ボクシングの東洋太平洋ライトフライ級タイトルマッチ12回戦がダイヤモンドグローブの主催で昨年12月8日、東京・後楽園ホールにて行われた。

ものすごいインサイドワークとハードパンチを併せ持つアマチュア出身の王者・拳四朗(BMB)が挑戦者の同級3位レスター・アブタン(フィリピン)に3回1分57秒TKO勝ち。

「作戦通りの展開に持ち込んだ。もっと強い相手とやってもよかったが、相手が大振りしてくれた。はっきりいってこれではスパーリングにもならないよ」(格闘技ライター)

拳四朗は初防衛に成功したが、死角もある。

「日本同級王座も保持する拳四朗はプロデビューから9連勝(5KO)としたものの、もし誰かが打ち合いに持ち込んで近距離で立ち往生したらどうするか。もしくは相手が極端にアウトボクシングをしてきたらどう立ち回るか、という点で作戦がまだ確立されていない」(同)

安全運転で適度な距離を保ち、冷静にフックや右ストレートを入れていく拳は、ややもすると「遊んでいるのではないか」と思えるほど。油断から1回はアブタンの大振りフックをもらう場面があり、リングサイドからは「しっかり見ろ。打ち返せ。足を使え」と檄が飛ぶ。

もはや2ラウンドからは、距離をとらずに相手を仕留めにかかった拳だが、やがて相手が大きく空振りしてふらつくと、その隙間を突いてジャブを打ち、離れぎわに一発打つという高度な、拳ならでは「離れ打ち」も披露しつつ、3ラウンドへ突入した。

3ラウンドに入り、やや疲れの見えたレスターに右カウンターをぶちこむと、ロープ際に追い詰めた拳。

レスターはたまらずダウン。左右の連打を浴びせて猛烈なラッシュをかけ、レフェリーストップになだれこんだ。「序盤が固かったので60点です」と反省しきりの拳四朗だった。

父で元東洋太平洋ライトヘビー級王者の寺地永会長は「春ぐらいにはできるように考えたいです。可能性はWBC(ガニガン・ロペス=メキシコ)かIBFの暫定(メリンド=フィリピン)が近いかも」と明かし、「世界戦はこっち(東京)でやって、防衛戦で(地元・京都に)錦を飾れればいいです」と話す。

果たして、世界戦が実現するか。
「まだまだクリンチされたら離れ方が悪いなど課題は多い」と陣営は言う。
「新世界王者」の誕生が近い予感がする。注目したい。

(伊東北斗)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号

東京拘置所の精神科医官として数多くの死刑囚と接した作家の加賀乙彦は著書「死刑囚の記録」で、「無罪妄想」にとらわれる死刑囚がいたことを紹介している。自分は無実だと嘘をつき続けるうちに自己暗示にかかるという症状らしいが、私が過去に会った死刑囚の中にもこれに該当すると思える者がいる。昨年12月で2011年の発生から5年を経過した長崎ストーカー殺人事件の筒井郷太死刑囚(32)である。

◆手紙だけでわかる特異な人格

長崎県西海市でストーカー被害を訴えていた女性(当時23)の自宅に何者かが侵入し、女性の母(同56)と祖母(同77)を刺殺する事件が起きたのは2011年の12月16日のこと。事件翌日、長崎県警が殺人などの容疑で逮捕したのが筒井郷太(同27)だった。

女性の父らは事件前、筒井による女性への度重なる暴力や脅迫メールなどのストーカー被害を警察に訴えていた。約1年半後に長崎地裁であった裁判員裁判では、筒井は無実を訴えたが、「不合理な弁解に終始し、良心の呵責や改悛の情は全く見い出せない」と死刑を宣告される。そして今年の夏、最高裁で死刑が確定した。

私が筒井に取材依頼の手紙を出したのは、長崎地裁で死刑判決が出てからまもない2013年の夏だった。ほどなく筒井から返事の手紙が届いたが、その文章は意味がわかりにくかった。ただ、「自分は無実」「真犯人はわかっている」「それらのことを証明する証拠があるのに、裁判に出させてもらえない」などと訴えていることは読み取れた。

また、手紙には、私の面会を歓迎するようなことが綴られていた。

〈疑問に思う事や、「お前それは嘘だろ」と思う事は、ハッキリと言って頂いてかまいませんので、気を遣わず質問して下さい。その分、僕も必死に説明するでしょうから。それでは、いづれ会いましょう!〉

この歓迎ぶりには、違和感を覚えた。というのも、私は取材依頼の手紙に都合のいいことを書いたわけではない。「報道を見る限り、あなたに不利な証拠が揃っているように思えるが、直接取材し、犯人か否かを見極めさせてほしい」と正直な考えを伝えていたからだ。筒井が特異な人物であることは、この手紙からだけでも容易に察せられた。

筒井死刑囚が収容されている福岡拘置所

◆満面の笑顔だったが・・・

その約2カ月後、福岡拘置所の面会室。グレーのジャージ姿で現れた筒井は、がっしりした大柄な男だった。照れたような様子を見せつつ、満面笑顔で「どうも」と会釈してきたが、私は正直、筒井の笑顔を薄気味悪く感じてしまった。筒井に対し、「クロ」の先入観を抱いていたせいかもしれない。

筒井はこの日、初対面の私にこんな頼みごとをしてきた。

「僕の2番目のお兄ちゃんに電話かメールで、僕に手紙を出すように伝えてもらえませんか?」

なぜそんなことを頼むのかと尋ねると、「お兄ちゃんに手紙を出したいんですが、今の住所がわからないんです」とのこと。私は「お兄さんはあなたに関わりたくないから、住所も教えないのだろう」と思いつつ、やんわり断ったが、案の定というべきか、筒井は人の気持ちを想像できない人間のようだった。

この時、もう1つ印象的だったのは、筒井から無実を訴えることへの「やましさ」が微塵も感じられないことだった。

◆本気の冤罪主張

ともかくこの日以降、筒井から無実の訴えが綴られた書面や手紙、ノートが次々送られてくるようになった。

〈ノートを読む人、みんな、信じてほしい。刑事や検事や弁護士が作った言葉じゃない、僕自身の、僕の心から出たそのままの言葉を書いたから、伝わってほしい!!〉

〈やってないことで長い間閉じ込められて、外の人には、凶悪犯と日本中に広められて、友人や家族まで思い込んでいて、死刑で殺される〉

こういうことがクセの強い字でノートなどに連綿と綴られているのだが、肝心の主張内容は、真犯人は被害者の身内の人たちだという荒唐無稽なものだった。ただ、筒井の文章からは本気で冤罪を訴えているような切実さが感じられた。筒井によると、自分の主張はDNA型鑑定やメールの履歴など数々の客観的証拠で裏づけられているが、弁護士が「名誉棄損になる」という理由で証拠を法廷に出してくれない――とのことだった。

弁護士も大変だろうと私は同情を禁じ得なかった。

◆怒らないと言いつつ怒る

やがて裁判員裁判の判決を入手できたが、有罪証拠は思った以上に揃っていた。

まず、筒井は事件当時、三重県の実家で暮らしていたが、事件翌日に長崎市内のホテルで警察に身柄確保されている。そして筒井の持っていたバッグからは血痕のついた2本の包丁が見つかり、筒井の着ていた衣服からも血痕が検出されたうえ、これらの血痕のDNA型は被害者のものと一致したという。しかもこの時、筒井は被害者の財布や手帳を所持していた――。

筒井が手紙で、〈僕の今までのコピーの手紙などを見て、どう思いました?〉〈怒らないので正直にお願いします〉と尋ねてきたので、私は手紙で正直に伝えた。

〈まず、内容がわかりにくかったです。また、最初にお手紙を差し上げた時にお伝えしましたように、私はこの事件では、筒井さんに不利な証拠が揃っているように思っていますが、コピーや手紙を見させて頂いても、まだその思いは変わっておりません〉

すると、次に届いた筒井の手紙では、怒っている雰囲気がひしひしと伝わってきた。

〈最初から、僕の書いたものは嘘だと決めて、まともにわかろうとしていないのでは?〉

〈それに、「筒井さんに不利な証拠が揃っているように思っていますが」と書かれていますが、それは、何の証拠のことを言っていますか? 実際にその証拠を手にして見て、(その周囲の関連証拠も)言っていますか?〉

確かに筒井の言う通り、私は有罪証拠の「実物」を手にして見たわけではない。また、警察や検察が証拠を捏造することもないわけではない。しかしこの事件に限っては、警察や検察に筒井を犯人に仕立て上げねばならない事情があったとは考えがたかった。

筒井死刑囚が嗚咽を漏らしながら無実を訴えた福岡高裁

◆無実の訴えは本気か直接質したが・・・

私は、福岡高裁であった筒井の控訴審を傍聴したが、筒井は法廷で「(死刑で)殺されても真犯人が誰かをばらします」と嗚咽を漏らしながら語るなど、逆転無罪に執念を見せていた。一体、どこまで本気で無実を訴えているのか。私がこの最大の疑問について、面会室で筒井に直接確認したのは2015年7月のことだ。

――色々筒井さんの書面を見せてもらいましたが、正直、あまり説得力を感じないんです
「(笑みをうかべ)えっ、あれが?」

――要するに筒井さんの主張は、本当は××さん(被害者の身内の人の名前)が犯人なのに、自分はハメられたということですよね?
「それはあんまり関係ないですね」

――じゃあ、何が問題なんですか?
「アリバイの証拠ですね。僕にアリバイがあるという」

――それもよくわからないんですが 
「ええっ(笑)」

――本気で自分のことを無実だと思っているんですか?
「思ってるとかじゃなくて、そうなんですけど」

――正直、私はやっはり筒井さんは「やってる」と思うんです
「わざと曲解しているんでしょう」

――証拠を捏造されたと言いたいんですよね?
「違います。そういう質問はいらないッ」

本人に直接確認してみても、筒井が「無罪妄想」に陥っているのか否かは断定しかねた。その後はどんな問いかけをしても「僕をビョーキということにしたいんでしょ」「気持ち悪いんですけど」「曲解されるからもういいです」などと言われ、会話にならなかった。そしてこの日以降、筒井は私の面会に応じてくれなくなった。

実を言うと、筒井は精神鑑定で非社会性パーソナリティ障害を有し、事件後の言動には演技性パーソナリティ障害の傾向が含まれると結論されていた。無実の訴えは単なる演技だったのか、それとも――。私は今も時折、面会室での筒井の様子を思い出しながら考え込んでしまう。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

まったくよい思い出がない行政機関にどうして「成人」を祝ってもらう理由がある。よい思い出どころか、むごい思いをさせられたあの県にある、あの市が主催する「成人式」になにが有難くてのこのこ出かけて行かなきゃならないんだ。正月に配布された市報には、市長と新成人の座談会が掲載されていた。知っている顔が市長と「若者の未来」をテーマの座談会に、デレッとした表情、馬鹿丸出しで発言している。「へっつ。軽薄な奴め! 行政権力に踊らされて恥知らずだよ」と市報を食卓に放り投げたら「そんな捻くれた考え方をするもんじゃない!」と父親に叱られた。

父親は俺を叱ったが、成人式に出席しろとは言わなかった。年中行事やしきたりを重んじない家風が幸いしたのだろう。時代遅れも甚だしく厳しい躾を幼少時から叩き込まれてきたが、不思議なことに世間では一般的な「七五三」や「お宮参り」といった因習的行事に我が家は全く無関心だった。「サンタクロースなんていないんだよ」となにげなく「教育」されたのは小学校入学前だ。かような子供にとっての「絶望的宣告」も別段珍しくはなかった。でも近年とは桁違いに世間ではクリスマスが騒がれていた当時、子供としては「クリスマスプレゼント」や「クリスマスケーキ」に憧憬を抱いたのも事実で、その根拠「よそはよそ、うちはうち」の絶対宣言が悲しくなかったと言えばウソになる。

なにが「成人」だ。成人がそんなに目出度いか。周りの「新成人」は社会に無関心で恋愛や、ファッション、さもなくば音楽に夢中になっている奴らばかりじゃないか。「成人」なんて20歳になったら急に訪れる激変なのか。違うだろ。「教師」として俺の前に次々現れた「成人」の中で人間的尊敬に値する人は3人しかいなかったじゃないか。世間は景気がいいらしい。それがどうした。俺には何の関係もない。日本の経済侵略がもたらした一時的なあだ花に過ぎはしないじゃないか。俺は相変わらず不機嫌だ。

1月の第二週の月曜に成人の日が移行する前。198X年の1月15日、私はかなりイライラしてどこに身を置いたら一番気持ち素直でいられるか、朝から6畳の下宿で悶々としていた。藤圭子じゃないけど「15、16、17と私の人生暗かった」。俺の成人の日を無視するのも手だけども、気が晴れるような場所か風景はないものか。かといってライブや人だかりに出かける気にはならない。一人がいい。そうだ。若草山の山焼きが今日だ。映像でしか見たことがない若草山の山焼きを見に行こう。火や花火からカタルシスを得られる俺の性格にうまくいくと合致するかもしれない。

サントリーホワイトとウォークマンをポケットに入れ奈良に向かった。若草山を眺めるのに至近の有名な場所ではないが、ベストポディションがあることは以前から知っていた。日頃の若草山は、至極おだやかな女性的ともいえる稜線だが、あの山が燃え盛ったら少しは爆発寸前な俺の気分を慰めてくれるだろうか。私のみが知るベストポディションは奈良市内のある歩道橋だ。私のほかに誰も居はしないだろう。

案の定、日が暮れ切った18時過ぎ歩道橋には誰もいはしない。サントリーホワイトを半分飲み干したのでペースを抑える。ウォークマンで聞いているのはYMOの「東風」、「千のナイフ」のライブバージョンだ。詳しい理由は解らないけど、YMOを中学生時代に耳にしてから、この無感情、無機質でありながら、底にどこかしら「革命」と相いれる旋律の楽曲に俺は、「こいつらやがては世界を取る」を予感した。中でも「千のナイフ」は最高だ。198X年1月15日はサントリーホワイトを友に、日ごろ温厚な若草山が、猛狂いながら燃え上がり、一切の欺瞞を燃やし尽くせ!

やがて山裾からから火の手が上がった。円周があやふやだった赤い輪郭はじりじりと山頂へ向けて炎を滾らせてゆく。ここは若草山からは距離がある。煙の臭いも届かないし、至近で眺めるよりも迫力は格段に落ちるだろう。そんなことは構わない。残りのサントリーホワイトを飲み干すと炎も山頂へ向けての速度が上がる。俺の耳では「東風」が鳴り響く。誰もいない歩道橋の上で腹の底に熱が湧く。かじかむ手先を擦りながら、俺なりの「成人の日」はこれでよかったと少し気持ちよくなった。

「成人」なんて擬制だ。優れた感性は中学生・小学生から老成した賢者にも通じる。違いは言葉を獲得しているか、していないかの違いだけだ。ダメな奴は50になっても60になっても年を重ねるだけで成長はしない。新成人の皆さん、おめでとう。君たちには制度により与えられる「成人」ではなく、自立した精神・哲学を持ち、行動し責任を取る真の「成人」(mature)を目指してほしい。そして希望を切り開けるのは君たちだけだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号

『NO NUKES voice』10号【創刊10号記念特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

昨年の11月19日(土)、東京・渋谷のHMVBOOKSイベントスペースで芥川賞作家・羽田圭介の受賞後第一作『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』刊行トークショー・サイン会が行われた。主催は講談社。

 

主催者側とみられるスタッフは7、8名いたが特に動きは無く、あくまで会場立会いに徹していた模様。客の会場への誘導などをHMVBOOKSの店員に頼り切っている印象を受けた。

会場は50~60名規模で9割ほどの入り。全体の8割が女性で、20代から30代の一人客が多く見られた。男性は大部分が40代から50代。男女に共通するのは落ち着いた恰好の人が過半数を占めていたこと。熱心なファンか、そうではないとしても普段から読書に親しんでいる人が集まっていたように思える。

羽田はテレビでもおなじみの、自作の装丁をペイントしたTシャツをジャケットの下に着込んで登場。「テレビだと自分の作品を紹介する時間なんて全然無いんです。それなら僕が画面に映っている時間は目に留まるように宣伝しておいた方が良いな、と思って着始めた」と言う。

羽田とは10年来の知り合いだというライターの武田砂鉄が司会・トーク相手という形式。武田の突っ込んだ質問には困惑する様子を見せながらも羽田は、「機械的な進行をする人だと僕が四六時中話していなきゃいけない。武田さんが相手でありがたいです」と終始上機嫌だ。

『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』にゾンビが登場することに関連して、トークはゾンビ論へ。羽田にとって「ゾンビ」は元々親しみのある存在だったようだ。
「ゾンビ映画ってお決まりのパターンが多くて、僕が身を置いている純文学の世界に似ているんですね。単に好きというだけではなく、決まりごとが多い中でどれだけ面白くできるかというところが執筆の参考になる部分も多いので、ゾンビ映画はよく観ていました」

また、新作には登場人物として売れない作家が登場するが、この描写には17歳で文藝賞を受賞してからの不遇な時代の羽田自身が反映されているという。

「でも、本が売れなくても原稿料とかお金は入ってくるのが出版業界の仕組み。なんとか食べていくくらいは貰えていたんで出版業界に感謝しています」

作中に「最寄り駅まで編集者が出向くくらいの作家」という表現があるが、「これはリアルな表現。作家の方から出版社に出向かなきゃいけないのとは歴然とした違いがありますよね。編集者も作家ごとにランクをつけていて待遇に差が出るようになっている。羽田さんなんて今や最寄り駅まで編集者がバンバン来るでしょ?」という武田の問いには、「最寄り駅って、言ってしまえば縄張りみたいなものですからそこに来てもらうのは何だか落ち着かない。最近は特に僕が出版社に行くようにしています」と羽田は笑う。

新作には時代風刺も散りばめられている。風刺に留まらず、もっと現代という時代に肉薄して書いていく気は無いのかと問われると、「あまりにも時代にコミットしているものは小説である必要が無くなりますから。東日本大震災の時も地震をモチーフにした作品が大量に出回ったけれど、だったらノンフィクションで良いんじゃないかと思っていましたね」
少し「ズラして」書くのが羽田流なのだろう。

そして今の羽田には切っても切り離せないのが「芥川賞」である。昨年芥川賞受賞の知らせをカラオケボックスで悪魔メークのまま受けてからというもの、注目度はうなぎ上りだ。しかし意外にも受賞するまでは興味の無い賞だったらしい。
「芥川賞に限らず文学賞なんて受賞しない限りは興味無いですよ。最終選考まで残っても落ちることの方が多いんだから」

自分が書いた作品の内容を忘れることもしばしばあるという。この素っ気無さも人気の要因か。羽田自身がメディアに重宝されていることにもいたって冷静な見方をしている。

「作家でメディアにどんどん出る人という枠にたまたま自分がぴったりはまっただけでは。特別なこととは思わない。テレビで言いたいことも特に無いです。言いたいことは作品の中で言いますんで」

トークショーという場で「言いたいことは小説の中で」と言い放つのは元も子も無い話かもしれないが、羽田圭介というキャラクターが描き出す世界を端々に感じ取れる。何事に対しても冷静な眼差しが羽田を支えているのだ。彼のフラットな眼は作品の中で精緻な描写を生み出す。そして単に描写が巧いというところに留まらず、そこから少し「ズラして」書くことでオリジナリティーに富む作品ができあがるのだろう。

テレビ業界の良い部分としては「請求書があるところ」と言う羽田。
「出版業界って基本的に請求書が無いからお金の支払いの時期がいい加減になっている場合がある。その点テレビはきっちり。こちらが請求書を書けば、期日通りにギャラを払ってくれる。そういう几帳面なところは良いですね」

テレビ出演時、ギャラ交渉をしっかりやるという羽田らしい意見である。
さらに出版業界に一家言あるようだ。これから長く出版業界に携わっていく若手という自覚があるからこそ、問題意識を常日頃から持っている様子がうかがえた。
「今、新刊は確かに買われていない。ただ図書館を利用する人は増えているんです。つまり金銭的に新刊を買う余裕が無くなっているってことかな、と。ブックカフェで読書啓蒙のための催しとかをやっているのを見かけますけどそれじゃあ変わらない。末端にしか響かないですし。経済政策をしっかり打ち出せる人を選挙で選ばないと。出版業界を盛り上げるために皆選挙に行きましょうって言うのはアリだと思う」

1時間半に及ぶトークショーの最後にはこれからどういうものを書いていきたいか、という問いに答えた。「金太郎飴のようにどの部分を切り取っても面白いと思えるような小説を目指す」と羽田。よりわかりやすい面白さを追求しようとする姿勢に、彼が作家として求道者であることが感じられた。お茶の間ウケする現役バリバリの作家として、邁進していく羽田圭介の姿を追うことは、これからの日本の文学界の行方を見つめることなのかもしれない。

(伊東北斗)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

 

商業出版の限界を超えた問題作!

『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

1月4日、東京電力会長數土文夫(すどふみお)氏が社員に向けた年頭挨拶を行っている。その様子が下記URLで公開されている。數土氏は6分ほどの挨拶の中で、以下のように述べている(抜粋)。

東京電力・数土会長

「委員会は廃炉賠償の為に確保すべき資金として、22兆円という巨額な数字を提示しております。厳しい、の一語につきます。しかしながらここで必要とされるのは福島の責任を果たすために当社が存続を許されるという原点に返り、自ら最大限の改革挑戦することであります」

「定量化できないものはマネージできません。ぜひ自らのjob description(職務内容)を明確にしていただきたいと思います」

「私は東京電力に来てから、上司が部下を厳しく叱ったり、逆に心から褒めたりする場面を見たことがほとんどありません。論語には『仁者は必ず有徳者であるけれども、勇者はかならずしも仁者たらず、人徳者たらず』とあります」

「これからは厳しい経営改革をリードする皆さんには、自分自身に対する今まで以上の厳しさ、チームに対する今まで以上の厳しさが求められると同時に、周囲に対する敬意と思いやりも必要であると忘れないでいただきたいと思います」

「東京電力の厳しい非連続の経営改革の先には福島への責任を果たすため、オリンピックメダルの世界に冠たる企業になる、という夢があります。健全なるゲーム感覚で楽しんで夢に向かって挑戦していただきたいと、強く思っております」

東京電力ホームページより2017年1月4日東京電力・数土会長等 「2017年 年頭挨拶」

◎2017年1月4日東京電力・数土会長、広瀬社長「2017年 年頭挨拶」(約26分)

◆社会に「取りかえしがつかない」罪と損害を与えてしまった東電の贖罪は?

數土氏は東京電力の生え抜きではなく、大学卒業後は川崎製鉄に入社し、その後も鉄鋼畑で活躍した方である。NHKの経営委員長を勤めたこともあり、2014年から東京電力の会長に就任している。

數土氏の選ぶ言葉がなるほど、東京電力生え抜きのこれまでの社長や会長と違って感じられるのは長年、鉄鋼畑を歩いてきた経歴からであろう。彼の指摘の総論は一見正論に聞こえる。とりわけ冒頭に述べている委員会(原子力規制委員会)から、廃炉、賠償に22兆円を確保すべしと突きつけられ「厳しい、の一語に尽きます」と釘をさしているのは妥当である。

しかし、残念至極ながらやはり、彼がこれまで培ってきた経歴や経営者としての覚悟を語ってもそこには重大な欠落がある。それは「取りかえしがつかない」罪を犯し、人々に数値や金額では図ることのできない「回復不能」な損害を与えてしまった企業としての贖罪の意が決定的に欠如していることだ。

◆福島への責任を果たすための健全なるゲーム感覚とは?

「東京電力の厳しい非連続の経営改革の先には福島への責任を果たすため、オリンピックメダルの世界に冠たる企業になる、という夢があります。健全なるゲーム感覚で楽しんで夢に向かって挑戦していただきたいと、強く思っております」

この認識は率直に指弾しなければならない。「健全なるゲーム感覚で楽しんで」などという表現は仮に社内向けであっても(この映像は公開されているので社内だけに向けられたものではない)東京電力には許されざる認識だ。論語の引用で東電の社風を厳しく批判するのは結構であるが、「厳しい中にも楽しさ」は福島原発事故を起こした東電に許されるものではない。私はこの発言を断じて容認できない。

◆東京電力には法人としての「死刑」を執行するしかない

むしろ前段の現状認識が比較的穏当であるだけに、この「無責任な楽観表現」は到底看過できない。数土氏の人となりや思想に私は明るくない。おそらく鉄鋼畑では、優秀な経営者であったのであろう。しかしこの発言は福島原発事故前にこそ、なされるべきであったもので、事故を起こした「犯罪集団」がいかに業務効率を上げようが、自己に厳しくあろうが、すべては遅すぎるし、全くの失当なのだ。

私は刑法の死刑には強く反対する立場であるが、東京電力には法人としての「死刑」を執行するしかないだろう。すなわち、全資産を処分しての会社の清算を行ってもらうしか責任を「示す」方法はないと考える。仮にそのように会社「清算」を実行したとしても、規制委員会が指示した22兆円をあがなうことは到底できないし、忘れていただいては困るのは、「金」では置き換えられない人びとの「人生」を奪った罪は消え去ることがないということだ。

◆国にケツを持ってもらった「犯罪集団」に再生の道はない

そして數土氏の年頭挨拶には、被害者への謝罪へ直接の言及が皆無であることも見落としてはならない。実直な経営者なのかもしれない。だから経営を任された「事故物件」東京電力の再生に全力を傾注しているであろうことは、數土氏の言葉のはしばしから伝わってくる。しかし東京電力は、たんに経営不振な企業というわけではないのだ。グローバル企業に育てたいとの意欲は別ベクトルに向けてもらわなければ困る。

国にケツを持ってもらった「犯罪集団」にはいくら熱血漢の経営者を送り込もうとも再生の道はない。時計を2011年3月11日以前に戻すことが、もしできれば數土氏の言葉は意味を持つ、が、そんな「If」は現実には絶対不可能である。がゆえに數土氏の「年頭挨拶」はまたしても東京電力の犯罪体質の再宣言としてしか意味をなしていない。潔く頭(こうべ)を垂れて資産売却を行い清算せよ。これ以上「犯罪集団」東京電力の増長を許してはならぬ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号

『NO NUKES voice』10号【創刊10号記念特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

2016年は原発広告が完全に復活し、しかも新たなプロパガンダ手法まで展開された年だった。年末にはもんじゅの廃炉決定という核燃サイクルの歴史的転換が起きたものの、原発ムラの野望はいささかも揺らいではいない。再び国民を騙そうと、陳腐な広告出稿を全国で展開中である。今回はその確認をしておこう。

◆青森、新潟、福井、静岡──原発広告を定期・不定期で出稿している4地域

2016年6月14日付東奥日報記事

現在、原発広告を定期・不定期で出稿しているのは以下の地域だ。

青森県  日本原燃を中心とした新聞・雑誌広告、テレビ・ラジオCM
新潟県  東電による新聞・雑誌広告、テレビ・ラジオCM
福井県  関電による新聞広告、シンポジウム実施
静岡県  中部電力による新聞広告、テレビ・ラジオCM
 
このほかの地域でも散発的な広告出稿はあるが、継続的な出稿が確認できているのは上記の県になる。

2017年1月5日付日本経済新聞記事

◆東奥日報──青森県や原燃と二人三脚で原発推進

各県の特徴を簡単に説明すると、青森県の東奥日報は311以前と全く変わらず、原発推進を社是としているとしか思えない新聞社で、青森県や原燃と二人三脚で原発広告や推進記事を掲載し続けている。

福井新聞と共に311以前から原子力産業協会(原産協)に加盟しており、ある意味全く原発推進姿勢のぶれない新聞である。広告だけでなく、女性読者限定の勉強会と称して原発関連施設見学会を定期的に開くなど、ヨイショ的なPR活動も積極的に行っている。

2016年2月11日新潟日報に掲載された東京電力15段広告

◆新潟日報──東電HPから消された15段広告

東電は現在、TEPCOの社名でインターネットのバナー広告などを打つ以外は、新潟県内に限って新聞・雑誌、テレビ・ラジオ広告を展開している。東電黒字化の切り札と言われる柏崎刈羽原発の再稼働を狙っているからだが、昨年10月に実施された知事選で、再稼働に反対の米山隆一氏が当選したことによりその可能性はかなり遠のいた。

それでもしぶとく広告出稿を続けているのだが、これに対しては県民及び福島県からの避難者からの強い抗議に晒されている。多くの人々から広告出稿中止を求められてもやめないのだから、東電という集団の傲慢さが非常に如実に表れている。

しかし、彼ら(新潟本社)のホームページを見ると、面白いことに気づく。

このページには過去の広告が全て掲載されているが、昨年2月11日に新潟日報に掲載した15段広告(別添)だけが欠けているのだ(出稿直後は掲載されていた)。福島第一原発の事故発生を防ぐことが出来なかった企業が『更なる「安全」を胸に』というキャッチコピーを使うのはおかしい、と私が『NO NUKES voice』はじめあちこちのメディアで批判し、東京新聞や朝日新聞でも記事掲載されたから、あまりに体裁が悪くて削除したのではないかと思われる。連中もある程度は批判を気にしているということだろう。

2017年1月5日付福井新聞記事

◆福井新聞──関電、原研、文科省と共犯する原発翼賛キャンペーン

福井県では関電が散発的に広告出稿しているが、前回も報告したように、原発翼賛シンポジウムなども積極的に行っている。それを福井新聞が紙面で紹介するのだから、同社も立派な共犯である。

そういえば、昨年末に廃止が決まったもんじゅの運営元である原研や文科省は、運転停止処分中で廃止がほぼ決定的だった2015年も、「改革の総仕上げに向けて」と題する15段の新聞広告を福井新聞に数度掲載していた。だが運転停止処分を平然と「改革」という言葉に置き換える鉄面皮でも、廃止を免れることは出来なかった。

中部電力ホームページより

◆静岡新聞──浜岡原発再稼働を目指す中部電力の広告出稿額は年間1億円超

そして昨年、原発広告の出稿が全国で一番多かったのは、静岡の浜岡原発再稼働を目指す中部電力である。主に静岡新聞への15段や7段広告シリーズの掲載、テレビ・ラジオCMの実施などで非常に目立っていた。もちろん、シンポジウムなどの実施にも余念がない。静岡新聞への出稿金額は年間1億円を超えていると思われ、同社にとっては大変有難い広告主になっている。

実際に静岡新聞は、東海地震や南海トラフ地震関連の記事は頻繁に載せるものの、最大の懸念材料である浜岡原発については事実報道のみで批判的な記事はほとんど載せていない。つまり中部電の広告掲載は、相手の批判力を削ぐ役目を立派に果たしているのだ。

東京電力ホームページより

◆「電力自由化」広告で巻き返しを図る電力会社の地元紙への「賄賂」

上記にあげたように、日本全国の原発所在地で原発広告は復活しているものの、現在その頻度は311に比べて少ない。しかし、実は隠れた懸念材料が他にある。昨年の電力自由化を口実に、電力各社が広告活動を活発化させているのだ。つまり、原発をテーマにした広告は少ないが、電力自由化がテーマの広告は激増している。そうすることによって、またもや「広告費」と称する「賄賂」が堂々と電力会社から各地域のメディアに流れる図式が復活しているのだ。

電力会社がメディアに大量の広告費を払えば、原発がテーマであろうがなかろうが「優良スポンサー様」となり、そこから出るカネを失いたくないメディアはまたぞろ311以前のように、電力会社に不利な報道を自粛するようになる恐れがある。今年も各地の原発広告や電力会社の広告展開を厳しくウオッチしていきたい。

◎[参考動画]「記憶すべき年となる」東電・数土会長が年頭挨拶(2017年1月4日ANNnewsCH)

 

▼本間龍(ほんま りゅう)
1962年生まれ。著述家。博報堂で約18年間営業を担当し2006年に退職。著書に『原発プロパガンダ』(岩波新書2016年)『原発広告』(亜紀書房2013年)『電通と原発報道』(亜紀書房2012年)など。2015年2月より鹿砦社の脱原発雑誌『NO NUKES voice』にて「原発プロパガンダとは何か?」を連載中。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号

『NO NUKES voice』第10号本間龍さん連載「原発プロパガンダとは何か?」新潟知事選挙と新潟日報の検証!

年賀状の習慣を止めて10年以上になるが、それでも頂ける年賀状だけには返信する。筆不精で手書きの文字は下手くそな私には、パソコンとプリンターが実にありがたい。のだけれども、年賀状作成に限らず、最近パソコンの作動がどうもおかしい。当初のWindows8は起動も早く操作性に不具合はなかったが、抵抗しても抵抗しても画面に現れる「Windows10」へのバージョンアップ画面に毎回拒否をしていたが、いつの間にか勝手にWindows10へOSが切り替えられてしまった。問題はそれから生じた。

◆「押し付け」アップデートの不快

要らないから拒否しているのに無理やりの「押し付け」に、まず不快な思いをさせられたが、不快な思いにとどまらず、不具合まで不随して押し付けられるはめになったから始末におえない。まず起動が遅い。といっても何分もかかるわけではないから、これは我慢すれば実用問題ない範囲ではあるが、以前より「のろくなった」のは気分がよいものではない。そして困ったことにWordなどの初歩的なソフト利用中に、しばしばフリーズ(画面が白くなり固まる)が発生する。毎日のように駄文を綴っているが、こんな現象はWindows10へ「強制連行」されるまでは経験がなかった。コンピューターに詳しい方に話を聞くと、どうやらこの現象は私に限ったことではなく、多くの人が同様の不具合に手間を割かれ迷惑しているとのことだ。

面倒くさいし、細かいことは解らない。そもそも理解しようという意欲がないから、私にとってパソコンはもう進歩して頂かなくて結構だ。いや私だけではなく、人類全体にとってもこれ以上の情報処理技術進歩は幸せをもたらすものではないだろう。ソフト会社の方々は新たなソフトやOSを開発しないと商売にならないのだろうけども、もうこれ以上は要らない。人工知能も予想変換も音声入力も、便利かもわからないけれども、つまるところ人間が体と頭を使って行うべき動作や思考をアウトソーシングしているわけであり、そんなことを当たり前に続けていればますます、生物として人間の感覚や行動域、思考が退行してゆくのではないか。

◆利便性や幸福をもたらすために科学技術が常に進歩するわけではない

利便性や幸福をもたらすために科学技術が常に進歩するわけではない。科学技術の進歩は無思想であり、利益と打算、直近の成果が開発者にとっては尺度である。であるゆえに、世紀の大開発ともてはやされる「iPS万能細胞」にも私は疑念を持つ。困難な病に日々苦しむ方々が新薬や「iPS万能細胞」に期待を寄せておられることを承知の上でも疑念は消せない。

万能細胞と遺伝子組み換え技術を軍事的な視点から合体させたらどうなるだろうか。これは夢想ではない。第二次大戦中にヒットラーは北方優越民族(純血のゲルマン人)を創出するために、体格、外見がゲルマン民族として優れた若者を秘密裏に交接させ、「スーパーゲルマン」創出を実際に行っていた。

敗戦によりその目論見は短期間で終了したけれども、今日の為政者の立場で試考してみればどうだろうか。科学技術自体は無思想だが、その開発に関わる人間には思想がある。世界から注目を集める山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長が月刊『HANADA』に登場し、櫻井よしこに歴史を尋ねている。歴史を尋ねる相手がなぜ、極端な歴史修正主義者の櫻井よしこなのか。山中氏はその行為をなぜ全く躊躇していないのか。私には合点がいく。

◆テクノロジー依拠は最小限にとどめる

パソコン、スマートフォン依存による退行は既に散見される。高校の英語の授業では電子辞書が当たり前のように使われているし、タブレットやスマートフォンに向かって「この近くで美味しいランチ」などと急に横で声を出されると、びっくりすることがある。電車の中で携帯電話の通話をするな、というのがこの国の標準的なマナーとされているけれども、小声ならべつに構わないんじゃないか。大声で井戸端会議をやるおばさんたちの規制の方が優先順位は先だと思うが、間違いか。

「近くの美味しいランチ」を探すのはかまわないが、それくらいはタイプしてもたかが数文字じゃないか。音声入力に慣れた方にとっては、たかが数文字のタイピングが面倒なのだろうか。私にはよくわからないけれども、利便性をまとった人間の機能低下を生じさせるテクノロジーの接近にはかなりの注意が必要だと感じさせられる。

と言いながら上記主張とは正反対に、年賀状の作成をパソコンに委ねる私が、何を言っても説得力は無きに等しいか。今年は老化を痛感する身体を、それでも最大限に使ってゆかなければならない、そうでなければ「顰蹙を買う文章を書け!(松岡氏から賜った私の使命)」すら果たせなくなるかもしれない。吠え続けるためにテクノロジー依拠は最小限にとどめようと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

タイでの試合とボランティア活動が多い志朗。2017年も両面で期待される

志朗に続く治政館ジムの期待の麗也もタイでの試合を意欲的にこなす

2016年から続く過酷な試練がムエタイ殿堂チャンピオン達には待ち受けています。T-98(今村卓也)と梅野源治はムエタイチャンピオンのまま1年を過ごせるか。

T-98は昨年6月に王座奪取し、10月に現地ラジャダムナンスタジアムで初防衛を果たす、日本人では初の快挙でした。これはT-98自身が目指したことでしたが、観衆は少ない中での防衛戦で、層の薄い重量級で今後、高評価を残すには、今考えられる大物と現地で防衛戦を積み重ねることで克服していくことでしょう。

梅野源治は今年、「KNOCK OUT」の常連メインイベンターで毎度の出場が予定されています。年間6度の興行予定がある中、更にこの合間を縫って半年とされる4月23日に防衛戦期限を迎えるラジャダムナン王座防衛戦を行なわなければなりません。
どちらも強豪が待ち構えるイベントで、強い梅野がどこまで短い試合間隔で激戦を続けられるか注目されます。タイ同級ランカーにも梅野という難敵は研究されるほどなので、群集が押し寄せる現地スタジアムで防衛を果たすことも陣営の計画にはあるでしょう。

◆ムエタイ二大殿堂王座に何人の日本人選手が挑戦するか?

更にこれらの最高峰とされるムエタイ二大殿堂王座に、今年の暮れまでに日本人選手が何人挑戦し、何人チャンピオンが誕生しているかも話題のひとつですが、「藤原敏男氏が獲った時代から比べれば、ずいぶんムエタイ王座挑戦への道が楽になったものだ」と語った当時を知るベテラン記者がいました。獲るだけでなく伝説を作る名チャンピオン誕生を、その兆しを作って欲しい数々のビッグイベントに期待が掛かる2017年であります。

◆1月6日(金)23時からTOKYO MXTVで「KNOCK OUT」がレギュラー放送に!

12月5日に初回興行をKO続出の大成功で終らせたイベント「KNOCK OUT」は今後も好カードでTOKYO MXTVで1月6日(金)23:00より、平成期以降は初となる毎週の地上波レギュラー放送が始まります。

1月8日に開催される新日本キック治政館ジム興行「WINNERS 2017.1st」のポスター

◆新年は1月8日(日)新日本キック「WINNERS2017.1st」で幕開け

年初めの国内興行では1月8日(日)後楽園ホールでの新日本キックボクシング協会・治政館ジム興行「WINNERS2017.1st」で、ISKAムエタイ世界バンタム級チャンピオン(55kg級).志朗(松本志朗/治政館)が出場。2016年1月に滝澤博人(ビクトリー)を圧倒し5R・TKOで倒したバカイペット・ニッティサムイ(タイ)と、56.0kg契約5回戦で、勝者がファイトマネーを総取りするというタイではよく行なわれる両陣営納得の条件で賞金マッチを戦います。観衆は観ているだけですが、お金が懸かるとより試合が熱く、注目と緊張が高まります。

麗也選手は昨年、日本フライ級王座を返上し、世界タイトルを目指し歩みはじめており、2017年は世界タイトルに繋がる闘いを続け、目先の目標はISKA世界王座になるでしょうが、更なるその先のムエタイ二大殿堂王座を見据えての通過点となるでしょう。その今年の初戦は元・ルンピニー系スーパーフライ級2位.グッサコンノーイ・ラチャノン(タイ)と対戦します(当初対戦予定の鈴木真彦は負傷欠場です)。

◆1月22日(日)はREBELSとJKI合同でチャンピオンカーニバル

1月22日にはディファ有明にてREBELSと日本キックボクシングイノベーション(JKI)との合同興行でチャンピオンカーニバルとして豪華開催。ノンタイトル戦を含め、両団体王座やWPMF、WBCムエタイなどの日本タイトルなどの複雑な国内王座が絡むロングタイム興行となります。

NKB傘下の日本キックボクシング連盟興行ポスター、進化が感じられる団体

◆2月5日(日)は日本キックボクシング連盟・神風シリーズvol.1

2月5日(日)にはNKB傘下の日本キックボクシング連盟・神風シリーズvol.1が開催。NKBミドル級王座決定戦、1位.田村聖(拳心館)vs 2位.西村清吾(TEAM-KOK)の10月2日に引分けた決着戦として行なわれます。高橋三兄弟は長男と次男出場、長男・一眞はNKBライト級ランカーの洋介(渡辺)と対戦。3連敗からの巻き返しに力を注ぎます。

次男の現NKBバンタム級チャンピオン.亮は元・WBCムエタイ日本バンタム級チャンピオンの知花デビット(エイワスポーツ)とチャンピオン経験あるもの同士の対決に挑みます。KNOCK OUTを意識したアピールが多いNKBだけに昨年からより活気ある興行が増えています。

そして2月12日(日) 大田区総合体育館で開催される注目の「KNOCK OUTvol.1」に繋がります。このイベントに相応しいと人選された3試合が決定しています(12月28日現在)。

梅野源治と対戦するのは、タイで10年近い選手生活で、国際的イベントに成長した「MAX MUAYTHAI」で昨年9戦6勝3分の戦績を残し、巧みな首相撲とヒジ打ちが得意で、前進するのみのファイタータイプ、ワンマリオ・ゲーオサムリット(スペイン)が選ばれました。

互いのぶつかり合いで一瞬の打ち合いで終る衝撃的結末を予感させますが、梅野は12月28日のカード発表記者会見で「心を折る、この時点でKO以上の価値があり、KOでなくても技術戦で相手の心を折れる試合がしたい」と語り、12月5日の初戦判定勝利もシリモンコンが心折れていた終盤が思い起こされます。

「守りに入った相手をどうすればKOできるかもトレーナーと研究中」と言い、「欧米系はパワーがあるとか体幹が凄いとか言われますが、それを感じたことは一回も無く、弱くてテクニックも無く単純にやり易く、タイ人とやる方がいちばん難しい」と言う、なかなか的を得た、欧米系のレベルも感じ取れる梅野源治の発言でした。

「KNOCK OUT vol.1」メインイベント、“king”梅野源治 vs “アバンサール”ワンマリオ・ゲーオサムリット

◆61.5kg契約 5回戦

ラジャダムナン・ライト級チャンピオン.梅野源治(PHOENIX)
vs
ワンマリオ・ゲーオサムリット(元・WPMF世界ライト級C/スペイン)

“WONDER BIRD”不可思 vs“クレイジーピエロ”山口裕人

◆64.0kg契約 5回戦

WPMF日本スーパーライト級チャンピオン.不可思(クロスポイント吉祥寺)
         vs
WBCムエタイ日本スーパーライト級チャンピオン.山口裕人(山口)

“RIZING BOM”引藤伸哉 vs “褐色のナルシスト”健太

◆67.0kg契約 5回戦

WPMF日本ウェルター級チャンピオン.引藤伸哉(ONE’S GOAL)
         vs
WBCムエタイ日本ウェルター級チャンピオン.健太(E・S・G)

一般の方には何か不可解と思われる同級チャンピオン対決ですが、上記予定文面にも出ているように、これが階級によっては10人も国内同級チャンピオンが居る不可解なキック系業界の王座乱立になっています。

これらの選手は複数王座を持っている選手も居て、まだしばらく改善はされないでしょうが、今年の「KNOCK OUT」の影響で、多くの国内王座より、名のある選手同士のビッグマッチが注目される時代に突入となり、多くの団体や興行が「KNOCK OUT」の出場を意識し、またはここに勝るイベントを目指す団体も出てくるほどキック業界が上昇志向となるでしょう。

「KNOCK OUT」が活動1年を迎える年末に、世間に与える影響はどれほどか、楽しみな1年となるでしょう。

「KNOCK OUT」を表と裏で牽引する小野寺力プロデューサーと梅野源治チャンピオン

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

7日発売!タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号!

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

2017年も冤罪関係の新たな動きが色々ありそうだ。とはいえ、あまり先のことを予測しても、予測が当たったか否かの正解が出るまでに、読者は私がどんな予測をしていたのかを忘れていること必至だろう。そこで年度内、つまり3月末までに当たりはずれの結果が出そうな冤罪関係の新たな展開を予測する。

会見で血液型鑑定に関する審理の状況と見通しを説明する徳田弁護士(中央)ら飯塚事件再審弁護団(2016年11月18日)

◆新争点「血液型鑑定」で重大な動きがある飯塚事件

1992年2月に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」では、一貫して無実を訴えていた久間三千年氏(享年70)が2008年に死刑執行されたが、有罪の決め手とされた警察庁科警研のDNA型鑑定は当時まだ技術的に稚拙で、鑑定結果が誤っていた疑いがあることは有名だ。そのため、無実を信じる久間氏の遺族が2009年に再審請求して以来、史上初の死刑執行後の再審無罪がなるかと注目されてきた。

この飯塚事件は現在、福岡高裁で再審請求即時抗告審が行われているが、DNA鑑定に加え、血液型鑑定も誤っていた疑い浮上したことは昨年6月22日付けの当欄でお伝えした通りだ。血液型鑑定を行ったのも警察庁科警研だったのだが、弁護団によると、科警研は鑑定の際、ABO式の血液型判定に必要な「オモテ試験(赤血球を調べる検査)」と「ウラ試験(血清を調べる検査)」という2つの試験のうち、ウラ試験を行っていなかった。昨年11月、科警研の鑑定担当者に対する証人尋問が行われたが、「鑑定資料の量が少なく、ウラ試験はできなかった」と述べたという。

弁護団長の徳田靖之弁護士はこう批判した。

「実際にウラ試験を行ってみた結果、鑑定資料が少なくて、ウラ試験ができなかったというなら話はわかります。しかし実際にウラ試験を行うことなく、最初からウラ試験ができないものだと決めてかかるのはおかしいです」

そんな問題があったため、弁護団は福岡高裁に対し、科警研の鑑定が科学的に妥当かどうかを専門家に再鑑定させることを請求。これに対する福岡高裁の判断は2月に示される見通しだ。科警研の血液型鑑定では、遺体遺棄現場で見つかった犯人の血痕は久間さんと同じB型だと判定されているが、弁護団は筑波大学の本田克也教授の見解に基づき、「AB型」か「AB型もしくはB型」と判定すべきだと主張している。仮に福岡高裁が犯人の血痕はAB型だと認定したら、それだけで再審の開始が確定的になる。

林氏は鑑定人に損害賠償を請求する考えがあることを明かすカレー事件弁護団の安田好弘弁護士(2016年7月21日)

◆鑑定人に損害賠償請求訴訟が行われる見通しの和歌山カレー事件

98年7月、和歌山市園部の夏祭りでカレーに何者かが猛毒の亜ヒ酸を混入し、60人以上が死傷した和歌山カレー事件では、現場近くに住む主婦の林眞須美氏(55)が殺人罪などに問われ、一貫して無実を訴えながら2009年に死刑が確定した。裁判で有罪の決め手となったのは、東京理科大学の中井泉教授が兵庫県の大手放射光施設スプリング8の放射光を使った分析により、「林氏の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「カレーに混入された亜ヒ酸」が「同一の物」だと結論した鑑定結果だった。

ところが、林氏が和歌山地裁に再審請求後、弁護団の相談をうけた京都大学の河合潤教授が中井教授の鑑定データを解析したところ、「林氏の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「カレーに混入された亜ヒ酸」は軽元素の組成が異なっていたことなど中井鑑定に様々な疑義が浮上。それをきっかけに、この事件の冤罪を疑う声は急激に増えていった。

さらに昨年、「もう1つのヒ素の鑑定」についても疑惑が浮上した。というのも、この事件では捜査段階に、「ヒ素の生体影響」の研究を行っている北里大学医療衛生学部の山内博教授(当時は聖マリアンナ医科大学助教授)が林氏の毛髪を鑑定し、「無機の3価ヒ素が検出された」と結論。最高裁はこの鑑定結果をもとに、〈被告人はヒ素を取り扱っていたと推認できる〉と認定し、有罪の根拠として挙げていた。

しかし河合教授が検証を進めたところ、山内教授が鑑定に用いた装置は70年代の老朽化した装置だったうえ、山内教授が91年以降、この装置を用いて実験を行ったことを示す論文が一切見当たらなかったという。また、裁判での証言と論文の記述に矛盾する点もあったという。

こうした状況の中、弁護団によると、和歌山地裁は年度内に再審可否の決定を出す見通し。さらに弁護団は林氏が原告になり、「虚偽の鑑定」を行った中井教授と山内教授を相手に損害賠償請求訴訟を起こす考えもあると表明している。こちらもそんなに先の話ではないと予想され、提訴がなされたら大きな注目を集めそうだ。

広島市の繁華街で支援者らと共に無実を訴える煙石氏(2016年12月11日)

◆当欄が伝え続けた広島の元アナ冤罪事件は劇的な逆転無罪か?

今年は最高裁で2年ぶりとなる逆転無罪判決が出ることが期待されている事件がある。当欄で2013年から注目の冤罪事件として経過をレポートしてきた広島市の元アナウンサー、煙石博氏(70)の「窃盗」事件だ。

煙石氏は2012年、自宅近くの銀行店内で他の客が記帳台の上に置き忘れた封筒から現金6万6600円を盗んだ容疑で検挙された。そして1審・広島地裁で懲役1年・執行猶予3年の有罪判決、2審・広島高裁で控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中である。

しかし裁判では、弁護側が依頼した鑑定会社による防犯カメラ映像の解析により、煙石氏が記帳台上の封筒からお金を盗む場面が映っていなかったと判明。そもそも、被害者とされる女性が記帳台の上に置き忘れていた封筒には、お金が入っていたのか否かという疑問も浮上しており、1、2審共に有罪とされたのがそもそも極めて不当なことだった。

そんな事件が最高裁での逆転無罪を期待されているのは、最高裁が検察官と弁護人双方に弁論させる公判を今年2月17日に開くからだ。というのも、最高裁は通常、公判を開かずに書面だけで審理を行うが、「控訴審までの結果が死刑の事件」と「控訴審までの結果を覆す事件」では検察官、弁護人の双方に弁論させる公判を開くのが慣例だからだ。煙石氏のケースは後者に該当するとみられているわけだ。

2月に弁論が開かれるということは、最高裁は年度内に無罪判決を出す公算が高い。期待すると裏切るのが日本の裁判所なので、信頼し過ぎるのはよくないが、私はこの事件の未来については楽観している。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

初詣の人波に溢れる、四谷の神社であの人とすれちがった。わたしは下り、あの人は参道から階段に歩を進めてきた。わかった。なぜだかわかった。あの人がやってくる。思い出せない。なんで? あの人なのに。あの人の名前は……。

眼光鋭い狼三頭が低い咆哮をあげている。雪化粧こそないが凍てついた赤い大地が牙をむく大陸の上で。ずっとずっとさがしていた彼らはサソリのような生命力でようやくわたしの前に現れてくれた。人間だった彼らが狼に変容したって、わたしにはなんの不思議もない。彼らは彼らとして生き抜くなかで、狼に転化しただけのことだ。ひっきりなしにほほに吹き付ける寒風の中で、わたしは赤い大地に立つ狼たちとの距離を詰める。隆々とした筋肉を剛毛の下にたくわえた狼たちの息づかいが聞こえてきた。

語っているのだろうか、成就を。あるいは一時の休息か。彼らは40年も前のわたしたちへの約束を果たし終えた。年末、小伝馬町の職場で同僚が迷惑そうにニュース画面を見ながら交わす雑談を聞き、わたしは体の震えを止めることはできなかった。生きていたのか? 自由でいたのか? あの約束を40年も追いかけていたのか? そして成就したのか?

わたしはなにを差し置いても自分が会いに行かねばならない「義務」を直感した。その日の定時前、課長へ休暇願のメールを送った。理由は「海外旅行に出かけるため」とした。課長からは「普段年休もとらないあなたが急に珍しいですね。仕事の心配は要りませんからどうぞ良い旅を」と返信をもらった。

妻には「古い友達が急に亡くなった」とだけ告げた。「何言ってるのよ、お父さん! お正月どうするのよ! 誰なの古い友達って? 子供たちはどうするのよ! お年玉は?」帰宅して早速旅支度をはじめると妻はまくしたてた。

「おまえに任すよ、ぜんぶ」と言いながら妻を抱きしめた。「なによ! どうしたの…… 変よ……」背中に回した手の力を強める。いい家庭だった。手の力を緩め、銀行でおろした1000万円と生命保険証書を入れた虎屋の羊羹箱がはいった紙袋を目で示した。「お年玉とお義母さんへの羊羹だ。これで勘弁してくれ。3日には戻るよ」あとは聞かずに家を出た。

大陸だ。赤い牙をむく大陸だ。だがどこなんだ。手がかりは彼らの遠い仲間から何年か前に「中国で彼らを見た」噂があると耳にしたことだけだった。そこから先どうやってここへたどり着いたのかは夢を見ているようでさだかではない。でも嘘じゃない。嘘だというなら目の前にいる三頭の狼の息づかいがまぼろしだ、と否定してもらわなければならない。

白い吐息と獣の匂いすら感じる距離に身を寄せた。「いいか、計画だ。計画の緻密さがなければ絶対に失敗する。ここ数年奴の行動パターンを全て調べたらこれしかない」、「人生は5年後ごとに計画をたてろ。人間の生きる意味はその中で徐々に解ってくる。目標のない人生は無意味だ」、「お前な、向いているんだよ。性格が。好きとか嫌いとか、分からなくていい。俺が保証する。お前には最適な仕事なんだよ」

三人がわたしに投げかけた言葉が蘇る。わたしは堪えきれなくなった。「おい、やったのか? やれたのか? 本当か?」。低い咆哮がさらにオクターブを下げてわたしに視線を合わせた。こいつはM.Mだ。間違いない。「人生は5年後ごとに計画をたてろ。人間の生きる意味はその中で徐々に解ってくる。目標のない人生は無意味だ」とわたしたちを諭したM.M。「やったさ。やり遂げたよ。見ろ俺たちを。狼になったろう。綺麗ごとばかりじゃなかったさ。地べたをはいつくばって恥ずかしいまねだって厭わなかったよ。でもやったんだ。俺たちはな」

「お前の方が辛かったんじゃないのか」。こいつの繊細さも昔と変わらない。M.Dだ。「体を悪くしたと聞いたが」、「なに言ってるんだ。俺はこの通りだ。本当の狼になったんだよ。まんざら悪くもない」。その声を聞き終える前に喉に強い痛みが走った。わかっている。T.Tがわたしに牙を立てたのだ。低い振動を伴う咆哮はT.Tだ。「なぜ、今頃ここに来た。お前がここに来れば俺がお前を許しちゃおかないことはわかっていたはずだ」。わかっていたさ。わかっていたって人間には行かなきゃいけない時がある。暮れの小伝馬町で彼らの「勝利」を耳にした時、私はT.Tに会いに行くと即座に決めた。こうなることもわかっていた。

「ありがとうよ。死ななくてよかった。本当によかった」 声帯を噛み切られたので言葉は出ない。かまわない。食いちぎれ。闘い続けたT.Tよわたしを噛み切るんだ! 消えゆく意識の中で背中が大地を感じた。M.Dが胴体の剛毛を総毛立たせながら天に向かい大団円の咆哮を叫んでいる。赤い地表が揺れる。M.Dの怒号が赤い地表を激震させる。

あの人がわたしと交差してそのまま彼方に向かう前、わたしは逆を向き階段を駆け上る。あの人の背中に手をのばした。振り向いたあの人は何のことだか、意味も解らずきょとんとしている。思い出せない? ダイヤモンドの後悔と逡巡、あの人がいつも口にした「希望」、「未来」。一緒に肩を落とした荒川の土手。三頭の狼と化身したあなたと仲間たち。40年を生き抜いて栄達した狼から、また人間にもどったあなた。

「どなたですか?」
「わたしですか? わたしは……」
「俺の名は『田所敏夫』ですが」

正月4日だというのに京都市美術館は人で溢れている。「最近のお父さんどうかしてるよ。急に居なくなったと思ったら翌日帰って来て『正月は京都旅行だ!』なんて」、まんざらでもなさそうに妻が子供たちに同意をもとめる。

後ろから押され、子供の手を引きながら、ひときわ人だかりの多い絵の前にやって来た。「文部科学大臣賞受賞」の肩書に歩みが止まるのだろう。ここは赤い大地ではない。人混みの熱で汗をかきそうだ。

「おい、ガラでもないぜ」最高位を獲得した三頭の狼が少しはにかんでわたしに微笑んだ。「いいんだよ。やったんだ。やってくれたんだ」 こころでだけ語りかけようとしたら、不覚にも落涙していた。「俺たちはやったぜ。次はお前だぜ。わかってるだろうな」饒舌な狼は交信を止めない。「わかっているさ。わかっている・・・」、「お前の『絶望癖』も何とかなるか」、どこまでも細かいM.D。

俺の名は「田所敏夫」。今年は俺がお前らの後塵を追って「希望」を作るさ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

7日発売!タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号!

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