〈命運をかけた「ダレノガレ明美のフォトエッセイが売れないと」と悲鳴!〉

「ファッション雑誌に軒並み、付録をつける手法で100万部を突破した『sweet』や徹底したマーケティング商法で30代女子のハートを捉えた『InRed』で講談社が寡占していたファッション雑誌の市場をこじ開けるなどしていた宝島社の雑誌の売り上げにかげりが出ています。モデルのギャラもかなり下がっていて、プロじゃなくて、半分素人のようなモデル、つまり学生や若い主婦もかり出してモデルとして誌面を作っています」(ファッションライター)

かつて、宝島社は、「付録屋」と揶揄された。とにかくファッション雑誌に付録をつけまくり、売りに売った。
「海外に付録を作る工場を作ったほどです。やはり傘やバッグを付録にするのはインパクトがありました。ですが、とりたてて特別なことではありません。ヨーロッパでは、雑誌にカメラやラジオがついてくるなんて当たり前です。つまり、新製品が出たときに、雑誌に付録としてつけて、読者に意見を聞くというスタイルがヨーロッパには浸透しているのです。宝島社は、それを模倣したにすぎないのです」(同)

そんな中、今ひとつの売れ線である「モデルのスタイルブック」の売れ行きに苦しんでいるという。この6月、宝島社は勝負に出た。ツイッターのフォロアーが67万人もいるという、人気モデルにしてタレント、ダレノガレ明美のフォトエッセイの発売だ。たとえば、フィールドキャスターはこう伝える。


◎[参考動画]ダレノガレ明美 「歩くダルマ」から24kgのダイエットに成功!
初のスタイルブック「I’ll give you my all」発売イベント (フィールドキャスター2015/06/28掲載)

24キロのダイエット、そして人気者の食事やエクササイズの仕方も網羅した本。もし人気者のダレノガレのこの書籍が売り上げがよくない場合、宝島社はおそらくファッション雑誌から音楽雑誌やアニメ雑誌方向に舵を切るだろうとささやかれている。

◆「このミス」大賞作家にインタビューするふりをして、引き抜きを狙う?

宝島社は去年の12月25日、80年代の『宝島』を現代によみがえらせるべく、季刊誌『宝島AGES(エイジス)』を創刊した。そしてさかのぼれば、宝島社は90年代に「社員成金化計画」を蓮見社長がぶちあげた。そこには、利益を生み続けるという、確信に近い自信があった。事実、徐々に売り上げはのびていき、ついには集英社を蹴ってまで宝島社に入社する人が出てくるような事態となった。

「ですが、実際問題、40歳をすぎると給料はあがりませんし、実績を積んだ編集者は閑職にまわされます。今は契約社員や嘱託の編集者ばっかりですよ。ファッション雑誌を100万部を売り上げた伝説の編集者も去っていきましたしね」(元社員)という状態のようだ。

そんな宝島社の「このミステリーがすごい!」は、ミステリー小説のランキングをするのが受けたが、当初は実は、作家にインタビューするふりをして、引き抜きを狙っていたふしもある。

そして簡単に引き抜けないと知るや、今度は2002年から「このミステリーはすごい!大賞」を設立、自らミステリー小説を集めて、業界トップの「賞金1200万円」で才能を集めまくる。かくして、以下の作品群が映画化された。

○浅倉卓弥『四日間の奇蹟』
○上甲宣之『そのケータイはXX(エクスクロス)で』
○海堂尊『チーム・バチスタの栄光』
○中山七里『さよならドビュッシー』
○乾緑郎『完全なる首長竜の日』
○深町秋生『果てしなき渇き』

◆社員はすぐ辞め、カリスマ編集者もいまはなし

さて、話をファッション雑誌とモデルのフォトエッセイに戻せば、そんなものはとっくに売れない時代になっている。この本の制作で、編集者はさんざんぱら、ダレノガレに「この写真がいい」などとわがままをいわれ放題だったようだが、それもカリスマ編集者が不在ゆえの事態だ。
「この4月までは、それぞれの雑誌にとって試金石で、結果が出ない編集部では大胆なリストラが始まるはずだ。そろそろ、徐々にリストラ勧告が始まるのではないかな」(元社員)

だいたいにおいて、雑誌付録で読者を集めようというファッション雑誌部の考えが気にいらない。それに、思い出すが、ここの社員はあまりにもコロコロと辞めすぎだ。ファッション雑誌に大枚を払って付録をつける。もしそんな制作費があるのなら宝島社よ。一瞬だけホームページに募集要項を掲載したが、すぐに削除して「なかったことに」した「この官能小説がすごい! 大賞」を復活させてはいかがだろうか。

(鈴木雅久)

◎《誤報ハンター02》誤報の横綱『週刊大衆』よ、白鵬はまだまだ引退しない!
◎《誤報ハンター01》芸能リポーターらが外しまくる「福山雅治」の結婚報道
◎《格闘技“裏”通信02》夢の一戦「パッキャオVSメイウェザー」実現の舞台裏

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』絶賛発売中!

 

〈7・12鹿砦社弾圧10周年復活の集い〉

「紙の爆弾」を購読している全ての皆さん!「紙の爆弾」を読んでいなくても「検察」や「国」の横暴に危機感を抱く皆さん ! 特に関西地区在住の皆さんに訴えます。来る7月12日西宮で開催される「鹿砦社弾圧10周年復活への集い」へ圧倒的な参集を勝ち取りましょう!

10年前の7月12日、国家権力(検察)は敵意を剥き出しに鹿砦社に襲い掛かりました。当日朝日新聞1面に掲載された、松岡社長逮捕見込みを伝える検察のリーク記事から、神戸地検特捜による松岡社長逮捕勾留という前代未聞の弾圧は幕を開けました。

恥ずかしながら僕はその時、非正規の仕事をしていたので、疲れ果てて新聞を読むこともなく、鹿砦社への弾圧、松岡社長逮捕というこの大事件を知りませんでした。その後で詳しい事情を松岡社長から聞かされて、とんでもないことが起こっていたのだと知り、怒りが湧きました。そしてその当時、何も協力できなかったことを申し訳なく思いました。

でもどうでしょう皆さん。2005年から10年が経ち、鹿砦社は誰もが予想できなかった「復活」を遂げたのみならず、言論界では無視できない存在感を持つまでに「転生」しています。テレビや大手マスコミが政権の拡声器化する中、鹿砦社は一歩も原則を後退させることなく、この10年を闘い切ってきたと僕は思います。

季刊誌「NO NUKES voice」の発刊は鹿砦社から再度の「闘争宣言」と言ってもいいと思います。「脱(反)原発」に特化した雑誌の発刊は会社としての収益などと全く関係なく、ひたすら「こんなもの許せるか!」という怒りと過去無意識であった反省から発案されたものだと思います。僕はこういう雑誌を発行してくれる鹿砦社の本社が東京でなくて甲子園の横にあることに嬉しさを感じます。


◎[参考動画]鈴木邦男さん(一水会)の発言(杉並脱原発集会、2012.2.19)

◆青木理さん、鈴木邦男さんと共に「表現の自由」、「言論の自由」を考える

7月12日にはジャーナリストで公安や検察に詳しい青木理さんがゲストです。鹿砦社の「守護神」鈴木邦男さんも駆けつけてくださるそうです。言論弾圧を受けた松岡社長は事件後「酷い記事を書くからあそこはやられても仕方がないと言う人がいますが、やがて弾圧がそう言っている人達にも広がる可能性があることを考えてください」と繰り返し発言していました。松岡さんの予想は残念ながら外れました。多数の大手メディアは「弾圧」を受ける前に「自主規制」により、自ら言論・報道機関としての「死」を選択してしまったのです。


◎[参考動画]2012年6月30日国公法弾圧事件シンポジウム──最高裁は「表現の自由」を守れるか:青木理さん(約22分)

言論が死滅しつつある「焼野原」の中で僕たちはもう一度、「表現の自由」、「言論の自由」を考え確認しましょう!

今国会では戦争をするための法案が審議されています。鹿砦社弾圧10年後に「国民総弾圧・統制」と言うべき法案が審議されているのは不幸な偶然と言うべきでしょうか。

そんなものは絶対に許さない! 弾圧を跳ね除け、言論だけでなく国民生活への総弾圧=戦争が画策されている今こそ、断固とした言論による闘争を強化しようではありませんか。

再度7・12皆さんの集結を呼びかけます!

(伊藤太郎)


◎[参考動画]2005年12月16日「ムハハ no たかじん」ゲスト:鈴木邦男(約38分)

◎松岡利康-2005年7・12鹿砦社弾圧事件――関与した人たちのその後
◎松岡利康-7・12「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧から10年──鹿砦社は復活した! 朝日新聞、当社広告を拒否!

タブーなき月刊『紙の爆弾』!話題の8月号絶賛発売中!

 






SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)が渋谷・ハチ公前で戦争法案(安保関連法案)に反対するアピール街宣を行なった。
学生がマイクを握り、呼びかけに応え駆けつけた民主・菅直人元首相、維新・初鹿明博衆議院議員、共産・志位和夫委員長、社民・佐藤あずさ八王子市会議員、生活・山本太郎参議院議員といった、あらゆる立場の議員たちも次々とマイクを握り、街宣車の上で手をつないだ。

今、戦争をする国づくりを進めている安倍政権に多くの人々が反対の声を上げている。

SEALDs:サイト / Twitter / Facebook
SEALDs KANSAI:サイト / Twitter

[2015年6月27日(土)・東京都]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

《ウィークリー理央眼》
◎《006》戦争法案に反対する若者たち vol.2 札幌
◎《005》戦争法案に反対する若者たち vol.1 京都
◎《004》若者に影響された沼津の戦争法案反対デモ
◎《003》自民党街宣へのカウンターin福岡・天神
◎《002》福島/名古屋ヘイトデモ反対行動
◎《001》150回目の首相官邸前抗議

 

『紙の爆弾』8月号発売開始!巻頭グラビアは「理央眼」!

7・12鹿砦社弾圧10周年復活の集い

朝日新聞広告掲載拒否に関連して、この事件に関与した人たちのその後を想起してみました。

まずは神戸地検にリークしてもらって“官製スクープ”で紙面を大きく飾った平賀拓哉記者。当時彼は27歳、その後、2010年、大阪地検特捜部による厚労省郵便不正事件の取材チームに入り、証拠改竄で当時の大坪弘道大阪地検特捜部長を逮捕・失職に追い込み、これは新聞協会賞を受けています。

この大坪検事が神戸地検特別刑事部長に就任して最初の事件が鹿砦社弾圧事件ですが、この時、平賀記者は神戸地検からリークしてもらい“官製スクープ”をものにするわけです。こういうことを、三井環氏によれば「風を吹かせる」というそうですが、平賀記者にリークしたのが、大坪検事か、それとも主任検事の宮本健志検事か判りませんが、いずれにしろリークしてもらった神戸地検特別刑事部のトップが大坪検事でした。

その5年後、平賀記者は大坪検事を追い落とす朝日の取材チームの一員となります。因果なものです。

大坪検事は鹿砦社弾圧の後、大阪地検特捜部長に昇り詰めますが、上記したように、厚労省郵便不正事件証拠改竄に連座し、東京地検と並び検察の雄、大阪地検特捜部長が逮捕・失職に追い込まれるという前代未聞の事件に巻き込まれます。

鹿砦社弾圧事件を指揮したのは大坪検事ですが、その直下の主任検事が宮本健志検事で鹿砦社の地元の甲子園出身です。

宮本検事は2005年7月12日当日、神戸地検に連行された私に直接手錠を掛け、取調を行った検事です。

その後、宮本検事は徳島地検次席検事に栄転し、その際、深夜に泥酔し一般市民の車を傷つけ平検事に降格、戒告処分を受けています。車の持ち主が示談に応じなかったならば懲戒免職ものです。なんとか検事の身分は守ったものの、その後、当時大坪検事が居た京都地検に平検事として赴任しています。

さらに、私をブタ箱送りにした大手パチスロ会社「アルゼ」(現ユニバーサルエンターテインメント)はフィリピンカジノ建設について汚職が報じられて、FBIなどの捜査がいまだに続いているといいますし国税も入っているそうです。これをスクープしたのが、これまた朝日、そしてロイターでした。「ユニバーサル」は朝日、ロイターを訴え、私たちの時とは桁違いの熾烈な裁判闘争が続いています。さらに巨額の株主請求訴訟も起こされています。早晩、なんらかの“結論”が出るものと思います。

平賀記者はともかく、私をハメた人たちには不幸が続きました。「マツオカの呪いか、鹿砦社の祟りか」と揶揄される所以です(苦笑)。「因果応報」――古人もよく言ったもので、人をハメた者は、いつかはみずからもハメられるということです。

先の私の逮捕記事と併せ、画像でアップした3つの新聞記事をご一覧ください。

(鹿砦社 松岡利康)

① 朝日新聞2010年10月2日付け 大坪検事逮捕記事

② 徳島新聞2008年3月26日付け 宮本検事泥酔事件記事

③ 朝日新聞2012年12月30日付け ユニバーサル比カジノ汚職記事

◎7・12「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧から10年──鹿砦社は復活した!朝日新聞、当社広告を拒否!

タブーなき月刊『紙の爆弾』!話題の8月号絶賛発売中!

去る4月7日に月刊『紙の爆弾』は創刊10周年を迎え、東京ではライターさんはじめ90名ほどの方々にお集まりいただき、盛況裡に祝っていただきました。

また、同誌創刊直後に突然なされた、「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧からも、この7月12日で10年を迎えます。この10年は筆舌に尽くし難い苦闘の日々でしたが、皆様方のご支援により地獄から這い上がり復活することができました。私たちはまず、このことを皆様方にご報告すると共に、同日弾圧の舞台となった西宮に集まり共に今後の前進を誓い合いたく思います(別途HPイベント案内参照)。

2005年7月12日早朝、後に厚労省郵便不正事件証拠隠滅に連座し逮捕・失職するに至る大坪弘道検事に指揮された神戸地検特別刑事部の一群が私の自宅を急襲、本社・東京支社への大掛かりな家宅捜索を行い、私を神戸地検に任意同行し、神戸地検に到着するや逮捕しました。その後、神戸拘置所に移送、全裸にされ尻の穴や性器まで入念にチェックされるという“儀式”(これを、今春からおおせつかった大学の講義で話すと学生諸君は大きな衝撃を受けたようです)を経て独房へ、自らの逮捕を、その日の早朝、一面トップにでかでかと載った朝日新聞で知りましたが、拘置所で流されたラジオでも聴きました。

家宅捜索や捜査は続き、大手取次会社3社、関西の大手書店3社、製本所、倉庫会社、株主会社、取引会社などにも及び大掛かりなものでした。なかでもショックだったのは、日頃「表現の自由」「言論・出版の自由」を口にする大手取次会社や大手書店が、いとも簡単に検察の要求に応じ、関係資料を提出したことでした。

否認しましたので半年余り(192日間)の長期勾留を強いられ、そのうち半分が接見禁止となり、業務上の指示など外部との交通ができなくなりました。否認したら長期勾留も当たり前ということを「人質司法」というそうですが、裁判所が「人権の砦」とか「憲法の番人」とかいうのであれば、「司法改革」は、先の“儀式”とか、こういうところから改めるべきではないでしょうか。

ここまでやられても、一部に「鹿砦社だから仕方がない」とか「これは言論弾圧ではない」とか言われ悔しい想いもしました。会社も壊滅的打撃を蒙り、誰もが見放したと思いますが、ここはどっこい、悪運の強さでは人後に落ちない鹿砦社、“徳俵”に足を残し多くの皆様方のご支援で生き延びることができました。

弾圧から5年ほどで、見通しが明るくなり、その間、本社事務所も倉庫としていたワンルームの学生アパートに蟄居していましたが、2010年9月、甲子園に帰って来ることができ、本社事務所も再開できました。もう甲子園に帰って来ることはできないと思っていましたので、本当に嬉しかったです。

月日の経つのは速いもので、あれから10年、『紙の爆弾』はいまだに続いていますし、鹿砦社は今一番元気な出版社といわれます。ありがたいことです。

この事件の一審判決文に「表現の自由に名を借りた言葉の暴力」という一節がありますが、私に言わせれば、社会的犯罪企業・検察・司法一体となった弾圧は、「名誉毀損に名を借りた言論弾圧」の何物でもありません。

この10年のいろいろなことが走馬灯のように想起され、いささか感傷的になりますが、運良く生き延び復活したことを、ご支援いただいた皆様方と共に喜び合いたいと考え、7月12日、復活の集いを開くことにしました。多くの皆様方のご参集をお願い申し上げます。

ご参加希望の方は鹿砦社本社(電話0798-49-5302、メールアドレスfukumoto@rokusaisha.com)あてご連絡ください。もうかなりの方々の参加申し込みがありますので、お早めにお願いします。先着50名の方に、7・12直後の混乱の中で発行された『紙の爆弾』2005年9月号を進呈いたします。併せて、1部終了後の懇親会ご参加の方はその旨お伝えください。

◆朝日新聞、当社広告を拒否! 検察リークで“スクープ”したくせに恥を知れ!

私たち鹿砦社は奇跡の復活を果たしました。この証として、鹿砦社弾圧を1面トップででかでかと“スクープ”した朝日新聞(大阪本社版)に半5段のスペースで、くだんの7・12に広告(別途画像参照)を掲載すべく早目に(2カ月ほど前に)代理店を通して申し込みました。なんとか掲載するために、料金も朝日広告局が提示した300万円ほどをそのまま呑みました。

ところが、「書籍広告ではない」「(私の逮捕)記事を使えない」等々の理由で掲載を拒否したのです。

この記事は、「朝日新聞」のロゴの左側に掲載されましたので、そのままロゴも入れ画像にして貼り込んで掲載を申し込んだのですが、このロゴも使えないというのです。この記事の画像なしには、今回の広告の意味がありません。

この記事の当事者中の当事者は私松岡ですし鹿砦社です。朝日は、私や鹿砦社をネタに官製記事を作ったくせに何を言ってるんですか!? それに、神戸地検からリークしてもらい、さらにそれを隠して甘言を弄し、私から資料を提供され持ち帰ったのは、当時神戸司法記者クラブにいた朝日の平賀拓哉記者(05年7月12日の記事は平賀記者の署名入りなので顕名にする)だったことを忘れてはいませんか? 恥を知れと言いたいところです。

(鹿砦社 松岡利康)

◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎「松岡社長逮捕は当然」か?──関西大学「人間の尊厳のために」講義の白熱討論

タブーなき月刊『紙の爆弾』!話題の8月号は本日発売開始です!

タブーなき「紙の爆弾」8月号は注目記事満載!

「力には二種類しかない。それは、剣の力とペンの力である。そして、剣の力はしばしばペンの力に打ち負かされる」と言ったのは、英雄・ナポレオンである。このナポレオンの言葉を具現化しているラディカル・スキャンダル・マガジンこと「紙の爆弾」8月号の紹介記事を展開する。

このブログの読者は、鹿砦社のファンはもちろんのこと、月刊「紙の爆弾」のファンも多いようだ。今月発売号の紹介を柄にもなくするが、告知だけでは味気ないので、10年前の「紙の爆弾」創刊以前に、前身としてすでに創刊されていた「スキャンダル大戦争」までさかのぼり話をしよう。

この「スキャンダル大戦争」の編集方針が後に大きく「紙の爆弾」の編集に当然ながら影響していくのだが、当初から現在に至るまで「なんでも書いていい」と中川編集長は宣言していた。「三井銀行はマフィアバンク」など訴訟されそうなタイトルを打ち、なんとセブンイレブンまでガチで批判してみせたその突撃精神には、頭が下がるのひと言だ。「鹿砦社は訴訟されることで有名になりたがっている」という変な誤解も生まれた。そしてその突撃精神を、松岡社長は「帰りのガソリンを積まない片道飛行」と表現した。この危険でありながら冒険心に充ちた編集制作に、僕は一貫してつきあうことになる。

だから多少、もし僕が「紙の爆弾」について紹介するなら手前味噌で、そして少しばかり感情的だ。それでも、と僕は思う。「紙の爆弾」を応援し続けるのは、僕の使命なのだと。もちろん、「紙の爆弾」創刊で松岡社長が咆哮した「ペンのテロリスト宣言」も僕は永久に支持するであろう。

◆タブーなき言論の砦

自分の恥部をさらすなら、「紙の爆弾」が「噂の真相」の休刊で大きく落胆した「スキャンダル好き」読者の大きな期待を受けて創刊された2005年4月、すでに僕が所属していた週刊誌は大きく傾き、直後の8月には休刊のアナウンスがなされた。だから僕は「紙の爆弾」には大きな、そして過度な期待をこめてお手伝いしていた。

「噂の真相」を雑誌の頂点として考えていた僕は、実は休刊間際に1本だけ原稿を書かせていただいた。このときにアンカーとして、実にうまいまとめかたをしていただいたのが、(当時は面識がなかったが)今も「紙の爆弾」で「コイツラの銭儲け」を連載している西本健氏だ。

「スキャンダル大戦争」が月刊となり、「噂の真相」の後継として生まれかわりそうだ、という話が業界に広まったとき、幸いにも僕は準レギュ ラーのような扱いをしていただいた。「紙の爆弾」の誌面は、何十回も企画を出してボツを食らった「噂の真相」に傾けるエネルギーをつぎこむに、十分な器だった、有象無象の「噂の真相」に書きたかったジャーナリストが怒涛のごとく、売り込みに来たと思う。だが多くの者は馬脚を現した。

他方、さして才能がない僕は、「スキャンダル大戦争」から書かせていただいている、というアドバンテージのみで使ってもらっていたのだ。だから僕は「紙の爆弾」が低空をさまよい、苦渋の思いで合併号を出さざるをえなかったときも、どの案件とは言わないが、内容証明を食らったときも、バーニングと法廷で死闘を繰り広げたときも、常に「無力」ながらも編集部の傍にいた。何人か有能なライターを連れてきて、有能なものは残った。

もちろん、「紙の爆弾」については、一冊書き下ろすほどの思い出はある。松岡社長が逮捕されたときも、「紙の爆弾」のライターたちは、「タブーなき言論の砦」というテーマの庇護のもとで、権力者たちの汚い顔をペンであぶりだしていた。時間軸を今に移せば、このエネルギーは今も脈々と生きている。

「今、あぶりだすべき」ターゲットは、やはり傲慢といえばあまりにも厚顔無恥な安倍政権の独裁ぶりだろう。その意味で、「紙の爆弾」は大きな使命を負っている。たとえば「紙の爆弾」を編集している東京支社にいて、誰かがノックするとき、僕は「だれかがまた記事を書かれて内容証明でも送ってきたか」と身構えてしまう。いまだにそんな緊張感が漂う編集部は、世の中にはもうそんなに残っていない。
そうした言論戦闘の最前基地という位置に、「紙の爆弾」の中川編集長は立っている。そしてこれからも、立ち続けるだろう。「紙の爆弾」が 「権力を撃つ」と宣言している限り、僕は微力ながらも力を差し出すだろう。

◆安倍、沖縄、東京五輪──利権の深層を抉り出す

さて、8月号の紹介だが、まずは巻頭の『安倍晋三 退陣への道』では、ベテランの政治ジャーナリスト、朝霞唯夫が、安倍が「安保法制の信を問う」として年内解散総選挙へのシナリオが脈動していると、警告している。まったくふざけた話である。

『前沖縄県知事 仲井眞弘多の現在』に注目したい。「沖縄の米軍基地問題」の混乱に拍車をかけた仲井眞弘多元沖縄知事の「現在の動向」を、気鋭のジャーナリスト、藤堂香貴が執拗に追いかけている。7億円もかけた知事公舎もそのままに、米軍基地が普天間から辺野古に移設することに「賛成」とした仲井眞だが、沖縄電力の利権を背景にして、小型原発の研究に邁進している疑惑を追及する。

そして開幕まであと5年と迫っているがいっこうに盛り上がらない東京五輪の三人の戦犯について暴いた『返上論も浮上 2020年東京五輪 をもてあそぶ3人のメダリストたち』では、石原慎太郎元東京都知事、建築家の安藤忠雄東京大学名誉教授、森喜朗元内閣総理大臣たちの「唾棄すべき老醜」について触れる。そもそも、たとえば国立競技場のリニューアル工事に2520億円ほどかかるそうだが、都民、いや国民のコンセンサスはとってあるのか。これ以上は、本誌を読んでいただきたい。

「ペンのテロリスト宣言」の脈動は、この雑誌の中になお生きている。
読者諸兄よ、こもるな。『紙の爆弾』を手に権力へ牙を剥こう。いつでもわれわれを「騙して搾取する」のは、常に権力の側なのだから。

(小林 俊之)

「紙の爆弾」2015年8月号は明日7日発売です!

───タブーなき「紙の爆弾」8月号注目記事満載!───

「安倍晋三退陣」への道──“憲法違反”安保法案ゴリ押しの“代償”
危険すぎる「マイナンバー制度」──「漏れた年金」で明らかに
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ヘイトの嵐もなんのその? 〈よど号Twitter〉にみるメンバーの人となり
2020年東京五輪をもてあそぶ3人の「メダリスト」たち …and more!

平澤貞通著「遺書帝銀事件―わが亡きあとに人権は甦えれ」(現代史出版会1979年4月)

犯罪加害者が自分の起こした事件を題材に本を出していいのか――。神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aが上梓した著書「絶歌」(太田出版)をめぐり、そんな議論が続く中、私は大変不思議に感じていることがある。

この議論では、永山則夫や加藤智大、市橋達也ら著名な殺人事件の有罪確定者たちの著書があちこちで引き合いに出されている。それなのに、この議論に参戦する人たちはナゼ、以下のような本の存在を黙殺しているのだろうか?

平澤貞通著「遺書帝銀事件―わが亡きあとに人権は甦えれ」(現代史出版会)1979年4月発売 ※発売元は徳間書店
袴田巌著「主よ、いつまでですか」(新教出版社)1992年8月15日発売
菅家利和著「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版)2009年8月20日発売
須田セツ子著「私がしたことは殺人ですか?」(青志社)2010年4月6日発売
高橋和利著「『鶴見事件』抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた」(インパクト出版会 )2011年5月発売
林眞須美著「和歌山カレー事件―獄中からの手紙」(創出版)2014年7月発売

菅家利和著「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版2009年8月)

すぐにピンときた人は少なくないだろう。ここで挙げた6人はいずれも「殺人事件の有罪確定者」という立場でありながら著書を上梓している。ただし、のちに再審で無罪を勝ち取った足利事件の菅家利和をはじめ、世間的には冤罪だと確信されているか、もしくは冤罪の疑いが根強く指摘されている。この6人の出版行為を否定する者はいないだろう。つまり、絶歌をめぐり議論になっていることの多くは、冤罪問題を入口に考えれば、議論せずとも答えが出ることなのだ。

こう言うと、「冤罪被害者の人たちを酒鬼薔薇のような犯罪加害者といっしょくたにするな」と思った人もいるだろう。しかし、「冤罪被害者」と「犯罪加害者」を完璧に見分けることは現実的に不可能だ。げんに、菅家をはじめ、ここに挙げた6人の著者たちも当初は世間の大多数の人たちから「正真正銘の犯罪加害者」だと認識されていたのである。

したがって、冤罪被害者が公に向けて無実を訴える機会を保証されるには、正真正銘の犯罪加害者が本を出す程度のことは当然に容認される社会である必要がある。もちろん、本を出すのに実名を明かす必要などないし、遺族に話を通す必要もない。冤罪被害者には、報道などを通じて無実を訴える際に匿名を望む人は存在するし、冤罪被害者が本を出すために遺族に話を通す必要がないことは論じるまでもないだろう。

林眞須美著「和歌山カレー事件―獄中からの手紙」(創出版2014年7月)

表現の自由は、ヘドの出るような表現にも保証されるものだ――というのは、よく言われることである。「絶歌」騒動を見ていると、まったくそのとおりだと改めて思う。ヘドの出るような表現を弾圧すると、一緒に真っ当な表現まで弾圧されることになる。だからこそ、ヘドの出るような表現も、表現の自由のもとに守られなければならないのだ。

絶歌騒動をめぐっては、「市の図書館では購入しない」と宣言し、書店に販売への配慮を求める発言までした明石市の市長という権力者が世間の多くの人から賞賛された。表現の自由をないがしろにする発言をした権力側の人間たちが大バッシングされている百田尚樹騒動より、こちらのほうがよほど表現の自由が危機にさらされている状況だと私は思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎献花が絶えない川崎中1殺害事件と対照的すぎる西新宿未解決殺人事件の現場
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑
◎国松警察庁長官狙撃事件発生20年、今年こそ「真犯人」の悲願は叶うか

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「DAYS JAPAN」と言う月刊誌をご存知の方も多いであろう。
今月号の特集は「福島の小児甲状腺異常多発の発表」だ。

「DAYS JAPAN」2015年7月号

悲しいニュースだが直視を避けられない現実が詳細に報告されている。本号は発売直後よりアマゾンをはじめとするネット上の図書販売サイトでは完売となり、書店でも残部僅かのようだが、増刷されるとのことであるのでまだご覧になっていない方にはご購読を強くお勧めする。

「DAYS JAPAN」はかつて講談社が発行してたが休刊となり、2004年にフォトジャーナリストの広河隆一氏が会社を立ち上げ編集長に就任し復刊した。表紙の右下には発刊以来毎号「一枚の写真が国家を動かすこともある」との腰の据わったメッセージが記されていたが、その場所には編集長が丸井春氏に代わった昨年からは「人々の意思が戦争を止める日が必ず来る」と、より明確な「宣言」が掲載されるようになった(「人々の意思が戦争を止める日が必ず来る」はそれ以前にも時に表紙に書かれていたメッセージではある)。

◆発刊以来、原発問題に深く取り組んできた「DAYS JAPAN」

この雑誌の最大の特徴は現在世界でも希少となった「フォトジャーナリズム」を実践し続けていることだ。同時にパレスチナ、イラク、中東など世界中の紛争地帯(それが脚光の当っている場所であろうがなかろうが)の問題を取り上げ、視覚に訴えると同時に卓越した視点から解説を行うことだ。国内問題も同様である。一貫して在野の立場から権力監視を続ける骨太の編集方針は「ジャーナリズム」の原点から全くぶれていない。

また同誌が主催する「DAYS国際フォトジャーナリズム大賞」は世界的に権威のある写真コンテストとなり、ここでの受賞者がピューリッツアー賞などを後に受賞することも珍しくない。実は世界のフォトジャーナリストから注目されている雑誌でもある。世界的な注目を浴びる雑誌はこの島国に「DAYS JAPAN」だけである。

「DAYS JAPAN」2015年7月号より

前述の通り今月号の特集は「福島の小児甲状腺異常多発の発表」である。同誌は発刊以来一貫して原発問題に深く取り組んでおり、2011年の1月号(大震災の2カ月前)特集は「浜岡原発爆発は防げるのか」だった。事故直前まで月刊誌でこれだけ原発問題に警鐘を鳴らしていた雑誌は他にはない。スリーマイル島やチェルノブイリで原発事故取材経験豊富な広河氏は福島事故発生後3日目には現地入りしている。そこで持参した放射線測定器がチェルノブイリでも経験したことのない高い値、針が振り切れる経験を初めてする。目前には何も知らない人々がマスクもつけずに危機感もなく往来している姿を見て、取材を止め高線量地帯へ向かう人々の車を止め引き返すように説得を始める。


◎[参考動画]「3・11メルトダウン 福島原発取材の現場から」Part2
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)綿井健陽氏2011年7月18日公開

◆「DAYS JAPAN」行動原理の体現者・広河隆一氏

「DAYS JAPAN」の行動原理はこの時の広河氏が体現している。ジャーナリストとして現地へ赴くがある時期「人間として」何をすべきかと感じた瞬間に彼らは「行動者」へと転身する。広河氏がレバノンの難民キャンプ取材から難民支援を始めて20余年が経つ。チェルノブイリ取材を50回ほど行っている広河氏は1991年に「チェルノブイリ子供基金」を設立し、保養施設「希望21」を各国のNGOと政府の協力により設立し、そこで保養を行った人の数は7万人を超えたという。

福島原発事故のわずか2か月後、早速保養所設立プロジェクトは動き出し、早くも翌年2012年7月には久米島に「球美の里」を設立し福島から子供達(親同伴の場合もあり)の受け入れを開始する。常人には想像できない発想と行動力は編集長が代わっても引き継がれている。

原発や被曝については「付け焼刃」ではなく長年の取材経験と人脈、知識と実践を持つこの雑誌に敵うものはないだろう。いや違った。「NO NUKES voice」ははるか後ろを走っているけれども志だけは負けたくないと編集長以下腹を固めている。
◎「DAYS JAPAN」Facebook
◎広河隆一氏のtwitter


◎[参考動画]DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展 特別講演会「震災と原発問題」
2012年11月20日京都造形芸術大学 学校法人瓜生山学園公開

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
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「戦争したくなくてふるえる。」というワードを見聞きした時、それがデモの名称だと分かる人は果たして何人いるだろう。
しかし、これがデモの名前だと分からなくても全然構わない。
自分の好きな歌手、西野カナの曲から着想を得てネーミングしたデモが街に出現したということが重要なのだ。
安倍政権が進める「戦争法案」(安保関連法案)が人々の眠っていた気持ちに火をつけたことは間違いない。

6月26日(金)、札幌市中央区で「戦争したくなくてふるえる。」というデモがあった。
呼びかけ人は、北海道札幌市在住・19歳フリーターの高塚愛鳥(まお)さんだ。
彼女が地元での行動を思い付いてから、たった9日後に700名もの人を集めたデモを行なった。


[動画]戦争したくなくてふるえる。 デモ行進 – 2015.6.26 北海道札幌市(5分13秒)

サイトには、「Stupidな政治家たちに自由で楽しいあたし達の暮らしを奪われてたまるか!絶対に戦争なんかさせない!絶対に絶対に。」と、自分の言葉で「戦争法案」への反対の思いが綴られている。
私はサイトを見てスッキリした思いがあった。
このデモの名称の最後には「。」が付けられていてるのだけど、これはかなり大事なポイントの一つだと感じたのだ。
「戦争したくなくてふるえる。」を表記する時に、「。」が抜けていたり「!」を付けたりしているのを見かけるが、それは主催者の持つ感覚や雰囲気を理解していないし、何よりも主催者の言葉は大事にした方が良いだろう。

この日、愛鳥さんは喋ったりコールをしている時以外つまらなそうな顔をしていたのが非常に印象的だった。
私は写真を撮る為に彼女のことを追っていたのだけれども、彼女はデモが本当につまらなかったように思えた。
しかし誤解しないで欲しいのだが、私はそこにこそ彼女に対して強い共感を覚えた。
デモを行なうことで承認欲求を満たしたり、そこを居場所にしたりしている人々とは違うことが分かり、安心したと同時に尊敬もした。
彼女は本当にエモーショナルな部分からデモを呼びかけたのだと感じた。

この「戦争したくなくてふるえる。」は「新しい」という言葉で表現したり評価するのは安直な気がしている。
新しいもなにも、デモに正解はなくそれぞれの運動がそれぞれの動きをするのは当然だし、自然とやっているのだ。
旧来のデモが嫌な彼女は、せめて自分の好きな西野カナの要素を入れてみたり、コールをラップ調にしてデモを企画した。
映像を観てもらえればわかるのだけど、主催者の思い描いていたリズミカルなシュプレヒコールになっていないブロックもあって、おっさんコーラーが西野カナ感ゼロのフローで「ふるえるっ!」とコールしていたりする。
それは彼女の想いが彼女のもとを離れて広がっていた結果なのだから、かえって素晴らしいと私はデモを見ていて思った。
また、デモには学校帰りでやってきた制服姿の高校生たちもいて、安倍首相が進める国づくりに対する若者たちの危機感・不安感がひしひしと伝わってきた。

デモ行進は大通西8丁目公園からすすきのまで1時間弱のコースで行なわれた。
「戦争ッ、したくなくてふるえるっ!」「戦場ッ、行きたくなくてふるえるっ!」「さっさと辞めろっ、安倍晋三ッ HEY!」「調子に乗るなっ、自民党ッ HEY!」などの若者たちの想いが込められたシュプレヒコールが街に響いた。
ゴール後、すすきの交差点(ニッカ前)に移動し、愛鳥さんら若者たちはマイクを持って街頭アピール行動を行なった。
街宣の映像は他のメディアに任せることにし、私は写真撮影のみに専念した。
以下に3枚の写真を掲載してその様子をお伝えする。

ローカル・ムーブメントの始まりを思わせる片鱗が全国各地で見受けられるようになってきた。
この動きが更に広がることはもう時間の問題だ。

[2015年6月26日(金)・北海道]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

《ウィークリー理央眼》
◎《005》戦争法案に反対する若者たち vol.1 京都
◎《004》若者に影響された沼津の戦争法案反対デモ
◎《003》自民党街宣へのカウンターin福岡・天神
◎《002》福島/名古屋ヘイトデモ反対行動
◎《001》150回目の首相官邸前抗議

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731部隊の残虐な歴史を追跡し続けることでは右に出る者がいない、とまでいわれるジャーナリストの近藤昭二さんの講演会に出かけた。

この日、6月13日は《731部隊の国家犯罪を裁く》と題して、731部隊にいた2人の生の証言をビデオに流していたが、聞いていて胸くそが悪くなってきた。

ジャーナリスト近藤昭二さんの講演風景(2015年6月13日)

◆「パンだけだと人は20日で死ぬが、水を与えると1ヶ月くらいは生きる」

一人目の、石井四郎部隊長の運転手をしていたという越定男氏は「パンだけだと人は20日で死ぬが、水を与えると1ヶ月くらいは生きるね」という人体実験の様子を臆面をなく話していた。

越氏は『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)という本で過去の罪を「告白」している。ちなみに、森村誠一著「悪魔の飽食」で出てくるKとは、彼のことだ。その書籍で彼はこう懺悔する。

石井四郎部隊長の運転手をしていたという越定男氏

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「あなた方は、そんなひどいことをして・・・・、中国へ行って謝ってください」
おかっぱ頭の女子高校生の熱気を帯びた厳しい眼差しに、私は思わずたじろいで、言葉を失ってしまった。
それは1982年7月7日、長野県の松本勤労福祉センターで開かれた「日中不再戦の夕べ」で同じ731部隊にいた小林寿雄さんとともに証言に立った時のことである。そこで私は『悪魔の飽食』(森村誠一著)の舞台となった関東軍防疫給水部本部第731部隊の元隊員として自分自身が見たり、手を下したりした幾つかの‘実験’をありのままに話をした。
確かにいままでも、戦争という「公認の殺し合い」の中とはいえ、731部隊が犯した罪は決して消えないと思ってきたが、その女子高校生の率直な問いかけに、改めて’私の罪’の重さを感ぜずにはいられなかった。しかしまた、私はその女子高校生を見て、再び語り始めた。(序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない)より。)
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まあ、ここで内容を語るよりは、近く、このホームページにアップされる越氏が語る映像を見て、その悲惨さを見てほしい。

◆731部隊をめぐる米国と日本の密約

さて、近藤氏は、米国と日本に731部隊について密約があったと何度も語り、右翼筋や自称保守派からひんしゅくをかっているようだ。だが僕が賛同するのは、このことを言い続けないと、この731部隊の闇は歴史からかき消されてしまう、という点にある。たとえば、「人民網」に近藤氏は以下のごとく語る。

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731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る ?2015年04月27日人民網日本語版

「NPO法人731部隊・細菌戦資料センター」の共同代表、近藤昭二氏(ジャーナリスト)はこのほど、取材に対して、「第二次世界大戦後、昭和天皇や細菌戦の責任者に対して戦争責任を追及しないことを条件に、日本は731部隊の全ての研究資料を米国に渡すという密約を、米国と交わした。その資料を、米国は今に至るまで公開していない」と話した。新華社が報じた。
近藤氏によると、「戦後の日本を統治するために、米国は日本の天皇制を維持する必要があった。天皇の戦争責任を追及しないという点では、日本と米国の利益が一致した。また、ソ連と戦う必要があった米国は、731部隊の研究資料がソ連の手に渡ることを望まなかった。731部隊の創設者・石井四郎もそれに乗じ、『日本が731部隊のデータを全て米国に渡す代わりに、米国は昭和天皇や自身らの責任を追及しない』という密約を成立させた」という。
「以前、極東国際軍事裁判に関わった米国の検察官と接触する機会があった。その検察官は、『東京に来る前に、上司から天皇の責任を追及することはないと告げられた。米国は初めから天皇制を維持することを決めていた』と言っていた」と近藤氏。
また、「当時、中国の東北地域に設置された捕虜收容所には、米国人捕虜もおり、731部隊軍医の実験対象になった。それにより死亡した米国人も、後遺症が残った米国人もいる。戦後、それら米国人兵士は経験したことを、米国政府に訴えたが、米国は日本との密約があったため、それらを覆い隠した」という。
近藤氏は、「米国が、自国の兵士も731部隊の迫害を受けたことを知っていたにもかかわらず、それを覆い隠し、密約を交わしたことを、世界に知られたとすれば、結果は大きく変わっていた。米国政府にとって不利になる。現時点では推測にすぎないが、日本にとっても、米国にとっても、731部隊の事は秘密にしておきたい問題。今でも密約は密約で、両国ともに関連の資料を公開することは今後もないだろう」との見方を示している。(中略)
細菌戦を十数年にわたって研究する過程で、近藤氏は、現在の日本社会に存在する学術的腐敗や、現在の医療ミスと戦時中の医学犯罪の原因は非常に似ていることなどを発見した。731部隊と軍医の間にも、論文や学術成果を競う姿勢が存在していたという。日本は当時の医学犯罪に対する歴史的検証を行ってこなかったため、今でも同様の犯罪が依然として存在しているという。
「どのような審査機構を構築するのか、効果的な審査をどのように展開するのかという問題の答えを得るには、過去の間違いを分析、検証しなければならない。『過去の事』と言い訳し、何もしないのではなく、当時の歴史に対する研究、検証を一から行い、日本はどうして間違った道を歩んだのかを知らなければならない。歴史検証の過程で、その答えが見つかる」と近藤氏。
近藤氏は最後に、「中国が最近、歴史資料の再発掘に力を入れているため、資料館に眠っていた資料が公開されるようになっている。日本が731部隊の資料を隠し続けるとすれば、自分の立場がいっそう受動的になってしまう」と指摘、「したことはしたと、日本は認めなければならない。歴史的事実を認めなければ、日中外交など、何も始まらない。日本はまず、歴史的事実を明らかにし、それを認めたうえで、外交活動を行わなければならない。これがすべての前提となる」との見方を示した。(編集KN)
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◆政府が731部隊を隠蔽する限り、引き継がれる「魔性」

僕が「731部隊」ついて追跡したいのは、森村誠一著「悪魔の飽食」があまりにもノンフィクションとして優れていたからだ。僕にとってこの作品は「教科書」である。森村は、「人間の証明」で得た膨大な資金をつぎこみ、この「政府が隠蔽した」悪魔の部隊の功罪を暴いた。

後に、731関連の被害者の写真として使用した写真がまったく731部隊と無関係だったとして批判されたようだが、そんなのは枝葉にすぎない。

そして日本政府よ。よく聞け。私も貴殿たちの「戦争責任」を追求していく。戦争責任者は、当然のごとく草の根をわけてでも裁く。首を洗って待っているがいい。もぎとりたいのは、「戦争の根っこ」だ。実力のあるなしは関係ない。私を敵にまわしたのは当時の軍部であり、今もそれを引き継ぐ「戦争を起こす魔性」にとらわれた今の政府を含む馬鹿どもである。

※「731部隊映像コンテスト ホームページ」(http://731-vc.wix.com/compe
※「731部隊 細菌戦資料センター」(http://www.anti731saikinsen.net/

(小林俊之)

◎追跡せよ!731部隊の功罪──「731部隊最後の裁判」を傍聴して
◎占領期日本の闇──731部隊「殺戮軍医」石井四郎はなぜ裁かれなかったのか?
◎731部隊の「ガチンコ人体実験」跡をユネスコが「世界文化遺産」と認める日
◎「731部隊」の存在を証明した「金子論文」の発見者、奈須重雄さんに聞く!

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