ワンプラ(仏陀の日)は寄進の多い日。いちばん左はデックワットやっていた中学生、お父さんが亡くなったばかりで供養の為の出家、ネーン(少年僧)になりました。(1994.10.27)

◆態度が変貌した藤川さん!

ペッブリーへ向かうバスが到着近くになると、藤川さんが車掌さんを促し、寺近くの交差点で降ろして貰うと、寺まで歩いて3分ほどの距離。歩きながら藤川さんに「網走刑務所に入るような気分か?」と聞かれ、刑務所という発想は無いものの、中学生の頃の短期ながら合宿生活に入るような、憂鬱な気分で寺の門を潜り、正に“入門”となった瞬間でした。

まずは自分の部屋が無いので藤川さんの部屋にお邪魔します。持って来た荷物を広げると、「狭いんやから、よう考えてやれ!」と機嫌悪いようなキツイ言い方が始まる藤川さん。元々仏陀の教えに反するような、贅沢な物が溢れる部屋で狭いのだから仕方無いだろうに、どうやら門を潜った途端、指導のスイッチが入ったような今迄と違う変貌に戸惑ってしまいました。

「来月、5日過ぎたら還俗者が増えて部屋が空くからそれまでここに居れ!」と言われるも、こんな口煩い藤川ジジイと1日だっていっしょに居るのは嫌でした。

◆デックワットの仕事!

夕方になると、「デックワット(寺小僧)と一緒に掃除しとけ!」と藤川さんに指示され、早速のデックワットとしての仕事が待っていました。出家前は数日前に寺に入り、比丘のお手伝いをするのが常識で、新弟子のような存在。そして日々デックワットがやっている仕事を私もやることになります。広いクティ内の板の間をモップを使って他の中学生ほどのデックワットとともに掃除を始めました。そんなモップがけをしながらフッと考え込んでしまい、「俺、30歳越えてこんなタイの田舎の寺で何でモップがけやっているんだろう。日本でもっとカメラマン出来ただろうに」と何か悶々としながら掃除を終え、やっと一人になれる時間を作って寺周りに散歩に出て、ようやく心休まる時間を作りました。

寺に帰り、藤川さんの部屋へ戻っても、特に話すことはない何とも窮屈な空間。すると突然、「よし、座禅組もう」と言い出す藤川さん。もう鬱陶しいこと言うやら、やらせるやら。逆らおうかとも思うも、ここに来ている意味を考えれば仕方ありません。

その頃にまた隣の部屋にデックワットが遊びに来ている様子が伺えました。また壁の穴からの視線を感じ、こちらは覗き部屋の見世物的対象。

「また日本人が変なことやってるぞ」と何やら言ったか言わないか、気になること落ち着かない。それに対し平然と身動きせず座禅を組む藤川さん。修行者と未熟者の違いがはっきり現れる座禅でした。約30分超えの座禅も意外とキツくはない。「これなら毎日やらされても耐えられるかな」とちょっとした自信にもなりました。午後9時過ぎ、我々は就寝。刑務所のような寺一斉に消灯ということはなく自由なもので、相変わらず両隣の部屋からはテレビの音やデックワットの笑い声が聞こえてくるのでした。

比丘の朝食風景(1994.10.27)

◆ワンプラ(仏陀の日)!

翌朝5時、まだ外は暗く鶏が鳴く中、藤川さんとともに起床。眠りは浅かった。コーヒーを飲みながら黄衣を纏う藤川さんの巻き方を見て覚えようとするも、なかなかすぐ覚えられるものではありません。もう一度、藤川さんの托鉢を撮りたいところ、「デックワットと一緒に掃除しとけ」と昨日と同じ指示して托鉢に向かう藤川さん。ここはもう私をカメラマン扱いしていない寂しさを感じました。

後から起きて来た若い比丘らが部屋の外で黄衣を纏うのを見ていると、「わかる?」と言われて「難しそう!」と応えると「大丈夫、すぐ出来るよ!」と慰めてくれる一回りほど年下の先輩僧たち。

藤川さんが托鉢から帰ってくると、「今日はワンプラ(仏陀の日)でサイバーツ(お鉢に入れる寄進)が多うて重かったあ~!」と腕も痺れる一苦労を、少々優しく報告してくれました。

“ワンプラ”は1週間に1回ぐらいの割合でやってくる仏教徒としてのお努めの日。在家信者さんも特にこの日は仏教の戒律を重視する日で、普段あまりやらない人も、この日は徳の“ポイントお得デー”かのようにお布施に力を注ぎます。托鉢での寄進だけでなく、信者さんが大勢寺にやって来て寄進する日でもありました。

大勢の比丘が座る目の前に、皿に盛られた大量の料理が並び、先導者に続いて5分ほどの読経が始まりました。そして5僧のグループ6つぐらいに分かれて朝食が始まりました。そんな時、信者さんと一緒に居る和尚さんに呼ばれました。

「どのくらいの期間出家するつもりか?、日本で何しているのか?」などと聞いてくるので、「日本ではボクシングやいろいろなスポーツのカメラマンやっています。」とやってもいないハッタリ含めて大袈裟に言っておくと、「こいつは日本で有名雑誌のカメラマンやっている優秀な奴だ!」と信者さんに更に大袈裟が加わり、二人目の日本人が来たことで「ウチの寺は国際的だ!」と言いそうで自慢げな笑顔と踏ん反り返った姿勢。藤川さんから聞いた、我々が“客寄せパンダ”となる和尚さんの思惑が見えて来た頃でした。

ワンプラ(仏陀の日)。多くの寄進された料理が皿に盛られて並びます。(1994.10.27)

寄進に訪れた信者さんも朝食へ。私も勧められました。(1994.10.27)

比丘の朝食の後、訪れていた信者さんの朝食となります。来ていたオバサンたちに呼ばれて一緒に食事となりました。「これも食べなさい、遠慮しなくていいよ、いっぱいあるよ、いつタイに来たの?タイ語上手いね」など、国は違えど、タイでも人見知りしないオバサンたちの温かさに癒されました。

食事後の片付けは信者さんたちが一斉にやり、私らデックワットはホー・チャンペーンを掃除し、藤川さんは独自の日課の掃除を始めるので、私も弟子らしく手伝いに入りました。部屋の内側外側の壁を雑巾で大雑把に拭いていると、藤川さんは「掃除というのは手の届かん見えんところまで拭くのが掃除というもんや!」とまた癪に障るキツイ言い方をする。こんな細かいことをいちいち言うことに、「年末大掃除じゃないでしょ!」とついに言い返してしまい、自分が甘く悪いことも分かりながらもムカついて仕方ない状況でした。

◆「銀座」に買い物に行く!

昼飯は朝の托鉢と寺で寄進された食材の残り物で済ませます。比丘の後、藤川さんに「デックワットと一緒に早う飯食え!」と促されて慌てて昼食。その後、藤川さんに案内して貰い、今後の生活に必要な日用品類を買い出しに出ます。バイクタクシーに跨って藤川さんが言う“銀座”へ。この街でいちばん賑やかな田舎っぽい商店街でした。いずれ利用するであろう写真屋さんも覗いておきました。

夕方頃、和尚さんに「部屋が空くぞ!」と嬉しい知らせが入りました。還俗した警察官らしい人が鍵を渡してくれて中に入ると、部屋は藤川さんの部屋より広め。しかし、デックワットも同居する雑魚部屋で、ちょっと残念ながら、狭い藤川さんの部屋で文句言われながら居るよりはるかに楽で、ウキウキスキップ気分で部屋を移動しました。

銀座で買った洗剤や、トイレットペーパー、水出し麦茶入れる水筒など並べていると、中学生デックワットが、私に「これどうぞ」と“カーオムーデーン(豚肉ライス)”を持って来てくれ、引越し御挨拶を逆にやられてしまう出遅れ。誰かに「持って行ってやれ」と指図されたのかもと思うも有難い気遣いでした。

夜は水浴びした後、「これが最後の髪いじりか、明日の夜は髪が無いんだな」と髪を梳かしながら中学卒業以降、長髪だった髪を惜しむように触っていました。明日はいよいよ剃髪の日となります。

ペップリー銀座。田舎の商店街の一部です。見難いですが、黄色い看板が写真屋さん(1994年)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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