読者の皆さんもご経験があろうが、疾病や怪我でクリニックや病院にかかっても、最近では病院では「薬」をもらえないことが当たり前になってきた。会計の時に診察費などを払い薬の「処方箋」を受け取り、どこかの薬局へ行き薬を購入しなければならない。

このように医療機関で薬を出さないように医師と薬剤師の分業化を進めることを「医薬分業」と呼ぶらしい。日本薬剤師会のHPには、

「医師は医学の専門家であり、薬物療法を熟知している半面、複数の薬を服用した際の相互作用や用量を増やした際に起こる副作用等の安全性については、薬という化学物質に精通している薬剤師のようには詳しくありません。それでも、目の前の患者さんが複数の病気や症状に悩んでいれば、医師は3剤、4剤と処方する薬を増やして助けようとするのが道理です。また、明治時代の開業医が診察料よりも薬剤料で生業を立てていたことも、過剰投薬と薬害を助長する土壌となりました。医薬分業を廃止し、薬学の専門家である薬剤師が医療の場から消えれば、今日においても、明治時代と同じ状況が起こりえます。

医薬分業はたしかに“二度手間”ですが、その“二度手間”こそが患者さんの安全を守り、最小の薬剤で最大の効果を上げることで、薬剤費の適正化にも役立っているのです」

とあり、日本薬剤師会の方々は「医薬分業」の推進派であるようだ。まあ、病院やクリニックで薬を出せなくなれば、必然的に薬局の需要が高まるのだから薬剤師の方々の職場は増え、歓迎するのは当然だろう。

◆説得力に欠ける推進派による「医薬分業」のメリット

だが、日本薬剤師会に限らず、「医薬分業」を推進する方々の展開する理由は今一つ説得力に欠ける。医薬分業を推進するメリットとされている点は、以下のようである。患者にとっては、

・重複投薬の危険防止になる。
・院外薬局での薬の充分な説明や投薬指導が受けられる。
・薬局を自由に選択できる。
・待合時間が減少する。
・処方内容の開示
・副作用防止

などが改善するという。

だが複数の医療機関にかかっている場合は「医薬分業」が「重複投薬」の抑止には何ら役には立たない。そういった批判をかわすためか薬局で処方箋による薬を購入しようとすると「お薬手帳はお持ちですか」と聞かれる。自身で薬の摂取を管理できない状態の患者さんにとって「お薬手帳」は有効だろうけれども、私は過去にどんな薬をどこで処方されたかなど、いちいち薬局に知られたくはないし、大方の医師は薬を処方するにあたっては既往症や、現在他に飲んでいる薬があるかを聞いた後に処方する薬を決める。

また社会全般に対しても「過剰投与の減少につながる 」と主張する人が多いが、果たして本当だろうか。薬剤師が仮に医師の出した処方箋に「過剰投薬」を発見したところで医師に対して「この投薬はいかがなものか」との質問を投げかけることなど、薬局の経営の観点からも、医師と薬剤師の力関係からも起こりえない空想だ。

都会にはドラックストアを兼ねた処方箋薬局が林立し、それとは別に処方箋のみを扱う薬局も増加している。小さなクリニックの近くで営業する処方箋薬局の薬剤師が「お客さん」であるクリニック医師の意向に異議を申し立てられるだろか。

たしかにミスに近い小さな過誤を発見できる程度の効用はあろうが、「過剰投薬」を防止するといった観点から医師に対して処方箋上に指示された薬を「取り消すように」と進言できる薬剤師(薬局)など構造的に存在できるはずがない。仮に厳密に進言を行えば「うるさい薬局(薬剤師)」として干されてしまうことは間違いないだろう。

また、薬剤師が「薬」のプロであることは間違いないにしても、処方箋薬局に勤務する薬剤師は商いとしての「薬屋」と言う側面も持つ。患者の症状に応じた薬剤の提供は薬剤師の義務だろうが、同時に「薬局として」売り上げを上げていかなえれば経営がおぼつかない。ここに私は「医薬分業」の決定的な矛盾と欺瞞を感じる。

たしかに大病院内でしか薬が処方されないと、診察後にさらに待ち時間が長くなる。そんなケースには処方箋薬局の存在は有難い。しかし病院にかかる患者は怪我や疾病で体の具合を悪くしているのだ。手間は一度で済むにこしたことはない。私のように田舎に暮らしていれば、医院と薬局2箇所を回るのはかなり余計な手間であるし、体への負荷になる。

◆「院外処方」では病院の経費が削減され、患者の薬価負担が増える

しかも、重要なことは「院外処方」を受けると「院内処方」よりも患者の薬価負担が確実に増えることだ。私自身が過去胃の調子が悪く近所のクリニックで診断を受けた際に1種類の薬を眠前に飲むように、と「院外処方」で薬を貰ったことがある。その時薬局でも受け取った「領収書」の内訳は「調剤技術料」191点、「薬学管理料」41点、「薬剤料」240点である。合計点数が472点だから総額は4720円に相当しその内「薬代」は2400円なのだ。この金額のうち自己負担は3割だから私の支払総額は1420円だった。

しかしクリニック内で「院内処方」として薬を出してくれるのであれば、「調薬技術料」や「薬学管理料」は徴収されないから薬代は2400円×0.3となり、720円で済むはずだ。処方される薬の種類や量にもよろうが、私のケースでは「院内処方」と「院外処方」ではほぼ倍の金額を払わなければならなかった。

更に「医薬分業」には重大な落とし穴がある。クリニックや病院は薬を出さなくなるから製薬会社から薬を購入する経費が大幅に削減できるだろうけれども、「処方箋薬局」は原則全国どこの病院で出された処方箋にも4日以内であれば対応しなければならない。内科、外科、皮膚科、眼科、精神科など、基本すべての診療科が出す「処方箋」に対応する在庫を揃えておかなければならないのだ。

小規模の薬局でそれは可能だろうか。不可能だ。実際に処方箋薬局にいっては見たものの、「在庫がありませんので後日お送りします」と言われたことのある読者も少なくないだろう。

総合病院の薬局が担っていた在庫と同等の種類を揃えておかなければならないのが今進んでいる「医薬分業」だ。そんなことが全ての薬局に担える道理がない。

前出の日本薬剤師会によると、

「2012年度の1年間に全国で発行された処方箋の枚数は7億5888万枚にのぼっていますが、医薬分業率は66.1%に達し、完全分業にようやく近づきつつあります」

そうだ。しかし患者の立場ならすれば「医薬分業」の全面実施は迷惑な話であることこの上ない。完全に医療機関と薬局を分離するのではなく、患者が希望する医療機関には薬局機能も残し、「院外処方」を扱う薬局と並存させるというのが現実的かつ、無理のない運用ではないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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今から15年前の2000年5月中旬、東京都大田区のボウリング場周辺などを舞台に「トーヨーボール事件」と呼ばれる凄惨なリンチ殺人事件があった。この事件は新聞やテレビではあまり報じられていないが、ネット民にはご存じの方が少なくないはずだ。あの有名な半グレグループ「関東連合」が起こした事件だからである。

関東連合は2010年にメンバーが歌舞伎俳優の市川海老蔵に暴行した事件により、世間に広く名を知られるようになった。さらに2012年には六本木の「フラワー」というクラブで対立勢力の人物と誤認し、無関係の男性を集団で撲殺する事件を起こし、世間を震撼させた。そして大量の逮捕者を出したこの事件により、壊滅状態に陥ったと伝えられている。

トーヨーボール事件は関東連合が今ほど有名ではなかった頃に起こした事件だが、関東連合が起こした代表的な事件の1つとして語られることが多い。事件内容を簡潔に言うと、対立する暴走族の人間と誤認し、何の関係もない18歳の少年を集団で撲殺したというもので、のちの六本木フラワー事件とよく似ている。おそらく、そんな事件の概略もご存じの方が少なくないだろう。

だが、この事件の凄惨な被害状況の詳細は意外と知られていないのではないか。筆者がそう思うのは、この事件の全容を詳細に報じた記事などを見かけたことがないのに加え、近年発売された関東連合関係者らの著書でもこの事件の犯行状況の詳細はあまり詳しく書かれていないからだ。

かくいう筆者もこの事件の詳細はつい最近まで知らなかったのだが、先日、判例データベース(LEX/DBインターネット)で、被害者の父母がリンチ殺人を敢行した関東連合関係者11人を相手取り、損害賠償などを求めた訴訟の判決が見つかった。東京地裁民事第33部(浜秀樹裁判長)は2005年7月25日、被告の11人に対し、被害者の父に約2067万円、被害者の母に約1716万円を支払うことなどを命じているのだが、その判決で認定されたトーヨーボール事件の詳細な事実関係をここに紹介しよう。

◆抗争相手と誤認し、20数人で襲撃

被告の11人をはじめとする関東連合の関係者や交遊者総勢20数人(以下、被告ら)は2000年5月13日午前0時10分頃、当時抗争中だった暴走族組織「全日本狂走連盟」(以下、全狂連)の関係者らを報復目的で襲撃すべく、5台の車などに分乗してトーヨーボール付近に赴いた。そのあたりの路上で友人らと談笑していた被害者のAさんを全狂連の関係者と誤認し、襲撃しようとしたのである。ちなみにAさんは全狂連以外の暴走族とも何の関係もなく、食品販売会社の社員として働いていた18歳の健康な少年(独身)だった。

そして午前1時15分頃、被告らは金属バットなどの凶器を持ってAさんが乗っていた停車中の車を取り囲む。Aさんは恐怖を感じ、車を急発進させて20メートルほど後退させるが、操作を誤り、ガードレールに車の後部を乗り上げてしまう。そしてAさんの車は走行不能状態に陥った。

被告らはその状況をみて、一斉にAさんの車へ襲いかかる。そして金属バットなどでAさんの車の窓ガラスを叩き割り、ボンネットを乱打するなどした。さらに運転席側のドアをあけ、Aさんを外に引きずり出すと、金属バットでAさんの頭部、背部、腰部を殴打するなどの暴行を繰り返した。

トーヨーボールの目と鼻の先にあった池上警察。そんな場所で凶行は敢行された

◆助けを求める被害者を金属バットで執拗に暴行

さらに被告の一人が「らちれ!」と大声で指示すると、他の被告らがAさんを拉致すべく、自分たちの車に乗せようとした。Aさんは「勘弁してください、やめてください、お願いします、帰してください」と叫んでいたが、被告らはこれを聞き入れず、自分たちの車にAさんを押し込もうとした。そこでAさんはガードレールにしがみついて抵抗したが、被告らはAさんの頸部から背部にかけての身体の枢要部を金属バットで強く殴打するなど、手加減せずに激しい攻撃を加えた。

そのような激しい攻撃を加えられた結果、Aさんはガードレールから離れ、被告らによって車まで連行された。そして被告らは後部座席のドアをあけ、Aさんを車の中に引きずり込もうとしたが、ここでAさんがさらに抵抗する。すると、被告の一人がAさんの左の頬を右手拳で殴り、さらに別の被告がAさんに膝蹴りし、また別の加害者がAさんの後頭部をマグライトで強打した。すると、Aさんの首がガクッとして前倒れの状態となり、抵抗しなくなったため、被告らはAさんを車の中に押し込み、拉致監禁状態にした。

◆意識不明になってもライターであぶり、エアガンで撃つ

そして被告らは犯跡を隠匿し、警察による検挙から逃れるべく、5台の車と2台のオートバイなどに分乗し、Aさんを連れて約15キロ離れた世田谷区の東京都中央卸売市場「世田谷市場」に赴いた。そして市場に着くと、Aさんを車から引きずり下ろし、市場付近の路上に放置した。この時、Aさんはすでに意識を失っていたが、なおも被告らはAさんの前額部を路面に数回打ちつけるなどの暴行を加えた。さらに被告の一人が機関銃のような大型のエアガンで、意識を失っているAさんに対して連射し、プラスチック製の弾丸をAさんの腰に命中させ、Aさんの腹部に赤い斑点が残り、腫れ上がるほどの傷害を負わせた。

その後も被告らはAさんに対し、バケツで水をかけたり、Aさんの身体をライターであぶるなどの暴行を執拗に続けた。そしてAさんが意識不明の重篤な状態に陥っていることを知りながら、Aさんを車の荷台に押し込み、別の場所に放置するために出発。狛江市の東京慈恵会医科大学慈恵第三看護専門学校に到着すると、意識不明になっているAさんを荷台から路上におろし、そのまま放置して逃走した。

Aさんはその後、三鷹市の杏林大学医学部附属病院に搬送され、救急救命措置がとられたが、5月14日午後9時35分頃、一連の傷害に基づく脳挫傷とくも膜下出血により死亡した――。

以上が裁判で認められた事件の全容だ。この事件の概略は知っていても、ここまで凄惨な事件だったことは知らなかった人が意外に多いのではないだろうか。

新聞やテレビの事件報道では、被害者への配慮などから被害状況をあまり詳細に伝えない。それはそれで間違っていないと思うが、このトーヨーボール事件の被害状況の詳細がもっと世に広く知られていれば、のちの六本木フラワー事件が起きなかった可能性もあるのではないか。そんなことを思いつつ、発生から15年の節目に、この事件の凄惨な全容をお伝えしてみた。

トーヨーボールは今はなく、跡地はパチンコ店に

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎献花が絶えない川崎中1殺害事件と対照的すぎる西新宿未解決殺人事件の現場
◎検察庁が現役検事の取調べ中のヘイトスピーチ疑惑を隠蔽か
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑
◎無罪判決を覆すため? 控訴審25回で出てくるのは検察側証人ばかり
◎国松警察庁長官狙撃事件発生20年、今年こそ「真犯人」の悲願は叶うか
◎高まる逆転無罪の期待──上告審も大詰めの広島元アナウンサー冤罪裁判

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7回目を迎える「琉球の風~島から島へ」が5月17日熊本市北区のフードパルで行われた。心配された天候も快晴、会場11時前には約200人が入場を待つ列をなし、熱い一日が始まった。

11時会場から途切れることなく聴取の入場は続く緑が目に心地よい芝の会場はしかし、徐々に温度を上げる。「夏がやって来る」と予想した通り、灼熱の太陽が降り注ぐ真夏並みの熱気が開始1時間半以上前から会場を包んだ。メインステージの横に「図書出版 鹿砦社」と他のスポンサーを圧倒するかのような大きな文字が嫌でも目にはいる。

開演前のメインステージ

開演前、「琉球の風」総合プロデューサーを務める「島唄の大御所」知名定男さん(写真中央)、「かりゆし58」前川真悟さん(右)、松岡利康鹿砦社代表

「いやーあの大きさの鹿砦社看板迫力ありますわ」何人もの方がそう言っていた。鹿砦社関係者は松岡社長、鹿砦社発行物やカレンダーなど数々を手掛ける書家の龍一郎氏以下6名が参加し、販売ブースのテントでこのコンサートの生い立ちを記録した『島唄よ、風になれ!『琉球の風』と東濱弘憲』を販売した。

しかし、幸せと呼ぶべきか、不運と考えるべきか左隣のブースは「オリオンビール」、右隣は泡盛各種を売っている。繰り返すが真夏並みの暑さ。テントの下にいても汗が滲む。「ビールを飲むな」と言われても無理!

松岡社長は3年前に友人に煽られて泡盛を20杯余り煽り、前後不覚でドブに転げて全身血だらけになったことがあるそうで、ペースは慎重だった。

13時定刻通りに「琉球の風」が始まった。司会は玉城満さん(沖縄県会議員)岩清水愛さん(エフエム・クマモト)琉球國祭り太鼓九州支部が会場いっぱいに広がり華やかに舞いながら太鼓を打ち鳴らす。メンバーの7割は女性だから迫力もあるが華やかだ。

ステージに参加ミュージシャンが順番に紹介され全員が並ぶ。いやはや贅沢この上ない光景である。

私の感覚では、もうこの時点でアルコールを受け付ける人の8割は出来上がっていた。ますます強さを増す日差しと次々に登場するミュージシャン。PA(音響)が実にきめ細やかに各ミュージシャンの特徴を活かしている。

そうそうたる出演者の中でもとりわけ近年鹿砦社と縁が深い川畑さおりの演奏が近づくと松岡社長は観客席の前列へ。たぶん泡盛を1杯しか飲んでいないが演奏が始まると踊りがはじける。川畑さおりは喜界島の出身だが、最後は徳之島の闘牛を歌った「ワイド節」。奄美の人たちが一番盛り上がるアップテンポの節に会場前方は総立ち状態だ。

川畑さおりさん

次いで「かりゆし58」が登場すると客席のボルテージは更に上がる。オリオンビールが飛ぶように売れるのを横目に『島唄よ、風になれ!「琉球の風」と東濱弘憲』はゆっくりと捌けていった。もっとも「いかがですか? 貴重な記録ですよ」と声をかけると「持ってるわよ」と答える方が相当数いて既に「琉球の風」ファンの間ではかなり浸透しているようだ(余談ながら「お隣さん価格で2杯目からはまけてくれへん?」と頼んだが「うーん、じゃあ一番おいしいの出しますので」とかわされた。終了後に「売上上がったでしょう」と店長に聞くと「いえいえ大したことありませんよ」、オリオンさん来年は少し色付けてね)。

鹿砦社陣営の一人が熱烈なファンである大島保克が登場すると、彼の姿は見えなくなった。最前列に移動したのだろう。この頃、横からの日差しを浴びながらも最初は無風状態だった会場に「風」が吹き始めた。ステージに建てられた幟が威勢よく舞い出し、我々のブースにもそよ風がやってきた。満を持して「琉球の風」が吹き始めた。

宇崎竜童に続き宮沢和史の登場で酔いと歓声は最高潮に達する。

宇崎竜童さん

宮沢和史さん

新生ネーネーズの皆さん

トリは「ネーネーズ」。昔の「ネーネーズ」を知る人にとっては何代目なのかと驚くほど年齢が若返っている。

最後再び出演者がステージに勢ぞろいしてフィナーレを歌い上げた。

と書いているが、実のところ自分自身分かりきっていたこととはいえ泡盛に首までつかっていたので細かい部分の記憶は曖昧だ。琉球音楽と泡盛で「酔うな」というのは無理な相談です。

ステージ終了後、慰労会(懇親会)にも参加させて頂いた。こんなに沢山のミュージシャンと普通に話をしていいんだろうか……。知名定男さんと乾杯し、「かりゆし58」の芸に声を上げ、宮沢和史と「中年の健康問題」について語り……。いやはや稀有な経験をさせて貰った1日であった。

前後するが、ステージの最後に司会の玉城さんは「また来年『琉球の風』でお会いしましょう」と結んだ。

うん。来年も行こう。関西から新幹線5時間かけて出かける価値が十分な「琉球の風」だった。

来年はあなたとも「琉球の風」でお会いしましょう!

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

熊本日日新聞5月18日朝刊に「琉球の風」が紹介されている(この記者さん熱い中ビール一杯も飲まずに真面目に取材されてました)

 

『島唄よ、風になれ!「琉球の風」と東濱弘憲』

 

「在日特権」は存在する。「在特会」が登場する30年以上前から、「在日特権」を有するこの連中を何とかできないだろうか、と問題視はしてきた。「在日特権」を持つこの集団はしかし、武器の扱いや殺人術を職業的に習得している。「在特会」が行うような、お気楽な「示威行動」で太刀打ちできる相手ではない。しかもその「特権」は日本と米国間で締結された数々の「協定」により公然と認められているからたちが悪い。

私が意味するところの「在日特権」を保持する集団とは、言わずもがな「駐留米軍」のことだ。まかり間違っても「在日韓国・朝鮮人」の方々を指すものではない。

◆緻密に史実を掘り起した「裁かれないヤンキー犯罪天国ニッポン」

今発売中の「紙の爆弾」6月号に佐藤雅彦氏による「裁かれないヤンキー犯罪天国ニッポン」が掲載されている。佐藤氏の論考は常に緻密な歴史事実の掘り起しと、事実の積み重ねにより問題点を浮かび上がらせ私たちに示唆を与えてくれる。この記事は日本と米国の歪(いびつ)な関係、その中で起こった数々の事件を紹介し戦後連綿と続いてきた「日米連盟」の本質を教えてくれる。

沖縄に限ったことではなく、全国各地で「駐留米軍」による犯罪・事件は起きていた。仮に日本人がその犯罪・事件の被疑者であれば確実に重罪に処されることが確実なのだが、「駐留米軍」にはそんな裁きが行われない。ひどい場合は犯罪を犯したものが「名誉除隊」をして、さっさと本国に帰国してしまう。
何故か?

その理由と数々の事例を「裁かれないヤンキー犯罪天国ニッポン」は紹介し問題の本質を解き明かしてくれる。

折しも安倍が「一国の最高責任者が人前で恥ずかしげもなく、よくこんな話が出来るな」と世界中から大笑いを浴びた米国への「忠誠宣言」を米国議会で行った直後だ。

「オール沖縄」の人々が反対する中、辺野古の基地建設は「粛々」と進められようとしている。どうして日本政府はそんなにやっきなのか?

これらを理解するための力強い武器を「裁かれないヤンキー犯罪天国ニッポン」与えてくれる。小学校から大学まで通っても教えてはくれない「駐留米軍」問題の本質を知るのに最も優れた論考だ。

◆「多様な視野」で差別を撃つ「渋谷区マイノリティー政策は誰のためのもの?」

また、一見、問題の性質を異にするように見えるマイノリティー差別問題を焦点にした朴順梨氏による「渋谷区マイノリティー政策は誰のためのもの?」も掲載されている。この2本の論考は意識的に同じ号に掲載された訳ではないのだろうが、実は分かちがたい、同根の問題への異なる視点からのスポットライトと言えよう。

「在日特権」と「差別」。どちらも厄介だが問題を溶解させるためには「現実を知る」ことと「多様な視野」は必須だ。

上記2本の記事は必読! まだ、未読の読者には一刻も早い購入をお勧めする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「テロとの戦い」に出向くほど日本は中東・アフリカ情勢を理解しているのか?
◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」

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5月10日に「プリズム」が製作した舞台公演「心のプリズムvol.Ⅵ~闇をときなす音色~」を観劇した。場所は新宿のシアター・ミラクル。満員だった。

実は、この安奈音々氏がプロディースする劇は、「ダンス」のパフォーマンスが優れているといい意味で評判だったので、気になっていたが、日程が合わず、ようやく5月に観劇できた。

◆実力のある劇団俳優たちの舞台迫力

「演劇」については、もはや実力のある俳優だらけで疑う余地がない。劇団の俳優たちは、厳しい演出家のもと、実に拷問のような訓練を受けている。だからしばしば、劇団の公演のあとにテレビドラマを見ると「こんな学芸会みたいなドラマを本気で流しているのか」と唖然としてしまうことになる。

ちなみに、ストーリーとしては、リーダーが死んで、劇団が存続するか否かの時期に、女優のひとりがガンになるという暗い設定ながら、それを吹き飛ばすがごとく緻密に構成されたミュージカルで、その闇に覆われそうなストーリーの舞台を、音楽や踊りで明転させている。

また、ひとつ見所をあげれば、全員がマイケル・ジャクソンの曲で踊るシーンも、大智そあが社交ダンスを展開するシーンも捨てがたいが、やはり剣舞の迫力だろう。こういってはなんだが、まだ剣舞を楽しめる空間があったのか、というより、「まだ剣舞をしたがる若者がいたのか」というのが正直な感想だ。

千秋楽「プリズム」公演「闇をときなす音色」より

◆劇団には若者たちの熱いエネルギーが満ちている

劇団といえば、「貧しい生活」が代名詞だ。僕は日活芸術学院にいて、シナリオの勉強に明け暮れていた。撮影所の連中とよく一緒に飲食したがとにかく彼ら劇団員は、肉体労働に明け暮れていた。

しかしながら「夢を食べる」がごとく将来に成功するためには、「いつかきっと」ががんばるエネルゲンだ。今もなお劇団員を見るとドキドキする。

劇団員が「果たして…俺はものになるのだろうか」と揺れる心を描いた秀逸な作品は、ドラマでは中村雅俊の『俺たちの祭』で、何回も深夜の再放送で見たが、そう、あれこそが劇団の生活で、飲食すらままならず、友だちの家に転がり込んで「ご飯にしょうゆをかけて食べる」などというのはザラだ。

「若者は我慢が足りない」と言われる。「ゆとり世代」「さとり世代」とも言う。だがこと劇団に限っては、今もなお、若者たちには熱いエネルギーに満ちていると思う。

残念ながら、自分が青春をすごした「日活芸術学院」は、すでに2013年廃校となり、映像コースは城西国際大学に引き継がれることになったようだ。なんと城西大学! 僕は高校が城西大学附属川越高校だから、とても不思議な縁を感じる。

高校時代にも、授業を抜けだして、さまざまな演劇を観にでかけた。そんなことばかりやっているから、成績がいいわけがないのだが、実に楽しい思い出だ。

宇崎竜堂が音楽を担当し、町田義人が歌った「ロックオペラ・サロメ」や坂本龍一が演出した劇も観たが、やはり劇団四季や宝塚は別格で、一度は観てみるべきだと思う。また、実は「オズの魔法使い」も榊原郁恵や早見優や、本田美奈子などが演じてきたが、一度は観るべきだろう。今は宮本亜門が演出しているようだが。

◆筒井康隆や江戸川乱歩の作品は今こそ演劇化すべき

今、昔の演劇の脚本が見直されているという。シェイクスピアや、オスカー・ワイルドや、日本では寺山修二、つかこうへいなども見直されている。「今更なにを言っているんだ、そんなの基礎知識じゃないか」と嘆くなかれ。若者は黒沢明も、小津安二郎も木下恵介も知らない。

今、自分が演劇化すべきと思う作品はたくさんあると思うが、筒井康隆や江戸川乱歩などはどうだろうか。江戸川乱歩などは逝去50年という節目で、タイムリーだ。さまざまなイベントが行われており、旬だと思う。

話をもとに戻せば、どうしてテレビドラマは、演劇のようにリハーサルを重視しないのだろうか。自分もテレビの制作にいたので、ドラマの現場を知っているが、多忙なタレントや歌手も集まっているので簡単に本読みをして、立ち位置を確認して、あとはよろしく、うまく撮ってねというスタイルだ。こんなものが世界に通用していくわけがない。もしも演劇というものを真剣に考えるなら、政府よ! 劇団に補助金を申請させよ。フランスなど優秀な映画監督や舞台監督がいるとなれば「作品に使ってください」と惜しみなく金を投資するではないか。

まあでも、今の若者の演劇を観ていれば、しっかりしているので安心する。自分もいつか、ブロードウェイの芝居を観てみたい。明日の生活すらも保証されない。厳しい競争原理から生まれた演出と演技。そこにはびこるのは日本ならではの「なあなあの芸能界」の風習とかけ離れた、「磨かれた実力」によるスキルが演技に反映された芸術空間にちがいないのだから。

「心のプリズムVOl6.闇をときなす音色」

(小林俊之)

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5月17日、大阪では「都構想」に対する住民投票が実施される。意地でもこれを通そうと橋下は多額の税金を使い「説明会」という名の宣伝活動に没頭している。一方これに反対する勢力は「自民党」・「共産党」の合同街頭演説を敢行するなど文字通り大阪を二分するかのような様相を呈している。

5月10日には自民党と共産党が合同で「大阪都構想」反対の街頭演説を行った

◆「泣きの芝居」を打った橋下を見て野々村竜太郎を思い出す

ここ数日、報道機関の世論調査で不利が伝えられると、とうとう橋下は市民の前で「泣く」芝居まで打ち出した。「維新」を名乗る連中、日頃は糞偉そうにふんぞり返って、「自分たちだけが正義だ!」など聞いているこちらの方が赤面する破廉恥な言葉を平然と使う癖に、状況不利と見るや、相手に対して全く見当違いの罵詈雑言を浴びせたり、質問が聞こえないふりをしたり、終いには泣き出してしまう。

まだご記憶であろう、あの「政務調査費」を不正使用した元兵庫県議の野々村竜太郎の号泣会見。日本語がわからなくても動画の面白さだけで世界中に有名になった彼は「維新」所属ではないけれども、選挙ポスターへ勝手に「維新」と書き入れ当の「維新」からも文句を付けられたそうだが、21世紀に「維新」を錦の御旗にする連中は形勢不利には「泣けば済む」と思い込んでいるらしい。

◆大阪市民は「都構想」を否決し、橋下ファシズムからの脱却を!

大阪市民に訴える。17日の「都構想」への住民投票には絶対に「反対」を投じてほしい。大阪を覆い尽くす気怠いファシズムを払しょくするために是非とも否決が必要だと私は考える。

その理由を一々開陳していると読者も退屈であろうから、分かりやすい参考例を1つだけ挙げる。このコラムで何度も取り上げてきた中原徹という男がいる。こいつは橋下に抜擢され2010年、大阪府立和泉高校に校長として就任した。民間出身で史上最年少とかなりの注目を浴びたのだが、中原が行ったことは学校行事の際に教師が「君が代」をしっかり歌っているかどうか口元を調査すること(この行為に対して当時の大阪教育長は「そこまでする必要があるのか」と疑問を呈していた)と、「平和教育」の名の下に生徒を自衛隊へ連れて行き、実質上の「体験入隊」まがいのことをしただけだ。

だが、中原のような人間は橋下が牽引する「維新」では重宝されるらしく、中原は和泉高校校長から2013年6月大阪府教育長に抜擢されている。教育現場も生徒も無視した情実人事が良い結果を招くはずはないのは簡単に予想できることだ。私が指弾し続けていた中原は「パワハラ」を行っていたと今年3月認定された。醜くも中原は抗弁するも結果辞職に追い込まれた。

中原徹

◆パワハラ騒動で府教育長を辞職した橋下の手下、中原徹はセガサミー役員に就任

これで中原が表舞台から身を引いてボランティア活動などで「罪償い」をしていれば私も追撃はしなかったのだが、あろうことか中原は5月1日付でセガサミーホールディングス社(以下「セガサミー」)の上席執行役員に就任している。

この会社の名前を聞いても業務内容が俄かに思いつく読者は少ないだろうが、「セガサミー」は主としてパチンコ・パチスロ台やゲームを造っている会社であり、先般決定された大阪でのカジノ運営の主導権争いの渦中の会社である。カジノでは桁違いの金が動くからその主導権争いは海外勢も含めて熾烈を極めている。

しかし、所詮は「ギャンブル」である。府立高校の校長や府教育長をパワハラで辞めた人間が即座に再就職する先としては余りにも不整合ではないか。校長として「皆さんギャンブルをしましょう!」と朝礼で訓示していたのだろうか。

2010年10月28日当時知事だった橋下は「カジノの合法化をめざす国会議員らを招いた『ギャンブリング*ゲーミング学会』(2013年9月よりIR*ゲーミング学会に名称を変更)の大会に出席し、『ギャンブルを遠ざける故、坊ちゃんの国になった。小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください』と議員らにカジノ合法化を求めた」(2010年10月28日付朝日新聞)ことをご記憶の読者はいるだろうか。

成人にも例外を除き禁じられているギャンブルを「小さいころからギャンブルをしっかり積み重ね」と、常軌を逸した発言をしていたのが橋下なのであるが、当時は橋下の賞賛をすれば雑誌が売れる、テレビの視聴率が上がるという時代だったためか、これを問題視した報道や声はかき消されていたように思う。狂気とはこのような状態を指す。

◆耐え難いほど姑息すぎる橋下、中原の言動・行動・身の振り方

橋下も中原も法律を熟知した弁護士である。しかし彼らは法律を「自分にとって都合のよいように」使う術に長けているだけであり、本物の法律専門家とは言い難い。しかもその人間性の醜さは中原の身の振り方が示している。民間弁護士→府立高校校長→府教育長→ギャンブル会社役員との遍歴はおかしくはないか。

橋下や中原の頭の中にあるのは、その周辺をどんな言葉で言い繕おうとも決して社会正義や長期的な視野に立脚した地方自治体の在り方などではなく、「当座、目の前にある利益の確保」だけである。それが失敗すれば自分の判断間違いではなく、状況や他人に責任を転嫁する。

姑息だ。

耐え難いほど姑息だ。

もうこんな連中に騙されてはいけない。同じ心象を持つ安倍という災いが首相の座に居座る不幸の相似形と言ってしまえばそうなのだが、ここまで剥き出しの悪意にはもう退場してもらわなければならない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
セガサミー会長宅銃撃事件で囁かれる安倍自民「カジノ利権」日米闇社会抗争
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「テロとの戦い」に出向くほど日本は中東・アフリカ情勢を理解しているのか?
◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」

自粛しない、潰されない──月刊『紙の爆弾』!

 

 

『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社2014年5月13日刊)

拙著『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』(鹿砦社)を出版してから、1年が経つが、今ひとつ私の主張が伝わっていないところもあると思うので、ここで補足説明をしたいと思う。

まず、副題にある「芸能界独占禁止法違反」が理解されていないのではないだろうか。

そもそも独占禁止法は、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」という正式名称となっていて、独占禁止法を運用する公正取引委員会のホームページによれば、その目的は「公正かつ自由な競争を促進し,事業者が自主的な判断で自由に活動できるようにすることです」という。

具体的に簡単に述べると、独占禁止法は、事業者に対し、「私的独占」「不当な取引制限」「不公正な取引方法」を禁じている。

◆プロダクション間でのタレント引き抜きを音事協が禁じているのは独禁法違反

独占禁止法の観点から私が芸能界で問題だと考えているのは、大手芸能プロダクションのほとんどが加盟する業界団体である「日本音楽事業者協会(音事協)」が芸能プロダクション間のタレントの引き抜き(移籍)を禁じていることだ。タレントの引き抜き禁止は、音事協内において現状の固定化を強めることに役だっている。また、対外的には音事協加盟社をより強くすることに繋がる。

というのも、音事協の外では引き抜きは禁じられていないからだ。そのために、音事協加盟の大手プロダクションが音事協非加盟の弱小プロダクションからタレントを引き抜くということがたびたび起きている。音事協費加盟の弱小プロダクションはたとえ有望なタレントを獲得したとしても音事協加盟の大手プロダクションがそのタレントの獲得に動くとなすすべもない。

週刊誌の芸能記者は「音事協に加盟できない弱小プロダクションは、いいタレントを発掘できても音事協に引き抜かれておしまい。日本の芸能界は、音事協の有力事務所が動かしている」と言う。音事協には常に優秀な人材が流入し、利益を上げられる仕組みができているのだ。これはタレントの「私的独占」ではないのだろうか?

◆パチンコ機業界の違法「特許」と酷似する音事協加盟社の「タレント」縛り

今の芸能界に似ていると考えられるのが、かつてパチンコ機製造メーカーが作っていた「パテントプール」と呼ばれる仕組みだ。

有力なパチンコ機製造メーカー10社は、パチンコ機に関わる特許権などを「日本遊技機特許運営連盟(日特連)」という会社に集積していたが、新規参入業者に対してはライセンスの許諾を拒否していた。パチンコ機は多数の技術は多数の特許により成り立っているから、特許の許諾を得られなければ製造、販売はできない。事実上、新規参入は排除されていた。既存の業者は、このパテントプールの仕組みにより、市場競争を制限し、共存共栄を図っていたのである。だが、1997年、これを問題視した公正取引委員会は、パチンコ機メーカー10社と日特連に対して、独占禁止法3条前段(私的独占の禁止)を適用して審決が行われ、制限的なライセンス許諾契約の排除措置が行われた。

公正取引委員会によるこの審決は、「パチンコ機特許プール事件」として知られ、独占禁止法に関わるテキストなどでもたびたび引用される重要な事件となっている。

パチンコ機業界における特許を、音事協加盟社が抱えるタレントと見立てると、両者は実に似ている。パチンコ機の特許と違うのは、タレントが「モノを言う商品」であるということだろう。

◆芸能界とメディアの結託が不合理なビジネスモデルを存続させてきた

タレントは労働者であり、所属事務所に不満があれば文句を言う。不満が解消されなければ、事務所を辞めて独立しようとするかもしれない。だが、それを認めれば、芸能界、音事協のビジネスモデルは崩壊してしまう。だから、独立を画策したタレントは「恩を忘れた」などと理屈をつくって業界を挙げて潰しにかかる。このシステムは、1953年に調印された映画界の五社協定以来、長らく続いてきた。

なぜこのような違法で不合理なシステムが続いてきたのだろうか?

まず、メディアが芸能界と歩調を合わせてきたことがある。芸能界は音事協を中心として一致団結し、敵対するメディアに対し、タレントの出演拒否などの手段で対応してきた。メディアは次第に芸能界に飼い慣らされ、批判精神を失い、「芸能界の悪しき因習」の担い手として、独立を画策したタレントに猛バッシングを浴びせるようになっていったのである。

もう1つは、タレントに告発させないという仕組みがある。独立を画策したタレントは、メディアから猛バッシングを浴び、芸能界から干されるが、それは一時的なものだ。そのタレントが反省の意思を示し、1年から数年が経てば復帰を許されるのである。タレントとしては、嵐が過ぎるのを大人しく待っていれば再び芸能活動ができるということを知っていれば、芸能界批判をして問題をこじらせるという選択はしないのである。

これまで芸能界で干されたタレントは星の数ほどいるが、私が知る限り芸能界の不合理さを決定的に告発したケースはただの1つもない。

だが、このシステムも最近になってほころびを見せ始めているのではないかと私は考えている。

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》
◎森進一──「音事協の天敵」と呼ばれた男
◎松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説
◎宮根誠司──バーニングはなぜミヤネ独立を支援したのか?
◎爆笑問題──「たけしを育てた」学会員に騙され独立の紆余曲折

芸能界の歪んだ「仕組み」を綿密に解き明かしたタブーなきノンフィクション『芸能人はなぜ干されるのか?』

 

『週刊文春』(5月7・14日合併号)の記事「能年玲奈 本誌直撃に悲痛な叫び 『私は仕事がしたい』」が大きな波紋を呼んでいる。NHKで2013年に放送された連続テレビ小説『あまちゃん』で主演を務めた国民的アイドル女優、能年玲奈が芸能界で干されているというのだ。

能年といえば、大ヒットした『あまちゃん』以降の2年間で映画2本、スペシャルドラマ1本の出演しかしておらず、芸能界では「出し惜しみ戦略」「仕事を選んでいる」などと言われていたが、実際には所属事務所、レプロエンタテインメントから「態度が悪い」という理由で干されているという。

記事によれば、『あまちゃん』を撮影していた頃の能年の月給は、わずか5万円。睡眠時間は平均3時間というハードスケジュールだったが、レプロはクルマも満足に用意せず、経験の浅い現場マネージャーが失態を繰り返した。

2013年NHK連続ドラマ小説「あまちゃん」公式HPより

◆レプロ側が断り潰えた映画『進撃の巨人』ミカサ役

そうした状況で能年の身の回りの世話を引き受けたのが、能年が高校1年生の頃から演技指導を担当していた滝沢充子だったが、レプロとしては滝沢と関係を深める能年が面白くない。そして、『あまちゃん』がクランクアップした時に『あまちゃん』の公式ホームページに能年の感謝の言葉が掲載されたが、そこには滝沢の名前が記されていた。これが決定的に能年とレプロの関係を悪化させてしまった。

レプロに呼び出された能年は、チーフマネージャーから「玲奈の態度が悪いから、オファーが来ていない。仕事は入れられないよね。事務所を辞めたとしても、やっていけないと思うけどね」「今後は単発の仕事しか入れられない。長期(連続ドラマなど)は入れられない」「『あまちゃん』は視聴率は高かったから評価していますよ。でもお前は態度が悪いし、マネージャーと衝突するからダメだ。事務所に対する態度を改めろ」などと告げられた。

この時点で能年は干されていた。その後、人気漫画『進撃の巨人』の映画化で能年をヒロインのミカサ役に抜擢したいと製作陣は検討していたが、レプロがこれを断った。

これにショックを受けた能年は、レプロに「事務所を辞めたい」と申し出たが、契約書には「事務所の申し出により一度延長できる」という主旨の記載があり、能年とレプロの契約は2016年6月まで延長されることとなった。だが、今年1月には、能年を代表取締役とする「三毛andカリントウ」という会社が設立され、取締役として滝沢が就任していることが発覚し、独立が現実味を帯びてきた。この頃から「能年が滝沢に洗脳されている」という報道が相次ぐようになる。

『週刊文春』の直撃取材に対し、能年は「私は仕事をしてファンの皆さんに見てほしいです。私は仕事がしたいです」と悲痛な叫びを訴えた。

◆事務所に嫌われたタレントはこれまでも不条理なほど干されてきた

『CUT』(2012年10月号)

『週刊文春』の報道に対し、「ブレイクして事務所にとっても稼ぎ頭のはずのタレントをなぜ干すのか?」といぶかる向きもあるが、所属会社との関係がこじれたタレントが干されたケースはこれまでにいくらでもある。

近年で言えば、研音所属していた水嶋ヒロが同じく研音所属で稼ぎ頭だった綾香と結婚したことで事務所から嫌われ、退社に追い込まれ、現在までほぼ芸能界引退状態となっている。

古いケースで言えば、1957年に映画会社の新東宝に所属していた新人女優の前田通子が監督の演出に楯突いたことで「ニューフェースのくせに生意気だ」とされ、退社に追い込まれ、映画界から追放されるという事件があった。

一般社会では、所属する会社との関係がこじれたら、別の会社に転職したり、独立するという選択肢があるが、芸能界ではそうはゆかない。芸能界にはタレントの引き抜き禁止、独立阻止という鉄の掟(「カルテルとも言う)が存在するからだ。

先に触れた前田通子の事件が起きる4年前の53年9月30日に、松竹、当方、大映、新東宝、東映の映画メジャー5社の間で俳優の引き抜きを禁止する五社協定という申し合わせが調印されている(その後、新東宝を加え、六社協定に)。前田通子の事件は、六社協定が発動された。当時の報道によれば、新東宝の大蔵貢社長は撮影所で「六社間では、前田通子を使わぬよう話合いはついている」と語ったとされている。

◆人気者は作ろうと思って作れるものではない──「育ててもらった恩義」という言葉のまやかし

人気俳優を追放することは、業界にとっても痛手ではないか、と見る向きもあろうが、芸能界ではそうではないらしい。俳優の引き抜きや独立が自由に行われれば、ギャラが高騰し、映画会社の財政を圧迫する。どの映画会社にとっても客を呼べる人気者は喉から手が出るほど欲しいからだ。

芸能界では「育ててもらった恩義」などという言葉が使われるが、これはまやかしである。人気者は作ろうと思って作れるものではないからだ。

1910年代、草創期の映画界で最大のスターだったのは、日活の忍者映画で活躍した尾上松之助だったが、松之助はあまりの人気ぶりに自信を深め、育ての親だった日活の撮影所長で監督だったマキノ省三と真っ向から対立したことがあった。マキノは松之助を牽制しようと、新たなスターを育成しようとしたが、松之助に敵う俳優を発掘することに失敗し、退社に追い込まれ、松之助が後任の撮影所長に就任し、重役スターとなった。

だが、映画会社にとって俳優の増長は経営的に悩ましい。そこで、メジャー映画会社間でカルテルを結び、俳優の引き抜きを禁じ、業界を保護しようという動きが出てきた。戦前は四社連盟というカルテルが結ばれたが、その拘束力は脆弱で、大物俳優たちが独立して配給系統まで持っていた時期がある。

戦後になってできた五社協定は、極めて強い拘束力を持ち、俳優たちの自由な芸能活動を圧迫していった。だが、五社協定は当初から独占禁止法違反の指摘がなされていた。

前述の前田通子は、六社協定により干された後、東京法務局人権擁護部に訴えを起こしたところ、人権侵害が認定された。

また、57年には『異母兄弟』という映画に俳優の南原伸二が所属していた東映に無断で出演したことが問題となり、五社協定違反とされ、映画会社5社が『異母兄弟』上映阻止に動いたことで、公正取引委員会が調査に乗り出したこともある。同委員会は63年に5社が「協定中、違反の疑いのある条項を削除し、その後このような行為を繰り返してお非ず、違反被疑行為は消滅したと認められたので、本件は不問に付した」という決定を下したが、実態としては五社協定は存続し、映画界の衰退を絡めて国会でも議論されたことがある。

五社協定は映画界の衰退とともに自然消滅したが、テレビの世界では五社協定同様のシステムを引き継いだ。五社協定をモデルとした日本音楽事業者協会(音事協)と呼ばれる組織が1963年に設立され、現在まで大手芸能事務所がタレントの引き抜き禁止、独立阻止で団結している。

『キネマ旬報』2014年8月下旬号

◆「悪しき因習」がタレントへの人権侵害を生み、芸能界の衰退を招く

能年が所属するレプロも音事協加盟社であるから、能年が他の音事協加盟の有力事務所に移籍することは基本的にできない。かといって、弱小事務所に移籍したり、独立すれば業界全体からプレッシャーを受け、芸能活動ができなくなってしまう。五社協定の時代は、多くのメディアが五社協定に批判的だったが、今はほとんどのメディアが芸能界に組み込まれており、「芸能界の掟」に反するタレントをバッシングするようになっているから、システムとしての堅牢性は極めて強い。

能年が『あまちゃん』のヒットで国民的アイドル女優となりながら、事務所と対立したことで、飼い殺しとなり、仕事ができなくなってしまうのは、『あまちゃん』で能年と共演した小泉今日子がインタビューで語った言葉を借りれば、そうした「芸能界の悪しき因習」が背景にあるのだ。それは能年に対する人権侵害であるばかりでなく、五社協定と同様に芸能界の衰退を招き、視聴者にとっても大きな不利益をもたらしている。

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》
◎松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説
◎石川さゆり──ホリプロ独立後の孤立無援を救った演歌の力
◎浅香唯──事務所と和解なしに復帰できない芸能界の掟
◎爆笑問題──「たけしを育てた」学会員に騙され独立の紆余曲折
◎中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(後編)
◎中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(前編)
◎宮根誠司──バーニングはなぜミヤネ独立を支援したのか?

芸能界の歪んだ「仕組み」を綿密に解き明かしたタブーなきノンフィクション『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社2014年5月13日刊)

 

 

2009年度は2311件中3件、2010年度は2150件中1件、2011年度は2208件中1件、2012年度は2313件中1件、2013年度は2015件中1件……。これらの数字は最高裁で終局した刑事裁判のうち、有罪判決が破棄されて無罪判決が出た事例がどれほどあったかを司法統計をもとにまとめたものだ。最高裁での逆転無罪判決がきわめて珍しいことが統計によく表れている。

こういう現状ゆえ、筆者は冤罪事件を取材していて、控訴審までに無罪判決が出なければ、被告人の運命は絶望的だと思うのが常である。しかしこの事件ならひょっとして……と期待させられる事件もたまにある。その1つが当欄で何度か紹介した広島の放送局「中国放送」の元アナウンサー、煙石博さん(68)の「銀行置き引き」事件だ。

街頭で無実を訴えた煙石さん

◆わかりやすい冤罪事件

煙石さんと共に雨の日に無実を訴えた多数の支援者

煙石さんは2012年9月、自宅近くの広島銀行大河支店で、先客の女性が記帳台に置き忘れた封筒の中の現金6万6600円を盗んだ容疑で逮捕、起訴された。一貫して無実を訴えているが、第一審、控訴審共に有罪(懲役1年・執行猶予3年)と判断され、現在は最高裁に上告している。

この事件は過去お伝えしたように、冤罪であることが比較的わかりやすい冤罪事件だ。まず何より、「被害女性」が銀行内の記帳台に置き忘れた現金6万6600円が入っていた(はずの)封筒は、「被害女性」が退店後、現金が入っていない状態で記帳台の上にあったのが見つかっている。つまり、仮に煙石さんがクロならば、記帳台の上にあった封筒を手に取ったあと、わざわざ中の現金を抜き取り、自分の指紋がついているかもしれない封筒を記帳台の上に戻したことになるわけだ。これだけでも随分変である。

また、煙石さんは「被害女性」が退店後、たしかに記帳台に近づいたことはあったのだが、封筒から煙石さんの指紋は検出されていない。さらに防犯ビデオの映像を見ると、煙石さんは記帳台に近づいたあと、知人の女性と店内のソファーに座ってのんびりおしゃべりをしており、その行動も犯人とは思い難かった。さらに弁護側は控訴審で、防犯ビデオの映像を解析した鑑定書を証拠提出したのだが、煙石さんが問題の封筒に触れたことを否定する鑑定人の証言は説得力に満ちていた。結論を言うと、要するにこの事件はそもそも問題の封筒に本当にお金が入っていたことすら疑わしい事件なのである。

公正な裁判を求める署名に協力する男性。女性は煙石さんの奥さん

ただ、明白な冤罪事件でも無罪判決などめったに出ないのが刑事裁判だ。げんに煙石さんは第一審、控訴審共に有罪と判断されている。そんな中、筆者がこの事件について、最高裁での逆転無罪を期待している理由は被告人を支える人たちの思いや行動が良い流れをつくりつつあることだ。

◆逆転無罪を期待させる要素

3月3日、広島市中心部の繁華街で、煙石さんや支援者らが行った街頭宣伝。当日はあいにくの雨だったが、マイクで無実を訴えた煙石さんと共に支援者ら42人が配布したチラシは約1000枚に及んだ。4月21日には、支援者らが集めた「上告審の公正な裁判を求める」署名2380筆が最高裁に提出された。署名集めなどは現在も継続されているが、支援活動は今後もさらに広がっていきそうな見通しだ。


◎【参考動画】街頭で無実を訴える煙石博さん(2015年3月3日広島)

支援者の冤罪の説明に聞き入る女性たち

近年、最高裁で逆転無罪の判断が出た事例を見ると、被告人が防衛医科大学の教授だった痴漢事件や、裁判員裁判で初の無罪判決が出ながら控訴審で逆転有罪とされていた千葉のチョコレート缶覚せい剤密輸事件など、何らかの話題性、社会の耳目を集めそうな要素がある事件が目立つ。そういう現実に照らせば、この事件は被告人が元アナウンサーということも逆転無罪への好材料として期待できる。

最高裁は通常、公判を開かずに書面のみで審理を行うが、控訴審までの判決を覆す場合は検察側と弁護側が意見を述べる公判が開かれるのが通例だ。そして最高裁の審理は大体半年以内で終わるから、昨年12月に控訴棄却された煙石さんに対し、そろそろ最高裁が何らかの判断を示してもおかしくない時期となっている。

この裁判の行方や煙石さんの近況は「煙石博さんの無罪を勝ちとる会」のホームページで適時報告されている。少しでも多くの人に注目して欲しい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。


◎【参考動画】「煙石博さんの無実を勝ちとる会」の総会で事件のことを説明する久保豊年弁護士(2015年1月16日)

◎広島の元アナウンサー窃盗「冤罪」事件の控訴審がスタート(2014年5月30日)
◎広島の元アナウンサー窃盗事件で冤罪判決(2013年12月6日)
◎「冤罪」と評判の広島地方局元アナウンサー窃盗事件(2013年9月20日)

 

自粛しないスキャンダルマガジン『紙の爆弾』話題の6月号発売中!

 

台風6号が沖縄から九州へ接近しそうだ。強い台風なので被害が出ないことを願うばかりだが、台風6号が通り過ぎたあとには、沖縄から熊本へ素敵な「風」がやってくる。

7回目を迎える「琉球の風」が今月17日(日)「フードパル熊本」(熊本市北区)で行われる。昨年の実施が延期となり1年おいての「琉球の風」となるが、沖縄音楽ファンには一足早い「夏」の訪れとなろう。

5月17日熊本「琉球の風」2015

◆宇崎竜童、宮沢和史、ネーネーズなど強力多彩な出演者

大御所、知名定男がプロデュースする「琉球の風」には50代以上の方なら誰でも御記憶であろう「あんた、あの娘のなんなのさ」の歌詞が印象的だった「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で一世を風靡した宇崎竜童が友情出演、元THE BOOMの宮沢和史、新良幸人withサンデー、大島保克、下地勇、かりゆし58、金城安紀、AFEE、ネーネーズ、川畑さおり、SHY with 古見健二、國吉大介というそうそうたる顔ぶれが登場する。琉球國祭り太鼓九州支部の演奏も楽しみだ。


◎[参考動画]熊本に流れる「琉球の風」(2012年NHKニュース)Published on Sep 26, 2012 TOSHIRO Kikuchi

◆沖縄の唄と踊りと指笛と泡盛の香りが溢れる日

琉球(沖縄)音楽は日本のポップス界に限らず世界の音楽へも影響を与える独自文化であり、特に「平和」や「命」、「幸せ」を歌い上げる歌詞やメロディーが人々の心に響く。「歌謡曲」というジャンルが実質消滅した日本の音楽シーンで、量産される所謂「J-POP」は一時ヒットチャートの頂に立っても、そのほとんどは数年もすれば忘れ去られる。他方琉球発の楽曲は色あせることなく残り続け、若者だけでなく、幅広い年齢層の心を掴む。

距離的にも近い台湾でも琉球出身歌手は大人気でコンサートが開かれる時は大通りに日本語そのままの幟(のぼり)が何千本もはためく。

「琉球の風2015実行委員会」主催のフェスティバルには全国からファンが駆けつける。今年も熊本に南からの「風」と泡盛の香り、そして指笛と踊りがあふれることだろう。

五月晴れの空の下で「琉球の風」に吹かれ聴きなれたあの曲や、初めて耳にする新鮮さにオリオンビールを飲めば、日常のごちゃごちゃから離れウチナーに旅行した気分に浸れることは間違いない。まだ、若干だがチケットが残っているそうだ。チケットぴあ(セブンイレブン/サークルKサンクス≪Pコード:257-279≫、ローソンチケット≪Lコード:84197≫などで入手できる。お問い合わせは琉球の風2015実行委員会「島風(Shimakaji)」http://www.felicia.co.jp/shimakaji/まで。

そうそう言い忘れてはいけない。鹿砦社は「琉球の風」を協賛し応援している。鹿砦社本社の窓から見える甲子園では今季だらしなく見る影もない阪神タイガース。甲子園では「六甲おろし」が聞かれないが、熊本では「琉球の風」を吹かすのに一役買っている(笑)。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲 特別限定保存版』

◆5.17「琉球の風」2015強力多彩な出演ミュージシャンyoutube動画リスト[順不同]


◎知名定男「ジントヨーワルツ」


◎宇崎竜童「沖縄ベイブルース」


◎宮沢和史(THE BOOM)「島唄」20周年記念 ver PV


◎新良幸人withサンデー「パピル節」


◎大島保克「流星」


◎下地 勇「民衆の躍動」


◎かりゆし58「アンマー」


◎金城安紀 ヒヤミカチ節~カリーの唄 by 金城安紀&ありあり娘


◎ネーネーズ「黄金の花」


◎川畑さおり「永遠の碧 (あお)」 2011 奄美紅白歌合戦より


◎SHY with 古見健二
SHY「 君にファンキーミュージック 君とファンキータイム」


◎國吉大介「どうぞよろしくございます!」


◎玉城満[司会]出演作=映画「ウンタマギルー」でのワタブーショー

岩清水愛[司会](エフエム熊本パーソナリティ)

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