前回の記事では、森の「女がいると会議が長引く」発言が単に個人の失言ではなく、旧態のジェンダー観を背景にした一種のイデオロギー闘争であり、国際的な日本の評価につながる女性差別事件である、と指摘した。(「森喜朗=東京オリ・パラ大会組織委員会会長の辞任劇 何が問われていたのか」2021年2月13日)

そして当初の予測どおり、森の辞任(実質的な国内外の世論による解任)は休日の11日中に実行されたが、同時に森が後継を託した川淵三郎の会長就任が阻止されるという事態が生起した。

Jリーグ誕生、バスケットボール協会のゴタゴタ(競技団体が鼎立し、代表チームが選出できない)の解決など、実績と能力において誰しも認める川淵の会長就任が頓挫した。この事態に驚嘆した方も多いのではないか。

◆就任辞退は、官邸からの要請だった

もっとも「不祥事で辞任する会長に後継禅譲はふさわしくない」「密室人事であり、透明性がない」「爺爺交代では、国際的な評価が得られない」などの理由は、世論的には当然だと思われる。

だが、森が男泣きに川淵に「苦労」を打ち明けて後継を懇願し、川淵もまた家族の反対を押し切ってまで、大任を引き受けたのではなかったのか。川淵によれば、今回の件で批判を受けた森会長に「気の毒」「本当につらかっただろうなっていうんで、涙がなかなか止められなかった」などと「もらい泣き」したことを明かし、森氏に「相談役」就任要請を打診したことなどを明かしていたのだ。

「人生最後の大仕事」として、取材陣にこの人らしく上記の情報を開示しながら「引き受ける」と明言した決意が、見事にくつがえったのである。

川淵は会長を引き受けるにあたっては「(就任受諾の)外堀が埋められていた」とも語っている。ようするに大会関係者の推薦や了解が得られていたにもかかわらず、その翌日には当の本人が就任を辞退したのである。

これを驚天動地の展開と言わねば、なんと説明できるのだろう。本人は「流石に身体は綿のように疲れ切った感じです。偶には弱音を吐かせてください」(ツイッター)と、心身から疲れ切った心情を吐露している。相当の就任反対論、あるいは激しい批判があったものと推察できる。

川淵三郎2021年2月13日ツイッターより

そこで、いったい誰が森の密室禅譲路線をくつがえしたのかが、明らかにされなければならないであろう。森の禅譲も「密室劇」ならば、川淵の翻身も「密室」なのだから。

川淵が明かしたところでは、菅総理から「女性か若い人はいないのか」という主旨の発言があったことが知られている。これはのちに菅総理が明らかにしたとおり、間接的ながら森への苦言であった。IOCのバッハ会長も、女性の共同代表案を森に持ちかけたが、これも森が拒絶することで、最終的に川淵もふくめて国際的な孤立にいたる。あとは「透明な手続きを」という正論が通ったのだ。

このあまりにも当然の苦言には、しかし政界の暗闘、とりわけ自民党内のどす黒い派閥抗争という事情があった。すなわち政局だったのである。

◆加藤の乱に参画していた菅義偉

加藤の乱をおぼえておられるだろうか。

第二次森政権の2000年、自民党は森の神の国発言などで国民的な批判に晒されていた。森が党の顔では、選挙を戦えないというのが党内世論でもあった。

そもそも森政権は小渕恵三総理の脳梗塞による降板により、密室で選ばれた暫定政権である。

YKKトリオのうち、次期総裁にもっとも近かった加藤紘一は小渕派(旧竹下派)に担がれることを是とせず、イッキに派閥抗争に決着をつけようとした。すなわち、野党による森内閣不信任決議案に乗って、倒閣の党内クーデターを画策したのだ。これが加藤の乱である。周知のとおり、加藤の目論見は派内の一致もえられず、クーデターは事前に鎮圧。野中広務幹事長の党内引き締めによって、YKKは腰砕けになったのである。

じつはこのとき、加藤派の一員としてこのクーデター劇に参加していたのが、ほかならぬ菅義偉総理なのだ。このときの因縁は感情的なものではないにせよ、不透明な選出劇(森という政治家)を嫌う、ある意味では菅の潔癖さがみとめられる。

◆スポーツ長官就任を拒否された川淵三郎

じつは2015年のスポーツ庁設置のときにも、森はスポーツ庁長官に川淵三郎を据えようとしていた。大学の先輩後輩であり、涙をもって語り合ういわばホモソーシャルなコンビの策動は、しかし鈴木大地が長官に就任することで潰えたのだった。

このとき、官房長官として安倍政権の中枢にあり、川淵三郎のスポーツ庁長官就任に待ったをかけたのが、ほかならぬ菅義偉現総理なのである。

実績も手腕もじゅうぶんな川淵三郎がスポーツ長官に就任できなかった背景には、文部科学省の官僚たちが川淵を怖れていた、という指摘もある(二宮清純)。

というのも、川淵三郎が創出したJリーグシステムは、従来の学校スポーツ・企業スポーツの枠をこえて、地域と行政を動員した地域密着型の新生事物だったからだ。事なかれ主義の文科官僚たちにとって尺度がわからない、何をするかわからない人物というのが川淵三郎だったのである。

◆会長は誰になるのか?

現在、組織委員会は新任会長の選考委員会が組織され、新しい会長候補に橋本聖子五輪担当大臣、小谷実可子(五輪組織委員会スポーツディレクター・元シンクロナイズドスイミング選手)、山下泰裕(JOC会長)などの名が挙がり、橋本に一本化された(2月17日16時半現在)。今後は橋本を理事に入れ、そこから理事会で決定ということになるようだ。

橋本は政治家であるから、離党・大臣辞任・議員辞職が必要とされる。本人は固辞していると伝えられるので、政界(自民党)の橋本推薦をいったん受理して、橋本がさらに固辞した場合は、別の候補という流れになるのだろう。手続きを踏んだ、手堅い段取りと言えなくもないが、まだひと波乱ありそうな気配だ。


◎[参考動画]56歳橋本聖子大臣で一本化“ポスト森”18日午後選出へ(FNN 2021年2月17日)

しかしそれにしても、ふと気が付いて考えてみれば、スポーツと政治は親しくなり過ぎたようだ。

スポーツは資金を必要とするがゆえに、企業スポンサーを獲得し、税金を導きいれる政治の力をもとめてきた。これが森喜朗のスポーツ界における発言権、存在感(実権)の源泉であった。

◆政治とスポーツの一体化がもたらすもの

政治はスポーツを取り込むことで、国家主義的な国民意識の高揚、すなわち政治の求心力をもとめてきた。誰もが賛成するスポーツ振興、君が代日の丸の国民的普及、そしてナショナリズムである。

だが、一部の突出したスポーツ振興が、国民の健康に寄与するというのは錯誤であろう。

なるほど国際レベルでの日本選手の活躍は、一時的に国民のスポーツ熱をもたらすかもしれない。だが、外国人選手でかさ増ししたラグビー日本代表の活躍が観客増はもたらしても、ラグビーの普及に資していない現状があるという(日本協会関係者)。高校のラグビー部の低減、クラブチームの衰亡がそれだという。

野球やサッカーにおいても、学校スポーツとしては参加者が低迷している。スポーツのプロ化はそのいっぽうで、少年少女たちにスポーツ選手としての成功の難しさを明らかにし、やるスポーツから観るスポーツへと、国民の意識をぎゃくに後退させている現状があるのだ。国民の健康増進に寄与しないスポーツ振興は、たんなるショービジネスにすぎないことになる。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

15日の昼過ぎ、浜名湖連続殺人事件の被告人・川崎竜也(37)が最高裁への上告を取り下げ、一、二審で死刑とされた同被告の死刑判決が確定した。これには、いささか驚いた。私は川崎とは面会や文通をしていたのだが、川崎はこの日の午後3時から最高裁で上告審の判決を言い渡される予定になっていたからだ。

川崎は、裁判員裁判だった静岡地裁の一審、東京高裁の二審共に黙秘したこともあり、その人物像は謎に包まれていた。この機会に、私が取材で知った川崎の素顔を少し紹介しておきたい。

◆弁護人は無罪を主張したが、本人は……

見た目は真面目そうだが…(川崎のFacebookより)

川崎は事件を起こす前、浜松市で宅地建物取引士をしていたとされる。裁判の認定によると、2016年1月、以前の勤務先で同僚だった同市の無職・須藤敦司さん(当時62)を殺害し、遺体を焼いたうえで遺棄。須藤さんのマンションや車を自分の名義にしたり、須藤さんの口座から金を引き出したりした。さらに同7月、川崎は磐田市のアパートで知人だった京都市の工員・出町優人さん(同32)を刺殺。遺体をバラバラに切断して遺棄したという。

静岡地裁は判決でこうした事実を認定し、〈生命軽視の態度が著しく、一連の犯行は冷徹で残忍〉と指弾。川崎が黙秘したこともあり、須藤さんを殺害した方法や、出町さん殺害の動機は解明されなかったが、死刑を宣告したのだ。

そんな川崎について、まず何より知られていないのが「罪を認めているのか否か」ということだ。というのも、弁護人は裁判で一貫して「無罪」を主張しているが、川崎本人は裁判で起訴内容の認否についてさえ、黙秘して答えていないからである。

正解は、「認めている」だ。昨年8月、東京拘置所で面会した私に対し、川崎は笑顔でこう答えた。

「弁護士は無罪を主張していますが、私自身は無罪を主張していません。私は有罪でも納得していますから」

川崎によると、静岡地裁で裁判員裁判が始まる前、接見にきた弁護人に「黙秘する」と告げると、弁護人は「じゃあ、無罪を主張する事案ですね」と言い、「職務」として無罪を主張したという。そして控訴審以降の弁護人も一審の弁護人を踏襲し、無罪を主張したのだそうだ。

◆控訴、上告をした理由

では、有罪に納得しているのであれば、川崎はなぜ、控訴や上告をしたのか。その点を質問すると、川崎はこう答えた。

「黙秘権の判例を打ち立てたかったのです。それが自分の義務だと思いました」

実は川崎は法律に強い関心を持つ人物で、刑事事件の被疑者や被告人の権利についても色々こだわりがあり、そのために拘置所の職員と衝突することがよくあった。たとえば、「被収容者が午前中、身体を横にしてはいけないという東京拘置所の規則はおかしい」と主張し、房内で午前中に身体を横にして、懲罰を食らったこともある。

「無罪が推定される立場の未決拘禁者が、受刑者のように扱われているのはおかしいです」という川崎の主張は、私ももっともだと思った。しかし、人を2人も殺しておきながら、自分の権利をこんなに堂々と主張できるのは、やはりサイコパス的なところがあるのだろう。

◆「反省する気はありません」

実際、川崎は2人の男性の生命を奪い、遺体まで無残に損壊、遺棄したことについて、何ら罪の意識を感じていなかった。そして、こんなことを言っていた。

「懲役刑ならば、社会復帰のために反省し、更生の努力をしないといけないと思います。しかし、私は死刑を宣告され、更生を求められていないわけです。刑死して責任をとるので、反省する気はありません」

死刑になることは怖くないそうで、「それより死刑執行までに刑務官に人道的処遇をしてもらえるか心配です」とニコニコしながら言っていた。また、「6カ月以内に執行してもらっても構わない」とも言っていたが、悪ぶったり、強がったりしている様子はなく、明らかに本気だった。他人の生命だけでなく、自分の生命も軽く考えているわけだ。

ただ、そんな川崎が最高裁の判決が出る前に、上告を取り下げて死刑を確定させたのは、私にもまったく予期できないことだった。何しろ、先に述べたように川崎は、「黙秘権の判例を打ち立てたい」と言い、そのために上告したと言っていたからだ。上告を取り下げたことにより、川崎は結局、最高裁で判決を受けられなかった。これでは、上告した意味が無いのではないだろうか。

私は、川崎が上告を取り下げたのは、「自分の運命を決めるのは、裁判官ではなく、あくまでも自分だ」と意思表明したということではないかとみている。死刑が確定すると、面会や手紙のやりとりはできなくなる可能性が大きいが、川崎本人の考えを確認できたら、また改めて紹介させてもらいたい。

川崎が勾留されている東京拘置所

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。拙著『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)被害者救済・支援に関わり早5年、善意で手を差し延べたにもかかわらず、先般165万円もの賠償金を課せられました。

賠償金を命じた判決には、到底承服できません。ただ、私たちの救いは、出会った当時、自殺してもおかしくないほど精神的に追い詰められていたリンチ被害者M君を救ったことです。ここに本件に関わった最大の意義があると思っています。僭越ながら、5年前に私たちと出会わなかったらM君の精神は、取り返しのつかない状態になっていたのではないかと、今になれば振り返ることができます。

判決文(主文)

◆リンチや暴力は、受けた者にしか判らないことがある──裁判官も一度暴力を受けてみよ!

 

神原元弁護士のツイート

私たちは、このリンチ事件に「私怨と妄想」(神原弁護士)で関わったのではありません。若い学徒が必死に助けを求めているのに人間として放っておくわけにはいきませんでした。

事件後M君は、1年余りも孤立しセカンドリンチと村八分に遇ってきていました。私たちと出会ってからもしばらくの間、近づいてくる者に引き回され、騙されたりしていました。一例を挙げてば、自称「浪花の唄う巨人」こと趙博は、あたかも理解者のようにM君に接近し、一緒に闘ってくれるものと思ったM君は、当時まだ未公開だった貴重な資料を渡したりしながら突然掌を返されたり……。それでも次第に少しづつ落ち着いていきました。しかし、いまだにリンチの悪夢にさいなまれPTSDに悩まされています。

リンチの現場となるワインバーにM君が到着するや、「なんやねん、おまえ、おら」と李信恵が胸倉を摑み、1発殴ったのが平手なのか手拳なのか混乱したことで裁判所はM君の供述全部が「信用ならない」と判断しました。このことで対5人組訴訟でも、今回の対李信恵vs鹿砦社訴訟でも、李信恵免訴の要因になりました。

しかし、この裁判所の判断は、果たして問題の本質を正しく掌握した判断と言えるでしょうか。

李信恵がM君の胸倉を摑み、一発殴ったのが「平手なのか手拳なのか」、このことだけで、すべてを判断されてしまいました。さらには、綿密に取材し本に記載している事実についても「取材していない」と、腰を抜かすような滅茶苦茶な決めつけをされました。

このように、「ある」ものを「ない」と裁判所に判断されれば、勝てる道理はありません。

私はちょうど50年近く前の1971年5月、3人でビラ撒きしていたところ、50人以上のゲバルト部隊に襲撃され、キャンパスの門のあたりから奥まで引きずり回され激しい暴行を受け5日ほど病院送りにされました。この際、右足で蹴られたのか左足で蹴られたのか、あるいは手拳で殴られたのか角材で殴られたのか言えと問われても、「どっちやったかな」としか言えません。頭も負傷していましたし、全身打撲でした。山口正紀さんもこの1年前に同様の暴行を受けています(『暴力・暴言型社会運動の終焉』に記載)。

裁判官は、おそらくこういう経験はないと思われますが、「一度暴行やリンチを受けたらいかがですか」とでも言いたくもなります。

[写真左]リンチ直後のM君の悲惨な顔。[写真右]これに倣った「作品」

◆裁判所はいつまで「平手」か「手拳」に拘泥するのか

 

「反差別」の活動家にはこんなことを言う徒輩もいるのか

そのように、李信恵の最初の一発が平手だったのか手拳だったのかというM君の供述の混乱ですべてを判断され、李信恵がリンチの現場の空気を支配し、1時間のリンチの間、リンチを止めもせず悠然とワインをたしなみ、有名になった「殺されるんやったら、中に入ったらいいんちゃう」との暴言を吐き(怖い人だ!)、リンチが終わっても救急車やタクシーを呼ぶわけでもなく、師走の寒空の下に放置して立ち去ったという非人間的行為は断罪されませんでした。裁判所は「人権の砦」だといわれますが、ならば激しいリンチを受けた被害者に寄り添うことはできないのでしょうか?

本件で最も激しい傷を負い苦しんだのは言うまでもなくM君ですが、裁判所は、これを無視し、鹿砦社の本やネット記事で李信恵が「被害」を受けたという主張を真に受け、差別されてきた在日のか弱い女性が言うことだから間違いないというのでしょうか。李信恵はその「陳述書」で、次のような文言を繰り返しています。

李信恵は(鹿砦社特別取材班の取材や出版物、ネット記事等により)「自分の受けた被害」によって、「苦しい気持ちになりました。」「不安と苦痛でいたたまれません。」「恐怖に苛まれました。」「恐怖心でいっぱいになりました。」「これら記事を読んで泣き崩れました。」「非常に不安になりました。」「不安感や苦痛はとうてい言葉にできません。」「怒りと悲しみでいたたまれなくなります。」「私に対する強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じています。」等々言いたい放題です。

激しいリンチ被害者M君が言うのであれば判りますが、集団リンチ事件に連座した李信恵が言うには違和感があります。しかし、牽強付会に申し述べた、それら李信恵の主張を裁判所は認定しました。

なぜ裁判所は、集団リンチの被害者M君の肉体的、精神的な傷よりも、李信恵の主張する「物語」ばかりを採用するのでしょうか。李信恵自身、リンチの場にいた5人の被告の一員となった、M君が損害賠償を求めた裁判の証言の場で「胸倉を摑んだ」と認めているだけでなく「そのあと、誰かが止めてくれると思っていた」と証言しました。つまり「誰かが止めなければ」李信恵の行動はエスカレートしていた可能性が高い、と考えるのは不自然でしょうか?

そうして、リンチが行われている1時間もの間、止めもせず悠然とワインを飲んでいた剛の者がなにをかいわんやです。皆様方はどう思われるでしょうか?

こうしたことをあからさまに記述した「本件各出版物の出版及び本件各投稿記事の投稿により原告(注・李信恵)が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額として」165万円もの賠償金を鹿砦社に課したのです。なにかおかしくはないでしょうか?

◆「日本酒に換算して1升近く」飲み泥酔した状態でM君を呼び出してリンチの口火を切ったのは誰か?

 

李信恵のツイート

李信恵は、大阪・十三(じゅうそう)のあらい商店(韓国料理店)→キャバクラ→焼き鳥屋→ラーメン屋→5軒目の大阪・北新地のワインバーに入るまで「日本酒に換算して1升近く」飲んだとツイートしています。1升といえば、常識的に見れば泥酔の類に入ります。具体的には、

「マッコリ5、6杯位、焼酎ロック8杯位、日本酒2合、生ビール中ジョッキ1杯」(李信恵の供述調書から)」

と、のちに警察の取り調べにみずから供述しています。このような状態で、M君を呼び出して冷静な会話が成立するでしょうか。

泥酔した中でM君を呼び出し、M君が到着するやリンチの口火を切り午前2時頃から3時頃まで約1時間、M君を半殺しの目に遇わせたのです。いくらなんでも酷くはないですか?

◆将来に禍根を残す判決を許すことはできません!

一審判決は、M君の「平手か手拳か」の記憶が定かではないことを理由にM君の供述全部が「信用できない」とし、このことが潜在意識にあったのか、取材班が取材し記述していることを「取材していない」と誤認し、結果としてリンチを容認し、李信恵らの暴虐を黙認し暴力にお墨付きを与える内容となったと、私たちは認識しています。

こうした判決を許すことは到底できません。将来に禍根を残すことは確実ですから──。事実、M君リンチに連座した伊藤大介は昨年11月25日未明、同じパターンで酔っ払って深夜に気に食わない人間を呼び出し暴行傷害事件を起こしました。M君リンチ事件と同じ過ちを繰り返したのです。彼らのみならずすべての反差別運動、社会運動に携わる人たちが、今、ここでしっかり反省し教訓化しないと3度、4度と繰り返すんじゃないでしょうか? 私の言っていることは間違っていますか?

◆司法、裁判所の感覚と、一般生活者の感覚の遊離

 

《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』

法律の専門家や、訴訟に詳しい方のご意見を伺うと、裁判所には、私たちの生活と随分かけ離れた常識やルール、判断があることを、あらためて思い知りました。しかし司法に「独特な」ルールや論理があっては、一般の生活者は困るのです。一般の生活者は、紛争解決のために(刑事でなければ)、裁判所に「公正な判断」を期待して、判断を仰ぎます。訴訟慣れしている一部の人間を除いて、裁判所に判断を持ち込むには、相当の勇気と覚悟が要るものです(経験のある方であれば、理解いただけることでしょう)。

大規模な「司法改革」が断行されましたが、あの改革は、生活者の要請に沿うものであったのでしょうか。民事裁判は実質的に「一審制」となってしまい、一審で敗訴すれば、控訴しても判決を覆すのは容易ではありません。控訴審での「一回結審」の割合は実に8割を超えています。さらに、上告をしても最高裁では「事実調べは行わない」ことになっているそうです。

このように現在の司法には、多くの問題がありますが、残念ながら私たちはその支配から逃れることはできないのです。したがって、裁判所は「一般的な通念からすれば」とか「一般人の普通の読み方」という文言を判決で多用しますが、私たちの「一般的通念」「一般人の普通の読み方」とかなり違う内容が判決で表現されることが、これまでの訴訟経験からかなり(いや、ほとんど)ありました。今回もそうです。

私たちは、小規模な出版社にすぎません。しかし民事訴訟に関わる可能性は、読者の皆様方にもあるのです。そういった点からも、この問題について引き続き注視、ご支援賜れば幸甚に存じます。

16年前の「名誉毀損」事件では刑事・民事共に最高裁まで闘いを貫徹しました。その際に「血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘う!」と叫びましたが、16年の時空を越えて、同じ想いです。勝敗は抜きにして、闘うべき時は闘わなければなりません。

ともかく、リンチを容認し暴力にお墨付きを与えたこの判決は将来に禍根を残しますから、全智全能、全身全霊をもって闘い粉砕しなければなりません。逆転勝訴を信じて──。

不当判決! リンチを容認し暴力にお墨付きを与えた1・28一審判決(大阪地裁)を許してはならない!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

来年4月から民法の成人年齢が18歳になるのに伴い、少年法も改正されることになりそうだ。

法務省が20歳未満の少年のうち、18、19歳については「特定少年」と区分けしたうえ、従来より厳罰化し、起訴されたら成人と同様に実名報道できるようにする改正案を今の国会に提出する予定なのだという。

私はこのニュースに触れ、以前取材していた1人の死刑囚のことを思い出した。名前は千葉祐太郎。2009年に始まった裁判員裁判で唯一、犯行時に少年でありながら死刑判決を受けた人物だ。現在は29歳になっており、仙台拘置支所に確定死刑囚として収容されている。

◆報道やネット上の写真のイメージと異なった少年殺人犯の実像

筆者の面会取材が漫画になった『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】5話(笠倉出版社、作・塚原洋一)より

祐太郎が事件を起こしたのは今から11年前に遡る。2010年2月10日の早朝、当時18歳だった祐太郎は、石巻市にある元交際相手の女性A子さん(当時17)の家に上がり込み、家にいたA子さんの姉(同20)とA子さんの友人女性(同18)を持参した牛刀で刺殺。さらにA子さんの姉の知人男性(同20)に対しても胸を刺して重傷を負わせた。事件前、祐太郎はA子さんにDVを繰り返し、2人を引き離そうとするA子さんの姉らとトラブルになっており、事件はその延長線上で起こしたものだった。

そんな事件は例によって少年による凶悪事件として大きく報道された。そして、同年12月、祐太郎が仙台地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた時には、妥当な判決であるように伝えられた。かくいう私も本人を直接取材するまでは、祐太郎のことをいかにも凶悪そうな少年としてイメージしていた。それは、報じられた犯行内容もさることながら、ネット上に流布した祐太郎の顔写真などの影響が大きかったように思う。

現行の少年法では、事件を起こした少年の名前や容貌を推知できるような報道が禁じられている。しかし、ネット上では、少年法の定めに従わない人たちが、事件を起こした少年の名前や写真を流布させるのが恒例だ。祐太郎の場合もそうなっていた。ネット上に流布した写真を見ると、険しい顔つきをした祐太郎はいかにも暴力的な少年であるように思われた。

私がそんな先入観を抱きつつ、祐太郎と初めて仙台拘置支所で面会したのは、2014年8月のことだった。祐太郎はこの時、すでに第二審・仙台高裁でも死刑判決を支持する控訴棄却の判決を受けており、最高裁に上告中だった。アクリル板越しに向かい合うと、実際の祐太郎は顔つきも話し方も穏やかだった。それから2年ほど面会や手紙のやりとりを重ねたが、実際に付き合ってみても人なつっこく、何も知らなければ殺人犯には思えなそうな人物だった。

◆ほとんど知られていない事件の実相

そしてこの間、事件について意外なことがわかった。祐太郎は、「事件を起こした時の記憶がない」と言うのだ。

祐太郎は犯行時、A子さんを連れ出すため、A子さん宅に赴いた。牛刀を持参したのは、A子さんの姉らに邪魔されたら、脅かすためだったという。実際に人を刺すつもりはなかったのだ。

しかし、祐太郎はA子さんの姉に110番通報されたショックで「解離性障害」なるものを引き起こしてしまう。そのせいで意識や記憶を欠損し、自分で自分をコントロールできない状態に陥った。そして、その場にいた人たちを次々に牛刀で刺してしまったのである。それは、複数の情状鑑定で裏づけられていることだった。

解離性障害を引き起こす人物は、子供の頃に虐待を受けているケースが多いが、祐太郎もそうだった。幼少期に母親からネグレクトに遭っていたうえ、母親の再婚相手から頻繁に暴力を振るわれ、家の中で首輪をつけられていたこともあったという。事件前、元交際相手のA子さんにDVを繰り返していた件についても、2人はいわゆる「共依存」の関係にあり、A子さんが先に祐太郎を殴り、祐太郎がA子さんを殴り返すような関係だったという。

「俺は子供の頃、暴力が身近にあり過ぎたため、暴力に対する感覚が一般の人と違っていたんです。ビンタは3発目から暴力になるという感覚で、1発では暴力になると思っていなかったんですよ」

祐太郎は私にそう明かしたが、幼少期の熾烈な経験により認知が歪んでいたのだろう。

◆本人の意向も確認せず、「実名」「匿名」に関する見解を表明したメディア

さて、少年法改正の話題に関連づけ、知られざる「犯行時少年の死刑囚の素顔」のようなものを色々書いてきた。ここまで読み、少年犯罪者に対する同情を誘うような意図を記事から感じた人もいるだろう。しかし、私にそのような意図はない。

私が祐太郎のことを書いたのは、今回の少年法改正に関するニュースに触れ、祐太郎と面会室で交わした「あるやりとり」を思い出したからだ。それは、最高裁の判決公判が間近に迫り、いよいよ祐太郎の死刑が確定しようとしていた時期のことだった。

祐太郎に関する記事を書く際、名前の表記は実名と匿名、どちらを希望するかと尋ねたら、祐太郎は何ら躊躇せず、「実名で」と答えた。何の変哲も無い一言であるが、それは私にとって、たいへん印象深く感じられる言葉だった。

犯行時少年だった被告人が裁判で死刑確定すると、マスコミ各社は実名報道に切り替えるか、匿名報道を維持するかについて、いつも判断が分かれる。そして自社の判断の理由について、各社がわざわざ表明するのが恒例だ。

たとえば、実名報道に切り替える社は「社会復帰する可能性が事実上無くなった」「国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにされるべきだ」などと言い、匿名報道を維持する社は「再審や恩赦が認められる可能性がある」などと言うのである。祐太郎が死刑確定した時もそうだった。

私はあの時、それを寒々しい思いで眺めていた。祐太郎本人から「実名報道」を希望する意向を直接聞いていたためだ。端的に言うと、「まずは本人の意向を聞いてみるべきだろう」と思ったのである。とくに「再審や恩赦が認められる可能性がある」などという理由で匿名報道した社については、何か立派な判断をしたような自負を感じたが、自己満足に浸っているだけであるように思われた。祐太郎本人が匿名報道されることを望んでいないからである。

少年法が実際に改正され、18、19歳の「特定少年」に関する報道の規定が変わると、またメディア各社はそれぞれ、もっともらしい見解を表明するだろう。現実を知らず、知ろうともしない人たちがまた例にとって、現実を踏まえない見解をもっともらしく発信したりするのだろうか…私はそんな光景を想像し、少し憂鬱な思いにとらわれた。その思いを吐き出すため、このような原稿を書いたのである。

千葉祐太郎が仙台拘置支所の獄中において、今回の少年法改正に関するニュースに触れているなら、一体どんな思いを抱いただろうか。実際に少年法の報道に関する規定が変わったら、マスコミの見解より、祐太郎の見解を聞いてみたい。

仙台拘置支所。千葉祐太郎は今もここで収容されている

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。著作『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

最近、こちらでは新型コロナウイルスに関して書き続けてきたが、個人的に長期化への覚悟はできた(というのも妙な表現だが)。今回は、テーマを変更し、今村彩子監督ドキュメンタリー映画『きこえなかったあの日』を紹介しながら、災害時をはじめとする生活を背景に、人と人とのコミュニケーションについて改めて考えたい。

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◆「障害」とは何か

本作は、2011年の東日本大震災から幕を開ける。宮城県亘理郡亘理町に暮らす加藤褜男(えなお)さんは、津波の警報がきこえず、近所の人の車に乗せてもらって避難。菊地藤吉(とうきち)さんと信子(のぶこ)さんも、近所の人の声がけで高台に避難した。その後、加藤さんの家も菊地さんの家も津波で流されたのだ。

先日、ネット番組『Abema』で、障害者の兄弟姉妹である「きょうだい児」の特集が組まれた。そのなかでタレントが、「ある意味、障害は多かれ少なかれ誰にでもある」という旨の発言をする。それに対し、きょうだい児の方も、うなずいていた。

また近年、障害の「害」は「否定的で負のイメージが強い」との理由で、「障がい」という表記が見られるようになった。ただし、筆者の知る障害者団体メンバーの方は、「実際に生活していて『障害』がある。だから、『障害』と記すべき」という意見も聞いた。調べてみると、「東京青い芝の会」は邪魔・妨げを意味する「碍」の使用を提唱してきたが、ひらがなでは「『社会がカベを作っている』『カベに立ち向かう』という意味合いが出ない」と言う。

実際、社会は声が大きくなるマジョリティーに合わせて形成されている。そのため、マイノリティであればあるほど、生きづらくなっているのだ。実際、東日本大震災でも、本作によればいわゆる健常者の2倍障害者が亡くなっているそうで、これも朝日新聞の報道によれば「住民全体に占める死者・行方不明者は1%弱。障害者は2倍に上り、被害が際だっている。23日にあった障がい者制度改革推進会議で、内閣府が報告した。津波で大きな被害を受けた岩手・宮城・福島3県の沿岸37市町村に住む障害者は約15万人。内閣府が障害者関係の27団体に確認したところ、約9千人のうち2.5%にあたる約230人が死亡、または行方不明になっていた」という。

さらに、手話通訳のいない公共施設も多い。そこで、家族に同行してもらう必要があったりする。

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◆口話教育の問題と、それを超えていく加藤さんのコミュニケーション

『きこえなかったあの日』には、何人かのキーとなる人が登場する。その1人が前出の加藤さんで、彼は聾学校で口話の教育を受けたため、受けた教育全体としては大変不十分なものとなっていた。そのため、彼は読み書きもできなかった。口話教育の問題に関しては
《鼎談》排除の歴史と闘うための書籍『手話の歴史』/映画『ヴァンサンへの手紙』
〈1〉『手話の歴史』翻訳本誕生の背景
〈2〉手話を禁じた「ミラノ会議」の影響
〈3〉ろう者の人権尊重や本当の意味での「選択の自由」を求めて
で、触れさせていただいているので、ご参照願いたい。

ただし、加藤さんはかなり積極的で、愛嬌もあり、みんなに愛される。手話通訳士の岡崎佐枝子(さえこ)さんのもとにも足繁く通う。加藤さんはコミュニケーションを十分に取れる相手が限られるためにさびしいのかもしれないと、岡崎さんは感じている。

いっぽうで、13年の鳥取県を皮切りに手話言語条例が成立していく。手話言語条例とは、「〈1〉『手話の歴史』翻訳本誕生の背景」でご説明したように、「日本語と同等の言語として手話を認知させ、ろう者が手話言語による豊かな文化を享受できる社会を実現する」ことを目指すもの。プレスシートで全日本ろうあ連盟の石橋大吾さんは、「『福祉』の中でのみ語られてきた手話を、福祉という扱いではなく『言語』として扱う」「1人でも多くの方々に自分の身近にもきこえない人が暮らし、手話言語を必要としていることや、手話言語は音声言語と対等な言語であることを知っていただき、手話言語への理解が広まり、きこえない人の人権が尊重された共生社会の実現が私たちの願い」と語る。その必要性が高まっていったわけだ。

加藤さんのコミュニケーションは拡大していき、得意の大工仕事で人を助け、さまざまな集会所に顔を出す。独特の手話は手話を解する方にすら伝わりにくいようだが、身振り手振り、そして表情で、誰とでも交流する。

加藤さんの様子を目にしていると、これは手話に限らないということに気づく。外国語学習でも何でも本来は、相手とコミュニケーションを取りたい、だから相手の使用する言語表現を学ぶ。その際、不十分でも、やはり身振り手振り、表情などで補うことは可能どころかむしろ大変重要だということだ。伝え合いたいという意思が大切なのだろう。しかし、マイノリティほど当初の相手が限られる。そこをどうするのかということだろう。その後、加藤さんは、災害公営住宅へと移る。

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◆「震災後、いろんなことを考えた。いろんな思いが湧き出て、それらを教育に取り入れた」

2016年には熊本地震が発生。その際には、熊本県聴覚障害者情報提供センターや対策本部によって、筆談や絵によるコミュニケーションが準備され、手話が活用されて、聴覚障害者のためのポスターも掲示された。

また、18年の西日本豪雨では、一般社団法人広島県ろうあ連盟が聴覚障害者団体として全国で初めて、独自でボランティアセンター「西日本豪雨災害ろう者対策本部災害ボランティアセンター」を設立している。難聴でボランティアを断られてきた人が、受け入れてもらえることを喜び、盛んに活動する姿も映し出された。107日間で383名がボランティアに参加したという。

本作のラストでショックを受ける人もいるかもしれない。だが、それ以上に作品全体からは、事実のみならず希望を受け取ることができる。

今村彩子監督は、ろう者の立場から、コミュニケーションというものの本質を追求し続けているように感じた。それは、16年の自転車ロードムービー『Start Line(スタートライン)』も、月刊『紙の爆弾』に映画評を寄稿させてもらった「ASDときどき鬱」の友人との関係性を描く『友達やめた。』も同様だ。『きこえなかったあの日』のプレスで監督は、取材を通じて「遠慮や諦めから分かったふりをしてしまいがちなろう者にとって、分からないことをそのままにせず、根気よく尋ね返すことの大切さを再認識でき」、専門家にとっては「コミュニケーションをとる上での注意点を知ることができる」ということへの気づきにも触れた。宮城県立聴覚支援学校教諭の遠藤良博さんは、「震災後、いろんなことを考えた。いろんな思いが湧き出て、それらを教育に取り入れた。自分から周りに訴えられる人間になってほしい。手話が通じなくとも、メモ帳を持って行動してほしい。耳のきこえる仲間を作ってほしい」と記す。

わたしが移住した先の田舎には、自然災害によって完全に孤立するエリアがある。その行政区においては、高齢者や障害者もたくさんいるのだ。だが、区長さんが率先して防災の取り組みを進め、現在では全国でも屈指の事例を重ね、メディアの取材も多い。区長は「今こそ顔のみえる関係づくりを」と呼びかけている。

新型コロナウイルスの影響により、マスクで口元が見えなかったり手話通訳を呼びにくいなどの困難が聴覚障害者にとって立ちはだかっているという。人は1人では生きられず、そこには支え合いが必要だ。その際、さまざまな人との多様なコミュニケーションが大切で、日々の工夫、その積み重ねが、妨げがあった過去とは異なる未来を育むのだと思う。


◎[参考動画]予告編

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
フリーライター、労働・女性運動等アクティビスト。月刊『紙の爆弾』2月号の特集「2021年 日本のための7つの『正論」』に、「『弱者切り捨て』に反撃ののろしを上げよう」寄稿。現在では、オルタナティブの活動に注力。

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会は、12日に評議員会と理事会の臨時合同会議を開催し、森喜朗会長の発言の辞任。事実上の解任となった。

あらためて言うまでもなく、この女性差別発言は森個人の問題ではない。東京オリンピックの開催を左右する問題、すなわち五輪精神を蹂躙する発言であるがゆえに、わが国の外交政治やスポーツ文化のみならず、日本国およびわれわれ日本人の国際的評価がかかる問題だった。

森元総理はもともと「サメの脳みそ」と批評されてきた人物である。2005年の「日本の国は、まさに天皇を中心にしている神の国」(神道政治連盟国会議員懇談会)なる発言。あるいは「(選挙に関心のない有権者は)寝ていてくれればいい」(総選挙)、「イット革命」(IT革命のことを)という誤解発言。「ここはプライベートですよ」(20年前、えひめ号沈没事故のとき、ゴルフ場に取材に来た記者たちに=この結果、総理を辞職)。「あの子は、大事なときに必ずころぶんですよね」(ソチ五輪で、浅田美央選手の演技に)。「パラリンピックには行きたくない」(ソチ五輪)。

まさに枚挙にいとまがない「失言」のオンパレードだが、今回の「女性が多いと会議が長くなる」は、果たして「失言」だったのだろうか? そして「辞任」で解決するような問題なのだろうか。


◎[参考動画]【ノーカット】五輪組織委 森喜朗会長 会見(TBS 2021年2月4日)

◆確信犯的な差別は、永久追放に値する

結論からいえば、森喜朗の今回の発言は、確信犯的な女性差別であるということだ。確信犯森のために再録しておこう。

「女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る」

IOCの男女共同参画の目標にしたがい、大会組織委員会にも女性理事を拡充する。この方針をめぐっての評議員会での発言である。したがって、放言や失言というのは当たらない。言葉が過ぎたと感じたのか、以下は自分の発言を自己フォローする内容となっている。

「私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる」

そして、これらの発言の前提として「テレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を選ぶというのは文科省がうるさく言うんですよ」と断っている。テレビ報道を前提にした発言でもあったのだ。

ようするに森が言いたいことは、五輪大会が男女平等をスローガンとしていることに対して、組織委員会は女性が多くては困るから従えない。「女性の発言が多いのは、組織の恥である」「わきまえた女性なら、理事に加えてもよいのではないか」というのが本意であり「わきまえない女性を入れるのは反対だ」と、確信をもって議論を提起しているのだ。

この「わきまえない女」が「意見を言う女」であるのは明白だ。ようするに、会議を早く終えたい空気を読まずに、議論を長引かせる女は困るから排除したい。という差別発言。五輪憲章およびIOCがめざす男女平等に反対を表明したのである。

したがって、発言の撤回や会長辞任をもって「解決」とすることはできない。スポーツ界から永久追放するべきではないか。

五輪憲章およびIOCの女性参加者拡充(「オリンピック・アジェンダ2020」による)の手前、発言をなかったことにするのが今回の辞任であれば、東京五輪は「女性排除を内包した」「大会の組織委員会前会長が女性排除の意見をもっている大会」として、永遠に歴史に刻印されることになるのだ。

そして森発言をわらって聴いていた評議員たち、発言の撤回・辞任をもって何もなかったことにする理事会も同罪である。すなわち、女性排除の意見をもった組織ということになる。さきの森の弁明によれば「辞任するつもりだったが、引き留められた」というのだから。

開き直りともとれる逆ギレ会見を想起してみよ。まったく反省していないうえに、老害であれば掃き捨ててほしいと言ったのだ。お前たちに俺を排除できるのならば、やってみればいいと言い放ったのである。

それゆえに、抗議活動が全国で始まった。Twitterでは「#森喜朗氏は引退してください」というハッシュタグがトレンドとなり、森氏の大会組織委員長の辞任を求める声が続々と寄せられた。大会ボランティア8万人のうち、390人が抗議の辞任をした(2月8日)。聖火ランナーからもタレントの田村淳が「人気のあるタレントは、あまり人が集まらない田んぼを走ったらいい」などという森発言に抗議して、参加を取りやめている。

◆ジェンダー改革先進国からの批判

海外からの意見、抗議も紹介しておこう。

駐日欧州連合代表部やドイツ、フィンランドの大使館などが抗議ツイートを連投した。森を名指しこそしていないが、手を挙げる女性たちの写真に、「#男女平等」「#dontbesilent(黙ってはいけない)」とハッシュタグを付けてツイートしているという。五輪組織委員会および自民党の“森会長擁護”は、国際世論と大きくかけ離れてしまっているのだ。

烈しい批判もある。

フランスの欧州問題担当相を務めたナタリー・ロワゾー欧州議会議員は、自身のツイッターで「森さん、女性は簡潔に話せますよ。例えば、あなたにお答えするには『黙りなさい』で十分」と不快感を表明したのだった。

カナダのアイスホッケー女子五輪金メダリストでIOCのヘーリー・ウィッケンハイザー委員も、自身のツイッターに「この男を朝食のビュッフェ会場で絶対に追い詰める。東京で会いましょう」と投稿した。

国内では為末大の「森発言に黙っているのは同罪」というアピールが男性たちを覚醒させた。発言をしにくいアスリートたちからも批判の声はあがった。

このあまりにも激しい批判ゆえに、当初は「発言撤回で解決した」としていたIOCも、正式に「森会長の発言は、完全に不適切」と公式発表せざるを得なかったのだ。

◆差別とは何か?

森に「差別に関する知識がない」(大坂なおみ)そして、森みずから「老害」というのならば、基本的なことから始めなければならないであろう。

たとえば『紙の爆弾』の差別的な記述について、部落差別および部落解放運動を知らない人が思ったよりも多かったことからも、差別問題は基本的なことを踏まえる必要があるだろう。まさに「無知は差別」なのである。

まず、人類がみな平等で、尊重される存在である。という人権意識が前提である。森も形式的にはこれを承認するかもしれないが、本心にはないから差別発言をしてしまうのだ。じつはわれわれにも問い返されるのが、この差別意識である。それは水や空気のように存在する、と形容しておこう。

その自覚のうえで、差別問題とは「いわれなく、不当な扱いを受ける不利益」「不当に蔑視される不利益」「不当な除外と拒否行為」その結果「傷つけられること」である。そしてその本質は、今回の問題に引き付けていえば「女性蔑視」と「男尊女卑」の「ゆがめられた性文化(ジェンダー)」である。

そしてそれは、社会構造として厳然と存在する。社会的慣習として「女は控えよ」という封建的な思想だけではない。経済格差にも反映されているのだ。

女性の賃金は民間の給与調査で男性の半分におよばない。男性が530万円として、女性は250万円である。派遣やパートは圧倒的に女性が多く、その年収は正社員と同じ労働時間でも200万円に及ばない(時給1000円)。

役割分担はどうだろう。女性管理職は民間の課長クラス以上で7.5%、政治では閣僚が5~10%である。ようするに女性差別は、現実に根拠のある差別なのである。

それは家庭内分業や能力の反映だと、男尊主義者は言うかもしれない。だがたとい能力差があっても、男女共同参画を選んだのがわれわれの社会なのだ。平等な幸福権の追求、能力差をこえた参加型社会という理想を、日本社会もめざしているのだ。すくなくとも、能力に応じて得られる幸福は、不当な差別によって阻害されてはならないのである。

◆意外な自民党内の反応

そしてその現実に根拠のある差別(今回はジェンダー)は、感覚的に被差別者(今回の場合は女性)に不快感を与えるものだ。したがって男性は、ある程度の想像力をもって、これを感得しなければ理解できない。

自民党にとって不幸なのは、想像力のない人物が党の中枢にいることだろう。

二階俊博幹事長は、ボランティアの辞退が相次いでいることについて、

「落ち着いて静かになったら、その人たちの考えも変わるだろう」とした上で、「どうしてもお辞めになりたいということなら、新たなボランティアを追加することになる」と述べるにとどまった。事態の本質が想像できないのである。

「余人をもって代えがたい」

そう言って森会長の続投を支持したのは、世耕弘成参院幹事長である。

「(問題は)ここで収めて、五輪開催に向けて準備に邁進することが重要」と擁護してみせた。森の「功績」や「能力」と、今回の問題は別である。

「日刊ゲンダイ」によれば、「かつて、自民党の清和会を率いて首相まで経験した森会長の面倒見のよさは、永田町で有名です。多くの自民党議員が『森さんには世話になった』と思っている。要するに、森会長と『貸し借り』の関係が出来上がっているわけです。だから、“身内”である自民党議員の多くは、余計なことは言わないというわけです」(自民党関係者)という。

世界的な流れ、そして国内世論の流れが雪崩を打って森解任に向っていることすら、自民党村の村民たちは想像できなかったのである。

◆稲田朋美衆院議員の森批判

そんな中で、森会長に近いと見られている稲田朋美衆院議員が「私は『わきまえない女』でありたい」と、ツイッターで森批判をした。

稲田はみずからLGBT運動に参加するなど、保守派から愕かれる行動でも知られている。この人に政権を預けたら(かつては、安倍の後継構想だった)、まちがって戦争を始めてしまう(防衛省時代の管理能力不足)かもしれないと思われたものだが、ここでは信念をつらぬいた。

いっぽうで、これまで政界の男社会を批判し、女性の政治参画を訴えてきた自民党の野田聖子幹事長代行は、当初は森批判を封印してきた。おそらくポスト菅の隠し玉とされている(自民党関係者)ことで、男性議員を敵に回したくなかったのであろう。立憲民主党の女性議員たちが、婦人参政権運動にちなむ白いスーツで本会議と予算委に登場したのに対しても「わたしは言葉で政治をやります。白いスーツは着ません」と応じていた。

ところが10日になって、森発言を批判。辞任しか事態の収拾はありえないと会見したのである。

「今の時代の枠組みの中からすると、間違った発言だった」と指摘し「日本の国そのものがミスリードされることを懸念している。しっかりと多くの声を受け止め、自ら方向性を示していただければと願っている」

小池百合子東京都知事も、17日に予定されているIOC会長をふくめた四者会談への「欠席」を明言し、暗に森会長の辞任をせまった。これらは明らかな政治判断である。

ほかにも、早い段階で「邪魔です。出処進退は潔く」と森辞任を求めていた後藤田正純。さらには「国益を損なった森会長は辞任すべき」「この件でボイコットが行なわれたら、東京五輪は開催できなくなる」と、森元総理寄りの山本一太群馬県知事も退陣要求となった。ここに至って、森の命運は尽きたというべきであろう。

いずれにしても、森が会長職に執着し、周囲がそれを忖度していれば、東京オリンピックの開催そのものが危機に陥る事態となっていたのだ。そして自民党の総選挙での敗北も、この問題の処理に菅義偉が何ら態度を明確に出来なかった。そのことで、三度目の政権交代・自民党下野への機運がいっそう強まったと指摘しておこう。


◎[参考動画]Tokyo 2020 安倍マリオ(Al Jazeera Turk 2016年8月22日)

◎東京オリンピック開幕式まであと何日?

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

すでにお知らせしているように、去る1月28日、対李信恵第2訴訟において大阪地裁第24民事部(池上尚子裁判長)は鹿砦社に対し165万円の賠償金等を課す不当判決を下しました。

 

《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』

これに先立つ昨年11月25日未明(午前1時30分頃)、前日24日の本人尋問の傍聴に来ていた伊藤大介らは「正義」を「暴走」させ極右/ネトウヨ活動家・荒巻靖彦を呼び出し殴る蹴るの暴行を働き左手小指骨折、顔面打撲などの傷を負わせ、逆に返り討ちに遭い伊藤は全治10日の傷を負うという事件を起こしました。この事件では2人共逮捕されています。伊藤は大学院生M君リンチ事件にも連座しています(1審では賠償金を課せられましたが、控訴審では幸運にもこれを取り消されています)。

M君は「このままではまた同じような事件が起きますよ」と言い、私たちが地を這うような取材を基にして出版した5冊の本でさんざん警鐘を鳴らしてきたように同種の事件は起きました。M君加害に加担する者たちが、反省も学習も教訓化もしていなかったということです。残念至極ですが、私たちの警鐘は現実化してしまいました。今だから明かしますが、私たちはこの時期に生じた重大事件に鑑みて、大阪地裁に「弁論再開」の申し立てを行いました。

民事裁判では、証拠調べや証人尋問を終えると「結審」(以後原告被告双方からの主張は受け付けない)となり、あとは判決を待つことになります。昨年11月24日の法廷でも池上裁判長は、結審を宣言し判決の日時をを言い渡しました。ところが、その日の法廷では「私は直接取材を受けていない」とるす伊藤大介の陳述書についての扱いが審議され、神原元弁護士は「じゃあ撤回します」と裁判所に求めたものの、認められませんでした。そして当の伊藤大介が裁判後に事件を起こしたのです。この人たちの行動様式を理解するために、真実究明を行うために、裁判所は当然しかるべき配慮をすべきではなかったのではないでしょうか。

1月28日の判決に戻りますが、極めて偏頗なもので、M君がリンチの現場に居た李信恵ら5人を訴えた訴訟の判決同様、「〈M君の顔〉から目を逸らした」(山口正紀)と断ぜざるを得ません。本件訴訟も、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データがあるのに、M君の供述が曖昧(平手か手拳か、どちらかで殴られたか)ということで「信用ならない」とし、これを根拠に判決が組み立てられています。噴飯ものです。裁判所は、なぜここまで、このことに拘泥するのか? 何がなんでも加害者を免罪しようとしているとしか理解できません。むしろ、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データをこそ判断の根拠とすべきです。市民感覚からすればそうでしょう。

私や山口正紀さんは学生時代、対立するグループに襲撃され激しい暴行を受け、私は気づいた時は病院のベッドの上で5日ほど入院を余儀なくされました。暴行の最中の記憶は微かなもので、これを「平手か手拳か」などと問われても「どっちだったかな?」と答えるしかありません。加えて私も山口さんもM君も蹴られてもいますが、M君は混乱し顔面を蹴られたことを覚えていません。当然でしょう。1時間もの間、激しいリンチを受ければ、パニック状態になり記憶が飛んだりします。なんなら裁判官も暴行を受けてみたらどうでしょうか? 

加えて判決には重大な事実誤認(というよりも証拠の意図的見落とし)もあり、これで判断されたらたまったものではありません。あたかも最初に結論があって判決文を組み立てていった感がします。控訴審に於いては、こうした点を一つひとつ批判していき、必ずや執念で逆転を勝ち取る決意です。今後ともご支援、応援のほど、よろしくお願いいたします。

なお、訴訟については、適宜ご報告いたしますが、敵に手の内を見せないために黙っていることもあるやと思いますので、この点、ご承知おきください。

5年ほど前、このリンチ事件が私たちの元に持ち込まれた時、すでに1年余り経っていました。事件の翌年2015年は安保法制反対運動が盛り上がり、この声に掻き消されたかのようにリンチ被害者M君は孤立していました。リンチ加害者やこの界隈の者らには、隠蔽は成功したかのように見えたでしょう。

しかし、悪事を隠し通すことなどできません。

私たちの元にリンチの情報が寄せられるまで、M君の心中を察するに、筆舌に尽くし難いものを感じます。リンチを受けた悔しさと悲しみ、セカンドリンチや村八分を受け、にもかかわらずメディアも世間も知らぬふり……私だったら気が狂っていたでしょう。私たちの関連出版物で、この事件の一端を知ったあなただったらどうでしょうか?

今回も司法は、「〈M君の顔〉から目を逸らし」、いや、相も変わらず「平手か手拳か」が曖昧だということ拘泥し、だから「信用できない」などと言っています。上等です。司法の理論が市民感覚と大きく乖離しているのであれば、私たちは裁判所の決めたルールに則りながらも、それ以外の合法的戦術も展開する必要があるでしょう。裁判所は「ファシズムの出先機関」と言ったのはL.トロツキーでしたが、むべなるかなです。

まさか、壮絶なリンチを受けたM君に同情し、M君救済・支援に関わってきた私たちが過大な賠償金を課せられるとは……。

しかし、鹿砦社が鹿砦社たる所以は、こうした苦境にあってこそ、正々堂々と屈することなく反撃することであろうと、自負します。私たちを苛めてきた徒輩は不思議なことに「鹿砦社の祟り」に遭ってきました。裁判所の判断がどうであれ、私たちは信じる道を突き進み「正義」の衣を着た〈悪〉(といっても程度の低い連中ですが)と対決するだけです。人一倍の精神力で、「反差別」の仮面を被った徒輩の仮面を剥がねばなりません。この想いは、M君リンチ事件だけではなく、日本における差別問題に関わる、極めて重大な問題であるとの確信に基づきます。

久し振りに第6弾本『暴力・暴言型社会運動の終焉』を世に送り好評です。まだまだ〈弾〉は残っとる!──第7弾、8弾の“紙の爆弾”を投下する必要が出てくるかもしれません。私たちは望みませんが、「差別」問題がこのように歪められ、乱暴な発言や行動にすがるものが、あたかも「反差別」行動者である、との社会的誤解は、完全に払拭する必要があるでしょう。

私たちは、決してペンを折ることなく、あくまでも〈言論〉の旗を掲げ続けます。16年前『紙の爆弾』創刊号の巻頭を飾ったのは「〈ペンのテロリスト〉宣言」でしたが、あらためて再読し決意を固めています。ここに再び宣言します。私たちはふたたび〈ペンのテロリスト〉として甦る!と。私自身は今年で70歳になります。取材班には若者もいますが、支柱として動いてきた田所敏夫は、私よりもかなり年下で、彼の体調も思わしくありません。

しかし、この問題に関しては、フィデル・カストロの有名な言葉を引用し、私たちの気持ちを表します。

「歴史は彼ら・彼女らに有罪を宣告するだろう」と。このままでは終われませんし、終わりません!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

まさか、であった! 前回の記事で、天王山の戦い(山崎合戦)は主人公・明智光秀にとってあまりにも惨めなので、省略されるかもしれない。主人公の最期(死)まで描かないという、前代未聞の結末になるかもしれない、という予言が当たってしまった。ある意味で、トホホである。

もちろん前回も紹介したとおり、その人物の生涯があまりにも長いので、作家の原作およびNHK大河ドラマの脚本において、省略されるのもやむを得ない(海音寺潮五郎原作「天と地と」)と解説しておいた。

だが、今回は山崎の合戦(光秀が羽柴秀吉に敗北死)という、わずか一日を省く(ナレーションで代替え)異常さなのである。たんなる手抜きではなく、意識的に惨めな最期を端折ったのである。ここに、当初からの作品コンセプトの破綻を見ないわけにはいかない。

しかも!である。架空の人物(架空の医師の助手・駒)の言葉とはいえ、明智光秀が生きているのを見た。というトンデモない結末となったのである。最後のシーンでは、武家風から町人風の髷に変えた光秀が京の町を闊歩し、さらには馬に乗って、颯爽と平原を駆け抜けてゆく。

前回の最終講評で終わりにするつもりだったところ、トンデモないことが起きたので再論しなければなるまい。

というのも、生存説が単なるトンデモではなく、天海大僧正明智光秀説という、歴史研究者にとっては、あながち無視できない奇説があるからだ。


◎[参考動画][麒麟がくる] 第41回 まとめ | 月にのぼる者

◆明智光秀は生き延びて僧天海となった?

南光坊天海は、実在の人物である。天文5年(1536)の生まれだとされている。上杉謙信が1530年、織田信長が1534年だから、明智光秀(生年不明だが、信長よりも年上だとされている)とは同時代人ということになる。

相模の三浦氏系蘆名氏の出身だとされているが「俗氏の事、人のとひしかど、氏姓も行年わすれていさし知ず」と記録にある。ようするに、出自がハッキリとしない人物なのである。ほかに足利将軍(11代義澄か12代義晴)の落胤説もある。
没年のほうは、江戸時代なのでハッキリしている。寛永20年10月2日(1643)ということは、天文5年生誕説を採るならば、107歳まで生きたことになる。112歳説などもあるようだ。

川中島の合戦(永禄4年=1561)で「謙信と信玄の一騎打ちを見た」「信玄にあとから聞くと、あれは影武者だと答えた」などと語っていることから、諸国遊行のうちに青年期・壮年期を過ごしたといえよう。

それほど出自がわからない人物であるにもかかわらず、大僧正(大師号)を贈られるなど、不思議な点が多いのだ。江戸の町を設計した、江戸城を「の」の字型に縄張りした、とされている。

あるいは、江戸城の北東に寛永寺を築き、その住職を務めている。寛永寺の寺号「東叡山」は東の比叡山を意味するが、天海は平安京の鬼門を守った比叡山の延暦寺に倣ったという。

寛永寺の南西側には、近江の琵琶湖を思わせる不忍池を配置し、琵琶湖の竹生島に倣って、池の中之島に弁財天を祀るなど、寛永寺が比叡山と同じ役割を果たすよう狙ったとされる。

これらの都市建設思想は、京都ゆかりの知識人、明智光秀にしか考えられない、かもしれない。上野東照宮、増上寺もこの天海が開山にかかわっている。

そこで、明智光秀が生き延びて、家康の庇護のもと天海大僧正になったという説が生まれたのだ。


◎[参考動画][麒麟がくる] 第42回 まとめ | 離れゆく心

◆傍証の数々

傍証も少なくない。

家康ゆかりの日光に明智平という地名があること。

比叡山に、俗名を光秀とする僧侶の記録があること(一時、比叡山に潜伏した?)。

さらには有名な史実として、徳川家光の乳母(斎藤ふく=春日局)が斎藤利三の娘であり、家康はそれを了解のうちに採用したこと。そののち、斎藤一門は繁栄している。

山崎の戦いで明智側についた京極家は、関ヶ原の戦いの折に西軍に降伏したにもかかわらず、戦後加増されたこと(実際は大津城の攻防で、西軍をくぎ付けにした功績)。いっぽうで、光秀寄騎でありながら山崎の戦いで光秀に呼応しなかった筒井家が、慶長13年(1608)に改易されていること(実際には家中分裂で改易)。

これら傍証ともいえる光秀=天海説の伏線を敷くかのように、今回の「麒麟がくる」最終回では、光秀から家康に宛てた書状が登場する。菊丸(岡本隆)に託される光秀の「遺言」ともいえる書状である。

すなわち、自分が斃れたあとは家康に天下を託したい、との内容であるのは想像に難くない。


◎[参考動画][麒麟がくる] 第43回 まとめ | 闇に光る樹

◆正義の人でなければならないのか?

こうした結末にしなければならなかった理由は、一連の記事で明らかにしてきたとおり、NHK大河の主人公が「生来の正義の人」「利発な天才系」でなければならない。ある意味では勧善懲悪主義の基調が仇となっているからだ。

主人公がことさらに悪人である必要はないが、あまりにも葛藤がない。あまりにも悩みがない、みずからの苦悩がなさすぎる。

たとえば「風林火山」(原作新田次郎)の信玄は、苦渋の果てに父親を追放する。のみならず、みすからも父子対立のすえに嫡男の義信を自害に追い込む。多くの側室を抱えたがゆえに、その対立にも悩まされる。いわば苦悩の人であった。
いやそもそも、信玄は謙信が言うように、その内部に悪をひそませた人であったかもしれない。

それでは、伊達政宗(NHK大河は「独眼竜政宗」)はどうであろうか。政宗は弟を殺しているが、信玄ほど陰謀家ではない。政宗が母親に毒殺されそうになった(史実には疑いがある)シーンを、NHKはショッキングに描いたではないか。その苦悩も涙も十分に伝わる脚本だった。

上記の二作品は、NHK大河シリーズ史上、最高の視聴率を成し遂げている。ようするに、NHK大河は人間を描けなくなった。類型的な勧善懲悪主義に堕してしまっているのだ。

今回の「麒麟がくる」において、明智光秀の人物像が大きく変わったという評価は、しかしあまりにも史実とかけ離れた、その意味では稗史(はいし)と呼ぶべきものだったといえよう。彼の本当の苦悩や野心は、現代に再生できなかったのである。

[関連記事]
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈1〉 人物像および本能寺の変に難点あり!(2020年8月28日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈2〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 謀略の洛中(2020年9月6日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈3〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 朝廷か将軍か(2020年9月13日)
◎最終講評「麒麟がくる」〈上〉光秀は帝に会える立場だったか? 朝廷陰謀説を採ったNHK──本当にいいのか?(2021年1月23日)
◎最終講評「麒麟がくる」〈下〉天王山の合戦は省略 朝廷・濃姫黒幕説で、最終回はイラストで終了か?(2021年2月5日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

こんなに長いこと、よく飽きられないな……と、ふと思った。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗氏による女性蔑視発言、そして元貴乃花親方こと花田光司氏と長男の靴職人・優一氏の親子バトルが連日、メディアを席巻していることに関してだ。

森氏は2000年代初頭の首相在任中、「神の国」発言など様々な失言によりマスコミに「サメの脳みそ」と揶揄され、いじりまわされた。かたや、花田一族の人たちも2000年代初頭から光司氏の両親(先代貴ノ花と藤田紀子さん)の離婚、光司氏と兄の勝氏(元若乃花)の確執など度重なるお家騒動でマスコミに話題を提供し続けてきた。

私はそんな両者の過去の様々な騒動を思い出し、冒頭のような感想を抱いたわけだが、率直に言って、いつまでも「昔の人」にならず、世間の話題になり続ける森氏と花田一族の人たちは「すごい」と思う。

何しろ、ここ1年、マスコミはコロナの話題ばかり扱い、それ以外のニュースがコロナを押しのけて大きく報道されるのはよっぽどのことに限られていた。あの河井議員夫婦の裁判にしたって、現職の法務大臣の大がかりな選挙違反事件であるにもかかわらず、コロナのせいで報道は地味な扱いだ。そんな中、国民生活に重大な影響があるわけでもないのに、これほどメディアを席巻できる森氏と花田一族の人たちはやはり並大抵ではないと思うのだ。

彼らはなぜ、かくも世間の人たちに飽きられず、話題になり続けられるのか。私はこれまでの両者の歩みを見つめ直し、2つの共通点を見出した。

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会も公式HPで森氏の発言に関する釈明のコメントを出す羽目に……

◆一度だけの話題提供に終わらせず、必ず火に油を注ぐ

1つ目は、「一度だけの話題提供に終わらせず、必ず火に油を注ぐようなことをする」ということだ。

まず森氏だが、「女性が多いと会議が長引く」という発言を「女性蔑視」として叩かれたが、この程度の失言は通常、謝罪会見を一度すれば、それで幕引きだ。メディアはそれ以上いじりようがないし、メディアがいじらなければ、世間の人たちも忘れてしまうものだ。

ところが、森氏は謝罪会見でわざわざ逆ギレし、記者に逆質問したりして、メディアに再度、いじられるネタを提供した。そして騒動を大きくしたわけである。

かたや、花田一族の人たち。いま、光司氏と優一氏の親子バトルが注目を集めているきっかけは、光司氏が公の場で優一氏について、「勘当している」云々と言ったことだった。これで親子の確執が表面化すると、すかさず優一氏がメディア(週刊女性PRIME)で光司氏の酒に酔っての暴言やDVを告発し、火に油を注いだのである。

森氏が一人で話題を提供し続けているのに対し、花田一族は複数の人が次々に話題をかぶせているという違いはあるにせよ、「自ら火に油を注ぐ」というところは両者の共通点であるのは間違いない。

2月1日の『週刊女性PRIME』で父・花田光司氏のモラハラなどを告発した優一氏

◆森氏も花田一族の人たちも話題になりたいわけではない

そして、森氏と花田一族のもう1つの共通点だが、それは「狙っているわけではない」ということだ。つまり、両者は意図的に世間の話題になろうとしているわけではなく、本人たちにとっては自然な言動が結果的に世間の関心を集めているということだ。

それは説明するまでもないだろう。森氏は「女性蔑視」と叩かれたくて、「女性が多い会議は長引く」と言ったわけではないのは明らかだし、火に油を注ぐために謝罪会見で逆ギレしたわけでもないはずだ。花田一族の人たちだって、世間の注目を集めたくて、お家騒動を繰り返しているわけではないだろう。そんなことをしても何一つ得することはないからだ。

翻って、世間では今、「炎上商法」なるものが花盛りだ。とくにネット上では、あえて人に批判されるような言動をして炎上し、それを何らかの利益につなげようとしている人たちが増えている。その最たる存在がいわゆる「迷惑系YouTuber」だが、最近はタレントや政治家でも炎上商法に走る者が散見されるようになってきた。

もっとも、炎上商法系の人たちはおのずと「かまってちゃん」的な雰囲気が漂ってしまうため、世間の人たちも次第にかまうのがいやになり、相手にしなくなっていく。その点、森氏や花田一族の人たちはその特異な言動の裏に何か思惑があるわけではないので、「かまってちゃん」オーラが出ることもなく、世間の人たちは彼らの特異な言動がいつまでも気になり続けてしまうのだ。

良し悪しを置けば、あらゆるメディアが連日コロナのことばかり扱い、多くの人がこの話題に飽き飽きしていた中、森氏や花田一族の人たちが気を紛らわせてくれたことは確かだ。最近はあまり話題にならなくなっていた東京オリンピックについて、森氏の女性蔑視発言騒動により「そう言えば、まだ中止になっていなかったな」と思い出した人も多かったろう。

結局何が言いたいかというと、やはり「作り物」より「本物」のほうが面白い、ということに尽きる。そんな単純なことを書くために、これだけの長文を書いてしまった。最後まで読んでくれた人には感謝の思いしかない。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

季節のうつろいは早いもので、3月号の紹介ということはもう2月である。東北および北陸方面は豪雪に見舞われているというが、関東はいたって温暖な冬で、風雪に苦しむ人々には何だか申し訳ない気がする。

 

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年3月号!

政権発足当時こそ、苦労人宰相(菅義偉)がお坊ちゃま総理の限界に取って代わった、という好意的な評価で高支持率をほこった菅政権も失速。あっと言う間に支持率40%を割るところまで、政権への国民的な支持は落ち込んだ。その大半は失政によるところだ。

したがって3月号は、実質的に菅政権批判特集となった。

「菅義偉・小池百合子のダブル失政が『第四波』を招く」(横田一)、「『菅迷走』の根本原因」(山田厚俊)、「泥船と化した自公野合政権の断末魔」(大山友樹)、「『自助』と『罰則』だけの菅コロナ政策に終止符を」(立憲民主党・杉尾秀哉参議院議員に聞く、青木泰)といったラインナップである。

◆菅の懐刀という人物が画策する「政権延命計画」とは?

横田は「最初のミスは、新政権発足から間もない10月1日にGo To トラベルの東京除外を解除したことだった」と指摘する。菅と小池が責任をなすりつけ合いながら、年末まで感染を加速度的に拡大し、1月7日の緊急事態宣言に至ったのは、まさに失政といえよう。知事が判断するべきだったのか、国が判断するべきだったのか。ここでの尾身会長(コロナ対策分科会)および都医師会の尾崎会長の証言は、歴史に刻まれるべきであろう。政治家は医師たちの提言を無視したばかりか、相互に対立(菅と小池の不和)することで、国民の犠牲者を出したのだ。

さて菅がGo To に固執する理由だが、インバウンド需要を頼みにせざるを得ない日本経済の現実とともに、二階俊博の観光業界利権があるのは明白である。この点でのファクトが欲しいところだ。表題の「第四波」とは、菅総理の懐刀とされる人物の「五輪選挙」である。この人物の言動に注意だ。

◆菅には資質がない

山田は菅義偉が師と仰ぐ梶山静六の事績を紹介し、菅の「政治家の覚悟」のなさを指摘する。とりわけ「批判の排除」という、菅の小心さのなかに梶山とは比べ物にならない、いや教訓を守らなかった決定的な違いが見いだせる。

そしてもうひとつ、菅が梶山静六の教えを守っていない「説明の大切さ」を指摘する。菅のポンコツ答弁は、官房長官時代は切って捨てるようなものでも事足りたが、総理となればそうはいかない。官房長官時代の「逃げ」や「拒否」など、総じて事務的な答弁では済まないのだから。

とりわけ、メモ頼みにもかかわらず「読み間違い」が多いのが致命的である。この点を山田は、ドイツのメルケル首相との対比で明らかにしている。メルケルといえば、極右ポピュリズム運動で政権そのものが不安定に晒されてきた。きわめて困難な政治基盤のなかで、しかしこのコロナ危機を国母のごとく国民をまとめてきた。その会見は「真っすぐに正面を見据え、時折声を震わせ、顔を歪ませながら、コロナ禍の猛威のなか必死に現状打開の策として過酷な制度を強いるリーダーの姿がそこにあった」(本文から)。

かたや、わが菅総理と云えば、メモを見るために顔はうつむき、目はしょぼしょぼと、しかもたびたび誤読する、そして口ごもる。およそ訴える力は皆無なのである。そもそも演説や答弁の不得手な人間が、なぜ政治家をこころざしたのか。資質に問題があるとしか思えない。政治が必要とするのは、鮮やかなまでのパフォーマンスであり、聴くものを圧倒する演説力なのである。

たとえば、国民を分断する極右思想で、しかも政治哲学といえば戦後政治(民主主義)の一掃という、およそバランスを欠いた内容にもかかわらず、立ち姿の好感度と音楽のような演説力で選挙に圧勝してきた、安倍晋三前総理。少なくとも政治家にもとめられることを、かの政治名家の御曹司は知っていた。ようするに、菅には資質がない、のである。

携帯電話料金やマイナンバーカードの徹底など、省庁レベルの施策の音頭はとれても、大局感のある政治哲学は語れない。しょせんは国家レベルの政策がない政治屋なのだ。

◆創価学会の焦りとは?

大山は「泥船と化した野合政権」のうち、公明党の危機に焦点をしぼった。記事によると、創価学会の池田大作会長はこの1月2日に、93歳になったのだという。健康問題で学会員の前には姿を見せられないものの、健在であるという。その日、創価大学は箱根駅伝で往路優勝、復路ものこり2キロまでトップをまもり、総合2位に輝いたのである。

しかし、菅政権の支持率低下とともに、学会は危機感に駆られているという。自民党との長期政権のなかで、公明党の支持層が先細ってきたからだ。いっぽうでは自公政権への批判票として、共産党の票が伸びるという事態も起きている。自公政権への危機感は、自公選挙提携の見直しにつながる。

焦点になるのは、河井克行元法相の衆院広島三区ということになる。公明党はここに斎藤鉄夫副代表を、中国ブロックから鞍替え出馬させる。大山は『第三文明』(創価学会系総合誌)における、斎藤候補と佐藤優(作家)の対談を紹介し、学会から自民党へのメッセージとしている。自民のいいとこ取りだった自公連立を、公明党の側から積極的に変えていく。それはある意味で、自公政権の崩壊の序曲にほかならない。

◆高騰する株価の謎

このコロナ禍で、人々が不思議に思っているのは株価の高騰であろう。この記事を書いている2月8日の正午現在、株価は30年ぶりの2万9000円を突破した。30年前といえば、バブル経済の時期である。

このバブル株価を、広岡裕児は「『コロナと株価』の深層――広がり続ける実体経済との乖離」として解説する。

実質GDPが0.9%減(1~3月期)、7.9%減(4~6月期)と、コロナ禍のもとで衰退に向かった日本経済の、どこに株価が急騰する要素があるのか。広岡によれば、そのひとつは海外投資家の日本買いであり、今後のワクチン効果を見込んだ投資だという。もうひとつは、ファイナンスマシーンと化した株取引のIT化である。実体経済とは無関係に、あたかもゲームのような取引が日常化しているというのだ。「社会と市場(マーケット)の分離」がもたらすものは、経済の空洞化ではないだろうか。

◆部落解放同盟の見解をもとめる

巻末には「『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか?」の連載検証第5回として、鹿砦社編集部(鹿砦社および「紙の爆弾」編集部)の中間報告が掲載されている。ここまで、鹿砦社側の見解(依頼ライターをふくむ)で検証が進められてきたが、部落解放同盟としての見解を求めていると明らかにしている。今後の議論に注目したい。(文中敬称略)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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