朝日新聞襲撃事件から30年──労組集会の足跡が示す「憲法と言論の安楽死」

朝日新聞労働組合が本日主催する「言論の自由を考える5・3集会」

朝日新聞阪神支局襲撃事件から30年が経過した。実感としてあの事件を覚えている人はもうわずかだろう。朝日新聞の記者でさえ。

そう思わざるを得ない事情は、たとえばこの催しものに登場する顔ぶれが示している。朝日新聞労働組合「5・3集会事務局」が主催する「言論の自由を考える5・3集会」だ。

◆むのたけじさんら2012年集会の顔ぶれはしっかりしていたが……

「新聞は民衆の合作だ」と語る故・むのたけじさん(2012年集会)

HPを見ると過去の同集会演者の顔ぶれを2012年までさかのぼって見ることができる。2012年は、むのたけじ(故人)の基調講演に続き、《不信の壁を超えて 3・11後の言論と社会》をテーマにしたパネルディスカッションが行われている。パネラーは斎藤貴男(ジャーナリスト)、林香里(東京大学大学院教授)、マーティン・ファクラー(当時ニューヨークタイムズ東京支局長)、依光隆明(朝日新聞編集委員)の各氏で、コーディネーターは元朝日新聞編集局長の外岡秀俊氏だ。この顔ぶれに大きな違和感は覚えない。依光氏は原発事故後、独走する東京新聞の報道に読者を奪われつつあった朝日新聞の中で「プロメテウスの罠」の執筆に関わった記者でもあり、マーティン・ファクラー氏は報道人でありながら、この国のメディアからは「取材対象」として取り上げられることも多く、問題提起者として適切な人物だろう。斎藤貴男氏も硬派ジャーナリストだ。

◆「なにか言っているが、その実、なにも言っていない」人たちの台頭

だが翌2013年のシンポジウム《対話がきこえない「つながる」社会の中で》あたりから登場するパネラーには疑問が生じる。安田浩一(ジャーナリスト)、開沼博(福島大学特任研究員)、小田嶋隆(コラムニスト)、稲垣えみ子(朝日新聞論説委員)でコーディネーターは津田大介氏だ。朝日新聞労組が取材する「5・3集会」にこの顔ぶれは相応しいだろうか。ご存知ない方のために解説をしておくと開沼博は「福島学」なる新たな学問領域を自ら(勝手に)打ち立て、一見原発事故後の福島を社会科学的に解明している素振りを見せながら、その実事故の被害を矮小化し、学問の名を傘に最近では避難者の死亡原因が「反原発運動」だとまで主張しだしている大罪人だ(開沼の罪については「週刊金曜日」4月14日号、明石昇一郎氏の記事が詳しい)。

若手中堅の社会学者には「何かを言っているのだろうが何を言いたいのかわからない(その実、なにも言っていない)」人間が激増しているが、その「何を言いたいかのかわからない」振りをしながら、巧みに世論を「安全神話」へ誘導する役割を担っているのが開沼だ。原発事故後完全に「いかれた」池田香代子(翻訳家)のように露骨ではないだけに余計にたちが悪い。

2013年集会

◆「M君リンチ事件」隠蔽の主犯格として暗躍した安田浩一の言

そして安田浩一の最近の言動は鹿砦社が出版する書物でお伝えしている通りであるが、とりわけ「M君リンチ事件」隠蔽の主犯格として暗躍が著しい。その安田が「5・3」集会前インタビューで興味深い発言を行っている。在特会についての質問を受けた安田は以下の様に述べている。

――記事化は困難を伴ったのではないでしょうか。

安田 僕は当時から、どうしても記事として取り上げたかったんです。それで新聞社系を含めてあらゆる週刊誌に話を持っていったんですが、すべての媒体に断られた。
 編集者の中では在特会の存在を知っている人もいたし、彼らが醜悪だということも認める。でも、彼らのロジックを誌面に反映させたくない、もっと言うと彼らのカギ括弧を載せると誌面を汚す、誌面で扱うことで何より彼らを認知してしまう、放っておけばいいんだと言われた。「あんなのが社会的な支持を得るわけがないから、放っておけば消えてなくなるんだ」と。
 それは編集者のスタンス、保守・リベラル問わず、口をそろえて同じ事を言ったわけです。僕はそのときまでは、半分同意しつつ、同時に何を逃げているんだろうという思いもやっぱりあったわけですね。だって、現実に目の前に「外国人を叩き出せ」と叫ぶ人間がいて、しかもそれなりの動員力を持ちつつある。社会現象として無視していいのかという思いは僕の中にもあって、悶々としたものを抱えていたわけです。

このインタビューの「在特会」を「M君リンチ事件」に置き換えてみよう。

――「M君リンチ事件」の記事化は困難で、鹿砦社はどうしても記事としてとりあげたかったんです。それで新聞社系を含めてあらゆる週刊誌に話を持って行ったんですが、すべての媒体に断られた。――

歴史は巡るというが、わずか数年で主客転倒している現実には、唖然とする。そしてコーディネーターは茶髪の売れっ子、津田大介。亡き小尻記者はこの人選をどう感じるだろう。

◆古市、田母神、香山リカ──あきれ返るほどの人選の不見識

しかし、凋落はそんなものではない。2014年の同集会のテーマは《戦争なんて知らない ――「断絶」と向き合う》で、パネラーは古市憲寿(社会学者)、西谷文和(フリージャーナリスト)、中田整一(ノンフィクション作家)、田母神俊雄(元航空幕僚長)だ。西谷、中田両氏はしっかりした仕事をしている方だが、古市は先に述べた「何かを言っているのだろうが何を言いたいのかわからない」社会学者の筆頭であり、さらにどうして田母神を呼ぶ理由があるのだ。この集会は朝日新聞労組が企画する、私的な集会であるから誰を呼ぼうが自由だ。よってそれに対する批判も自由が担保される。何たる人選かとあきれ返る。不見識にもほどがある。

2014年集会
2015年集会
2016年集会

それでも止まらない。2015年の《戦後70年 メディアの責任 1億総発信社会で》には、憲法9条2項改憲主義者の高橋源一郎(作家)、御厨貴(東京大学名誉教授)、瀬谷ルミ子(日本紛争予防センター理事長)、西村陽一(朝日新聞取締役編集担当)が並び、コーディネーターは堀潤(ジャーナリスト)が登場。さらに2016年の《デモ×若者 社会は変わるのか》には、最近しばき隊リーダーの感がある、香山リカ(精神科医)と五野井郁夫(高千穂大学経営学部教授)、言説「巧み」な隠れ右翼こと佐藤卓己(京都大学大学院教育学研究科教授)、千葉泰真(SEALDs、明治大学大学院生)のお歴々が……。コーディネーターはまたしても津田大介。

◆労組までもが朝日の真似をすることもあるまいに

そしてきょう行われる《「不信」「萎縮」を乗り越えて》のパネラーは、再度、憲法9条2項改憲主義者の高橋源一郎(明治学院大学教授)、西田亮介(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)、高橋純子(朝日新聞政治部次長)で、コーディネーターは佐藤優のように、何を聞いても知っている、だけれどもあなたの本音はいったい何なの?と質問すると「いい質問ですね」とは答えてくれない、ヌエのような池上彰だ。

そりゃ負けるだろう。改憲論議でも、阪神支局襲撃事件でもこんな連中が論陣を張っているようでは。朝日新聞への幻想と幻滅。労組までもが会社の真似をすることもあるまいに。もう日本国憲法は死んでいる。

鹿砦社代表・松岡と「デジタル鹿砦社通信」管理人が共同して朝日新聞阪神支局襲撃事件の直後に緊急出版した『テロリズムとメディアの危機~朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』。日本図書館協会と全国学校図書館協議会の選定図書にもなった

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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検証「みれぱ」としばき隊、カウンター〈2〉大学講師、岡本朝也の未熟な思想

 
 

 
前回の本コラムでご紹介した通り、今回の主人公はこのパネル展実行委員会の共同代表の一人である岡本朝也である(もう一名の代表者、能川元一も関西の「カウンター」運動の参加者だ)。

毎日新聞デジタル版2017年4月20日

◆岡本朝也は関西大、甲南大等の非常勤講師

岡本朝也は、1969年奈良県生まれ。関西大学、甲南大学等で非常勤講師として教壇に立っている。専門は家族社会学。内縁の妻は桃山学院大学社会学部准教授の村上あかねである。

ツイッターでは「るまたん」と名乗っているが、これは仏語の“le matin”(英訳すると“the morning”)を自分の名の「朝也」に当てはめたものであろう。

なお、岡本は「岡本弘二」「岡本交人」という変名を使っていることがある。その理由は岡本に過去、逮捕歴があるためだと思われる。

◆岡本朝也はリンチ事件前までM君と親しかった

岡本はリンチ事件の被害者M君と同様、2013年の初期から関西の「カウンター」に参加していた。ただし岡本は関西の「カウンター」関係者の中では、やや浮いた存在であったようである。M君によると、李信恵や凡ら当時の関西の「カウンター」関係者の中心人物は岡本を一方的に毛嫌いしていたらしい。

特に後にリンチ事件の主犯となるエル金の岡本に対する嫌悪は凄まじく、エル金は岡本のことを、当人のいないところでは「あいつはコミュ障(編集部注:「コミュニケーション障害」の通俗的略称。差別感情に溢れた言い回しである)やから居場所を求めてカウンターに来てるんや」と言い回っていたそうだ。これは岡本が野間易通に対して批判的な意見の持ち主だったことが原因とみられる。ここにも「しばき隊」の歪(いびつ)な構図が見て取れる。

M君はこれら「カウンター」関係者の岡本に対する冷遇には、度々苦言を呈していた(つまり岡本をかばっていた)。このことがM君と加害者らとの確執を深める一因にもなったことは岡本自身も認めている(後詳参照)。
 
また岡本は、2014年4月の凛七星の逮捕においても、他の大多数の「しばき隊」=「カウンター」関係者とは異なる態度をとった。多くの「しばき隊員」が沈黙を決め込んで凛を見捨てた。また後に「M君リンチ事件」を引き起こした凡や李信恵のように、凛の逮捕を好機ととらえ、運動の「ヘゲモニー」掌握に血眼になる連中を横目に、岡本は仲間である凛を見捨てずM君とともに凛の支援をしていた。このようにリンチ事件発生前、岡本はM君とは親しかった。

2014年になると、関西における「カウンター」運動は凡や李信恵の専横がひどくなり、M君や岡本は、独自の路線を模索していたようだ。次のようなやり取りを、「秘密裏」に行っていたことから、当時からいかに「カウンター」内部の風通しが悪かったかを窺い知ることができる。

 
 

◆しばき隊の十八番! 岡本朝也は手のひら返しでM君を裏切った

M君リンチ事件発生後間もない2014年12月20日、作家で法政大学教授の中沢けいが「男組」組長の高橋直輝こと添田充啓とともにわざわざ大阪まで来て、事件の隠蔽工作を行ったことは、『反差別と暴力の正体』第4項および第5項において取材班が詳述した通りである。

このとき、中沢と添田はM君と親しかった凛七星、岡本ともう1名に対し、M君の刑事告訴を阻止するように要請している。そして中沢の要請をただ一人忠実に実行したのが、なんと岡本である。翌21日M君は岡本の求めに応じて面会しているのだがM君はこの時に、中沢らの来阪を岡本の口から聞いたという。同日岡本はM君に「中沢先生もエル金側についた」と伝えている。岡本によると中沢は「私は何があってもエル金を守る」とまで宣言したそうだ。

事件について、M君はあくまで徹底究明の姿勢を崩さなかったためか、年改まって2015年1月17日、岡本は直接にM君に「刑事告訴をするな」と強要している。かつては親しかった岡本の口から、こんなセリフを聞かされたM君の落胆と失望は察するに余りある。

その後、2015年1月29日岡本は言い訳がましく次のようなメッセージをM君に送りつけている。岡本はリンチ事件が起きた背景には「自分にも責任がある」と明言している。しかしその後岡本は、自身が認める「責任」一切とっていない。「責任」という言葉をここまで軽々しく扱う岡本が、日帝の「戦争責任」にも言及したパネル展の代表者なのだ。一般の方には隠蔽されたこういった欺瞞を「茶番」という。

M君は岡本が刑事告訴の断念を強要したことにつき、抗議の意を示しているが、それに対する岡本の回答は大臣並みに立派である(つまり嘘くさいということだ)。岡本はM君に「刑事告訴をするな」と迫ったことに「倫理的に批判されるいわれは全くない」と開き直っている。岡本が堂々とそのように言っているので、M君とのやり取りの一部始終を公開されても岡本に文句はあるまい。ここにご紹介しよう。岡本とM君のやり取りは、岡本の人間性を理解するうえで極めて重要であるので、「私信の公開」云々などというご都合主義的批判を、取材班は一切唾棄することをあらかじめ申し上げておく。

 
 

この後M君と岡本の間に連絡はないが、岡本は2015年5月「エル金は友達祭り」に参加している。

「エル金は友達祭り」とは、2015年5月1日から2日にかけて、「あらい商店」店主(当時)の朴敏用が、M君を精神的に追い詰めることを目的に、多数の「しばき隊」=「カウンター」関係者を扇動し、一斉に「(リンチ事件主犯の)エル金は友達」という書き込みを行った出来事のことである。冒頭述べた通り、岡本とエル金の確執はとくに深かったにもかかわらず、岡本は不思議な人間だ。

リンチ事件が明るみに出てからも、岡本は「あれは喧嘩だった」「レイシストを利することをするな」等と、M君への「セカンドリンチ」に余念がない。もはやいちいち紹介しないので、2016年5月頃の岡本のTwitterなりFacebookなりをご覧いただきたい。

◆岡本朝也は思想的に「うろたえ続けている」ことを白状している

ここまでお読みいただいた読者にはもはや説明するまでもないだろうが、岡本は「運動内部のヒエラルキー」への「忖度」にいそしみ、意思も良心もかなぐり捨てて「運動内部の暴力的権力構造」に媚びへつらっている。そして、身近で起きた暴力事件、それも親しかった被害者M君に刑事告訴の断念を迫って恥じることもない。このような人物を代表者にすえ、そして関係者が皆それを知って平然と展示を開催し続けている。それが「未来のための歴史パネル展」(みれぱ)の実態である。

岡本はM君に向けて「うろたえるだけ」と何度も語っている。そうだ。いい年をして、大学で教鞭を取りながら、責任や論理矛盾にも気が付かない岡本の如き人間は、一人で「うろたえ続けて」いればよいのだ。善人面をして毎日新聞に報じられた岡本はまだ「自分自身」が理解できていない。岡本は三田誠広の「僕って何」をまず読むべきだ。岡本は毎日新聞の記事中、「誰が悪いというのでなく、人類の犯した事実を共有したい」と言っている。そんなことはないだろう。中国への日本侵略に当時の中国人民が責任を有するのか。朝鮮半島の植民地支配に朝鮮半島の人民が責任を負うというのか。岡本の主張はつまるところ、安倍や自民党、改憲勢力の主張と変わりない。何よりも岡本自身が終始思想的にも「うろたえ続けている」ことを白状しているに過ぎない。(続く)

毎日新聞兵庫版2017年4月20日朝刊
(鹿砦社特別取材班)
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連合と民進党は解体せよ!「真っ当な労組」なしに「真っ当な野党」は育たない

連合HPより
wikipedia「連合」項より

今日はメーデーだ。東京の「連合」(日本労働組合総連合会)系集会には小池都知事がゲストで呼ばれるという。ご同慶の至りである。メーデーは労働者の祭典、戦う意思を確認する日のはずだが、そこにどうして「保守」の小池都知事が呼ばれるのか。いや、振り返れば別におかしなゲストは、これが初めてではない。郵便局をぶっ壊し、ブッシュの進めたアフガニスタン、イラクへの侵略戦争を世界一支援した小泉元首相もこの大会に呼ばれたことがある。

◆1987年の「連合」発足──この国の労働運動が骨抜きにされた一大転換点

そもそも出自からして「連合」は御用組合化が運命づけられていた。元社会党系を支持していた「総評」(日本労働組合総評議会)が、国鉄解体を機にガタガタにされ、民社党を支持していた「同盟」(全日本労働総同盟)と合体をしたのは1987年11月20日のことだった。今日の安倍政権による急速な反動体制の暴走を「小泉・竹中」の新自由主義から、と規定する方が多いが、私は「総評」解体「連合」発足が、この国で労働運動の決定的な骨抜きが行われた一大転換点だと考える。

その仕掛けは労働界内外から行われた。今では野党の共同代表におさまり、あたかも世直しはこの人しかいないと、80年代には予想もしなかった凋落と評価の変わりようのO氏は、中曽根政権下で国鉄潰しに直接手を下した本人である。

◆超A級の戦犯として山岸章

そして超A級の戦犯として山岸章の名前を挙げなければならない。山岸は電電公社(現NTT)の情報通信産業労働組合連合会の委員長でありながら、「総評解体」=「連合設立」をもくろみ暗躍し、「連合」発足後は初代の会長に就任する。そしてめでたくも2000年4月、山岸は勲一等瑞宝章を受勲している。日本における今日的労働組合運動の退潮と腐敗をもたらした山岸の罪は万死に値する。連合会長就任後、山岸はテレビに知識人ズラをして登場しては、労組潰しの立役者として、間抜けな司会者やコメンテーターからおだてられ、いい気になっていた。

当時、豪州出身の私の友人は、「山岸の役割は、ボブ・ホーク(ロバート・ジェイムズ・リー・ホーク、Robert James Lee Hawke)と同じだ」と語っていた。ボブ・ホークは豪州で1983年から1991年まで首相の座にあった自分物だが、彼がオーストラリア労働組合評議会(Australian Council of Trade Union, ACTU)を骨抜きにして、日本の「連合」化させた役割と山岸の役回りがそっくりだと聞いた。もっとも豪州の労組は「連合」とは比較にならない闘争力をまだ保持はしていたが、20世紀後半資本主義国での労働運動解体に一役買った人物という点で二人には共通点が多かった。

連合2016~2017年度パンフレットより
連合2016~2017年度パンフレットより
wikipedia「民進党」項より

◆「連合」が支える民進党の堕落

そして、「連合」が支える民進党の堕落はどうだ。長島昭久が「憲法について執行部と考えが違う」と離党。細野豪志も執行部の憲法改正に関する姿勢に不満がある」として民進党代表代行を辞任した。「民進党執行部の憲法についての考え方」などはどうでもよいのだが、長島も細野も要するに自民党同様の「改憲」がしたい、という人間なのだ。長島はそのタカ派ぶりを昔から隠すことなく、海外派兵推進、憲法改正を口にいていたし(ちなみに長島の大学時代の指導教授は小林節だ)、細野は静岡選出の議員だが、ルポライターの明石昇一郎さんに「原発のことを教えてください」とわざわざ質問をして「ああそうなんですか」と原発の危険性を「理解したフリ」をしていた人間だ。芸能人との不倫写真を撮られたり、どのみち期待する要素が「ゼロ」の人間なので驚くには値しない。

問題は長島、細野のような「廃棄物」が民進党議員の中では決して珍しくはないとうい事態だ。なぜなのか。それは連中の頭の中に理想とする社会像がないからだ。仮にあってもそれは自民党の連中が発想するそれと大差ない。だから民進党は一向に支持率が上がらないし、どんどん勢力が弱体化してゆくのだ。しかもそこに「投票」をちらつかせるのが「御用労組の集合体」連合では、どうしようもない。

じゃあ、だれを選べばいいの?……との質問が当然予想される。私は自公には投票しない。民進党にも入れない。それ以上は言わない。

◆「真っ当な労組」なしに「真っ当な野党」などあり得ない

民進党は一刻も早く解党し、また「連合」も解体すべきだ。少々時間がかかるかもしれないが、「真っ当な労組」がなければ、「真っ当な野党」はあり得ない。労組は組合員と全労働者の利益を追求して、経営者と対峙する本来の役割を取り戻せば良いだけのことだ。非正規雇用が4割に達し、「食えない労働者」が激増する資本主義末期にあって、内部留保を腐るほど貯めこんだ大企業からそれを吐き出させ、労働者にしかるべく分配を要求するのだ。労働運動の役割は経営者のお手伝いではなく、労働者の権利・利益の追求だろう。

民進党HPより

◆「与党案に反対」が野党の旗幟

また、民進党解党後の野党は「自民党の提案には何でも絶対反対」の旗幟(きし)を鮮明にすればよい。民進党が民主党時代にどうして消費税の引き上げなどを言い出したのだ。菅直人元首相が財務官僚に嵌められて妄言を吐き出したのかもしれないが、消費税率上昇が税収の低減を招くことは過去の実績で明らかじゃないか。「消費税亡者」の中には税率を20%に上げないと……など寝言は寝てから言え!と怒鳴りつけたくなるような間抜けな論を平気でのたまう輩がいる。間違っている。彼らが求めるように「経済成長」を数字で確認したいのなら、まず消費税を全廃してみろ。どれだけ消費が喚起され、内需が潤うことか。そして消費税に苦しめられている中小企業や、低所得世帯が喜ぶことか。財源? 東電に無担保で20兆円貸せるんだろう。それを回せばおつりがくるじゃないか。

と、いうのが野党的には当たり前の姿勢だと思うのだが、小池都知事登場にヤジの一つも飛ばさずに拍手しているうちは、すべて望み薄だろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!
多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

検証「みれぱ」としばき隊、カウンター〈1〉金明秀関学大教授と林範夫弁護士

 
 

「M君リンチ事件」の情報が鹿砦社にもたらされたのは、2016年2月のことだった。ことの重大さに驚いた鹿砦社は特別取材班を結成し、取材に乗り出して1年余、M君リンチ事件の全容解決にまでは未だいたらないものの、その一定の成果は『ヘイトと暴力の連鎖』『反差別と暴力の正体』の2冊として 世に出すことができた。M君の裁判も今なお継続中であるが、真相解明とM君の権利回復の一助にはなれたのではないかと、取材班も自負している。

ところで、きょう4月28日は、取材班にとっては忘れえない日である。1年前の2016年4月28日、M君リンチ事件が1年以上にわたる隠蔽工作を打破して明るみに出される先鞭をつけた『週刊実話』による報道があった日であったのだ。奇しくも今日はM君の裁判の弁論準備手続の期日でもあり、取材班としても運命的な巡り合わせを感る。そこで最近行われた、しばき隊関連の行事を、4回シリーズでご紹介する。

◆しばき隊が深く関与する「未来のための歴史パネル展」(「みれぱ」)

「未来のための歴史パネル展」というパネル展活動を行う団体がある。「みれぱ」と略称されているこの団体は、「日本における歴史修正主義と闘う」といったようなことを目的に、2014年に準備が始まり、2016年1月から本格的に活動している。これまで関西を中心に10回以上のパネル展示を展開している。パネル製作等の費用は、寄付により充当されているようで、「李信恵さんの裁判を支援する会」とは違って、実行委員会によりインターネット上で会計報告も公表されている。過去の活動等の詳細については、彼らのホームページやフェイスブックページを参照されたい。

◎「未来のための歴史パネル展」ホームページ http://mirepa.tumblr.com/
◎「未来のための歴史パネル展」フェイスブック https://www.facebook.com/mirepa/
つい先日、4月22日と23日にも、神戸でパネル展示をやっており、これについては4月20日に「日本と朝鮮 パネル展」という見出しで毎日新聞の地方版において報道された[写真1]。

[写真1]毎日新聞兵庫版2017年4月20日朝刊
毎日新聞デジタル版2017年4月20日

なぜ取材班がこのパネル展に注目するのか。それはこの「未来のための歴史パネル展」は「しばき隊」「カウンター」の関連事業であり、なおかつM君リンチ事件とも無関係ではないからだ。そして、取材班は「未来のための歴史パネル展」においてもまた「しばき隊」「カウンター」およびこれに連なる運動、人物らに共通する、筆舌に尽くしがたい腐敗の事実を突き止めたのである。

◆「みれぱ」と「しばき隊」「カウンター」とのつながり

おそらく当人らは否定するであろうが、「未来のための歴史パネル展」(みれぱ)は明白に「しばき隊」「カウンター」とは密接な関係がある。百聞は一見に如かずという。これをご覧いただこう。

「未来のための歴史パネル展」実行委員会の役員一覧

「未来のための歴史パネル展」実行委員会の役員一覧
 
 

これは、2015年6月29日付で公表された、「未来のための歴史パネル展」実行委員会の役員の一覧である。これ以降現在にいたるまで役員の変更があった旨は公表されていないので、現在も役員の体制はこのままだということであろう。まずは「顧問」の面々にご注目いただきたい。

筆頭に名前が挙がっているのは、関西学院大学社会学部教授の金明秀だ。金は社会学者としてよりも、M君リンチ事件の最も悪質な「セカンドリンチ」を行った二次加害者の一人としての悪名の方がはるかに高いのではないだろうか。2016年5月18日にM君への恫喝書き込みを行ったことを筆頭に[写真2]、リンチ事件に関する金の所業の詳細は『反差別と暴力の正体』第4項において触れたので割愛するが、M君が弁護士とともに関西学院大学社会学部まで出向いて抗議したにもかかわらず、現在に至るまでこの件について金明秀本人からも、関西学院大学当局からも、M君に対して一切の謝罪がないことは改めて強調したい。金はこの他にも複数の暴力事件を引き起こしており、このような人物に教授職を与えている関西学院大学の良識も疑われるところだ。

[写真2]金明秀=関西学院大学社会学部教授のツイッター書き込み

弁護士の林範夫(イム・ボンブ)。ここでの肩書は弁護士だが、林は(特非)コリアNGOセンターの代表理事という顔も持つ。コリアNGOセンターは「反ヘイトスピーチ裁判」と称する李信恵が在特会らを訴えた裁判の事務局を担当しており、M君リンチ事件の隠蔽工作と二次加害に最も深く関与した組織である。

これだけ見ても、「未来のための歴史パネル展」実行委員会と「しばき隊」「カウンター」の繋がり、さらにはM君リンチ事件とは無関係とはいえないものだが、今回取り上げるのは金や林ではない。共同代表の一人であり、毎日新聞の取材も受けた岡本朝也(弘二、交人というような変名を使っていることもある)、この人物が、今回の特集の「主人公」である。

岡本の人となりについては続編で報告する。

(鹿砦社特別取材班)

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4・26チェルノブイリから31年目の日に想う3・11福島〈絶望の物語〉

ノーベル賞の「功罪」を総体で評価すれば、政治から離れることができず「罪」が「功」を上回るのではないかと思う。原発推進の世界組織、IAEA(国際原子力機関)が「ノーベル平和賞」を受賞していることを見てもそれは明らかだ。でも、時に「これは!」と唸る受賞者を選出するので、ノーベル賞の価値を全否定することができない。

◆『チェルノブイリの祈り 未来の物語』──文学のような読後感を抱かされるルポルタージュの秀作

『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(1998年12月18日岩波書店単行本)

2015年にノーベル文学賞を受賞した、スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(岩波書店 翻訳=松本妙子)は世界中の人に読まれる価値のある作品だ。『チェルノブイリの祈り』は徹底した取材に基づくルポルタージュ作品なのだが、文学のような読後感を抱かされる、濃密かつすぐれた作品だ。
同書の著者、スベトラーナ・アレクシエービッチさんが昨年来日し、「福島現地を訪れたドキュメンタリーがNHKで放送されたよ」と同番組を録画していた友人がDVDを貸してくれた。前後編2本に分かれていて、前編は「チェルノブイリの祈り」、後編「フクシマ 未来の物語」だ。チェルノブイリと福島を訪れたスベトラーナ・アレクシエービッチさんは、通訳を介してながら、普通のインタビュアーでは、聞きづらそうな内容を、現地の人々にズバズバ聞いてゆく。相当な修羅場をくぐってきた人だということが、その問答から分かる。

「ベラルーシでは情報が統制されている」、「事故が起こればどこの国でも同じ」、「国家はその責任を取ろうとしない」などとNHKがよく放送させるな、と思われるセリフを次々と語る(本当のことを語っているだけなのだから、こんな感想を持たざるを得ないことが不幸なのであるが)。

◆「絶望」を示唆する言葉のかけら

『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(2011年6月16日岩波現代文庫)

「チェルノブイリの祈り」日本語版の解説を書いたフォトジャーナリストの広河隆一さんにインタビューした時、「ソ連では医師や警察、地元の代表と軍も混じり避難すべきかどうかが事故直後に話し合われたが、避難を妨げたのは医師で、軍は避難に積極的だった」という主旨のお話を伺って、驚いた経験がある。

軍隊、とくに旧ソ連の軍隊には何の根拠もないが「冷徹」なイメージがあり、彼らが原発事故被災者の避難に、医師よりも積極的であった理由がわからなかった。が、広河氏から理由を聞いて、ああなるほどと納得した。「当時は核戦争の危機が迫っていた時代ですから、軍には『核』の危険性の知識があった、だから住民の避難は『核戦争』が発生した時の前提で軍は考えたのです」

恐ろしい理由ではあるが、結果として事故後の近隣住民避難体制は、福島よりもチェルノブイリの方が、はるかに手際が良かったとの評価は現場を取材した人々から異口同音に聞いた。しかし、避難はチェルノブイリの方が敏速であったとしても、事故後の対応は基本的には変わらない。スベトラーナ・アレクシエービッチさんはベラルーシの情報統制ぶりを何の躊躇もなく批判していたし、「フクシマ」の将来についても、楽観的ではない予想を語った。至極当然な冷厳たる現実を彼女が語ると言葉が文学的であり、それゆえ、より重い迫力で画面の向こう側から「警鐘」と「冷厳な分析」が伝わってきた。そしてこれは私だけの感想かもしれないが、あえて言えば「絶望」を示唆する言葉のかけらもあった。

◆「4・26があったから3・11はあの程度で済んだ」という発言を耳にしたことはない

きょう4月26日は旧ソ連でチェルノブイリ原発が爆発事故を起こして31年目にあたる。ゴールデンウイーク直前のこの時期、福島第一原発事故が起こる前、原発の危険を懸念する人びとの間では、決して忘れることのできない、悪夢の記念日だった。そこに3・11が加わってしまい4・26はこの国では少し色あせた感はあるけれども、実は事故後6年経った現在、チェルノブイリ事故で残された記録や情報の数々は、悲しいことではあるが、フクシマで被害拡大を阻止しようと尽力する人びとに援用されている。

国家もまた「いかに被害を隠すか」の先例として、旧ソ連、ウクライナの手法を参考にしているようだ。だが一党支配の「共産主義国」だった旧ソ連よりも、自由に発言ができて、国際的にも医療や技術の援助を求めやすいはずの、この国におけるフクシマ事故の処理は場当たり的で、稚拙に思える局面が多すぎる。

「4・26があったから3・11はあの程度で済んだ」という関係者の発言を耳にしたことがない。学ぶ姿勢がないのか、学んでいないのか。ウクライナは電力が圧倒的に不足しているので今でも原発が動いている(この事実には驚かされるが)。一方この国では電気は有り余っているのに、電力会社の利益のためにのみ、原発の再稼働が次々と目論まれている。高浜原発3、4号機の運転停止を言い渡した大津地裁の判断は、ごく自然な危険に対する姿勢を示したが、大阪高裁ではその判断が翻った。佐賀県知事も玄海原発再稼働の同意を出した。関西電力、九州電力をはじめ、司法や知事「原発再稼働」グループを罵(ののし)る言葉を探しているが見当たらない。

近しい年配の親せきが「どうして原爆を落とされて、痛い目を経験しているのに。福島ではあんな事故が起きて、ひどい目にあっている人がいるのに、再稼働なんて『馬鹿』としかいえない。私は年寄りだけど電力会社や再稼働を認める役人が目の前にいたら堂々と『あなたは馬鹿だ』と言ってやりますよ」と語った。私もそれ以上適切な表現が思い浮かばない。


◎[参考動画]2016年11月28日、東京外国語大学で行われたスベトラーナ・アレクシェービッチさん名誉博士号授与記念講演「とあるユートピアの物語」(OPTVstaff 2017年1月12日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!
多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

《大学異論45》国立大学「独立法人化」で国からの干渉が強化された矛盾

◆教育に対する国家の態度──欧州諸国と米国は雲泥の差

「欧米」、と容易に西洋諸国をくくってしまうことがあるが、こと社会保障・福祉にかんして、欧州の多くの国と米国には雲泥の差がある。当然欧州の中でもEUに所属していようが、いまいが国ごとにその差があることは言うまでもない。その中でわかりやすい違いは教育への国家の態度だ。教育とりわけ、高等教育に関して英国と米国は比較的政策が近い。そして、この両国を真似ているのが日本であり、韓国であり、台湾、つまり東南アジア諸国である(近年はその中に中国も含まれるようになってきた)。

国立大学法人運営費交付金の推移(2004-2014年度)(wikipedia「国立大学法人」の項より)

なにが似通っているかと言えば、米国、英国やこの島国を含めた東南アジア諸国では、高等教育にかかる授業料が個人負担であり、それもかなりの高額であるという点である。それに対してフランスやドイツなどで、欧州でも一定程度以上の社会福祉が築かれている国々では「義務教育から大学院まで学費は無料」が常識だ。学費が無料の国ほど「金も出すから口も出す」と、教育内容に国家の介入が強いかと思いきや、どうやらかならずしもそういった構図は成立しないようで、むしろ「金は出さないが口は出す」という図々しい態度のほうが、国家を超えて教育行政には蔓延している。それはこの島国と韓国でまことに顕著だ。台湾も追従傾向がある。

文部科学省「国立大学の法人化をめぐる10の疑問にお答えします!」(文部科学省HPより)

◆国立大学が「国立大学法人化」されて

たとえばかつて、「国立大学」と呼ばれた大学は、正確に言えばもう既にこの島国には存在しない。すべての国立大学は「国立大学法人」化されている。だから東京大学でも、東北大学でも名古屋大学でも正式名称には「国立大学法人」が頭につく。この「独立法人化」により、大学の運営の理事会に外部の人間が入るようになり、各地の経済界の人間が大学の間接支配に手を染めることが容易になった。そして今話題の文科省官僚の理事会入りは日常茶飯事である。「国立大学法人」としては理事会に文科省の人間を置いておけば、なにかと便宜も図ってもらえ、情報の入手も容易になるであろうと、スケベ根性を出し大学運営(あえて経営ということばは使わない)の座に文科省の人間を据えているのだ。

それでなにか得策があるのか、といえば「皆無」である。交付の根拠が定められている文科省からの補助金は、融通を利かすことが出来はしないし、時々のトレンドに合わせ、「時限立法的」に設けられる補助金の獲得は、「どれだけ国策に従順か」の競争である。億単位の補助金は、大学にとって魅力的でないはずはないから「パン食い競争」のように、補助金を得ようと大学は必死になり、中身の空疎なプログラム作成や、カリキュラム新設に汗を流す。

情けないことこの上ないありさまだが、国立大学法人においては年々補助金が減額され、首根っこを押さえられている状態では、研究費を得る為にはなりふり構っていられないという事情もある。だから本論からは逸れるけれども、防衛省が研究費を支給(実質的な軍事研究に加担)する、とアナウンスすると、これ幸いと多数の大学が手を挙げたのだ。金の前には「科学の果たすべき目的」や「大学の役割」といった、根源的な問題は全く考慮されることがなかった、と言っていいだろう(多少の内面的逡巡はあったのかもしれないが、そんなものは言い訳にならない)。

文部科学省「国立大学の法人化をめぐる10の疑問にお答えします!」(文部科学省HPより)

◆「独立法人化」で国からの干渉が強まる矛盾

「独立法人化」したということは、「国立大学」時代に比して、国からの干渉が減らなければおかしいが、事態は逆を向いている。これは私立大学においても同様だ。文科省が突きつける、「要らぬお世話」は年々増すばかりで、私立大学の教職員は講義や研究という本務と無関係なところで、雑務の激増を強いられている。

しかも「大学の自治」や「国家からの大学の自由」などということばは、哲学書の中にでも封じ込められた状態だから、大学側から文科省への異議申し立てや抵抗はなきに等しい。ろくな餌ももらっていないのに、なぜそこまで卑屈にならなければいけないか。

日常業務多忙の中で私立大学内部において「大学の自治」や「国家からの大学の自由」が、本気で語られることはない。テレビに出てしおらしく「リベラル面」をしている田中優子が学長の座にある法政大学などは、その悪例中の悪例だろう。学生の自治活動を年中弾圧し、常時学内に多数の警備員を学生の自治活動排除の為に配備し、公安警察の学内徘徊も歓迎する。こんな大学はもはや大学を名乗る資格はない。

「独立大学法人」化した国立大学、私立大学の内実は惨憺たるものである。終焉を迎えることが確実な「資本主義」の競争原理を、教育・研究の場に導入すれば成果が上がる、と考えるのはカネの勘定しかしたことの無い、商人(あきんど)の発想で、学問とは相いれない。すでに各種の国際的大学のランキングで東大や京大の凋落が明示されている。現在の延長線上に高等教育機関を位置づけ続けるのであれば、その傾向にはますます拍車がかかるであろう。

もはや、この島国の大学には「大学生」と呼ぶにふさわしくない学徒が半数近くを占めている。その深刻さこそ直視されるべきだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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今村復興相激怒から見えるメディアの腐敗

東京電力福島第一原発事故の自主避難者に対する発言で批判を浴びた今村雅弘復興相が4月21日の閣議後記者会見で、フリーランスの記者からの質問を「もういいよ」と遮る一幕があった。

記者は「自主避難者への住宅支援が打ち切られ、行き場のない人もいる。国が調査しないと、実態が分からないのでは」と質問。今村復興相は「いろんな方がいらっしゃる。よく聞いてから対応したい」と答えた。同じ記者が「把握できるのか」と再質問しようとしたところ、いらだった様子で「もういいよ。他の人どうぞ」と質問を打ち切った。会見の最後にも質問されたが、答えずに退席した。

今村復興相は4月4日の会見で、同じ記者とのやり取り中に激高し、自主避難者が帰還できないのは「本人の責任」と発言。その後、謝罪して撤回し、「感情的になりおわびする。今後は冷静に対処したい」と釈明していた。

◎<今村復興相>また質問打ち切り(2017年4月21日付毎日新聞)

 

◆今村は正直だ

今村は正直だ。各官庁に設けられた記者クラブ所属の記者から、本質を突く質問が発せられることは、まずない。定例で行われる首相官邸での記者会見の様子をご覧になればわかる。幹事社が質問者に挙手をさせ、指名された記者が「○○新聞の○○ですが」と名乗り、机の上に薄く積もったホコリふき取るような、上っ面の質問しかしない。会見に参加している他の多くの記者は、その質疑を聞きながら「タイピング専門家」と化してひたすらパソコンのキーを叩いている。それはジャーナリストの姿ではなく、いかに早く発言を入力できるかを勝手に自らに課した、技術職の競い合いだ。あんな弛緩した記者会見に意味はないし、あの場所で何かが暴かれることも金輪際ありはしない。

それでも「失言」という名の「暴言」を吐いてしまう不注意者が時に現れるが、あれは「今日は無礼講だから」という宴会で「いやここだけの話、うちの会社ブスが多いね」と発言する社長のようなものだ。人間として最低限の資質さえない大間抜けしか今の記者クラブでは、「不都合な事実」を暴かれることはないのだ。

 

◆記者クラブという「村社会」

そもそも記者クラブという、一部大手マスコミにだけ振り当てられる「特権部屋」で行われる会見では、なれ合いが常態化し、鋭い質問など許されない「村社会」が形成される。近年、マスメディアの見事なまでの凋落急速の根源にはいくつかもの要因があるが、記者クラブの弊害はその主たるものである。

復興省は、東日本大震災を受けて発足した時限付きの例外的省なので、ここには記者クラブがなく、フリーの記者も入ることができる。だから、フリージャーナリストの西中誠一郎氏が今村復興相に質問することが可能であり、彼はジャーナリストとしてごく自然な質問をぶつけただけの話である。

 

◆今村の激高が示すもの

4月4日の会見で、
西中氏 「福島県だけではありません。栃木からも群馬からも避難されています」
今村大臣「だから、それ……」
西中氏 「千葉からも避難されています」
今村大臣「いや、だから……」
西中氏 「それについては、どう考えていらっしゃるのか」

この質問の後に今村復興相は「うるさい!」と激高した。何がうるさいものか。取材者としては至極基本的な質問ではないか。今村の激高はこの程度の質問も日常の会見では、ほとんど受けていないことを示す結果となった。

◆「森友問題は終わり。政治にこれ以上追及が及ぶことはなくなりました」

 

知人の全国紙記者が先日「森友問題は終わり。政治にこれ以上追及が及ぶことはなくなりました」と連絡してきた。「なにを寝ぼけたことを言っているんだ。やる気が全然ないのか君たちは?」と毎度のことながら呆れかえった。総理大臣夫人が「公人」か「私人」などという議論は、小学生1年生が交通安全のルールを教わったあと、確認のテストをしているレベルの話で、議論すること自体を恥じ入らなければならない。国の最高権力者の夫人は現行法を基準にすれば「公人」に決まっている。だから安倍自身が「私もしくは私の妻が関与していたら、総理だけではなく議員も辞職する」と大見得を切ったではないか。

これほど明白なスキャンダルを目前にして、それを「狩る」生理がなければ、報道関係者はその職を辞すべきだ。「政治にこれ以上追及が及ぶことはなくなりました」と伝えてくれた大手紙記者の発言は「もうこれ以上追及する気はありません」と正確にその意味が翻訳されなければならない。そうであるならば、君たちはいったい何のために大手メディアに勤務しているのだ。何が起ころうが、起こるまいが交通事故と戦争の危機を等価に報道するような「職業道義的犯罪」のルーティンに乗っかっていれば、高額の禄が保証されている。その生活を維持したいだけなのか。それならば一般企業の会社員と同じだろう。

 

◆マスメディアは「権力」である

今日、マスメディアは言うまでもなく「権力」である。そのマスメディア「権力」が「政治権力」と対峙する中で、本来のバランスが維持されるはずだ。しかしこの国の報道の歴史を紐解けば、江戸時代にさかのぼっても、本質的に「政治権力」に長期間にわたり腰を据えて立ち向かった「反権力」報道機関が存在した痕跡はない。もちろん、明治以降はそうであるし、大正、昭和、さらには戦後の含め「反権力」ジャーナリズムの歴史は極めて希薄である。時にみられるのは「ゲリラ的」ジャーナリストの活躍だけだ。

今回今村を激怒させた、西中誠一郎氏はヒーローでもなんでもない。当たり前の質問を当たり前にぶつけただけのことだ。それがあたかも奇異な事件のように扱われるのは時代が歪であるからだ。歪曲されているのは今日的社会であって、個ではない。


◎[参考動画]「もういいよ」〜復興相が再び質問打ち切り(OPTVstaff2017年4月21日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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今なお「経営者のパワースポット」人気が続く沖縄・伊良部島「純と愛」ホテル

 

2012年後半のNHKの朝ドラマ「純と愛」で、夏菜が演じる純が再生を試みた沖縄・伊良部島のモデルとなったホテルが「経営者再生」のパワースポットとしてじわじわと注目を集めている。

ドラマでは、祖父が建て、父親(武田鉄也)がつぶそうとしたが再生を試みたのが主人公の純(夏菜)。沖縄・伊良部島にある同ホテルが実は「経営者のパワースポット」として実業家の間でひそかに広がりつつあったのは、実はドラマファンが集まるSNSからだが、現在はドラマ終了から時間がたち、ほぼ閉鎖されているようだ。

「純と愛」は、ニックネームが“社長”でなんでもかんでも他人に尽くすのが身上の純(夏菜)が、人の心が読める特殊能力をもつ愛(いとし・ 風間俊介)とともにつぎからつぎへと押し寄せる不運を乗り越えていくドラマ。

「このドラマで重要な役割を果たす宮古島のホテルのモデルとなった『伊良部島ホテルサウスアイランド』は、『純と愛』のストーリー上、とても大切な『絆』と『人の再生』がストーリー上、織り込まれています。武田鉄也演じるホテルのオーナーは祖父からホテルを引き継ぎますが、経営難でホテルを手放すことに。だが祖父との大切な思い出があり、『誰がも幸せになる魔法の国』としてホテルを大切に思う純(夏菜)が、父親の決定に逆らい、ホテルを破壊にやってきた建設用トラックや重機に身体を張って立ち向かうのです」(テレビ雑誌ライター)

つまり、このホテルは「あきらめない実業家」の魂が否定のしようもなく詰まっているから「訪れて寝ていると落ち着く」(40代経営者)や「実は経営的に苦しくなるとここに来て美しい海を眺めつつ頑張ろうと決意しなおす」(50代経営者)との声もある。

同ホテルの儀間氏は「いまだに『純と愛』を見てきたというかたが数組、いらっしゃいます。もちろん常連で社長のかたもいらっしゃいますよ」と語る。

ホテル側でお客の職業まで聞かないので具体的に何人の経営者が来ているかは不明だが、「元気が出るスポット」としていまだに人気を集めているのはまちがない。
ちなみに「カップルには、はぐれても再び出会えた宮古島・砂山ビーチに寄っていくのをお勧めしますよ」(沖縄県在住ライター)との声も。

経営にいきずまったむきは、夫婦で訪れるのもいいかもしれない。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター/NEWSIDER Tokyo)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、書籍企画立案&編集&執筆、著述業、漫画原作、官能小説、AV寸評、広告製作(コピーライティング含む)とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。

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今回も神風吹いたNKB興行、感動の2試合!

“チャンピオン”を日本語に訳すと何と呼ぶでしょうか?

高橋聖人vs村田裕俊。高橋の右ハイキックが村田のリズムを狂わせた
高橋聖人の左ハイキックでタイミング失う村田

現・第13代選手権者.安田一平に6年前の第8代選手権者.岡田拳が挑んだ試合。
パンチの距離なら安田の強打が活きるが、それをさせない岡田のフットワークとローキックが安田の勢いを止める。ローキックが連打されても安田は崩れることはなかったが、結構戦力が鈍る様子は伺えた。岡田も攻めつつも安田の強打を被弾し、圧倒することは出来ないが主導権は岡田が握った展開。ローキックでダウン奪いたかったところ安田は強打と蹴り返して耐え切った。

岡田(=旧・岡田清治)は2009年12月26日に武笠則康(渡辺)から判定勝利で王座奪取、2010年4月24日に高橋賢哉(渡辺)に判定勝利で初防衛、2011年2月11日に栄基(M-TOONG)に判定負けで王座陥落しています。肩の怪我から昨年復帰し2連勝。今日で6年ぶりの王座奪回に成功、第14代選手権者となる。

経験値で優る村田の逆襲
村田のリズムを狂わし続けた高橋聖人右ローキック

村田裕俊は昨年(2016年)初頭にタイへ修行に向かい、過去2度KOで敗れている高橋一眞に、同年4月のNKBフェザー級王座決定戦で、判定で雪辱し王座奪取。12月には過去1勝1敗1分の優介(真門)をTKOに下し初防衛。ムエタイ修行の成果がはっきり現れる成長を見せ、今年2月にはトップクラスが集められたビッグイベントKNOCK OUT興行に出場。実績ある全日本スーパーフェザー級選手権者.森井洋介(ゴールデングローブ)と善戦の引分け、トップクラスに通用する実力を見せました。

今回の対戦も、村田の更なる台頭と高橋一家の逆襲がテーマとなって、6月25日に予定される村田裕俊vs高橋一眞(=長男)のNKBライト級王座決定戦に繋がる前哨戦として期待のカードでした。

1ラウンドから高橋聖人(=三男)は極力距離を詰め接近戦でも先手を打つ展開。2ラウンドに青コーナー側で足を払って崩してパンチを連打。この一年半での進化した村田の劣勢は意外な光景。3ラウンドにはようやく調子を上げていく村田、圧力掛け本領発揮かと思われた後半、聖人が左ハイキックをクリーンヒットさせ、またもコーナー付近に詰めてラッシュ。完全に主導権を掴んだ聖人。

ここまで来ると聖人は油断しない限り、多少被弾しても大きく崩れることはなくなる。4ラウンド以降、スタミナの消耗で両者のスピードが鈍るも聖人の優勢は維持。村田の経験値で優る隙を突いたパンチと蹴り技も鋭いが、大胆不敵な聖人もヒットを返していく中終了。予想を覆す高橋聖人の勝利に沸いた会場とその応援団でした。

NKBライト級王座は、大和知也(SQUARE-UP)が昨年負った怪我の復調の遅れで返上が決定。そこで村田裕俊vs高橋一眞の4度目の対戦となる、ライト級に移しての王座決定戦が決定しています。

前座の話題ながら、3試合連続同一相手となった、9戦1勝(1KO)7敗1分の岩田行央と2戦1敗1分の藤田洋道戦は第2ラウンドにパンチによる両者一度ずつのダウン(先に藤田がダウンを奪い、岩田が逆転のダウンを奪う)。第3ラウンドも打ち合いの中、岩田が2度ダウンを奪い大差を付ける。スリリングな内容ながらどちらもガードがあまく、技術で制した試合とは言えないが、前座3回戦の中で、こんな7連敗から注目の勝利者となった選手の話題を盛り上げてきた竹村哲氏の見所PICK UPも見事でした。

◎神風シリーズvol.2 / 4月15日(土)後楽園ホール17:30~
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

高橋聖人vs村田裕俊。高橋がラッシュし、右ストレートを浴び、仰け 反る村田
岡田拳vs安田一平。安田の強打を殺した岡田のローキック
岡田拳の6年ぶりのチャンピオンベルト

《後半6試合》

◆NKBウェルター級選手権試合 5回戦

選手権者.安田一平(SQUARE-UP/37歳/66.5kg)
VS
挑戦者同級1位.岡田拳(大塚/31歳/66.5kg)
勝者:岡田拳 / 0-2 / 主審:鈴木義和
副審:川上49-49. 亀川48-50. 馳48-49

◆59.0kg契約 5回戦

NKBフェザー級選手権者.村田裕俊(八王子FSG/27歳/58.8kg)
VS
同級3位.高橋聖人(真門/19歳/58.8kg)
勝者:高橋聖人 / 0-3 / 主審:前田仁
副審:鈴木49-50. 佐藤友章47-50. 亀川47-50

◆70.0kg契約3回戦

NKBウェルター級8位.上温湯航(渡辺/25歳/69.6kg)
VS
釼田昌弘(テツ/27歳/70.0kg)
勝者:釼田昌弘 / 0-2 / 主審:川上伸
副審:前田30-30. 亀川28-30. 馳29-30

◆女子50.0kg契約3回戦

喜多村美紀(テツ/30歳/49.75kg)vs後藤まき(RIKIX/49.65kg)
引分け / 0-1 / 主審:鈴木義和
副審:前田30-30. 馳30-30. 川上29-30

◆ウェルター級3回戦

チャン・シー(SQUARE-UP/33歳/66.4kg)
VS
ちさとkiss Me(安曇野キックの会/34歳/66.5kg)
勝者:チャン・シー / 2-0 / 主審:佐藤彰彦
副審:馳30-29. 前田30-29. 佐藤友章29-29

◆フェザー級3回戦

岩田行央(大塚/37歳/57.1 kg)
VS
藤田洋道(ケーアクティブ/36歳/57.0kg)
勝者:岩田行央 / 3-0 / 主審:亀川明史
副審:馳30-27. 佐藤彰彦29-27. 川上30-27

他、5試合は割愛します。

岡田拳vs安田一平。安田の強打をかい潜り、岡田もパンチで勝負
岩田行央と二人の子供。岩田行央、話題になる存在となったが、もっとランクを上げて、またこんな姿が見られたらいい

◆取材戦記

最近のこと、ある捜し物をしていて1996年当時の私(堀田)が関わったレジャー紙のキックボクシング記事を見ると「WKBA世界スーパーライト級選手権試合」と書かれていた記事を見つけました。特に注目する問題ではありませんが、この頃の世間はまだ“選手権”が使われていたようです。

古い時代のファイティング原田さんらのプロボクシング世界タイトルマッチポスターも「選手権試合」と書かれていたものでした。輪島功一さんがチャンピオンの頃もそんな表記があったと思います。プロレスでも使われていました。

最近の人はほとんどがタイトルマッチはそのままですが、チャンピオンのことを“王者”と答えるのではないでしょうか。決して間違いではありませんが、やたらタイトルが多くて、選手紹介で過去保持したすべてのタイトルをリングアナウンサーが紹介する度に「元…王者、前…王者、現…王者」と“王者”が連発されることに何か違和感を感じることがあります。偏屈な意見ですが、ボクシングシステムを用いる競技的には“選手権者”が優先されるべきかと思います。王座を獲得した者を正確には“選手権保持者”となります。

高橋三兄弟はそれぞれが課題を抱えつつ成長を見せています。三男・聖人が村田裕俊に勝つとはちょっと驚きでしたが、そんなチャンピオンクラスに、早くに打ち勝つ素質は元からあったのかもしれません。今後はビッグイベントの「KNOCK OUT」から声が掛かることも予想されます。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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未解決のまま2年──JR東京駅コインロッカー老女死体遺棄事件の現場は今

世の中には不思議な事件が色々あるが、2015年4月にJR東京駅で起きたコインロッカー老女死体遺棄事件もその1つだ。発生からまもなく2年になるが、事件は今も未解決。現場のコインロッカーのかたわらには、老女の似顔絵が描かれた警察の情報募集のポスターが貼り出されたままだ。現場を訪ね、事件の真相に思いをめぐらせた。

現場を行き交う人々は誰も情報募集のポスターを一瞥もしない

◆身元特定の手がかりは揃っている印象だが……

事件が発覚したのは2015年5月31日。JR東京駅構内でコインロッカーに無施錠で放置されていた黄色いキャリーバッグの保管期限が過ぎたため、駅職員が中身を確認したところ、中から老女の死体が出てきたという。

警視庁によると、このキャリーバッグがロッカー内に放置されたのは同4月26日。死体の年齢は70歳以上で、身長は140センチくらい。体型はやせ型で、ベージュのカーディガンなどを着ていた。額に5ミリ大の「骨腫」のような隆起があり、歯は抜けているか、または入れ歯だったという。

老女の死体はこのような特徴的な容姿をしていたうえ、埼玉県西部のパチンコ店で配られたタオルも一緒にキャリーバッグに入れられていたとの報道もあった。これほど手がかりがあれば、すぐに死体の身元は判明しそうなものだが、そうはならなかった。警視庁は老女の似顔絵やキャリーバッグの写真も公開して情報を求めているが、有力な情報が集まらないまま時間ばかりが過ぎているようだ。

◆犯人の目的は一体何だったのか?

現場を訪ねてみたところ、問題のコインロッカーは丸の内南口の改札を入ってすぐの場所にあった。通勤時間帯ということもあり、実に多くの人が行きかっていた。しかし、コインロッカーのかたわらの壁に貼られた老女の似顔絵が印象的な情報募集のポスターに、行き交う人々は一瞥もせずに通り過ぎていく。こうした状況を見ると、都会の人たちの自分以外の人間への無関心さが警察に有力情報が集まらない原因の一つではないかとも思わされた。

それにしても、と気になったことがある。犯人がここに老女の死体を遺棄した目的だ。

というのも、死体には事件性を疑わせる痕跡はなかったとされるが、老女の死の原因が何であれ、東京駅のコインロッカーに人間の死体など入れていたら、いずれ発見されることは犯人も当然わかったはずだ。それにも関わらず、犯人が老女の身元特定を困難にするために何らかの工夫をした形跡はまったく見受けられない。犯人はおそらく死体が見つかっても構わないと思っていたのだろうが、それならばここに死体を遺棄した目的は何だったのか……。

ただ一つ確実だと思えるのは、老女は社会との接点が乏しく、孤独な人だったのだろうということだ。老女が普通に社会生活を営み、家族と仲良く暮らしているような人ならば、さすがに2年も身元不明のまま放置されることはないはずだからだ。

現場のコインロッカー周辺を足早に行き交う人々の流れを見ながら、ふと切ない思いにさせられた。

現場のコインロッカーのかたわらに貼られた情報募集のポスターは独特の雰囲気

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
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