【緊急NEWS!】私を嵌め逮捕 ― 長期勾留 ― 有罪判決を強い、鹿砦社に壊滅的打撃を与えた旧アルゼ創業者(元)オーナー・岡田和生氏の逮捕に思う 鹿砦社代表・松岡利康

岡田逮捕を報じる8月6日付けロイター電子版
同じく朝日新聞8月7日朝刊

例年にない猛暑のさなか、今夏はいろいろなことが慌しく起きます。こちらも例年にないことです。特に『真実と暴力の隠蔽』出版以降、木下ちがや氏らとの座談会での同氏の発言問題、師岡康子弁護士メール問題、金明秀関西学院教授暴行・不正問題、M君リンチ事件控訴審、鹿砦社と対李信恵氏の訴訟……詳細はこれまでの本通信で報告していますので、ここでは省きます。

そうして、ここに来て、私、および鹿砦社にとって衝撃的なニュースが飛び込んできました。

13年前の2005年7月12日早朝、パチスロ・ゲーム機大手の旧「アルゼ」(現「ユニバーサルエンターテインメント」。UE社)の創業者(元)オーナーらによる、「名誉毀損」名目の刑事告訴で、神戸地検特別刑事部が鹿砦社本社、東京支社、松岡の自宅を一斉に急襲し大掛かりな家宅捜索を行い、私を逮捕したのです。以後私は192日間もの長期勾留、そして有罪判決、さらに民事訴訟でも600万円余りの損害賠償を下されました。突然のことでもあり、鹿砦社は壊滅的打撃を蒙りました。この年の4月、『紙の爆弾』を創刊したばかりで4号を出したばかりでした。

ちなみに『紙の爆弾』は、ただ一人残り踏ん張った中川志大によって維持され現在に至っています。中川が出版界で信用があるのは、逃げずにたった一人で踏ん張ったことによっています。仮に今後、『紙の爆弾』や鹿砦社に同様の弾圧が来ても、地獄に落され地獄を見た私たちは耐えれる自信があります。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日付け朝刊

それまでに、鹿砦社はアルゼについて4冊の書籍を発行し、パチンコ・パチスロ・ゲーム機業界で話題になっていました。これは、ゲーム機大手SNKとアルゼの抗争で、当時SNK本社ビルの1~2階でパソコンショップを開いていて、アルゼによるSNKビルの差し押さえで閉店を余儀なくされた、鹿砦社の大株主A氏による情報提供によるものでした。詳しくは4冊の書籍をお読みください。

鹿砦社のアルゼ告発書籍

アルゼは当時、退職して間もない警視総監が顧問に就いたり、警察天下り企業として有名で、私が逮捕された時でもキャリアが雇われ社長で証人尋問にも出廷しました。もちろん、告訴人の岡田氏や女性元幹部も出廷し、私が「蛇蝎のような執拗さで」(女性元幹部の言)アルゼや彼らの名誉を毀損したということを白々と「証言」したのです。13年前の真夏の出来事が昨日のことのように想起され、思い出すだに涙が出ます。

今回の岡田氏の逮捕の詳細はまだ判りませんが、今後、起訴され有罪判決を受けるということにでもなれば(すでに起訴されていることもありえます)、フィリピン・マニラで進行中のカジノや、米国ラスベガスで取得しているカジノ機器製造・販売のライセンスは取り消しになる可能性もあります。特に米国のライセンスは厳格です。UE社の現幹部が一番懸念するのはこのことだろうと察せられます。

これまで、私たちも取材に協力したロイター通信や朝日新聞の報道でも一部明らかになっていますが、フィリピン・マニラでのカジノ開発では政府高官らへの賄賂が取り沙汰されてきました。FBIが動いたとの報道もありました。ロイターや朝日の報道はほぼ事実だと思われますが、うまく切り抜けてきました。

カジノ設置をめぐる不正を報じる朝日新聞2012年12月30日付け朝刊

このかん、岡田氏は香港に居を移し、フィリピン・マニラでのカジノ開発に専念していたと推察されますが、日本国内では水面下で、子飼いの幹部や実の子どもらによるクーデター計画が進行し、昨年の取締役会、株主総会で、みずからが設立し育てた会社から放逐されるに至っています。

ところで、「因果応報」という諺があります。人を嵌めた者は、いつか自分にはね返り、今度は人から嵌められる――古人はよく言ったものです。

岡田氏は、私や鹿砦社だけでなく、似たようなことをたびたび行っていたといわれます。岡田氏のUE社からの放逐、そして今回の逮捕劇にも蠢いた輩がいたものと思われます。

私の「名誉毀損」逮捕劇には岡田氏以外にも、驚くべき失脚劇がありました。「松岡の呪いか、鹿砦社の祟りか」と揶揄される所以ですが、2つの事例を挙げておきます。

2005年4月、大坪弘道検事が神戸地検特別刑事部長に赴任してきます。そして、最初にやった仕事が私の逮捕でした。その後、宝塚市長逮捕、神戸市議会の大物議員の逮捕と続き、大坪検事は大阪地検特捜部長に栄転しますが、厚労省郵便不正事件おいて証拠隠滅で現職の特捜部長が逮捕され失職するという前代未聞の事件に巻き込まれます。

大坪検事逮捕を報じる朝日新聞2010年10月2日付け朝刊

また、大坪特刑部長の下で主任検事として動き私に手錠を掛けた宮本健志検事(鹿砦社の地元甲子園出身!)は、私らの逮捕事件後、徳島地検次席検事に栄転したところ、深夜に泥酔し一般市民の車を破損させ検挙され(示談成立し立件されず)、戒告・降格処分を受けます。

宮本検事不祥事を報じる徳島新聞2008年3月26日付け朝刊

やれやれ〝立派な〟人たちに翻弄されました。幸いに心あるライターさんや取引先の方々のご支援で再興することができましたが、今は笑って当時のことを語ることができるようになりました。

岡田氏、および事件の今後の推移に注目したいと思います。

8月6日付けのUE社のメッセージ
『紙の爆弾』9月号

8月9日長崎の日 すべての生物のために核兵器・核発電の一刻も早い全廃を!

8月6日、本通信にわたしは明日8月9日「長崎の日」に対してずいぶん冷淡な記事を書いた。わたしは8月9日長崎の手触りを知らない。空気を知らない。どんな会話が交わされたのかも知らない。1945年8月6日の広島について、8月9日の長崎と比すれば桁違いの逸話を聞かされていた、例外的少数の感想とご理解いただければ幸いだ。

であるからといって、8月9日の重要性が1ミリも揺らぐものではない。今日中心となっている「プルトニウム型原爆」が投下されたのは、長崎が歴史上はじめてであったのだから(広島に投下されたのは「ウラン型原爆」である)。さらに我田引水を読者諸氏に強要すれば、長崎もわたしにとっては無縁な街ではない。

◆造船技術者だった祖父の長崎

わたしがなぜ、いま生命体として存在できているのか。その大きな理由の一つは、わたしの祖父が造船技術者で、徴兵されることがなかったことに由来する。生前祖父は「旧制高校時代の同級生はほとんど戦死した」と語っていたので、仮に祖父が造船技術者でなければ、祖父も中国戦線(もしくは他のアジア地域)に送り出され、戦死していた可能性が高いだろう。

祖父は1945年8月6日には広島にいた。が、その前の赴任地は長崎であった。戦況と会社都合で造船所のある場所を頻繁に転勤していたそうだ。祖父逝去後、長崎に居住していた頃、家族が住んでいた場所を訪れたことがある。軽自動車も通ることができない細い急勾配の斜面に、古くからの住宅が並んでいた。25年ほど前だが斜面の細い道を上っていると、宅配便を運んでいる馬とすれ違った。

高齢ながら健脚だった祖母が、周りの景色を記憶していて、かつての居住地にたどり着くことができた。いま(25年前)でも馬が運送に使われるような細道であるから、当然わたしの親族が暮らしていたころは、人力が主たる運搬手段だったのだろう。その場所は周りの古い建物と同一ではなく、空き地になっていた。

海からさほど遠くはないが海抜は100m近くあるだろう。空き地に育った雑木の間からは長崎市内が見渡せる。おそらく戦中からの建物と思われる住宅も多数見当たったので、その場所は原爆被害を直接には受けはしなかったと思われる。

◆愛国婦人会だった祖母の「反戦思想」

生前の祖母は、軍国主義真っただ中の時代を生きたとはいえ、かなり冷めた目で時代を見ていたようだった。「愛国婦人会」のタスキをかけて集合写真に写っている祖母は、おそらくは当時一言も口にしたことはなかったろうけれども、激烈と表現してよいほどの「反戦思想」の持ち主だった。

政治思想に明るいわけではないけれども、祖母の残した日記には、戦争中の有り様を思い返し、二度と戦争を起こしてはならないことを、何度も書き綴っていた。そして日本ファシズムの元凶が天皇制にあることを指摘し、「『君が代』に変えて国歌を提唱する」とし、日本の自然風景の豊かさを詠んだ独自の「国歌」試案までが綴られている。

「男は本当に喧嘩や戦争ばかりしたがるね」

生前祖母は嘆いていた。でも2018年8月9日、「喧嘩や戦争をしたい」とは明言しないまでも、戦争に向かおうとする勢力を選挙で支持する女性も少なくなくなった。かつては選挙権すら与えられなかった女性の中から、「八紘一宇」を称揚したり(三原じゅん子参議院議員)、死刑を13名執行したりする人間(上川陽子法相)が続出している。

男女同権は、「男権」の負の遺産を女性が引き継ぐことを指向したのではなかっただろうに、祖母が生きていればなにを語るだろうか。

◆今年は国連事務総長が初めて長崎訪問へ

そして「核兵器禁止条約」にどうして、2度の原爆を投下された、日本政府は参加しなかったのか。核保有国やNATO各国が嫌がるであろうことは理解できる。けれども明確な攻撃目標として非戦闘地域に「原子爆弾投下」を2回も受けた日本政府が参加しなければ、核廃絶に向けて世界が動き出せるのか。「ああ、また日本は米国追従だ」と世界中の4000を超える言語で日本の「不可思議さ」は呆れられていることだろう。

田上富久長崎市長は例年、祈念式典でまっとうなメッセージを発している。スピーチライターが広島と長崎で少しだけ細部を変え準備した原稿を、棒読みする安倍とは違い、踏み込んだ発言が世界から注目される。今年の8月9日は国連事務総長が初めて長崎を訪問するという。形式的にしろ、歓迎すべきことであろう。

あらためて、いまを生きる若者と、後世の人類、そしてすべての生物のために、核兵器、核発電は一刻も早く全廃するように、亡き祖母とともに、微力を承知で呼びかける。


◎[参考動画]2017年8月9日の長崎平和宣言 長崎平和祈念式典(yujiurano 2017/8/9公開)


◎[参考動画]Atomic bombing of Nagasaki (BBC Studios 2007/7/24公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊!『紙の爆弾』9月号
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本日発売『紙の爆弾』9月号に黒藪哲哉氏が〈三宅雪子元衆議院議員の支援者“告訴”騒動にみるツイッターの社会病理〉を寄稿

 
本日発売!月刊『紙の爆弾』9月号

本日7日発売の『紙の爆弾』9月号にジャーナリストの黒藪哲哉氏が〈三宅雪子元衆議院議員の支援者“告訴”騒動にみるツイッターの社会病理〉を寄稿している。この問題はデリケートであるので、これまで何回か書こうか、書くまいか思案していたが、同記事が世に出たこともあり、私見を開陳したい。

◆多発するSNSの副作用

黒藪氏の記事では〈ツイッター〉だけに限定されているが、Facebook、インスタグラムをはじめとする各種SNS、さらには動画配信や中継機能が手軽に伝えることになり、思わぬ副作用が多発していようだ。

これらの媒体は宣伝や広告として利用すれば、商売や市民運動など、目的を持った団体らには、非常に低コストで便利な情報伝達ツールとなる。現に「デジタル鹿砦社通信」もツイッター経由でお読みいただいている読者が多数であろうし、それをリツイートしていただくことで、わたしたちの原稿を読んでいただける可能性が広がる。十分に使い切れているかどうかはともかく、本通信もツイッターに一定程度依拠して拡散を期待している。ポイントは本通信のように購読は無料であっても出版社の発信の一環として利用されようが、商品の宣伝を行おうが、あるいは、まったくの個人がなにを書こうが、利用料金は「無料」であることである。

ツイッターには利用規約があるが、これは「契約」ではないから、ツイッター社も利用者も、双務的な責任や義務を負わない。ツイッター社は好き勝手に規約を変えられるし、規約違反とみなせばアカウントを凍結したり、ブロックすることができる。その基準は一応示されてはいるけれども、実際は厳格なものではない。

◆ツイッター社は一民間企業である

わたしはツイッター利用者ではないが、本原稿を書くにあたり、過日アカウント作成の実験をしてみた。どういうわけか、日本語ではなく英語のアカウント作成画面が表示され、指示通りに必要事項を記入していったらアカウントは出来た。そこで試しに「やったね」、「さすがだね」、「ざまあみろ」と多義的にとらえられる短い英語のフレーズを書き込んだ。誰に向けてというわけではない。

翌日再度確認しようとアカウントを開こうとするも、「あなたはロボットですか?」という英語の問いが返ってくるばかりで、アカウントにログインできない。説明文章を読むとどうやら1つ書き込んだだけで「凍結」されてしまったようだ。

こういう理不尽な出来事があることは、利用者から多数耳にしていたし、前述の通りツイッター社は公的サービスを提供しているわけではなく、一民間企業に過ぎないから、公平にサービスを受けられなくても仕方がないのだろう、と実感した。

◆「ツイッター仕様」の思考という病理

最大の問題点は「無料」で、誰もが利用できるサービスなので、他者のチェックなしに、不用意な書き込みが横行する宿命を負うことである。しかもツイッターは141文字の中でなんらかを表現したり、述べたりしなければならない制限があるため、勢い論理ではなく感情が先行する書き込みが増える。あるまとまった考えなり意見を述べるのに、141文字は少なすぎる。新聞の一番小さい記事がどのくらいの文字数があるか比較されるとわかりやすいだろう。小さな事故や地震などを扱う記事や、訃報などを除いて、100文字以下の記事はそうは見当たらない。

事実を正確に(5W1Hを含め)伝えようとすると、最低数十文字を要するので、それについての意見や論評を加えようとすると、141文字では不足する。のであるが、ツイッターを利用している方は、利用頻度が高いほど141文字内での発露技術が磨かれる。技術と同時に、思考の射程距離も141文字で完結させるようにトレーニングされてしまう。もちろんほかに複雑な出来事は日常生活に溢れているのだから、ツイッターを使っているからと言って思考が短絡化するとわけではない。しかしツイッターに向かい合ったときは「ツイッター仕様」の思考へと自然に脳のスイッチが切り替わる現象が起こってはいないだろうか。

さらに重大な問題点は、過度にツイッターへ依拠し過ぎることの危険性である。課金されたいだけに、依存傾向に陥るとなかなか抜け出すことができない。黒藪氏が取り上げた三宅雪子元衆議院議員にもそのような傾向がみられるという。

たしかに数多くのひとびとがツイッターを利用し、その閲覧は公開されているものであればアカウントを持たない人でも可能であるので、手軽な発信手段ではある。しかし「この人がこんなひどいことを平気で書くのか」と見て呆れるような書き込みにぶつかることは少なくない。それが社会問題化することまであり、ツイッターが原因で民事、刑事事件にまで発展してしまう事例も他人事ではない、と黒藪氏は警鐘を鳴らしている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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8月6日広島の日が「歴史」の教科書の中に封印されることを拒否するために

◆「正史」の嘘くささ

戦国大名の功罪や、古代遺跡などに、とんと興味がわかない。それだけではなく「歴史」と名付けられ、教科書にかかれて教えられると、多少はみずからに無関係ではない、と感じていた出来事にも、とたんに興味を失う。

その理由は、暗記教育を中心とした「歴史」にたいして、わたしの脳が充分に対応することができなかったことが第一であるが、次いでの理由は公教育で教えられる「歴史」がつねに、すべからく「勝者」の側からだけ描かれた「正史」に偏っていたことも原因だろう。嘘くさくて面白くないのだ。

恥ずかしい話だが、近現代から逆に中世、古代へ関心を抱いたのは、教科書には書かれていない史実、いわば「外史」(あるいは「叛史」)の断片に触れて以降であった。

また、すでに半世紀以上だらだらと生きてきた中で、わたしが「見聞きして知っている」ことがらが、「歴史」として「記憶」から「記録」へと置き換えられるような体感を近年とみに痛感する中で「歴史」に向かい合うべき、みずからとはどうあるべきなのか、という命題と逃げ道なく直面している。「おいおい、ちょとまってくれ」と強く感じる。もうわたし自身が「歴史」にされそうな息苦しさ。誇張ではない。

◆8月6日を「歴史」の教科書の中に、穏やかに鎮座させてもらっては困る

70何回目か、回数はもはやどうでもよいだろう(このあたりですでに「歴史」と向き合う命題から逃げているのかもしれない)。8月6日がやってきた。もちろんあの日の朝、広島にわたしがいたわけではない。でも、あたかもあの朝何が起こったのかを、みずからの「記憶」として語り尽くせるほどに、わたしには祖父母、叔父叔母、母親からの聞いた無数の「記憶」蓄積がある。

爆心地近く、数キロ先、やや郊外と視点は複数であり、その眼の持ち主の年齢も児童から成人までバラバラだ。むしろ、だからこそ、わたしは映像でしか知りえないはずの光景を、二次元や触感のないものとしてではなく、ホコリや、死体の姿、そこに漂う匂いやひとびとの呆然とした表情を体感したかの如く、錯覚し、思い描き語ることができるのだ。建物が壊れる音も実際に聞いたようにすら感じる。

たしかに、その一部は記録を通じてわたしが「記憶」したものとの混同もあろう。それは認めなければならない。しかしながら、わたしにとっては8月6日を「歴史」の教科書の中に、穏やかに鎮座させてもらっては困る、という意識が動かしがたいのだ。さらに偏狭な心中を告白すれば、わたしにとっては8月6日と8月9日も同一のものではない。8月6日にはいくらでも語ることができる細部があるが、8月9日については、第3者的な伝聞情報しか持ちえない(もちろん、そのことが8月9日の意味を減ずるものでは、まったくない)からだ。

◆肉感をともなった「外史」の編纂は不可能か

では、「記憶」や「体験」によってしか「歴史」、なかんずく勝者や権力者が描く「正史」に対抗する、肉感をともなった「外史」の編纂は不可能なのであろうか。「日本史」や「世界史」の教科書に収められたとたんに色あせる、あの「記憶」から「記録」への置き換えに対抗する術はないものか。時間の経過と比例する「記憶」の減衰は、いたしかたのないこと、として過去から現在、そして未来永劫甘受するしか方法はないのか。

「記憶」の「記録」、言い換えれば現象や体験の無機質化に対抗するすべは、おそらくある。それは「正史」支持者が常用する手法を凝視すれば、手掛かりが見えてくる。「歴女」などという奇妙な言葉があったではないか。「歴史好き」な女性を指す、奇妙な造語だ。彼女たちの多くは、倒幕の功労者や、戦国時代の大名を中心に興味を持っていたと報じられて「へー」と半ば、呆れた記憶がある。間違っていれば申し訳ないだが、彼女たちの多くは「樺美智子」、「2・1ゼネスト」、「大杉栄」、「琉球処分」、「シャクシャインの闘い」などに興味や関心はわかないことだろう。

8月6日がおさまりよく、「歴史」の教科書の中に封印されることを拒否するために、わたしはあの日、あの朝広島にいた者の、直系親族として8月6日広島を「記録」にしないために輪郭を残そうと思う。それを可能たらしめるのにもっとも有効であるのは、広義の芸術であろう。実証的な数値をいくら読み上げても興味のない世代には訴求しない。そのことはこれから、否すでに健康被害を受けている可能性が少なくない若年層に放射能の危険性が、ほとんどといってよいほど訴求しない現実を直視すれば理解されよう。

活字は厳しい、音楽はあいまいに過ぎる。受容可能性が最も高い伝達術は、視覚への訴求であろう。映像やアニメーションだ。日本政府は例によっての愚策、“Cool Japan”との耳にするのも恥ずかしい、的外れな外国への宣伝プロモーションに無駄なカネを使ってきた。その中には「アニメーション」も含まれている。日本のアニメーションの評価はたしかに高い。政府の援助などなくとも世界中に訴求する。ドキュメンタリーでもいい。「記憶」を封印させないために8月6日を正面に据えた、ドキュメンタリーやアニメーション(これまでもなかったわけではない)が、次々とうまれ、世界に浸透していく……。連日最高気温が38度を超える夏の日に、そんな幻を妄想する。


◎[参考動画]In this Corner of the World(映画『この世界の片隅に』片渕須直=監督・脚本/こうの史代=原作)Hiroshima Bomb scene 1945 https://konosekai.jp/


◎[参考動画]Hiroshima atomic bomb: Survivor recalls horrors(BBC News 2015/8/5公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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MuayThaiOpen 世代交代が進む中にもベテランの意地!

貴センチャイジム vs 岩浪悠弥。岩浪悠弥の左フックが貴にヒット
パンチの交錯、貴を研究した岩浪のパンチが上回る

42回目を迎えたムエタイオープン興行。貴センチャイジムはアゴを打ち抜かれて王座陥落、NOWAYはヒジ打ちで劇的勝利。

ルンピニースタジアム王座へ向けて、下部タイトルでも熾烈な戦いが繰り広げられました。

この日、来賓としてタイ国からWBCムエタイ役員で、アメリカでムエタイスクールを開校しているというノックウィード・スリアムタイ氏が、この日のタイトルマッチの立会人としてレフェリングも担当されました。

◎MuayThaiOpen.42 / 2018年7月22日(日)新宿フェース16:30~20:20
主催:センチャイジム
認定:ルンピニー・ボクシングスタジアム・オブジャパン(LBSJ≒LPNJ)

◆第12試合 MuayThaiOpenバンタム級タイトルマッチ 5回戦

Champ.貴・センチャイジム(センチャイ/53.4kg)v
VS
JKイノベーション同級Champ.岩浪悠弥(橋本/53.45kg)
勝者:岩浪悠弥 / TKO 4R 2:56 / 主審:ノックウィード・スリアムタイ

貴センチャイジムは経歴長く、幾つかの国内タイトルと世界の称号のタイトルも獲得している33歳のベテラン。長身からくる手足の長さが武器となる技と首相撲からの膝蹴りも得意とする。しかし打たれ脆さが目立つこの頃。

若い20歳の岩浪が狙うのはそのアゴかと注目される中、第2ラウンド、ローキックでやや優勢気味の岩浪がパンチの打ち合いに入った一瞬、連打から左フックを合わせ、ダウンを奪う。

岩浪の更なる左フックをヒットさせ貴からダウンを奪う
岩浪の立て続けの左フックに貴は完全に立ち上がれないダメージを負う
二つ目の国内王座を制した岩浪悠弥、センチャイ代表、ノックウィードレフェリー、ラウンドガールに囲まれる

技量・総合力が現れる第3ラウンド以降に入る中、貴は組み合ってのヒザ蹴りで挽回を狙うが、第4ラウンドには接近戦で岩浪の左フックがヒット。組んでの崩しに出る貴だが、岩浪の左フックに2度倒されレフェリーに止められました。

両者は2016年7月17日にルンピニージャパン・スーパーフライ級王座決定戦で対戦、貴が首相撲で優位に進め、僅差の2-1判定で王座奪取していますが、岩浪はその雪辱を果たしました。

貴(たかゆき)センチャイジム:37戦26勝(6KO)9敗2分
岩浪悠弥(いわなみゆうや):24戦16勝(2KO)7敗1分

◆第11試合 MuayThaiOpenフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.翔貴(岡山・水島/57.1kg) vs NOWAY(NEXTLEVEL渋谷/57.15kg)
勝者:NOWAY / TKO 3R 2:47 / 主審:少白竜

NOWAY vs 翔貴。若い翔貴に打ち勝った37歳NOWAYの左ミドルキック
裂傷を負った翔貴はダメージ深くすぐには立ち上がれず
翔貴 vs NOWAY。NOWAYの左ヒジ打ちが翔貴の左目上にヒット
諦めなくてよかったと語ったNOWAY。デビューから10年の開花

ローキックを軸にパンチの交錯が始まる。第2ラウンドに入ると主導権争いは、距離感を掴みリズムに乗っていった37歳のNOWAY。第3ラウンドもヒットが目立っていく中、翔貴がパンチで出てロープ際に迫ったところでNOWAYの左ヒジ打ちがカウンターで翔貴の顔面にヒット。翔貴は顔面をカットされるとともにダメージで立ち上がれそうになく、カウント中にレフェリーストップされました。

翔貴(しょうき):27戦10勝(6KO)12敗5分
NOWAY:19戦13勝(1KO)4敗2分

◆第10試合 ルンピニージャパン・スーパーライト級王座決定戦 5回戦

2位.実方拓海(TSKJapan/63.0kg) vs MOD-X・センチャイジム(タイ/63.25kg)
勝者:実方拓海 / 判定3-0 /主審:河原聡一
副審:田中49-47. 少白竜49-47. ノックウィード48-46

ローキックの攻防から、次第にロープ際に下がるMOD-X。パンチで出る実方に対し、ロープやコーナーに下がる展開が多くなりながらも蹴られたら蹴り返すMOD-X。

組み合えばムエタイ技を発揮し崩しもあるが、パンチとローキックの離れた攻防となるとロープ際に下がるMOD-X。第5ラウンドの終盤には、これで時間稼ぎして終わろうとしたような動きの残り時間少ない頃、MOD-Xにパンチのラッシュを掛ける実方。連打を浴びグロッギーになったMOD-Xはスタンディングダウンを取られる。

MOD-X vs 実方拓海。打ち合えば実方が圧勝しそうな勢い
スタンディングダウンを喫したMOD-X、意外な結末だったか
王座奪取に喜ぶ実方拓海のインタビュー姿

こういう出て来ないスタミナ足りないタイ戦士にラッシュしてくれたことには、ファンのストレス発散させてくれた結末。大差にならぬもノックダウンの差は大きく現れ、判定で実方が勝利を掴む。

実方拓海(さねかたたくみ):18戦13勝4敗1分
MOD-Xセンチャイジム:72戦51勝20敗1分(推定)

◆第9試合 MuayThaiOpenバンタム級挑戦者決定戦3回戦

鳩(=あつむ/TSKJapan/53.1kg) vs 飯尾馨一(=いいおけいいち/ストライブル世田谷/53.15kg)
勝者:鳩 / TKO 2R 2:42 / パンチによる連打でダウン、レフェリーストップ
主審:北尻俊介

鳩:20戦12勝(10KO)7敗1分
飯尾馨一:6戦2勝3敗1分

◆第7試合 ライト級3回戦

笠原淳矢(=かさはらじゅんや/フォルティス渋谷/60.85kg)
VS
亜努(=あとむ/新宿スポーツ/61.75kg)520gオーバー、減点1とグローブハンディー有り。
勝者:笠原淳矢 / 判定3-0 / 主審:田中浩明
副審:北尻30-26. 少白竜30-26. 河原29-26

笠原淳矢:43戦16勝(3KO)24敗3分
亜努:14戦6勝8敗

◆第6試合 80.0kg契約3回戦

ナンファーCHU(ANT/78.9kg) vs ルンラウィー・OZGYM(タイ/70.2kg)
勝者:ルンラウィー / 判定0-3 / 主審:ノックウィード
副審:北尻28-29. 田中28-30. 28-29

ナンファー:9戦4勝(2KO)5敗
ルンラウィー:61戦41勝18敗2分(推定)

◆第5試合 LPNJ U-15 -50.0kg3回戦(2分制)

花岡竜(橋本) vs 松田虎之介(ストライフKB)
勝者:花岡竜 / TKO 2R 0:47 / 続行中のタオル投入による棄権
主審:少白竜

◆第4試合 バンタム級3回戦

壱(=いっせい)センチャイジム(センチャイ/53.35kg) vs 渡辺亮(武風庵/52.9kg)
勝者:壱センチャイジム / TKO 1R 1:45 / カウント中のレフェリーストップ
主審:河原聡一

壱センチャイジム:4戦3勝1敗
渡辺亮:9戦3勝(1KO)6敗

◆第3試合 70.0kg契約3回戦

齋藤敬真(=さいとうけいま/インスパイヤードM/69.1kg)
VS
吉田英司(クロスポイント吉祥寺/69.45kg)
勝者:吉田英司 / KO 2R 0:55 / 3ノックダウン
主審:北尻俊介

齋藤敬真:7戦5勝(3KO)2敗
吉田英司:4戦3勝1敗

◆第2試合 スーパーフェザー級3回戦

ウルフ タツロウ(ANT/58.8kg)
VS
角谷祐介(=かくたにゆうすけ/NEXTLEVEL渋谷/58.65kg)
勝者:角谷祐介 / 判定0-3 / 主審:田中浩明
副審:少白竜28-30. 北尻28-30. 河原28-29

ウルフ タツロウ:7戦4勝2敗1分
角谷祐介:9戦6勝1敗2分

◆第1試合 45.0kg契約3回戦(2分制)

Sae_KMG(クラミツ/44.7kg) vs ピーポー梨乃(ストライフ/42.9kg)
勝者:Sae_KMG / 判定2-0 / 主審:田中浩明
副審:少白竜30-29. 北尻29-29. 河原29-28

Sae_KMG:7戦3勝3敗1分
ピーポー梨乃:2戦2敗

《取材戦記》

上位王座も下位王座も関係なく入り乱れる交流戦。世界の称号を持っていても国内王座に挑む現象は、任意団体の似たもの王座であることが浮き彫りとなっています。

NOWAYが勝利者インタビューで「皆さんに言いたいのは、何でもいいので、自分が一生懸命になれるものをずっと続けていると、いつか結果が出るということで、諦めなくてよかったと思います」とアピール。27歳と遅く始めてもそれが実ることを実証されました。他にも30歳越えてデビューした選手も多い大器晩成の時代でしょうか。

センチャイジム主催のMuayThaiOpen興行も2005年から数えて42回目。この継続力も凄いことで、また過去の「タイファイトエクストリームやムエタイTOYOTA CUPのようなビッグ興行やってよ」とセンチャイ会長にお願いにしたいところです(無理難題と知りつつ)。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

8月7日発売『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

【緊急報告!】8・2金明秀暴行&不正問題で関西学院大学と被害者A先生が加盟する「新世紀ユニオン」との団交行われる! 関学側「調査委員会」設置を約束‼ 鹿砦社特別取材班

8月2日13時から15時まで、大阪梅田の梅田アブローズタワー会議室で、関西学院大学と、金明秀教授による暴行被害者A先生が加盟する新世紀ユニオンとの団体交渉が行われた。関西学院大学からは柳屋孝安副学長(法学部教授・労働法専門)をはじめ、人事部部長や社会学部事務長ら6名が出席した。組合側からはA先生とご伴侶はじめ7名が参加した。

双方が自己紹介を終え、団交に入るとまず角野新世紀ユニオン委員長が関学に対して、就業規則の開示、パワハラ等の相談窓口の規則・内規等の開示を求め、大学側は開示を約束した。同時に両者間で和解が成立しているからといって、大学には「使用者責任」(民法715条)「安全配慮義務」(労働契約法第5条)があり、それが果たされているかを検証する質疑がなされた。

関学側の回答者は主として柳屋副学長であったが、社会学部事務長によると、A先生が金明秀教授により暴行を受けたと知ったのが2013年5月20日。同月の後半に当時の学部長から金明秀教授に「口頭注意」があったことが明かされた。ただし社会学部事務長はその詳細についての資料を持参しておらず、「口頭注意」がいつ、どのような内容で行われたかが不明であったので、組合側はその記録を後日開示するよう求め、柳屋副学長は「検討する」と回答した。ただし「口頭注意」は同学の規定上「処分ではない」ことを柳屋副学長は明言した。

大学側はこの事件にかんして、「いろいろやっている」と語ったが、その内容はA先生の研究室を別の建物に移動した(A先生の希望ではない)、大学に届いたA先生宛の荷物を研究室に運ぶ、試験監督の日が金明秀教授と重ならないように配慮しているなどであった。たしかに「A先生に対して全く何もしていない」わけではないことはわかったが、本来研究室を移動すべきは、加害者である金明秀教授ではないのか。さらに、A先生は金明秀教授が教授会に出席しているために、教授会に出席することができていない。大学教員にとって教授会に出席できないことは大きなマイナスであるが、この現実への対応や配慮は大学側から、全くなされていない。

そして驚いたのは、2013年5月後半に当時の学部長が金明秀教授を「口頭注意」したのち、大学は調査委員会を設けることはおろか、金明秀教授になんらの処罰も行っていないことが明らかになったことである。柳屋副学長は「当時双方が代理人を立てて、和解の可能性もあったので大学が口を挟むことは控えた」と語ったが、これは全く失当な発言である。結果として同年8月に和解が成立したものの、当初金明秀教授の代理人は、金明秀教授の非を全く認めておらず、仕方なくA先生は警察に告訴をし、受理されているのだ。刑事告訴を金明秀教授側に伝えたところ、急に態度が一変し和解へと向けた交渉へと方向性が変わっているのが事実だ。だいたい「代理人を立てた」ら「大学は口を挟まない」理由の合理性はどこにも見当たらず、まさに「使用者責任」(民法715条)、「安全配慮義務」(労働契約法第5条)違反は明らかだ。

そして柳屋副学長は「A先生が13発殴られ、声帯が破損していたのが事実であれば酷いと思う」と言いながらも、A先生が持参した金明秀教授代理人から暴行を認める内容の文書を柳屋副学長に示し、読み上げるも「どこにも13回殴ったと書かれていませんね」と回数に拘泥し、A先生はこの発言を受け、精神状態に悪化をきたしはじめた。殴った回数が問題なのか?

その後驚くべきことに柳屋副学長はA先生を「金先生」と(!)被害者を加害者の名前で呼んだ。いくらなんでも被害者を目の前にした団交の席で被害者の名前を加害者で呼ぶのは、過ちであったにしろ取り返しのつかない重大な無礼だ。この行為が仮に金明秀教授に対して行われていれば、彼は「劣悪なレイシャルハラスメントだ!」と激怒したことであろう。

◆「次なる暴行事件」が起きるまで「待つ」というか?

さらに金明秀教授からはもう1件暴行を行ったことを聞いていると柳屋副学長は発言したが、その暴行は木下ちがや氏に向けてのものであることが、2週間前の聞き取りで判明したことを認めた。2週間前には組合が既に団交を申し入れており、団交の申し入れがなければ関学は木下ちがや氏に対する金明秀教授の暴行事実も知り得なかったと考えるのが妥当だろう。そして木下ちがや氏への暴行も「口頭注意」で済まされている。

そして柳屋副学長はA先生への暴力事件で「口頭注意」をし、木下ちがや氏の件で「口頭注意」をしたので「次は懲戒処分になると思う」と発言した。ということはもう1件の「暴力事件」がなければ金明秀教授には、何のお咎めもなしということか。2件の暴行事件を確認している関西学院大学は「次なる暴行事件」まで「待つ」というのだろうか。

しかし、ここに柳屋副学長が見落としている重大な事実がある。金明秀教授についての「口頭注意」は、われわれが知りうる限りでも、これで3度目である。2016年8月23日、取材班が金明秀教授に電話取材を行った際、M君に関する下記の書き込みを行ったことについて「口頭注意」を受けたことを金明秀教授は自ら認めている(『反差別と暴力の正体』77頁)

金明秀(キム・ミョンス)関西学院大学社会学部教授が2016年5月19日、ツイッター上でM君に向けて行った書き込み

また、A先生が大学に訴えている別件のハラスメントの申立てについて、驚くべき事実が明かされた。関西学院大学では「療養規定」(体調不良などで仕事を休む制度。正規の給与と賞与が支払われる)の教員が、別の大学で非常勤講師を勤めることを「例外的」に認める場合があるというのだ。病気や体調不良で本来の仕事ができなくて、休んでいる教員がよその大学で仕事をすることが認められる場合があると柳屋副学長は断言した。

このような行為は社会通念上許されるであろうか。これまでこのような行為を是認する大学や企業を、取材班は耳にしたことがない。さらに金明秀教授には「サバティカル」不正問題も明らかになっている(団交ではこれを論じる時間はなかった)。

◆関西学院という大学は、暴力と不正にまみれたブラック大学なのか!?

この日の団交では、結果的に金明秀教授の暴行事件を調査する委員会の設置が、新学期が始まる9月22日までになされることが関学側によって確認された。調査委員会の中には大学とは関係のない「第三者」を入れることを組合は要求し、柳屋副学長はこれを了承した。一定の成果があったとはいえる団交ではあったが、これまでの関西学院大学の対応のまずさと、関西学院大学に宿る「非常識」の一面が浮き彫りになる団交であった。

対日大とのアメフト問題では、暴力を非難し爽やかなイメージを醸し出した関学が、これまで金明秀教授による暴力と不正を放置していたことは、常識的に考えて大問題だろう。ことは、単なる同僚教授間の対立や口論などではない。この間に<暴力>が介在していたことが問題なのは言うまでもない。関学側はこのことを基本的に押さえておくべきだ。

これから、大学にとって大きな行事である入試が近づく。関学の対応次第では、爽やなイメージが急落し受験者も急減するかもしれない。問題をしかと見据え、真摯な対応をしなければ、〝第二の日大〟と化すこともリアリティとしてありえることを関学側は肝に命じなければならない。

本件は今後も漸次報告していく――。

(鹿砦社特別取材班)

『真実と暴力の隠蔽』 定価800円(税込)

私たちはアベノミクスと共に滅びたいのか? 安倍三選が導く国民経済破綻

「成長戦略」の基本的な考え方(首相官邸HPより)

◆インフレターゲットが実現できずリフレ政策は破綻
 
選挙では経済政策の効果を謳って賛成票を獲得し、じっさいの政策では「安保法制」による戦争外交への踏みこみ、過労死法案の強行採決、軍事費の増加と憲法改悪と、相反する政策で政権を維持してきた安倍晋三。その屋台骨が揺らぎはじめている。政権維持の核心ともいえるリフレ政策においてである。

7月31日、日銀は金融政策決定会合を開き、現行の大規模な金融緩和策の一部修正を決めた。住宅ローン金利などの目安となる長期金利の上昇を容認するほか、株価を下支えするため買い入れている上場投資信託(ETF)の購入配分を見直し、マイナス金利の適用対象も縮小するというものだ。

修正は2016年(平成28年)9月いらいのことであって、大規模緩和の長期化を前提にしながらも、膨らむ「副作用」を軽減するのが狙いだ。その「副作用」とは、金融機関の収益の悪化にほかならない。なにしろマイナス金利で、金融機関が保有する紙幣・貨幣が目減りする政策を採ってきたのだ。

これが金融制度を崩壊させないわけがない。貯蓄を増やすごとに保有する貨幣が目減りし、銀行は危険な融資に走らざるをえないのである。無理やりにもバブル経済をつくり出そうとした結果、銀行は疲弊してしまったのだ。おカネを動かすために、マイナス金利にしてみたところ、逆におカネが動かなくなった。

アベノミクス「3本の矢」(首相官邸HPより)

◆古すぎる経済モデル

じつに笑えない顛末だが、そもそも無理があった。実体経済をテコ入れできないまま、リフレ論者の言う金利政策と財政出動に終始してきたのが、アベノミクスの現実なのである。

そもそも安倍が頼みにしたリフレ政策とは、インフレを作り出すために「お札を刷る」ということだ。ゆるやかなインフレーションが経済を活性化(おカネの動きが良くなる)し、産業分野(生産過程)で成長がうながされる。つまり、生産の拡大と消費の際限ない拡大を期待した経済成長モデル(戦後経済復興)を、この時代に再現しようとしたのだ。

人々が新しい商品をもとめ、そのさきにある幸福を期待して、消費のために働く? しかし、いっこうに賃金は上がらないではないか。期待した幸福は、この先に本当にあるのか? 安倍さんの周囲にいる人たち(お友だち)は、なるほど幸福かもしれないが、われわれのところにまで及ぶのか?? これで消費が上がるはずはない。

アベノミクス「3本の矢」(首相官邸HPより)
国債発行残高の推移(日銀)

このうえ、さらに国債を買うだって?

このようなお寒い消費と金利動向のなかでも、日銀は短期金利をマイナス0.1%とし、長期金利を0%程度に抑える全体の枠組みは維持した。会合後の声明文では、長期金利について「経済・物価情勢に応じて上下にある程度変動しうる」と明記したが、そのいっぽうで黒田東彦総裁は記者会見で、これまで事実上許容していた水準の倍に当たる0.2%程度まで金利上昇を認める考えを示したのだ。金利誘導のため、年に80兆円をめどに実施している国債買い入れについても「弾力的に実施する」と減額を示唆し、金融機関の収益力悪化や市場機能の低下といった副作用の軽減を図るとした。

つまり泣きたくなるほど、国民の借金が膨らむということなのだ。併せて公表した「経済・物価情勢の展望リポート」では、物価上昇率の予想値を30年度は従来の1.3%から1.1%に、31、32年度も1.8%から、それぞれ1.5%と1.6%に下方修正した。ようするに、インフレターゲットの2.0%はとうてい望めないというのである。もはやリフレ政策は明らかに限界をしめしている。そもそも、新自由主義政策のもとに規制緩和を行ない、岩盤規制と戦いながら、インフレ政策が成立するはずがないのだ。唯一の積極策は観光立国だが、安倍政権はアジア外交に消極的すぎる。

◆ハイパーインフレの危機

問題なのは、どこまで国の借金は可能なのか、である。旧民主党(野田政権)とのあいだで交わした、消費税10%は見送られたままである。富裕層への累進課税(所得累進・付加価値税)も行なわれないままだ。

このままいけば、国債(円)の信用が失われて「ハイパーインフレ」が到来しかねない。ある日、突然、紙幣は紙切れになってしまう。コンビニエンスストアで「お支払いはコインでお願いいたします」などという事態も起きかねないのである。なぜならば、刷りすぎた紙幣を担保する金銀を日本国は持ち合わせていない。信用はまたたく間に崩壊するだろう。金本位制・銀本位制は過去の話だからだ。もはやニッケル硬貨、銅の10円玉、アルミの一円玉を大切にするべきかもしれない。安倍政権がつづくかぎり、恐怖のシナリオはすぐ目の前にある。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

滋賀医科大学附属病院泌尿器科の背信行為 「小線源患者の会」が損害賠償請求

もし、あなたが、いずれかのがんと診断されていて、その部位の「がん治療に抜群の実績を上げている先生がいる」と聞いたら、どうなさるであろうか。「一度診てもらおう」と考えるのは、ごく自然だろう。だが、遠路はるばるその病院を訪ねたのに、肝心の担当医や術法が、事前に期待していたものと違ったと「あとになって」知ったらあなたはどう感じるだろうか。

8月1日、4名の患者及びその遺族が、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)。13時に予定されていた提訴前には大津地裁付近に一部原告や支援者65名と弁護団が集まり、猛暑の中大津地裁玄関前まで井戸謙一弁護団長を先頭に“怒りの行進”を敢行した。

8月1日、猛暑の中大津地裁玄関前まで井戸謙一弁護団長を先頭に“怒りの行進”

◆前立腺がんの治療法「岡本メソッド」

ことの発端は滋賀医大附属病院の岡本圭生医師らが開発した「岡本メソッド」とも呼ばれる、前立腺がん治療に極めて効果の高い「小線源治療」に起因する。前立腺がんの治療法には、前立腺全摘出、放射線外照療法、放射線組織内照射療法、ホルモン療法などがある。岡本医師は低線量のヨウ素125を前立腺に埋め込み留置する永久挿入密封小線源療法を確立し、多数の患者に施術してきた。

これまでの実施件数は1000件を超えているが、注目を浴びるのは、がんで最も恐れられる再発の割合が卓越して低いことだ。前立腺がんは「低リスク」、「中間リスク」、「高リスク」と分類されるが、岡本メソッドの治療を受けた患者の5年後のPSA非再発率(がんが再発しない確率は、「低リスク」で98.3%、「中間リスク」で96.9%、「高リスク」でも96,3%と、極めて優れた結果を残している。素人感覚で言えば「ほとんど再発しない」と安心できる数字と言えよう。

評判は評判をよび、岡本医師のもとには全国から救いの手を求めて患者が殺到したのも頷ける。原告ならびにその遺族は、いずれも2015年に前立腺がんの罹患が判明し、滋賀医大附属病院泌尿器科を受診した方々だ。それぞれ事情は異なるものの、いずれの方々も岡本医師の治療を期待して、滋賀医大附属病院に足を運んだが、診察に当たったのは岡本医師ではなく、成田医師であった。

◆患者たちは「モルモット」だったのか?

しかしながら成田医師も岡本医師の指導のもと「小線源治療」の実績のある医師であろう、あるいは、岡本医師の指示を仰いでいるであろうと考え通院を続けていた患者たちは、のちにあっけにとられることになる。

岡本医師による「小線源療法」は2015年1月に放射線医薬品会社「日本メジフィジックス」(NMP社)の寄付(年間2000万円)を受けて、「小線源治療学講座」が開設されており、岡本医師の治療を受けるためには「小線源療学講座外来」が窓口であり、泌尿器外来では「小線源療法」を受診することはできなくなっていたのだ。しかしそのような内情を一般外来患者が知る由もない。

社会通念に照らせば、岡本医師の受診を希望する、もしくは「小線源療法」を希望する患者は「小線源療学講座外来」に案内されるべきであるが、そうではない事例が複数発生した。

23名の患者は泌尿器科で成田医師の治療を受診し続けたが、のちに

① 成田医師は「小線源療法」の未経験者であり、「小線源療法」についての特別な訓練を受けたこともないこと、

② 滋賀医大附属病院では2015年春ころから、「小線源療学講座法」とは別に泌尿器科でも「小線源療法」を実施する計画をたてて、同病院に「小線源療法」を希望して来院した患者のうち、紹介状に「小線源治療学講座」や岡本医師の特定記載がなかったものを「小線源治療学講座」に回さないで、泌尿器外来で診察。それ以外にも「小線源療法」が適切であると判断した患者も「小線源治療学講座」に回さず、同年末までに原告を含み23名の患者について、泌尿器科において成田医師が、「小線源療法」を実施する具体的計画を立てたこと、

③ ところが成田医師は外科手術、特にロボット手術が専門であり、「小線源療法」は未経験であったこと、

④ その計画をしった岡本医師が滋賀医大学長に直訴し、その結果2016年1月、病院長の指示で23名の主治医が成田医師から岡本医師に変更されたこと、

が判明する。

ここへきて患者たちは自分たちが「モルモット」にされようとしていた現実を知ることになる。成田医師も「小線源療法」の専門家か、もしくは岡本医師の指導を受けているかと思い込んでいたら、まったくそうではなく、無謀にも成田医師は経験のない「小線源療法」を実施しようと計画。それを知った岡本医師が危険性に気づき学長に直訴した結果、無謀な施術だけは回避されたが、患者たちが失った回復の機会や、不要な治療による副作用そしてなによりも同病院泌尿器科への不信感は現在も患者たちを苦しめている。

◆「小線源療法」ではなく「ホルモン療法」だった

記者会見に臨んだ原告のひとりは、「私が望んだのは『小線源療法』だったが、私が受けたのはホルモン療法だった。1年に渡るホルモン療法のために不眠や、体に力が入らないなど様々な副作用に苦しみ、今後心筋梗塞や脳血栓の可能性が高まったと言われている。成田医師からは彼が『小線源療法』の経験がないことを聞いたことがなかった。『この施術は未経験です』と言われて『はいそうですか』という患者はいないだろう。河内医師は泌尿器科には『小線源療法』の経験がないのに23名の患者を囲い込みを行った。患者は『自分の病気を治してほしい』と思って病院にいく。にもかかわらずその施術では素人同然の医師にされかけていたと知って驚愕した。肉体的精神的に大きなダメージを受けた。患者が医師を信頼することなしに医療は成立しないだろう。真っ当な関係が成立するように訴えたい」と語った。

思いを語る原告男性の胸には“PATIENTS FIRST”。滋賀医科大学小線源治療患者会の缶バッチが

弁護団長の井戸弁護士は、この提訴の意義について「23名の怒りと憤りを強く感じている。背景には医療界の『古い体質』があるのではないか。どう考えても『患者第一』に考えているとは思えない事件だ。医療界の『古い体質』を放置せず、日本の医療界があるべき方向に向かうきっかけになれば」と語った。

患者会代表幹事の奥野謙一郎さん(左)と井戸謙一弁護団長(右)

7月30日付けの朝日新聞でこの問題が掲載された。すると滋賀医大附属病院はHP

 
 

と全面対抗の姿勢を打ち出している。すくなくとも訴状をよみ、関係者の話を聞いた限りでは塩田浩平学長のコメントは、開き直りにしか聞こえない。滋賀医大附属病院全体が問題だらけの病院であると原告は指弾しているわけではない。あくまでも泌尿器科の不誠実かつ患者に対する背信行為を問題にしているのだ。

滋賀医大附属病院泌尿器科受付前に掲げられている担当表

この問題では6月に「滋賀医大小線源患者の会」が発足し、わずか1月余りで会員数は600名を超えている。それほどに岡本医師の功績や彼への信頼が厚い証拠であろう。ところが滋賀医大附属病院は2019年に現在特任教授である岡本医師の首切りまで画策している。前述の通り「小線源療法」は前立腺内にヨウ素125を埋め込むので、当然経過観察が必要だ。しかし、安心・信頼して経過観察を任すことのできる医師の存在まで滋賀医大附属病院は患者から奪ってしまおうと画策しているのだ。
患者の怒りと不安は至極当然であろう。

引き続きこの問題は注視してゆく。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

私の内なるタイとムエタイ〈36〉タイで三日坊主!Part.28 ラオス国境を渡る

ワット・チェンウェー和尚さんとデックワット最年少の男の子と
お世話になったノンカイのワット・ミーチャイ・トゥンの比丘達とはしばらくのお別れ

◆ノンカイとしばしのお別れ

ノンカイの寺、2日目の托鉢を終える頃、最後の“痛~い砂利道”だけはダメだった。昨日は3歩でくじけたが、今日は6歩ほど歩いて、「アッ、イタタタタタッ、痛ッ!」。

また歩を休めながら何とか辿り着く。ホンマに恥ずかしい。修行が足りないことが心に響く。今度来た時は必ず歩ききろうと誓う。ちょっと痛いだけだ、頑張ろう。

今日はラオスに入る日。朝食後は使わせてもらったクティの範囲を掃除しながら出発準備に掛かります。

「早よせい!」とイライラしながら急がせる藤川さんが慌ててコップ割っていやがる。

人に文句言っておいて自分が出来ないこと多い人だ、全く。まだまだあるが今度書こう。

わずかな間だったが、ペッブリーの我が寺より品の良さに癒され楽しかった。リーダー格の兄さんやコーヒー入れてくれた兄さんらと写真撮ってお別れ。と言ってもまたノンカイに戻って来るのだ。次は河沿いの寺に行くかもしれないけれど。

◆タイ・ラオス友好橋で想う

デックワットが用意してくれた籠の膳

拾ったトゥクトゥクは、藤川さんがしっかり行き先を伝えず、タイ・ラオス友好橋まで行くまでの途中で降ろされる不愉快さはあったが、後から来た親娘が乗ったトゥクトゥクに拾われるタンブンとなった。これも徳の積み方なんだなと思う。

タイ出国手続きエリアでは比丘の立場が効力を発揮し、係員が特別早くしてくれて簡単に済み、国境橋通行バスに乗って橋を渡ります。これが近いようで結構離れている河幅で、ゆっくり走ってはいたが、出発から到着まで5分ほど掛かっていました。

このタイ・ラオス友好橋を渡るのは2回目である。ラオスに入る為の出入国審査を受けるのはこの日が初めてである。矛盾したことを言っているが、この2ヶ月前、ノンカイでムエタイの試合がありました。この試合を取材してから出家した私でした。このノンカイでの試合は日本人では伊達秀騎と小林利典、そしてこの小林選手と対戦した、日本でも有名なソムデート・M16も居ました。

この興行御一行はプロモーターとその友人の入国管理局のお偉いさんの計らいで、ラオス・ビエンチャンの半日ほどの旅をノービザ、未入国扱いで観光させて頂いているのである。なので、ビエンチャンへはある程度は街並みと治安が分かり、オドオドするほど不安ではなかった。2ヶ月前の風景が蘇る。楽しかったなあ、前回は自由で。

◆ラオスに入って最初の緊張

ラオス入国審査も難なく通過出来たところ、待ち構えていたのは客引きタクシー運ちゃんの群集だった。これから向かう、プラマート和尚が書いてくれたワット・チェンウェーの住所を藤川さんがあっさり運ちゃんらに見せている。

こんな怪しい奴らに何で簡単に着いて行こうとするのか。

ボロイ車にもう一人若い男性客を助手席に乗せてたタクシーの運ちゃん。

私はこのタクシーはやめようと思った。何年か前のバンコクで起きた日本人新婚夫婦が白タク強盗殺人に巻き込まれた事件を思い出したのだ。

「ヤバイですよ、藤川さん!」と言っても「ほんならどないするんやぁ!」と語気強く返してくる。他のタクシーにしてみても同じかあ。ここで立ち往生はできない。もう行くだけ行って見るしかなかった。

比丘であろうとボッタくってくる運ちゃんとは150バーツで交渉成立。どれだけ高いのかは分からない。それより安全かどうかの問題。サングラス掛けた運ちゃんは怪しい風貌。この助手席の客もグルだったらどうなるのか。だんだん田舎道に入り、どんどん人の気配が少なくなって心細くなる。

藤川さんはこんな旅は慣れたものなのか平然としている。そんなところで助手席の客が降りる。俺らはもっとひどいところに連れて行かれるのか。そんなこと考えるうち、しばらく行ったところで運ちゃんが何やら言って指で示す。門のアルファベットの綴りはちょっと正しくないが、「ワット・チェンウェー」の文字が見えた。ああ助かった。ちゃんと送り届けてくれた普通の運ちゃんだった。去り際、ニコッと笑ってくれる。運ちゃんが天使に見えてしまう。私は警戒し過ぎなのだろうか。150バーツは高くなかった。ちょっとボッタくられただけで済んだのだ。

正面玄関となる講堂
ワット・チェンウェー本堂

◆無事に着いたワット・チェンウェー

門入ってすぐ、黄衣をホム・ロッライに纏い直す。そこに居たデックワットであろう少年に案内して貰い、荷物持ったまま正面の講堂らしき建物へ入る。年輩の和尚さんらしき比丘が仏壇の前に座っている。

すぐ目が合って三拝してノンカイのプラマート和尚からの紹介状を見せると、このチェンウェー寺の小太り和尚さんが「ジンディートーンラップ!」と応えてくれました。

若い比丘達のクティ

藤川さんは私に「何て言うたんや?」
私、「“歓迎します(welcome)”です!」
またすぐ平伏す我々。時間は11時を回っていました。

小太り和尚さんの「ターンカーオ・ル・ヤン?(食事は摂りましたか)」
「ヤン!!」と“頼むでぇ”と言わんばかりの笑顔で応える藤川さん。
すぐ弟子たちに命じて食事の準備をしてくれる小太り和尚さん。

ここの寺も昼食時に入るところだったのだ。若い比丘とネーンたちが和尚さんと皆の分と我々の分が籠の膳に載せられ出されます。こんな突然の訪問者の食事まですぐ出せるというのは、知らない仲なのに不思議な迎え入れだ。まあデックワットの分が我々に回ってくることは想像できたが、ノンカイ同様、食材に貧相な印象は無い。とにかく御飯に有りつけたのは有難い。結構食えたし美味かった。食事後は少々の読経を経て終了。

釘と金槌を貸してくれたおじいさん比丘

◆クティに入る!

小太り和尚さんに、我々がタイのペッブリーから来て、タイ国滞在ビザを取得してタイに戻ることを伝えた後、クティに案内してくれました。先程食事させて頂いた、正面の鉄筋コンクリート造りの綺麗な建物は講堂とも言える広々した読経の場だったが、我々が誘われたのはこの隣の木造高床式小屋の2階の“ワンルーム”。暗いし暑いし蚊は入るし、けど寝られる場が与えられて有難かった。そこには痩せた病気がちに見えるおじいさん比丘が片隅で寝ており、若い比丘一人も居る部屋だった。

藤川さんはすぐ「蚊帳吊れ!」と言う。旅立ち前、貰っていた紐と釘を出して、何をどうするのか迷っていると、「今やらんと夜になってからじゃ暗くて出来んぞ!」と語気強く、外で拾った大きめの石を持って来て壁に釘打ち出した藤川さん。
“ガンガンガン!”と小屋全体が振動するほど響く。おじいさん比丘も何事かと振り返る。

「ちょっとちょっと、突然人の家に来て、いきなり壁に釘打ち出すなんて非常識ですよ!」と言っても、「しょうがないやろが!」と言う藤川さんの後ろに、寝ていたおじいさん比丘が立ち上がって寄って来た。「ヤバッ、怒られる!」と思った途端、おじいさんはニコ~ッと笑って「これ使えや!」と言わんばかりの、釘と金槌貸してくれたのである。この拍子抜けする吉本新喜劇のような展開。

とにかく不器用な私が子供の頃見た、器用な親父が家でやってた日曜大工を思い出し、壁に釘をしっかり打ち込み、紐を傘の先端の輪に通して吊るし、傘に蚊帳を掛け、寝られる準備を終えました。

やれやれこれで今日はゆっくり寝られる準備が終わった。しかし、これからラオスに来た最大の目的を果たしに行かねばならない。書類を持ってビエンチャンのタイ領事館へ向かいます。

我々が泊まったクティは左の方

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』8月号!
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

開港から40年の三里塚(成田)空港〈17〉肉体派と知性派 人間は頭で生きるのか、それとも身体で生きているのか?

 
『戦旗派コレクション』より

わたしは理論誌とも思想誌ともいわれる雑誌の編集をやっていますが、理論や思想が世の中を変えるなどと思ったことは、じつはあまりない。人を動かすのは感情であり、魅力のある物事だと思うからです。その物事の原因や拠って立つ構造を解明することにこそ、理論や思想はあるのではないでしょうか。

とはいえ「理論派」「知性派」と呼ばれることに人は憧れ、その対極にある、やや侮蔑的な評価が「肉体派」ではないか。学生時代には、よく「君たちは肉体派だな」と言われたものです。この「君たち」とは、わたしの出身大学(けっこう受験生に人気はありまずが、一流とは言えますまい)の意味であって、わたしたちを評したのは、東京大学から「指導」に来ていた理論派の学生でした。どうせ俺たちは肉体派だという自虐が顕れるのは、三里塚現地で肉体労働に従事するときでしたね。団結小屋の改修や風車をつくるための穴掘り、要塞建設などなど。とにかくあてにされる。

ところがいちど、内ゲバで他党派と揉み合いになったとき、かの東大生は言ったものでした。「いいよな、君たちみたいに身長のある人は。相手に掴まれても、パッと突き放せるだろ」。このときに判ったものです。ああ、この人が「君たちは肉体派」と言うときには、背が低いことへのコンプレックスがあったんだな、と。

学生活動家というのは、大きな人か小さな人の両極端がなぜか多くて、昨年亡くなられた塩見孝也さんなどは巨漢系。塩見さんに早稲田でオルグされた故荒岱介さんも180センチの身長でした。いっぽう塩見さんと袂を分かつ赤軍派の指導者・高原浩之さんは小柄な方です。意外なことに、小柄な人のほうが頼りになると、よく言われたものです。

ヤクザも同じで、大柄な人と小柄な人がなぜか多くて、中肉中背という親分はあまりいない。たとえば工藤會の三代目・溝下秀男さん、山口組の五代目・渡辺芳則さん、太田興業の太田守正さんなど、小柄だが胸や腕は筋肉隆々という方が多かった。たぶん小柄だと、そのハンディを乗りこえるために鍛えるんでしょうね。大きい人だなと思ったのは、広島挟道会のM氏くらいのものだった。ヤクザは知性派とか理論派と呼ばれるのは評価が低い証しで、もっぱら「武闘派」が名誉ある親分ということになる。

◆「肉体派」という呼称に違和感がなくなった40代

わたしが「肉体派」という呼称に違和感がなくなったのは、40歳をこえるあたりからでしょうか。左翼活動家にしろヤクザの親分衆にしろ、付き合っている方々がひと回り年上なものですから、その中にいると話題が健康と病気の話ばかりだと気づいた。まだロードバイクはやっていませんでしたが、けっきょく左翼もヤクザも健康のことばかりになってしまうんだなと。だったら、今後は健康と環境問題が人類のテーマだと。

そこできっぱり、煙草をやめました。親父が肺ガンで死んだというのもありましたが、喫煙癖は病気だと思うと、意外に簡単にやめられたものです。いったんやめて、それでも家内が吸っていたので、もらい煙草をしているうちに「やっぱり、これって病気なのかな」と。そのうちに家内が怪我(浴衣で外出したときに、下駄を滑らせて脚の指を骨折)をして、じゃあ一緒に煙草をやめようとなったわけです。いらい、運動はもっぱらサイクリング、楽しみはお酒だけという生活です。さて、肉体派というテーマにもどりましょう。

 
『戦旗派コレクション』より

本格的にロードバイクに乗りようになってからは、肉体派という実感がむしろ誇らしく感じられたものです。もう50歳台になっていましたが、隆々たる大腿筋に盛り上ったハムストリングス。腕も硬く太くなっていきます。もうひとつ「肉体派」といえば肉体美をもって「演技派」に対置されるわけですが、肉体美という意味ではもう完全に、知性派とか理論派なんかというものを打ち負かす魅力があります(女優じゃないけど)。2008年の洞爺湖サミットにさいして、自転車ツーリングを呼びかけて「肉体派は集まれ!」というキャッチを同行するグループに提案したところ「せめて知的肉体派」にして欲しいと異論があった。単なる「肉体派」はダメらしい(苦笑)。

三里塚の横堀要塞にろう城が決まったとき、鉄の入った安全靴やぶ厚い作業着、フルフェイスのヘルメットに身を固めながら思ったものです。もっとスマートな都市ゲリラのほうが性にあってると。しかし逮捕されて3畳一間の独房にいると、三里塚の大地に身を躍らせたいと、そればかり考えていました。

もう還暦をこえたいまは、ひたすら健康のために自転車に乗り、健康な食材と美味しい料理が生きがいです。それと、やっぱりお酒なのですね。もう完全な肉体派。いまちょうど、五木寛之先生と廣松渉先生の対談本の復刻(抄録)を編集していますが、60歳で身まかられた大哲学者よりも、86歳にならんとする国民的作家のほうが肉体派だったということになります。肉体派万歳! (この連載は随時掲載します)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す