だけ(結果は陰性)。保育園は2週間の健康観察期間が終了。結果として当該園児以外に感染したと思われる子どもは(公式には)いないとして、勝山副所長は胸をなでおろした。だが、県民からは積極的なPCR検査の実施を望む声もある。検査を実施するだけの能力もあるが、勝山副所長は検査に消極的な理由を明言しない。

「無症状の場合は検査をしても……。医師である中川昭生所長の判断で検査をする場合もありますが、症状が無いとなると検査をしても陰性と判定される可能性がかなり高いのです。もちろん可能性であって絶対ではありません。状況によっては必要な場合があると思います。濃厚接触ですね。同じ学生寮で暮らしていても当該学生と全く接点の無い学生は検査をする必要は無いのかなと思います。濃厚接触者だからといって全部検査しているわけではありません。PCR検査は『総合的な判断』で実施しています」

感染が分かった大学生が暮らす学生寮には145人が入寮しているが、PCR検査を実施したのはわずかに1人だけ

とにかく「濃厚接触」。そして「症状の有無」。なぜその定義から抜け出す事が出来ないのか。なぜ検査数を抑えようとするのか。飛沫と接触さえ気を付けていれば、マスクと手洗いさえ入念にしていれば、県境をまたいだ往来をしても問題無い事になってしまう。しかし、勝山副所長も認めているように、どれだけ気を付けていても100%、絶対という事はあり得ない。それでも感染してしまう事は十分にあり得る。だから自粛が呼びかけられ、多くの人がそれに従っている。しかし、PCR検査の実施という話になると、様々な「要件」が顔を出して来てしまう。「ゼロでは無いから健康観察をし、症状が出たら検査をする」と勝山副所長。話を聴けば聴くほど、まるでPCR検査を実施しないための理由を探しているかのようだ。

「保護者の方々の気持ちは理解出来ます」と勝山副所長。しかし、現実にはPCR検査は積極的に実施されず、情報もほとんど明らかにされない。例えば、感染の分かった大学生は「公共交通機関」を利用して寮から学習塾まで通っていたが、それが電車なのかバスなのか。そこは伏せられている。

「言うまでもありませんが、感染した事は責められるべき事ではありません。私だって感染する可能性はあるのですから。でも、これまで会社名など具体的に公表する事によってとても大変な目に遭っているのも事実です。これまで市内の会社が従業員の感染を公表したケースがありましたが、感染した方と接触が無い方も含めて困るような場面もあったようです。ある事無い事を言われたり…。公表してみると困る事があるのも事実なのです」

であればなおさら、徹底してPCR検査をするべきだが、それもなされない。〝ギャンブル〟のような健康観察が続くばかりなのだ。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他
私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

迫る7月都知事選、小池百合子が狙う国政復帰? ポスト安倍をめぐるコロナ政局

◆ポスト安倍をめぐるコロナ対応評価の明暗

「非常時」ともいわれるコロナウイルス防疫のなかで、政治家の資質と能力が試されている。そしてその評価も定まった感がある。

晴れの席での見栄えがよいばかりで、危機管理にからっきし弱いところを露呈した安倍総理。マスコミ露出とともに「都民の母」のごとき存在感をみせる小池百合子都知事。彗星のごとくメディアを席巻し、独自の緊急事態宣言で危機管理能力を発揮してみせた鈴木直道北海道知事。そして、緊急事態解除の「大阪モデル」を提唱し、橋下徹元府知事をして「次期首相候補」と言わしめた吉村洋文大阪府知事。国民的人気は安倍総理をしのぐ石破茂元防衛大臣。かつては赤い自民党員と呼ばれ、いまや総裁選本命の位置を確保しつつある河野太郎。あるいは大宏池会構想のもと、挙党体制で安倍総理からの禅譲が保証されたはずの岸田文雄政調会長。もうひとり、ナンバー2の存在をゆるさない安倍総理との距離を噂されつつも、現実的な次期総理を噂される「令和おじさん」こと菅義偉官房長官。若手では小泉進次郎環境相、女性では根強い人気をほこる野田聖子元総務大臣。れいわ新撰組の躍進だけではなく、野党共闘の繋ぎ目として、あるいは与党との連立すら展望できるほど柔軟性がある山本太郎。

このうち、小泉進次郎は圧倒的な人気にもかかわらず、大臣就任後の経験不足が露呈した。次の次の次、あたりが妥当なところだろう。鈴木道知事や吉村府知事の台頭によって、もはや「過去のひと」という印象も生まれてしまった。

FNN世論調査より

給付金30万円が一律10万円となって、立場をうしなった岸田文雄政調会長。19人しかいない派閥が内輪もめ(徳島1区選出の後藤田正純と衆院比例四国ブロックの福山守が公認争い)の石破茂元防衛大臣も、見識や国民的人気だけではどうにもならないだろう。

関西の一部で待望される橋下元府知事も、総理の線はないだろう。そもそも彼は政治家としての粘り腰、打たれ強さがない、批評の人なのである。ワイドショーのインタビューに答えて「田崎(史郎)さんに批判されるので、政治家をやるのは疲れた」などの告白がその証左だ。批判につよい、象のような皮膚感覚こそが、政治家の必須条件である。ちなみに、FNN世論調査は右記のとおりだ。

◆コロナ禍の首都は都知事選を行えるか?

まず、7月にせまった東京都知事選挙は行なわれるのだろうか。わが国に先んじて感染ピークをクリアし、いまやコロナ以前に復帰した韓国は総選挙を何事もなく実施した。アジアの先進国を自任し、アメリカ流民主主義の模範であるはずの日本の首都が、選挙を行なえないでは面子まるつぶれであろう。

自民党が独自候補をあきらめ、山本太郎が「小池さんには勝てない」と表明したとおり、小池百合子の再選(本人は出馬表明していない)は確実なところだ。注目されるのは、小池知事の国政復帰であろう。彼女の国民的な人気をたよって、自民党が次期総理にかつぐ可能性はないでもない。

10万円一律支給であきらかになったとおり、政局を左右するのは公明党の意向であり、影の総理ともいえる二階俊博幹事長の仕掛けが気になるところだ。政治家は自分でトップを演じるよりも、日陰にいてトップを操るのがいい。「院政」をもって政治を操るのが、平安朝いらいわが国の政治的な伝統である。それをふまえて、いくつかのケーススタディを提示しておこう。

◆岸田文雄の発信力のなさ

自民党総裁でいえば、本命は岸田文雄政調会長である。この人の問題点は、あまりにも乏しい発信力であろう。発信力のなさは存在感と言い換えてもいい。わずかにチラシのような季刊誌(4ページ)があるだけで、その政治主張はほとんど自民党の広報を薄めたような内容だ。これでは首班を取ったとしても、最初の選挙で負けると思う。

そもそも岸田さんが何をやりたい人なのか、わかる人はいないのではないだろうか。そのうえ選挙に強みがないのではどうにもならない。選挙での弱さは、昨年の参院選の地元広島選挙区での敗北(溝手顕正元防災相の落選、秋田・山形・滋賀での敗北)、この4月の静岡衆院補選の投票率の低さで証明された。

考え起こしてほしい。右派的な主張いがい、政策にこれといった中身のなかった安倍総理が、圧倒的な選挙戦での強さを背景に、独裁的な政権運営を行なったことを。政治家の力とは、選挙での強さなのだ。タイミングと布陣の双方から本命すぎるがゆえに、短命な政権で終わると予言しておこう。

◆女性と首長から総理が

自民党の稲田朋美幹事長代行(衆院福井1区)は3月19日、TBSのCS番組において、自分が取り組む女性政策の推進に向けて「党の『おじさん政治』をぶっ壊す」と決意を表明した。男性議員を中心に伝統的価値観を重んじる党の変革を訴える狙いとみられる。 番組ではひとり親の税負担を軽減する「寡婦控除」に未婚の親を加える税制改正を実現したエピソードを紹介した。「若い男性議員、考えが柔軟な人は賛成してくれた」と、女性施策への理解拡大に期待感を示した。安倍総理のお気に入りでもあり、保守系右派の若い男性層、保守系のおばさん層の支持があれば、念願の総理の座も不思議ではなくなる。

最近は存在感こそ希薄だが、条件さえあれば野田聖子の総理登用も不思議ではない。渡米して体外受精で子宮を失いながらも高齢出産したエピソードは、保守リベラル系の支持があれば大化けする。その場合は保革大連立であろう。

前述した小池百合子の国政復帰も、自民凋落による大連立が前提である。思い起こしてみてほしい。小池と細野豪志の「(民主党から)まるごと来てもらうつもりはない」という発言で瓦解するまで、日本の政界は二大政党政治へのギリギリの展開を見せていたことを。最初にふれた山本太郎の政権入りも、反原発を掲げる自民党政治家(河野太郎・小泉進次郎)が首班となった場合である。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る

死刑囚・西口宗宏の獄中絵画が示す「コロナ禍外出自粛は能力伸ばすチャンス」

コロナ騒動により外出自粛を強いられる日々だが、これは自分と向き合い、自分の能力を伸ばすチャンスかもしれない。そのことを教えてくれるのが、全国各地の刑事施設で長期の獄中生活を強いられている受刑者や死刑囚たちだ。

受刑者や死刑囚が獄中でとてつもなく上手な絵を描けるようになったり、精巧な工芸作品を作れるようになったりした例は枚挙にいとまがないが、筆者がこれまで取材した重大事件の犯人たちの中にもそういう例は数多い。その中でもとくに印象深かった西口宗宏という死刑囚のことを紹介したい。

◆絵を描くことを生きる支えに

西口は2011年の11、12月に、大阪府堺市で歯科医夫人・田村武子さん(当時66)と象印マホービン元副社長の尾崎宗秀さん(当時84)を相次いで殺害し、現金や商品券などを奪う事件を起こした。殺害方法はいずれも両手足を拘束したうえ、顔にラップを巻きつけて窒息死させるという惨たらしいもので、昨年2月、最高裁に上告を棄却され、死刑が確定している。

筆者はこの西口が死刑確定まで4年半ほど面会や手紙のやりとりをした。残酷きわまりない殺人事件を起こした西口だが、会ってみると、小柄の弱々しい感じの男で、何も知らなければ、とても殺人犯に見えない人物だった。

「死は怖くないですが、死刑は怖いですね。自死しようと考えたこともありますし、いつも頭に死があります」

面会の際、そう語っていた西口は常に死刑の恐怖に苦しんでいる様子だった。精神的に不安定だからか、あまり食事を食べられず、がんばって食べても吐いてしまうため、顔色がいつも悪かった。

そんな西口が生きる支えにしていたのが、絵を描くことだったのだ。

西口の描いた絵。罪の意識を表現したものと思われる

◆獄中で絵を描き続け、賞をもらうまでに

西口の写経には、いつも絵が添えられていた

西口は獄中で毎日、被害者のために写経と読経をしていたが、写経のやり方は独特で、写経した紙に一緒にイラストを描いていた。元々、漫画好きだったそうなのだが、写経と一緒に描くイラストも漫画のようなタッチで、自分自身が死刑を恐れて苦しむ様子や、別れた妻子を思い出して後悔する様子が表現されていた。

そのうち、西口は経典とは関係なく、絵そのものを描くことに没頭するようになった。描く絵は抽象的な作風のものばかりだったが、写経に添える絵と同様に死刑を恐れたり、罪悪感に苦しんでいたりする自分自身を表現したような作品が多かった。そして絵を描き続けるうち、どんどん腕を上げ、死刑廃止団体が毎年開催している「死刑囚表現展」で賞をもらうまでになった。

「ここでは、絵の具は使えないので、色鉛筆を水で溶かし、絵の具のようにして使っているんです」

面会中、絵の話をする時の西口は楽しそうだった。筆者にくれる手紙やハガキにも毎回、絵が描き添えられていたが、それらはユーモアや温かみの感じられる絵が多かった。西口にとって、絵を描くことは心の支えだったのだろうが、絶対に逃げ出せない獄中で死刑の恐怖や罪の意識に苦しむ日々の中、自分と向き合い続けたことが西口の能力を開花させたことは間違いない。

許されざる罪を犯した西口だが、コロナ騒動により外出自粛を強いられる日々の中、時には自分と向き合ってみることの有効性を教えてくれる実例だとは思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(同)も発売中。

7日発売!月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

天皇制はどこからやって来たのか〈10〉古代女帝論-2 本朝初の女帝・推古天皇

◆仏教・砂鉄・蘇我氏の時代

6世紀(500年代)は仏教が伝来し、他方では砂鉄から鉄器が精製される方法が確立した。いわば文化的な革新と技術の進歩に、社会が大きな衝撃をうけた。現代でいえば、IT革命や素材革命が起きたようなものだ。

そのような活力のある時代に、堅塩媛(推古天皇)は第30代敏達天皇の后となった。この時期、仏教を奉じる蘇我氏と、古神道の家柄である物部氏とのあいだに、政権をめぐる暗闘があったのは周知のとおり。その有力豪族である蘇我馬子の姪・堅塩媛が34歳のときに、敏達天皇が崩御してしまう。用明天皇が帝位を継承するも、これも2年後に亡くなる。

そのかん、蘇我氏と物部氏の抗争が勃発して、勝利した蘇我氏が崇峻帝を擁立した。その崇峻帝も、蘇我氏の手によって弑逆される。崇峻天皇は皇統史上ゆいいつ、暗殺された天皇ということになっているが、真相はよくわからない。背後には蘇我氏の政権運営と、それに反発する帝との確執があったとされる。

蘇我馬子の思惑はおそらく、聡明な厩戸皇子を皇太子に、すなわち聖徳太子にすることにあった。蘇我系の帝をいただき、仏教の保護と外交政策を継続する。そんな狙いが、姪の堅塩媛(推古)を即位せしめたのではないか。推古即位ののちに亡くなってしまう日嗣(ひつぎ)の皇子竹田(推古の実子)はおそらく、馬子にとっての本流ではなかっただろう。

◆なぜ、皇太子厩戸(聖徳太子)は即位しなかったか

蘇我氏のバックアップがある、安定した推古政権のもとで、摂政厩戸皇子はその能力を開花させた。十七条憲法、官位十二階など法令の整備、法隆寺の建立、遣隋使の派遣、『天皇記』『国記』を編纂したのがそれである。

しかしながら、待望された厩戸の即位は実現しなかった。推古30年、皇子は49歳で薨去。

ところで馬子と厩戸の影に隠れてみえる推古帝だが、伯父でもある実力者の馬子が葛城県を望んだ時に、私情をはさまない対応でこれを退けている。

それにしてもなぜ、皇太子厩戸(聖徳太子)は即位しなかったのだろうか。崇峻帝のように暗殺されるのを怖れたのか、あるいは摂政という立場で自由に政権を運営したかったのか。それとも、臣下の合議による政権運営という、律令国家の理想がすでに厩戸の政治構想のなかに胚胎していたのか。

もしかしたら推古こそが、馬子と厩戸を使いわけるように君臨した、実力派の女帝だったのかもしれない。「日本書紀」の推古記は、容姿端麗で身のこなしも乱れがなく美しかった、と伝えている。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など多数。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

《追悼》キックボクシングの最古参、藤本勲会長永眠

また一人、キックボクシングの生き証人が逝ってしまった。

一見怖いイメージも元後輩の向山鉄也選手をからかうお茶目さもあった(1983年2月5日)

キックボクシングの老舗、目黒ジムに長く務め、藤本ジムに移行後、会長を務めて来られた藤本勲会長が5月5日午前3時過ぎに永眠されました。78歳でした。

2年ほど前から体調を崩し、興行にも姿を見せることも少なくなり、昨年12月興行に於いて勇退式を行ない、協会役員から外れ療養することになった藤本勲氏でした。それまでの病状を考え、今年1月31日には目黒区下目黒の藤本ジムも閉鎖されました。

勇退式の日、藤本会長から聞いた病状では過去、腎臓摘出や糖尿病があり、間質性肺炎、肝臓癌の疑いもあり検査中と言われていましたが、肺癌、胆嚢癌も併発していた様子でした。亡くなる一週間前には、ジムを経営する後輩達に電話で「コロナの影響で大変な時期だけどジムは大丈夫か!」と心配する様子だったということです。

こんなセコンド姿が毎週全国に映し出された時代があった。選手は富山勝治(1983年11月12日)

4年前にこのデジタル鹿砦社通信枠で「藤本勲物語、日本キックボクシング半世紀の生き証人」として拾わせて頂き、過去掲載と一部重複しますが、藤本勲氏の本名は藤本洋司。1942年(昭和17年)1月24日山口県生まれ、1967年(昭和42年)2月26日に、テレビ初の放映で同門の木下尊義との日本ヘビー級(三階級制67.5kg超/当時は全日本という名称)王座決定戦で、4ラウンドKO勝利で王座奪取。

後の東洋ヘビー級王座は奪取成らずも、1969年6月、東洋ミドル級(七階級制/正規の72.5kg以下)王座決定戦で、ポンピチット・ソー・サントーン(タイ)に判定勝利し東洋王座奪取。

1970年12月5日がラストファイト。51戦40勝(32KO)11敗の生涯戦績。引退後、キックボクシングの本格的トレーナーと言える第一人者となり、54年に渡り、目黒の聖地で業界を見つめてきた最古参でした。

日本ライト級チャンピオン、飛鳥信也のセコンドに付く藤本トレーナー(1992年6月)

1998年7月、会長となった藤本勲氏は「死ぬまでキックに専念する。でもまたセコンドやりたいね。」と言う本音は、本当に身体が動く限り、癌で10kg痩せても踏ん張って来た様子が伺えます。

石井宏樹に続く2人目のムエタイ殿堂スタジアムチャンピオン誕生は成らなかったが、藤本氏自身がデビュー当時からジム運営に関わり、トレーナー、会長までを経て育てたチャンピオンは50名を上回ります。

元・日本ライト級チャンピオン.飛鳥信也氏の現役時代、担当トレーナーとなったのが藤本勲氏であり、飛鳥氏は、「どんな励ましの言葉よりも藤本会長がセコンドに居るだけで安心感を持って戦えました。そんな人格と経験値を持った人がセコンドに居る、“ジャブ、ロー”しか言わなくても、そこに居るだけで励みになり心強かった。」と語り、そんな言葉は最近の選手からも聞かれます。

WKBA世界スーパーライト級チャンピオン.勝次(=髙橋勝治)は2006年5月、19歳で藤本ジムからデビューし、「藤本勲会長の、身体で語る昔ながらの指導で、試合の時は何よりも気合の入る言葉で“ジャブ、ロー”を繰り返す。それが凄く心強いものでした(フェイスブックより引用)。」と語る。その存在感は他団体興行、他のジムには無い、キックボクシングの初の興行から全てを見て来た偉大な親父風でした。

日本ライト級ランカーだった元木浩二さんは、藤本会長の訃報を知り、「目黒ジム入門当時、偶然にも藤本さんが営業部長を勤めるカステラのナガサキ屋に就職しており、その影響で職場ではより一層皆に可愛がられ、1983年(昭和58年)、伊原ジムに移籍した後も、目黒ジムに遊びに行くと快く迎えてくれて、『ジム終わったら二人で焼肉でも行きませんか?』と誘うと嬉しそうに一緒に行ってくれました。今、僕に優しかった藤本さんの顔が想い浮かび、とても懐かしく、それ以上に哀しく涙が出てしまいます。」と懐かしそうに語っていました。

レフェリー・李昌坤さんの引退式で感謝状を渡した藤本代表(1996年2月)
目黒藤本ジムが改築完成した翌年の藤本会長(2006年1月5日))

改めて振り返るとテレビ放映時代の沢村忠をはじめ、多くの名チャンピオンから新人選手まで、藤本氏のセコンドに付く姿が、脇役ながらも全国に毎週映し出され、長身のメガネを掛けた二枚目のちょっとキザなお兄さん的印象は強い。それは一見怖い印象もありつつ、ジムでもナガサキ屋の店舗でも、ジョーク言っての対面販売が好きで、お茶目なエピソードも多い藤本会長なのでした。

現在、コロナウィルス蔓延問題も懸念される時期でもあり、親族の希望もあって通夜・葬儀告別式は親族のみで行われるということで、コロナ問題が落ち着いた頃、藤本会長を偲ぶ会などを予定されている様子です。昭和のキックボクシング同志といった面々が藤本会長を偲び集まることでしょう。

《取材戦記》

私もテレビで藤本会長の沢村忠、富山勝治など多くの選手のセコンドに付く姿を見て来た一人。1981年に上京して後楽園ホールで見た姿もテレビで見た姿と変わらなかった。

そして友達が目黒ジムに入門した縁で目黒ジムを訪問すると、藤本氏の対応が優しく、後のある日、さほどのお付き合いも無いのに中目黒にあるタイ料理店に誘ってしまうも、あっさりOKしてくれて飛鳥信也さんも連れてやって来られました。元木浩二さんの話にもあるように、誘われれば快くお付き合いしてくれたのは誰に対しても対等に向き合う、そんな人柄が皆に愛される親父さんであったことでしょう。

私もそこから次第に目黒ジムとの付き合いも深くなり、テレビで観た藤本さんと知人で居ることの不思議さと、今日まで選手が感じるセコンドのような存在感がありました。それは昔のことの分からないことがあれば藤本さんに聞けばいいという安心感。もう創生期のことは聴けない。また一人偉大な人が逝ってしまいました。御冥福をお祈り致します。

キックボクシング生誕50周年記念パーティーにて。左は御挨拶に立つ藤本会長。右はTBSで実況を務めた石川顕アナウンサーとの再会(2014年8月10日)
藤本会長勇退式で最後のリング登壇となった(2019年12月8日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

大阪維新が牛耳る大阪府・市のコロナ対策は「やってる感」だけの後手後手! 2007年住民票を強制削除した大阪市役所は、すべての野宿者に10万円を渡せ!

◆コロナウイルスに真っ先に感染したのは、あいりん職安の職員!

窓も締め切り、3密状態だったセンター(仮庁舎)。危険性を指摘され、表で待つように変わった

猛威を振るう新型コロナウイルス禍が、日雇い労働者の町・釜ヶ崎にも様々な悪影響を及ぼしている。地区内のいくつかの炊き出しが中止になり、食事回数が減った人たち、仕事が無くなりドヤを出された人……。今後、職や住まいを失った人、ネットカフェから出された人たちが、釜ヶ崎に多数集まってくるだろうが、そうした野宿者・困窮者の最後のセーフティネットであった「あいりん総合センター」(以下センター)も、昨年4月24日に以降、強制的に閉鎖されたままだ。

大阪維新が牛耳る大阪府政・市政は、吉村知事、松井市長ともどもメディアに出まくり、「やってる感」を演出するが、とりわけ釜ケ崎に関してのコロナ対策は全てにおいて後手後手にまわっている。

厚労省管轄の西成労働福祉センター(南海電鉄高架下に仮移転中)のトイレに石鹸がなかったことについて、「働き人のいいぶん」(行動する働き人発行)で何度も注意され、ようやく置かれるようになったし、同じく労働福祉センターの「特別清掃事業」の輪番紹介時が非常に混雑し「3密」状態だったが、こちらも釜ヶ崎地域合同労組が、チラシや情宣で危険性を訴え続け、ようやく解消されることとなった。

それだけコロナ対策に無頓着、無関心だからか、釜ヶ崎内で最初に感染が確認されたのは、3月末まであいりん職安に勤務していた4人の職員だった。直接ではないにしろ、感染した職員の任務が労働者に対応する業務であったため、感染を労働者に広めた危険性は拭えない。

◆「3密」状態のシェルターの閉鎖し、センターを開けろ!

シェルター内部

大阪府と大阪市は、昨年4月24日、センターから強制的に労働者を排除し閉鎖したが、その代替場所として「広場」(「新萩の森公園」予定地)、NPO釜ヶ崎支援機構の運営する「禁酒の館」「無料休憩所」「シェルター」(夜間一時避難所)、そして「あいりん職安」の待合室などを挙げていいた。

吹きさらしの空き地にテントを建てただけの「広場」は別として、他の施設はコロナウイルス感染拡大の条件となる「3密」状態になるのではと懸念し、釜ヶ崎地域合同労組、釜ヶ崎医療連絡会議、釜ヶ崎センター解放行動らが、これらの施設を閉鎖し、広くて風通しの良い「センターを解放しろ」と要求し続けている。

◆10万円をすべての釜ヶ崎の労働者に渡せ!

前述したように、釜ヶ崎のいくつかの炊き出しが止まったこと、仕事が減ったことで、今日明日食うことにも困る労働者が増えている中、4月28日釜合労や釜ヶ崎公民権運動の仲間が、10万円の「特別定額給付金」について、西成区役所に対策を聞きに行ったところ、「まだ窓口も決まっていない」との返答であった。

今回の10万円給付については、住民票の住所と違う場所に住むDV被害者が、別住所で受け取ることができるようにする、住民基本台帳にも記載がない無戸籍者に対しても自己申告により給付可能となる措置が取られるなど、評価できる措置もとられている。しかし釜ヶ崎においては、更に深刻な問題がある。

そもそも釜ヶ崎などで日雇い労働に従事していた人たちは、長年飯場を渡り歩く者、飯場とドヤを行き来する者、ドヤから日々現金仕事に就く人など様々な就労形態を持っており、決まったアパートなどで住民票を取っている人は少なかった。

また様々な事情で故郷の家族の元を去らざるを得なかった人、連絡を取りづらい人、債務などを抱えて行方をくらました人など住民票が取れない状態に置かれた人も少なくない。

一方で現実の生活では、日雇い労働者の失業保険である「白手帳」、運転免許証や仕事に欠かせない各種免状を取得するために住民票がどうしても必要になってくる。当時はどれだけ長く居住していても、ドヤでは住民票が取れなかったため、困った労働者らが役所などに相談したところ、西成区役所は、便宜的に釜合労が入る解放会館などに住民票を置くことを勧めてきた。そのため解放会館の住所には最高時で5000人を超す人が住民票を置いていたという。

しかしこれらの住民票が2007年、突然強制的に削除された。「居住実態がない」というのか行政側の理由だったが、そもそもそれを承知の上で西成区役所、西成警察署、あいりん職安は「住所がなければ、釜ヶ崎解放会館に行ったら住民票がおけるから、解放会館にいけばいい」と、何十年間も労働者に言い続けてきたのではないのか?

住民票がなければ、給付金の申込書を受け取ることができない。今回も便宜的に解放会館などに住民票を移そうとしようにも、自分を証明するものを全く持っていない人も非常に多い。

ちなみに筆者がセンター周辺に野宿する人たちにマスクを配布しながら、住民票や、自分を証明するものの有無などについて聞き取りを行ったところ、昨年の4月24日、機動隊と国、大阪府の職員により、センターから強制排除された際、センター内に置いたままの荷物を、翌25日に返して貰えなかった男性がいたことがわかった。荷物には危険物取り扱いやクレーンなど、本人を証明する大切な免状が入っていたという。

大阪府は「センターの中に残っているものを返せ」と大きな声を上げた釜合労には、立て看などを返しに来たが、声を上げれない労働者には泣き寝入りを強いるのか。

◆国と行政は、責任持って野宿者に10万円給付金をとれるようにしろ!

総務省は、4月28日付けで「ホームレスなどへの特別定額給付金の周知に関する協力依頼について」との通知を出し、支援団体に対して、住所の認定されにくい野宿者らへの周知、支援を要請した。

しかし、役所は野宿者を強制排除する際には、早朝、夜を問わず、執拗に野宿するテントや小屋を訪ね、氏名や住所などを聞き出しているではないか。2016年花園公園から野宿者を排除した時もそうだったし、今回センター周辺で野宿する人たちのテント、段ボールの前に打ち付けられた「公示書」にも、役所がしつこく聞き出したために、明らかになった野宿者の名前が記されている。

ならば今回も10万円が全ての野宿者、住民票のない人に渡るように最善を尽くせ!勝手に人の住民票を台帳から削除した大阪市役所よ、1人も取り残すなよ!

テント前に打ち付けられた「公示書」には、役人が労働者を騙して聞き出した名前が記されている

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

最新月刊『紙の爆弾』6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他