思わず卒倒しそうになった。
7月26日号の「週刊新潮」で「東電は知らない?! 福島第一原発の刺青作業員」と題して、刺青が入った作業員を盗撮したようなショットが出てきた。
「やっていることがもはや幼稚園レベルです。中学生男子が女子にスカートめくりをしているようなイメージですね」(教育者)

ここで焦点にしたいのは、パパラッチの是非ではない。
「刺青文化」をいうものを知らない「週刊新潮」の“感覚”である。
刺青の歴史は古く、「魏志倭人伝(280年-290年間)」(中国の正史『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の倭人の条の略称)には「邪馬台国の住民は全身に刺青をして、抜歯をしたり歯を黒くしたりしていた」と記述がある。刺青の習慣は古くからあったのである。

江戸時代になると、刑罰としての刺青も行われた。これは中国の墨刑に習ったもので、 「ギジの刑」、つまり耳・鼻をそぐ刑に代わるものとして、罪人の腕に幅3分(約1cm)ほどの2筋の刺青を行ったとされる。刺青のイメージが悪いのは、ここからだと思う。
しかし文化的な側面も否定できない。刺青にはファンがたくさんついているからだ。
大阪あたりでは、「不倫したのは茶髪時代だから」などと開き直るどこかのパフォーマンス市長が「公務員が刺青をするのは」なんたらとか抜かしていたが、不倫市長よ、刺青の文化を知っているのか。

「タトゥ・アート」はもはや文化としては最先端である。
07年、ロンドンでは世界中の彫り師を集めて盛大なファッションショーを開催した。
今年、米ニューヨークのマンハッタンでは5月19日、世界中のタトゥ・アーティストを集めて第15回ニューヨーク市タトゥー大会を開催した。
かなりの有名人も来たが、ここでは割愛する。

「刺青=ヤクザ」という方程式をもちこむ感覚が、すでに古臭い。
日本の彫師は世界から引く手あまたであり、誇るべき日本の文化だ。「タトゥ・セラピー」なんていう療法もある。
中国タトゥーアーティストのシャオ・バイなどは、服飾にも乗り出し、多彩な活躍を見せている。近く、なんらかの賞をとるだろうとファッション界では話題となっている。

「週刊新潮」よ、近視眼的に、古き価値観で読者に「刺青=悪」という図式を展開するのはやめよ。
報道すべきは「福島第一原発」に刺青の作業員がいたことではないだろう。
これから原発を、エネルギーをどうするか、であり、原発被災者をどうフォローすべきかである。夏の電力がもし枯渇してしまうのなら、そうした報道をおろそかにしたすべてのマスコミに、責任があると予告しておこう。

(渋谷三七十)