前立腺癌治療の過程で、主治医が治療方針を十分に説明しなかったとして、4人の患者が滋賀医科大病院の2人の医師を訴えた裁判の本人尋問が、17日、大津地裁で行われた。

この日、出廷したのは原告の4患者と彼らの主治医だった被告.成田充弘准教授、それに成田医師の上司にあたる被告.河内明宏教授である。これら6人の本人尋問を通じて、成田.河内の両医師に説明義務違反があったとする原告らの主張が改めて裏付けられた。裁判はこの日で結審して、判決は来年の4月14日に言い渡される。2018年8月に提訴された滋賀医科大事件の裁判は終盤に入ったのである。

裁判前(2019年12月17日)

裁判所に入る前の岡本医師(2019年12月17日)

◆事件の経緯

事件の発端は、滋賀医科大が放射性医薬品会社の支援を得て、小線源治療の研究と普及を目的とした寄付講座を設けた時点にさかのぼる。2015年1月のことである。寄付講座の特任教授には、この分野で卓越した治療成績を残している岡本圭生医師が就任し、泌尿器科から完全に独立したかたちで小線源治療を継続することになったのだ。

これに対して一部の医師らによる不穏な動きが浮上してくる。泌尿器科の科長.河内教授と、彼の部下.成田准教授が岡本医師の寄付講座とはまったく別に、新たに小線源治療の窓口を開設し、泌尿器科独自の小線源治療を計画したのである。この裁判の原告となった4人は、医師の紹介や滋賀医科大病院の総合受付窓口を通じて成田医師らによる「泌尿器科独自」の小線源治療計画へ「案内」された。大学病院の闇を知らないまま被告.成田医師の治療を受けるようになったのである。

だが、成田医師には小線源治療の臨床経験がまったくなかった。手術の見学も1件しかなかった。当然、インフォームドコンセントで、成田医師のそのような履歴を知らされなかった原告らにすれば、自分たちが手術の手技訓練のモルモットにされかけていたことになる。

4人の癌患者は本来であれば寄付講座の方へ「案内」され、小線源治療のエキスパートである岡本医師の担当下におかれるべき人々であった。少なくとも成田医師らには、4人が岡本医師の治療を受ける権利と選択肢を持っていることを説明する義務があった。それを成田医師らが怠り、しかも、この点を批判された後も謝罪しなかったことが患者らを怒らせ、提訴を決意させたのだ。

原告の主張に対して被告は、「泌尿器科独自」の小線源治療は、岡本医師を指導医とする医療ユニット(チーム医療)として位置づけられていたから、岡本医師の治療を受けるオプションを患者に提示しなかったことをもって説明義務違反に該当するとは言えないというものだ。

◆泌尿器科への誘導と独立した治療

2015年1月に「泌尿器科独自」の小線源治療の窓口を、寄付講座の窓口とは別に河内医師らが開設した合理的な理由について、原告の井戸謙一弁護士は、河内医師を尋問した。裁判長も職権を行使して、河内医師があえて窓口を2つにした理由について説明を求めた。しかし、河内医師は明快な回答を避けた。

岡本医師自身がチーム医療の観点から「泌尿器科独自」の小線源治療に関わっていたかどうかという点については、竹下育男弁護士が成田医師を尋問した。これに対して成田医師は、いずれの患者ケースにおいても、治療方針の決定に岡本医師の指示を受けたことはなかったことを認めた。

尋問を通じて岡本医師は泌尿器科独自の小線源治療からは基本的には除外されており、2つの窓口と体制は、相互に依存したチーム医療と断定できるだけの接点がないことが判明した。メールでのやりとりは若干あったが、かえってそれらの証拠は、岡本医師を「外部の人」として認識していた成田医師の立ち位置を明確にした。

ちなみに成田医師はみずからが小線源治療の未経験医師であることを患者に伝える義務に関して、第1例目の手術を施す患者については未経験の事実を伝えなければならないが、2例目以降は伝える必要はないとも証言した。

◆刑事事件についての尋問も

繰り返しになるが、この裁判の争点は4人の患者に対する説明義務違反の有無である。争点としては単純だ。ところが裁判進行の過程で被告側は、争点とはあまり関係のない主張を延々と繰り広げた。岡本医師に対する人格攻撃や岡本メソッドそのものの優位性を否定する主張を繰り返したのである。

それにより岡本医師による治療についての説明責任を果たさなかったことを正当化しようとしたようだ。この論法の裏付けを探すために被告らが起こした事件についても、井戸弁護士は尋問した。たとえば河内医師が岡本医師の患者らのカルテを無断で閲覧し、岡本メソッドによる合併症の例をしらみつぶしに探そうとした件である。

これについて河内医師は、みずからが泌尿器科の科長職にあるので、前立腺癌患者のカルテ閲覧が許されるとの見解を示した。しかし、法律上はそのような権限は認められていない。カルテを閲覧できるのは主治医と患者本人だけである。

また、成田医師を併任准教授として、寄付講座へ送り込むために作成された公文書に、岡本医師の承諾印(三文判)が本人の承諾を得ずに押されていた件(既に刑事告発受理済み)に関して、井戸弁護士は河内医師の関与を問うたが、河内医師はそれを否定した。そのうえで、この公文書は秘書らにより無断で作成されたものである可能性を証言した。河内氏の証言に、傍聴席からは失笑がもれた。
 
◆記者会見

尋問が終了した後、原告団は記者会見を開いた。発言の趣旨は次のようなものである。

記者会見での井戸弁護士(2019年12月17日)

【井戸謙一弁護士】

この訴訟で被告側は、岡本医師が特異なキャラクターの人物であり、岡本メソッドももとより存在せず、むしろ問題のある治療なんだという主張を前に押し出す戦略で臨んできています。この点をどう崩していくかが鍵です。相手は自分が嘘を言っていましたとは認めません。ですから言っていることの整合性の無さを浮彫にすることが大切です。

いくら岡本先生のキャラクターがトラブルの原因だと主張しても、構造的に主張がかみ合わないところが出てきます。それが最も露骨に分かるのは、泌尿器科へ患者を誘導した問題です。 岡本先生に成田医師を指導させるチーム医療の枠組みであれば、岡本先生が全患者の症例を見て、 初心者には簡単な症例の患者を担当させて治療させるのが道理です。治療方法の適用についても、互いにディスカッションしながら決めていく。それが一番自然なチーム医療であるはずなのに、実際には河内医師が成田医師の担当患者を決めていました。こうした枠組みが被告の主張に整合性がないことを浮き彫りにしています。

岡本メソッドの優位性を否定する被告の主張に関しては、3つのポイントから問題点を指摘しました。まずカルテの不正閲覧問題です。医療安全管理部がカルテ閲覧をすると決める前の時期に、河内氏がすでにカルテの閲覧をはじめていた事実を確認しました。 

次に、松末院長が前回の尋問で2次発癌で死亡した例があると証言したことを受けて、それが不正確な認識であることを指摘しました。病院の事例調査検討委員会では、この患者のケースを因果関係不明と認定しています。それにもかかわらずこの死亡例を裁判で持ち出してきて、岡本メソッドの攻撃に使ったのです。

さらに病院のホームページで公開された医療機関別の前立腺癌非再発率比較表の問題。このデータを根拠に河内氏は、岡本メソッドの優位性を否定しています。これについては、松末院長は、比較対象患者のリスクレベルが大きく異なるのに単純に比較するのは適切ではないことを最終的に認めました。この問題についても河内医師を追及しました。

偽造文書の問題も取り上げました。これは成田医師を併任准教授にするために必要な文書で、河内医師と岡本医師の三文判が押してありますが、岡本医師は押していないと言っています。いま、この文書が公文書偽造だということで問題になっています。わたしは河内医師が、そのハンコは自分で押した、あるいは秘書に押させたと答えると思っていましたが、それも否定しました。秘書が勝手に作成したことにして、自分は関知していないということで押し通しました。この弁解には、驚きました。これについて被告の代理人は、定型的な文書はそういうこともあると念押ししていましたが、裁判所はその不自然さを認識したと思います。

【竹下育男弁護士】

成田医師の反対尋問を担当しました。反対尋問は簡単に成功しないことがままあります。相手が嘘を言ったときに、嘘を言っている証拠を示すことができるとは限らないからです。この裁判では、成田医師と塩田学長に関する裏付け証拠が多くあるので、それを有効に活用できるかどうかプレッシャーがありました。

成田医師と岡本医師の間で交わされていたメールは、有力な証拠になるものが多い。たとえば岡本先生が成田医師に対して、外来で治療方法の適応を検討するものだと思っていたという趣旨のメールを送ったところ、成田医師はそれは必要ないという返事を返しています。積極的に岡本医師のチーム医療への関与を拒んでいるようなメールが他にも何通かありました。

これについて成田医師は、言い訳をしていますが、どれも不自然です。その不自然さをアピールできれば戦略としては成功です。

また原告の治療方法の検討にあたって、岡本先生の意見を求めたことがないことも明らかになりました。

記者会見での岡本医師(2019年12月17日)

【岡本圭生医師】

本日、最後に提出しました河野陳述に対する弾劾陳述について説明しておきます。ありがたいことに裁判所はそれを受理してくれました。河野医師は、滋賀医大の小線源治療は、90%以上が河野医師の実力によってやっているとか、岡本などいなくても大丈夫だとか、だれがやっても同じだという陳述をしていますが、それほど単純なものではありません。

小線源治療では、テンプレートという網の目の奥にある前立腺に針を刺すのですが、その際、ミリ単位の調整を必要とします。 針を器具で微妙に触って1ミリ、あるいは2ミリの調整をするのです。きれいに会陰に針をさす必要があります。針を刺すことで前立腺が変形したり出血したり、動いたりすればダメです。いわばリンゴの皮を片手でむくような作業が必要なのです。河野医師はそれをやっているわけではありません。画面上で見ているだけで、微調整しているのはわたしです。 ですから河野医師が言うように、おおざっぱなことをやっているわけではありません。

河野医師は岡本メソッドなるものは存在しないと言いますが、「10のステップ」という冊子があります。これに従って2013年からずっと小線源治療をやってきたわけです。これには特別ことは書いていないと成田医師は言っていますが、そうであるなら、全国から医師が見学に来るはずがありません。

患者会の皆さんには、朝からスタンディングをやっていただき、弁護団は素晴らしい追及をしていただきました。この裁判では、医療や病院の内側を知っている人間がいるから、相手を追い詰めるチャンスが生まれたわけです。 一般の人が、医療過誤で戦っても勝ち目はないでしょう。わたしはこうした状況を変えたいと思います。

治療の未経験を患者に告げるべきかどうかよりも大切なことは、説明できることは、全部説明するという善意の姿勢です。意図的に情報を隠すようなことあれば、医療は成り立ちません。この裁判では、人が死亡した事例は扱っていませんが、重要な意味を持っています。ここで負けては医療が成り立たなくなります。市民の手、患者さんの手に医療を戻したいものです。

ちなみにわたしが執筆した中間リスクの前立腺癌に対する小線源治療についての論文が1月に掲載されます。10年間で397例のうち、再発は3例。7年の非再発率は、99.1%です。100人にひとり再発しないことになります。この論文では、中間リスクの症例は、小線源単独療法でやるべきだと結論づけています。論文が掲載されるということは、査読者によって内容が認められたということです。

わたしは12月をもって滋賀医大を去ります。しかし、これは終わりではなく、次のステージの始まりだと思っています。

【原告A】

岡本先生と接するようになって4年になります。先生の治療は革命的だとわたしは思っています。わたしは副作用もなく、いまも元気に働いています。76歳で、いまでも納税しています。これも岡本先生による手術が成功したからです。なぜ、わたしが裁判で戦ったのかといえば、岡本メソッドが革命的な医療であるからです。

これはなくしてはいけない医療です。河内教授がやろうとしているのは、岡本先生の医療を横取りすることです。これが問題の原点です。横取りして、自分の手柄にして、岡本医師を追い出そうという魂胆のようです。こうした状況を許してはいけないということで、裁判を起こし、そして今日の尋問を終えることができました。

【原告B】

わたしは河内医師は、好き放題なことを言っているという印象を受けています。今回、わたしが最も訴えたかったのは、被告が岡本医師の人格攻撃に徹していることについて、それが的外れであるということです。滋賀医科は全人的医療をうたっていますが、これは患者ファーストの意味です。この全人的医療の理念を掲げているのであれば 、患者の命を脅かしたことに対して謝罪し、反省すべきです。

反対尋問の最後の方で、この裁判を岡本医師が扇動したかのような被告側の言動がありましたが、われわれ原告を子ども扱いする発想です。訴訟を進めるうえで、家族や近所の目もあるので、参加できなかったひともおられます。 わたしも、最初は家内が裁判に賛成していませんでしたが、今日は傍聴に来てくれました。裁判を続けられたのも、応援があったからです。

記者会見(2019年12月17日)

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
フリーランスライター。メディア黒書(MEDIA KOKUSYO)の主宰者。「押し紙」問題、電磁波問題などを取材している。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

本年2019年は、私たちの会社=鹿砦社の創業50周年でした。創業の年は1969年、日本の社会の転換期の頃でした。この年には、1月、東大安田講堂攻防戦に始まり、12月には衆議院総選挙で、小沢一郎、土井たか子、浜田幸一、綿貫民輔、渡部恒三、森喜朗、羽田孜、不破哲三ら、のちの日本の政治に大きな影響を与える政治家が初当選しました。70年安保改訂、沖縄返還(併合!)を前にした学園闘争も、今では考えられないほど大規模で激しかった年でした。

そうした時代状況を背景に、鹿砦社は、戦前からのマルクス経済学者・中村丈夫先生を中心として、天野洋一(初代社長)さんら4人の若者によって創業しました(現在、1人を残し故人)。最初の本は中村丈夫編『マルクス主義軍事論』(初版1969年10月20日)でした。50年後に出版したのは『一九六九年 混沌と狂騒の時代』でした(2019年10月29日発行)。鹿砦社という社名も中村先生の命名です。

鹿砦社は爾来、紆余曲折、浮き沈みの激しい道のりを経て現在まで生き延びてくることができました。私が経営を引き継いで30余年、創業時の志を堅持しているのか変質しているのか自分では分かりませんが、皆様方にさんざんご迷惑をおかけしつつ未だくたばらずにいます。

さて、50周年、何もせず黙々と過ごすことも考えましたが、やはり50年という年月は大変なことで、次の50年まで待つわけもいかません。華美ではなく、逆に貧相でもなく、何らかのメモリアル行事を行い、かつ記念誌も出すことにしました。

◆12・7東京での集まり

東京では、12月7日、東京編集室の近くで、反(脱)原発雑誌『NO NUKES voice』で協調関係にある「たんぽぽ舎」が運営する会議室「スペースたんぽぽ」にて開きました。午後3時から始まり午後8時まで、延々5時間の長丁場でしたが、退屈する人もなく、熱気溢れる集まりでした。当初事前に連絡された方が70名でしたが、蓋が開いてみれば予約なしで参加された方も多く90名ほどの方々にお集まりいただきました。

午後3時丁度に開始しようとしたところ出席者が殺到し受付が間に合わず、少し遅れての開会となりました。第一部の司会を情況出版の横山茂彦さんが行ってくれ、すぐに来年1月18日に、全国の刑務所や矯正施設を回る「プリズン・コンサート」500回を達成する女性デユオ「Paix2(ぺぺ)」のミニコンサートが始まりました。この日は特にノッていて、鹿砦社創業50周年を盛り上げてくれました。感謝!

Paix2(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)

その後、初代社長の天野洋一さんはじめ物故者への追悼、これには陰に陽に私たちの活動を支えていただいた納谷正基さんも、ご遺族が出席され追悼できたのは何よりでした。

また、長年、特段に鹿砦社を支えていただいた、中央精版印刷様、サイゾー様、河出興産様ら3社には感謝状と記念の置時計を贈呈させていただきました。河出興産様には、1980年代半ばから当社商品の在庫管理、書店への出品、返本引き取りなどを行っていただいておりますが、1997年の税務調査や、2005年の出版弾圧では、国税や検察が直接訪れ調査・捜査をされご迷惑をおかけしました。3社を代表し中央精版の草刈明代社長(世界的バレリーナ・草刈民代さんの実妹)にご挨拶賜りました。

次いで松岡がお礼の挨拶を行い、賛同人からリレートークに入りました。まずはガンで闘病中にもかかわらず駆けつけていただいたジャーナリスト・山口正紀さんは、辛ければいつお帰りいただいてもいいようにトップに据えましたが、延々5時間、最後までお付き合いいただきました。

山口正紀さん(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)

次には山口さんが精魂を入れて取材を続けてこられた滋賀医大病院名医追放反対運動への取材を地元在住の田所敏夫さんと共に引き継いでいる黒薮哲哉さん、ご存知反原発の闘士・小出裕章さん、『週刊金曜日』再建に頑張っておられる植村隆さん、大学の先輩で児童文学作家の芝田勝茂さん……そうして国会の審議の合間を縫って出席された菅直人元首相もご出席、Paix2と一緒に『元気出せよ』では拳を突き上げられました。菅さんは、Paix2の歌声をどう聴かれたでしょうか。

小出裕章さん(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)

『週刊金曜日』植村隆さん(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)

菅直人さん(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)

間を置いて、次に鹿砦社創業4人組の1人で現在『続・全共闘白書』の事務局を務めておられ、最後の追い込み作業の間を縫って参加された前田和男さんが「鹿砦社創業の時代状況と創業の経緯」について話されました。

そうして懇親会に入り、松岡が鹿砦社の経営を引き継ぐ際の立会人でもあった、名うての武闘派・安間弘志さんが乾杯の音頭を取ってくれました。二部の司会をフリー編集者の椎野礼仁さんに交替、飲食をしながらリレートークが続き、賛同人で作家の森奈津子さんら多くの方々が発言されました。リレートークの最後は、最長老のマッド・アマノさんが締めてくださいました。

この集まりの最後は、松岡と共に2005年の出版弾圧に耐え『紙の爆弾』を継続させ再建の一端を担った鹿砦社取締役編集長兼『紙の爆弾』の創刊以来の編集長の中川志大がお礼の言葉を述べ一本締めで、この日の集まりを終えました。たんぽぽ舎の皆様方にお手伝いいただきながら、予想以上に盛り上り、有意義な集まりでした。創業以来小規模のままの鹿砦社ですが、大小問わずメディアの劣化が進む中で、まだまだやるべきことがあり、期待も大きいことを、あらためて感じた次第です。

◆12・12関西での集まり

週を替えて12日には小社のホームグラウンド・西宮で開かれました。Paix2は今回も歌ってくれましたが、当日は名古屋でのプリズン・コンサートを終え西宮に駆けつけてくれました。会場は何度も歌ったことのあるカフェ・インティライミ、プリズン・コンサート300回記念で出版した『逢えたらいいな』特別記念版に付いたDVDはここでのライブ映像を記録したものです。Paix2の映像は、この本のDVDでしか観れませんので、あらためてご購読をお薦めいたします。

関西の集いは、東京と異なり午後6時開会、9時終了の3時間。開会に際し、司会を田所敏夫さんが務め、途中途中で得意の著名人の物真似を挟みながら進行いたしました。まずは賛同人を代表し、鹿砦社の出版活動の理解者の新谷英治教授がご挨拶されました(松岡は新谷教授の推薦で2年間関西大学非常勤講師を務めました)。

次に1995年から顧問税理士を務めれいただいている上能(じょうの)喜久治さんにご挨拶いただきました。日本大学獣医学部を卒業後牧場経営を始めようとしたところ住民反対運動で頓挫、やむなくサラリーマンに転身、経理部に配属され独学で税理士の資格を取られた異色の方です。2人に続き、松岡がお礼を述べPaix2のミニライブに入っていただきました。

Paix2のミニライブも、東京と曲順が少し変更されていましたが、予想通り盛り上がりました。Manamiさん、Megumiさん、ありがとう!

休憩を挟み懇親会へ、最近はワイドショーのコメンテーターとして有名な、元兵庫県警刑事の飛松五男さんが乾杯の音頭を取られ、飲食を摂りながらリレートークが進行しました。

飛松五男さん(2019年12月12日鹿砦社50周年の集い関西)

トップバッターは自称右派、四国から駆けつけてくれた合田夏樹さん、その後、顧問弁護士の大川伸郎弁護士、元裁判官で先輩の矢谷暢一郎さんに判決を下された森野俊彦弁護士、50年前に東大安田講堂に立て篭もった、松岡の同志社大学の先輩にあたる野村幸三さん(彼のグループは5人で参加、怖い先輩方が会長の左の席を占めました。うち2人がなんと安田講堂篭城組で4人が赤軍派に走っています。詳しくは『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の座談会をお読みください)、雪印の牛肉偽装を告発し会社崩壊を強いられた西宮冷蔵・水谷洋一社長らの発言が続きました。右派左派問わず参集され、愉快に進行しました。関西は、東京に比べライターさんら出版関係者が少ない分、出席者も東京よりも少なかったですが、それでも50名余りの方々にお集まりいただきました。熱気では東京に負けていません!

参加された皆さん(2019年12月12日鹿砦社50周年の集い関西)

◆当面の方針

私もいまや老境、いささか保守的になり、急激な変更や新規企画など特にありません。まずは、ようやくトントンになり、来年4月に創刊15周年を迎える、小社の旗艦誌の月刊『紙の爆弾』の拡大・発展、この国唯一の反原発雑誌『NO NUKES voice』の継続と黒字化です。メディアの劣化や御用化が進行する中で両誌の役割と存在は(手前味噌ですが)貴重だと言えます。

それから、新年1月18日で前代未聞のプリズン・コンサート500回を迎えるPaix2の活動をさらに支援いたします。これまで私たちは、沖縄にルーツを持つ、私の高校の同級生(故人)がライフワークとして始め志半ばにして没した島唄野外ライブ「琉球の風」も支援して来ましたが、諸事情で終了したこともあり、その力をPaix2にシフトします。その手始めとしてプリズン・コンサート500回記念本を緊急出版いたします。3月頃の刊行予定です。

私も老境に入り、やれることも限られてきていますので、Paix2プリズン・コンサート500回記念本ののちには、「カウンター大学院生リンチ」検証・総括本、『一九六九年 混沌と狂騒の時代』では「草稿」に終わった69年「7・6事件」解明本、70年代回顧本などを本年から来年にかけて編纂しまとめる予定です。

私も今68歳ですが、いちおう70歳で引退予定です。ずっと延び延びになっていますが、早晩後進に道を譲ります。その間に、上記の仕事を完遂させたく思いますが、会社としては、編集長で次期代表予定の中川志大の考えと構想を反映し、これまでの成功と失敗を反省しつつ出版企画を画策したく思っています。

このたび東・西で連続して2つの創業50周年の集いを開いて、皆様方の期待が残っていることを感じ、もう一息二息頑張っていかねばならないなと、あらためて決意した次第です。

今後とも〈小なりと雖も存在感のある出版社〉=鹿砦社をよろしくお願い申し上げます。 以上

鹿砦社代表 松岡利康(2019年12月12日鹿砦社50周年の集い関西)

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

◆妊娠6ケ月のとき、原発事故が起こった

「私の場合、避難も夫が勧めるくらい理解があったし、もともと将来は夫の両親がいる大阪に住むつもりだったので、時期が早まっただけ。他の避難者の方々の話を聞くと、私は苦労が少なくて、言い方は変ですが、申し訳ない気がしてた時期もあったんです」と話すのは、東京からの避難者・田中里子さんだ。

8年前の事故当時、里子さんは、東京都江東区豊洲で夫と2人暮らし、妊娠6か月だった。東京での震度は5強で、里子さんは勤務する29階のオフイスで、死ぬかと思うくらいの強い揺れを感じたという。

「テレビで原発が爆発する場面を見ました。絶対に起きてはいけない大変なことが起こったと思ったものの、実感はありませんでした。原発の仕組みがよくわかっていないので。原発が爆発するってどれほど恐ろしいことか、良くわかってなかったからです。政府の発表やテレビでの専門家の解説だけを充てにしていましたが、テレビでは『心配ない、ただちに影響がない』といっているので、その通りなんだと、不安半分ながらも自分に言い聞かせながらそれなりに納得させていました。」と当時の心境を語る。

あとで知ったのだが、夫は昔から原発に少し疑問をもっていたという。3・11後は休日に講演会などに行き、聞いた話を家で話すようになった。のちに原発について意見が違う夫婦や家族もいると聞いたので、そういう意味でもラッキーだったと話す。
そんな夫の勧めもあり、5月半ば、予定を早め実家の岐阜に里帰り、7月に娘を無事出産した。初めての子育てをしながら、夫が置いて行った原発関連の資料をよんだり、講演会の録音を聴いたりする日が続いた。

◆「住んでいた江東区が汚染エリアとわかり、強いショックをうけました」

5月下旬、共産党都議団が行った東京都内全域での放射線量調査の結果が発表された。そこで里子さんが普段から買い物などで良く行く足立区、葛飾区、江戸川区に高線量地域が集中していること、とりわけ事故時に住んでいた江東区が被曝限度である年間1msvを超える汚染エリアと判りショックを受けた。

それでもまだ、東京でもなんとか気を付ければ住めるんじゃないか、と言う気持ちが捨てきれない里子さんだったが、夫が言った「君は原発の敷地内で子育てをするつもりか。将来、とりかえしがつかないことになった場合、子供にどう詫びるんだ!」のひとことで、避難する決心がついたという。

2012年3月、娘が8ケ月のとき、静岡県の三島に避難した里子さん家族。夫は里子さんを岐阜に置いたまま、二度と東京に戻させたくないと、引っ越し作業を全部ひとりでやった。避難後、夫は新幹線で東京に通勤、里子さんは子育ての傍ら、反原発や脱被ばくの活動をする地元の住民や、首都圏から避難してきたママ友だちと知り合い、勉強会や交流会の中で、様々な情報を交換するようになった。

「でも原発には反対だが、被ばく問題を共有できる人は多くはなかったですね。私はやはり被ばくのことが気になった。被ばくしてどうなるかは、日本ではとくに隠されていると思いました。調べると世界中でもいろんな事実が隠されている。もうこれでは、いままで通りの生き方はできないと思いました。有難いことに、私たち家族は健康被害が全くなかった。でも三島で会った避難者たちは、私以外全員、なんらかの健康被害がでていて、だから必死で逃げてきたことが分かったんです。鼻血、皮膚炎、目の不調は当たり前、心臓がチクチクするとか、それまでなかった喘息が出てきたとか。で、皆さん、三島に来てしばらくしたら治ったという。ただ三島の土壌汚染は10ベクレルほどですが、少し離れると高線量なので、ずっと住むことは出来ないが、まずは第一ステップと思って住んでいました」。

三島にいたころこんなことがあった。里子さんが、ネットで探したクリニックに、「自覚症状はないが、東京で被爆しているので甲状腺検査してほしい」と頼んだところ、「東京からだったら、被害なんてありえないよ。検査の必要なんかないよ」と強い口調で断られたのだ。「福島でも出てないし、山下俊一さんも大丈夫といっているでしょう」とまでいわれ、驚いたという。

「結局検査はしてもらいましたが、放射能に関しては、予防するとか身体を心配するとかがなぜ許されないのか、憤りを感じました。インフルエンザなど他のことに関しては、予防原則が基本なのに、なぜ放射能にだけはないのか、全く理解できませんでした」。

◆「3・11を境に何も変わらない人がいることが疑問です」

里子さん家族は、2016年3月、子供が「年中さん組」に入るタイミングで大阪に引っ越した。三島にいたころから繋がっていた関西の「避難ママのおちゃべり会」というグループから、様々な情報も得ていたうえ、夫の両親も住み、住居があったこともあり、移住はスムーズにできたという。

「娘の学校給食は、先生には『子どもの口にいれるものなので、自分で責任もってやります』と話して許可をとり、献立表で産地を調べ、東北や関東のものは避けて、代わりのものを持たせています。子どもには『あなたが産まれる年にこういう事故があって、身体によくない食べ物がたくさん出回っている。ママはあなたに身体に良いものは食べてほしいが悪いものは食べてほしくない。でもみんながそうしているわけではない。気にしないおうちのひともいる。何かいわれても、自分は正しいことをやっているのだから、気にしなくていいと思うんだけど、どうしたい?』と聞きました。
 娘は『からだにわるいものをいれたくないから、ママのいうとおりにする』と答えてくれました。今のところ、他の子に何かいわれることはないみたい。子どももあまり気にしてないみたい。いろいろ出てくるのはこれからかも…。三島のときは、そういうことで子どもが虐められ、心配していたママもいました。なかなか代替え品やお弁当を認めない学校もあったようで、わざわざ越境通学する人もいました」。

三島と違い、関西では母子避難の人が多い。二重家賃に苦しむ人、何年かして経済的な理由から泣く泣く帰る人も多いことなども、大阪に来て初めてわかったという。避難者が直面している問題は、自分が考えていたよりももっと切迫していて深刻なものだと改めて感じ、何か自分に出来ることないか、と考えるようになったという。

「大阪にきたら、いろんな講演会などに行こうと思っていました。梅田でサンドリ(東日本大震災避難者の会 Thanks&Dream)が行っていた3・11の関連イベントに行ったとき、展示物を見て愕然としました。そこには避難生活の実情や健康被害などが赤裸々に語られていました。三島ではそこまで健康被害などは話されてなかったので。ほかにも家族が引き離されたり、生活に困窮したり、離婚したりする避難者もいることを知り、ショックでした。そこで避難者のつながりも広がって、4月に初めて『イモニカイ』という避難者交流会に参加しました。そこで、そのまま自然にスタッフとして主催する側になりました(笑)」。

サンドリでブースを出し、避難者の報告集などを販売する田中里子さん (左)

会には避難者の他、原発賠償訴訟の支援者の方や、保養活動をしている方の参加も多い。

お互いに情報交換をしたり、悩みを相談したり、イベントの告知をしてお手伝いを募ったり、と賑やかな集いの場になっている。

「『イモニカイ』に参加する人は、いろんな意味でまだ力があるんだと思います。こういう場にも来る余力のないほど、苦しんでいる人もいるはずで…。経済的な理由やご家族の問題で仕方なく避難元に帰った人もいますし…」。

「3・11を境に何も変わらない人たちがいることがすごく疑問です。まだ、相変わらず『国が守ってくれる』を思っているのでしょうか? 私にとっては3・11で、見える世界が一変したといってもいい。原発は選挙でも票にならないと聞くけど、とんでもない。一番大事なのはこの問題だろうと思います。誰かを犠牲にしたまま、回る経済や社会、原発はその最たるもの。それをいやというほどみせつけられ、そして今も続いている。黙っていたら、これを許し続けることになる。そんなのは嫌だから、やっぱりNOの声は上げ続けたいと思っています」。

サンドリ川柳 避難者あるある五七五

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』22号では高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

『NO NUKES voice』Vol.22
紙の爆弾2020年1月号増刊
2019年12月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

———————————————————————-
新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
———————————————————————-
[グラビア]山本太郎「原発事故の収束の仕方も分からないのに滅茶苦茶だ」(鈴木博喜さん)ほか

[インタビュー]孫崎 享さん(元外務省国際情報局長/東アジア共同体研究所理事・所長)
2020年・世界の正体 何が日本を変えるか

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)+編集部
関西電力高浜原発マネー還流事件の本質

[資料]編集部
《全文公開》関西電力幹部を辞任に追い込んだ「告発文」

[インタビュー]井戸謙一さん(弁護士)
関電・東電・福島原発訴訟の核心

[インタビュー]水戸喜世子さん(子ども脱被ばく裁判共同代表)
刑事告発で関電から原発を取りあげる

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈17〉
東京五輪・崩壊の始まり──IOC「マラソン・競歩札幌移転」の衝撃

[報告]小林蓮実さん(ジャーナリスト/アクティビスト)
山本太郎の脱原発政策は新党結成で変わったか?
「政権交代」が脱原発を可能にする唯一の選択肢

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
福島〈水害〉被災地を歩く
懸念される放射性物質の再浮遊と内部被曝リスク

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈6〉
本気で「防災・減災」に取り組まなければ、被災者は同じ苦痛を繰り返す

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
原発潮流・二〇一九年の回顧と二〇二〇年の展望

[報告]平宮康広さん(元技術者)
経産省とNUMOが共催する説明会での質疑応答

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
天皇の即位に伴う一連の儀式に思うこと

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン第五弾
ケント・ギルバート『天皇という「世界の奇跡」を持つ日本』

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
熟年層の活躍こそ、わたしたちの道しるべだ
かつての革命運動の闘士たちがたどった反原発運動

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈6〉記憶と忘却の功罪(中編)   

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
関西電力「原発マネー」─東京電力「二二〇〇億円援助」─日本原電「東海第二原発」
三つを関連させ、くし刺しにして原発廃止を迫ろう!

《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
日本の原発はこのまま「消滅」へ 
日本の原子力政策は嘘だらけでここまでやってきたから
田中俊一(原子力規制委員会前委員長)語る(月刊『選択』11月号)

《東北電力》舘脇章宏さん(みやぎ脱原発・風の会)
女川2号機の審査「合格」が目前
東日本大震災でダメージをうけた「被災原発」を動かすな!

《日本原電》玉造順一さん(茨城県議会議員)
東海第二原発を巡って-当初から指摘されてきた日本原電の経理的基礎の無さを露呈
日本原電を含む電力業界 これまで反対運動に対峙してきたノウハウの蓄積もあり、決して侮れない

《東京電力》斉藤二郎さん(たんぽぽ舎)
東電による日本原電支援(二二〇〇億円)に反対する 
「巨額の支援」おかしい、反対意見多い、電気料金が上がる
東海第二原発は事故原発-再稼働はムリだ

《東海第二原発》たんぽぽ舎声明
東海第二原発再稼働への資金支援をするな 日本原子力発電に対する三五〇〇億円
日本原電は廃炉管理専業会社となるべき

《原発マネー》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関電も東電も原電も徹底追及するぞ! 
原発マネー、二二〇〇億円支援、東海第二原発再稼働を許さない

《市民立法》郷田みほさん(チェルノブイリ法日本版をつくる郡山の会=しゃがの会)
次の世代に責任を果たすために、やらなければならないこと

《関電高浜》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
関電不祥事を、原発全廃の好機にしよう!

《玄海原発》吉田恵子さん(原発と放射能を考える唐津会世話人)
水蒸気爆発を起こす過酷事故対策、トリチウムと使用済みMOXの危険性

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
規制委による新たな原発推進体制の構築を止めよう
~「原子力規制委員会設置法」の目的と国会付帯決議を守れ~

《本の紹介》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『原発のない女川へー地域循環型の町づくり』(篠原弘典・半田正樹編著 社会評論社)

《浜岡原発》鈴木卓馬さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
浜岡原発は世界で最も危険な原発-南海トラフの震源域の真上に建つ
JR東海のリニア新幹線を懸念-トンネルで地下水が流出か?

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

「餃子の王将」を全国展開する王将フードサービス(以下、王将)の社長・大東隆行さん(享年72)が2013年12月、何者かに銃撃され、死亡した事件は、19日で発生から6年を迎える。犯人はいまだ捕まらないままだが、なぜ捜査は難航しているのか?

ヒントは、「この事件に限らず、そもそも銃撃事件には、未解決の重大事件が多く存在すること」だ。そこに着目すると、この事件の捜査が難航する理由もおのずと察せられる。

◆主な未解決の銃撃事件とは・・・

この事件が起きたのは2013年12月19日の午前5時45分頃、場所は京都市山科区の王将本社前の駐車場だった。犯人は、車で出勤してきた大東さんを待ち伏せしており、腹部などに銃弾4発を撃ち込むと、バイクで逃走した。大東さんは心肺停止の状態で病院に搬送され、病院で死亡が確認された。

有名企業の社長が銃殺された事件は、当然のごとく大きな注目を集め、当初から様々な情報が飛び交った。数年前には、九州の暴力団の関与が疑われているとの情報がまことしやかに報じられたこともある。だが、発生からまもなく6年になる今も警察は被疑者検挙に至らない。事件はいつしか全国の重大未解決事件の1つに数えられるようになった。

大東さんはこのあたりに倒れていた。左手のレンガ造りの建物が王将本社

では、未解決の銃撃事件には、この他にどんな事件があるかを挙げてみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

①1987年5月 朝日新聞阪神支局襲撃事件(兵庫)
黒っぽい目出し帽をかぶった男が同支局に押し入り、男性記者2人を銃撃。うち1人が死亡した。2002年に公訴時効成立。

②1993年8月 阪和銀行副頭取射殺事件(和歌山)
朝、自宅からハイヤーに乗り込もうとした同銀行副頭取の男性が近づいてきた男に銃撃され、死亡。2008年に公訴時効成立。

③1994年9月 住友銀行名古屋支店長射殺事件(愛知)
支店長は自宅マンションのエレベーターホールで何者かに頭部を銃で撃たれ、死亡している状態で見つかった。2009年に公訴時効成立。

④1995年3月 警察庁長官狙撃事件(東京)
長官は朝、自宅マンションの前で何者かに撃たれ、腹部などに3発の銃弾を浴び、重傷を負った。2010年に公訴時効成立。

⑤1995年7月 スーパーナンペイ射殺事件(東京)
閉店後のスーパーで、女性従業員3人が頭部を撃たれて死亡。現場の現金には手がつけられていなかった。現在も捜査中。

⑥2002年11月 名古屋現金輸送車襲撃事件(愛知)
パチンコ店などが入るビルの駐車場で、現金輸送車の警備員が銃撃され、金を奪われた。警備員は現在も車いすの生活。2017年に公訴時効成立。

⑦2009年7月 鳥取タクシー運転手射殺事件(鳥取)
タクシー運転手は鳥取駅前から客として乗せた犯人に銃撃され、釣銭入れを盗まれた。病院に搬送されたが、死亡。現在も捜査中。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうしてみると、銃撃事件には、未解決の事件が多い印象は否めないだろう。では、なぜ、銃撃事件の犯人はなかなか捕まらないのか。

捜査が難航する理由を事件ごとに指摘すれば、いくらでも指摘できるだろう。だが、つきつめて言えば、実にシンプルな話になる。

銃撃事件は、通常の殺人事件や殺人未遂事件に比べると、犯人が事前によく計画を考えたうえで犯行に及んでいる。それが、銃撃事件が未解決になりやすい理由である。

◆殺人犯や殺人未遂犯の多くは突発的、衝動的

これは事件取材や裁判の傍聴などをしているとわかることだが、殺人事件や殺人未遂事件の犯人は多くの場合、突発的、衝動的に犯行に及んでいる。「抵抗されたので、持参していた包丁で刺してしまいました」とか「被害者が大きな声を出したので、慌てて口を押えたら、気づいた時には死んでいました」とかいうケースがほとんどだ。ドラマや小説の殺人犯は、完全犯罪のために緻密な計画を立て、その計画通りに犯行を実行しているが、あのような殺人犯は現実にほとんど存在しないのだ。

対して、銃撃事件の犯人というのは、少なくとも銃を準備する程度に計画的である。さらにターゲットの行動を調べ、銃撃する場所や逃走手段なども考えている。

実際に王将の事件で見てみると、大東さんは毎朝、会社の誰よりも早く出社し、会社前の路上などを掃除していたというが、午前5時45分に会社の駐車場で犯行に及んだ犯人は当然、そのことを知っていただろう。おそらくは、大東さんが大企業の社長でありながら運転手を使わず、1人で車で出社することも知っていたはずだ。

王将本社。大東さんが自ら掃除していた玄関や会社前の路上は今も掃除が行き届いている

また、犯人が逃走に使ったバイクは離れた場所に乗り捨てられていたが、盗難されたものだったという。つまり、犯行に使ったバイクからアシがつかないように考えているわけだ。

上に挙げた他の未解決銃撃事件を見ても、どれも犯人は事前にターゲットの行動を調べ、犯行を実行しやすく、逃走しやすい場所や時間をある程度考えているのは明らかだ。他の多くの殺人事件のように突発的、衝動的に犯行に及んでいるような事件は見当たらない。

その程度のことで、警察が犯人を捕まえられないわけがないのでは・・・と思われた方もいるかもしれない。だが、それは警察の力を買いかぶっているか、あるいは、犯罪捜査を簡単に考えすぎではないかと思う。

完全犯罪を狙い、ある程度以上の能力を有する人間が相応の準備をして犯行に及べば、警察もそんなに簡単に検挙できるわけではない。未解決の銃撃事件が多く存在する事実は、そのことを裏づけている。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

ことし脇役から一転、政界再編成の中心人物として、クローズアップされた人物といえば、山本太郎氏である。参議院議員選挙で新党(わたしはその党名を書くことができない)を設立し、山本氏自身は当選を果たせなかったものの2名の参議院議員を誕生させた。

改選前に自由党の共同代表として、小沢一郎と同じ所帯にいた山本氏は、持ち前の瞬発力で新党を結成。野党にこれといって受け皿が見当たらない「反安倍」の世論をすくい上げる形で一躍「ときの人」となった。

◆それぞれの山本太郎評価がある中で私が山本太郎氏に危機感を持つ理由

山本氏に対する評価は様々だ。本通信や鹿砦社の媒体のなかでも、小林蓮実氏は『紙の爆弾』に同党の人物を紹介する連載を持っているほど、明確な支持を表明しているし、横山茂彦氏もMMT(Modern Monetary Theory=現代貨幣理論)支持を明らかにしているので山本氏の考えに近いであろう。公式に聞いたわけではないが鹿砦社代表の松岡は「とにかくかき混ぜる勢力が必要」との立場から一定の期待をもっているようだ。

わたしは、現在の山本氏と将来の山本氏に対して、かなりの危機感を持つものである。まずは率直に生前譲位が行われた年に、新党を発足させたからか、彼が冠した党名が話にならない。わたしは、党名が発表された直後に一度だけ、痛烈に批判する意味でその党名を記したことがあるが、それ以降は文字にするのはおろか、口頭でも発語したことがない(山本氏が設立した新党に限らず、わたしは新しい元号を発語したくないからだ)。

政策云々のまえにあの党名を語ったり、記したりすることでその党名の一部をなす「元号」を承認してしまう仕組みに、わたしは乗じたくはない。「それはそれ、これはこれ」で済む話ではなしではないのだ。天皇制を承認したり称揚する党名などは、議論の対象に置くことができないひとをも巻き込んでしまう、あの党名のからくりと、政策に大きな違和感と今後の懸念をは増すばかりである。


◎[参考動画]れいわ・山本代表「寝たきりでも豊かに生きられる」(2019年7月21日)

◆山本太郎氏が100人単位の議員を抱える政党の党首に就任したらどうなるか?

 

『NO NUKES voice』Vol.22より

もちろん、偽物ばかりで異なる価値観が存在しない国会内に、違う価値観が持ち込まれることは歓迎する。自民党も、なんとか民主党も「われらが本当の保守」と保守争いしかない国会に、政策的に「保守」ではない勢力が誕生し大きくなることは望ましい。しかし、山本新党が果たしてそうなりえるかといえば、そうはいかないだろう、というのわたしの予想である。

何故そうはいかないのか? 第1の理由は、同党は政策で評価されているようにもみえるが、実際には山本太郎という人物の個性により注目を集めている側面が非常に大きいことだ。山本氏は俳優として一流であったし、頭の切れも相当なものだ。アドリブで演説させても1時間なんの資料も見ずに、語り続けひとびとの関心を引くことができる、ある種アジテーターとして優れた能力を持っている。

しかし、それは下手をすると結果的に「独裁」と紙一重の危険性を孕むことと大きく違いはない。わたしは彼の街頭演説を生で100回以上聞いているから、この点には自信が持てる。山本氏ほど弁舌鋭く、また現在では特に弱者に向けて、簡単な言葉で熱を持って語れる話者を現職の国会議員の中にわたしは知らない。ときには荒っぽい言葉も交え、乱暴と思われる表現も使い、相手を指弾してゆく質問力は野党にあっては非常に貴重である(実は感情の起伏などなくすべて計算されているのであるが)。

しかし山本氏が100人単位の議員を抱える政党の党首に就任したらどうだろうか。彼に匹敵する弁舌の持ち主はないない。しかし山本氏以上に「政治屋」として身の振り方に長けている人間はいくらでもいる。金に汚い人間もいれば、青いバッチを胸につけている人間も出てくるだろう。その100人を今の政策のまままとめきれるだろうか。


◎[参考動画]街頭演説会はやらせ!? 山本太郎 疑惑の真相を語る!!(れいわ新選組2019年12月1日)

◆山本太郎氏の力がどのような方向に振るわれるかで180度違う結果を生じせしめる

民主的な党運営をしていれば、必ず「現実路線」の名のもとに、原発廃止などの政策は「2030年に廃止を目標とする」などといった後退を強いられるだろう。もう過去の人(過去の人ではなかった、今年の参議院議員選挙で当選していた)嘉田由紀子元滋賀県知事が「未来の党」代表に就任したとき、反原発を掲げていながら嘉田氏は党首討論会で「2030年ごろには廃止」と素っ頓狂な発言をして、「未来の党」は未来を見る前に消滅してしまった。

必ず強烈な圧力と現世利益(議席数の獲得から政権奪取へ)に直面し、政策変更を余儀なくさせられる場面が近くあらわれる、とわたしは推測する。その際山本氏は「脱原発」すら公約の中から排除する可能性を、わたしは感じている。仮にそうでなければ、公開討論会でのディベートで彼が反対派を圧倒し、より一層熱狂的な支持を生む(その光景はすでにファシズムめいている)。彼はすでにタレント議員ではない。非常に緻密かつ冷静に将来の展望をもち、政治家としての方向性を描いている。その究極の目標は政策実現よりも、政権奪取にある。そのためにはかなりの危険も冒す。山本氏にはその勇気(あるいは見極め)の力がある。力はそれがどのような方向に振るわれるかにより、180度違う結果を生じせしめる。

多様な議論を交わすのが言論の場であり、意見が異なるからといって、それで議論を排除したり、人間付き合いができなくなるほど、鹿砦社は窮屈な空間ではない。競争をしているわけでもなく、個々人が思ったことを素直に述べあう。そのことによりバランスや多様性が確保される。山本太郎氏への評価ひとつをとっても十人十色でよいだろう。

わたしの見立てはかわらない。


◎[参考動画]山本太郎 街頭記者会見 神戸市三ノ宮(れいわ新選組2019年12月3日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

『NO NUKES voice』Vol.22
紙の爆弾2020年1月号増刊
2019年12月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

———————————————————————-
新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
———————————————————————-
[グラビア]山本太郎「原発事故の収束の仕方も分からないのに滅茶苦茶だ」(鈴木博喜さん)ほか

[インタビュー]孫崎 享さん(元外務省国際情報局長/東アジア共同体研究所理事・所長)
2020年・世界の正体 何が日本を変えるか

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)+編集部
関西電力高浜原発マネー還流事件の本質

[資料]編集部
《全文公開》関西電力幹部を辞任に追い込んだ「告発文」

[インタビュー]井戸謙一さん(弁護士)
関電・東電・福島原発訴訟の核心

[インタビュー]水戸喜世子さん(子ども脱被ばく裁判共同代表)
刑事告発で関電から原発を取りあげる

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈17〉
東京五輪・崩壊の始まり──IOC「マラソン・競歩札幌移転」の衝撃

[報告]小林蓮実さん(ジャーナリスト/アクティビスト)
山本太郎の脱原発政策は新党結成で変わったか?
「政権交代」が脱原発を可能にする唯一の選択肢

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
福島〈水害〉被災地を歩く
懸念される放射性物質の再浮遊と内部被曝リスク

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈6〉
本気で「防災・減災」に取り組まなければ、被災者は同じ苦痛を繰り返す

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
原発潮流・二〇一九年の回顧と二〇二〇年の展望

[報告]平宮康広さん(元技術者)
経産省とNUMOが共催する説明会での質疑応答

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
天皇の即位に伴う一連の儀式に思うこと

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン第五弾
ケント・ギルバート『天皇という「世界の奇跡」を持つ日本』

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
熟年層の活躍こそ、わたしたちの道しるべだ
かつての革命運動の闘士たちがたどった反原発運動

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈6〉記憶と忘却の功罪(中編)   

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
関西電力「原発マネー」─東京電力「二二〇〇億円援助」─日本原電「東海第二原発」
三つを関連させ、くし刺しにして原発廃止を迫ろう!

《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
日本の原発はこのまま「消滅」へ 
日本の原子力政策は嘘だらけでここまでやってきたから
田中俊一(原子力規制委員会前委員長)語る(月刊『選択』11月号)

《東北電力》舘脇章宏さん(みやぎ脱原発・風の会)
女川2号機の審査「合格」が目前
東日本大震災でダメージをうけた「被災原発」を動かすな!

《日本原電》玉造順一さん(茨城県議会議員)
東海第二原発を巡って-当初から指摘されてきた日本原電の経理的基礎の無さを露呈
日本原電を含む電力業界 これまで反対運動に対峙してきたノウハウの蓄積もあり、決して侮れない

《東京電力》斉藤二郎さん(たんぽぽ舎)
東電による日本原電支援(二二〇〇億円)に反対する 
「巨額の支援」おかしい、反対意見多い、電気料金が上がる
東海第二原発は事故原発-再稼働はムリだ

《東海第二原発》たんぽぽ舎声明
東海第二原発再稼働への資金支援をするな 日本原子力発電に対する三五〇〇億円
日本原電は廃炉管理専業会社となるべき

《原発マネー》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関電も東電も原電も徹底追及するぞ! 
原発マネー、二二〇〇億円支援、東海第二原発再稼働を許さない

《市民立法》郷田みほさん(チェルノブイリ法日本版をつくる郡山の会=しゃがの会)
次の世代に責任を果たすために、やらなければならないこと

《関電高浜》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
関電不祥事を、原発全廃の好機にしよう!

《玄海原発》吉田恵子さん(原発と放射能を考える唐津会世話人)
水蒸気爆発を起こす過酷事故対策、トリチウムと使用済みMOXの危険性

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
規制委による新たな原発推進体制の構築を止めよう
~「原子力規制委員会設置法」の目的と国会付帯決議を守れ~

《本の紹介》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『原発のない女川へー地域循環型の町づくり』(篠原弘典・半田正樹編著 社会評論社)

《浜岡原発》鈴木卓馬さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
浜岡原発は世界で最も危険な原発-南海トラフの震源域の真上に建つ
JR東海のリニア新幹線を懸念-トンネルで地下水が流出か?

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

この危ないテーマを、偉大な医師にして国際貢献の烈士を素材に語るべきか。迷ったすえにメモリーとして書くことにした。国際貢献の烈士とは、いうまでもなくペシャワール会の中村哲先生のことである。事件は水争いということで、犯人の身柄も確保されたという。偉大な治水事が不幸な結果となり、また余人に代えがたい先生が亡くなられたことに、哀悼の意を表するものです。

さて、安倍政権は「反社勢力は定義できない」と、みずからの政治的基盤にヤクザや半グレ、圧力・利権団体、あるいはマルチ商法まがいの実業家などがいることを、閣議決定をもって証明した。じつは中村哲先生も、この定義できない「反社」の親族なのである。


◎[参考動画]「信頼関係が一番大切」 中村哲さんが遺した言葉(毎日新聞2019年12月04日)

『日本侠客伝 花と龍』(1969年東映)

すでに母方の伯父が火野葦平であり、その父親が玉井金五郎(玉井組の親分)であることは、ニュース解説などでも触れられている。火野葦平の『花と竜』には、玉井金五郎のほかに吉田の親分(吉田磯吉)も登場し、近代ヤクザ黎明期の若松港が描かれている。じっさいには、戦後に書かれた『革命前後』に玉井金五郎のやや狡すっからい人物像が描かれてあり、後者のほうが実像に近いと評されたものだ(地元の親分衆の話を聴取した溝下秀男工藤會総裁=2008年に逝去)。

◆工藤會との関係

中村先生の親族が「反社」(不定義)というのは、文豪につながる出自を言いたいのではない。先生の従兄に現役の工藤會幹部がいるからだ。四代目工藤會で執行部を務め、現在は常任相談役の玉井金芳玉井組組長がその人だ。三代目(溝下秀男会長)の信任が厚く、そのクレバーな振る舞いから対外的な実務を担っていた。玉井組長は火野葦平の晩年の実子で、玉井一族はいまも若松の港湾団体の要職を占めている。

どうだろう。大伯父がヤクザの大親分で、親族に任侠組織(暴力団)の幹部がいるからといって、中村先生を「反社」につながる暴力団親交者と言えるだろうか。暴対法・暴排条例、そして「反社排除」は、ややもすれば家族関係・親族関係に亀裂を入れ、地域社会を崩壊させかねない勝手なレッテル貼りだったのだ。ほかならぬ安倍政権がそれを証明した。政権が閣議決定した以上、警察庁が仕掛けた社会を歪ませる「反社排除」は是正されるのだろうか。

ちなみに、河伯洞(火野葦平の旧居)の館長も中村先生の従弟である。
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/file_0043.html

資料館ともども、北九州観光のおりには訪れて欲しい場所だ。資料館の館長は「中村さんの義侠心のルーツが、ここにあることを知ってほしい」と、中村先生に関連した特別展示にあたって語ったという。

話が溝下秀男総裁におよんだので、政治家との関係を記しておこう。溝下総裁が30のときに斯界に入門するか、政治家への道を選ぶか迷ったのは、著書『極道一番搾り』ほかに明かされている。このときに政界に誘ったのは、自民党の田中六助である。田中は大平正芳政権のもとで官房長官、鈴木善幸内閣で通産大臣に就任している。田中の後継者(甥)である武田良太が、この欄で何度か名前の出たヤクザと親交がある現国家公安委員長である。

溝下総裁が生きていたとして72歳だから、政治家の道に進んでいたら90年代から2000年代はヤクザ政治家が暴れまわっていたのかもしれない。その溝下が中村哲の活動を陰ながら支援していたことを記しておきたい。工藤會が匿名ながら児童養護施設(溝下自身が孤児である)などに遊具などを寄付していたことも、書かなければ歴史に埋もれる史実となりそうだ。合掌。


◎[参考動画]【中村哲さん追悼】2003年4月放送 アフガンの現実(筑紫哲也NEWS23)

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

ムエタイを掲げるセンチャイジム興行の年内最終興行として組まれた6つのタイトルマッチ、ムエタイオープンタイトル三つは判定決着ながら白熱した展開。

翔(しょうた)センチャイジムの最終試合は引分け。国内王座を5つ獲得の実績を残し、ここまで戦って来て獲れたチャンピオンベルトには、センチャイ会長から与えられたチャンスと育て上げて頂いた感謝を述べ、引退テンカウントゴングを聴いた。

引退テンカウントゴングに送られる翔(しょうた)

猛攻始まったUMAが喜入衆を追い回す

◎MuayThaiOpen.47 / 12月1日(日)新宿フェース 15:30~19:55
主催:センチャイジム / 認定:ルンピニージャパン(LBSJ)

◆12. ルンピニージャパン・ウェルター級タイトルマッチ 5回戦  
チャンピオン.喜入衆(NEXT LEVEL渋谷/66.5kg)
    vs
UMA(K&K BOXING CLUB/66.4kg)

勝者:UMA / TKO 1R 1:54 / カウント中のレフェリーストップ
主審:少白竜

初回早々のローキックから接近してUMAがすぐ打って出る圧力があった。

喜入の隙を突いて素早く左ヒジ打ちを打ち込むと、喜入はノックダウン。

そこからUMAの倒しに掛かる勢いは増し、休ませない猛攻。コーナーでパンチを打ち込み喜入をスリップダウンさせる。

そのまま追い続け左ハイキックから蹴りの連打で喜入を倒し、タオル投入によるものか、いずれもレフェリーが試合をストップする判断を下し、UMAが第2代チャンピオンとなる。

UMAの左ヒジ打ちが喜入衆にヒットし、ノックダウンを奪う

UMAの猛攻の末、倒されてしまった喜入衆

◆11. ルンピニージャパン&MuayThaiOpenバンタム級王座統一戦 5回戦

パンチの有効打と蹴りの反則でダメージ深くなってしまった壱世

ルンピニージャパンChamp.壱・センチャイジム(与那覇壱世/センチャイ/53.35kg)
    vs     
ムエタイオープンChamp.岩浪悠弥(橋本/53.45kg)
勝者:岩浪悠弥 / KO 1R 1:15 / 3ノックダウン / 主審:神谷友和

けん制のパンチからロープ際で岩浪のパンチ連打で壱世からノックダウンを奪うも倒れた壱世の顔面を蹴ってしまった岩浪。これが反則と判断したレフェリーがノックダウンは認めるが反則打として岩浪から1点減点を宣言。

更に壱世に1分間の回復インターバルを与える。その後の再開もダメージが残る壱世に岩浪がパンチの連打で続けて計3度のダウンとなった時点で岩浪のノックアウト勝利となった。

14連勝中の壱世に勝利した岩浪は「今後もっと上に行けるように頑張ります」と語った。岩浪悠弥は第4代ルンピニージャパン・バンタム級チャンピオン。ムエタイオープン・バンタム級王座初防衛成る。

岩浪悠弥の右ハイキックから壱世を追い込む突破口となった

壱世から2度目のノックダウンを奪う岩浪悠弥

「壱世を倒すのは俺しかいない」と豪語して臨んだ岩浪悠弥、左は橋本敏彦会長

◆10. ルンピニージャパン・スーパーウェルター級王座決定戦 5回戦

実方拓海の左ストレートが齊藤敬真にヒット、最初のノックダウンを奪う

LBSJスーパーライト級チャンピオン.実方拓海(TSK Japan/66.45kg)
    vs
齊藤敬真(インスパイヤードM/66.4kg)
勝者:実方拓海 / KO 1R 2:15 / 3ノックダウン
主審:シンカーオ・ギャットチャーンシン

スーパーライト級の実方拓海がスーパーウェルター級王座決定戦に出場。

実方は初回からローキックの様子見から距離を詰め、左フック、ストレート。

いずれもパンチの攻勢で3度のノックダウンを奪って危なげない快勝で2階級制覇。第2代チャンピオンとなる。

最後は左ストレートで齊藤敬真を倒した実方拓海、完勝だった

2階級制覇とはなったが、今後どのクラスで戦うか実方拓海

◆9. MuayThaiOpenスーパーフライ級王座決定戦 5回戦

橋本敏彦会長とともに白幡裕星勝利のツーショット

WMC日本スーパーフライ級5位.村井雄誠(エイワスポーツ/51.95kg)
    vs
MuayThaiOpenスーパーフライ級3位.白幡裕星(橋本/52.05kg)
勝者:白幡裕星 / 判定1-2 / 主審:和田良覚
副審:シンカーオ49-48. 神谷48-49. 少白竜48-49.

前半のローキック主体に蹴り合う中でも互角の立ち上がり、中盤から白幡が徐々に村井を追い気味の展開。

的確に打って出た白幡。迎え打った村井だが白幡に勢いがあった。

完全な優位に立ったとは言えないキツイ終盤もふんばる両者。僅差の判定勝利を掴んだのは白幡となり王座獲得。

白幡裕星が追い気味に進めたが村井雄誠も踏ん張った

白幡裕星が蹴る、わずかに攻勢を維持

◆8. MuayThaiOpenスーパーウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.J(ジェイ/TSK Japan/69.6kg)vs 降籏健嗣(士道館ひばりケ丘/69.65kg)
勝者:J(ジェイ) / 判定:3-0 / 主審:河原聡一
副審:シンカーオ49-48. 神谷49-48. 少白竜50-48.

序盤はやや離れた間合い。レフェリーにファイトを命ぜられるほど見合いが続く後、徐々に打ち合いに移るがまだ激しさが無い中から中盤、ジェイがやや優勢に攻めだし、第4ラウンドは両者の苦しそうな表情からジェイのパンチのヒットが目立っていく。

最終ラウンドは降旗が鼻血を流し、鼻の上をカットし、左目尻もカットの血みどろになりながらの終了。ポイント的には僅差ではあったが、ジェイが押し切った勝利で防衛。

終盤の流血した降籏健嗣の顔面にパンチを打ち込むジェイ

我武者羅の打ち合いとなったラストラウンド、ジェイが追い続ける

キツイ試合を乗り切って防衛成功したジェイ

◆7. 翔(しょうた)・センチャイジム引退試合 ライト級3回戦

JKIライト級チャンピオン.翔・センチャイジム(=佐藤翔太/センチャイ/37歳/61.1kg)
    vs
大谷翔司(スクランブル渋谷/28歳/61.2kg)
引分け 0-0 / 主審:主審:谷本弘行
副審:シンカーオ29-29. 河原29-29. 和田30-30.

静かな立ち上がりから強い蹴りへ移っていく。接近すれば組み技ヒジ打ちを繰り出す両者。大谷は後ろ蹴りも見せる。

終盤には翔(しょうた)が鼻血を流すが最後まで両者、技を出し切り翔のラストファイトとなった。

引退セレモニーでは翔の長いコメントが続き、ジム仲間や応援してくれた仲間、センチャイ会長に「今迄育ててくれて有難うございました。」と感謝の言葉を述べてテンカウントゴングに送られた。

遠慮の無い打ち合いとなった大谷翔司vs翔太

戦い終えてセンチャイ会長を中央にスリーショット

◆6. MuayThaiOpenスーパーバンタム級王座決定戦 5回戦

稔之晟(じんのじょう/TSK Japan/53.2kg)vs 加藤洋介(チームドラゴン/53.25kg)
勝者:稔之晟 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:谷本50-46. 河原50-47. 和田50-45.

初回から様子見ながら徐々に稔之晟が蹴りで自分の距離を作り、第2ラウンドにはヒジ打ちで加藤の額をカットし、組み合えばヒザ蹴りや崩し倒し、稔之晟がハイキックを多用し優位を保ったまま大差の判定勝利となって王座獲得。

19歳の稔之晟が41歳の加藤洋介を攻め続けた

稔之晟が大差判定で王座獲得

◆5. 58.0kg契約3回戦

佐藤政人(NEXT LEVEL渋谷/57.95kg)vs 森岡悠樹(北流会君津/57.8kg)
勝者:森岡悠樹 / 判定0-3 / 主審:神谷友和
副審:谷本29-30. 河原29-30. 和田29-30.

◆4. フェザー級3回戦

成澤龍(SRC/56.8kg)vs 浦林幹(クロスポイント吉祥寺/57.1kg)
勝者:浦林幹 / 判定0-3 / 主審:シンカーオ・ギャットチャーンシン
副審:谷本29-30. 少白竜29-30. 神谷29-30.

◆3. スーパーバンタム級3回戦

鈴木貫太(ONE’S GOAL/55.2kg)vs 森本直哉(グランディール池袋/55.05kg)
勝者:鈴木貫太 / 判定3-0 / 主審:和田良覚
副審:シンカーオ30-29. 少白竜30-28. 神谷30-29.

◆2. スーパーフライ級3回戦

バンサパーン・センチャイジム(タイ/51.95kg)vs 花岡竜(橋本/51.9kg)
勝者:花岡竜 / 判定0-3 / 主審:河原聡一
副審:シンカーオ28-29. 少白竜28-30. 神谷28-30.

◆1. スーパーバンタム級3回戦 

健・センチャイジム(センチャイ/55.1kg)vs 豪之晟(マイウェイスピリッツ/55.06kg)
勝者:豪之晟(ひでのじょう) / 判定0-3 / 主審:谷本弘行
副審:シンカーオ28-29. 和田28-30. 河原29-30.

喜入衆から王座奪取したUMA

《取材戦記》

ルンピニースタジアムからソムキアット・タノムクム氏がスーパーバイザーとして来日。こういった母体団体からスーパーバイザーが来日することはタイトルマッチとして重要な部分でしょう。

ルンピニージャパン王座は第1ラウンド決着となったが、ムエタイオープン王座は5回戦をフルに戦い、我慢の闘いとなる、いずれも白熱した戦いとなった。

翔・センチャイジムは13年の現役生活に終止符。多くの団体興行と単体プロモーション興行に出場して5つのタイトルを獲得。2013年12月に第7代NJKFライト級王座獲得している。公式最終試合はこの日、大谷翔司戦を終えての引退セレモニーを行なった。この前の試合は11月1日、「KNOCK OUT」に於いて重森陽太に4ラウンドKO負けだった。

壱センチャイジムvs岩浪悠弥戦は最初のノックダウンの後に反則打が伴ない、壱センチャイにとっては力を出し切れぬ結末に繋がってしまっただろう。回復の為のインターバルを与えられての再開だったが、レフェリーの処置によってはいろいろなパターンの裁定が下される可能性があった。

神谷レフェリーは一旦カウントし、どういう対処をするか手の内を見せなかった。そして壱センチャイが立ち上がったことによってダメージ具合を量ることが出来た上で、岩波の反則打と宣言し、壱センチャイにインターバルを与えることにも繋がった。

最初のノックダウンと続いた反則打の時点で、レフェリーはどう対処するか分からないから、壱センチャイは立てるなら立たざるを得ないだろう。また本能的に立ってしまうものでもある。ルールの細かさとレフェリーの判断、選手の思惑が絡むと運命と結果はいろいろ変わってくるものである。

来年の興行は5月31日(日)にMuayThaiOpen.48が予定されています。年4回の興行予定が新宿フェースで行なわれるようです。

2016年のムエタイTOYOTA CUPのようなビッグイベントの予定は無いか、センチャイ会長の奥さんに聞いてみると、「今のところ、その予定はありません!」と言われ、ああいうイベントは睡眠時間も奪われる準備の忙しさ、運営の大変さが滲み出ていて今後も無さそうな回答。でもタイから全く話が来ない訳ではないらしい。各団体等で新しいイベントが生まれる興行戦争の時代、センチャイジム興行もいずれはまたタイへ衛星中継されるムエタイイベントもやらねばならないだろう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

安倍政権は12月10日の閣議において「反社会勢力」について「形態が多様であり、また、その時々の社会情勢に応じて変化しうるもの」立憲民主党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。と閣議決定した。


◎[参考動画]「反社会的勢力」定義困難と閣議決定 “桜問題”で(ANNnewsCH 2019年12月10日)

「なっ、何だってぇ?」と、誰もが唖然としたのではないだろうか。暴力団や半グレ、えせ同和、総会屋など、反社会勢力と定義されてきたものが、まるで幻だったかのように政府が定義を変更。いや、社会情勢に応じて変化しうると、曖昧化したのである。

少なくとも、政府において、「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人である『反社会的勢力』をとらえるに際しては、暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団等といった属性要件に着目するとともに、暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求といった行為要件にも着目することが重要である」という、第1次安倍政権が犯罪対策閣僚会議(2007年6月に)で決定した定義を撤回したのだ。

これによって、金融機関や公共機関、遊技場、賃貸契約など、社会のあらゆる領域で「反社会勢力ではありません」と一筆を入れなければならなかったルールが変更を余儀なくされるはずだ。公安委員会が指定する25の指定暴力団いがいは、もはや「反社会勢力」とは定義できないのだ。各都道府県警においては「反社」という言葉を安易に使えなくなった。声高に謳っていた「反社会勢力の排除」も使えないことになる。

◆政治家はもともとヤクザと同じ職種である

ではなぜ、安倍政権はこのような噴飯物の閣議決定をしなければならなかったのだろうか。

直接的には、立憲民主党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えたもので、国会議員の質問には「閣議決定」をもって応じなければならないからだが、安倍総理および菅義偉官房長官の一連の答弁、および「桜を見る会」での反社勢力の参加を受けて、事態を糊塗するものにほかならない。

そして、もうひとつ。警察庁がいくら「暴力団排除」「反社勢力の排除」を力説しようとも、政治家および地元警察がヤクザとの蜜月をやめられないからだ。いや、そもそも政治家という職業、つまり政治(警察力によらない紛争の仲裁・利益の配分・地域の諸勢力の取りまとめ・威力をもってする統合)がヤクザの職域とほぼ同じだからである。

さらには、政治家が選挙による以外にその特権(議員職)を得られないかぎり、集票力のある組織に依拠せざるを得ないからなのだ。とくに自民党のように利権と利益配分を本質とする政党にとって、ヤクザとの関係は不可分なのである。地域の実力者、事業に参入する有力企業に、ヤクザが何らかの関係を持とうとするかぎり、絶対にヤクザは排除できないのだ。ここに問題の本質がある。

麻生太郎副総理、甘利明(労働大臣・経産大臣・自民税制調査会長などを歴任)、田中和徳復興大臣、武田涼太子国家安委員長、竹本直一科学技術担当大臣、下村博文元文部科学大臣。これらは直近で思い浮かぶ、ヤクザ系の人脈と親交のある(人的な交流や政治資金を受け取った)政治家たちだ。そしてわが安倍晋三は、工藤會系の準構成員と推定される土建会社の社長と選挙妨害を談合し、謝礼をケチって火炎瓶を自宅に投げられるチョンボを犯した疑惑がある。菅義偉官房直管はまさに、桜を見る会で全身刺青の半グレと記念撮影するありさまだ。

◆崩れ去った警察庁官僚の思惑

暴対法および暴排条例、そして反社会勢力という言葉は、警察庁のキャリア官僚たちの利権拡大の思惑から発したものだった。東西冷戦下での左右対立、暴力団の全国的抗争のなかで、28万人という巨大な組織に膨張した警察は、必要がなくなったこの時代に生き延びようとしている。予算の削減と戦い、退職者の天下り先・再就職先を確保するためにも、指定暴力団の存在は不可欠だった。左翼勢力が衰退する中でも、公安関連予算を確保するために微罪逮捕などの取り締まりを継続しているのも、巨大組織の延命のためにほかならない。

しかるに、ヤクザも左翼もみずから弾圧してきた結果、先細りで思ったようにならない。そこで「反社会勢力」なる新語を創って、警察の全国動員体制(応援派遣)を発動してきた(工藤會警備の小倉派遣・辺野古警備など)のだ。だがその思惑も、政治家の「反社は定義できない」なる閣議決定によって、宙に浮くことになってしまった。永田町と桜田門の水面下の抗争こそ、これからの見ものと言うべきである。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

《6月12日、リンチ被害者M君が5名を訴えた上告について、却下の連絡が代理人の大川伸郎弁護士へあった。賠償を命じられた李普鉉氏からは「賠償金を支払いたいので口座を教えてくれ」と代理人から連絡があった。一方金良平からは何の連絡もないので、大川弁護士は金良平の代理人に「賠償金の支払い」を求める旨と、大川弁護士の銀行口座明細を記載したFAXを送付したが、7月2日現在大川弁護士には、金良平の代理人から何の連絡もないという》

上記の文章は本通信に本年8月14日掲載した内容である。その後、「一部40万円余りを払う。残りは分割にしてほしい」と代理人姜永守弁護士を通じて金良平(狼藉が度を超えるので、敬称は用いない)が申し出てきた。身勝手極まりない内容にM君並びに弁護団、支援会は対応を検討したが、金良平の申し出を受け入れ、一部金の支払いを待った。

ところが判決確定から半年たっても、金良平は自身が申し出た「身勝手な」支払い方法すら反故にして、いまだに一円たりともM君に対して支払いを行っていない。この間の経緯についてM君代理人の大川伸郎弁護士に確認したところ、「姜永守弁護士に電話で『支払いはどうなっているのか』と尋ねたところ、申し訳なさそうに『すいません。本人に伝えておきます』と切れ味の悪い回答があっただけです」とのことである。

代理人を通じて「分割払い」を申し出てきたのは繰り返すが、金良平だ。最高裁判所で支払い命令が確定した判決を無視し続ければ、時間を経るにしたがって支払い命令金額に利息が加わり、ますます支払いは困難になろう。

ここへきて、取材班は重大な疑念を抱かざるを得ない。

金良平、ならびに周辺で彼と行動をともにしている関係者は「賠償金を支払う」(金良平に支払わせる)意図がまったくないのではないか。口先ではきれいごとを並べて「人権」だの「反差別」だのといきがっていても、最高裁で確定した判決で命じられた賠償金の支払いすら「無視」しようとしているのではないか。この申し出は姜永守弁護士を通じてM君側に伝えられたのであるから、姜永守弁護士にも責任はある。このような事態を予測して、M君、弁護団、支援会は「姜永守弁護士が連帯保証人に就任する」ことを条件として求めたが、姜永守弁護士はそれを受け入れなかった。

リンチ直後に出された金良平(エル金)[画像左]と李普鉉(凡)氏[画像右]による「謝罪文」(いずれも1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

 

辛淑玉氏による2015年1月27日付け文書「Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ」(1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

無責任で済む問題であろうか。M君が被害回復を求めた裁判に際しては、「M君の裁判を支援する会」に多くのかたがたからの支援(カンパ)が寄せられ、M君は裁判を闘い抜くことができた。しかし金良平がこのまま110万円を超える賠償金を踏み倒せば、M君は李普鉉氏から受け取った2万円に満たないお金しか受け取ることができなくなる。

冗談ではない!

彼らの悪質さはこれまでことあるごとに批判してきたが、あれだけの重傷を負わせた被害者に対して「賠償金を踏み倒す」?

これまで取材班は事実を紹介しながら、論評を行ってきたが、金良平と彼の取り巻きが取っている態度は、断じて許されるものではない。判決違反は不法行為と同義であるが「払う金がない」と金良平を逃げ切らせるつもりなのだろう。

こういった非道な行為を前田朗東京造形大学教授はどう評するであろうか?

彼はこの事件につきカメレオン的に、態度を変えた人物であるが、『救援』紙上で公式な見解を開陳した人物である。ことの成り行きについて今どう考えるのかを述べる道義的責任があろう。そして「リンチはなかった」、「あれは喧嘩だった」と散々嘘デタラメを吹聴した中沢けいや、本来関係ないのに横車を入れてきた香山リカ。終始加害者擁護にて徹した安田浩一らは、この事態をどう考えるのだ。

さらに許しがたいのは弁護士神原元の発信だ。この男はこれまで幾度も印象操作や、虚構の発信を続けてきたが、「しばき隊がリンチ事件を起こしたというのは虚偽の風説です」。この書き込みこそ「完全な虚偽の風説流布」ではないか。

神原弁護士のツイッターより

神原は「M君リンチ事件」の刑事記録を見ているだろうが! 罰金が課されたのは李普鉉と金良平の2名ではないか。そこに同席した李信恵に処分はくだらなかったが、上記3名はM君に謝罪文を書いているのはなぜだ? なにも問題がなかったらどうして謝罪文を書く必要があったのだ。

M君リンチ事件の賠償金を払わない金良平

さらに「現在、別途、名誉毀損訴訟が進行中です」との記載は鹿砦社が李信恵を提訴し、勝訴が確定した名誉毀損裁判に対する、反訴が認められず提訴に踏み切った李信恵原告、鹿砦社被告の裁判を示しているのかもしれないが、この係争では、鹿砦社が原告の訴訟で既に鹿砦社勝訴判決が確定していることを(神原がこのような印象操作をまだ続けているので)再度強く強調しておかなければならない。

取材を進める途中から取材班は、この事件の加害者及びその関係者の「悪質性」を認識していた。よって、このような異常事態も「連中」ならやりかねないだろうとも認識する。しかし、司法の判断も「無視」して被害者への賠償を「踏み倒す」連中を座視しているわけにはゆかない。このような行為が横行すれば「司法」の権威は失墜し、被害者は泣き寝入りするしかなくなってしまう。

そういった勢力をわれわれは、放置するつもりはない。


◎[参考動画]日本第一党 第七回神奈川県本部 川崎駅前東口街頭演説活動 2019年10月19日

(鹿砦社特別取材班)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

12月8日、大阪市内の関西電力本店で「老朽原発うごかすな!関電包囲大集会」が開催された。9月末、関電の原発マネー不正還流問題が発覚して以降、はじめての大集会に、16都道府県から1100人が結集、約30人が発言した。福井や女性の方の発言を要約して紹介する。

関西電力本店ビルを、全国から集まった1100人で包囲した

◆関電本店まで延べ150人が14市町を歩いてきた「サヨナラ原発福井ネットワーク」リレーデモ

 

「さよなら原発福井ネットワーク」の若泉さん

関西電力と政府は来年、運転開始から45年超え、44年超え、43年超えの老朽原発・高浜1、2号と美浜3号の再稼働を画策している。これに対して10月1日~11月22日「老朽原発うごかすなキャンペーン」と題して、関西、福井、名古屋などで様々な行動が行われてきた。キャンペーンが明けた11月23日に高浜原発前から始まった200キロに及ぶリレーデモが、12月8日14時前、関電前に到着し、集会が始まった。

福井県の「サヨナラ原発福井ネットワーク」の若泉政人さん。リレーデモのゴールに向け、県内の世論・関心を高めるため、14市町をつなぎながら延べ人数150人で歩いてきた。途中、各自治体に「老朽原発動かすな」などの申し入れを行ってきた。

関電は老朽原発について、新聞で「きちんと対策をとっている」と報告するが、脆化している原発をどう検査しているか全く書いていない。裏金問題では、かつての高浜町助役が関わっていた吉田開発の受注・発注の件で、特に土木部門では全体の半分以上が随意契約。随意契約は今、合理的な理由がなければ簡単には出せないはず。そうした不明な部分も追求しなくてはならない。このように問題だらけのなかで、原発を動かそうとしている関電を、原発から撤退させ、福井を違うやり方で模索する、そのために世論を盛り上げていきたい。

途中、リレーデモで200キロ歩き続けた橋田秀美さんからカンパ要請が行われた。リレーデモの道中、大勢の子どもたちがチラシを受け取ってくれた。こういう子どもを原発から守るのが、私たちの責任だ。この運動は今日が始まりだ!老朽原発を動かそうとする関電を追い詰めていこう。長い闘いが続くので、皆さんの熱い思いをカンパの形で、「私たちはワイロは受けとりませんが、カンパは受け取ります」。


◎[参考動画]2019-12-08関電包囲集会 若泉政人さん(越前市)

◆東海第二原発の社長は東電、副社長は関電から派遣

 

福島県から「原発いらない福島の女たち」さん

「老朽原発を動かすな!」の各地元から。茨城県の東海第二原発の地元の方から、敦賀、東海第二を所有する日本原電は、電力9社の子会社ということで、東海第二の社長は東電から、副社長の木村は関電から派遣されている。取締役だった岩根(関電社長)は、還流問題発覚で退任した。

東海第二は東電と日本原電の共同開発という理由で、発電しなくても東電から維持費が毎年出ている。原発マネーの利権構造の公然たる典型だ。利権は必ず腐敗を生む。今回の件もその一端でしかない。庶民から集めた金をクルクルと自分たちで回しあう、その構造を壊さないといけない。本丸(関電)への闘いも大変だが、私たちは茨城で、その子会社と闘っていく。

◆安全対策費に1兆200億円投入しても「安全とはいえない」高浜原発

 

福井県高浜町議の渡辺さん

福井県から、高浜町議の渡辺孝さん。関電の高浜、大飯の安全対策工事で人身事故が相次いで起きている。いずれも「特重施設」いわゆるテロ対策施設の工事現場。これは関電が安全対策工事や特重施設の完成に焦っている結果ではないか。関電は再稼働のために、安全対策工事、特重施設工事、定期検査と3本の工事を同時に手掛けている。ヒューマンエラーがいつおきても不思議ではない。そうまでして老朽原発を動かす必要はあるのか。高浜4号は、定期検査中に蒸気漏れが起きたが、原因がわからない。美浜の事故のこともあり、とても不気味だ。関電は高浜原発の安全対策費に1兆200億円投入しているが、前・規制委員長・田中俊一氏は「安全審査に合格しても安全とはいえない」と繰り返し言っていた。原発は欠陥商品であり、老朽原発はもちろんすべての原発を動かすのをやめるべきだ。

◆滋賀県からは「福井原発訴訟・滋賀」の井戸謙一弁護士がアピール

滋賀県から「福井原発訴訟・滋賀」の弁護団でもあり、「告発する会」の弁護団でもある井戸謙一弁護士。関電の原発の安全性に対する考え方の問題について、事故前、電力会社は、原発は絶対事故は起こさないと言ってきたが、その言い方が明らかにかわってきた。規制委は、原発に求められるのは絶対的安全性ではなく、相対的安全性で良いに変わり、裁判所もその言い方に乗っかってきている。典型的なのが、先日の東電幹部の刑事裁判の無罪判決だ。大津地裁の裁判でも、私たちの絶対的な安全性を求める主張に対して、関電は「それは失当」と反論した。若狭の原発で事故が起きてもしょうがない。そのときはごめんなさいねという姿勢だ。これを許すかどうかが問われている。許せないという声を広めよう。


◎[参考動画]2019-12-08関電包囲集会 井戸謙一さん(福井原発訴訟・滋賀)

◆「関電の不正還流を告発する会」の宮下正一さん

「関電の不正還流を告発する会」の宮下正一さん。9月27日の朝、朝刊を見てびっくりした。高浜の吉田開発に入った金が、森山助役に渡り、その後知事などに渡るならわかるが、なんと関電に還流された。1人で1億超の金を受け取った人が2人いて、うち1人が北新地で毎月500万使っていた。滅茶苦茶なことがおきた。絶対許せんと思い、河合弁護士に相談したら、告発運動で日本中から千人の告発人を集めようといわれた。千人は福井の運動からは、考えられない数だった。でも10月24日大阪市内で開催したキックオフ集会を、その後東京、福井でやり、ひと月半で47都道府県から3千人を超す告発人が集まった。13日、大阪地検に告発する(大阪地検前に12時半集合)。検察権力によって、関電の行った行為をきっちり調査し、起訴して処罰させよう。これからが本番です。

 

避難者を代表して「原発賠償関西訴訟」の森松明希子さん

◆避難者を代表して「原発賠償関西訴訟」の原告・森松明希子さん

次に避難者を代表して「原発賠償関西訴訟」の原告・森松明希子さん。今、原発安全神話から放射能安全神話にすりかえられ、「原発に絶対安全基準はいらないんだ」とされている。私たちが原発で手放そうとしているのは、命や健康、生きる権利そのものなのだ。関電はまだ原子力にしがみつこうとしているが、それは私たちの憲法で保障された権利を手ばなすことであり、それを認めるか認めないかの闘いだ。事故から9年経ち、私の0歳だった子どもももう9歳、話がわかる。全国の子どもたちを、私たち大人が責任もって、原発をこの世の中から廃絶させなくてはいけない。核との共存は核兵器だけではない、原発とも共存できない。命を守りましょう。


◎[参考動画]2019-12-08関電包囲集会 森松明希子さん(原発賠償関西訴訟)

◆グリーンアクションのアイリーン・美緒子・スミスさん

 

グリーンアクションのアイリーン・美緒子・スミスさん

グリーンアクションのアイリーン・美緒子・スミスさん。今、原発の再稼働はずっと押さえつけられている。私たちの闘いは半分勝っている。原発は日本の電気の8%しか作っていない小さな力なのに「エライ」と威張り続けている。2年間ゼロだったのに、「これがなければ日本が成り立たない」みたいなフリを未だにしている。温暖化問題が深刻化しており、世界の専門家は「原発は温暖化対策にはならないどころか、温暖化対策を妨害している」といっている。私たちの脱原発行動は、温暖化対策でもあり、日本を安全にするためでもある。そんななか、関電は金品授受問題を起こしたが、第三者委員会の調査結果が出る前に、高浜4号を動かそうとしていた。そんななか蒸気発生の深刻な問題が起こり、12月から2月に延びた。関電は当初「蒸気の原因はわからないが動かす」と言ったが、いつもは全然ダメな規制委員会が「あかん」と言った。たった1・3ミリの伝熱管が0・5ミリになっていた。それでも関電は動かそうとした。高浜4号機の再稼働には絶対NOといいましょう。

ほか、労働組合などからたくさんのアピールが続き、最後に関電に向けて力強いシュプレヒコールがあげられた。

「老朽原発動かすな!」「危険な原発、今すぐ廃炉!」「ワイロよりハイロ!」「原発なくても電気は足りる!」「原発政策すすめる政権はいらない!」


◎[参考動画]2019-12-08関電包囲集会 橋本あきさん(郡山市)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』22号では高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

『NO NUKES voice』Vol.22
紙の爆弾2020年1月号増刊
2019年12月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

———————————————————————-
新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
———————————————————————-
[グラビア]山本太郎「原発事故の収束の仕方も分からないのに滅茶苦茶だ」(鈴木博喜さん)ほか

[インタビュー]孫崎 享さん(元外務省国際情報局長/東アジア共同体研究所理事・所長)
2020年・世界の正体 何が日本を変えるか

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)+編集部
関西電力高浜原発マネー還流事件の本質

[資料]編集部
《全文公開》関西電力幹部を辞任に追い込んだ「告発文」

[インタビュー]井戸謙一さん(弁護士)
関電・東電・福島原発訴訟の核心

[インタビュー]水戸喜世子さん(子ども脱被ばく裁判共同代表)
刑事告発で関電から原発を取りあげる

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈17〉
東京五輪・崩壊の始まり──IOC「マラソン・競歩札幌移転」の衝撃

[報告]小林蓮実さん(ジャーナリスト/アクティビスト)
山本太郎の脱原発政策は新党結成で変わったか?
「政権交代」が脱原発を可能にする唯一の選択肢

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
福島〈水害〉被災地を歩く
懸念される放射性物質の再浮遊と内部被曝リスク

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈6〉
本気で「防災・減災」に取り組まなければ、被災者は同じ苦痛を繰り返す

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
原発潮流・二〇一九年の回顧と二〇二〇年の展望

[報告]平宮康広さん(元技術者)
経産省とNUMOが共催する説明会での質疑応答

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
天皇の即位に伴う一連の儀式に思うこと

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン第五弾
ケント・ギルバート『天皇という「世界の奇跡」を持つ日本』

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
熟年層の活躍こそ、わたしたちの道しるべだ
かつての革命運動の闘士たちがたどった反原発運動

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈6〉記憶と忘却の功罪(中編)   

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
関西電力「原発マネー」─東京電力「二二〇〇億円援助」─日本原電「東海第二原発」
三つを関連させ、くし刺しにして原発廃止を迫ろう!

《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
日本の原発はこのまま「消滅」へ 
日本の原子力政策は嘘だらけでここまでやってきたから
田中俊一(原子力規制委員会前委員長)語る(月刊『選択』11月号)

《東北電力》舘脇章宏さん(みやぎ脱原発・風の会)
女川2号機の審査「合格」が目前
東日本大震災でダメージをうけた「被災原発」を動かすな!

《日本原電》玉造順一さん(茨城県議会議員)
東海第二原発を巡って-当初から指摘されてきた日本原電の経理的基礎の無さを露呈
日本原電を含む電力業界 これまで反対運動に対峙してきたノウハウの蓄積もあり、決して侮れない

《東京電力》斉藤二郎さん(たんぽぽ舎)
東電による日本原電支援(二二〇〇億円)に反対する 
「巨額の支援」おかしい、反対意見多い、電気料金が上がる
東海第二原発は事故原発-再稼働はムリだ

《東海第二原発》たんぽぽ舎声明
東海第二原発再稼働への資金支援をするな 日本原子力発電に対する三五〇〇億円
日本原電は廃炉管理専業会社となるべき

《原発マネー》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関電も東電も原電も徹底追及するぞ! 
原発マネー、二二〇〇億円支援、東海第二原発再稼働を許さない

《市民立法》郷田みほさん(チェルノブイリ法日本版をつくる郡山の会=しゃがの会)
次の世代に責任を果たすために、やらなければならないこと

《関電高浜》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
関電不祥事を、原発全廃の好機にしよう!

《玄海原発》吉田恵子さん(原発と放射能を考える唐津会世話人)
水蒸気爆発を起こす過酷事故対策、トリチウムと使用済みMOXの危険性

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
規制委による新たな原発推進体制の構築を止めよう
~「原子力規制委員会設置法」の目的と国会付帯決議を守れ~

《本の紹介》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『原発のない女川へー地域循環型の町づくり』(篠原弘典・半田正樹編著 社会評論社)

《浜岡原発》鈴木卓馬さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
浜岡原発は世界で最も危険な原発-南海トラフの震源域の真上に建つ
JR東海のリニア新幹線を懸念-トンネルで地下水が流出か?

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

« 次の記事を読む前の記事を読む »