4月7日、『紙の爆弾』創刊15周年! 創刊直後の出版弾圧を怒りを込めて振り返ると共に、ご支援に感謝いたします! 鹿砦社代表 松岡利康

15年前の4月7日、『紙の爆弾』は創刊いたしました。2005年のことです。新卒で入社した中川志大(創刊以来の編集長)は、『噂の眞相』休刊(事実上の廃刊)後、約1年間、取次会社に足繁く通い、取得が困難とされる「雑誌コード」を取得し、『紙の爆弾』は創刊いたしました。

『紙の爆弾』創刊15周年記念号の表紙画像と、別冊付録「2005年に何が起きたのか?」の一部
『紙の爆弾』創刊15周年記念号別冊付録「2005年に何が起きたのか?」の一部
出版弾圧10周年の集い(於・西宮)で。大学の後輩で書家の龍一郎から贈られた書

創刊号巻頭には、悪名高い「〈ペンのテロリスト〉宣言」が掲載され、独立独歩、まさに死滅したジャーナリズムとは違った道を歩み始めました。創刊部数は2万部でした。

確かに(今でもそうですが)、『噂の眞相』の足元にも及ばず、拙いながら気持ちは意気揚々としていました。

いわく、

「われわれの“出番”がやって来た!」「たかが『暴露本出版社』と思うなよ!」
 と叫び、文中では、

「私たちの出版活動に対して、ある社会的犯罪企業から『ペンの暴力』などと非難されたことがありますが、タブーや巨悪に対して、私たちは力一杯『ペンの暴力』を行使します」

「逆説的に言えば、巨悪に対しては、時に“極悪”でもって立ち向かわなければなりませんし、“過激派”であり“武闘派”であらねばなりません」

「ペンという武器を取り、返り血を恐れず闘わん!」

「『表現の自由』も『言論の自由』も、黙っていて守れるものではなく、タブーや巨悪に立ち向かい、闘うことによってしか守ることはできません」

……などと、まさにアジテートしています。今から想起すると赤面物ですが、当時の私たちの想い、決意だけはご理解ください。

そうして創刊から3ヵ月後の7月12日早朝、忘れもしない出来事が起きます。これを知ったのが当日配達されたばかりの朝日新聞朝刊でした。1面トップに大きく出ていたので気づかないわけがありません。一斉に、まずは松岡の自宅が家宅捜索され松岡を連行、その後、神戸地検に連行され逮捕されました。同時に鹿砦社本社、東京支社にも家宅捜索が入りました。

平賀拓哉記者がスクープした2005年7月12日朝日新聞朝刊(大阪本社版)

これは、当時の神戸地検特別刑事部による朝日へのリークでなされた、いわば“官製スクープ”です。この記事を署名記事として書いたのは朝日大阪社会部の平賀拓哉記者でした。あたかも、私たちの出版活動を理解しているかのように近づき、手持ちがない書籍を持ち帰ったりし、私も「朝日が私たちの出版活動を理解してくれた」と感じ積極的に協力しました。私が提供した書籍の画像や発言が掲載されています。当日の朝刊、夕刊共に大きな扱いでした。他紙も続きました。

地検の一行が自宅のドアを開けても、「シャワーぐらいさせてほしい」と言い、その時間を待たせるほど落ち着いていました。

それから延々192日もの予想以上の長期勾留が続くわけですが、このことによって、会社は壊滅的打撃を受けました。こうした経緯は4月7日発売の『紙の爆弾』5月号の巻末別冊綴じ込み付録「本誌が創刊された2015年に何が起きたのか?」をご一読いただきたく願います。16ページにわたり画像30枚余りを駆使し、15年後の現在、私なりに総括しています。この事件について、これだけ長い文章を書くのは、これが最後だという想いで根性を入れて執筆しました。

この事件に関与したキーマンらには続々と“不幸”が訪れています。当時の主任弁護人の中道武美弁護士は先日、「まさに『鹿砦社の祟り、松岡の呪い』やな」と仰いましたが、まさにそうです。当時の神戸地検特別刑事部長・大坪弘道検事、同主任検事・宮本健志検事、岡田和生創業者社長らの行く末を見ると、この事件は決して潔癖健全な人たちが起こした事件ではなかったことがわかるでしょう。

ところで、去る4月1日朝日朝刊1面トップに湖東会記念病院の西山美香さん再審無罪の記事が出ています。それを見て驚いたことがあります。15年前の朝日記事を書いた平賀拓哉記者が「大阪社会部司法担当キャップ」の肩書きで記事を書いています。いわく、──

「捜査関係者は『今回は特異なケース』と片付けたいかもしれない。だが、ほんとうにそうだろうか。(中略)
 無辜の市民が不条理な刑に処せられた歴史を直視すれば、今回の事件が特異でないことは明らかだ。」

15年後、平賀記者による朝日新聞記事(2020年4月1日朝刊)

 よく言うわい(苦笑)。朝日大阪社会部や司法記者クラブ所属記者らは、「カウンター大学院生リンチ事件」について、私たちの取材に真摯に対応せず、ことごとく逃げを打ちました。メディアの記者として恥ずべき態度と言えるでしょう。早速、15年前に聞いた携帯に電話してみましたが、今は使われていませんでした。

しかし、私は執念深い男です。生来鈍愚で、頭脳もさほど良くない私の武器は、この悪魔のような執念深さです。

15年の年月を越えて、あらためて平賀記者へ取材を試みるつもりですが、果たしてどういう対応をするのでしょうか? 興味津々です。“落とし前”はまだついていない!

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※松岡代表の逮捕と鹿砦社弾圧事件をめぐっては、板坂剛氏による「松岡逮捕の衝撃と教訓 鹿砦社への出版弾圧十五年によせて」が4月15日発売の『情況』4月号にも掲載されます。

天皇制はどこからやって来たのか〈07〉廃仏毀釈 ── そのとき、日本人の宗教は失われた

かつて日本人は、仏壇と神棚を同じ部屋に飾っていた。生活にもっとも近い場所に仏壇があり、その上に神棚が飾られ、さらに天井近くに御真影。すなわち天皇皇后の写真という祭壇の構成が、明治以降の一般的な家庭の風景であった。それ以前、江戸時代の日本人は神社を訪ねては、そこにある絢爛たる寺院の本堂にある阿弥陀如来像に、あるいは弥勒菩薩像、不動明王像や毘沙門天像に手を合わせていたのだ。その寺院を「神宮寺」という。古代いらい連綿と続いてきた、神仏習合の風景である。

われわれ日本人は、結婚式や七五三を神社および神道形式で祝う。お正月には三社参りをして、一年の平安と健康を祈願する。まるで宗旨は神道のようだ。しかるに、末期のことは菩提寺である寺院にまかせる。死んで仏になる日本人は、まちがいなく仏教徒であろう。仏式で結婚式を挙げる人は、お寺さんはともかく、あまり一般的ではない。ぎゃくにお葬式を神式で行なう家は、代々が神道信仰の家しかないはずだ。これらはすべて、明治以前の生活習慣のなごりなのである。

祭の神輿は、神社ゆかりの氏子会や崇敬会が中核で、町内会(自治会)と重なっている。盆踊りはお寺と町内会のコミュニティをもって成立する。この町内会こそ自民党の支持母体の基礎なのだが、今回はふれない。クリスマスはいかにも盛大に街を飾るが、そもそも信仰の範囲ではないはずだ。にもかかわらず、われわれ現代の日本人は神道と仏教、キリスト教の三つの宗教に等距離をたもち、何ら矛盾を感じていない。これはしかし、あまりにも信仰に深みのない、不信心であるがゆえの宗教生活の空白とは言えまいか。われわれ日本人にはキリスト教における安息日、あるいはイスラム教における日々の礼拝やラマダンなどの習慣がない。じつは明治維新による廃仏毀釈および国家神道化こそ、日本人から宗教心を抜き去ったと言っても過言ではないのだ。

◆そもそも、神仏習合とは何なのだろうか?

六世紀なかばに伝来した仏教は、大陸の先進文化として受け容れられた。単に経典だけではなく、渡来人による建築様式や美術をはじめ、仏教はさまざまな技術とともに受容された。

いっぽう、わが国には自然崇拝としての古神道があり、仏教の受容に反対する勢力も少なくなかった。物部守屋・中臣勝海(かつみ)らがその急先鋒で、仏教を庇護する蘇我馬子と激しく対立した。とくに守屋は、わが国最初の僧侶である善信尼ら三人の尼僧の袈裟を剥ぎとって全裸にし、公衆の面前で鞭打ちの刑に処したという。やがて仏教支持派と廃仏派は朝廷を巻き込んだ政争にいたり、その争いは軍事衝突に発展した。丁未(ていび)の乱である。この戦いで物部氏が滅びると、仏教は蘇我氏と推古天皇および聖徳太子のもとで隆盛をきわめた。

仏教が急速に受け容れられたのは、神道の弱点である死や病気(穢れ)への対処があることだった。古来の神道においては、神といえども死ねば黄泉の国に行かねばならない。現世の穢れをいくら祓い清めても、仏教のように高度な悟りには到達できない。ましてや極楽浄土には行けない。このことに気づいたのかどうか、道に迷った神々が仏教に帰依するようになるのだ。桑名の多度神宮寺には、つぎのような縁起が残されている。奈良朝の天平宝字7年(763年)のことである。

「われは多度の神である。長いあいだに重い罪業をなしてしまい、神道の報いを受けている。願わくば長く神の身を離れんがために、三宝(仏教)に帰依せんと欲す」

聖武天皇による大仏建立が行なわれ、国分寺・国分尼寺が全国に建てられていた時期だから、本朝が仏教国家に生まれ変るのに合わせて、多度の神も仏道に入ったのであろう。

これら神道から仏教への宗旨変えは、つぎのように解釈されている(『神仏習合』美江彰夫)。大規模な土地や荘園を持つことで、神を祀る立場だった「富豪の輩(ともがら)」に罪の意識が芽生えたが、その罪悪感は神道では癒せない。なぜならば、彼らは神を祀ることで私腹を肥やしてきたからだ。そこで彼らは神々を仏門に入れることで、救済をもとめたのである。やがて平安時代になると、仏が仮に神の姿で現れるという、本地垂迹説で神仏習合が理論づけられる。神社のなかに寺が建てられていたのは、およそこのような事情である。

具体例をふたつほど紹介しておこう。大分の宇佐八幡神宮は、渡来系の辛島氏が女性シャーマンを中心に支配してきたが、六世紀の末に大神氏が応神天皇の神霊として「誉田別命(ほんだわけのみこと)」を降臨させる。これが僧形の八幡神(のちに八幡大菩薩)である。

やがて大神氏は宇佐神宮内に弥勒寺を営み、宇佐神職団の筆頭に躍り出る。奈良の大仏建立に協力し、朝廷の庇護を受けたからだ。そして宇佐神宮が豊前一帯を配下に置いたのは、弥勒寺が周囲の寺院を通じて民衆を支配したからにほかならない。しかしながらその弥勒寺の伽藍は、明治維新によって破壊された。破壊された跡地には、料亭や土産物屋が甍を並べたという。宇佐神宮弥勒寺の信徒たちは、寄る辺をうしなったのである。明治四年の太政官布告によって、宇佐神宮は官幣大社となり、内務省の統制下に入る。八幡神社の総本山宇佐神社は、戦時中は神都と呼ばれた。

いっぽう藤原氏の氏寺である興福寺は、伽藍こそ壊されなかったものの、僧侶たちは同じく藤原氏の氏神である春日大社の神職団に編入させられている。しかし宇佐神宮では失われたものが、いまも春日大社と興福寺には残っているのだ。神職と僧侶が相互に祝詞を唱え、読経するシーン。すなわち神仏習合の原風景である。

◆かくして国家神道は、宗教であることを否定した

明治新政府出発のマニフェストは、木戸孝允の主導で定められた「五箇条の御誓文」だといえよう。天皇みずからが公家諸侯の前で「天地神祇」を祀り、公家を代表して三条実美が御誓文を読み上げたのが慶応4年3月15日。その13日後に「神仏判然令」が布告されたのである。のちに大日本帝国憲法に「万世一系ノ天皇ノ統治ス」とされるのものが「御誓文」には「大いに皇基を振起すべし」とある。天皇が治める国の基礎を奮い起こすべきだ、という意味だ。

その「五箇条の御誓文」の発布の翌日、一般庶民にむけて「五傍の高札」が掲げられた。高札の第三札には「切支丹邪宗門の厳禁」とある。じっさい岩倉使節団が訪米する直前(明治四年)に、伊万里(佐賀)県のキリスト教徒67人が捕縛されている。すぐに諸外国の抗議で撤廃されたものの、豊臣秀吉いらいのバテレン追放令をそのまま継承せざるをえなかった、明治政府の異教への恐怖と国際感覚のなさが露呈したかたちだ。これ以前(明治二年)にも、長崎の大浦天主堂に出入りするキリスト教徒3400人が逮捕されている。

かように、明治政府の宗教政策は、太政官府および内務省による強引な統制であった。法的には憲法第二八条の「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」つまり、安寧と秩序を妨げるようであれば、いつでも弾圧される「信教の自由」なのである。その宗教統制のなかで、神道のみが行政化されたのだった。

行政上は、神祇官(のちに神祇省)の復活が行なわれた。この神祇官は職階こそ太政官よりも上位だが、位階は従五位の下と低い。とても天皇を頂点にいただく新政府の中枢として、耐えられるものではなかった。やがて神祇省は廃止されて教部省となり、のちに内務省社寺局に統合される。そして宮中において、天皇をいわば最高神祇官とする体制がつくられたのだ。天皇祭祀の業務はしたがって、宮内省式部寮が執り行なうことになる。祭祀が役所から禁裏に移され、ここに神代天皇制への復帰が行なわれたのである。

明治33年になると、内務省の社寺局が神社局と宗教局とに分離された。これは官幣社および国幣社などの神社が、行政的には宗教ではないという意味である。

いっぽうでは小さな神社や民間信仰の祠などが統廃合され、神道は国家の行政機関に組み込まれたのである。国家の行政組織になることを拒否する民間神道(教派神道)はすくなからず弾圧の憂き目をみている。

祭祀は伝統的な行事であり、神道教育は道徳を教育するものであって、宗教ではないというのが政府の立場である。そして天皇の地位は政治から相対的に分離され、大元帥となり、「政権」からは分離された「統帥権(兵権)」が憲法に明記される。これが軍部ファシズムへの法的な根拠となったのは周知のとおり。その意味では本来、議会政治から分離された「神国」の政体こそ、天皇を中心にした「国体」と呼ぶべきものであろう。

こうした皇室神道(儀式)は戦後も国家(国事行為)と分離されることなく、その一方では政治権力とは分離(政治的権能の排除)されることで、統合の象徴(アイドル化路線)をひた走ることになったのである。だがアイドル(人間)であることと、国体(象徴)という形式のあいだには、かならず亀裂が生じる。この欄でも何度か明らかにしてきたが、皇族の叛乱(三笠宮家・秋篠宮家)は、その崩壊のきざしなのである。

◎《連載特集》横山茂彦-天皇制はどこからやって来たのか
〈01〉天皇の誕生
〈02〉記紀の天皇たちは実在したか
〈03〉院政という二重権力
〈04〉武士と戦った天皇たち
〈05〉公武合体とその悲劇
〈06〉日本人はなぜ武士道が好きなのか?

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

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新型コロナ騒動とのリンクが凄い韓国映画「新感染」、その続編が今夏公開

感染が拡大する一方の新型コロナウイルスにより、世の中はだんだん殺伐とした雰囲気になってきた。そんな中、この騒動とのリンクのすごさに驚かされる映画がある。2016年に公開された韓国映画で、世界的に大ヒットした『新感染 ファイナル・エクスプレス』だ。

「新感染」公式HPより

◆コロナ騒動同様、感染が疑われる者を非感染者が拒絶

同作は、時速300キロ超で走る釜山行きの高速電車内でゾンビが大量に発生するパニック映画。ゾンビに襲われた客たちが次々にゾンビ化する中、幼い娘と一緒に電車に乗ったファンドマネージャーの男(コン・ユ)らが生き残るために奮闘する姿を描く。

この作品の原題は『釜山行』で、『新感染』は邦題だ。この邦題をつけた人は「新幹線」から着想したのは明らかだが、このダジャレのようなタイトルが「新感染症」とぴたりと重なっている。そこに、まず驚かされてしまう。

そんな映画は作中でもゾンビに襲われ、ゾンビ化することを「感染する」と表現しているのだが、感染が疑われる人間に対する非感染者の接し方も実によく現在のコロナ騒動とリンクしている。それは、主人公たちがゾンビ化した人たちが群れる車両を必死の思いで突破し、非感染者たちが避難している安全な車両に逃げ込もうとした時のことだ。

「こいつらも感染しているかもしれない!」

安全な車両に避難している非感染者がそう言い、主人公たちが入ってこないように車両のドアをロックしてしまうのだ。これは現在、感染の危険がある国や地域からの帰還者や訪問者を拒絶する世間のムードと酷似している。


◎[参考動画]『新感染 ファイナル・エクスプレス』予告編(2017/06/30)

◆夏には、続編が公開されるというが……

思うに、新型コロナウイルスは、人々の身体に与えるダメージの深刻さもさることながら、人々の心を蝕む力こそが驚異的だ。まだ発症していない感染者からの感染例も多く報告されているため、街中で誰を見ても、感染者に見えてしまう。そのため、人間同士で疑心暗鬼が広がっている。

新型コロナウイルスの感染を広めないための行動が求められるのは当然としても、感染した人が病状を心配されることなく感染したことを批判されるとか、感染した著名人やその関係者が謝罪しなければならないとか、この現在の空気は異常である。

とまあ、現在のコロナ騒動と実によくリンクする映画『新感染』だが、なんとこの夏、続編となる作品『半島』が韓国と世界各国で公開されるという。『半島』は、前作の4年後の廃墟となった地で生き残った人々が死闘を繰り広げる物語だそうだが……。

このタイミングで続編が出るというのも凄いが、夏ごろまでに映画館で普通に映画が鑑賞できるほどコロナ騒動が沈静化しているとは思い難い。一体、どうなるのだろうか。


◎[参考動画]『新感染 ファイナル・エクスプレス』続編 映画『Peninsula (原題)』米予告編(2020/04/02)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(同)も発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

釜ヶ崎の「安全・安心」は誰を守るのか? 「まちをきれいに」「ゴミをなくそう」を連呼して進められる「まちづくり」の危険性 尾崎美代子

◆あとを絶たない野宿者襲撃事件

3月25日深夜、岐阜市内の伊自良川の河川敷で野宿する81歳の男性が、何者かに石をぶつけられたり、暴行されたりして亡くなった。「知人が数人の男に蹴られた」と110番通報した女性は、男性と20年前から野宿生活を共にしていた。このような痛ましい襲撃事件があとを絶たないのは、なぜだろうか。

1983年、横浜市の公園などで次々と起こった襲撃事件で逮捕された少年らは、取り調べで「町を綺麗にするため、ゴミ掃除しただけ」などと供述した。

大阪では、2012年年10月1日、JR大阪駅近くの高架下で、野宿していた男性(当時67歳)が襲撃され、死亡する事件が起きたが、2014年大阪地裁で始まった裁判で、少年の1人は、「家を出てバイトに明け暮れていたため、たまに会う遊び仲間と憂さ晴らししようと襲撃を計画した」などと証言した。

◆釜ヶ崎の「安全・安心なまちづくり」は、誰を守るのか?

釜ヶ崎では、元大阪市長の橋下徹氏がぶち上げた「西成特区構想」のもと、「安心・安全なまちづくり」が進められている。2014年から始まった「まちづくり検討会議」の座長を務めた学習院大学教授・鈴木亘氏は、当時の釜ヶ崎についてインタビューで「どん底でしたね。ホームレスが溢れ、不法投棄ゴミが散乱し、昼から酒飲んで立ち小便している。町全体が臭気のドームでした。すべての社会問題を放り込んで、フタしてグツグツ煮えたまま放置されてる、まさに闇鍋状態。衰退しきったスラムでした」と憎悪と非難を露わにしていた

その後、「覚せい剤撲滅」「不法投棄の防止と啓発」「迷惑駐輪の防止と啓発」などを目的とした「5ケ年計画」で、警察官の増員や監視カメラの増設が実施され、西成警察主導の「あいりんクリーンロードキャンペーン」が始まった。驚くのは、パレードで訴える「町をきれいにしよう」「ゴミをなくそう」のスローガンが、野宿者を襲撃した少年らが口にした言葉と同じことだ。

パレードのあと参加者に飲み物や下着が配られる。後ろに手を組む作業服姿の警察官が、労働者を怒鳴る場面も
3月28日「センター開けろ!」と訴える集会とデモには約80名が参加した

◆2度目の不当逮捕

「安心・安全なまちづくり」を進める「まちづくり会議」では、一方で「あいりん総合センター」(以下センター)を解体した広大な跡地をどう使うかの話が進められている。昨年12月末、センターに入っていた「西成労働福祉センター」と「あいりん職安」(現在は、隣接する南海電鉄高架下に仮移転中)などの労働施設を、跡地の南側に作ることが決まった。便利で使い勝手の良い北側には、屋台村構想や、タクシー、観光バスの駐車場を作るなどの意見が上がっているという。

問題なのは、南側に建てられる労働施設の青写真に、もとのセンター内にあったシャワー室、娯楽室、足洗い場、洗濯場、昼間ごろりと横になって休息できる場所など、生活困窮者や野宿者のセーフティーネットとなる機能が一切備えられてないことだ。つまり野宿者、生活困窮者はいっそう過酷な状況に追い込まれることになる。

そうしたセンターの解体に反対し、「センター閉めるな!」「シャッター開けろ!」と訴えている仲間4名が、3月4日逮捕された。昨年11月、5月30日に監視カメラに手袋を被せ、撮影不能にしたという「威力業務妨害罪」での逮捕と同様だ。今回は昨年11月、逮捕された4名のうちの2名と、6月4日の件で逮捕された2名を加えての4名逮捕である。昨年は、逮捕後すぐに釈放されたが、その後検察の任意聴取や出頭要請に応じなかったことが、今回の逮捕の理由だ。4人はそのため大阪地検に直接逮捕され、地検で取り調べられたのち、大阪拘置所に移送され、翌日起訴されたのち、前回同様、検察の勾留請求、準抗告がいずれも棄却され、釈放された。

大阪地検は、なぜ2度も同じ失態を繰り返すのか?そもそも監視カメラにレジ袋や手袋を被せたことが「威力業務妨害罪」にあたるのか?昨年の逮捕後、勾留請求、準抗告を繰り返す検察に「こんな微罪で起訴なんて」と呆れた裁判官もいたと聞いたが、同じ容疑で、なぜ今回起訴できたのか?

監視カメラの増設に使われた費用は約1億2700万円

◆監視カメラと不当逮捕の狙いは?

逮捕された1人、釜ヶ崎地域合同労組の稲垣浩氏は、2015年、組合が入る解放会館前に設置された監視カメラを違法と訴えた裁判で勝利し、撤去させている。裁判を担当した大川一夫弁護士は「監視カメラの監視はプライバシー権を侵害するので一定の要件を満たしたときしか許されない。しかしある監視カメラはこの要件を満たしていないから違法であるとして撤去を命じたのである」と解説する。

また2016年7月の参院選前後に大分県別府警察署が、野党の支援団体が入る私有地に無断に監視カメラを設置した捜査方法を違法だとして抗議する、日弁連の会長声明の中でも、こう説明されている。「殊に、宗教施設や政治団体の施設等、個人の思想・信条の自由を推知し得る施設に向けた無差別撮影・録画は、原則的に違法である。このことは、労働運動等の拠点となっている建物に向けた撮影・録画を前提とせずに単なるモニタリング(目視による監視)の目的で設置されただけの大阪府警の監視カメラの撤去を命じた大阪地裁平成6年4月27日判決(その後、最高裁で確定)からも明らかである」。

朝、「特掃」の輪番を待つ人達でごった返す西成労働福祉センターの仮庁舎内。高齢者が多い

今回逮捕のきっかけとなった監視カメラは、もとは南海電鉄高架下のセンター仮庁舎の東側の道路と駐車場に向けて設置されていた。現場は、早朝から多くの労働者が仕事を求めて集まるが、「特掃」(高齢者特別清掃事業)の輪番紹介が始める8時過ぎには高齢者も含めてごったがえす場所だ。しかも、約200メートルの道路には信号機もなく、警備員が「車来るぞ!」と声をかけあうだけ。そうした危険な場所を監視し、事故など起きた場合に備えて設置された監視カメラが、ある日「センター開けろ」と訴える人たちの団結小屋に向きを変えられた。

それについて釜合労や釜ケ崎公民権運動が抗議し、説明を求めたが、大阪府は「センターを管理するため」というだけだった。しかし、センターのシャッター前で野宿する人たちが何者かに襲撃されたり、テントに火をつけられても、犯人は一向に逮捕されてはいない。あれだけ鮮明な画像を証拠に仲間を逮捕したくせに、ほかの犯人は分からないというのか。こうしたことからも、監視カメラが狙うのは「センター閉めるな」「シャッター開けろ」と訴える人たちを監視し、威圧するためのものであることは明らかだ。

しかも新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される今、気密性が高く換気が悪い上、狭い場所に大勢の人たちを詰め込むシェルターなどではなく、広々として通気性の良いセンターなどを、早急に開放することが必要だ。

新型コロナウイルス感染拡大を防ぐための自粛要請の影響で、今後仕事をなくし路頭に迷う人たちが、リーマンショック後より遥かに多いと予測されるが、そうした生活困窮者が最後の拠り所として集まってくるのが、釜ヶ崎だ。そのような釜ヶ崎で、「町をきれいにしよう」「ゴミをなくそう」と訴える「安心・安全のまちづくり」キャンペーンにより、野宿する人たちが、ふたたび少年らに襲撃されてしまうようなことが起こってはならない。

JR大阪駅の高架下で野宿者を襲撃した少年の1人は、 野宿者を「俺たちと全く違う世界の人間と思っていた」と証言したが、それは違う!「野宿者も私たちと同じ人間。差別や排除してはいけない」。そう教えていくのが、私たち大人の責任だ。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年4月号
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他

感染不況も自己責任なのか? ショボい上に使いづらい安倍政権の経済支援策

世界レベルでは、あまりにショボい経済対策

コロナウイルス経済恐慌に対して、アメリカ政府は最大で220兆円(2兆億ドル)の経済対策を行なうという。トランプ大統領は「リセッションに陥れば、自殺者は数千人になるだろう」とのべ、1人あたり最大約13万円の給付するほか、売上げ落ち込みがいちじるしい飲食業や宿泊業界への支援も検討している。カナダはコロナウイルスの影響を受けた人に15万円、ドイツは従業員5人以下の小規模事業者に3カ月で最大108万円(総額6兆円)、とくにアーチスト(イベント)への支援を手厚くするという。

かたや、わが安倍政権が準備している経済支援策は60兆円だという。ただし赤字国債発行は15~20兆円と渋く、通常の追加予算をコロナウイルス名目で付け替えるだけだという。財務省がいうプライマリーバランスを口実に、お札を刷るのをためらっているのだ。よく比較値として出される2009年のリーマン・ショックで麻生内閣が行なった経済対策は約56兆8000億円、個人給付は1万2000円だった。今回の個人給付は、10万円が検討されているという。所得に関係なく10万円のバラマキに効果があるかどうか、とくに飲食店アルバイトやフリーランス(イベント関連)への影響が強い今回の感染不況の場合、そのバラマキ方が問題となる。

◆社会福祉協議会が窓口?

4月1日の国会答弁において、安倍総理は「フリーランスや個人事業主の方で、新型コロナウイルスの影響で生活費が逼迫している方は支援します」「全国の社会福祉協議会を相談窓口に」「無利子・無担保で最大毎月20万円(3カ月)を貸し付ける」「返済免除も可能」と明言した。この答弁が本当なら、60万円の融資が得られることになる。

が、社会福祉協議会は予算が行政ベースとはいえ、半官半民組織である。フリーランスの、とくにイベント関連の事業評価に裁量権があるとは、とても思えない。ためしに電話取材をしたところ「ケースバイケース」という回答しか得られなかった。イベントなら多数の人員・団体が参加する企画書でその計画性がわかると思われるが、われわれのようなライターや作家、個人のアーチストの個人的な企画では土台無理だろう。

それにしても、フリーランスにコロナウイルスとの関係で所得の低減を証明する方法は可能なのだろうか。じっさいはフリーランスの場合には、仕事が数万円単位、数百万円単位で動く場合もあれば、長期的な仕事が動かずに収入がゼロになる年もある。したがって、事業収入とコロナウイルスとの関連性を証明するのは、きわめて難しいといえよう。出版・著作物なら、多い年もあればない年もある。数年間の仕込みでイベントを準備し、そのイベントが自粛で中止となった場合、その架空の収益を補填することはほとんど不可能ではないか。現にイベント関連の支援策は、日本では何も講じられていないのだ。これでは骨抜きの経済支援策というほかない。

じっさいの現金給付は、一斉休校の影響で仕事を休んだ子供を持つ親のみが対象となり、1日4200円が支払われるだけなのだ。スポーツやライブイベントなど、政府の要請でイベントが中止になったとしても、経済的な補償はないのが実態だ。そもそもフリーランス(個人事業主)とフリーター(派遣社員・アルバイト)を混同しているところに、安倍政権の「働き方改革」の錯誤があると指摘しておこう。

たとえば不定期な働き方をしているアルバイトへの支援が、どうやって可能なのだろうか。中華料理屋を中心に、複数の店舗でアルバイトをしていた私の友人は、東京での生活をあきらめて実家(愛知県)に帰ると連絡があった。飲食店への支援も、安倍政権においては無策である。

フランスでは、ロックダウンしたパリで営業中止となった店舗のテナント料・水光熱費・従業員の給与を政府が補填している。イギリスでも一斉休業は公的な補填があったからだ。休業した飲食店の従業員に月額最大32万円、給与の8割が補填されているという。ドイツも上記のとおり、108万円の給付金が政府から補填されているほか、テナント料の支払い延期、家賃滞納を理由に追い出すことを禁止したという。とくにイギリスではフリーランスへの支援が、過去三年間の収入をもとに、コロナウイルスの影響を国税庁が算定するという具合に、きわめて具体的なのだ。

◆リーマン級の経済危機ではないのか?

いっぽう、与党内からは農産物や水産物の販売促進のための「お肉券」「お魚券」が提案されたが、国民の猛反発を受けた。また与党内から消費税の一時ゼロパーセント化が提言され、共産党の議員からも低減案が国会で質問されたが、安倍総理以下の政権幹部は一顧だにしなかった。消費税を上げるときに「リーマンショック級の経済危機があれば、消費増税は中止するかも」(安倍総理)は嘘だったようだ。

とりあえず、形になっているのは中小企業支援策として無利子の融資が、前倒しで実行されているという(筆者の周辺の企業)。この場合に融資審査に必要とされるのは、言うまでもなく決算書である。かろうじて3月決算の企業だけが、融資の恩恵を受けることになる。フリーランスには、きわめて厳しいコロナウイルス不況となりそうだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』『ホントに効くのかアガリスク』『走って直すガン』『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』『ガンになりにくい食生活』など多数。

タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年4月号
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

《4月のことば》まいにち 元気よく きげんよく 鹿砦社代表 松岡利康

《4月のことば》まいにち 元気よく きげんよく (鹿砦社カレンダー2020より/龍一郎・揮毫)

4月になりました。

新型コロナウィルス騒ぎで、1月から3月まで、あっというまに過ぎてしまいました。

まさに「1月は去(い)ぬ、2月は逃げる、3月は去る」でした。

この打撃は大きく、例えばここ甲子園では、例年なら全国から高校野球ファンが集い、これが済めばプロ野球ファンが集い賑わうのですが、今年は商店、飲食店、旅館:ホテルの経営者のみなさんは頭を抱えておられます。

今後、コロナの終息が遅れれば、経済的な打撃は計り知れません。

この期に及んで、オリンピックを延期するか中止するかの議論自体ナンセンスです。

元々世界に向かって大嘘をついて開催権を取得したわけですから、こんな呪われたオリンピックなど即刻中止すべきでしょう。日本が敗戦から再興する過程で開いた1964年の東京オリンピックとは意味が全然違います。

ここまで来たら、オリンピックに費やす資金を、福島や、大災害の被災地の復旧・復興に投入すべきでしょう。常識的に考えて、そうではないでしょうか。

本来なら、年度初めで、若いみなさんは進学、就職で、私たちも気分一新して出発する季節なのですが、「元気よく、きげんよく」過ごして行こうではありませんか!
 

タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年4月号
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故
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実は瀕死の安倍政権 ── 籠池泰典氏の選挙出馬と赤木俊夫氏の遺書・民事告訴で再燃必至の森友不正土地売却問題 横山茂彦

NHKから国民を守る党の立花孝志党首が3月27日に静岡県庁で記者会見し、森友学園前理事長の籠池泰典氏(詐欺罪などで懲役5年の有罪判決、控訴中)に公認候補としての立候補を要請した。籠池被告は応じる方針だという。立花氏は籠池氏を候補者に選んだ理由を「票が取れる人だから」と言明した。

籠池氏が政界に出馬する以上、みずから引き受けさせられた補助金不正受給事件での有罪はともかくとして、そこに至らせた安倍総理と昭恵夫人および麻生太郎財務大臣の「不正指示」を明るみに出そうというものにほかならない。その手先となったパワハラ官僚こと佐川宣寿元国税長官(現いわき応援大使)の罪業も明らかにするものとなるはずだ。たとえ、その人物が教育勅語を幼児たちに暗唱させるという、とんでもない教育観の持ち主であっても、トカゲのシッポ切りのごとく、蜜月の関係を振り払って監獄送りにする薄情な総理への批判として、国民の多くは支持するのではないか。というのも、政界およびリベラルな論者、そして保守層の中から、安倍晋三を訴追すべきという機運が生じているからだ。

◆現実性をおびてきた安倍晋三逮捕

すでに昨年11月には桜を見る会問題で、斎藤貴男氏(ジャーナリスト)や神田香織(講談師)など47名による、公職選挙法違反・政治資金規正法違反での告発が行なわれている。そして赤木氏の遺書が明らかになり、その遺書に対して「新たな事実はない」「再調査を行うつもりはない」と開き直る安倍総理。遺族(赤木氏の妻)の「自殺の原因は、安倍総理の発言を佐川理財局長(=当時)が忖度した」という主張に対しては、赤木氏が遺書に書いたわけではない、と切り捨てる安倍総理。そして野党議員の追求をかわす総理のかたわらで、ニヤニヤしながら笑みを見せている麻生財務相。憤死した死者に鞭打つかのような冷酷さに、国民の怒りは頂点に達しているといえよう。

決裁文書の改ざんについて「局長の指示の内容は、野党に資料を示した際、学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するよう指示があったと聞きました」と具体的に記され「すべて、佐川理財局長の指示です」(赤木氏の遺書)が、ほかならぬ安倍総理の「わたしと家内が(森友学園不正売却に)関わっていたら、すぐに総理大臣も議員も辞めますよ」なる感情的な発言に起因することを、ここに至っても頬かむりしようというのだ。

こうした安倍首相の態度に対して、赤木さんの妻は23日に2度目となるコメントを発表した。そのなかで「怒りに震える」と感情をあらわにしている。

「今日、安倍首相や麻生大臣の答弁を報道などで聞きました。すごく残念で、悲しく、また、怒りに震えています。夫の遺志が完全にないがしろにされていることが許せません。もし夫が生きていたら、悔しくて泣いていると思います」

「再調査をしないとのことですが、何を言われても何度も再調査の実施を訴えたいと思います。財務省の中の人が再調査をしても同じ結論になるので、是非、第三者委員会を立ち上げて欲しいと思います。このままうやむやにされるとすれば、夫の遺志が全く果たされないことになります」

赤木さんの妻は27日、第三者委員会による事実関係の再調査を求めて、インターネットサイトを使った署名活動を始めた。

財務省という国の最高行政機関が、ひとりの男の気ままな言動を忖度することで、完全にゆがめられてきたのである。いまや国民の多数の声を結集し、第三者委員会による全貌の解明を求めようではないか。いや、事件の全貌解明にとどまらず、安倍総理と麻生大臣の訴追まで国民的な運動を展開するのでなければならない。

本欄の3月25日付「検察VS官邸? 安倍政権肝いりの夫婦議員・河井克行と河井案里の両議員秘書の起訴は、三権分立を確証するか? 健全な司法のために期待される検察の『叛乱』」で明らかにしたとおり、安倍総理はみずからに迫る訴追の危機に対して、検察幹部人事に介入することでわが身を護ろうとしている。その思惑の一端はすでに、元法相河井克行・案里夫妻が取り調べを受けることで、破綻をきたしつつある。安倍総理の逃げ込みを許すな。

◆国民に禁じた花見宴会を、高級レストランで

そして国民の怒りは安倍総理の木で鼻をくくる態度のみならず、森友学園事件の当事者ともいえる昭恵夫人へのものにもなっている。

新型コロナウイルスが猛威をふるう中、政府および自治体がイベントや花見の自粛を国民に求めている状況下、昭恵夫人はレストランで多人数の花見に興じていたというのだ(「週刊ポスト」)。総理夫人が花見に興じているいっぽうで、国民には外出の自粛を強要し、花見ができる公園を封鎖する政府に、なぜ従わなければならないのだろうか。

そればかりではない。赤木氏が自殺した2018年3月7日の2日後の9日昼過ぎには、自殺の事実がマスコミで大きく報じられたにもかかわらず、その夜に昭恵夫人はなんと銀座でパーティに参加していたというのである。パーティーには神田うの、中田英寿(元サッカー日本代表)、別所哲也(俳優)らが参加し、神田うののインスタグラムには、にこやかにポーズをとっている昭恵夫人の姿が写っていたという。みずからの言動で自殺した報道がなされているときにパーティに興ずるとは、何という冷血漢であろうか。

閣議で「公人ではない」と議決された昭恵夫人を証人喚問に引きずり出し、安倍総理にかかる疑惑のいっさいとともに、奈落の底に突き落とすべき時が来た。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

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なんの因縁か ──「カウンター大学院生リンチ事件」被害者M君の父親と、学生時代に共に闘っていた! 鹿砦社代表 松岡利康

会場には、若き頃と最近の佐野さんの遺影が掲げられた

佐野茂樹という古い伝説的な革命家が亡くなり、偲ぶ会(3月22日)に出席してきました。会場は京都・キエフで、ここは歌手・加藤登紀子さんの実家が経営され、今はお兄さんが社長です。

登紀子さんのお連れ合いは、ご存知、藤本敏夫(元反帝全学連委員長)さんで、寮(同志社大学此春〔ししゅん〕寮)の大先輩です。この方も伝説的な方です(蛇足ながら、藤本さんはここ甲子園出身で、鳴尾高校から同志社の新聞学専攻に進まれました。この界隈出身の著名人としては、芦田愛菜、あいみょんらがいます。そうそう、私に手錠を掛けた神戸地検の宮本健志検事もこのあたりの出身)。

久し振りに本宅的なロシア料理を味わった

キエフは、寮関係の集まりや、同志社関係の集まりにもよく使われてきました。私のいた寮の学生も、藤本さんや、藤本さんの片腕で店長を務めていた寮の先輩の村上正和さんの縁で、よくアルバイトしていました。

佐野さんは、60年安保闘争で国会前で亡くなった樺(かんば)美智子さんと、神戸高校の同級生とのこと、佐野さんは京大、樺さんは東大(1浪して1957年入学)ですが、共に新左翼の始まりといわれる「ブント」を起ち上げたメンバーです。

1956年に京大入学ということで、すぐに学生運動に飛び込み、60年安保闘争の際の全学連主流派、これを支えたブントの幹部として歴史的な闘いの先頭に立ちます。佐野さんは58年には全学連副委員長に就き、樺さんは東大文学部学友会副委員長という要職にありました。

佐野さんの著書『帝国主義を攻囲せよ!』

樺さんが佐野さんに淡い恋心を抱いていたということは、当時のブントのトップ・島成郎(故人。精神科医。沖縄に渡り離島医療の先駆け)さんの著書にも記され、“公然の秘密”のようでした。この世代の方々が、ずいぶん出席されていました。

その後、ブント再建(第2次ブント)で議長に就任、60年代後半の学園闘争、70年安保―沖縄闘争を指導しました。

第2次ブントは、70年を前に分裂するのですが、京都では、同志社、京大を中心に、いわば“赤ヘルノンセクト”の学生運動は健在で、私たち同志社大学全学闘は京大C戦線(レーニン研。70年末に結成)と共闘し、「全京都学生連合会」(京学連)の旗の下、70年代初頭の沖縄―三里塚―学費闘争を闘いました。

数としては同大8、京大1、その他1という按配でした。人数としては同大が圧倒的に多かったのですが、京大は、まさに少数精鋭で、リーダーの吉国恒夫(故人。専修大学教授)さん、行動隊長にしてオルガナイザーの片岡卓三(現在医者)さんを中心に、理論的にも他の追随を許しませんでした。同大には卓越した理論家はいなくて(苦笑)、C戦線の機関誌から“密輸入”したりしていました。

同じく『佐藤政府を倒せ!』

吉国さんは、矢谷暢一郎さんと共に68年御堂筋突破デモを指導し共に逮捕・起訴されています(当時裁判官として、この判決文〔かなりの寛刑!〕を書かれた方で現在弁護士のA先生が、今、カウンターメンバーとの裁判で当社の代理人として神原元弁護士と一戦を交えています)。

このC戦線をバックで支えたのが佐野さんで、C戦線こそがブント解体後の学生運動や革命運動の未来を担うと考えられていた、と思います。吉国さんや片岡さん、他のメンバーらと交流し私もそう感じました。『帝国主義を攻囲せよ!』とか『佐藤政府を倒せ!』など佐野さんの著書やパンフレットも一知半解ながら熟読しました。

ところで、この通信をご覧の方には馴染み深い「カウンター大学院生リンチ事件」の被害者M君の父親がC戦線の当時のメンバーだということをM君から聞いていたのですが、複数の証言を得ることはできませんでしたので、確証がありませんでした。

その集会の呼びかけ人を務められた片岡卓三さんの号令一下、当時のC戦線のメンバーが数多く出席されていました。大体私と同じ70年入学でした。

樺美智子さんの遺稿集『人知れず微笑えまん』(三一新書)。われわれの世代の必読書だった

彼らにたずねると、みなさんM君の父親をご存知でした。「私たちはリンチされた息子の救済と支援活動をやって来た」と言うと、みなさん驚いていました。

C戦線(レーニン研)は、毛派(中国派)のグループと合体し全国党派を目指しマルクス主義青年同盟(マル青同)を結成しますが、これはあえなく崩壊します。片岡さんらは、この過程で離脱し、結成後すぐに内部抗争が起き、トップの吉国さんは「死刑宣告」を受け放逐されます(彼はその後、矢谷さん同様日本を離れ、アメリカ西海岸やジンバブエの大学に入学し、日本のジンバブエ研究の第一人者になります)。

他のメンバーも離脱し、各々の人生を歩み始めます。しかし、そこは“腐っても京大”、私たちと一緒に同大学費決戦で逮捕・起訴され、一念発起して一級建築士になったB君同様、弁護士になったりしています。組織が解体して司法試験を目指したCさんは、たった1科目しか取得しておらず再入学し30歳になって司法試験に合格、今は弁護士になっておられます。

また、もう一人のD弁護士は、15年前の私の逮捕事件で「憲法21条に則った、公正で慎重な審理を求める署名」に賛同人として署名をしてくれていました。あらためてお礼を申し上げました。

それにしても、まさか私たちが支援したリンチ被害者M君の父親が、学生時代に共闘していたとはビックリ仰天でした!

60年安保闘争の激闘と樺さんの死を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(1/3)
60年安保闘争の激闘と樺さんの死を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(2/3)
60年安保闘争の激闘と樺さんの死を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(3/3)

1970年代初頭の京都の学生運動を記録した『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

新型コロナウイルスによる日本・タイのムエタイ興行への影響は甚大!

◆首都バンコク、ルンピニースタジアムでは3月6日だけで100人超の感染者!

バンコクでは新型コロナウイルス(COVID-19)による影響で、バンコクとその周辺の県に限り、デパート、ショッピングモールなどの商業施設、スタジアム、スポーツ施設、イベント、パブ、ソープランド、マッサージ店その他、人が集まる場所の開催全面禁止令が発令されました。当初の閉鎖等の実施となったのが3月18日から3月31日まで。その後4月12日まで延期。さらに4月末まで延長されています。他の県は各県知事の判断によります。

3月25日には改めてタイ全土でのスタジアム、スポーツ施設、スポーツ競技会、競馬場、遊技場の開催禁止令と70歳以上の人と5歳以下の子どもの正当な理由なき外出の禁止令が発令されています。外国人の入国も一部の条件を満たしている労働許可所持者など以外は実質入国禁止。

コンビニエンスストアとスーパーマーケットの営業は可能。飲食店は持ち帰りのみで店内での飲食は不可。ムエタイも興行開催やジムのオープンも出来ず、やっていれば違法となり、10万バーツ(約33万円)の罰金か1年以下の禁固刑が決められている模様。

試合の無い選手たちは一例として、野菜を売るなどのアルバイトもしている選手もいるようです。発表されている非常事態宣言の日程や禁止範囲が日々拡大化される可能性もある中、「経済が悪化し犯罪が増える可能性が高くなるのが怖い」と言う現地の声があるようです。

3月6日のルンピニースタジアムでのムエタイ興行で100人あまりの爆発的な感染者を出した中では、MC担当した有名俳優が感染したり、ギャンブラーらの感染が増えたのが公になった為、無観客試合も禁止されてしまいました。

ムエタイジムの昼間の休息時間。これはイメージ画像です

◆お寺にタンブン(寄進)に行く人も減ってはいるものの……

数は減っても通常の托鉢は各地で行われている模様(2003年3月撮影)

タイのお寺では、比丘による通常の托鉢は行われており、お寺に信者さんが集まる徳を積む行為も、一般的に言えば営利目的ではないにせよ、人が集まる場所として禁止令に該当すると考えられますが、お寺にタンブン(寄進)に行く人は減ってはいるものの、やはり敬虔な仏教徒の在家信者さんはお寺と密着した存在で、お寺に行って御布施や寄進をすると考えられ、比丘の食を乞う存在は食糧難に陥ることは無く、そのバランスは保たれていると考えられます。

中には人と比丘も密着を避けるという理由で、タンブンする食品を比丘が持つバーツ(御鉢)めがけて3メートルほど離れたところから投げ渡すとか、食品を棒に括り付けてバーツに入れるとか、離れてサイバーツ(御鉢に寄進)するのをネタにした、ふざけた動画がインターネット上に投稿されているのが出回ってますが、これらはヤラセが多いようです。

◆日本では経営難に陥るジムやプロモーションも出てくる

開場前の後楽園ホール南側

日本でのプロボクシング興行は当初どおり、日本ボクシングコミッションと日本プロボクシング協会の連係決定で、改定を経て4月末までの興行中止か延期が決定(無観客試合は規定条件を満たせば可能)。

プロキックボクシング興行では、元から機能するコミッションは存在せず、国の自粛要請が出ても法的拘束力は無い為、判断は各団体、各プロモーション任せしかありません。自粛ムード高まる中での開催された興行もあり、会場費のキャンセルが出来ない等、主催ジムが経済的に大打撃を受けるので開催せざるを得ないという場合があるようです。中には開催反対意見もあったり、開催希望する意見もある様子で、コロナに対する個人の意識の差があるようです。

会場も建っているだけで日々経費が掛かるもので、キャンセル代無料とはいかない立場でもあり、市や区運営の会場によっては社会情勢を考慮してキャンセル料を取らないという温情もある模様です。長引くほど経営難に陥る各ジム、各プロモーションの生き残りも深刻化していく状況で、終息を祈るばかりの日々は続きます。

自粛状況や興行中止期限は日々変化していくものと考えられますので、各団体等の発表を御確認ください。

後楽園ホールの開場前風景。無観客となるとこんな感じか

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年4月号
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

天皇制はどこからやって来たのか〈06〉日本人はなぜ武士道が好きなのか?

明治いらいの近代天皇制は、神道の復権と武士道と両輪の関係にあったと、わたしは思っている。天皇のために命をささげ、そして天皇の国(皇国)のために死ぬ武士こそ「臣民」なのである。

◆「外から」もたらされた武士道

武士道はもともと、江戸時代においては武士階級(総人口の5%)だけのものだった。明治時代において、はじめて日本人全体の道徳観のなかに根をおろしたのである。いまもスポーツシーンでは「侍ジャパン(野球のナショナルチーム)」や「なでしこジャパン(女子サッカーナショナルチーム)」などと、もとをただせば武士道および男尊女卑の時代錯誤なネーミングに、われわれは違和感なく馴染んでしまっている。

あるいは戦場に乗り込んで、不幸にも拉致されたジャーナリストに「自己責任論」をもって、バッシングがくり返される。国家と社会に「迷惑」をかけたのだから、死んで詫びろとでも言いかねない風潮である。これら偏狭な武士道の倫理観はしかし、われわれ日本人の精神史からいえば明治以降につくられたものにすぎない。
この近代の武士道はある人物によって、じつは「外から」もたらされたものだ。お札の肖像画にもなった新渡戸稲造である。

 
新渡戸稲造=著/山本博文=翻訳『現代語訳 武士道』(2010年/ちくま新書)

キリスト(クエーカー)教徒であった新渡戸稲造が、宗教教育のない日本で道徳教育をするにさいして、思い至ったのが武士道だったという(『武士道』)。その紹介の仕方はしかし、あまりにも錯誤に満ちたものだ。新渡戸はこう書いている。

「仏教が武士道に与え得なかったものは、神道が十分に提供した。他のいかなる信条によっても教わることのなかった主君に対する忠誠、祖先への崇敬、さらには孝心などが神道の教理によって教えられた。そのため、サムライの倣岸な性格に忍耐がつけ加えられたのである」

「仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感などをもたらした」(いずれも前掲書)。

そうではない。新渡戸が仏教研究について何ら業績がないことから、神道と仏教を心的な効果として対比する論旨の粗雑さは明白である。新渡戸が「神道」と措定している内容も江戸時代に成熟した儒教の解釈であり、そこから生じた近世国学の流れにすぎないのだ。武士道が「外からもたらされた」というのは、新渡戸がアメリカ(カリフォルニア)で静養中であり、なおかつ英文で書かれたものが邦訳されたからだ。少なくとも近代武士道の源流は、アメリカ産(クエーカー教徒によるカリフォルニアでの執筆)だったといえよう。神道もその内部にあった仏教的な要素を排除されることで、本来のものとは似つかわないものになってしまったのだ。

神道はほんらい、神の分身としての人間が清浄に立ち返る儀式であって、古代から江戸時代にいたるまで、その宗教行為の実態は神宮寺(神社内にある寺院)の仏教によって行なわれてきた。古代神道を仏教が包摂したのは、神道の儀式(形式)にたいして仏教が修行(教義の実質)を持っていたからにほかならない。そのような史実を捨象して、新渡戸は切腹の奥儀やサクラの散り際のよさを、武士道に通じるものと讃える。国家に対する忠誠を、切腹と散華にたとえて美化しているにすぎないのだ。

それでも新渡戸の知性は「日本人が深遠な哲学を持ち合せていないこと」「激しやすい性質は私たちの名誉観にその責任がある」として、愛国主義を称揚しながら、その危うさにも触れている。『武士道』は日清戦争で日本人が愛国心を発揮した明治33年に書かれたものだが、大日本帝国が日清戦役の延長にアジアを侵略した歴史、あるいは世界大戦の一角の主役を果たして国を焦土にした風景をみれば、新渡戸は何と言ったであろうか。

そもそも宗教教育のない日本とは、1862年生れの新渡戸にとっては、江戸時代までの神仏習合の知らざる宗教生活であったはずだが、この点については後述する。豊かな日本人の宗教生活は、じつは強引に改変された歴史があるのだ。輪廻からの解脱と浄土への悟り。迷える古代の神をも救済した菩薩(修行)の思想。仏教の精神世界においてこそ「日本人が深遠な哲学を持ち合わせ」ていたことに思いを馳せるべきであった。

前述したとおり、新渡戸稲造がアメリカで『武士道』を著したのは明治33年、邦訳は明治41年のことである。キリスト教のような統一した宗教教育のない日本で道徳教育をするにさいして、思い至ったのが武士道だったのだ。しかるに、わが国民が仏教に精神世界を根づよく持ってきたのも、まぎれもない史実である。新渡戸はなぜ、日本精神を仏教で捉えようとしなかったのだろうか。古代天皇制は仏教国家をその土台としてきた。その歴史を知らない新渡戸ではなかったはずだ。

新渡戸稲造が生きた時代に、すでに日本人の宗教観に大きな変化をもたらしていたものがあるとすれば、それは廃仏毀釈であろう。飛鳥・奈良・平安の古代いらい、われわれ日本人のなかに根づいていた仏教信仰は、ある契機から壊滅的な打撃を受けることになる。近代国家神道の勃興である。

明治国家は天皇を頂点に、神の国をめざした。現人神である天皇が祭祀を行なうことで神道は儀式となり、ふつうの宗教ではなくなったのだ。そのためには、神道と渾然一体となっていた仏教を排除する必要があった。それが廃仏毀釈である。典型的な事件から、その態様をみてゆこう。

 
近江坂本の日吉(ひえ)山王権現社(wikipedia)

◆日吉山王社の仏像破壊事件

前代未聞の事件が起きたのは、ある法令が発布されてから、わずか4日後のことだった。近江坂本の日吉(ひえ)山王権現社に、神威隊と称する100人ほどが武器を持って乱入したのだ。神威隊は日吉社にある仏像や仏具を破壊し、ことごとく焼却した。彼らは罪に問われることはなかった。ちなみに日吉山王権現社は、比叡山延暦寺の守護神社である。

彼らの暴挙を合法化したある法令とは、慶応4年(明治元年)3月28日に発布された「神仏判然令」(神仏分離令)である。そして神威隊なる荒くれ者の正体は、じつは彼らが仏具を破壊した日吉山王権現社の神職たちである。つまり日吉社の神職たちが、自分たちの神社に祀られている仏像や仏具を壊したのだ。明治の新政とともに発動された廃仏毀釈は、このようなかたちで始まった。

この廃仏毀釈を上からの宗教統制とみる考え方もあるが、必ずしもそうではない。明治政府は廃仏運動への反発が政府批判につながるのを、神経質なまでに危惧している。むしろ徳川幕府の仏教優遇政策に反発していた神社、あるいは幕末期の水戸学や平田国学が過剰な尊皇思想をあおり、維新とともに廃仏に走らせたと言うべきであろう。現実に廃仏毀釈は官憲によるものではなく、下からの苛烈な運動だった。それにしても、神職たちがみずからの神社に飾られている仏像と仏具を破壊するという、異常な事態が起きたのである。そもそも神社になぜ仏像や仏具があったのかという、現代を生きるわれわれにはピンと来ない史実から説明をはじめる必要があるかもしれない。

◎《連載特集》横山茂彦-天皇制はどこからやって来たのか
〈01〉天皇の誕生
〈02〉記紀の天皇たちは実在したか
〈03〉院政という二重権力、わが国にしかない政体
〈04〉武士と戦った天皇たち
〈05〉公武合体とその悲劇

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年4月号
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』