7年前の今日。2006年1月10日。沢口友美が、44歳という若さでこの世を去った。
朝早く東京を発った筆者は、彼女が入院する広島の呉の病院に、昼頃に着いた。
見舞いに来たつもりだった。彼女の病室を看護師に訊くと、「今朝亡くなりました」と告げられた。霊安室で、遺体となった彼女と対面した。
沢口友美は「反戦ストリッパー」として、皆に愛されていた。
彼女は高校を卒業して、自衛隊に入隊した。配属されたのは、隊内の通信を扱う「基地通信」という部署。
1979年から呉駐屯地で2年勤務し、埼玉の朝霞駐屯地に配属された。

その昔、冤罪を訴える人の再審が開かれるというニュースを聞くと、随分珍しいことが起きたような気がしたものだ。ところが、近年は足利事件に布川事件、東電OL殺害事件・・・・・・と毎年のように再審無罪判決や再審開始決定が出るようになった。2013年もまた、何か新たな再審の動きはあるだろうか。
私がミャンマーへ行ったのは、ひとえにミャンマー人である夫の家族、親族に娘(0歳11カ月)を会わせるためだった。